小柄な新人女優が映画で少年役に抜擢されて男の子の気持ちを理解する為に立ちションを極める話 作:喋家月餅太
彼女にその知らせが来たのは春頃のことだ。最初は新たな詐欺かと思ったが、養成所の講師の知人である事が分かり仕事を受けることにした。
彼女は女優志望のフリーターだ。芸能や芸術とは無関係な大学を出てから2年になる。たまたま大学時代に目にした他大学の学生劇団の出演者募集に応募し人が集まらなくて頓挫寸前だったその劇団の公演に出た事から演劇活動を始めた。高校時代に演劇部にいたのだが大学ではやらないつもりで文芸部に入ったが引退後、生来の消極的な性格で就職活動をやる気になれなくてたまたま見つけたポスターで「これをやれば積極的な性格になれるかも」と言い訳して演劇に逃げた形になる。
結局、就職活動は派遣会社に登録するだけに終わり、演劇を本格的にやる事を志すことになった。学生時代に他大学の演劇に出て出来たツテで他の劇団の公演に出るようになったり、養成所にも通い始めた。
就職活動はせず家庭教師をやりながら物流会社で倉庫や配達のアルバイトをしている。積極性は身についたもののそれは就職ではなく、なれるかもわからない女優志望という立場で発揮されることになった。
そんな彼女の女優としてのキャリアはまだ何もない。生業と養成所のレッスンの合間を縫って無名なアマチュア演劇に出るくらいだ。この2年、横のつながりは出来て年に2公演のペースで小さな舞台に立てている。
演劇関係の知人や友人には小さなイベントの司会などの仕事を得ている人もいる。そういった身体と声で表現する仕事をする機会はこれまで得られなかった。
だが、そんな彼女に予想だにしなかったチャンスが訪れた。映画の出演の仕事だ。
最初彼女はAVか何かではないかと警戒した。AVも立派な表現者の仕事で狭き門であることは知っている。だが、彼女は人前で裸を晒して恋人でもない男と抱き合うなどしたくなかった。
だがそういったものではないらしい。一般に見られるような作品だという。3週間前に出た自分の舞台を見て興味を持ったそうだが、自分の様な知名度も皆無な人間にかかった声なので中小企業の商品PR動画や交通機関の注意喚起用動画だろうと思った。大学の講義で企業の広報や記録のために作る映画を産業映画と呼ぶと習った気がするが、映画と言ってるのはそういうことなんだろう。
翌日、養成所に依頼主から連絡が来た。養成所の講師の知人が勤めている会社だそうで、講師や他の養成所のスタッフからは受けた方がいいと勧められた。どうやら怪しい仕事であることは警戒しなくていいようだ。元々、講師にどうするべきか相談するつもりでいたところだった為、知人の会社で推奨してくれるのは判断する上でありがたかった。
その日のレッスンの帰りの電車の中で彼女はその会社のウェブサイトを見てみた。やはり企業のPR映像を依頼を受けて制作することを主な事業としていふ会社だった。過去の実績を見ると有名な企業はあまりないようだが、企業名を検索してみると自分の知っている商品を製造している工場だったり、名前の聞いたことのあるサービスをしている会社が結構あった。架空の企業のPRの形をとったサンプル映像もサイトにはあって電車のモニターやケーブルテレビで見かけるCMのような地味だがわかりやすい感じの映像で雰囲気も掴めた。
その日のうちに彼女は先方に関心がある事を伝えると、面談をさせてほしいとの返信がすぐにあった。翌週にアポを取った。
次の週、彼女は依頼主の企業を訪れた。応対してくれたのは30代前半くらいの女性と50代くらいの男性だった。
男性の方が社長で女性の方はディレクターの一人だという。
会社は小さな雑居ビルの3階にありよくある中小企業といった感じだった。彼女は会社勤めをしたことがないがアルバイトでそういう会社への配達をしたことが何度もある。
