H
「あ! あったずらー! よかったー」
幸い、というべきかはわからないが、花丸ほどの読書家は黒澤ダイヤ以外はあまりAqoursにはいない。それに文庫本には文庫カバーをかけていたから、タイトルが他人にバレる心配もなかった。ただもし、誰かが興味本位で中身を読んで、女性同士の性行為場面があることを知ってしまったら、この本の持ち主もそういう趣向なのかと疑われてしまう、かもしれない。
「あ、あくまで文学として好きなだけずら……」
自分以外に誰もいない部室で、花丸は一人で自分を弁護した。ただ谷崎作品が好きなだけ、別にそんな、同性愛をテーマにした作品ばかりを読んでるわけではないと。同性愛者の女流作家・
「さてと、じゃあ帰るずら……ん?」
文庫本を鞄に入れて出口に向かおうとした花丸は、パイプ椅子の上に何かが置いてあることに気づいた。
「これは……なにずら?」
それは長方形で、薄っぺらく、
この謎の機械も、きっとそういう
「
悪魔といえば善子、それが花丸の中では常識だった。
花丸は上から下から、右から左から、その長方形の機械らしきものをつぶさに観察した。表面は黒い鏡のようで、裏にはカメラのレンズが付いている。
すると意図せず電源ボタンに触れてしまい、画面が光り出して花丸は「うわっ、とっとっと! ビックリしたずら!」と、ソレを落としかけた。
画面には、魔法陣の画像が表示されており、中央に現在時刻と日付も浮かび上がっていた。
「おー、これはすごいずら。最新の時計ずらか?」
さらに興味を深めた花丸は、明るい画面に指を触れた。すると画面に四桁の暗証番号を求める表示が現れた。
「……ちょ、ちょっとやってみようかな」
好奇心に勝てなかった花丸は、まず1234と入力した。もちろん違っていた。次に、おそらくこの機械の持ち主であろう
花丸は、少し考えた。
「……まさかずらねぇ」
そうは思いつつも、花丸は自分の誕生日を入力してみることにした。善子とは幼稚園からの仲……ただそれだけの理由だったが、とにかく0304と数字を入力した。
ロックが、解除された。
それだけでも驚きだったが、画面が一気にホーム画面に切り替わり、花丸はまた「わっ!」とさらに驚いた。何やら様々なボタンのようなものが表示され、よく見ると『Twitter』『LINE』『カレンダー』という風に、ご丁寧にそれぞれの名称も表示されていた。
「おー……あっ、もしかしてこれが、噂に聞くスマホ、ずらか?」
花丸は、スマートフォンを知らない。ばかりか携帯電話も持っていない。家の固定電話は、花丸が小学生の時までダイヤル式だった。
世間では『スマホ』という文明の利器が存在するらしいことは、花丸もなんとなくは知っていた。先輩の
「おお、これがスマホ……じゃあ、これがアプリ、ずらか?」
花丸は、画面に表示されている多種多様なアプリのボタンを押してみたくなった。なかなかこんな機会はないだろうという好奇心が優っていた。
「えっと、これかな……」
タップしたのは、Twitterのアイコンだった。すると『堕天使ヨハネ』というアカウント名のTwitter画面が表示された。花丸は、Twitterもよく知らない。名前は聞いたことはあったが、「ツイてる事があったときに使う若者言葉」という認識だった。
『我が名はヨハネ、神に
アカウントの説明文章は、やはり善子らしかった。フォロー数は365人、フォロワー数は3万を超えていた。たぶん、すごく人気なんだろうと花丸は思った。
「あ、あんまりいじると大変ずら。戻さないと……」
ホームボタンを押して、もういじるのはやめておこうと思った矢先、指が『写真フォルダ』アプリをタップしてしまった。
「あ、押しちゃったずら」
不可抗力とはいえ、開いてしまった写真フォルダを、花丸はつい見てしまった。どれもこれも善子が堕天使風衣装を着た自撮りで、このフォルダひとつで『堕天使ヨハネ』の写真集が作れそうなぐらい膨大にあった。
「ふふ、善子ちゃんらしいずら……ん? これは何ずら?」
