※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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טז.よくある妄想と斜め上の現実

 電話を切った僕は、しばし自分の取った行為、寺岡さんに電話するということ……正確には寺岡さんに助けを求めること、に圧倒されてその場から動けなかった。携帯が手と指に張り付いて取れない、と思ったら自分で握りしめていた。関節が固まるまで握りしめながら通話していたのだろう。しばらく手の開き方がわからなかった。

 それにしても巻き込まれた人からありがとうなどと言われても意味がわからない。人を欺くのが天性なのだろうか? いや、僕が寺岡さんを欺けることなどない。ではなぜ僕が受け入れられているのかがわからない。小さい裕が言うところの“退屈”が故なのか?

 

 そして思う。こんな人間がなんのために存在してきたんだろう、と。

 

 遠慮も危惧もかなぐり捨て助けを求めた。だが、ホッとするのかと思いきや、本当にこれで何かが解決するのだろうかという疑心暗鬼が霧のようにゆっくりと頭の中を覆っていく。漠然とした不信感。自分にも、世界にも。ホラー映画のお決まりみたいだ。安心するとよからぬことが起きるのだ。中学生の時に佳彦の居る図書館で借りた本で、『オーメン』というオカルト映画を脚本家がそのまま小説にしたものを思い出す。黙示録に予言されていた悪魔の子供が現代に蘇って次々と邪魔な人間を殺していくという話だ。僕の人生では邪魔な人間は一人しか居ない。僕自身だ。僕自身を殺させるために次々と罪人を産んでいく一風変わった悪魔が僕だろう。オーメンの主人公である悪魔の申し子ダミアンみたいに罪悪感など無ければ良い。さっさと自殺するし、躊躇なく清水センセに殺してもらえる。僕に良心など無ければ良かったのに。いったい僕の良心はどこで芽生えたのだろう? それが不思議だった。

 

 清水センセのことを思い出したら、段々と彼は今どうしているのかが心配になってきた。寺岡さんに電話する前の頭のおかしくなりそうな焦燥が消えて、清水センセに縋りたいという渇望も今は落ち着いているのだが、寺岡さんのお陰で少しだけ心の余裕が出来たらしく、自分のクライシスよりも他人の心配に目が向いたのは良いことではあろうと思えた。

 自分で決めたとは言え幸村さんと僕をふたりきりで送り出してから、実験の余韻の残るあの家で、清水センセは独り何を考えていたんだろう。救命道具を片付けて、コーヒーのマグカップを洗ってから風呂に入り、歯を磨いてベッドに入る……そんなことが手に着いただろうか? またあのソファでダンゴムシのように丸まって、幸村さんに嫉妬しながら僕達がしているであろう性行為を想像してパニックを起こし、震える指でソラナックスをいくつも口に押し込んでオーバードーズしているのではないだろうか? 可能性としてはかなり高い。それをわかっていて放置などするべきでないと、僕は今更ながらに気がついた。今、あの人にどうにかなられたら、僕の発作も何もかもが元の木阿弥となるのだ。

 いや、もしかしたらあの後、僕を乗せた幸村さんの車をこっそり尾行してきて、僕達がこの部屋に二人で入っていくところをあの夜のように見られていたのかも知れない。この可能性もかなり高いと言えた。そうなると、前回と同じく朝方か昼かわからないが、僕の部屋を出た幸村さんは、待ち構えていた狂気の清水センセにまた捕まった可能性すらある。ヤバい修羅場だ。だが、考えてみるとその可能性のほうが清水センセが不慮の事故で死んじゃう可能性が低い。全く本意ではないが、幸村さんが頭のおかしくなった清水センセをなんらかケア出来るそっちのケースのほうがなんと望ましいのだ。酷い話だ。

 そのとき、幸村さんは親切にも清水センセに、僕が死神から悪魔に降格されたことを報告するのだろうか?