最初に社長の方から会社のパンフレットを渡されてどんな会社かの説明をされた。まるで就職活動の会社説明会みたいだと彼女は思った。
この会社は事前に調べた通り企業からの依頼で商品PRや各種説明用の映像を作る事業をしてとのことだ。そういった映像のことはビデオパッケージ、略してVPと呼ばれているのだそうだ。
今回、彼女への仕事の依頼はVPへの出演ではないらしい。以前から社長と目の前の女性ディレクターは小規模ながらも映画製作の準備を進めていて、プロジェクトをスタートさせた。彼女はの依頼はその映画への出演とのことだ。それも主演で。
彼女は驚いた。確かにメールには映画の出演の依頼と書かれていた。しかし、依頼主であるこの会社の事業内容からVPの出演だと思っていたからだ。初めて映画を製作しその主演を自分に任せる。俄かに信じられなかった。
彼女はディレクターから2冊の書類を渡された。片方は数枚、もう片方はちょっとした雑誌ほどの厚さがあった。
薄い方は企画書の抜粋とプロット、厚い方は脚本とのことだ。ディレクターは彼女にこの場で企画書の方を読むように頼んだ。彼女は戸惑いながらページを捲り読み始めた。
どうやらスプラッター描写のあるオカルトホラーらしい。劇場公開されない配信やDVDだけで展開する無名な俳優たちが出ているそれに近い、いや世間には知られていない自分を主演にというのだからそれそのものだろう。彼女はあまりそういう映画に抵抗がないので特に引っかかりを感じることなく読み進めた。
彼女はプロットまで読んでないように違和感を覚えた。目の前にいる二人は彼女を主演として雇いたいと言った。だが、ここに書かれているプロットの主人公は13歳の少年だった。困惑した彼女はディレクターに尋ねた。
「あの、主人公は13歳の少年とありますが、脚本にはこれ以外の主人公も書かれているんでしょうか?」
ディレクターは待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべた。彼女は少し嫌な予感がした。
「いえ、主人公はその少年だけです。今回、〇〇さんにはその少年の役を依頼したいと考えています」
彼女はディレクターの言葉に目を見開いた。冗談で言ってるのかとも思ったが二人ともそうは見えないし、これは一種の商談だそんな冗談を言うはずがない。
「実はこの企画、ストーリーが二次性徴前の少年じゃないと成り立たないんですが、同時にその年代の役者を出演させられない理由もありまして……」
ディレクターはバツが悪そうに言った。その言葉で彼女は理解した。これはスプラッター要素のある映画のプロットだ。年齢制限が付いてしまう。ほんの少し出る程度の端役ならともかく主演だと年齢制限の理由になる描写を演じなければならない。問題になることは間違いない。
脚本と演出プランを調査したところR-18になることが分かったと説明された。最初は脚本をボツにしようとしたが候補に上がった脚本の中でもっとも出来が良かったことからどうしても映像にしたいと思い方法を考えたところ、小柄な女優を少年役として起用する案が出て役者探しを始めたとのことだ。
「舞台を見に行ったのはAさんから紹介されたからなんですけど、映画の話をしていなかったので偶然だったんですよ」
社長が言う。Aというのは彼女が養成所で教わっている講師だ。知り合いというのは社長の方だったようだ。年が近いことからディレクターの方だと思っていた。
「その後で彼女ともう一人のディレクターで舞台を見に行きまして、〇〇さんが役柄に合っているので声をかけようという話になりました」
社長がそう言うとディレクターが話を続けた。
社長と二人のディレクターは最初に彼女が舞台に登場したと同時に「この人だ」と思ったと言う。少年を演じるにあたりイメージに合っていたという。そして女性ディレクターが少年を演じる上で条件を満たしていたと語った。
