僕の発作がただの生理現象となり、死神が悪魔となり、再び小さい裕とともに暮らし始め、再び寺岡さんがこの戦場に参戦し、そして年の瀬となった。実験の日の前後の強烈な数回のショックと共に人生の基盤が信じられないくらい激変していた。そんな時期、取り敢えずしばらく離れてろと言わんばかりに、三人とも誰かに会っている暇などないくらいの鬼のように忙しい年末を迎えた。まぁ、毎年だけど。今年の堺教授は寒さと過労で坐骨神経痛になり、必然的に僕の仕事が増えた。屍体と一緒に居られる時間は苦になるはずもないが。
大晦日とかいう概念は僕にはない。それは単なる12月31日でしかなく、次の日は正月ではなくただの1月1日だ。僕にとってそれは月日がリセットされ年が更新されるカレンダー上の特異点だった。
警察官も医師も毎年この季節は朝から晩まで忙殺される。そこに深く関わる法医学者の僕も例外ではない。今年はまず、大雪でコントロールを失った車による轢き逃げ事件の屍体が連続で担ぎ込まれ、更に忘年会でのアルコール中毒死と、泥酔からの用水路転落事故死と、酔った勢いでのケンカでの傷害致死がそれに続いた。そして最後にはとうとう交通事故とアルコールの2つが融合し、飲酒運転でドライバーがハンドルを切り損ない、泥酔した人間を轢いてガードレールに激突して、法医学教室に屍体が運ばれることとなった。だが、多忙過ぎる故にか警察情報が錯綜し、連絡では轢死者の遺体と言われ、書類ではドライバーの遺体と書かれており、どうやら病院では轢かれた被害者は重傷だが存命で男性だとのこと。運び込まれた屍体は女性である。警察が再確認したところ、ドライバーは女性で、その女性がこちらに運び込まれてきた屍体であると分かった。
なぜそのようなことになったかというと、ことの発端は冬の日本海沿岸名物『冬季雷』である。普通太平洋側では雷は夏の風物詩だが、日本海側の地域は冬に雷が多発する世界でもレアな地域らしい。しかも夏の落雷の100倍の威力がある。威力が100倍のため一日一回しか落ちない。つまりどこぞのポンコツ魔女の爆裂魔法並みにリキャストタイムは24時間、である。高威力の落雷が原因で送電線がやられ停電が起こることが多いが、それがこの事故日の前に久しぶりに起きていた。
その日の夕方、僕が職場で書類を書いていると、バリバリと寒気を切り裂く轟音が突如鳴り響いた。大学も僕のマンションも大丈夫だったが、街の北側の落雷周辺では停電が起こって幹線道路の信号機が広範囲に点灯しなくなり、年の瀬の夕方のラッシュで大渋滞となり、各所の交差点の交通整理で交通課の警察官が出払ってしまったということだった。交番でも先輩が交通整理に呼ばれ、新人警察官の立番中に例の飲酒運転事故が近くで発生した。現着していた新人巡査と交通捜査課の間で伝言ゲームみたいな伝達ミスが行われたようで、先程の情報錯綜となったらしい。
幸村さんは年の瀬の喧騒を狙った連続ひったくり犯と連続放火犯を同時に追っていた。ひったくりはナンバープレートを隠したスクーターで背後から肩に掛けたバッグを奪い取る手法だったが、抵抗した被害者が肩を脱臼したり、高齢の女性が転倒して骨折したりと、既に盗難のみならず何件かの傷害罪も加わるような事件になった。
放火は不幸中の幸いか死亡者はまだ出ていなかったが、ボヤで済んだ家、全焼、そして半焼と3件連続で起きて、一酸化炭素中毒で病院に運ばれる人も居た。地域はバラバラで、目撃情報が極端に少なかった。放火は今は止まっているようだが、また再開されるかも知れず、警戒が解けない状態が続いていた。そして冬によくある普通の失火が混じり合い、管轄区域の消防車の出動回数は増える一方だった。
管轄内は混沌とした状況が続いていたが、人通りの少ない駅裏で主婦からバッグを奪い取ったスクーターの男を、偶然通り掛かった空手部の大学生が果敢に体当たりしてスクーターごと転倒させ、そのすきに主婦が通報したため警察はようやく連続ひったくり犯を逮捕出来る運びとなった。だが放火犯は未だに尻尾を掴めなかった。
清水センセはというと、死にかけた人間を死なせないための世話でてんてこ舞いしていた。冬に多い脳梗塞や脳出血や心筋梗塞の詰まったり切れたりした血管をひたすらバルーンやステントで治療し続ける毎日。勤務時間内、時間外、分け隔てなく緊急の処置で病院に呼ばれ続け、その間に次々やってくる交通事故や飲酒関連の検死に呼び出される。こちらも寝る時間なんかないというような状況だったが、そこをくぐり抜けて清水センセは毎晩僕に電話を掛けてきた。
