※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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ח.原因と結果

 誰のことも信じていなかった。

 

 自分だけが大丈夫だと思っていた。その僕が大丈夫ではなくなって、混乱と混沌に飲み込まれ、気が狂いそうになったその時に、その渦の元凶とも言える人を初めて僕は信頼していた。それでもいい。別に良い。結局そんなもんだからだ。大いなるマッチポンプの御手は。

 いつもそうだった。犯された男から人生の目標を貰うとか、殴られたあげく死ねと言われた人間から父親の優しさを受けとるとか、その場ではわけがわからなかったのに、それはあとからわかる。それもずいぶん後から、だ。

 だから、主演僕のリベンジポルノを編集したストーカーから信頼を教わることもある。その人が僕を本当に嘘偽りなく殺してくれるということで。そして僕を殺すというリスクを引き受けたその人をそれが故に“大丈夫”だと初めて思えた。それが社会的な死も肉体的な死も厭わない行為だったからだ。僕にとってそれだけが大丈夫を確信する認定であり、“信頼”を成り立たせる唯一の条件なんだろう。

 

 ところでなぜ僕は彼が本当に僕を殺してくれると信じ込んでいるんだろう? 何の疑問もなく。信じている。それには理由も証明も論理もなかった。彼はやる。その狂気は空気を伝播して伝わり、その波は言葉よりも深く語りかける。そして頭のおかしい誰かを初めて大丈夫だと思える。頭がおかしいから大丈夫だと思える。それは、僕と同じくらいおかしいという意味でもあった。

 

 いつものように霊園を回りこんで、清水センセの家に着いた。車庫の中でエンジンの音が消えると、静寂が僕たちを包んだ。

 居間に入ると、さっき僕の部屋で起こった出来事がまるで無かったかのように、僕たちはポツポツとごく当たり前な受け答えを時たま交わした。寒いな、とか、そういえばご飯食べた? とか、そこ座ってて、とか、お水を頂けますか?とか、そういう類の会話を。僕のパニックをキッカケに、互いにこの1週間の罪悪感や緊張感や恐怖感をそれぞれ解放したのかもしれない。本番が目前に迫っているのに、僕の心の中はこの1週間のどの時間よりも平穏だった。晩ごはんは清水センセの作ったキツネうどんだった。何も言わないのに彼は熱々のはずのうどんを僕の分だけぬるくして持ってきてくれた。ソファで二人でそれをかき込み、食後には僕に再び水が与えられ、彼はいつものようにホットコーヒーをマグカップですすっていた。

 

「裕くん、一息ついた?」

 

 マグカップをテーブルに置いた清水センセが僕に問いかける。時刻はすでに20時を随分回っていた。

 

「そうですね、僕のせいでだいぶ時間が押してしまいました。すみません。始めましょうか」

「気にしないで。君が良いなら、始めよっか」

「お願いします。先生も大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。いけるよ」

 

 清水センセは立ち上がって、隣の寝室に入っていった。戻ってきた彼の右手にはステンレスの角形バット、左手には携帯型のAEDがぶら下がっていた。テーブルの上に置かれたステンレスのバットの中には注射器とアンプルと薬剤シートと消毒綿のパックがいくつか並んでいた。清水センセはその中からアンプルを1本手に取った。

 

「これ、もし君が発作を起こして錯乱したら、首を絞めて落とす前にこれを試すから」

「なんですか?」

「鎮静剤。ハロペリドール。錯乱して暴れる患者が打たれるヤツ」

「ああ、ええ、わかります」

「その前にマイスリーを飲んでおく。それで多分すぐ入眠するよ。目覚めてもまだ発作が持続してたら、そのあと落とすから」

「そうですね。鎮静剤はまだ試したことないです」

「まぁ、そうだろうけど。眠剤も?」

「ええ、薬剤は試したことないです」

「医者なんだから、やってみればよかったのに」

「医者という感覚はないです」

「まぁ、そうかもね」

「成功すると本当にありがたいんですが」

「だよね。僕もそれを願ってるよ。で、こっちは小型AED。まぁ見たことあるよね」

「はい。そのメーカのはよく」

「落として、心臓が止まったら使うよ。約束だからね、君との」

 

 清水センセも僕も、そこで一回黙りこんだ。そうだ。僕が望んだことだ。だけど、もし、あなたの気が変わったら。心肺停止状態の僕を見たあなたが、本当にそうなった時にどうするのかなんて誰にもわからなかった。