彼女はその言葉を言われてぼかした表現ではあったがすぐに意図を理解した。彼女のプロポーションがその条件だろう。彼女は身体は150cmを切っていてバストはAAカップとかなりの貧乳だ。大学を出て2年になるが未だに中学生に間違われる。流石に髪が長いこともあって男子に間違われることはないが、あまり男らしいタイプでなければ男子中学生を演じることも無理がないかもしれない。そこまで自覚して彼女は虚しくなった。自分が大人の女性から程遠いという事を突きつけられた気分だ。子供っぽい見た目も胸が小さく女性らしさを感じない体型も彼女にとってはコンプレックスだ。
ちなみに、この会社の人たちが見た舞台でも未成年の役をやっていた。
「いかがですか、前向きにご検討いただけますか?」
主にディレクターから企画と作品の詳細な説明を受けて、多少不安そうに聞かれた。彼らも依頼理由が相手のコンプレックスに触れていると自覚しているのだろう。
しかし、彼女は一度きちんと脚本を預かって読んでから決めることにしたが、依頼を受ける事は決めていた。
「はい。お預かりした脚本を読んで来週まで検討させていただきます」
彼女はそう挨拶をして事務所を後にした。彼女は心が躍っていた。役者志望とは言ってるがアマチュア演劇をやってるだけのフリーターだったところから初めて仕事として芝居をするチャンスを得た。脚本を読むのが楽しみになった。
その後、彼女は脚本を読み込んだ。読んでみて映像会社の人が言っていた理由の二つが納得できた。
この脚本を難しいながらも映像にしたいという意向、これは納得できた。面白い。内容は先天的な遺伝子異常で人の血や内臓の摂取を必要とする少年の話だ。単にグロテスクや怖いわけではなく本人の葛藤や家族との関係を物語の土台として良質な人間ドラマに仕上げている。一種の吸血鬼ものだがSF色のある設定が見応えに貢献している。
そして、人のコンプレックスを活用しようとすることに説得力を感じるほど思春期の少年である必然性が描かれている。初恋や性の悩みが吸血鬼のSFに上手く絡んでいる。
彼女はこの少年を演じたいと思った。もともとそのつもりだったが、この仕事を受ける以外の選択肢は彼女にはなかった。
翌週、彼女は映像会社の事務所を約束の日時に訪れた。
前回来た時はあまり人がおらず静かだったが、今日はスタッフと思しき人たちが忙しそうにしている。
会議テーブルに案内されると女性ディレクターからもう一人のディレクターの手がけるケーブルテレビの番組の制作初日で騒がしいのだそうだ。
そんな賑やかな中で彼女は仕事を受ける事を承諾した。その返事に社長とディレクターはかなり喜んだ様子だった。彼女を見つけるまで少年役を演じられる小柄な女優はなかなか見つけられなかった。一時は企画を諦める選択肢すら上がったほどだ。だが、彼女の参画で製作が実現できる。嬉しくないはずがない。
そこから雇用条件の擦り合わせや契約の手続きとなった。途中、スーツ姿の男性が会議テーブルに呼ばれた。その男性はこの会社の制作する映像の常連で今準備をしている番組のレポーターをしているらしい。司会業をメインにしながら俳優活動をしているとのこと。映画の出演者で彼女の演じる少年の父親役とのことだ。共演者に初めて会ったことで彼女は自分が映画に出る事を改めて自覚した。
社長は雇用契約の説明が終わると彼女のアルバイトの状況について質問した。家庭教師と物流会社の掛け持ちしているかと告げると、社長は「うちで事務職をやりませんか」と尋ねた。
彼女は困惑したが、二つの理由からの提案だった。一つはパートタイムで事務職をしている女性が夫の転勤でもうすぐ辞めなければならない事、もう一つは撮影とアルバイトの時間がバッティングしてしまうのを防ぎたいとのことだった。実際に過去、アルバイトのシフトを直前になって撮影日に変更されて来れなくなった役者がいたり、アルバイトを無理に休んだ役者が自身のアルバイト先の近くがロケ地で経営者が現場に殴り込んで撮影を妨害してきたなどのトラブルがあったという。会社始まって以来の大事業で替えの効かない役のため、確実にスケジュールを確保するために従業員になって欲しいとのことだった。社長は有名な俳優がローカルタレント時代にレギュラー番組をやっている放送局で他の番組のスタッフをやりながら生活費を稼いだ話を出して利点を強調した。