 

 とにかく電話しなければ。僕の回答はそれ一択だった。僕には彼をおかしくした責任がある。責任などカケラも無い時点もあった。勝手に好きになって勝手にこじらせて勝手に探し回ってたんでしょ?と言えた地点がかつて僕らの間にも存在した。だが、僕は踏み込んでしまった。自らの渇望により、自らの意志で。渇望を交換した。あるはずの無い宝剣とその幻の鞘を。だから、僕らがその後の時間を濃密に過ごしたためにより狂ってしまった彼に対して、僕にはその責任がある。とはいえもう責任という次元ではないのかも知れない。互いの渇望を満たし合っていて、それが僕の発作を無くすことを実現している。こういう他者を“かけがえがない”と言ったりするのだろうか。そうであるなら、いつの間にか僕らはあれよあれよという間にそのような関係性になっていた。かけがえがないなんて僕の人生に必要なボキャブラリーではなかったはずなのに。

 

 時間は深夜のわずか前。電話するのに非常識じゃないギリ手前だ。とは言っても、清水センセから掛かってくる電話でたまに12時過ぎに起こされたこともあったので、貸しとしてあまり気を遣わなくても良いとは言える。明日は日曜日だし、まだ起きているだろうと高を括って電話を掛けた。一晩に二人の人に電話するなんて、僕にとってオーバーワーク過ぎるけど。

 ベッドに腰掛け、着信履歴を開き、清水センセの番号を押した。ほんの少しの間の後、呼び出し音が鳴る。仕事中以外はほぼ4コール以内で瀬水センセは電話に出る。

 

 1…2…3…4…5…6…

 

 僕は通話を切った。寝ているのかも知れない。眠剤を飲んでいたら起きないだろう。僕からこんな時間に電話が来るとも思っていないのだろうし、出ないのは当たり前か。だが、オーバードーズしてるとしたら? ソラナックスではODしても死にはしないし深く長く寝るだけというが、効き始めに夢遊病のように記憶が飛んでいて、起きたら身体中アザだらけだったとかいう人もいたりする。薬で致死量で死ぬわけではなく、ベランダから落下して死んだり、お風呂で溺死したりという死因もたまに仕事で見る。それは同じく清水センセもわかっているはずなのだが。しかし、精神的に追い詰められたところでそんな客観性は果たして生まれるのかどうか? この前の凍死自殺の人みたいに、この寒さで夢遊病のように外に出て倒れて眠り続けたら? 起こりうる可能性を考えるだけで、不安と心配が増大していく。いやいや、彼はドクターだ。しかも優秀なドクターなんだから、しかも警察医なのだから、その線引きは出来てるだろうよ。

 

 本当に? 自殺はしない、あの人は。でもうっかり事故死する可能性はある。いや、そこまでバカじゃない。だがしかし、あの狂気を自分で止められないことも起きうるのでは? ああ、もう、考えても始まらないんだよ! 確認できれば、彼がそこまでバカじゃないという言質が取れればそれで済むんだ!

 いつもならすぐ来るはずの折返しが来ないことが不安を増大させる。僕はもう一度電話した。呼び出し音が鳴る。

 

 1…2…3…4…5…6……

 

 出ない。やはり寝ているのか。いや、どんな可能性も有りうる…だって、あの日の、あの実験の日の出来事は解放も告白も分析もなにもかもが限界を超えていた。ひとつひとつどこを取っても筆舌に尽くしがたい。誰もがいつどんな精神状態になってもおかしくないと思えた。だって僕だって。気が狂いそうになって寺岡さんに助けを求めた。幸村さんですら、僕を抱いたあと一言も残さず部屋から消えてしまった。頭の中が妄想でいっぱいだ。雪の積もった庭でうつ伏せに倒れて冷え切った彼の姿、もしくは、階段から落ちて頭部が血塗れのまま床に倒れている姿。それらを頭の中から拭い去ることか出来ない。人の心配をしていた方が気が紛れていたはずが、電話に出ないだけのことがここまで不安で仕方無いとは!

 

 その時、いきなり電話が鳴った。ディスプレイも見ずに僕は通話ボタンを押していた。

 

「清水先生⁉」

「いや、俺だよ」

 

 しまった、と思った時はもう遅かった。

 

「…すみません…幸村さんでしたか」

「清水さんじゃなくてすまねぇなぁ」

「ええ…いえ、まぁ」

「どうした?」

「いえ、清水センセが心配で電話したんですが…」

「俺はお前が心配だよ」

「そうですか」

「声が聞けて良かった」

 

 気まずさか何かわからないが、僕達はお互いに黙った。実際心配されるのは正しかった。寺岡さんがいなければ、発狂していたかも知れない。その方が良かったのかも知れないが。

 

「その割には、珍しく何も言わずに居なくなってましたけどね、今朝」

 

 黙られても気持ちが悪いので、率直に嫌味を言ってみた。

 