「……でもさ、あんまり生きている人を処置してるとなんで救命しているのかわからなくなりそうで怖いんだ」
「そりゃそうでしょう。僕はストレスで出来ませんよ。読影だけやるのはダメなんですか?」
「ダメ。お金は要るでしょう? 君が持ってないからなおさら。裕くんを守るためなら良いんだよ。良いんだけど……なんと言えば良いんだろう……錯乱しそうな恐怖感っていうの?」
「いや、あの、無理しないで下さい。ほら、お金ならお父さんの遺産があるって」
「あ、そういえば裕くんに100万渡しとかなくちゃ。忘れてた」
「いや、それは勘弁してくれませんか」
「裕くん気にするからあげないよ。預かっといてってこと。うふふ…いっぱい預けちゃおう。下手すると逃亡中に僕の口座が凍結されたりするかも知れないし。なるべく現金化しておかないとね。協力してよ」
「それは…そうなんですが…」
「あぁ……裕くんの声だ。ずっと聞いてたい」
「こんな声のどこが良いんですか」
「うっとりするほど生気がなくて、なんていうか…聞いているだけで自分を取り戻せるなって」
「見失うの間違いでは?」
「間違うことなんかないよ。やっぱり死体は僕を僕自身に引き戻してくれるんだよ。だから検視があってほんとに良かった。死体を見ていると発狂しないで済む。明日もまた電話に出てね。お願い」
日々の電話を聞いていると、もしかして清水センセはまだあの性的虐待と死という解放を患者と死体の間で日々繰り返してるんじゃないだろうか、そんな考えが浮かんでくる。発狂しそうになるのは、治療の形式が無意識下でセックスの記憶と繋がるのではないだろうか。もしくは、同じような病気で亡くなったお母さんが生き返ってしまうかも知れないという恐怖。検視で自分を取り戻すのは、他人の死体を通じて無意識下では常に母親の死体を見ているからではないだろうか。それは僕にも投影されていると思われる。それは結局、母親から愛されたいという渇望だと思うと、僕を愛しているというのは清水センセの錯覚のようにも思う。しかしそれも僕の単なる想像に過ぎない。
そんな12月31日の夜の10時過ぎ、1本の電話が掛かってきた。清水センセではなかった。
「岡本ですがなにか?」
「お、出たな」
あの電話以来の幸村さんだった。
「死んでませんよ」
「死んでてたまるか」
「生存確認じゃないなら何か用ですか?」
「下まで来てるから。降りて来れる?」
「え」
「路駐してるから」
「逮捕状あるんですか?」
「逮捕しねぇよ! バカかボケかわかりにくいんだよ」
「じゃあなんですか」
「ちょっと会いたくなったから2時間くらい付き合え」
「忙しくないんですか?」
「忙しいよ。お前と大晦日に10時過ぎからしか会えないくらいには」
「大晦日だからでしょう」
「まぁな」
「仕事中じゃないんですか?」
「俺は2日の出勤当番だから1日は休みだ。さっき仕事納めしてきたんだ」
「ああ、お疲れ様です」
一体何が目的なのかさっぱりわからない。
「なんか用でもあるのか? 清水さんとこにお泊りか?」
「先生は病院に救急で呼び出されてるらしいです」
「大変だな。連絡有ったのか?」
「ええ、毎日。今夜も動脈瘤の緊急処置とか言ってたかな。今年は病院で年越しだって、さっき電話でぼやいてました。さすがに可哀想です」
「医者も警察も可哀想だなぁ。じゃ、法医学者はどうだ?」
「夕方まで仕事だったんで、疲れてますから寝ようと思ってるんですが」
「法医学者も可哀想組だな。明日は出勤か?」
「いえ。一応三日までは休みです。呼び出されなければ」
「そっか、じゃ、初詣行こうや」
「はぁ?」
いつもの如く斜め上の提案に、僕はものすごく怪訝な声で聞き返した。
「いや、初詣だよ。電波悪いのか?」
「なんで僕と? まず、行ったことないですから」
「じゃあ、尚更だ」
「行って何になるんですか」
「俺が楽しいだろ」
「ああ…」
呆れてその後の返す言葉が見つからない。
「おいおい、この状況で神頼みでもしなくちゃ、この先なんにも進まねぇぞ? この前のことだって、あれ、結局岡本がコイントスでご神託したからああなったんじゃねーの?」
悔しいが、その一言は確かに的を得ている。
「岡本は死神信仰はあんのに、普通の土地神様は信じないのか?」
「それとこれとは別です」
「早く降りてこい。そんな遠くないから」
「いや、あの……はぁ…」
僕は面倒臭さにため息をついた。すると、小さい裕が僕にせっついてきた。
(いこうよ。ゆきむらさんにはなすことあるんだよ? わすれたの?)