彼女は悩んだ。悪くない申し出だが辞めるならどちらだろうかと。物流会社の実入りの良さ、家庭教師の融通が効く点と担当している子供たちとの関係、どちらも捨てがたかった。両方は映画が終わった後のことを考えるとリスクが大きい。
社長は事務職の待遇を提示した。金額は物流会社よりかなり少ない。だが、撮影やその準備の仕事もあるらしくそちらは事務職の月給とは別に日当が出る。その頻度はわからないが無しでも生活はできる金額ではある。彼女は勤務時間を見て家庭教師との両立が可能そうだと思った。そこで家庭教師との掛け持ちを相談した。お金のこともあるが、教え子や親と培った関係性を失いたくない点を強調した。社長は快諾した。あっさりとOKをもらえた。
こうして彼女は契約社員として映像会社の事務職の仕事と業務委託として映画の主演の仕事の契約をすることになった。契約書の記入捺印など諸々の手続きが終わると「よろしくお願いします」と頭を下げた。社長とディレクターも同じように頭を下げた。
この日からこの小さな映像会社が彼女の勤め先になる。実際に働くのは物流会社を退職してからだが、映画の役作りは先日預かった脚本を彼女が所有することになるので帰宅後すぐにでも始められる。
そうしてその日、彼女は会社を後にして家に着くと新しい二つの仕事に転職するための段取りを始めた。
明日はちょうど物流会社は朝からのシフトのため事務所の人と話す機会がある。書類を今日のうちに用意して退職の手続きを進めることにした。実際は2週間から1ヶ月はこちらで働くだろう。それと並行して家庭教師先の家に事情を話して訪問する日や時間を調整する必要が出た時に備える必要もある。
明日から忙しくなりそうだった。彼女は退職届を帰り道で買ってきた便箋と封筒に書くとその日は眠りについた。
ベッドに入った後はワクワクした気分で満たされていたが、緊張して疲れたせいかすぐに眠れた。
映画のクランクインは半年後とのことだ。というのもその映画に会社が専念してしまうと会社にお金が入ってこなくなってしまう。そのため、通常業務と並行して映画の制作を行う事とのことだ。小さな会社で自転車操業でやっているのだから仕方がないところもある。彼女は翌月くらいには撮影に入るのかと思っていたのでがっかりしたが、考えてみるとこれはチャンスのようだった。
彼女ははっきり言って養成所でもまだ高度なことを勉強していないレベルで素人と言ってもいい。キャパ50人ほどの小さな劇場でやっているアマチュア演劇しか経験がない。映画に出演する上での技術を何も持ち合わせていなかった。自主映画やVシネマに出たりしている先輩に聞いてみるとカメラが捉えた画面にきちんと収まるように動く事や、バラバラに撮影された芝居を編集で繋いで違和感がないようにすることなど舞台では求められない必要な技術が色々とある。養成所でもこれまで受けなかったより実践的なレッスンが必要となりそうだ。社長もアマチュアの舞台女優を起用する事で備えをしていて事務職や現場の補助の仕事の他に端役や脇役での出演機会を作ってもらえるという。クランクインまでの半年間で映像での演技に必要な事を学ぶ機会を得られそうだった。
