海のハーレ~海の国の男装王女は押しかけ補佐官(婿)に溺愛されてます~ 作:露草ツグミ
翌日、ロックマンは本当に朝からやってきた。ユーリに乗って、トランクを小脇に抱えて。
昨日のキンキラした正装とは違い、白いシャツに紺青のスラックスという軽装だ。私も似たようなもので、昨日は使節団を迎えるためにちゃんとした格好をしたけれども、いつもは白い半袖のシャツに足首が見えるスラックスである。
執務室は私の氷を使った空調が効いているが、珊瑚島はセレイナと同じように日中は暑い。
資料室に入るとロックマンは机の上にトランクを置き、革のベルトを外して開ける。大きく口を開けたトランクの中には何も入っておらず、ロックマンが指を振ると渦を巻くように別の空間が現れた。
ロックマンは新たに出現した空間に手を突っ込んで、大きな箱をいくつも取り出している。
次から次へと出てくるこの大きな箱は何?
「何を持ってきたの?」
「ドーランの料理」
「はぁ!?」
「他にも必要かと思って食材や調味料も持ってきたよ。自炊してるんでしょ? この箱に入れておけば長期保存できるから」
ロックマンが箱を一つ一つ開けていく。
肉類が入った箱、お酒や果実水が入った箱、お茶っ葉や調味料、小麦粉が入った箱、セレイナでは手に入りにくいドーラン産の野菜が入った箱、焼き立てのパンが入った箱。
極めつけは兎鳥のから揚げが入った箱だった。蓋を開けた瞬間から香ばしいから揚げの匂いが鼻腔を抜けて、朝ごはんを食べたばかりだと言うのに空腹感を覚えたくらいだ。
「たくさん持ってきたから。後で食べて」
私は言葉を忘れてコクコクと頷く。兎鳥のから揚げから目が離せない。
ロックマンがくすくすと笑う。可笑しそうな笑い声にハッと我に返った。
「わ、わかってるわよ! まずは仕事よ!」
口の中に唾が溢れそうになって唾を飲み込む。
涎が垂れてるんじゃないかと手で口元をぬぐったが、手は汚れてなかった。みっともないところを見せずに済んでよかった。
「食材はどこに運べばいい?」
「奥の厨房だけど……昼休みに持って行くから」
ロックマンは最後に小さな箱を取り出すと、食材や料理が入った箱を一旦全部トランクに戻して蓋を閉めた。
「これ、君に贈るよ。筆ならいくらでもあっても困らないでしょ?」
ロックマンが私に箱を差し出してくる。見覚えのある箱はドーランのペロペペーネの店のものだった。貴族も購入するほどの質の高い文房具を扱っている店で、私は初めてのお給料でペロペペーネの筆を買ったのだ。
あんなに料理や食材をいただいた上に、さらにペロペペーネの筆まで貰う訳にはいかない。手で箱を押し返して、首を横に振った。
「これはもらえないわよ。もらう理由がない」
「君との再会を祝って?」
「お祝いなら食べ物で十分よ」
私が真顔で答えるとロックマンは苦笑した。
「手強いね。んー、じゃあ、少し遅いけど誕生日プレゼント」
「……なんで?」
「好きな女性の誕生日には贈り物をしたいものでしょ?」
「好……! そういうことを軽々しく言うんじゃないわよ!」
「僕は本気だけど? 君にしか言わないし」
「わかったから! これだけよ! 今度何かお返しする!!」
結局受け取ってしまった。歯の浮くようなセリフがすらすらと出てくるロックマンはやはり天性のタラシである。
嫌味なら絶対に口でやり返してやるが、会話の端々で慣れないことを言われるせいで調子が狂ってしまう。しっかりするんだ、ナナリー。
*
午前中の仕事が終わり、私はロックマンと宿舎の一階の角にある厨房へ向かった。厨房とはいっても、私や家族がご飯を作って食べる場所なのでちょっと大きめな台所兼食事をする部屋である。
朝は窓から陽射しが降り注ぎ、明るく爽やかな気分で食事ができる。真昼にこの部屋を使うことは少ないが、窓を開け放てば風が通ってそれほど暑くはない。
ロックマンが物珍しげに厨房を見回している。お坊ちゃまの彼は台所や厨房といった場所が珍しいのだろう。
「ここで君が毎日料理をしてるの?」
「そうよ。アンタは厨房に入ったことないの?」
「ないね。僕は入ってみたかったんだけどね。貴族の子どもが立ち入れる場所じゃないから」
「そうなの?」
「厨房は使用人の領域なんだよ。屋敷の主やその家族はまず入ろうと思わないし、子どもが入ろうとしたら大人が止める。料理の話をしたかったら執事や侍従を通して料理人に伝えてもらう」
「へー。貴族の子って、自分でお菓子も作れないんだ?」
「残念ながら」
確かに、マリスからお菓子を手作りしたという話は聞かない。
マリスは器用で、ドレスを作れるほどに裁縫が得意であるが、禁止されていることが多いから貴族女子の嗜みとして必須の刺繍や裁縫を極めているのかもしれない。
ロックマンは調理台の上にトランクを置き、今朝やったように中から保存箱を出し始めた。料理が入った箱以外は食材置き場に運んでもらう。
保存箱も安くはないのだが、私が持ってる箱よりロックマンが持ってきた箱の方が大きくて数も多かった。
「人魚たちの食事もここで作るの?」
「ううん、この宿舎には人間しか入らないわ。人魚たちの厨房は島の下の方、中庭の池の真下にあるのよ」
「あの池……というよりも海の一部かな? あそこは海に繋がってるの?」
「そうだけど?」
ロックマンは顎に手を当てて納得したように頷き、興味深そうに窓の外の回廊を隔てた中庭に目を向けた。
この島を作ったのはおじい様とお母さんで、どんな魔法でできているのか私も詳しくは知らないのだ。そのうち教えてもらおうと思っている。
木製の食卓に、向かい合った席に一人用のテーブルクロスをそれぞれ敷いて食器とカトラリーを用意する。
食器はひと家族分揃っている。まさか家族以外で初めてここで一緒に食事をするのがロックマンになるとは思いも寄らなかった。
ロックマンが持ってきた料理はたくさんあった。兎鳥のから揚げが三種類もある。美味しそうな前菜に、パンとサラダとデザートも数種類。
こんなにたくさん持ってくるなんて、ロックマンは結構食べるのだろうか?