小さい裕の言う通りだった。どのみちこちらから連絡しなければならないのだ。偶然にもその機会を向こうから作ってくれたのだから、小さい裕の言う通り僕はこの誘いを受けた方が実はあとあとの面倒さがないのだった。仕方なく僕は言うはずじゃなかった回答を告げた。
「2時間だけですよ」
「おおーそれでいいそれで。早く降りてこいよ」
「着替えますので、五分くらい掛かります」
「オッケ」
(わーい、よかったね! これでおはなしできるよ)
ダッフルコートとスノーブーツを装備し、心地よい寒さの中へ出ると、いつものシルバーのワゴンがマンションの前の道に停まっていた。どこからか除夜の鐘の音がする。助手席を覗き込むと幸村さんが気づいてドアを開けてくれた。僕はそのまま中に入った。仕事から直行なのか、幸村さんはいつもの黒いスーツにコートを着てまだネクタイを締めたままだった。
「いつぶりだっけ? ほれ、シートベルト」
「ああ、はい」
「あの電話が最後か? 清水さんちで話した」
「そうかもです。強行班の屍体はここんところ無かったし」
「まぁありがたいことに、だけどな」
予告もなく車が走り出す。どこに行くのだろう?
駐車場に車が停まると、すぐ前に雪あかりにこんもりとした杜のシルエットが浮かんでいるのが見えた。場所はよくわからない。僕の家から車で10分ほどの距離だった。どこからか川の音がした。幸村さんの後ろから雪を踏みしめて明かりの方に歩いていくと鳥居の手前からテキ屋の出店が並び、境内にはまばらに人がいる。
「秋葉さんだ」
知り合いの名前を教えてくれるような感じで、幸村さんは神社の名を教えてくれた。
「初めて来ますが」
「俺は放火犯が出ると、ここに来る。ここ、火伏せで有名な神様な」
「ヒブセ、とは?」
「防火の神様ってやつ。おいおい、まず鳥居くぐる時、手前で頭下げろ」
雪のかかれた参道を歩きながら幸村さんは初めて神社に参拝する僕に作法と知識を披露していく。その息が白い。見上げると久しぶりに雪空ではなく、キンと冷えきった空気の中、雲のない夜空に冬の大三角形と三日月が煌々と光っている。手水という場所で手を洗うんだとかなんとか。センサーで自動で水が出てくるようになっている。神社も進化するものであろう。氷点下の中、氷水のような冷たい水を柄杓で掬い、指先を洗った。凍って管が破裂しないのかと心配になる。
「防火もだけど、厄除けとか開運も良いらしい。岡本にはそっちだな」
「ええ、まぁ…」
「賽銭あるか? 財布持って来てんの?」
「ありますけど……でも、あの、まだ新年になってないんですが。これからここで0時になるまで待つんですか?」
「今日は二年参りって言ってな、大晦日のうちに1年のお礼をして、そのあと年越して1月1日になったら新年の挨拶をするんだ」
「そういうもんなんですか」
「いや、新年明けてから初詣に行くやつの方が圧倒的に多いわな。うちの実家はずっと家族で二年参りしてたから俺はそれが普通」
「僕の実家は初詣をしなかった気がします」
「へぇ、興味ないから忘れてるだけなんじゃないの?」
本殿の前まで来ると幸村さんは一礼した。そして数段ある木の階段を上がり、財布から千円札を取り出すと、折りたたんで木の箱の中に入れた。僕も後ろから幸村さんの真似をして一礼し、階段を上がり幸村さんの隣りに立つと100円玉を箱の中に入れた。中でチャリンと音がした。太い綱が本殿の入口付近に下がっていて、なぜか幸村さんはその綱を掴んで左右に振った。突如ガラガラガラとデカい音がして驚いて首をすくめると、幸村さんが僕にもやれと言ってきた。
「ほら、これ振って。鈴鳴らすの」
幸村さんが綱の上を指差すので見上げると、そこに大きな銅色の塊が括り付けられていた。
「なんですか? あ、大きい鈴ですか? アレって」