「起きなかったんだよ、つついても、耳元で呼んでも」

「あぁ、そうでしたか」

「思わず脈と呼吸を確かめたぞ。怖かったな」

「それは……すみません。全く記憶にありません」

「いいよ、お前に謝られると耳が痛い」

「そんな軟弱な耳でもないでしょ」

「多少の嫌味が言えるくらいには戻ったのか」

「まぁ、いろいろ……あって。」

「後悔はしてないが……言い方ってもんがあるよな。すまない」

 

 そんなことを言われると、事実なだけにもう言えることもないような気になってしまった。何を言ったら良いのかわからないでいると、幸村さんのほうが口を開いた。

 

「発作とかじゃ、ねーんだな?」

「ええ。それはないです」

「そうか。ならいいや。あのさ、あのこと清水さんにも話した。清水さん今、ストーブの薪をガレージに取りに行ってる」

「えっ? 一緒なんですか?」

 

 生きてるんだ! 良かった……と僕は手放しでホッとしたかったが、僕の妄想には1mmも引っかからないシチュエーションに頭の中が同時に大混乱を来した。まず昨日の今日でなぜ一緒に居られるのかと驚いた。僕と寝てないとかウソついたのか? それとも、岡本を抱いたとかマウントを取りにわざわざ報告に? もしくは単に何も言ってないし、清水センセも聞けないという線もある。だが、あの話をしてるということは、僕を抱いたことを前提に話をしなければ通じないだろう。それともまた清水センセから幸村さんを呼び出したのか。

 

「清水さん居ないのにスマホが鳴ったからさ、2回も。着信見たら岡本だったから、思わず掛けちまった。いや、だってまた発作がぶり返してたらどうしようって思うじゃね?」

「呼ばれたんですか? それとも…」

 

 受話器の向こうからバタバタと足音がして、コンコロコンと木の打ち合う音がした。僕の質問に答える間もなく、幸村さんは受話器の後方に話し掛けた。振り向いたのか声が遠くなる。清水さん、岡本から電話来てたぞ。2回、ほら……

 もっと遠くから、えっ? という声がした。あいつ心配するから俺から電話したんだよ…とかなんとか答えている幸村さんの声も聞こえた。スピーカーがなにやらガサゴソ言ったと思ったら、いきなり声がした。

 

「裕くん!?」

 

 ようやく清水センセと繋がった。変な経路ではあるが繋がった。本人の声を聞いた途端ヘナヘナと緊張が解け、安堵でベッドに仰向けに倒れた。

 

「ええ、僕です。すみません。さっき先生のスマホに電話したんです。でも出なくて…出ないといろいろ変に心配になっちゃって。2回電話して。そしたら幸村さんから折り返しが来たんでビックリしました。あの人なんで居るんですか?」

「心配してくれたみたい。顔見に来たって。だから大丈夫だよ。裕くんも心配してくれてたの? 嬉しいな。電話出れなくてゴメンね。今日寒くて、うっかりして薪が足りなくなっちゃって取りに行ってたんだけど、間が悪かったなぁ! それより、大丈夫なの? 幸村さんから聞いたけど……裕くんのほうが僕は心配で…」

 

 聞いているうちに、状況の有り得なさで笑いそうになってしまった。三人がみな誰かの心配をしていて、その全員がどっか頭がおかしくなりつつあるのに。そしてなぜか笑う口の形になっているのに、そこからうめき声や嗚咽みたいなものしか出てこない気がした。

 

「話聞いたんですか…」

「聞いた。僕は……なんというか…その……わかってたっていうか…あまり驚きはしないかな」

 

 言いにくそうに、清水センセはそのことを僕に告げた。

 

「……なんだ……わかってたん…ですか」

「だって僕は、あの男に会ってるから…ね。君のこと悪魔って、何度も。話もほんとは支離滅裂で、聞いてるの苦痛だったし。でも幸村さんの話聞いてて、なんかその時のこと思い出しちゃった」

「幸村さん、変だったんですか?」

「変…というか、珍しく動揺してたかな。もちろん、君を傷つけたってことにね。僕が心配で来たのもあるんだろうけど、自分のしたことを吐き出したかったのかな…まぁ僕にしか言えるわけないから良いんだけど。でも、スゴいな、幸村さんは。自分に不利な結論もごまかさないで俯瞰してるよね。そういう意味ではあの卑怯な道化師も頭は良かったんだって分かったよ。同じ結論。でも結果は大違い」

