そうやって小島さんと僕は付き合うことになった。佳彦と始まった事件はこんな思いもしない方向に僕を運んでいった。僕と小島さんは似てない分だけ色々と考えさせられることが多かった。佳彦とでは多分わからなかっただろう普通の人の感覚を知った。
小島さんの家庭の事情も知った。小さい頃から親が仲が悪くて、中学生の時に父親が他に女の人を作って高校生になるころ出て行ってしまったこと、それ以来母子家庭で、高校の頃は少しグレてたこと。喧嘩が強くなりたくて空手の道場に通ってたこと。そこで自分がゲイだとわかったこと。家に居たくなくて、母親の負担になるのも嫌で、憧れもあって、高卒ですぐ寮に入れる自衛官に応募して就職したこと。そこですごく嫌な目にあったこと。でも可愛がってくれた上官は結局小島さんをかばってはくれなかった。それが一番キツかったこと。
「陸自の仕事は好きだったんだよな…俺、車とか機械いじんの好きだったし。空手やってたから格闘術の訓練も楽しかったしな。でも結局、それもたった一人の同僚が俺の生活と仕事を念入りに壊し続けてくれたせいで…だんだんそれまでとは違う自分に変わってきちまった気がするわ」
入隊から2年ほどして、陸自が中学生の職業体験学習の一環で受け入れをした時に、小島さんはその駐屯地の受け入れ部隊で指導係のサポートに入った。その時の参加者の一人に小島さんは心を奪われた。それがその歳の子を好きになった初めての体験だったと言った。そのあと小島さんは奇跡的な展開でその子と付き合い始めた。
そして、2年後にその子は高校生になった。高校生になった途端、小島さんは自分の愛情が消え失せてしまったことを目の当たりにした。その驚きと苦痛を振り払おうとして次の相手を求めた。その次の子も中学生だった。自分がこれ以上壊れるのを止めるために仕事も変えた。だけど2人めも高校生になるとその気持ちを持ち続けていられなくなってしまった。その次の相手も中学生だった。そして高校生になった瞬間に気持ちが切れて関係を続けられなくなった。
3回繰り返した時、小島さんは自分に絶望した。いつの間にか自分の中でなにかが壊れていたことに気がついた。誰かと関係を持つことにも絶望した。あとは行きずりの関係だけで淋しさを紛らわせているうちに、ある鬼畜なパーティの中で佳彦と知り合った。お互いサディストだったからだった。一人の子を二人で犯したりした。格闘技が得意な小島さんは当たり前のように絞め技が出来たから、それも佳彦の都合に合っていたみたいだった。それも自分の壊れように嫌気が差して、すぐにつるむのをやめたそうだ。それから誰とも関わらないでしばらく一人でいた。
そして、僕と遇った。
「松田が苦しんでるなんて初めてだったわ。あいつはいつもスマートで、一見優しそうででも実は冷酷に微笑んでる、みてぇのしか見たことなかったもんな。それをそんな風にさせたやつを見てみてぇって思うじゃね? で、頼まれて良く使ってたハプバーに行ったらお前がいたわけだ。でもあの時思った。“こいつにハマったら不幸だ”って」
「言われました。覚えてます」
「また二人でかわるがわる犯すのかって思ってたら、あいつ帰りやがった。ショックを俺にすら隠さねぇって、プライドの塊みてぇなあいつの普段から考えらんなかったわな。有り得ねぇ。ミイラ取りがミイラになるってやつだな。でも今ならあいつの気持ちがわかる。お前は死神みたいなとこあるな」
「死神ですか…僕は松田さんに悪魔って言われました」
「どっちも何か大事なものを奪ってくよな。お前だけ最初から満たされて、俺達はただ飢えるんだろ。お前がなにもくれないからか…違うな…俺達が欲張りなのか?」