「ほんとにお参りに来たこと無いんだな。アレを鳴らしてケガレを祓うんだと」
「あんな大きな音をさせないと効果がないんでしょうか?」
「いや、音がすればいんじゃね?」
「はぁ」
大きな音が嫌いな僕は仕方なく一回だけ綱を横に引いて、コロコロと鳴るのみに留めた。鳴らした鈴のその上に目が行くと、額が掲げてあって、大きな字で『秋葉神社』と書いてあった。あきばとは秋葉原の秋葉なのか、と気づき、秋葉神社と秋葉原は一体関係があるのだろうかなどと関係ないことが頭の中をよぎった。
「ささやかな音だなー。ほれ、今から参拝するからちゃんとお礼しとけよ。1年ありがとうございましたって」
「あの、僕はこちらは初めてなんですが…」
「神様なんてどうせ全部つながってんだから、この前のご神託のお礼を言っとけよ。お前は自分で決めないで丸投げしたんだから。俺はもちろん、あの時岡本を抱かせてくれて感謝しますってお礼するからよ」
あのコイントスの回答が正しいか間違ってるかはこの現在の事態においてはとんと判断がつかない。だが、丸投げしたのは事実だった。どの神様に訊いたのかはすこぶる曖昧ではあったが、サンタ・ムエルテの祈願でも言われているように、神への願いに対するお礼は十分にせねばならないというのは、多分どの神様でも同じだろう。少なくとも死神の呪いが解けて、僕が悪魔として認知されたことは一見最悪なことに見えるが、最悪だからこそ事態が寺岡さんを巻き込んで動き出しているのも、長い目で見れば解決の一端となっているかも知れなくて、それならこちらの秋葉様という神様に、僕に神託をくれた神様に感謝を伝えてもらったらいいのだろうとそう思うことにした。なにしろどう考えても、それ以外思いつかない。
そのようなことを整理しながら考えていると、黙った僕をいつの間にか幸村さんが覗き込んでいた。
「俺は本当にありがたく思ってるんだぜ……お前は迷惑だったかも知れないけど」
「いえ、考えてるのはそこじゃないです」
「あっそう」
「結論から言いますと、お礼を伝えてもらうようにこちらの秋葉様に頼みます。えっと、ご神託の神様に伝わるように、よろしくお願いしますって。ダメですか?」
「まぁ、良いんじゃないの? そんじゃ、二拝二拍手一拝。俺の真似して岡本もやるんだぞ」
「ああ、ええ」
「そこで手を合わせてお礼な」
二人で手を合わせた。さっき整理した事項を心の中で反復した。そして用件をお願いした秋葉様にもお礼をした。
「終わりました」
「お辞儀しろな」
「あ、そうか」
最後に一礼して、僕たちは本殿をあとにした。
「今、11時5分前だから、新年の挨拶まで1時間くらい車の中で待つぞ」
腕時計をチラ見した幸村さんは新年のカウントダウンの宣言をした。寺岡さんの話をするのにいい感じの待ち時間があるな、と僕は思った。どう話そうかなどとという考えはまだ浮かばない。だが、僕がしどろもどろでも話し始めたならば、幸村さんの事情聴取能力でどうにかなるだろう。
「わかりました。えっと、僕もお話があります」
「え? 話し? なになになに? 珍しすぎてなんか怖ぇな!」
「怖くはないです」
「腹減ってない?」
「いえ。別に」
「あっそう。コンビニ行って温かいもん買おうぜ。話はそれからだ」
コンビニの駐車場に車を止めて幸村さんが寒そうに店内に行って帰ってくると、僕に温かいペットボトルのお茶をくれたあとコーヒーをホルダーに置いて、自分は肉まんを食べ始めた。
「で? 話って?」
「はい、実はこの前、うちに来た幸村さんが帰ってから、あれから本当に煮詰まりまして……えっと、頭がかなりおかしくなる程度には煮詰まりまして…」
「まさか死にたくなったとかじゃないだろうな?」
「思いましたよ」
「バカっ! 死神じゃなくなったのになんでお前が死ぬ必要があるんだ!」
