馬揃えの日の当日の朝、王国の三元帥の1人のダイスダックは、城の執務室に入っていた。
彼は机の上に新たに置かれていた書類を読んでいた。その多くが王国の各地方からの治安や税収に関する報告と、沿岸部や国境付近での戦況だった。
戦況についてはこうだった。一番侵攻が進んでいる東の大陸の戦線は膠着状態。西と北の大陸は沿岸部に橋頭堡を築いただけで、その先が進まない。
南の大陸はルデアの敗戦とアルルーマの戦死以降、内陸部にいた協力勢力が動かなくなった。
(外征に関してはよろしくない展開だ……。)
トップのうち1人の死は、軍の士気にも影響している。ダイスダック自身、あの女を好いてはおらずむしろ嫌っていた。美人だが男の出入りが激しく、戦争の真っ只中でも贅沢を好んでいた。
それどころか下半身が屈強な見目の良い兵士たちを天幕に招き、自分の女護衛達と共に乱交を楽しむということが多々あった。貴族の子弟向けの士官学校に在籍していた頃から、乱行の振る舞いが目立ち過ぎた。
だが、アルルーマの上陸作戦能力や軍の補給路の構築の才には一目置いていた。武将というよりも能吏向けの性格だったとも言えた。アルルーマはむしろ後方支援に徹するべきだった。本来はそうあるべきだったと、ダイスダックは常々思っていた。
が、彼女は海外に赴くこととってしまった。そうなる様に魔光王に提案した人物を彼は知っている。
(ザルモール。何もかもあやつのせいだ。)
ザルモールは今では魔道参謀と呼ばれ、三元帥に次ぐ地位にある。しかし彼がここまで出世したのは、ベイオルブ王国軍のごく一部、上層部の中しか知らないことだ。
その魔道参謀だが、今では魔光王の一番のお気に入り。寵臣である。彼には2つの大きな功績があった。
1つは2年前、『メテオティック=ブレイブ』の子孫の中でも最も優れた『母体』を持つ娘を見つけだしたことだ。すでに赤ん坊を1人産んでいたが、その娘と魔光王の身体の相性はよく、娘はすぐに孕んだ。出産間近である。
もう1つは優れた魔法の才を持つ『廻命者』を見つけ出したことだ。まだ幼く才能は未知数だが、いずれ王国の主席魔道士になる事だろう。
ダイスダックはザルモールだけは好きになれなかった。あの男が『メテオティック=ブレイブ』の血を継ぐ娘をさらう為、どんなやり方を編み出したしたのかを聞いていた。
淫魔因子を持つ『人工魔人』を用い、娘たちを色狂いに仕立て上げたのがそれだ。ザルモールは自分と同じ任務につく魔道士達に方法を教え、ほぼ全員をそのやり方で魔光王のもとに引き入れたのだ。
(いくら魔光王陛下の望みとはいえ、あのやり方は好かん。)
机の上の書類には、そのザールモウからの文があった。昨日の晩に出したものだ。開いて読んでみた。とんでもなく淫らな内容だった。
王の妻となった勇者の末裔達が、子だねを欲しがろうとしてあの手この手を用いて王を寝床に引き入れた。真昼間にだ。王は博愛の人だから、その寝床で全員に子胤を注いでやったという。魔光王は恐ろしい程の精力を持っている、このぐらいは当然と言えるぐらいだ。
その中で、精を注ぎ込まれる順番が最後の、出産間近の一番年若い妻は、先に抱かれている女を見ながら、股を開いてずっと己の秘所を指でかきこねていたという描写が克明に描かれていた。
その若い妾というのが、ザルモールが連れて来た娘だ。たった7歳で『魔人』に凌辱され、男狂いの身体となった。そうも聞いている。
その妾をはじめとして、勇者の血を引く娘たちの境遇に思いを巡らせながら、ダイスダックは手紙を読み進めて行った。妾達とは別の話が書かれていた。
「魔光王様が常々気にかけている、『古代王国の末裔の王子』が王都入りした……なんだこれは?」
続きを読んだ。その『王子』は馬揃えの最中に魔光王を襲うことを企図している様だが、陛下直々の願いを聞いた。
「見逃せ。もしくは捕らえて余の朋にしたい。北の聖者共々、世界を救う志を持つ者同士、酒を酌み交わす仲になりたいものだ、と陛下はおおせでいらっしゃいました」
そして手紙の最後にはザルモールのサインと共に、魔光王の直筆もあった。
(何を考えていらっしゃるのだ、陛下は!!)
