※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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XVIII.確認

 診察券を受付に出し、予約の確認をした。これからなにが起きるかよくわからないが、身体がなんだかフワッとしていた。番号札を貰い、少し移動して神経科の待合室のソファに座った。待っている間、あまり考えることはなかった。午前中の入学式で疲れていたのか、ウトウトしていた。こんなことなら教科書を全部ロッカーに預けないで、予習に1冊くらい持ってくればよかったと思った。

 

「岡本さん…岡本裕さん…2番の診察室へどうぞ」

 

 ウトウトしている中、不意に名前を呼ばれて急に目が覚めた。診察室に入ると、前回の検査で僕の担当になった神経科の医師がカルテを見ながら看護婦さんに指示を出していた。今日も心電図を取るということで処置室に案内され、簡易ベッドの上に服を脱いで横になった。ゲルを塗られ胸にプローブが装着される。僕は目を閉じた。何分か経ち検査は終了した。問診でこの1ヶ月くらいのことを訊かれた。特に異常はないですと答えた。前回の検査の結果で、頸部を圧迫するような悪性腫瘍の疑いはない、と言われた。貧血もないが、炎症反応が少し高かったと言われた。生活の注意事項の確認をし、引き続きまた1ヶ月後に診察に来てねと言われ、今回の診察は終了した。

 

 受付で会計と次回の予約をするために少し待った。これが終わると、隆の病室に面会に行くことになる。待ちながら、空腹に気がついた。そういえばもう4時近かった。売店でサンドイッチとパック牛乳を買って会計の待ち時間に食べた。そのうちまた会計から名前が呼ばれ、全部済んだのは4時過ぎだった。食べた後のゴミを捨てて、僕は入院病棟に向かった。

 

 面会の受付で用紙に記入して事務員さんに渡した。部屋が変わったらしく、隆は6人部屋から4人部屋に移っていた。前に僕と入っていた部屋の階ではなく、もう1階上だった。

 

 病棟の階段を昇りながら隆がどんな状態か想像していた。寺岡さんの言うように、あの持病が治ってしまっているのか、それともなにも変わらずにいるのか。僕に連絡がなかったことを考えると、会うのがためらわれているようにも思った。そんな不安を考えず、治療中の隆に勝手に来てしまっていいのかとも思ったが、僕以外に今の状況を確認できる人間はいないわけで、今後の治療もそれ抜きでやれるわけもないと考えなおした。

 

 長い廊下を歩く。部屋番号を探す。見つけた番号の下に、患者さんの名前がプレートで入っていた。小島隆。慣れ親しんだ名前なのに、こんなところに書いてあると別の人のように感じた。ドアは開いていた。一番奥の窓際が隆のベッドだった。カーテンが引いてあるので、居るかいないかはわからなかった。僕はベッドの間を縫って、窓の方に進んでいった。

 

 廊下側からは見えなかったが、窓の方のカーテンは開いていた。ベッドの中が見えた。隆が寝転がって、ぼんやりと窓の外を見ていた。僕はなんと言っていいのかわからずに、足元で隆を眺めていた。すると、ぼんやりしていた隆がいきなりこちらを見た。僕の姿に不意に気づいたようだった。隆は絶句したままびっくりしたように僕を凝視したまま固まっていた。

 

「あの…お久しぶりです」

 

 僕は別れた時と同じような他人行儀な挨拶をした。他に言うことを思いつかなかった。隆はまだ黙ったまま固まっていた。こんな時、なにを言ったらいいんだろう、と僕もしばらく黙った。色々聞きたいことがあったはずだが、なにかに阻まれているように、なにも思いつかなかった。隆が参ったな…というように額に手を当てた。ああ、どんな感じか訊かなきゃ、と思った。

 

「僕も…午後から診察で…今日が高校の入学式だったんで…会いに来ました」

 

 どうやって切り出せばいいかまったく見当がつかない。何か質問しようと思い、僕は隆に聞いた。

 

「具合…どうですか?」

「え…あ…」

 

 わずかに隆の口から声が漏れた。そしてそのあと、大きく息をついた。息するのを思い出したみたいに。

 

「どう…ですか…?」

 

 僕を見て、どう思いますか? ほんとはそう聞きたかった。でもそれをいきなりは聞けなかった。でもなにを僕が聞いたか、聞きたいか、隆もわかっているはずだった。そのとき、一瞬隆の口が開いた。開いたあと、その顔がフッと緩んだ。

 

「ははっ…」

 

 額に手を当てたまま隆は目を閉じて、そして笑った。

 

「あっはは…」

「…どうか…したの?」

「ククっ…あはは」

「隆…?」

 

 隆は笑い続けた。僕はそれをどう解釈していいのかわからなかった。

 