「結局僕は、心の底では誰かの幸せなんか望んじゃいないってわかったし、殺されたいって欲望に塗れた犯罪者製造機なんです。そんな人間いないほうが良いです」
「だぁからよぉ! そんなお前だったとしても良いから生きていて欲しいって皆ぃんな思ってるんだぞ? わかんねーのか、そもそもそこがさ!」
「えーと……ですから、今のは前置きで、ここから前向きな話です。死にたいのは変わりませんが、死にたいとかの話をしたいんじゃないです」
僕がそう言うと幸村さんは、食べかけの肉まんを持ったまんま、驚いた様子で僕の顔をマジマジと見つめた。
「そんなセリフ、初めて聞いた」
「そうですね。僕もそう思います。あの、小さい裕って覚えてますか?」
「あ? ああ。最近も久々に出てきてたヤツだろ? 人格乖離みたいな」
「今も、ずっと一緒にいます。幸村さんから悪魔って見破られてからずっと」
「待てよ……おい……そしたら岡本、お前……」
「自分が今までしてきたことに押し潰されそうになって、あなたがた二人に一線を越えさせて、その結果が悪魔の所業だなんて……幸村さんに抱かれたあと寝て起きたら、正直、何もかもがどうでもよくなってしまって……」
「煮詰まってるどこの話じゃねぇぞ! お前それは……壊れてる……ってことじゃねぇか…」
「ええ。壊れてます。というか、もうずっと前から壊れっぱなしなんですよ。小さい裕は僕の奥に居て、僕は蓋をして出してあげなかっただけで」
「俺のせいか……」
そう言いながら幸村さんはハンドルに突っ伏した。食べかけの肉まんは紙包みごとダッシュボードに転がっていた。
「キッカケではありますが、幸村さんのせいではないです。逆に良くぞ突き止めてくれたっていうか」
「……お前がこんなになるなら、それはダメだ」
「違いますよ。小さい裕は幸村さんのこと、優しいって言ってましたよ。わかってくれたって」
「そんなこと……言わせたのか……俺は…」
「まあ、聞いて下さい。それであのあと、今までにないほどの自暴自棄になりました。どうでも良いって。清水センセに殺されちゃえっても思いました。でも僕、そのあと例の東京の教授先生に電話したんです。これが本題です。だからあの、そういう罪悪感要らないんで、マジで」
そのことを聞いた幸村さんはいきなり顔を挙げた。
「教授先生って…堺先生じゃなくて、東京の? あの人類学かなんかの大学教授か?」
「ええ、寺岡さんっていう」
「ああ、覚えてるぞ、お前の元カレの小島って人の今の彼氏だよな。殴られて喜んでるドMの」
「よく覚えてますね。そのドMの教授に相談しました。小さい裕が、本当のことが知りたいっていうので、母に僕の出生のこと聞かないとならなくなったので、母から情報を引き出せるのが策士の寺岡さんくらいしか思いつかなくって」
「岡本……お前、SOS出せたのか?」
幸村さんの目が見開かれていた。ふざけた感じは全て消えていた。初めて聞くような声だった。
「はい。もう、小さい裕が怨霊みたいな声で僕に叫び続けるんです。それでもう耐えられなくなっちゃって。小さい裕が寺岡さんは母と仲が良いし退屈してるからお願いすれば喜んでやってくれるって」
「そんな正確な判断すんのか、小さい裕は」
「そうですね、いつも実も蓋もなく正確です。で、呪詛に耐えられなくなって電話したらつながって。話をしたら、喜んで引き受けてくれて。逆になんか、申し訳ないと言うか……」
「小さい裕の…言う通りにしたんだな…そうか……そうなったんだ……」
なぜか幸村さんの声がかすれていた。
「ええ、そうですね。で、話の成り行きで寺岡さんに幸村さんのことも話しました」
「まぁ…そうなるか…俺のこと……教授先生に言ったのか…」
鼻をすする音がする。寒いのかと幸村さんの顔を見ると、右手で目を押さえて俯いていた。まさか泣いてるとか? なんでそんなことに?