魔光王が負ける、討たれることはまず無いだろう。護衛の騎士や魔道士による厚い壁もあるし、何より、魔光王自身がこの国では最強、いや、世界最強なのだから。
ただもし、王に届きうるとしたら、北の勇者以外にいない。ダイスダックはそう見ていた。あれだけは別格である。王を倒す、あるいは王の右腕となりうるのは、あの若者しかいない。あのザールバックだって、ヴァーリンデンに何度か撃退された。
だが、南の勇者は無理だ。何せ、王の次に強いザールバックに一度も勝った試しがない。自分にも負けてしかも2人の仲間を失った。そういう男だ。
手紙を読み引き出しにしまった後、彼は椅子に身を沈めて目をつぶった。危険分子はできるだけ排除したい。だが風の噂によれば恐ろしい才能を持った戦士だと聞く。どんな人物か一度、会って見てみたい気もする。最後は殺し合いになるだろうが。
「父上!」
元気のよい声が聞こえたと同時に扉が開いた。ダイスダックの一番上の息子のミルスだ。その後ろに妹のヴェーダがいた。歳は18歳と16歳。2人とも鎧姿なのは、馬揃えに参加する為だ。
ダイスダックはにこにこ顔で入って来た2人を見るなり、声を荒げた。
「ミルス! ヴェーダ! 入る前に名乗り入っていいかと聞け! ここはもうすでに私達の家ではないのだ!」
叱られても2人は笑みを崩さなかった。ヴェーダがおしとやかな声で父に言った。
「けれども軍務の服務規定では。中級以下の士官と兵士たちの平時の勤務は、日勤では9時から19時とされております。まだ8時ですよ? つまりは、我々はまだお父様の子供として振る舞っていい、というわけです」
「……そうだったな。すまぬ。父が悪かった」
ダイスダックは妻こそ4人もいるが、子供たちには愛情豊かで優しく、とても甘い男だった。部下にも無理難題を強いぬ良き上司としても評判だったが。
「ところでお前達、食事を終えたか? 歯は磨いているよな?」
「はい! 魔光王様にみっともないところを見せないよう準備は整えております!」
「ミルス、目にやにがついているわ?」
「おっと!」
目でごみをとろうとする息子に、ダイスダックは自分のハンカチを手渡した。これでごみを取るといい。息子ははにかんでそれを受け取った。それからくどくどと言い始めた。
「お前達、部下をいじめていないか。上官の無理難題を甘んじて受けていないか。引けぬ戦いでは致し方ないが、意味も旨味も無い勝てぬ戦いで粉骨砕身は、自分にも他人にも強要するのは悪しきことだ。それは魔光王様が望むことでは無い。己の命あってこその任務であり忠義であり名誉である。それを忘れたまま今日を過ごそうとしているか? していなければ今からでも肝に銘じておけ。不要な忠義は専横を産み、怠惰な身は己が身を陥れるものだ。そもそも私の父はそのような輩であったから……」
「お父様。それ、昨日もおっしゃっておりましたよ?」
ヴェーダが指摘してダイスダックは止めた。これは今日一日、2人が仕事をする為に毎日言う一種の儀礼の様なものである。この2人は士官になってからいつも聞かされていた。別の話をしてくれないかと飽き飽きするほどだった。
「……こほん。では励め。時間まではゆっくりと過ごすがいい」
「はい! お父様!」
「馬揃えは必ず身に来てくださいね! 行こう、ヴェーダ!」
2人は元気よく出て行った。ダイスダックは
(彼らがいっぱしの武将になる前に、ベイオルブの天下を盤石なものにしなくてはな。)
その為にも『空賊』の勢力を取り込みたかった。だが、ベイオルブの旧主君はなかなかにしぶとかった。獅子身中の虫だった。
□ □ □ □ □
馬揃えの当日、デリタ達は王城の南の外門から少し離れた、王都の大通りの入り口にある東側の歩道に陣取っていた。