写真フォルダには、もうひとつ別の画像フォルダがあった。それをタップしてみると、また暗証番号を求められ、花丸は先ほどと同じように0304と入力した。今度は番号が違っていて、ならばと0713と入力し直すと、ロックは容易に解除されてしまった。
「……ん? これは……え? えっ?」
そこに収められていた写真たちを見て、花丸は怪訝な顔をした。そこには、善子以外のAqoursメンバーたちが映っていた。千歌も、
ただ、アングルがおかしい。
普通に撮られたものでないことは、花丸にはすぐにわかった。
フォルダに収められていた写真たちを見て、花丸は愕然とした。
「よ、善子ちゃん……どこでこんなの撮ったずら?」
すると突然、スマホがブルブルと振動して「わわわっ!」と花丸はまたも驚いて落としそうになった。画面には、電話の着信が来ていることが表示されていた。電話をかけているのは『我が城』と登録された番号。その番号に花丸は見覚えがあった。善子の家の番号。
「ど、どうしよう……」
あの写真さえ見なければ、花丸はすぐ通話ボタンをタップ出来たが、今の自分にはどうしてもその勇気が持てなかった。通話に出ようか迷っているうちに、振動はおさまった。画面も写真フォルダに戻った。
「……どうしよう、どうすればいいずらか……」
花丸は悩んだ末に、善子のスマホを鞄に入れた。いったん、持ち帰ろうと決めた。
そして部室を出て、校舎の玄関に向かった。
Y
津島善子がスマホを紛失したことに気づいたのは、バスの車内でだった。しかも自宅マンションの最寄りバス停付近になって、やっと気づいた。
(この私としたことが……たぶん、学校かしら)
いつもなら、バスに乗ってすぐSNSをチェックしていたのだが、今日は
(くっくっく……これも神が堕天使たる私に与えた試練ということかしら)
善子は自己流にそう解釈して、ともかく自宅最寄りのバス停で下車した。それから待合所のベンチに鞄を置いて、もういちど中をくまなく探してみたが、やはりスマホはなかった。
「やっぱりない……学校だわきっと」
善子は「はぁ」と溜息をついて、さてどうしたものかと思案した。今からわざわざ学校に戻るのも面倒だが、スマホがないのはどうも落ち着かない。それにあのスマホには、ロックがかかっているとはいえ、決して他人には見せられない写真が保存されている。
「……まぁ、大丈夫よね。ロックかけてるんだから」
善子は、明日の朝一番に学校に行ってスマホを探すことに決め、帰宅した。
だが、やはり不安は募った。精神的にも落ち着かない。ネットはパソコンを使えば見れるし、SNSだってチェックできるが、やはり手軽に扱えるスマホの方がよかった。ゲームアプリもいくつか入れているし、しかも今はレベルアップキャンペーン中でもあった。せっかくあともう少しで、レベル50になるお気に入りのキャラクターがいるのに……。
それにもし、学校で落としていなかったらどうしようとも思った。だがそれは考えにくい。今日のお昼に少しだけスマホは使ったし、帰りのバスで紛失に気づいたのだ。となれば学校、もしくは学校最寄りのバス停から学校までの通学路ということになるが、善子は歩きスマホはしない。それは〝堕天使〟としての……いや常人として心得ていたことだ。それに教師をしている母から「いいこと善子、歩きスマホは絶対しちゃダメだからね。約束破ったら取り上げるからね」と、買ってくれた時にきつく言われていたこともある。名前のとおり善子は
「……一応、電話してみようかな」
もしかしたら、誰かが拾っているという可能性もあるかもしれない。それがAqoursメンバーならとても助かる。と同時に、中身を見られていないか不安でもある。
だがもう、我慢できない。善子は家の固定電話から自分のスマホに電話をかけた。
出なかった。
「拾われてないってことか……あっ、そうだ!」
善子はあることを思い出し、自分の部屋に入ってノートパソコンを開いた。善子は動画編集が出来るほどのパソコンスキルがあり、その延長線上で〝ちょっとしたアプリ〟を作ることにも成功していた。