「エロ発作を解消してくれるゲイの敏腕警部補という紹介で……あの、もしかして泣いてます?」
「お前も小さい裕と同じで……たいがい実も蓋もないな…なんだその…ゲイの警部補ってよ……」
ふざけようとしてもごまかしきれない少し震えた声。本当に泣いてるんだ、幸村さん。
「あの、どうしたんですか? 寺岡さんにヤキモチ焼いてるんですか? 泣いてるようにしか見えないんですが……」
「ああ…泣いてるよ……お前が誰かにちゃんと……ちゃんと助けてって言えたのが…嬉しすぎて泣いてるんだよ…」
「そんなことで?」
「そんなことじゃないんだよ、これが。お前が誰かに助けを求めたことが今まであったかよ?」
そのことが泣くほど嬉しいというのが僕の理解の範疇を超えている。
「ないと思いますが、すみません……わかりません」
「そっか、お前にはわからないか……まあいいさ、俺の真実望んでたことが起きたんだ。今年の大晦日は俺にとって特別な日になっちまったなぁ。泣くぐらい良いだろ? 俺の爆破型の地雷探知機が今度ばかりは役に立ったのか…ほんとはピンチなら俺を呼べって言いたいけど…まぁもう誰でも良いや。清水さんも寺岡さんもお前から信用されてるんだな」
ほんの少し恨み言を混ぜながら、幸村さんは泣きながら笑った顔になった。そしてスーツからポケットティッシュを取り出し2枚ほど引き抜いて両手で目に当てた。
「その清水先生も寺岡さんも幸村さんのこと随分信頼してるみたいですけどね。寺岡さんが見た目も含め気になるということで、ぜひ一度会いたいそうです。情報共有したいとか言ってました。寺岡さんは僕に聞いた話だけで幸村さんのこと評価してますし、一緒に僕の出生と父親の自殺の真相を掴みたいと。でも幸村さんが寺岡さんと協力してくれるんなら鬼に金棒だと思いますし、僕もありがたいです。それを幸村さんに伝えたかったのが今日の用件です。前回、清水先生の家から電話してくれた時は既にその話が出ていたのですが、清水先生には今は聞かせられないなと思ったのと、僕がまだ準備が出来てなかったので言えませんでした。忙しいのにほんとすみませんが」
「岡本も俺がその件に関わっても良いって思ってるのか。俺にも多少は信用があるんだな……願ったり叶ったりだ。ようやくこの日が来たんだよな…」
幸村さんは涙を拭いたティッシュでついでに鼻をかみ、丸めてゴミ箱に入れると、感慨深い様子でタバコを取り出した。咥えて火を点けて運転席の窓を開ける。窓の外に煙と共に大きく息を吐き出した。良かった、と僕はホッとして脱力した。これで寺岡さんに良い返事ができる。
「ありがとうございます。忙しいのにごめんなさい」
「それにしても、こんなふうになる前に、もっと早く俺がどうにか出来てたらな…」
「すみません」
「あーいや、謝んな。俺が悪いんだ。俺は清水さんみたいにお前の気持ちをわかってやれなかったんだし」
「いいんです。僕はとっくに壊れてたんで、早いも遅いもないですよ。追い詰めてくれたのが一番の功績です。じゃ、寺岡さんに伝えます。寺岡さんは冬休みがあるんで、その期間にこっちに来るって言ってます。土日に掛かれば幸村さんもちょっとでも時間を空けられますよね?」
「ああ、いつ来れるか教授に聞いといて」
「ええ。携帯番号教えて良いですか?」
「おう、良いぞ。俺に直接電話してくれていい。その方がスケジュール決めるの楽だろ」
「そうですか。ではそれでお願いします。あの、それでですね、話がこじれるので清水先生のことは何も話してないです」
僕は一番の懸念事項を幸村さんに伝えた。
「え、そうなのか? こじれるかなぁ」
「うーん、心配掛けたくないということでしょうかね。それにものすごく長い話になりそうなんで。でも僕はかいつまんで話せる自信がこれっぽっちも無いというか」
「まぁ、確かになぁ。でも、その変態教授先生ならこう、理解するんじゃねぇかな」
「どう話したら良いでしょうか?」
「じゃ、俺が話そうか?」
「話さないという選択は?」
「そりゃ、無理じゃね?」
「まぁ……ですよね」
「だったらさ、こっちで会ったときに俺が大まかに話すから、そのあとで教授先生から根掘り葉掘りされればいんじゃね?」
「ああ……それがいちばんマシですかね」
「てか、どうせ俺とお前と教授先生と三人で会うだろ。現状、お前のエロ発作がどうやって治まってるかって説明するのに清水さんのこと話すことになるんだろうよ。そしたら清水さんも混ぜて4人体制のチームの方が良くねぇか? アレは仲間に入れてやんないとハブられたってめちゃくちゃ恨まれるぜ」
