※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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34.忙しいあなた

 牛乳1パックで過ごしたその日の午後、明日は土曜日だが、僕は体調不良を理由に休日の出勤当番を堺教授に外され、更に定時に帰宅させられた。家で夕飯に例の冷や飯と味噌汁を流しこんだ後、ベッドの上で着替えもせず、携帯を見つめたまま30分くらい固まっていた。いや、もっと短い時間だったかもしれないが、それなら30分に感じてたということなのだろう。休日出勤を外してくれたにも関わらず、これから掛ける電話次第でもっとハードな土日になるだろう、とそれを一瞬躊躇し、堺教授に申し訳なく思いながら、そして10分ほどかけて覚悟を決めた。

 誰に? もちろん、彼に。

 震える指で通話ボタンを押したのは夜の7時だったが、清水センセは電話に出なかった。仕事が終わっていないのだろう。それは病院の勤務のためなのか、それとも検視で現場に出ているのか、ただのトイレなのかはわからなかった。救急や休日診療も受け付けている市民病院など、夜の7時に勤務が終わっていることなどそもそも無いのかも知れないが、病院勤務をしたことがない僕には、大病院の、しかも放射線科医の勤務時間の状況などわかるはずがなかった。何時ごろ勤務が終わるかということを僕も訊く発想もなかったし、清水センセも僕の選択に任せた以上、こんなに早く僕が連絡するとは思っていなかっただろう。

 呼び出し音は6コールで留守電に切り替わった。

 

『ただいま電話に出ることができません。ピーと言う発信音の後に、お名前ご用件等を、お話しください』

 

 留守電は苦手なので、そのまま何も言わずに通話を終えた。僕からの着信だったら、確認した清水センセはすぐさま折り返すだろうと思った。電話が繋がらないのは冷静になれと言うことかも知れない。このままでは取り乱して話にならないだろう、多分、お互いが、だ。そんな 内容のことを伝えなければならないのだから。

 電話が鳴ったのは、それから1時間弱くらいだった。待つ時間に耐えられなくて、僕はベッドで横になり上手いことウトウト出来ていた。急に聞き慣れないベル音がして驚いて飛び起きた。何時かどうかもわからなかった。ベルの音が自分の電話だと気づいて、ようやく枕の脇に埋もれていた携帯を探し当てた。

 

「は、はい、岡本です」

「もしもし、清水だけど、ごめん、遅くなって。せっかく電話くれたのに。ほんとごめんね。でもありがとう。昨日は……ごめん。本当にごめんね。昼はテンパってて謝るの忘れて、それもごめん。あんなことのすぐ後なのに電話してくれるなんて信じられないよ」

 

 清水センセは珍しく小声で話した。他にスタッフが居るのかも知れない。

 

「僕もです。あの、すみません。お忙しいところ」

「いいよ、全然良いから。ごめんね、すぐに出られなくって。帰る直前に入院患者が急変しちゃってさ、脳梗塞の疑いでMRI撮ってて。一過性の脳虚血だったみたいで、これが梗塞してたらそっから画像見ながら僕が処置しなきゃなんないから、9時過ぎとかになってたよ。今のところはセーフだけど…」

 

 また緊急対応のようだった。スッと我に返るようななにか。2回目で変な感覚があることに気がついた。午前中には気が付いていなかったのだ。誰かが清水センセにリアルに処置されているのを知るたびに、自分の中のなにかがスッと引いていく感じがする。メンヘラな清水センセ像が正常方向に大幅に軌道修正されてしまうからだろうか。名前のつかないこれは僕にとっては知らない感覚だった。

 しかし毎日こんな忙しさなんだろうか? そうだとしたらよく警察医なんかやっていられると思った。清水センセは話し続けている。急変した入院患者は開腹手術の後すぐ半身麻痺が出たらしい。

 

「……術後は血流が減るからね。でも明日あさってあたり今度は本物の梗塞が出る率高いから、この土日に出勤になる可能性は大だなぁ。心臓はキレイだったから塞栓源が他にあるのか、月曜日に詳しく血管造影することになったね。あ、お疲れ様です」

 

 誰かに挨拶をすると、電話の向こうで「お疲れ〜」という声が聞こえた。この電話を聞かれていて良いのだろうか。

 

「いつもこんな忙しいんですか?」

「まあね。日によって、かな。冬は季節柄、脳血管障害が多いでしょ。今日は特に忙しかった。君から連絡のあったとっても特別な日なのに、そういう時に限ってこういうことになっちゃうなんて。ほんと嫌だな」

 

 少し声が大きくなった。スタッフルームは彼一人になったみたいだった。

 

「毎日8時まで?」

「いや、何もなかったら7時までには家に着いてる。今はまだ病院なんだ。スタッフ室帰ったら着信あって慌てて夢中で掛けちゃった。あ、掛け直していい? ちょっと着替えて帰る支度するからさ」