「あははは…あーあ…裕、お前…ははは…」

「なんですか?」

「ダメだな…はは…」

「あ…え?」

「クククッ…あっははは…」

 

 隆はしばらく笑い続けた。僕は意味がわからず、笑う隆を眺めていた。あまりに笑っているので、僕は尋ねた。

 

「どうなってるんですか? なにが可笑しいの?」

「あははは…ダメだこりゃ…クックックッ」

「なにがダメなの?」

「あー…お前…スゲェな…」

「え?」

「あはは…似合うよ」

「はい?」

「制服…よく似合ってる…いいよそれ…」

「どういう意味ですか? 僕のこと…どう思ってるんですか…いま?」

 

 あまりにもわけがわからなくて、聞けなかったそれが思わず口に出た。隆は笑いながら答えた。

 

「変わんねぇんだな…あははは…お前はスゲェわ」

「変わんないって…」

「俺も…お前もさ…」

「それって…」

「ああ…バカみてぇだわ俺」

「もしかして、リミッター…外れたの!?」

 

 隆は頷いた。笑いながら、何度も。寺岡さんの予想は当たっていた。僕は自分の役割が全うされたような感覚を覚えた。

 

「そっか…良かったね、隆…良かったね」

 

 そう言いながら、僕は声が詰まっていた。泣きそうになっている自分が不思議だった。

 

 

 

「…で、そのあと小島君に病室で抱かれたの?」

「は?」

「だからぁ。カーテン閉めて制服のまま押し倒されて口もと手で塞がれて…下だけ剥かれて、されちゃった?」

「いいえ」

「ええええええぇ? なにそれ…小島君ホントにヘタレ…図体でかいのに」

「キス…だけです」

「あっそ。キスはしたんだ…まぁいっか。いや、良くないわ。そんな美味しいシチュエーションそんな無駄遣いするなんて、考えらんない! ホント考えらんない」

 

 電話の向こうで寺岡さんはひとりで呆れて怒っていた。

 

「押し殺した声で耳元で“じっとしてろよ”とか囁こうよ! 挿れらんないならお互い咥えて何度も吐き出そうよ……で、裕君、キスで感じた?」

「なにをですか?」

「あーもーなにそれ。身体も心もビッと来たんでしょ? 君だけがボーダーもリミットも超えて彼を奮い立たせてんだよ?」

「いえ…安心しました」

「あれ?」

「小島さんちゃんと勃ってたし」

「勃ってんのにやんなかったの! しゃぶりもしなかったの! はぁぁ…今どきの若いもんはコレだからアルパカとか言われんだよ」

「アルパカ…」

 

 いきなりアンデスの動物が出てきた。僕はどんな動物だったか記憶をたどっていたが、脳裏にはリャマしか出てこなくて、閉口した。

 

「究極の草食動物だっつーの。上の歯が退化してんだよ? 草しか噛めないっていうの」

「いえ、勃起は大事です」

「当たり前だろ。てか、アルパカ無視かよ。会話してよ」

「いえ、ビジュアルの記憶がリャマと被ってて…リャマは生贄で胎児をミイラにしたりするんで僕はそっちのほうが親近感が…」

「あのね、リャマは草食系でもめちゃくちゃ獰猛なんだよ! 喧嘩で相手の睾丸引き裂くんだよ。血みどろの戦いだよ? リャマ却下。いやむしろリャマくらいやれっての…で?」

 

 いきなり寺岡さんは本題に入った。

 

「言ったの? 君の考えをさ」

「いえ…まだ言ってません。さすがに言えなくて」

「まぁそうだろ。無理もない。そんなこと言ったら今度は本気で首くくる。折角良くなったのに」

「ですよね」

「ああ。小島君は今後どうしたいとか言ったの?」

「いえ…抱き合ってキスして…謝られました。ごめんって」

「なにを謝られたの?」

「僕の病気のことを。でもやったのは松田さんで、小島さんはむしろある時期からやめてくれたんで謝る必要ないんですが」

「でも絞めたんだよ。君の心臓が止まるまで。心中だったとしても無理心中だからさ。彼はやっぱり事実犯罪者だからね。君が訴えないだけで。まぁ、ウツの診断が出てるから心神喪失で起訴はされないけど。ああ…小島君ならむしろ君の病気の責任取るくらい言いかねないけどね。でも責任取るってどう取るんだ? 治療費全額払うとか? 傷物にしたから嫁にするとか?」

 

 寺岡さんはため息をついた。

 