小島さんのセックスはいつもドSだが、時々それ以上にものすごく凶暴になる時があった。暴力もよく振るわれたが、凶暴になった時は鬼のようだった。それは僕のせいもあるし、嫌な記憶がそうさせているとも言った。何時間も責め続けられることもあった。それでも僕はイクことはなかった。凶暴になったあとは、小島さんは償うように優しかった。僕が中学3年になり、いままでの壁までの1年を切って、さらにそれはエスカレートした。小島さんは日に日にナーバスになっていった。僕の高校受験の準備も始まった。そんなある日にその出来事は起きた。
梅雨寒の6月の雨の日曜日だった。僕はメールに添付された地図を見ながら電車を乗り継ぎ、小島さんとの待ち合わせに向かっていた。いつもなら迎えに来てくれたりするのに、その日は違っていた。
5月は後半が中間テストで、僕はしばらく小島さんの要望に応えられずテスト勉強に明け暮れていた。夜に時間があるときは数回は電話に出ることが出来たが、テストが終わって気がつくと半月以上小島さんの顔を見ていなかった。テストが終わったらすぐの日曜日に会おうと約束をしていたが、前日に地図を添付したメールが来た。小島さんは文字を打つのが面倒くさいと、メールをほとんど使わない。でもその日はいつものような電話ではなく、簡単な説明と地図。なんだかいつもと違うなと思っていた。
駅を降り傘を開き、駅前の雨の繁華街を抜けて地図のとおりに歩いて行くと、なにかデジャブのような景色が目の前に広がった。目的地の矢印はそこのビルの1階を指していた。
そこには黒いガラスの入った店のドアがあった。あの日その前に佳彦が立ったドアが。僕は傘を閉じてそのドアを押した。中はあの時と同じような音楽がかかり、薄暗い間接照明も長い廊下もそのままだった。
今日もきっと実験の日なんだ。
僕はそう思いながら長い廊下を歩き、突き当りのドアを開いた。
「ああ、こんにちは。久しぶりだね」
マスターが僕を見て手招きした。カウンターには誰もいなかった。
「小島に言われてる。こっちだ」
「ああ…はい」
僕は再び衝立の奥の部屋に案内された。
マスターがドアを開いたとき、暗い部屋の奥のソファに小島さんと男の人がいるのが見えた。スーツを着たサラリーマンみたいな人だった。
あの時と同じ部屋。マスターが二人に告げた。
「来たよ」
マスターは僕の背中を手のひらで押した。部屋に押し込まれ、僕の後ろでマスターがパタンとドアを閉めた。どうしていいかわからずに、ドアの前で棒立ちになっている僕の方に、そのサラリーマンが近づいてきた。小島さんはなにも言わずにそれを見ていた。彼は僕の前に立って、にっこり笑った。
「裕くん…だね」
「あ…はい」
「はじめまして。寺岡って言うんだ。いきなりこんなところで初めての人と会うなんて君も驚いたよね」
「えと…そうでもないです」
「え…? そうなの? 小島君から何か聞いてたの?」
「いえ…特には」
「あ、そう。落ち着いてるね。不思議な子だね君は」
「そうですか」
「座ろうか。こっちにおいでよ」
小島さんはソファの隅に座ったまま、動かなかった。目だけが僕を見ていた。僕は手前のソファに誘導されて座った。なにが始まるのかわからずに、僕は僕を見ている小島さんを見ていた。その僕にサラリーマンの人は続けた。
「今日は君に気持ちいいことしようって思ってる。イクまでね」
「そうなんですか」
「イカないんでしょ? 特殊な方法以外は」
「…そうです」
「小島君はそう言うんだよね。でも私は違うと思ってるんだ。きっと君はまだちゃんと身体が開いてないんだってね」
「そうなんですか」
「まぁ、わからないと思うよ。だってまだ感じてないんだから」
フフっとサラリーマンの人は楽しそうに笑った。僕は困った。小島さんはちゃんとこの人に伝えたんだろうか?