「すみません」

「良いんだって! 声聞いてるだけで夢みたいだから。あの昼の話、続きがあるんでしょ? 混乱してて心配だった。いつでも聞くからさ。こんな忙しい日でごめん。じゃ、一旦切るね、ちょっと待ってて」

「はい」

 

 通話を切ると静寂が訪れた。この間でまた少し正気になれたら良い。しばらくして再び電話が鳴った。

 

「いま駐車場なんだけど、これから行って良いかな? それとも電話の方が良い?」

 

 考えていなかった。どうしよう? 会って良いのか、電話のほうが良いのか。なぜ清水センセは僕に選択肢をくれるのだろう。強引に迎えに来て連れ去ることも可能なはずなのに。

 

「どっちでもいいんですか?」

「うん。裕くんが良いと思った方で良いよ」

 

 そんなことを自分から選択したことなんてあっただろうか? 言われたことしか出来ない僕に、もしくは要求を拒絶するしか出来ない僕に、そんな重要な行動を選択しろと? 無理だ。

 

「どっちがいいんでしょうか」

「好きな方でいいよ」

「わからないです」

「……そっか」

「すみません」

「僕は会いたいよ」

「なんであの時みたいに強引に連れて行こうとしないんですか?」

「あの時は本当にどうしていいかわかんなくてさ……ごめん。あの男が『裕は言ったようにしかしない』って聞いていたから、かな」

「それはだいたい合ってます」

「ほんとにそうみたいだね。だから誰にも良いようにされて……」

 

 チッと遠くで舌打ちが聞こえた。

 

「僕にも良いようにされちゃったじゃない! それで良いの? あの日のことだって、後悔してるんでしょ? 嫌な日だったって、僕だって思ってるよ! 昨日だってそうだ! それなのになんで君から嫌われてないのか全然わかんないって!」

「僕には好きとか嫌いの気持ちがわかってないから」

「知ってるよ……知ってるけどさ……お陰で僕はまだ息をしていられるんだ」

「すみません。でも清水センセは僕の人生を終わらせてくれる大事な人です。だからちゃんと話さなくちゃって思って」

「好きと大事とは違うんだね、裕くんは」

「よくわかりません」

 

 それは寺岡さんにも言われたかも知れない。好きと大事の違いはこの世界の人には重要なのだろう。

 

「どんなにヒドいことしても、殺してくれる人は大事、ってことか」

「はい」

「だからあの男に抱かれてたんだろうね」

「いいえ、言われたようにしただけです。でもあの人は僕をゾンビにした張本人なんで、大事というよりはまた死に返す責任があったんです。放棄したけど。でもあなたと出会った今の僕にはなぜ放棄したか理解できてしまうんです。だから清水センセと話さなきゃならないんです」

 

 今回するべき話が、ようやく少しだけ漏れ出した。伝わっているかはわからないが。ホッとしたのに清水センセはちょっと黙った。佳彦のことを話したので怒ったのかも知れない。僕は人を怒らせるのが得意だ。しかし沈黙はほんの数秒で、特に激昂することなく普通に清水センセは口を開いた。

 

「わかったよ、裕くん。会おう?」

「そのほうが良いですか」

「君に任せてても決まらないし」

「はい、わかりません」

 

 いつもの思考停止。1日に2回も自発的に電話したという時点で、僕の能動性の5年分は使いきったのかも知れない。

 

「じゃあ決まり。無理しないでね」

「はい、努力します」

「晩御飯は?」

「食べました」

「どこで会おうか? 裕くんの家でも良いけど」

「僕の部屋は昨日の今日なんで、あまり来てほしくないです」

「そうだね。迷惑かけて申し訳なかったよ。でも僕の家でいいの? 大丈夫なの? トラウマに…なってるよね」

「どうせ自分のうちもどこもトラウマです。この世界ではどこでも同じです」

「そうなるんだ。聞いてる僕の方がつらくなる」

「大丈夫です。感覚が鈍いので。どうせ死人ですから」

「そうだね……大好きだよ」

 

 そう言うと言葉が途切れた。すぐに鼻をすする音がした。

 

「またうちに来てくれるかと思うと……ごめん……泣けて来ちゃって」

 

 会ったほうが良いかも、とその時思った。動画の裕と今の僕の乖離を見せてあげられる。

 

「もう出るね。時間がもったいないし。マンションの下に着いたら電話するから降りてきて」

「はい」

「じゃ、またあとで。10分位で着くと思うから」

 

 そう告げた声は鼻声でかすれていた。こんな状態で話し合いが出来るのだろうか。僕も彼も。まあいい、もう何をするかは決まってしまった。彼の家に再び行く。話も出来ずに犯されるのかも知れない。何が起きようが……いいや、どうにでもなれ。

 三度目の電話が鳴ったのは15分位してからだった。僕は携帯だけ握ってマンションの前の道に向かった。

 

「ごめん、遅くなって。途中で晩御飯買ってた。乗って」

 

 僕をプリウスの助手席に乗せると、すぐに清水センセは車を出した。まだ目が潤んでいた。

 

