激しく抱かれながら、僕は安堵と戸惑いを繰り返していた。隆が退院して、あの部屋を引っ越し、新しいマンションに移って半月、初めての新しいベッドで僕の身体は隆の下に押さえ込まれている。興奮して固くなった隆のモノが僕の中にある。リミットを超えても抱けること、気持ちが続いてることを、隆はその激しさで確かめている。そしていつものように、僕の身体は半分死んでいる。嫌悪感はない。うっすらとした快感がたまに局所に届く。声が漏れるような波は来ない。ただ、抱かれている。いつものように。そう、拒む理由はない。
行為の後、二人でシャワーを浴びた。カーテンのない浴室、トイレは別にある。首の吊れない仕様の部屋だ、と、隆は笑いながら言った。どの部屋にもドアノブはない。引き戸だけ。ドアノブも重要な吊り具になる。でももう、それはないな…お前のお陰であの絶望から逃げられたからな…と、隆は言った。
酒もやめることになった。シャワーの後に、アルコールゼロのビール様飲料を冷蔵庫から出してきて飲んでいる。二人でベッドに腰掛けて壁にもたれていた。
だけど、絶望から、新たな絶望へと渡って行ってしまうよ、これから。失う恐怖ではなく、報われない空虚が待っているのを隆もわかっているんじゃないのか。僕は変わらない。変わらなかったことが隆を救い、そしてまた傷つける。
どうするの?
いつか言わなければならないそれを今はまだ言えないでいた。
「そう言えば、寺岡との約束どうなった?」
缶を片手に隆が僕に訊いた。そうだった。僕も救われなければならない。あの衝動から。
「まだ、具体的に日時とか決めてないです」
「そうか。期待は出来ないかも知れないけど、あいつは色々なこと知ってるからな。手掛かりくらいは掴めるかも知れねぇしな。人脈もあるから、良い専門家を紹介してくれるかも知れねぇし。あいつのアヤシさに耐えられたら、だけど」
「隆のことで、色々と電話で話したので、前より慣れました。心配するほどのことはないのかもしれないです」
「まぁ、俺も行くから。約束だしな」
あんなに嫌がっていたことを、隆は自分から言ってくれた。
「でも…もう俺はお前を絞め落とすのは出来ねぇから」
そうだった。隆の気持ちとしても、僕の身体の状態としても、僕の自殺屍体の発作を終わらせるには、絞め落とすことができなくなっているのだった。
「はい。わかってます。病気のこともあるんで、ほんとに死ぬことがあるようですので、皆さんにも迷惑がかかりますから」
「ごめんな…ほんとにごめん」
「隆のせいかどうかはわからないから」
「それでも、いちばん可能性が高いんだし」
「…死にたがってたのは…僕だ」
「言うなよ、それを」
「でも…本当ですから」
「今でも、そうなのか?」
「今は思考の中にはないです。なんだか僕、病院で失神してからいつの間にか松田さんに会う前の状態に近づいた気がするんで。そうすれば、わざわざ死のうとかは思ってなくて」
「そう…なのか…」
「はい。だからもしかして僕、あんな発作、もう起こさないかも知れません」
「俺がリミット超えたみたいにってか?」
「そう…そうですね。それが僕にも起こっているかもしれないです」
それは可能性として思っていたことだった。佳彦の呪いが無効になっている可能性が。
「だから、隆と一緒に寺岡さんと会って、それで確認ができればいいかなって。確認作業は寺岡さんとだけでも、隆とだけでも、なんか良くない気がします。3人のほうが冷静でいられるというか…面倒かけますが」
「まぁ、言いたいことはわかるわ。俺はまだリハビリ中だしな。お前を扱うのに咄嗟にフラッシュバックでも起きかねねぇしな。寺岡はお前の発作は初めてだし慣れてねぇし。3人が良いわ。とりあえず予定決めて連絡くれや」
ウェイトは隆から僕の問題に移った。少なくとも、なにか隆に言うのはその件の後でもいい。そう僕は思うことにした。
予定を合わせるために寺岡さんに夜、電話をした。ゴールデンウィーク中にしようということになり、隆には寺岡さんから連絡してもらうことになった。いくつか質問していい? と聞かれ、僕は答えていた。
「小島くんの前で例の、君を落とした…なんてったけ?」
「松田…さんですか?」
「そうだったっけ。そうその松田氏の話ってしにくくない?」
「どうでしょうか」
「まぁ、当日だと時間ももったいないから、今聞いていいかな。君と松田氏との出会いの話」
「いいですよ」
「小島くんから聞いたけど、最初は図書館で会ったんだって? 司書だったんだっけ?」
「ええ。僕のいつも通ってる図書館の司書でした。いまもいると思いますけど」
「なんで君が良かったの、彼」
「えと…借りてる本を見て、ずっと観察してたって。あと…メガネが好きだって言ってました。他はあんまり覚えてないです。気に入っちゃったって言われたけど」
「うんうん。それで…あ、何の本借りてたの?」
「その頃は…アメリカの推理小説かな。検視官ものを片っ端から読んでました。本の題名とか覚えてないですが。写真集も廃墟とか。軍艦島のとか。あと…エジプトのミイラのヴィジュアルブックとか。生贄の歴史とか…チベットの鳥葬とか…即身成仏の写真集…あと新書版ですが『腐乱のメカニズム』は面白かったです。写真がモノクロなのが残念でしたが」
「ああ、あったね。あれは農大のバイオ学部の教授が書いてたな」
「それは松田さんが僕のために入れてくれた本だったみたいです」
「そんなことしてたの?」