「僕がそういうのに興味がないこと、聞いてますか?」
「うんうん。そうだってね。でもそれは今までの話だろ?」
そう言うと、彼は僕にキスした。僕は小島さんの目つきが変わるのを見た。
「生きてる身体がどれだけ気持いいか、君は知らない」
「なんで…」
反論するまもなく、彼は僕に覆いかぶさってきた。僕の身体はソファに押し倒され、彼の手が服の上からももを触った。そして更に上に撫で上げた。小島さんは冷ややかにそれを見ていた。だが僕は小島さんから目が離せなかった。
「どんな抱かれ方してるの? もっと気持ちよくしてって言わなきゃダメだよ」
言葉がすれ違っている。僕の中の要らない熱をこの人はわかっていない。手がとても繊細に僕の股間を嬲る。性器が少しだけ膨らむ。
「ほら…反応してきたね。私とは初めてなのに、君、感じやすいんでしょ」
そこまではいくんです。そう言いたかったけれど、何故か言葉が出なかった。しゃべる気持ちがなかった。小島さんのことが気になっていた。シャツのボタンを開かれる。胸が顕になった。胸を唇で愛撫される。止めてくれないのかな。ずっとこうやって見てるのかな。それとも僕の身体をこの人に代わりに開かさせてるのかな。でも開かないです。だってこの人は…生きてる。
「君…本当に拒否しないんだね」
「したほうがいいですか?」
「さあ…小島君に聞いてみたら?」
なぜ小島さんに聞かなければならないかがわからない。
「だって、僕は小島さんに呼ばれてここに来たんです。実験の日なんです、きっと。拒否したら実験にならないです」
「…わぁ。すごいね。そこまで信頼してるのか。小島君、きみ、こんな良い子を私に抱かせていいのかい? 危ないよ」
小島さんは黙っていた。彼は僕のズボンを降ろした。半分勃った性器があらわになった。彼は僕のそれを口に咥えた。
本当はもっと感じる身体になってたはずだった。でも今日は違った。佳彦とも小島さんともこの人は違っていた。状況はあの日によく似ていた。佳彦の役を小島さんが替わりにやって、サラリーマンの人がその時の小島さんの立場だった。あの時はなにも疑問に思わず、ただ起きたことを受け入れていた。今もそれはあまり変わってはいない。いないけれど、僕は途中でいなくなった佳彦のことをほとんど気にしてはいなかった。それなのに今は、無表情な顔をして座っている小島さんのことが気になって仕方がない。これは一体なんの実験なんだろうか? 実験だと思っているのは実は僕だけなんじゃないのか。
それとも
小島さんはあの日の佳彦みたいに、僕をこの人に譲ろうとしているのか? 僕との関係にもう耐えられなくなって? それで僕とこの人の相性を量っているんだろうか。
舌が僕の亀頭に絡みつく。急に性器が張り詰める。それも長くは続かない。また半分になる。それでも彼は口の中で執拗に性器を玩ぶ。陰嚢を指で嬲る。されながら、僕は小島さんを眺めていた。その時、不意に目が合った。
目が合った瞬間、僕の目から涙がこぼれた。
(助けて)
僕は目の中でそう囁いた。知らない人はもういい。もういいんです。僕は小島さんでいいんです。
好きか嫌いかなんてわかりません。でも僕はいま、なんだかとても居心地が悪いです。あの時小島さんに初めて抱かれたのに、僕はそんなこと感じませんでした。他の子だったらもっと小島さんを愛したんでしょう。だけど僕はそんな風に生きてる人を好きになれない。そんな僕でほんとにごめんなさい。
でも、それでもきっと、僕は生きている人の中で、小島さんがいちばんいいです。だから、助けて下さい。僕を生きた人間として扱う人はもういいんです。だから…
(たす…け…て…)
僕は知らないうちに小島さんに向かって手を伸ばしていた。それを見た小島さんが目を見開いた。
小島さんは愕然とした顔で僕を見ていた。僕の手は宙で空を切った。がっくりと小島さんが頭を垂れた。両手で自分の頭を抱えて。
助けてくれないんだ…どうして…? どうして…隆…?
僕の手はだらんとソファから垂れ下がった。すぐに伸ばしたこの手を掴んで小島さんは僕をこの人の身体の下から引きずり出してくれると思っていた。でもそれは違った。小島さんは僕を見ることすらやめた。逃げたの? 僕を罰してるの? 違う…違うんだ。
そうか。そうだよね。だって僕はそんな期待を望めない人間だから小島さんに選ばれたんだから。そうだった。僕は自分の世界を見ていればいいんだった。振り向かないこと、それこそが小島さんを救う可能性だったんだ。
これはしてはいけないことだった。小島さんは苦しんでるんだ。頭を抱えて。それでは一体今日のこの部屋ではなにが起きているの? 僕がどうすれば正解になるの?わからない。わからないよ。答えが…ない…
「なあ、小島君。君、この子のこと、誤解してないか?」
そのとき、サラリーマンの人の、低い声が聞こえた。