また、脚本を呼んでみて役作りも難しく感じたため役の研究をするための時間を取ることもできる。脚本を見せることが出来ないが思春期の少年の役を演じる事を講師や先輩に相談すると、女性が少年を演じることは舞台や吹き替えでは珍しくないが特有の技術が必要だという。それに映画で異性を演じる場合はさらに難易度が上がる。ある程度、舞台などではある程度デフォルメされた演技をすることができるが、映画はより現実に近い事が求められる。年齢や性別など役者と役がかけ離れているのは舞台では観客が受け入れる体制があるが、映像ではそれがなく僅かな仕草や喋り方で女性だと見抜かれてしまえば観客の感情は作品から離れてしまうという。つまり、男性としての振る舞いを徹底的に身に着けなければならない。
講師からは舞台や吹き替えでの技巧的な演じ方を下手に身につけるよりは実際の男性を観察することを指導された。男性俳優の映画やドラマでの演技と同じことが出来ることや周囲で見かける男性の特徴を再現できることが必要なのだという。彼女はそのアドバイスからどうしようかを真剣に考えた。そして仕事から帰ったあとで一日に最低一本、男性が主人公の映像作品を見てその主人公の真似をしてみること、昼間に自由な時間がある場合はショッピングセンターや繁華街など近所の中高生の集まる場所へ行き男子たちの様子を観察することを初めた。とにかく普段なんとなく風景として流してしまっている周囲にいる男性の特徴を徹底的に調べていこうというものだ。
そして、もう一つ初めたことがある。これまで彼女は背の小ささを長所として扱うためフェミニンな服装をしていた。髪もロングだった。その姿を大きく変えることにした。髪を男性向けのヘアカタログから選んで切ってもらい、ファストファッションの店で男性向けの服を買い込んだ。身体のサイズの関係上、結構子供服が混ざってしまっているが、13歳の少年を演じるための役作りだ。気にしたりはしなかった。講師から助言された研究をしつつ、形からも入ることにした一足飛びに少年に見えるようにはならないだろうが時々間違われる程度にはボーイッシュになる事を目指すことから始めてみようと思った。
物流会社の退職の翌週から映像会社に正式に入社した。物流会社の退職は思ったよりもスムーズで3週間で辞めることができた。辞めるにあたり家庭教師と両立ができる範囲で積極的にシフトを入れ残業もこなした。服装と髪型を変えて気がついたが大金ではないにしろ、低収入なフリーターの身には痛手となる出費の可能性に気がついたからだ。もともと物欲も薄く趣味もバイク程度で慎ましく暮らしていてこれまでの収入でも貯金はできる程度だったが、それも公演の持ち出しで毎回減っていた。今回は仕事として賃金をもらいながら芝居をするがそれでも持ち出しはそれなりにあるだろう。なので物流会社の最後に急な退職への落とし前を兼ねてお金を稼いでおきたかった。
そして、映像会社のOLとしての仕事をスタートした。勤務は朝8:45〜15:00とパートタイムだった。期末などは残業があるらしいが基本的に15:00には退勤できるらしい。しばらくはもうすぐ退職する前任者からの引き継ぎらしい。経済学部卒で簿記の資格やパソコンに関する資格もあるため基本的な知識はある。その為、簡単とは思っていないが不安はあまりなかった。あるとすれば企業や業界特有の慣習と実戦経験の不足くらいだ。だが、これらの不足は雇う側が想定してくれている。慣れるための時間は貰えそうだ。
彼女は家庭教師のない日は昼間の時間が自由になる為、人間観察のために道を歩き回った。
主人公の年代の少年を観察するのが目的だ。怪しまれないように自分自身もその年代に見られるような服装で出かけることにした。時には以前、芝居の衣装で使った高校時代の制服をバッグに入れトイレで着替えたりした。当面はボーイッシュな10代の少女のふりをして観察対象に紛れることにした。
当初は商業施設で男子中高生の観察をしていたが、脚本を読み込むにあたり公園での男子小学生の観察も有効だと考え大きな公園に足を運んだ。
ここなら商業施設で観察場所になるフードコートと違いお金がかからない。ただ長時間ベンチに座っていたら怪しまれる。その為、スケッチブックを持ちスケッチに出かけた美術部員や本を持ち読者好きの少女など小道具を持ってその場にいる理由のある人を演じた。