ソレとは違うのだが、善子は既存のGPS追跡アプリを入手していて、それをスマホにもアップロードしていた。万が一なくしてしまった時に役立つかもしれないと思って入れたのが、本当に役立つ日が来るとは思わなかった。
「さぁ我が
堕天使ヨハネになりきりながら、善子はスマホの現在地を確認した。
だが、反応はなかった。スマホの電源が入っていなければ、位置情報はわからないのだ。
「だ、ダメか~……神の試練は甘くないわね、くっくっく」
残念な結果にもかかわらず、善子は堕天使モードで乗り切ろうとした。だがすぐ素に戻り、深い溜息を吐いた。いったいスマホは、今どこにあるのか。
しょうがないので、自作アプリを起動して憂さ晴らしでもしようかと思った矢先、GPSアプリに反応があった。
「どこ! どこどこどこっ!」
善子は食い入るようにGPSの位置情報を確認した。それは沼津市内浦地区の、海沿いの場所。学校とはさほど距離はない。しかもそれは、移動していた。
「やっぱり、誰かが拾ったんだわ……ん?」
善子はGPSが向かう先に、疑念を抱いた。この道順、この土地……花丸の寺がある地域だ。
「……ま、まさかねぇ」
善子は苦笑しつつも、GPSの行方を追った。
それは案の定、国木田家が住職を務めている寺の所で止まった。
善子は、冷や汗をかいていた。
「う、嘘でしょ……まさか、ずら丸が、拾ってたなんて……」
よりにもよって、いちばん拾ってほしくなかった相手だった。
「……だ、大丈夫よね。ずら丸、スマホ持ってないし、使い方なんか知らないだろうし……」
自分に言い聞かせるように善子は言ったが、こんなにGPSが反応しているということは、花丸がスマホの電源を入れているという何よりの証拠だった。スマホにはロックがかかっているが、その暗証番号は、ほかでもない花丸の誕生日……。
「……ず、ずら丸がまさか、そんなこと、するわけないわよね……パスワード入力なんて」
そう思いながらも、善子はもういちど固定電話からスマホに電話をかけようと思った。
だが、もし、もしもだ。花丸がロックを解除して、中身を見てしまっていたらどうしよう、何と言って言い訳をすればいいのか、まったくわからなかった。
「くぅ……よりによって、なんでずら丸が……」
善子は頭を抱えながら、花丸がスマホをいじっていないことを願った。
神にではなく、堕天使に。
H
寝る前に、花丸はもういちど善子のスマホを起動した。
何かの間違いではないのか。そう思いたかった。
だが家に帰る途中でも、ついスマホを起動して保存されていた写真を見てしまった。
しかも、中には動画もあった。写真に比べれば数は少ないが、それもまたAqoursメンバーが映されたものだった。
その動画の内容にも、花丸は強い衝撃を受けた。音も録音されていて、最初はどうしたら音を小さく出来るのかもわからず電源ごと消したが、使ううちに操作にも少し慣れてきた。そして、とても小さな音量で、その動画を見てしまった。
「うわぁ……す、すごい、ずら……うわぁ…」
花丸は
「……善子ちゃん、こんなのどうやって撮ったずらか」
冷静に考えると、そういう疑念も渦巻いた。窓の外から隠し撮りとかいうレベルのものではない。メンバーたちの家のどこかに設置して撮影されているとしか思えない。
「まさか、マルの家にも?」
花丸は動画を停止させて、写真フォルダを
「……まさか、コレずら?」
花丸は、部屋の置時計を手に取った。それは何ということはない、白いシンプルな置時計で、沼津市街地の雑貨店で買ったものだ。
今まで気づかなかったが、『12』の数字の下に、小さな穴が開いていた。時計には必要のない謎の穴。
「……善子ちゃん?」
思わず、そうつぶやいた。
気になってしょうがなくなり、花丸は部屋を出て納戸にしまわれていた工具箱を取り出し、プラスドライバーを手に取った。
時計の裏側にあるビスをすべて取り外し、中を見てみた。
そこには、時計以外の小さな機械が入っていた。それはいくら文明の利器に疎い花丸にもわかった。
これは、超小型カメラだと。