海のハーレ~海の国の男装王女は押しかけ補佐官(婿)に溺愛されてます~ 作:露草ツグミ
「エフィネティア……」
「なに?」
「ううん、発音を確かめたかっただけ」
食事が終わり、彼女は執務室で海の王に送る書簡をまとめるというので、僕はドーラン側の書類を作成することにした。
「低い机じゃ書きにくいでしょ? ここを使って」
そう言って案内してくれたのは執務室の隣の資料室だった。
「他にも空き部屋はあるんだけど、まだ調度品を置いてないのよ。──紙とインクはある? ここにも大陸用の筆記具は用意してあるけど」
「大丈夫、持ってきているよ」
海の国とやり取りをするには水羊の皮から作った特別な羊皮紙に海水で劣化しないインクを使う。
草稿を元に正式な書類を作成する。ドーランの書類には海の王の署名をもらい、ゼルライト王の名代のゼノン殿下がドーランに持ち帰り、王が署名をして完了である。
作成した書面をエフィネティアに確認してもらう。問題ない、と頷き、彼女は羊皮紙をくるくると巻いて細い筒にいれた。さらに彼女が海の国の言葉で記した木簡を筒に巻き付けて紐で結ぶ。
「それが海の国の書簡?」
「ううん、これは私からの報告書よ。海の国の言葉で書いた同盟の条文と、内容に関する説明。海の国では文書は使わないの。使うのは──これ」
エフィネティアは二枚貝と小さな黒い珠が二つ入った箱を取り出した。黒い真珠に見えるが、内側から光るような真珠の輝きが感じられない。
「これは真珠の子どもよ」
海の国では昨年まで他国と同盟や条約などを結んだことがなかった。友好の証にハウニョクのような大魚を贈り、用があれば海の王との仲立ちを任せていたそうだ。
それは海の国の中でも同様で、海の者は嘘をつかないから、契約だ書類だといった書面による
「おじい様、海王様が片方の真珠に条文と名前を吹き込む。ドーラン王にもうひとつの真珠に条文と王の名前を吹き込んでもらって」
「言葉は? ドーランの言葉でいいの?」
「何語でも構わない。文章と名前の両方を王様自身の声で吹き込まないと効力は発揮されないわ。別の人が王様の名前で声を吹き込むと真珠が割れるから気を付けてね」
なるほど。誰かが王を騙ると契約は破棄されてしまうわけだ。
「王に声を吹き込んでもらった後は?」
「ここに持ってきて。二つの真珠を貝に食べさせると海の王とドーラン王の声を取り込んだひとつの白い真珠になるの。必要なときはその真珠から吹き込んだ言葉を聞くことができる」
「へぇ……」
「面白いでしょ?」
「幻想的だね。子どもの頃に読んだ絵本の世界に出てくるような魔法みたいでわくわくするよ」
「私もそう思った。まだ自分が魔法を使えない子どもだったころ、大人が使う魔法が不思議で、ドキドキして、とても憧れたのを思い出したわ」
純粋に魔法に感動した記憶といえば僕はナイジェリーを思い出す。
魔力の暴走におびえていた小さな僕が出会った大きな君。
両親のいる家と、アリスト博士の研究所しか知らない僕の前に突然現れた女性と過ごした時間はすべてが夢のようで。
彼女が使う魔法のみならず、彼女の言葉、彼女と一緒に作ったポルカさえも、不思議な魔法なのではないかと思ったくらい。
彼女の存在を想いながら窓の外の遠い空を見上げるようになったのはいつの頃だったか──。
「ドーラン側の書類におじい様の署名をもらってくるから、後日また来てくれる? その時に黒い真珠も渡すわ。それから、過去や未来に干渉する魔法の調査は少し時間をちょうだい」
「海王様の署名をもらうのにどれくらいかかるかな?」
「シャクヒョク──文書を運ぶ中型の魚に頼んでおじい様に届けてもらうわ。二日後には帰ってきてくれると思う」
「二日後ね。君は一緒に行かなくていいの?」
「今回は署名だけだし、口頭で説明が必要な内容はなかったから、私は行かない。シャクヒョクだけの方が速いし」
「そっか。ならお願いがあるんだけど」
「なに?」
「二日間、僕に君の手伝いをさせてもらえないかな? もちろん、ドーラン国民の僕が知ってもいい部分だけでいいよ。これでも外交官だし、大陸の情勢には明るいよ」
海のハーレは開設したばかりで使節団の訪れは月に数えるほどだという。
ずいぶんとのんびりしているように思えるが、海の国に持ち帰ってセレスティアル王に回答を仰ぐことを考えれば、海の国への往復だけで陸では何日も経過してしまうから多くの案件を扱うことができないのだ。
「うーん……」
エフィネティアは腕を組んで思案している。
即座に拒否されないということは期待できる。ならば、もうひと押し。
「他国の王族への対応の仕方で困ってることはない? 僕なら力になれると思う」
「王族……」