「君は結論は変わらないのかな? それとも今日会って、好きになった?」

「それは変わりません。持病が治ってて本当に良かったって思うけど」

「そうか。じゃあ、時期を見て切り出すのか。かぐや姫みたいに、月に帰りますとか言って?」

「かぐや姫は違うと思いますけど、時期は見たいと思ってます」

「でもさ、君はリミットを超えたけど、他の誰でも超えられるというわけじゃないかもよ?」

「再現性がないと?」

「おお…難しい言葉知ってるね。結構。そうだ。科学には再現性が必要だろ?」

「誰か僕以外にもっと年上の人を好きになれば良いんです」

「それは理想的だけど、出会いっていうのは神のみぞ知るってやつだからね。そうそう自分の思い通りにはいかないもんだ」

「そこに再現性がないのに、なぜ僕だけ科学性を厳密に精査される必要があるんでしょうか?」

 

 それを聞いて寺岡さんはうーんと唸った。

 

「君、なかなか合理的な脳みそしてるね。いい加減なこと言えないなぁ。今後気をつけよう」

「でも小島さんはどこをどうやってリミットを超えられたんでしょう。なにか決定的な変化がないとそういうことって起きないような気がするんですけど。僕をスゲェって言ってたのは違うと思います。僕のせいじゃないと思うんです」

 

 僕はずっと思ってた疑問を寺岡さんにぶつけてみた。

 

「本人に聞いてみた?」

「いえ、まだです。でも本人わかっているんなら、あんな反応はなかったんじゃないかって思うんです」

「まぁ、そうかもね。でもそうしたらなおさら君の力技かも知れないよね」

「ということは、力技は効くってことでは?」

「ああ…なるほど。君くらい変人で小島君好みのビジュアルにドンピシャな子を探して来いってか。笑っちゃう」

「難しいですかね。いや、もっと年上でいませんか?」

「難しいよ。自分じゃわかんないだろーけど。それに年上って…さらにハードル高いなぁ」

「とにかくこうなったのは小島さんの自衛隊時代のトラウマが緩和されてきたからなんですよね?」

「まぁ、そういうことになるね。でもさ、小島君って小さい頃から両親の仲が悪かったり、父親は不倫して出て行っちゃったり、結局は離婚してるし、深刻なトラウマは自衛隊時代の前からけっこうあるんだよね。心理学的に…って言っても私もそんなには詳しくはないけど、社会に出てからのハラスメントとかって、子供の頃の家族の人間関係に原因があるとかっていうじゃない? 虐待する人は親から虐待されてた人とかって言うしさ。だから私は密かに小島君の職場トラウマは、少年時代に起因するものと見てるんだよね」

 

 それを聞いて、僕ははっとした。隆が願ってた“永遠”は、自分の家族が失ったものだと。そして隆は、出て行った父親のようにはなるまいとして、そうなっていってしまったと。それを僕に吐き出して、隆は泣いていた。

 

「小島さん…言ってました。自分は、家族を捨てて出て行ったオヤジそっくりだ…って。俺はそんなふうにはならない、誰かを永遠に愛するって決めたのに、結局気持ちが萎えて、それを繰り返してるって。そう言って…泣いてました」

 

 もっと大事なことを言われた気がした…いつだったか…それは…。僕は想い出そうとしていた。隆が本気で泣いたのは…あれは…

 

「裕君? それ…いつのこと?」

 

 その声を聞いて、僕は思い出した。寺岡さんと初めて会ったときの、僕が伸ばした手が宙を切ったあの時を。

 

「僕が…伸ばした手を…隆は掴んでくれなかった…それは自分が行かないでくれって言って頼んでも出て行ったオヤジとおんなじだって…僕の手を取ったら…またあの苦しみに戻るのかって思ったら…僕を寺岡さんに預けて…隆は逃げられるって…でも隆は本当は僕の手を握ってやりたかったって…でもそれはきっと…隆のお父さんも…きっとそう…思ったよって…僕…言ったんです…」

 

 何故か声が震えた。寺岡さんはしばらく黙っていたが、少しして口を開いた。

 

「裕君…多分それが彼を変えた最初の出来事だよ…それに君もきっと、あの日なにかが変わったんだと思うよ」

 

 僕はとても切ない気分になった。何か言おうとしても声が出なかった。寺岡さんは続けた。

 

「私はあの日面白半分であそこに行って、君も小島君も傷つけたって…ちょっと後悔していたんだ。でもそれでも…そんな行為でも…意味はあったのかな…なんとなく…救われた気分だ」

 

 そんなことを思ってくれてたのかと、僕は寺岡さんの言葉に驚いていた。僕は正直、寺岡さんのことがわからなくなった。

 

「こんな風にしか生きられなくても、いいのかな。私も…それから君も…」

 

 そのあと間もなく、僕と寺岡さんの話は終わった。電話を切った後も、寺岡さんの言葉が頭の中を巡っていた。こんな風にしか生きていけなくても。それでも僕は、まだ隆の隣にいてもいいのかな…と。それとも…そうでなくても…

 

 

 

 

 

 

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