※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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XXXIV.ノワール          【画】

 寺岡さんの指定した、一度も来たことのない駅の改札に立っていた。僕はなにをしているのだろうという、先日から感じている“無駄足感”を既に感じていた。取り敢えず、西口と東口のどちらから出ればいいかわからないので、寺岡さんに電話をした。

 

「ああ、早かったね。改札?」

「はい。どっちから出ればいいですか?」

「西口出て、ロータリーの正面に“カフェ・ノワール”っていう喫茶店あるから、そこで待ってるよ」

「あ…はい。お店に入ればいいんですね」

「うん。喫茶店そこしか無いからわかるよ。じゃあ」

 

 西口のロータリーはこじんまりしていて、バスは1台しか止まっていなくて、見渡すと店が何件か並んでいる中に、正面にこじんまりしたカフェがあった。僕はロータリーをぐるっと回って、そこに向かった。

 

 ドアを開けると、クラシックが掛かっていた。客はまばらで、右側の壁際の席に寺岡さんが座って、僕に軽く手を降っていた。僕は寺岡さんの隣に立った。

 

「座りなよ。久しぶり」

「あ、はい」

 

 向かいの席に座ると、寺岡さんはにっこり笑ってメニューを僕に差し出した。

 

「何か飲みなよ。あ…何でもいいんだっけ」

「すみません…おわかりですよね」

「冷たい方が良いね。アイスティーでいい?」

「はい」

 

 ウェイターが来て、寺岡さんは僕にアイスティーを頼んだ。熱いものは苦手だとわかってくれてるので良かった。でも水でいい。てっきり車の中で待ってくれてると思っていたが、カフェに入ってるので、僕が待たせたのかと申し訳なく思った。

 

「ごめんなさい。待たせましたか?」

「いいや。たまにここのコーヒーが飲みたくなるんで、読まなきゃなんない資料持って早めに来てただけ。家よりこういうとこの方が仕事が捗るの」

「美味しいんですか?」

「私は好みだけどね…ウェイターも美形で」

 

 そこか、と僕は隆にはなかった会話に新鮮さを感じた。半分呆れてたが。

 

「母をどうやって懐柔したか聞きたいんですが」

 

 僕は注文が来るまでの間、その話を聞こうと思った。

 

「さっき、いい感じに緊張が取れたみたいですから、ここは一気にこのタイミングを逃さずに、英語を教えるフリをしてなにがあったか聞き出しますから、ぜひ今夜お泊りで…とね。でも論文の件は半分本気」

「やっぱり。母の顔が一瞬深刻になってたんで。赤点だけじゃないなって」

「よく見てるね」

「寺岡さんほどではないですが」

 

 そのうちアイスティーが運ばれてきて、僕の前に置かれた。美形の眼鏡のウェイターに愛想よく寺岡さんがありがとう木村君、と微笑んだ。木村君もニッコリとしながら、今日は可愛いお連れさんですね、と寺岡さんに答えた。常連というやつなのだろう。ごゆっくり、と僕と寺岡さんの顔を見て、木村君は戻っていった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 特に大した話もなく、アイスティーを飲み終わると店を出た。雨は降っていないが、湿度は高く、店の空調から出たばかりの身体には不快な暑さだった。路上のパーキングに臙脂色のセダンが止まっていて、メーターにコインを入れた寺岡さんが僕に車に乗るように言った。10分ほどでマンションに着き、その5分後にはまた、あの部屋のあのソファに座っていた。部屋のクーラーは程よく効いていて、快適ではあった。

 

「蒸し暑いね…梅雨、そろそろ終わらないかな」

 

 寺岡さんがアイスコーヒーをグラスに入れてソファに持ってきた。前とは違い、長いソファに寺岡さんは僕と並んで座った。

 

「君は夏、不得意だろ?」

「ええ。暑いのはダメです。うるさくて集中できないです」

「不便だな…それ」

 

 僕はカバンから英語の教科書を取り出した。

 

「では、本題に…」

「まぁ、待てよ」

「これが目的では?」

「わかっててやってんの? まったく君って、思ったより人食ったことするよね」

「相手によります」

「確かに。私とは敵対関係だな…常に!」

「なんでこう言い争いになるんですか」

「私が大人気ないからだろ? 君の説によると」

「ああ…おわかりですか」

「はいはい、君のほうが大人ですよ。でもそんな風になるべきじゃない。少なくとも今は」

「なにが目的なんですか? 僕にどうしろって…」

「なにがあったのか聞きたい」

「なにって…」

「戸籍のこと」

「わかったんじゃないですか? あれで」

「お母さんはね」

「これ以上…まだ言わせたいんですか…」

「うん。言わないと君がいつか壊れる。いや、もう壊れてるんだろうけどね」

「僕は…普通です」

「君の普通は普通じゃないよ」

 

 寺岡さんは僕の顔も見ずに、ソファに寄り掛かった。

 

「屍体から生まれた屍体…って…どういうこと?」

「そのまんまです」

「まさか…お母さんは君が生まれた時にもう亡くなってた…とか?」

 

 寺岡さんは目を膝に落としてニコリともせずに呟いた。

 

「ええ。僕の生年月日より、母の死亡年月日のほうが…1日早かったんです。僕も最初は気づかなかった。でもよく見たら…変だなって…戸籍係か…届け出た父が間違えたのかなって…でも…僕の中で小さい裕が…屍体から生まれたんだ…僕…って…」

「小さい裕…?」

「いるんです。最初の今の戸籍が特別養子縁組だってわかってから…僕の中にいる…まだ小さいんです。僕が話を聞いて言うこと聞いてあげないと…可哀想で」

「ああ…そうか…そんな…」

 

 その言葉が途中で途切れた。

 

