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善子は、16年の人生でもっとも気分の暗いバス通学をしていた。
昨夜はずっと黒魔術の記された本を頼りに「どうか、どうか国木田花丸がスマホのロックを解除していませんよーにっ!」と全身全霊の祈りを捧げていた。その疲れもあって、善子の顔には活気がまるでなかった。
「あれ、善子ちゃんどしたの? なんかすごいぐったりしてるけど」
途中のバス停から乗ってきた
「ああ、うん……堕天使も、大変なのよ。あとヨハネ」
「あはは、そっかぁ。また何か怪しい儀式でもやってたの?」
「まぁそんなところね。うまく効いてるといいんだけど……」
善子はぐったりしながら、バスの最後部席に身を
「あっ、そうだ。この間はありがとうね、相談に乗ってくれて」
「相談? ……ああ、千歌のことね。お役に立てたなら何よりよ」
「ものすごく役に立ったよ。千歌ちゃんも、その……喜んでくれたし」
「くっくっく、堕天使が恋の悩み相談に応じるなんて、笑えるわね」
「こ、恋ってそんな……もう善子ちゃんってば」
曜は顔を赤らめながら、照れ隠しに肩で小突いてきた。
「だからヨハネよ」
善子は憮然とそう返した。
「そういえば昨日の夜にLINE送ったんだけど、返信も既読もなかったけど、どうかした?」
曜にそう訊かれて、善子はギクリとした。
「えっと……充電が切れちゃってて。なんか最近調子が悪くて、修理に出そうと思ってるの」
「あ、そうだったんだ。ならいいんだ別に、大したことじゃないから。早く直るといいね」
「そうね……」
というより、早く手元に戻さなければ。誰がいま持っているのかはわかっている。幼稚園からの間柄である、国木田花丸だ。
何としてでも、取り戻さなければ。
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「それでねー、ルビィがデザートのプリン食べてたら、お姉ちゃんがものすごーく羨ましそうな顔しちゃったから、半分食べさせてあげたんだー」
「ダイヤさん、可愛いずらねー」
花丸と黒澤ルビィはそんな談笑をしながら、正門を過ぎて校舎の玄関に着いた。
ローファーから上履きに履き替えている時、花丸の視界に或る人物が入った。
「お、おはよっ。ずら丸……」
善子は、何だかよそよそよしく挨拶をした。
「お、おはよう。善子ちゃん……」
「ヨハネ……」
「あ、おはよー善子ちゃん」ルビィも声をかけた。
「だ、だからヨハネっ!」
善子は手早く靴を履き替えて、スタスタと行ってしまった。
「どうしたんだろ善子ちゃん。何かおかしくなかった?」
「うん……そうずらね」
ルビィは知らないが、花丸は知っている。善子の態度がおかしいことを。それは花丸の鞄に入っている、善子のスマホが原因だからだ。
昼休み、花丸は善子に「ちょっと話がある」と呼ばれて、校舎裏に足を運んだ。
「話って、なにずら?」
「……わ、わかってるでしょ。その……えっと……」
「ああ、これずらか」
花丸は、これ見よがしにスカートのポケットからスマホを取り出した。善子は目を見開いた。
「や、やっぱずら丸が……み、見てないでしょうねっ」
「何をずら?」
「だ、だからその、中のヤツ……い、いいから返して!」
「普通はお礼を言うのが先じゃないずらか? オラが見つけてあげたのに」
花丸はすぐにスマホを返さず、善子にそう言った。善子は「ぐぬぅ…」と呻いた。
「……あ、ありがと。拾ってくれて」
「それでいいずら。はい」
花丸はスマホを差し出して、善子はすぐ受け取ろうとしたが、手を差し出した直前になって花丸はヒョイっとスマホを持つ手を上げた。
「ただ、聞きたいことがあるずら。このスマホの写真と動画のことずらよ」
「!っ……や、やっぱ見たのね、ソレを……」
「善子ちゃん、一体全体どういうことずら? 何であんな、その……は、ハレンチなものを」
「それは、その……えっと……」
善子は明らかに狼狽し、顔が赤くなっていった。「ヨハネ!」と訂正する決まり文句すら忘れてしまうほどに。
「どういうことずら? マルにはまるで理解できないずら」
「それは……しゅ、趣味っていうか……うん、その……」
「趣味って……みんなのこともマルのことも、覗き見なんてダメずらよ」
「うん……わかってるんだけど……」
善子は口ごもりながら目を合わせず、花丸は「はぁ」と溜息をついた。そしてすっかり手慣れた様子でスマホ画面を操作して、或る画像を善子に見せた。
「よ、善子ちゃんの……スケベ」
それは、花丸が自室で着替えをする様子を収めた写真で、制服を脱いで肌着姿の花丸が撮られていた。あの置時計に仕込まれたカメラから撮られたものだろうことは、すでに花丸も見抜いていた。その写真を見せられて、善子は沸騰しそうなぐらい顔を赤くした。
「す、す、スケベ……」
「堕天使ヨハネじゃなくて、堕天使スケベずら」
「や、やめてっ! それだけはやめて! 私はヨハネなの! ヨ、ハ、ネ!」
「どこを気にしてるずらよ……ともかくこれは立派な犯罪ずらよ。しかもマルだけじゃなくて、他のみんなも撮ってるなんて……何でこんなことしてるずら?」
「それはっ……その……えっと……」
「……善子ちゃん、ちゃんと説明してくれるまで、このスマホは返せないずら」
「そんなぁっ! 困るわよそんなの!」
「善子ちゃん、自分が何してるかわかってるずらか? 幸いこのことを知ってるのは、まだマルだけずら。お願い善子ちゃん、ちゃんと説明して。私たち、友達でしょ?」
澄んだ瞳でそう言われた善子は、何も言い返せなかった。