「みんな、もうわかってたって、ことですか……」

「そうだね。でもそれは、当事者もとってもとってもツラいってことも…ね……自分のせいで誰かが狂っていくのを…見てるだけで……止められないのも…さ」

 

 ああ、それはあなたの実感なのか。見たこともない清水センセの母親が脳裏をよぎった。彼のツラさと自分の罪がかぶって、それをこんなに簡単に共有してもらえるという安堵で、止める間もなく涙がポタポタっと膝の上に落ちた。

 

「怒り、憤怒っていうか…僕は自分の後ろめたさを感じたくなくて…昨日までは思い出の中の母に怒りだけを感じてた。というか…後ろめたさなんて思い出さなかった。自分が恐れ慄いてたことなんか、思い出せないようにしてた。母に怒られないように媚びて、なにかっていうと抱きついて…抱きついて見上げてにっこり笑って……祟り神の生贄みたいにね。そういう媚態があれを引き起こしたんじゃないかって。あの女にそう言う行為を許したのは」

「先生、幸村さん、聞いてるんじゃ…」

「いい、それはもう。セックスにトラウマがあるって話はしてる」

「あんなに嫌がってたから…」

「うん、イヤだったよ。だって話そうとしたらどっかで思い出してしまうじゃない? あの女が僕にしたこと、それ以上に、僕が無意識に誘ってしまってたからこんなことになったんだって……どっかで怖くて怖くて自分が気持ち悪くて死にそうなのなんか絶対に思い出したくないじゃない!?」

 

 同じ嫌悪感と同じ恐怖が再びそこに広がっていた。清水センセ、そんなのつらすぎる。小学生の子が、母親から性的虐待を受けながらそんな罪悪感を抱えたら心が壊れて、壊れた瓦礫の山に押し潰されて……死んじゃうよ。

 だからこの人はこんなにおかしくなってしまったんだ。だから。

 

「先生は悪くない。先生のせいじゃない!!」

「そう思いたいよ…僕だって…許されたいよ……でも僕はその上、母の死を開放だって安堵に打ち震えるくらい…望んでたんだ。だから幸村さんから君が死神じゃなくなった事の顛末を聞いて、僕はこの気持ち悪さを思い出さずにいられなくなった! ママが好き、ママ大好き、ママのことずっと好き! 僕、ママのこと…お嫁さんにするって……あの女の怒号と監禁の恐怖と孤独に怯えながら、機嫌の良い母に抱きついて言うんだ。この恐怖から逃れたい一心で! その女が僕を弄びながら言うんだ。大好きなのよね? お母さんと結婚したいのよね? 結婚するとこんなことするのよ。ね? 気持ちいいでしょ?」

「先生のせいじゃないです」

「同じことを君に言ってそれが受け入れられたことなんか一瞬たりとも無い!!」

 

 清水センセは叫ぶようにそう言った。そしてそれを覆うようにそっと呟いた。

 

「そりゃそうだよね……僕だって……許されるなんて思っちゃいないさ。だから君も、いつもそうだった。それがさっきわかったよ」

 

 清水センセは大きく息をついた。

 

「セックスを求めていないけど、逃れもしない。あの女が僕を辱めてから、僕は全く怒られなくなった。成功だ。これを続けていれば、この気持ち悪いサバトを持ちこたえていれば、僕はもうあの恐怖を味合わないで済む。でも、どっちが辛かっただろうね? 恐怖と絶望を天秤にかけたら」

「もう、やめて下さい。先生がつらすぎる」

 

 こんなひどい話を、僕のためにしてくれていることはわかっていた。もう充分だ。

 

「いいや、君がつらいほうが僕はいやだ。君のためなら僕は心が砕けたって良いんだ。君にだって理由がある。人の心を失いかけるほどの深い絶望があったんだ。それを理解して欲しい。僕も自分のそれを理解できるようになろうと思う。でもね、君が自分のこと、死神だって言おうが、悪魔だって言おうが、僕がたとえ君にたぶらかされていたとしても、僕はそのことが救いであり人生最大の感謝なんだよ。ねぇ、聞いて? 僕はね、恐怖と孤独から逃れるために自分の血の繋がった母をたぶらかして、近親相姦の罪を犯させて、その母の死を望んだんだ。僕が殺したようなもんだ。そして望み通り死んで……嬉しかった。屍体の母なら僕は愛せた。これが本当の悪魔なんだよ?」