「ああ、まぁ、そうなるのは目に見えてますが」
「だろ? それにあいつは岡本のこと一番わかってるんだし。頭おかしいけど頭は良いし……なんか変なこと俺言ってるわ」
「そう、ですね……じゃ、お願いします。寺岡さんに清水先生のことざっと説明して下さい。タイミングは任せます。清水先生のチーム加入のことは、三人で相談してから決めていいですか?」
「おう、良いぞ。いやぁ、お前からもの頼まれるのはチンコ立つくらい快感だな!」
「それはもういいです」
「そんくらいツンデレのデレは蜜の味だってことよ」
「知りませんが」
「じゃ、お願いします、かぁ……ほんとにその言葉がどんくらい聞きたかったか……」
そう言いながら幸村さんは不意に腕時計を見て、途端にサイドブレーキを解除した。
「おおーっとやべぇ! いつの間にか年越しちまった! 明けましておめでとうな!」
車が急発車した。携帯の時刻を見ると、1月1日 0:07と表示されていた。1時間なんてあっという間だったなと考えている間に車はコンビニのパーキングを出ると、ものの3分で元の秋葉神社に着いた。
「さぁて初詣だ! お陰さまで最高の年越しだった。そういえば話はアレで終わったのか?」
「ええ、概ね完了です」
「そうか、良かった。本当に良かった……最高だ」
先程のお参りの手順を同じようになぞって、僕たちは再び社殿の前に戻ってきた。賽銭を入れ、鈴を鳴らす。幸村さんが先で僕があとだ。
「今度はお願いだ。叶えたいことを明確に伝えるのがコツだな。例えば、『再度被害が出ないうちに、今年の1月中になるべく早く放火犯が逮捕されますように』とかいうことだ」
「そんなに詳しく説明するんですね」
「リアルに想像して、貪欲にお願いするのが効くんだよ」
「わかりました」
願いは決まっている。小さい裕の願いが速やかに叶いますように、だ。貪欲に、というのなら、さほど苦労もせずに叶えて欲しい。巻き込んだ寺岡さんや幸村さんがとんでもない目にあったりしたら大変だし申し訳なさすぎる。そして、僕が悪魔を返上し、誰にも危害を加えない安全な人間となれるように、だ。そうすれば自然に幸村さんも清水センセも僕から解放される。僕は殺されたいなどと思わなくなり、殺人者を引き寄せなくなる。そして、自然の摂理に従って老化し、エントロピーが増大しきった時、待ち望んだ死を迎えることができる。完璧だ。
「けっこう念入りにやったな」
「はい。詳細に、貪欲に、というアドバイスの通りにやりました」
次々と初詣の参拝客とすれ違いながら、僕たちは来た参道を引き返して行った。
「さーて、帰るか……それともこのままラブホでも行くか?」
「いいえ。2時間って約束で出てきましたけど?」
恐ろしい提案を冷ややかにぶった切ると、歩きながら幸村さんが唇をとんがらせて僕に悪態をついた。
「ええぇ……ケチだなぁ。俺のこの気持ちをどうしてくれるの」
「これから寝ますから。疲れ切ってるんですよ。幸村さんだってそうでしょ?」
「俺は岡本と寝るほうが疲れが取れる」
「なにそれ!?」
「あー、そうかそうか! 抱かないから一緒に昼までホテルで寝ようや。心配すんな。お前んとこのベッド狭いからラブホな」
「なんなんですか! 騙されないですよ。帰して下さい」
そう糾弾すると、幸村さんは切なそうな顔をしてポツリと呟いた。
「今日だけは一緒に居てくれよ」
「約束でしょ?」
「お前の発作と理由を知ってから、俺はずーっとずーっと心配してたんだ。俺を呼べって言ってんのに俺に助けもさせなかった。それがようやく安心できた日ぐらい、一緒に居させてくれや」
「そんな言い方、ズルくないですか?」
「そこまで計算しちゃいないって」
幸村さんはたまたまあった電柱に手を着いたかと思うと、その場で足を止めてガックリと項垂れた。ふざけてると思ったその姿と声が心底疲れ切っていて、ずぶ濡れの犬みたいに急に見えてきたのが運の尽きだった。僕のせいでずっと心配させてたというのは本当だろう。僕は関わりを頑なに拒否し続けていた。そして、その拒絶を常に押し切って僕に関わろうとし続けたこの人が、僕のために初めて泣いた顔を見てしまった。幸村さんは欲情していない僕を抱いたことは無い。その信用だけはあった。
「ほんとに一緒に寝るだけですからね」
「よっしゃ! それで良いんだって。ヤリ殺したくねぇし。俺はかなり懲りてるんだぞ」