「なんか遅くなっちゃったね」

「電話、長くなってすみません」

「どうせ話してるんだったら、さっさと会いに来ちゃえば良かったな。怖くて言い出せなかった」

「すみません。何も考えてなくて……」

「しょうがないよ。だって今日は裕くんが混乱してるところから始まったんだし」

「そうですね」

「でも混乱してくれて良かった。だってお陰で君がまた来てくれるんだからね。まぁ、混乱は良くないけど。昨日のあれからまだ1日も経ってないのに、死ぬほど恋しかったんだ」

 

 初めて清水センセと会ってから3日。その3日のうちにもう3回も会っている。よく考えてみたらほぼ毎日だ。その間僕は頸動脈洞過敏症で1度倒れ、佐伯陸が来て、翌日は幸村さんまで現れ、その日に清水センセが再びやってきた。そしてあまりに濃密すぎて、1週間以上経っているような時間感覚になっているが、たったの3日なのだ。

 

「会ってからの苦しさがハンパなくてね。ほとんど寝てないんだ。現実感もぶっ飛んじゃったし」

「それはまぁ僕もですが」

 

 申し訳無さそうに清水センセがチラッと僕の顔を見た。

 

「僕のせいだね」

「はい。それもあります。でも、自分のせいでもあります」

「冷静なんだ、こんな時でも」

「全然。大混乱ですよ。毎日苦しいです」

「ごめん」

「さっきからずっと謝ってますよ」

「それしか言いようがないからさ。どんな弁解しても」

「もういいです。これ以上謝られても何も変わらないと思います」

「そっか、そうだよね……あっ!!」

 

 言い終わらないうちに、グンと身体全体に衝撃が走った。清水センセがいきなり急ブレーキを踏んでいた。

 

「うわ」

「ごめん!」

 

 脇道から軽トラックが横切って去っていった。清水センセは怯えた顔でハンドルを握ったまま固まっていたが、ハッとしてこちらを向くと叫んだ。

 

「大丈夫!? 怪我してない!?」

「僕は大丈夫です。先生大丈夫ですか?」

 

 清水センセは大丈夫大丈夫と一生懸命頷きながら、車を路肩へと移動して止めた。そしてハンドルに顔を埋めた。深呼吸の音がした。その格好のまま清水センセは僕に言った。

 

「……裕くん……大変、申し訳ないんだけど」

「大丈夫ですか? どうかしたんですか?」

「ごめん、後ろの席に移動してもらっていい? 今、僕、知らないうちに裕くん見てた。ここ見通し悪くないんだ。裕くん見てて軽トラ見てなかった。ヤバ過ぎる」

「いえ、別にここで死んでもいいですけど」

「僕が嫌だよ!! 軽トラの人もだよ!」

「あ、そうか。すみません」

「申し訳ないけど僕の真後ろに座ってもらえる? 視界に入るとダメだ。裕くんは何も悪くないからね」

 

 ドアを開け、後部座席に移動した。席の真後ろに座りバックミラーに映らないよう僕は身をかがめた。ゆっくりと路肩から車が離れた。車線に戻る。前回の初訪問の日は、ドライビングは安定していたのに。

 

「この前はこんなんじゃなかったですよ」

「ああ、直視できなかったから、逆に良かったのかもね」

 

 車内では深呼吸の音が繰り返され、車は安全運転をどうにか保っている。田舎の、しかも霊園に向かう県道は車もまばらで、僕達はすぐに見たことのあるメモリアルパークの看板を通り過ぎ、脇道を入ってぐるっと回ると林が見えてきた。もうすぐだ。

 




〈あとがきと近況〉

 えっと、活動報告にも書きましたが、身体の調子が良くなってメインの薬をやめた途端、なぜかシラフなのにキマってました。ダウナーだったのかあの薬は!? 内分泌系の薬は脳内に作用するので有り得ます。そのHighな精神状態のまま1ヶ月です。いつでも快楽モードに移行できるスタンバイ状態でもあり、そろそろこのテンションがキツい。一体あの薬は何を抑制してたのか……ただただ、書き続けてます。書かないと苦しい状態が続き、はけ口が書くことしか無い。ある意味至福とも言えましょうが心臓の辺りに常に圧迫感があります。ゆるやかに発狂してる感すらあります。いやだだの通常運転か。清水センセの会話を無駄口のようにひたすら書いていたい。迷惑な作家です。でも自分の狭いストライクゾーンの快楽のために書いているのが私の作品なので(賢明な読者諸氏ならご存知と思いますが)、もうひたすら愛する屍体の話をつれづれ裕と清水くんが談話しているという俺得なだけのシーンを乱発してしまいそうで怖い。
 
 さて、ここでまた佐伯陸の挿絵が実装されるという幸せな状態となりました。あめふらし画伯渾身の尊い女装子をどうかご堪能下さい。作者はいつも通り拝んだ瞬間に萌え死にましたけどねw
 場所は〈第2章 十三、アラン・チューリングⅡ世〉の真ん中あたりです。ああもう(語彙力)。

 では、いつもご閲覧ありがとうございます。
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