小学生の男の子を観察対象にしたのは演じる役が少年を演じる事から思春期とは言っても二次性徴があまり進んでいない少年だと考えたからだ。それは演じる俳優である自分が小柄な女性である事。脚本の内容からも幼く感じるセリフが見られる事からだ。
これらの観察から男の子と女の子は仕草が随分と違う事を発見した。元々認識してはいたが、きちんと観察して詳細まで見ていくと面白いくらい違う。男の子は関節を大きく動かす。そのため同じくらいの背丈の男女でも男の子の方が大きく見える。自分の動作を注意深く探っても彼らよりも小さな動きで仕草が成り立っているとわかる。
特に歩く時に足を広げているのが印象的だった。
スケッチをしてる人を演じるためもあるが人物の描き方の本を読んでみたが、そのに書いていた骨格の説明で男性の股関節は女性に比べて外側に開いていてそうなる事が書いてあった。しかし、彼女が観察しているのはそう言った男女の骨格の変化が起こっていない二次性徴前の少年たちだった。
彼女は注意深く少年たちを観察した。すると少年たちに他にも行動の特徴を見つけた。時々立ち止まったり歩く速度を落としたりして股間を弄る事がある。自分も今は大人なので人の目のないところでするがパンツが食い込んだりズレたりする際にその状況を直すためパンツを引っ張ることがある。だが、少年たちはパンツがズレることがあるだろうが構造上食い込むということはないはずだ。それにパンツの布を引っ張り上げるというのとは違う動作だった。
彼女は少年が足の付根を弄る動作をすることを考えながら自販機で飲み物を買うために立ち上がった。
缶コーヒーを買ってベンチに戻る途中、公衆トイレを目にした。今まで気にしていなかったその時ふと男子トイレが目に入った。男子トイレでは少年たちが女子トイレにはない小便器の前に立って用を足している。彼女は男性が小用をする姿を初めて目撃した。話には何度も聞いたことがあって小さな頃から知っているが、男性は立ったままの姿勢で小用をする。自分が用を足す時のようにお尻を丸出しにしない。社会の窓から男性器を出しているのだろう。意識したことも見たこともなかった男性のその姿を見てある種の好奇心と新しい世界を見たような驚きを覚えた。
ベンチに戻った彼女は缶コーヒーを飲みながらトイレでの少年たちの様子を頭の中で反芻していた。頭に焼き付いている。そしてベンチを立つ前に持った疑問の答えを見つけた。少年がズボンの足の付根の箇所を弄る動作、あれは引っ張るような動作だった。あれはちんちんが何かしらの形で収まりの悪い状態になり、それを直すためにやっているのだろう。自分を直すときはパンツの布が股間の破れている部分に食い込んでいる状態だ。少年たちの股間には割れ目の代わりにちんちんがあるのだからそこに違和感を感じる状態になっているんだろう。
合っているかどうかは分からない推測程度のものだが、少年たちの身体と自分の身体の違いを考えてこれは役作りで着目すべき点ではないかという考えに至った。さっきは自分がしたことのない小便器での立って小用を足す姿を見た。少年を演じる上で自然に見えるためには身体の違いからくる習慣の違いがいくつもあるように思えた。パンツに違和感は女のそれと似ているかもしれないが、少年たちのように友人たちに姿を見られて顔を突き合わせながら連れションをする経験は人との関わり方に影響を与えるかも知れない。自分が友達と連れションをするときは個室の壁越しに手短な言葉で話す。相手の様子も分からない。だけど、ああして連れションをしたら友達との付き合い方も変わってくるし他者に対する感覚も違うのかも知れない。
彼女は役作りの大きなヒントを見つけたような気がした。立ちションについて調べてみよう。彼女はこの日、人間観察の後にするタスクを立ちションについて男性のトイレ事情についての知識の収集に決めた。