 だがその可能性は限りなく甘美な痺れのようにやってきて、僕を恍惚の渦に引きずり込もうとした。わかってるよ、でもダメなんだ、今は。今はダメ。今だけじゃない、その先も、その先の先も、だ。僕のそれを彼も察したのか、少ししてゆっくり口を開いた。

 

「本当は…君の望みを叶えてあげたいんだけどな。でも、今回はやめておくよ」

「ええ、そうして下さい」

「強心剤も準備してるし」

「ありがとうございます」

「だったら、そんなうっとりした顔しないでよ」

 

 わざと呆れたように清水センセは言った。

 

「わかりますか」

「わかるよ。そんなはしたない顔したら」

「え、そうなんですか」

「あ〜あ。あの道化師野郎の気持ちがわかるなぁ…誘ってるんだよね、全身全霊で。自覚はないんだ」

「困りましたね」

「他人事みたいに言わないの。そんな顔してもどうせ君は断り続けるんでしょ?」

「ええ、すみません。気をつけます」

「気をつけてどうにかできることなんかあるのかな」

 

 独り言のように言った後、清水センセはさも可笑しいとばかりにクスクス笑っていた。そして笑いながらポンポンと僕の肩をたたいた。

 

「まぁ、いいや。頑張って気をつけてね、裕くん」

「ええ」

 

 そのまま彼はまた寝室へと消えていった。始まる。アレがここに来る。とうとう僕は再びアレを開く。

 彼が居間に帰ってきた。胸に黒い本を抱えて。そして僕の前に立った。

 

「じゃ、始めようか。どう?」

「はい」

「ほんとに、良いの?」

「はい」

「覚悟は出来てるんだね」

「ええ。先生はどうですか?」

「うん、僕も、良いよ」

「では、すいませんがよろしくお願いします」

「わかった…はい、これ」

 

 再び僕の手の上にこの本が乗せられた。前回より優しく。ゆっくりと。表紙には変わらず白抜きのアルファベットが並んでいた。14年前のあの日と変わらないその手触りと文字と、重さ。

 

 ―Suicidium cadavere―

 

 Suicidium〈自殺〉

 cadavere〈屍体〉

 

「大丈夫?」

「さあ」

「開けれる?」

「開きます」

「そう…でも、無理だけはしないで」

「はい」

 

 はい。もう、戻れない。

 

 今から中学校の卒業アルバムを開くのかな。『Suicidium cadavere』を目の前にして僕はそんな気分になった。緊張はあった。怖さは、なぜか無い。それが不思議だった。これから僕はペニスを硬直させて激しい性感に打ちのめされるかも知れないのに。それを目の前でこの人に見せるかも知れないのに。そして僕はゆっくり、硬くて黒い表紙に指を掛けた。心臓の拍動が耳に直接響いた。

 覚えている。左綴じの表紙の下にはつや消しの黒いラシャ紙みたいな見返しがある。そしてその次に、ツルッとした厚手の白いとびら。黒い文字で再びタイトルの『Suicidium cadavere』が何の変哲もないセンチュリーのイタリックで印刷されている。思い出して、僕はゆっくりと表紙を開いた。

 

 同じだった。

 あの日と全く同じ。

 それに感動した。恐怖よりも先に。

 おもむろに次のページをめくる。

 前書きもなく、目次(Contents)。

 

 Contents        002

 

 #1 17 May 1979     004

 #2 2 Nov 1979     006

 #3 6 Feb 1980     008

 #4 15 Apr 1981     010……

  

   …………       

 

 洋書だから、上から下に横書きで各々の写真に振ってあるNo.と日付。

 ヨーロッパの表記法。日・月・年、の順の日付。

 その横に離れてページ数。それだけ。

 なぜならこれらは、作品ではないからだ。

 警察の現場の写真には、題名はない。

     

 そして、僕は、そのページをめくった。

 

 

 

 

 

 おかえり

 

 

 

 

 

 吊るされた縊死の屍体が囁いた、ような気がした

 その声は少しだけ、佳彦の声に似ていた

 僕はその声に答えていた

 

 

 

 

 ただいま

 

 

 

 

 変わらない。無音のモノクロの世界

 変わらない。何一つ、変わらない

 真っ白い太いロープも、吹き抜けの階段と、その斜めの手すりも

 

 

 

 

 時間が止まったみたいだった。気が遠くなりそうで、僕は目を閉じて天井を仰いだ。脱力した身体は、ソファの背もたれに沈んでいった。そして、直後にやってくるはずの下腹部の衝動に備えた。少なくとも、寺岡さんの部屋ではそうだった。

 

 1秒、2秒、3秒、4秒、5秒……10秒……10秒?