さすがに全部は食べきれないので、から揚げを半量、前菜やサラダは一種類ずつお皿に取り分けた。デザートは食後のお茶と一緒でいいだろう。
ロックマンは配膳の経験もないようで、私が取り分けるのを黙って見ていた。果実水を出してほしいと頼むとすぐに取ってきた。
「朝作ったスープでよければあるけど。さすがに多い?」
「ありがとう。いただくよ」
果実水をコップに注ぎながらロックマンが即答する。
なるほど、ロックマンは食いしん坊らしい。
食が細い印象はないけれど、モリモリ食べる姿も想像がつかない。
でもまあ、男だし、背も高いし、騎士団で鍛えてるからよく食べても不思議ではない。昨日も初めて食べる海の国の料理を全部平らげていた。
マリスからロックマンが健啖家という話は聞いたことがないので、きっと女性の前では甘ったるい言葉を吐くのに忙しくてあまり食べないのだろう。
朝のスープが入った鍋を保存箱から取り出して温め、器によそって食卓に並べる。パンはおかわりできるように大目に盛った。食卓はかなり豪華だ。
食事の挨拶をして、さっそくから揚げをフォークで刺して口に頬張る。
……ドーランの王都で食べた味がする。
セレイナの料理はドーランと味付けがかなり違うから、それはそれで美味しいけれど、私が好きな兎鳥のから揚げとはちょっと違う。
私が作るから揚げとも、お母さんの料理とも違くて。家庭では作れない専門店の味がする。
「この味をもう一度食べたかった……」
噛みしめるたびに懐かしい味が口の中いっぱいに広がって、味覚と嗅覚と触覚のすべてで堪能する。
目尻に滲んだ涙を手で拭っているとロックマンの視線を感じた。から揚げ一つで泣くなんて呆れているに違いない。
「大げさに聞こえるだろうけど! 久しぶりで懐かしいの!」
「僕だってそういう気持ちはわかるよ」
「ロックマンが?」
むぐむぐとから揚げを咀嚼する。ああ、やっぱり美味しい。
「僕ももう一度食べたい料理があって」
ロックマンは眼鏡の奥の赤い瞳を弓なりに細めて笑う。
「同じ料理を探して、買ってきてもらっても作ってもらってもどうしても味が違くて。もし同じ味を食べることができたら、僕も泣いてしまうんじゃないかな」
その笑顔が柔らかくて、優しくて。どれほどロックマンが懐かしく思っているのかよくわかる。
ロックマンの瞳は遠く懐かしいものを見つめて──はおらず、なぜか私を見ていた。
私は目を瞬く。
透明な輝きを放つ赤い瞳に貫かれて時が止まったかのように思えた。
一瞬かそれとも数分か。
食べるのも忘れて呆けたように私は一対の赤い宝石を見つめ返していた。
ロックマンがくしゃりと笑い、ふっと風が流れた。彼は何事もなかったかのように食事を再開する。
私も口の中の肉を噛んで飲み込んだ。
……ロックマンがもう一度食べたくて、食べたら泣いてしまいそうな料理?
ちびロックマンが言ったならこんなに驚いたりしないけれど、大人のロックマンの口からそんな台詞が出てくると普段の言動との落差がすごい。
公爵家の料理人なら何でも作れそうなものだけど、同じ味が再現できないのは旅行先で食べた料理とか、または誰かの手作りなのだろうか。
ロックマンがアリスト博士の研究所にいた頃に食べたものかもしれない
このロックマンも元はあのちびロックマンだったんだなぁ、と妙な感慨と共に兎鳥のから揚げを噛みしめた。
食べ物の話は予定より長くなりますね。