 

 そして、ハハッと笑った。僕はゾッとした。

 僕は思い出していた。僕がさっき願っていたことを。彼のことを同罪であって欲しいと。そして願わくば、同じ悪魔であって欲しいと。一緒に腐り堕ちてあなたもダメなどうしようもないこの世にいちゃいけないような凶器だったらいいのにと! 破滅的な願望が叶った時、それを求めていなかったことに気づくのだ。こんなにも残酷で非道なことを願ったのかと。また同じだ、何度でも僕はこの人に同じ過ちを願い続ける! 殺してくれ、犯罪を犯してくれ、それでも反省したつもりでいた僕は、再び気が狂うと自分の利己的な渇望しか見えることはない!

 

 そして思う。こんな人間がなんのために存在してきたんだろうと。

 

「電話なんかで話す話じゃないね。でも、今、言っておかないと、君が泣いてるんじゃないかって思って。自分を責め続けて。それは、やだな」

「ずっと、わかってたんですか…」

「わかっていたような忘れてたような……でも言葉にしたのは初めて。でも裕くんの役に立つか全然わかんないな。気持ち悪い話して、聞きたくなかったかもね。ごめん」

「違います。謝んないで下さい。苦しんでたんですね、先生も。自分を責め抜いて。被害者なのに」

「ああ、うん。そう…かもね……」

「もう、やめませんか…」

「君がやめるんなら」

「それは無理です…僕は許されるような人間じゃない」

「じゃ、僕もやめられない」

「そんな!」

 

 僕がそう言うと清水センセはため息をついた。

 

「まぁ、そうだよね。そんなすぐやめられるもんじゃないのは、僕もわかってるよ。だからさ、約束して? 今は無理かも知れないけど、いつか、この罪悪感を捨てるって。僕もそうするように努力するよ。そのために話したのかも。そうだね、そのためか。ほらね、結局君は僕のことを救うんだ。天使なんだよ。ほんとうに」

 

 人の愛情に触れ、自分の卑劣さが浮き彫りになる。この人は一緒に堕ちようなんて言わないのだ。僕の悪魔は本物なのだ。救われる資格がない。

 だから、と、僕は思った。この人が救われるために、ウソでも“YES”と言うべきだと。僕は救いようがないが、この人は僕がウソをついてでも救われるべきであると。悪魔は欺瞞などお手の物ではないか。

 

「わかりました」

 

 しばしの沈黙の後、僕は彼の提案に肯首した。すると清水センセが電話の向こうで申し訳無さそうに言うのが聞こえた。

 

「あ、これ幸村さんのスマホだった。ごめんなさい」

 

 うっかり、ずいぶん長電話をしてしまった。向こうで幸村さんが、いいって、気にすんなとか言っている。幸村さんは今の話を聞いてしまって、どう思っているんだろう。僕とはまた違った清水センセの凄惨なトラウマに、こんな事態になったことを納得するんじゃないだろうか。優しくしてあげて欲しい。僕より愛情深い幸村さんは僕より愛情深い清水センセを慰めてあげられる。

 

「そうでしたね。それでは心配も一応解消したので、そろそろ風呂に入って寝ます。幸村さんによろしく」

「替わらなくていいの?」

「ええ。あの人は丈夫ですから」

「まぁね」

 

 すると、急に幸村さんの声が聞こえてきた。

 

「おやすみくらい言え」

「あ、ええ。おやすみなさい。今日は、あの、清水先生のことありがとうございました」

「いいって。俺も…反省してるんでな」

 

 幸村さんはいつになくきまり悪そうに小声で答えた。

 

「なにに?」

「だから……今朝の」

「ああ、いいです。事実ですから。あの、清水先生が眠剤飲み過ぎないように注意してて下さいね」

「わかってる。心配するな」

「あ、そうだ、聞いてもいいですか?」

 

 僕はようやく原初の妄想の事実確認を思い出した。

 

「なんだ?」

「僕達が夜中に帰ってから清水先生は大丈夫だったんですか? なにか聞いてます?」

「疲れ過ぎて片付けもしないで、寝間着にも着替えないでそのままベッドに入って寝たって。岡本のことも心配だったけど、俺が見てるから良いかって、爆睡だと」

「そこは信頼されてるんですね」

「有り難いことに、な」

「じゃ、もういいです。おやすみなさい」

「じゃな。ちゃんと寝ろよ」

 