 

 20秒……30秒……

 

 

 

 来ない。

 来るはずのものが、来ない。

 

 

 

「あ…」

 

 まさか。僕は目を見開いた。

 

「裕くん? 大丈夫……?」

 

 囁くような声で清水センセが僕に問いかけた。

 

「来ない」

「えっ……?」

「発作……来ない」

「ほんと? ほんとに?」

 

 僕は無言のままうなずいた。

 衝動が、来ない。

 性感が、来ない。

 そして

 

 羨望が、ない。

 

 自由に羽ばたいて死を自らの手で自身に与えた人。自殺者。その蛮勇と狂気と不耐性。僕が憧れ、求め、同時に軽蔑していたこの行為に、屍体に、羨望が……

 

 ない。

 

「ない……」

 

 空を仰いだまま、僕はそれを確かめるように呟いた。そして、言葉を失った。

 

「あ…ははは…」

 

 いつの間にか笑っていた。こらえ切れなかった。還ってきた。失ったものが還ってきたのだ。永遠に失われたと思っていたそれが再び戻ってきたのだ。

 

(至福とは、僕へと向けられた本当の殺意。そして絶望とは、僕の人生からそれが永遠に取り去られたこと…)

 

 清水センセ、あなたのくれたものが勝ちました。賭けに勝ったんです。僕の人生から奪われた殺意があなたによって還ってきたんです。何があろうとも必ず僕を殺してくれるという人生を賭けたあなたの約束で。

 下腹部からふんわりと熱っぽいものが広がってくるのを感じた。微細な性感は性器を巡り、腰を包んだ。だが、発作ではなかった。

 

「じゃあ、それって…」

 

 僕は目を開け、清水センセを見た。いつの間にか隣に座っているのが視界の端に見えた。

 

「はい。先生の勝ち、です」

 

 僕はそのまま答えた。正確には目蓋を開けたあと、それ以上なにも動けなかったから。

 

「ほんとに、発作、起きてないの?」

「はい」

「ほんとに?」

「はい」

「……良かっ……た…届いたんだ…」

 

 清水センセが、ドサッとソファの背もたれに倒れるのが伝わってきた。

 

「あぁ……成功……したんだね」

「はい、たぶん」

「君は、救われたんだろうか」

「ええ、救われた…んだと思います」

「そう……そうか……僕は…間違ってなかった…僕は……」

 

 泣きそうな声が聞こえ、それは次第に泣き声に変わっていった。そう言っている間にも、ふんわりした柔らかい微熱が股間まで覆って来始めた。微かに耳の奥にノイズ。中音域の小さいモーター音のような滑らかなノイズ。いつの間にか僕は再び目を閉じていた。激しい緊張が弛緩して、意識が朦朧としていた。このしばらく、よく眠っていなかったせいかな。勃起は副交感神経優位で起きる。副交感神経は心身をリラックスに向かわせる自律神経だ。さっきから自分のペニスが固くなり始めているのを僕はわかっている。それは服の上からでもわかるだろう。清水センセはわかっているだろうか?

 

「裕くん、今、どんな感じなの?」

「性感が、だんだん出てきてます」

 

 清水センセは鼻をすすった。少し黙っているようだった。大丈夫だろうか?

 

「大丈夫なの?」

「先生こそ、大丈夫なんですか?」

「どうすれば良いかわからないけど……ツラくは、ない、かな」

「我慢……しないで下さい」

「うん。我慢できるものじゃないから」

「見たくなければ……すみませんが、僕を自宅まで送って下さい」

「…えっと……帰したくはない…な……」

「さっきから……だんだん…勃起……してるみたいで」

「そう、なの?」

「見てないんですか?」

「見てないね」

「あぁ、言わなきゃ良かった」

「まぁ、良いけど。どうせ見るつもり無いし」

「見ないで下さるとありがたいです」

 

 目が開けられないので、彼がどういう顔をしているのかはわからない。声はあまり感情を出していない。でも錯乱している様子はなく、恥ずかしさに困惑しているという感じが伝わってきていた。清水センセが崩壊を免れている。安堵が広がった。安堵は、解放を連れてきた。解放?

 

 僕は、解放された?

 

 唐突に涙が溢れてくるのを感じた。依然として発作は起きず、ただ、じわじわと微熱に身体の芯が犯されていくだけの、曖昧な性感が広がるだけだった。これは、佳彦に『Suicidium cadavere』を借り、家で自慰している時の状態に似ていた。あの時の方が激しかった。なぜならそれは、僕の初めての性的な興奮だったから。なにも比べるものが無かった。神経が初めて性的な快楽を感じたのだから。では、今は?