近くで見る城は、黒ずんでいて小汚いことこの上無かった。バラックばかりの街にも比してぼろく、規模はでかいがみずぼらしかった。屋根瓦がはがれた箇所がいくつもあった。
その城の中心部は、悪臭はますますきつかった。外縁部の倍ぐらいにおいが濃い。デリタ達は王城近くの宿に泊まったが、清潔だったのに外から漂う空気が中に入り込み、彼は食事を取る気になれなかった。
(まるで豚便所の中にいるような気分だ……。)
あるいは家畜小屋か。気温はそれ程でも無いのに、糞尿と腐った食べ物のにおいばかりである。それと人の垢。
王都に住む者は、風呂に入る習慣が無いようだった。宿には風呂や湯あみ場があるのに、普通の家には設けておらぬそうだ。庶民の手になかなか届かないという。沐浴場も流れてくる民があまりにも多いため、家屋にされたそうだ。
この王都だが上水道はあった。井戸水は汚染されてとてもじゃないが飲用には使えないという。しかし、
(時々ぷうんと漂ってくるこのにおい、まったくもって耐えられんな!)
デリタが顔をしかめたのは下水のにおいだ。下水溝。家屋のそこかしこから伸びるそれだが、覆いをかぶせずに敷いてあった。大雨の時は悲惨なことになりそうだ。
これまでで最悪の街だ。こんな設計をしたのは、どこのどいつだとデリタは問い詰めたかった。馬揃えの当日の今も、街路では嗅覚を殺しに来る様な悪臭が満ちている。
人が集まったせいか、人垢の臭気がもう既に限界を超えていた。それと排泄物のにおいもだ。子供達は平気で尻を丸出しにしては路面に糞小便を垂れ流し、大人も家屋の壁に引っ掛けていた。女、それも若い娘も恥じらいなく用を足す。
女や娘たちの誰もが、性交による腰の運動と精液を吸って大きくなった様な艶めかしい尻だったのは眼福とは言えたが、垢でやや黒ずんでいて、会陰や尻穴の毛の手入れをせぬし中には注がれたばかりの精液を膣から垂れ落とす者もいたから、欲情よりも嫌悪が勝ってしまった。
「なんて品の無い人たちばかりなんだ……」
ついついデリタがぼやくと、マーシュは意味ありげに笑って右肘で小突いた。
「だから言っただろ? 王都なんかに来るもんじゃないって」
「魔光王は外征よりも、王都をどうにかした方がいいんじゃないかと思うんだがな? これでは貧しい者はずっと貧しく、になってしまうんじゃないかい?」
「こういう環境が性に合っている。という人たちが集まってるから仕方が無いよ。それでも、ラムダ王時代にイムヴァ湖の南の外周ぜんぶを王都にする、という計画もあったみたいだよ」
だが、それは立ち消えとなった。王は貧しき者の福祉の為の予算を確保したかったからだと言う。
「その福祉第一主義の政策は、今も受け継がれているというわけさ」
福祉と聞いてデリタは周囲を見る。汚らしい身なりで獣みたいに外で糞を垂れるが、王都の者はそこそこ恰幅が良い。背もあった。餓死寸前の様な体格の者がちらほらといる、南の大陸の者とは違った。
「食い物だけは不自由させない。そういうことか?」
「そんなところだね……ほら、始まったよ!」
色あいがよろしくない空に花火があがり、爆ぜた。けたたましい破裂音が聞こえた後、城門が開く音とその方からの歓声があがった。
馬揃えが始まった。最初に出て来たのは王国の精鋭騎兵団たちだ。白の布で馬の身体を覆い、豊かな彩の錦の軍旗を持って、銀色に輝く鎧をまとっていた。
その一団がデリタの所にまでやって来た。美々しく聞かざる騎兵達とぼろをまとう市民を見比べ、騎士たちは皆、なんだか場違いなところにいるとデリタは思った。
(高価で美しい恰好が貧民の嫉妬心を買う、とは思わんのか、あいつらは?)