「僕が好きそうな本を入れて、いつ借りていくか見てるのが楽しかったって。入れたすぐ僕が見つけると“やった!”って心の中でガッツポーズしてたって言われました」
「知り合う前から?」
「はい。1、2年そんな風に見てたって」
「え…サイコパスかな彼?」
「さあ…」
「だって殺したかったんでしょ、裕君のこと」
「そうですが、自分からは絶対言いませんでしたよ。だいたい僕が先にそそのかすんで。殺したいんでしょ? って聞いたら、悪魔って言われたし。我慢してるのになんで言うんだって」
「ああ…自分でわかってんだ、彼」
「やっちゃわないように、会うのもうやめようって言われました。もう僕の前に姿を見せるなって。犯罪者にはなりたくない、って、いつも言ってたんで」
「危ないなぁ、松田さん。いつかニュースに出ちゃうかもね」
寺岡さんはきわどいことを言った。
「で、なんで首絞められることになったんだっけ?」
「意識のある人とはセックス出来ないって言ってました。萎えちゃうんですって」
「で、落とすの?」
「そうです。意識が戻るとまた落とされて、彼がイクまで続きますね」
話しているうちに、記憶が少しづつ蘇ってきた。
「で、君はなぜか落とされる寸前でイクと」
「はい。松田さんもすごいって言ってました。ほんとにこんな子いるんだ、って。それもすごく良かったんだそうです。初めてだったみたいです。僕だって松田さんに絞められるまで知りませんでしたが」
「まぁ、いるよね、落ちる感覚が気持よくてそれで首絞めオナニーする人」
「はい。言われました。自分でやれないかって松田さんに相談したら、死んだら恥ずかしい姿で家族に見つかるからやめなよって言われましたけどね。でも死人に羞恥心はないですからと、反論したんですが、教えてはくれずじまいでしたね」
「キッカケは自殺の写真集だったって聞いたけど?」
「ああ、それは僕に個人的に接触したキッカケですね」
「それと、自殺の画像で性欲が爆発…っていうのか…発作的に気が狂うっていうか?」
「ああ…はい。それです」
僕は話しながら、感覚が蘇りかけていた。それはなんとも言えない、快とも不快とも言えない変な感覚だった。
「最初に本借りて、そのときもおかしくなったの?」
「いえ、そう言えば、まだそこまでおかしくはならなかったかも。でも衝撃的でした。僕の中に熱があるのを感じちゃったから。身体が生きてるのが違和感でたまらなかったです。ほんとは死んでたのに。でも拒めば拒むほど大きくなるんです。快感も嫌悪感も」
「あぁ…そっかぁ。抑圧だねそれ。自分の熱とか性欲とか感じるのがいや?」
嫌に決まってるだろう、と僕は思った。嫌じゃなきゃこんな苦しまないし、気も狂わない。
「はい。嫌です」
「どうして?」
「僕は死の世界で安住してたんです。満足だったんです。でも、自殺の屍体は僕のなにかを刺激するんでしょうかね。最初はとても良いって思ってたけど、すぐに違和感でました。でもどんどん自分がそれに性欲を感じて、その焦燥感が苦痛で苦痛で。本を返してもその記憶が僕の中に残っちゃったんです。なんかあの感覚って苦しいんです。苦しいのに快感も感じる。だから忘れられなくて忘れたくて、呪われてるって思いました。松田さんの呪いです」
「気持ちよさだけ感じていればいいじゃない。エッチは気持ちいいよ?」
「そうでしょうか…僕はそうは思わないです。死の静けさから離れてくあの違和感は理解しがたいんですかね」
「うん、理解しがたいね。だって生きてるのに。逆になんで君が死の静けさなるものを知ってるのかが変だよね。一度死んだことでもあるの?」
「さあ、無いと思いますけど」
「小さい頃病気とか事故で仮死状態になったとかさ。お母さんから聞いてない?」
「ないです…それとも覚えてないのかなぁ」
「お母さんに聞いておいて。宿題ね」
寺岡さんは先生らしく宿題をくれた。
「なんで自殺の屍体だけなんだろうね。それが不思議だ。なんで彼等、死んでるのにそれだけは死の静寂と無関係なのか…だね。だって、君が絞め落とされる時は苦しくないでしょ? 違和感ないんでしょ? 違う?」
「はい。むしろやってほしいくらいです。数秒でイッちゃいますから全然。むしろ殺されるかもと思うと、清々しいです」
「なんか矛盾してる。複雑だな。分析が難しいね、君は。あ、そうだ。実際見せるよ、当日。例の画像準備するからね」
やっぱり見せられるのか…そう思うと僕は憂鬱になった。
「いいでしょ? 実際どうなるか見たい。見て君がどう感じてるのか現場で知りたいな。なにがいい? いちばん好きなのは何?」
「…やっぱり観なきゃダメですか」
「うん」
「僕もう、暴走しても小島さん止められないですよ」
「だって、誰かに止めてもらうつもりなの? 今後さ」
ああ。それを言われると確かにそうだった。目的を見失っていた。
「…ですよね。僕、自分のためにこれ克服しないとなんないんでした」
「ですよ。それには自分がなんでそうなるのか理解しなきゃ。だからお母さんに小さい頃のことよく聞いておいてね。この前私、君のお母さんと話したじゃない」
「あぁ、そうでしたね」
「お母さんは君のことすごく心配してた。身体のことだけじゃなくて。死にたいって言っちゃたんだって?」
「ええ…まあ」
「でも、心配の仕方が私は気にかかる」
「え…なぜでしょう?」
「言わなかったけどさ、お母さん。“ああ、やっぱりこうなっちゃった”って雰囲気が満載でさ。なにか思い当たることがあるって私は踏んでる。だから宿題は大事にしてね」
寺岡さんは最後に気になることを言って、電話を切った。