 あの発作と比べるべくもない。ささやかだった。こんなもので病む必要など無いように思われた。そうだ、発作が起きたら、そのあと死の衝動がやってくるのだ。生に極振りしたのだから、同じくらい死に振り戻って行く。当たり前のように死にたくなる。メスを自分の指から叩き落とさなくてはならないほど。性衝動、希死、麻痺、そして……終わったのだ。この桎梏が終わった。僕たちは賭けに勝ったのだ。

 

 そして、幸村さんは、もう責任を取る必要はないのだ。僕のことが大好きなのだというあの人は。

 

「悲しいの?」

 

 清水センセが心配そうに僕に問いかけた。

 

「いえ、ようやく、あれから解放されたのかと思うと……なんか……自分でもなんで泣いているのか…」

「長かった、よね」

「ええ……長い年月でした」

「性欲は? オナニーとか…しなくていいの?」

 

 とても恥ずかしそうに小さい声で、清水センセがまた僕に訊いてきた。

 

「こんな程度の欲情なんて……我慢して寝たら朝には消えてるのかも知れない、というくらいです。僕は先生のほうが心配です。こんなの見せて、気持ち悪いんじゃないかって……」

「ううん、そんなことない。僕に向かってこない性欲は、気持ち悪く…ないんだね。なんか…変な感じだよ。どう言ったら良いのか…なんか…」

 

 清水センセは、言葉が見つからずに口ごもった。僕は彼のトラウマを刺激していないということに、とても安心した。

 

「良かったです。先生を傷つけることにならなくて」

「ごめんね……僕のことで心配させて。性欲はなんでも気持ち悪いと思ってた、今までね。でも、そういうのもトラウマのせいなのかな。君の身体は、なんというか…情欲も死に化粧みたいに見えるんだよ。透明で……美しくなる…というか」

「そうですか。安心しました」

「不思議だ……キレイだよ…とても。ずっと眺めていたいくらい、ね」

 

 そう言うと、清水センセは黙った。たぶん、僕を見ているのだろう。こんな僕でも見ていられるならば大丈夫だろう。彼のトラウマも融けかけている。嫌悪感という軛からの解放。なぜか互いに解放が起きている。解放の先にはなにがあるのか、それはまだ見えないけど。

 しばらくして、清水センセはソファから立ち上がった、気がした。そしてなぜか震えるような不穏な声で僕に話しかけた。

 

「あのね、裕くん。僕は君に……謝らなきゃいけないことがあって」

 

 僕は思わず目を開けた。やはり彼は立ち上がって僕を見下ろしていた。僕は微かに頸を傾け、清水センセを視界に捉えた。彼の顔は少し白かった。嫌な予感がした。

 

「な……なんですか…?」

「いきなり、ごめんね」

「なにか、あったんですか?」

「ごめん……すぐに…わかるよ」

 

 そうか。僕はようやく、ここで犯されるのか。トラウマを克服した彼に。

 そんなこともあるかも知れないと、どこか心の奥で思っていたそれは、ほんの少しの落胆と、それ以上に腑に落ちていく感覚を伴っていた。なぜならそれは、彼の性欲は実母への嫌悪と罪悪感で強烈に抑圧されているだけで、死んではいないと感じていたからだった。では、トラウマが癒やされたら? それでも彼は聖人君子のように禁欲を貫くの? と。世の人には、ごくごくたまに存在する。他者に対して恋愛感情はあるが、性的欲求を感じない、ノンセクシュアルという人たちが。だが、その分類に清水センセは当てはまるのか? あの苛酷な過去を彼から聞きながら、僕はどこかで違和感を覚えていた。僕にとっては都合の悪い話だったが、合理的に考えて僕の都合に関わらず、トラウマから解放されつつある清水センセはいずれ僕にも性欲を感じるようになると推測された。そしてそんなことになったならば、いつもながら僕には断る理由も抵抗する気力も意味もなく、いつものようにされるがままにオナホとして機能するのだろう。

 

 それから、うつむきながらなぜか苦しげな顔をした清水センセはくるりと踵を返すと、なぜか寝室のドアの向こうに消えていった。彼のベッドのあるその部屋。これから僕はそこに連れて行かれるのだろうか。さっきの恥ずかしげに困惑した顔が目に浮かんだ。あのとき、彼はすでに僕に欲情していたのだろうか。僕の勃起した股間を本当に見なかったんだろうか。トラウマによって抑圧されていた、幼い頃からの母親の執拗な愛撫で開かれた身体は、それが無くなった時にどんな反応として再び現れるのだろう?