だが、デリタの思いをよそに、市民らは旗を振ってはしゃいでいた。輝かしきベイオルブ軍の姿を、何の疑いも無く受け入れ、喜んでいるようだった。
「そういえばあの騎兵たち、元々はこの街の住人だったか?」
「多くはそうだね。キミが言いたいことは何となくわかるよ。街の人達は軍の兵士や騎士を、自分達の子供の様に思っているのさ」
だから自分達より身なりの良い恰好をし、立派な振る舞いをすれば歓声をあげるのだ。
列の騎兵のうち1人、紅いマフラーを首に巻き、ドラゴンの顔を模した変わり兜をかぶった者が急に列から外れ、持っていた旗を景気よく振り回すと、人々はそれに合わせて口笛を拭いたり鍋を叩いたりしだした。
(あの男、戦場に出る時は勝手な振る舞いで皆に迷惑をかけそうだ……。)
馬揃えにデリタは冷ややかな目を注ぎ続けた。騎兵に続く重装歩兵の一団、それから馬戦車に乗った射手や魔道士の集団を見て魔光王はまだか、と思った時にである。
城門から、ひと際煌びやかな
「マーシュ、彼女らは何者だろう?」
「多分、魔光王陛下のお妃様らだと思うよ?」
「随分と若いのばかりなんだな……市民達は誰も旗を振らないようだけど」
そりゃそうだよ、とマーシュのおじが言った。あの妃たちは王国の出身ではない。皆が外国から来たそうだ。
「この街の人々は、見知った肌や顔立ちではない外国人に、まるっきり興味無いからね」
(……つまりは、メテオティック=ブレイブの子孫ということか?)
あの中にエムラはいるんだろうか。輿の一団が近づいて来た。デリタはじっと目を凝らして眺め見る。列の最後まで。その後ろには城門の高さぎりぎりの攻城塔の様な、ひと際大きな山車があった。あれに魔光王が乗っているのだろうか。
屈強な男達に担がれる、妃たちの輿が次々と通り過ぎて行く。そして、最後の輿が間近に見えた。そこに乗っていたのは南の大陸の者の肌の色をした、同い年ぐらいの少女だった。
(あの娘は、まさか……!)
妃たちのなかで一番年若く、それでいて小柄に見えたが、胸元の深みは違っていた。くっきりとした顔立ち。大きな目。美しい少女という印象を剥ぎ、じっと目を凝らして見れば、まさしくあの娘の成長した姿に見えた。
(リアザに似ている。いや、パドナか! 姉妹の中で一番美しく……いや、きっとそうだ!)
その妃の輿が近くにやって来た。その上に乗っていた彼女とデリタは、一瞬だけ目が合った。
(お嬢様!)
その名を口に出して叫ぼうとしたとき、デリタは何も見えなくなった。馬揃えに臨む兵士や輿の上の女たちと、魔光王が乗っているかもしれない山車。それら何もかもが視界に消えた。
(何が起こった!?)
デリタはその名を叫んだ。けれども向こうから声は返って来なかった。
視界は遮られたままだった。真っ白だった。まぶしさを覚える『闇』に、彼は包まれたままだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。