彼女は椅子から立ち上がり、本棚の前に屈みこんで下段の開き戸を開ける。両手で抱えるほどの箱を取り出すとドンと音をたてて机の上に置いた。
何も言わずに僕に向かって箱を押し出してくる。僕が首を傾げると、上目遣いに僕を見ながら口をすぼめて顎をしゃくった。中を見ろということか。
「見ていいの?」
無言で頷く彼女はなんとも面倒くさそうである。
箱の中を覗いてみれば、王族の紋の入った封筒と布に包まれた絵がいくつも入っていた。どこの国の王族からの封書かざっと確認し、絵を包んだ布を広げる。
「これは……姿絵?」
*
資料室の机に姿絵と王族からの封書をドサドサと積み上げた。封書は縁談の身上書、または王宮への招待状だ。
「便箋はこれしかないんだけど」
「それでいいよ。飾り気のない無骨な紙のほうが相手に期待を持たせないでいい」
海のハーレが開設してから三か月。
何を勘違いしているのか、エフィネティアを王宮舞踏会に招待する王や、縁談の姿絵を送ってくる王族や貴族が後を絶たないという。
僕が頼まれたのはこれらに断りの返事を書くことだ。
「筆とインクはこれを使って」
「ありがとう。筆記具が足りなくなったら言ってね。後で買ってくるよ」
「は? それは私の台詞でしょう? これはもともと私の仕事なんだし」
「君宛ての縁談ならご両親か海王様が返事をすべきじゃないかな?」
「それはそうなんだけど……」
エフィネティアは困ったように眉根をよせて息を吐いた。
海の王族の方々は他の王族から縁談が持ち込まれたことなどないのだろう。仕方なく彼女が抱え込んでしまったというところか。
「こういったことは僕は慣れているからね、君は自分の仕事をしてよ」
「……ありがとう。すごく助かる」
「どういたしまして」
彼女の素直な感謝の言葉に僕は笑って応えた。
僕が茶化しもせずにまともな返事をしたからだろうか、彼女はとても驚いた顔をして、頬を赤く染めて照れくさそうにそそくさと執務室へ戻っていった。
ちょっと名残惜しいが、扉を一つ挟んで仕事をするのは悪くはない。
机の上に置かれた筆を手に取る。これはセレイナで彼女が買ったものだろうか。
以前ドーランへ帰ったとき、次に彼女に会えたときに贈ろうとペロペペーネの筆を買ったのを思い出した。
「さてと……」
スッと顔から笑みを消し、姿絵を手に取った。
そこには僕がよく知るいけすかない白髪の王子が描かれていた。もう一枚は豊かな黒髪の妹姫。
相変わらずヴェスタヌは抜け目がない。「海の王族エフィネティア」宛ての縁談にコックとデグネア、兄妹両方の姿絵を送ってきている。
まったく、あの兄妹の顔をこんなところで見ることになろうとは。
エフィネティアは男装と魔法で性別を誤魔化せていると思っているようだ。しかし、その考えは甘いと言わざるを得ない。
僕が「彼」に求婚したことが世間に周知されたら僕が男色家だ誤解されると彼女は本気で心配していたが、そうはならないだろう。
彼女の反応が楽しくてちょっと
「……誰にも渡さないけどね」
乱雑に重ねた姿絵を一瞥する。
右手の指先に熱を集める。どうせ断るのだから姿絵はもう必要ない。
絵師が苦心して色を重ねたであろう肌の上に赤く火が
豪華な額縁のなかで白と黒の絵の具が燃え上がるのを僕は冷ややかな目で見下ろした。
*
珊瑚島の時の流れは陸と同じというが、時間とはこんなに早く過ぎるものだったろうか。
一年でも日が長い季節、夕陽が海に沈むのは少し先だが、僕の持っている時計は明星の鐘が鳴る時刻を指し示していた。
「明日は何時ころ来るつもり?」
僕を見送りに屋敷の外まで出て来てくれたエフィネティアが訊いてきた。
「朝から来るよ。まだ終わってないし」
僕が書き上げた断りの手紙はエフィネティアに確認してもらい、彼女が封をする。海の国の封蝋が
王族に手紙を届けるにはそれなりの手続きが必要だ。セレイナも頼めばそれぐらいはやってくれるだろうが、僕にできることなら僕が代行したい。
「そんなに急がなくていいのよ? アンタだってセレイナで仕事があるでしょう?」
「今回の同盟を成立させるのが僕の仕事だよ」
「ゼノン王子は? 側にいなくていいの?」
ゼノンは明日はセレイナ城で公務だ。ベラに引っ張りまわされるだろうから心配はいらない。
「殿下もやることがあるから。僕が一緒じゃなくてもいいんだよ」
「ふーん」
「戸締りはしっかりするんだよ。孤島でも使い魔に乗れば誰でも来られるんだからね」
「結界はちゃんと張ってるわよ! ほら、日が暮れるからさっさと帰りなさいよ」
「また明日ね」
明日もまた君に会える。
それが奇跡に等しいことだと僕は知っている。
次からはナナリー(エフィネティア)視点に戻ります。
申し訳ありませんが事情により更新が遅れます。