 僕は再びソファに頸を預けたまま眼を閉じた。もしかしたらそんなことは何もないのかも知れない。清水センセが僕に謝らなければいけないことは、そんなこと以外にも沢山あるようにも思えた。僕に隠れて盗撮した写真が100枚くらい出てくるのかも知れないし、下手すると、あの佳彦のリベンジポルノの続きを一緒に鑑賞させられるのかも知れない。それとも……

 

 あ。

 

 その急に浮かんだ考えに僕は息を呑んだ。それは今のこの状態を説明するのに最も適切な推論だった。なにを僕は遠回りしていたんだろう。とっくにそれは決まっているではないか? 僕たちは鍵と鍵穴であるのだ。この脱力感が精神的なものでないとしたら……この水に、さっきの食事に、なにか入っていたとしたら。

 僕は目を見開いた。手足が痺れているような気がした。うまく動くのかわからない。いや、もう、そんなこと良いんじゃないのか? 彼が自分の欲望を満たすために僕を殺す。僕のためでなく、彼自身の渇望のために僕を殺してそしてエンバーミングする。僕を屍体として鑑賞し、共に暮らすために殺人者となる。僕が殺して欲しいからじゃなくて。あなたが僕の屍体を手に入れるために、僕を屍体にしたいから法を犯す!

 

 お母さんの屍体はあなたの苦痛に満ちた年月を終わらせたんですね。あなたにとって、屍体とは安心感と復活の象徴だと言っていた。僕を手に入れたあなたはもう苦しまなくていい。ぼくを探して苦しみ、見つけて苦しみ、失うことを恐れ苦しみ、嫉妬に苦しむその日々を終わらせられるんだ。そしてその後に、あなたは本来の目的である僕の屍体を愛で、美意識と嗜癖が思いのまま甘美に満たされていくのだろう。

 そう思うと、僕は以前と違った感情が湧き上がってきた。僕の身勝手な希死を、僕のために愛をもって叶えるあなたを絶対に罪人には出来ない。だが、あなたの狂った情欲と執着が僕を殺すなら、あなたが今すぐにでも僕を殺して罪人となっても僕は全く構わないのだと。だってあなたは“悪魔”と罵られた僕に釣り合う、ただの“人でなし”だから。

 

 それなら僕は、躊躇なくあなたに今すぐ殺されていい。

 

 寝室のドアの開く音がした。僕はまた眼を閉じた。この姿勢は僕の首を絞めて落とすのに最も適している。ああ、あの時みたいに、佳彦に差し出したみたいに、また誰かに僕は自分の首筋を差し出して、喜悦の声を上げて気を失いながら射精して果てるのか。最後のオーガズムの中で。

 足音が近づいてくる。僕はもうなにもしなかった。運命に抗うことはしない。だって僕はいつだって、誰かの言いなりでしかなかったのだから。

 

「ようやく、終わったか」

 

 頭の上で誰かの声がした。だが、それは清水センセの声ではなかった。息が止まりそうになった。この声を僕は“良く”知っている。

 

「え…?」

 

 咄嗟に声の方に顔が向いたとき、思わず声が漏れた。そこに居るはずのないその人が、僕を見下ろしていたから。

 

「なんで……? なんで!?」

「僕が、呼んだから」

 

 その声の後ろから清水センセが抑揚のない声で答えた。いつもの黒いスーツを着た幸村さんがそこに立っていた。

 




〈あとがきと近況〉

 ハロー、皆様。ハロウィンはいかがでしたか? 一夜開けて今日は紅茶の日でございます。ハロウィンにもかかわらずキリン堂薬局で100円で投げ売りされていた可哀想な日東紅茶のデイリークラブを身請けしてきましたので、Since1968年の歴史あるデイリークラブで紅茶の日をマッタリ過ごしたいと思います。まぁ、それはさておいて。
 僕止めの歴史上、今回のあまりの重大なシーンを書き込んでいるうちに日々が過ぎていき、気がつけば10月が終わりを告げておりました。まぁ仕方ないです。緊急事態宣言も解除され、仕事も忙しくなり、父親の三回忌も10月に行われたりと、公私共に慌ただしい日々でした。更にワートリ3期と無職転生と86の2期とか呪術廻戦の17巻とかが公私の隙間を埋めつつ、そこで渾身の山場回執筆。だが、よく出来たドラマは執筆の妨げにはならないのです。逆にガソリンです。秋アニメ&呪術廻戦で捗る筆よ。そして気温が寒くてしばしば死んだ10月。
 というわけで、少々遅くなりましたが、皆様ご閲覧ありがとうございます。
 
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