 微妙な関係の二人を置いて、僕は通話を終えた。終わったあと、自分の妄想がまったく無駄だったことと、清水センセの話の深刻さに呆然としていた。

 まさか、幸村さんが清水センセの心配をして見に行っていたとは思わなかった。この二人の関係性は危なっかしいのかそれなりのバランスがあるのか本当にわからない。わからないくせに、監視も案外良いものかも知れないと勘違いしそうなくらい僕は安堵した。寺岡さんのことは言うタイミングも言う決心もなかったが、今はまだそのタイミングではない。話し終わって気がついたが、寺岡さんにしろ清水さんにしろ、みんな自分も悪魔だったと言って、僕を慰めてくれる。人とは愛情深いものだ。自分の闇を他人のためにさらけ出せるなど、僕には計り知れない。

 そう考えてみると、幸村さんという人は実は普段の行動や主張や要求が自分本位過ぎて隠そうともしないのは、罪悪感を感じる発想がないということなのかな、と思った。警察署のタイヤ置き場事件を思い出す。あんなこと普通は出来ない。そして不法に監禁して手錠で拘束した人間にあんなタイミングで告白することもフツーは無理だ。そしてその後思うままに激しく犯された。よくよく考えてみれば、悪魔じみていると言えなくもない。同僚や関係者から恐れられるのも容易に理解できる。どのような自分にも正直なことの暴力性と、その強欲さを許していることの勇気を同時に感慨深く思った。その中核にある自分の中の絶対的な善を信じ切っているからだろう。そしてそれを上回る自分の自己中で利己的な性質に絶望を感じた。僕はこんな頑丈な人間もやろうと思えば打ち砕ける。事実、打ち砕きかけていた。

 

 それにも負けずに、幸村さんには近いうちに寺岡さんに助けを求めたことを言わなければならない。そして、寺岡さんの手駒として働いてもらわねば。期せずして、今日の電話のお陰で、今まで頑なに掛けることのなかった、そして登録しなかった幸村さんの電話番号が、僕の携帯に再び履歴として残った。僕は仕方なくそれを電話帳に登録した。

 

 幸村浩輔

 

 今更ながら。もう発作も起きなくなったのに。

 変な感じだったが、言い知れぬ敗北感と、意味不明な安堵感が僕の気持ちに同居していた。ところで考えてみれば、僕は一晩で3人の人間と電話したんだなぁ。そんなことを思っているうちに、いつの間にか僕も寝落ちしかけていた。安堵と絶望。薬にしたら死んだように眠れるはずだ。もう二度と意識が戻ってこなきゃ良いのにと、遠のく意識の中でいつものように思った。

 




〈あとがきと近況〉

 久々に体調悪い1ヶ月でした。皆さまお久しぶりです。どうにかUP出来ました、病弱愛好家(もしかしたら俺はミュンヒハウゼン症候群なのではないかとあとがきのたびに恐れ慄く変態物書き)もだいぶしんどくなってきた今日この頃ですが、良い(そこそこ痛い)治療法が見つかったお陰で、なんとか楽しく書けております。流行り病ではありません。そうそう最近、チェリオのCBDXドリンクを週1くらいで飲んでます。身体の変な痛みが消えたり、意識が横長に伸びる感じでトローンとしてきて、私にはリラックスして良い体感です。キマリはしません。高いからそうそうは飲みませんが。チェリオも尖ってるなー。自販機で売るしなー。あとは具合良くなってきたので、キリンのグリーンズフリーが好きでよく飲んでます。酒は弱いですがビールの味がめちゃくちゃ好きです。苦いものが好きです。恵命我神散とか。ゴーヤとか。ですからアルコールフリーのビールが出たときには快哉を叫びました。冷蔵庫に入れず、室温でドイツ人のように生ぬるいのを飲むのが美味しい。夏の炭酸はグリーンズフリー一択でしょう。他のメーカーは合わないので飲みません。是非、キリンの社員の方はこれに気づいて一箱送ってきたら良いんじゃないか? まぁもう夏も終わるし、涼しくなったら熱いミルクティを飲みますけどね。いや、真夏でもチャイ煮て飲んでたな。基本、夏でもほぼほぼ温かいもの飲んでます。グリーンフリーは例外。

 では、ご閲覧ありがとうございます。
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