「強引なの、全然変わんない……」
「お前が押しに弱いのもな。こうやって皆んなたぶらかされるんだって」
「やめてください! 言われたくないのわかりませんか……死にたくなる。帰りますよ」
「ごめん、やなこと言ったな。もうそんな思い詰めんなって。絶対抱かないから。俺は自制心の塊だからな」
温泉付きのラブホが山の向こうにあるとかで、そこから僕たちは30分ほどなだらかな林道を登って下った。遠いほうが人目につかなくて良い。あまり言葉もないまま僕たちは目的地に向かった。幸村さんはハンドルを片手に、ダッシュボードに転がっていた食べかけの冷えた肉まんを無言で食べていた。林を抜けると広い敷地に低層の白いホテルが見えてきた。
年越しセックスでカップルが泊まるのか、冬休みで貧乏な旅行者がホテル代わりにするのか知らないが、このラブホはほぼ満室だった。一番値段の高い広くて豪華な部屋が一部屋だけ空いていたが、幸村さんは躊躇なくその部屋のボタンを押して鍵をゲットした。ラブホになんか来るのは中学生の時に小島さんに連れられて行った以来だ。二人で一緒に風呂に入っても、そこで幸村さんが勃起しても何事もなく風呂から出た。だが、希望通りの大きすぎるくらいのベッドに潜り込んだ途端、幸村さんがパンツ一枚のまま僕を後ろ抱きしてきた。いつものごとく、犬にじゃれつかれた気分になる。
「あー! 岡本岡本!」
「近いですって! 自制心はどこに行ったんですか?」
「こうしたまま寝たいんだよ」
「勝手にして下さい。僕は寝ます。欲情したら自分で抜いて下さいね」
「うん、それでいいさ。一緒に寝たいだけなんだ。おやすみ」
そう言うか言わぬかのうちに、幸村さんの寝息が聞こえてきた。勃起したペニスを仙骨に擦り付けられることもなく、キスもしないのは初めてのような気がする。僕はその寝息に安心したのか、記憶がそこで曖昧になった。お互い、目覚ましを掛けるのも忘れるくらい疲れ切っていた。
(ゆきむらさん、はなしきいてくれたね。やさしいね)
小さい裕の声が最後に聞こえた気がした。それにしても、こんな正月は初めてだった。
〈あとがき&近況〉
お久しぶりです。2ヶ月ぶりに更新できました。安心しました。公私共にあまりに忙しいのと、プライベートのストレスで書くタイミングを逸してしまった9月。しかし神は言った。ここで死ぬ運命ではないと。では、勢いだけで書いた見せるつもりのなかった前回の電話の後清水宅で交わされた幸村&清水の会話を勢いで公開しよう!
▼スピンオフ『その夜の幸村さんと清水センセの話』(抜粋)
「……何度言っても信じないの、幸村さんでしょ? だから懲り懲りするまで話すよ? 僕がどんなことされたか知らないから言えるんだもんね?」
「わかったから。凄惨過ぎて聞いてるのがつらい」
「ほんとにわかった? するのはもっとツラいんですよ……ホントは崇ちゃんのおちんちんが欲しいのって。その一月後にその人がクモ膜下出血で死んじゃうんですよ? 僕のどこに性欲にまた期待する隙があると思います? こんなことを四年間ですよ? 僕が自殺してないだけ、人格乖離になってないだけ奇跡でしょ? 母親を殺したって不思議じゃないでしょ? 勃たないくらい全然あるでしょ」
幸村は大きく息をついて、苦しげな顔で天井を見上げた。
「…心配なのはほんと、あんただよ」
「大丈夫。ガチ恋してるから」
「あっそう。俺はガチ恋と性欲は完全に連動してるからわかんねーけど」
「僕には死姦趣味なんてないからね」
「あ、え? そうなるの? まぁ…そうか? え? じゃ、岡本が生きてたら欲情するの?」
「生きてないですよ。裕くんは動く屍体だもん。可哀想に…」
「ほんとお前らって徹底してんのな、そこ」
「設定じゃないからですよ。感覚だから。感覚には矛盾もウソも無いんですって」
「まぁ、そうだ」
「裕くんは天使」
「死んでるんだろ?」
「僕は彼を探すことで救われたんです。彼の存在が救いです」
「天使か…あいつも翼が折れてるくちだけどな」
「そうなんです。堕天使とかルシファーとか言いたいんでしょ?」
「あいつの心の傷も底知れねぇからな」
「僕を救うために、翼を折って、こんな闇深いところまで堕ちてきてくれたんですよ……屍体になって。それこそ天使じゃないですか」
「それは……そうかもな」
(後略)
……まぁ、そんなことを言ってたんじゃないかっていう作者の2次創作でした。ご閲覧誠にありがとうございます。