しばしの沈黙の後、善子は
「だ、誰にも、言わない?」
「もちろんずら。というか、誰にも言えないずらよ、こんなこと」
「そ、そうよね……わかった、説明する。今日、私の家に来て」
「わかったずら」
花丸は善子のスマホを再びスカートのポケットに戻した。善子は、顔にたっぷりと汗をかいていた。
「……善子ちゃん、じゃあまた後でずら」
花丸はそう言って、その場を後にした。善子は校舎の壁にもたれかかり、しばらくうなだれた。しっかり見られてしまっていたことに、ショックが大きかった。
「……これを人は、天罰というのね」
そう独り言ちるのが、精一杯だった。
「えっ? 今日の練習来れないの?」
放課後、花丸と善子は二人そろって
「ご、ごめんなさい……次の練習は必ず参加するから」
「すいませんずら……」
「いやいや、用事があるならしょうがいないよー。そんな頭下げなくても大丈夫だから、ね?」
千歌は持ち前の弾けるような笑顔でそう言ってくれた。頼りない時もあるが、何だかんだこういう人柄だからこそ、個性派ぞろいのAqoursがまとまっているのかもしれないと、花丸と善子は感じていた。
千歌と別れた二人は、階段を下りて校舎玄関に向かった。
「……必ず、話すずらよ」
「わ、わかってるわよ。くどいわねまったく……」
二人は言葉少なに玄関で履き物を替え、同じバスに乗って津島家に向かった。車内で会話は一切なく、気まずいような、恥ずかしいような、複雑な空気が二人の間に流れていた。
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「ごめんね」
部屋に入るなり、善子は花丸に謝った。いきなりのことで花丸は面食らった。
「その……勝手に撮っちゃって、ごめん」
「……うん。だから、何で撮ったのか、話して善子ちゃん」
「ヨハ……うん、わかった」
名前の訂正はさて置くことにして、二人はベッドに腰掛けた。
少し間をおいてから、善子は意を決して口を開いた。
「……最初は、興味本位だったのよ。自分でアプリを作って、ちゃんと使えるかどうか試したくて」
「アプリ? 善子ちゃん、そんなの作れたずらか?」
「初心者向けの本とか読んで、それを参考にしたらあっさり出来た。ほら、私って夢中になるとまわりが見えなくなるでしょ。興味のあることにとことんのめり込みやすいっていうか」
「そうずらね。だから堕天使キャラを演じられてると思うずら。で、どんなアプリずら?」
「……カメラを遠隔操作するアプリ。そういうのってそもそも売ってたりするんだけど、なんか自分で作ってみたくなって。最初は、ライブとかで使えたりしないかなと思って作ったの。本当よ」
「うん、信じるずら」
「それで……まずカメラをどこかに設置して、本当に作動するかどうか試したかったの。それで、その……最初に選んだのは、ずら丸の家」
「あの白い時計ずらか?」
「!っ……アンタ、それも気づいてたの⁉」
善子は目を丸くした。花丸は鞄の中から、例の白い置時計を取り出して見せた。
「……いつからずら?」
「……もうだいぶ前、スクールアイドル活動をするようになってから」
「どうやって、カメラ仕込んだずらか?」
「……その時計量産品だから、アンタの家に遊びに行った時に、隙を見て改造したやつと取り替えたのよ」
それを聞いて花丸はあんぐりと口を開けた。本物の覗き魔のやり口のようだった。
「それで、まずはずら丸のカメラで試したの。そしたら上手くいって、それで終わらせておけばよかったんだけど……」
「だけど?」
「……何かこう、ハマっちゃったのよね。他人の生活を盗み見ちゃうことに。もちろんわかってるわよ、それがどんなに変態なことかはっ! でも、一度うまくいっちゃったもんだから……他の家にも仕込もうと思って」
「それで、他のメンバーの写真もあったわけずらね」
「うん。何だかんだみんなの家に行くことあるじゃない。千歌の家とか梨子の家とか……が、学校にも、仕込んだ」
「善子ちゃん……もう完全に盗撮ずらよ? ヨハネとか名乗ってる場合じゃないずら、盗撮魔ヨシコずら」
「そう言われても、しょうがないわよね……」
盗撮魔というワードが効いたのか、善子はうつむきながら口ごもってしまった。
花丸は、善子のスマホを操作して、例の写真フォルダを開いて見せた。
千歌が制服を脱いでる場面、ローアングルでルビィのパンツが写っている場面、果南が水着を着ようとしている場面、鞠莉がアイドル衣装に着替え途中の場面……、様々な場所で様々なアングルから、Aqoursメンバーたちの流出厳禁な写真ばかりが収まっていた。
「善子ちゃん、まさかこの写真使って変なことしてないよね?」
「へ、変なことって?」
「お金、稼いでたりとか……」
「違うっ! そんなことはしてない! 本当に趣味なだけよ、一枚も流出させてない!」
「そう、ならよかったずら。もしそんなことしてたら、マル、悲しかったから……」
花丸はぎゅっとスマホを握り締めながら、善子の言葉を聞いてホッとした。
そして、もうひとつ訊ねたいことを思い出した。
「あの……この動画はなにずら?」
画像フォルダに保存されていた或る動画を再生して見せると、善子は口を半開きにさせたまま顔を硬直させた。
「いや、それはたまたま撮れたやつで……私も正直、ビックリしたのよ」
「……じゃあ、作り物とかじゃないんだ」
「そりゃそうでしょ! そんなもの作れるスキルは私にないわよ!」
「そ、そうずらか……」
二人が見つめ合う間にも、動画からは甘美な音声が流れていた。二人はつい、スマホの画面に見入った。
それは先日、渡辺家に仕掛けられたカメラが撮影した映像だった。