「小さい裕はホントのことが知りたいんです。どんなことでも書いてあることを見たいんだって…それが見れないことだけが嫌だって…だから僕は今の戸籍に残ってた前の戸籍の住所に行って…除籍謄本っていうの取ったんです。どんなこと書いてあるか賭けだったんですが…でも僕は恵まれてた。片方の親しかわからないこともあるって、同じことした人がインターネットの質問箱で答えてた…でも僕のは…両親も…今の父がどういう人かも…わかったから…ラッキーです。小さい裕も納得してた…」

 

 聞いていた寺岡さんは首を小さく横に振った。何かを払うように。

 

「ねぇ…小さい裕君は…まだ居るの?」

「います。でも戸籍のこと以外はあまり…」

「…遅かった…か…」

「なにがですか」

 

 遅いとはなんのことだろう。

 

「君は切り離すのが得意だな…嗅覚…味覚…生きてる感覚…生きてる世界…切り離して切り離して…君は…君の一部さえも…切り離して…いや…君が最初に…世界から切り離されてた…のか…」

 

 ハァッと大きなため息を吐いて、寺岡さんは顔を両手で覆った。

 

「そうしなきゃ…生きられなかった…そう…だよね」

「よく…わからないですが」

 

 僕よりもなぜか寺岡さんの方がダメージを受けているように見え、僕は戸惑った。

 

「そんな…酷くもない…ですよ。だってそれが、僕の普通だし」

「ああ…そうだね…誰でも普通なんてものは幻想だよ…君だってそう…でもさ…」

 

 寺岡さんは僕を手の隙間から覗いた。それから両手は下に下がり、それは口元だけを覆っていた。再び顕れた寺岡さんの目が潤んでいた。なぜ? なぜそんな風に僕を見るんだろう。

 

「寺岡さんが悲しむことは…ないです」

「勝手にさせろよ。私の感情は私のものだ」

「恋敵ですよ、僕」

「小島君が大事にしてるものを私は大事にしたいんだ。それだけだよ…裕君」

 

 それは驚くような告白だった。僕は言葉を失いかけた。

 

「ま…さか…隆の…替わり…に…?」

「君が悲しめば…小島君は悲しむ…私は…聖人君子じゃないよ…君の向こうに…小島隆を見てるだけだ」

「それでも…それでも! それでいいんですか!?」

「うん。いいんだ…これがさ」

 

 寺岡さんは僕に微笑んだ。

 

「君はすべての生きている人の向こうに、死んだ誰かを見てる…誰にでもイカされて、誰にでも抱かれる…それで君を愛する人を受け止められずに苦しむ…でも私だけは違う…そうでしょ?」

 

 寺岡さんの指が僕の頬に触れた。

 

「私だけは君と一緒だ…君の向こうにあの男を見てる…君は私だけにはその罪悪感を感じなくて済むんだ…私がもし君を抱いても君を抱いてるんじゃない…私はその向こうの誰かを抱いている…君がどんなに誰かの体の下でよがっても、自死した屍体に抱かれているのと同じ…違う?」

 

 ゆっくりと僕は寺岡さんにソファに押し倒されていった。

 

「こんなになる前に…どうにかしてあげたかった」

「こんな…?」

「わからない…だろうね」

「ええ…」

「抱くよ…君のこと」

「なぜ…ですか?」

「気持よくしてあげたい…それだけ」

「あのとき…ダメだったのに?」

「大丈夫…今回は君の恋人を連れてこれる。イケるよ…何度も」

 

 それはもしや…佳彦が送ってきたあのタブレットの中の画像のことではないのか? それに気がついた僕は、寺岡さんの身体の下から逃れようと身体をねじった。

 

「やっ…やめてください…それはだめ!」

「君が元の世界に戻れなくなるから?」

「ええ! そうです! そうに決まってる!」

「いいの? それで君。もう逃げないって言ったでしょ。いつだってどこだって追っかけてくるよ…だったら気持ちよくなることだけ考えればいい…気持ちよくなることが今は必要なんだから」

 

 僕の耳元で寺岡さんが囁いた。すると僕の頭の中で声がした。

 

(うん。見たい)

 

 小さい裕が返事をした。僕は混乱した。なぜ寺岡さんが小さい裕と話せるんだ?

 

「だっ…ダメだよ裕…見ちゃダメだ…きっと裕は苦しむよ」

 

 僕は必死で裕を説得しに掛かった。寺岡さんは畳み掛けてきた。

 

「なにか言ったんだね…小さい裕は」

「ダメだ! そんなことさせない! なにも言ってない! 裕はなにも言ってない!!」

 

(見せてよ…ぼく…見たいよ)

 

 なぜここでそんなこと望むんだ? 僕は小さい裕の言っている意味が理解できなかった。

 

「なに言ってるんだ…これは戸籍とは違うんだ! 裕、ダメだよ! なにもホントのことなんか書いてない!」

(見たらわかるよ。見せて。なんで見せてくれないの?)

「ダメっ!! 戻れなくなる! 戻れなくなるんだ! 裕はまた迷子になりたいのか!」

 

 僕は必死で小さい裕を止めた。だが裕は全くそれを聞かなかった。

 

(迷子だよ…まだ帰ってないよ…まだ最後まで帰ってないよ…それ見なきゃ…帰れないよ!)

 

 それを聞いて僕は愕然とした。そこに…なにがあるん…だ…?

 僕の思いとは逆に、小さい裕は恐ろしいほど執拗だった。意味がわからないまま、僕は敵であるはずの寺岡さんに救いを求めていた。錯乱していた。

 

「てら…おか…さん……小さい裕が…言うこと…聞か…ない」

「小さい裕は何て言ってるの? もしかして…あれを見たいの?」

「やめて!! あれはダメなんだ!! なんでわからない! なにが…なにがあるんだ! 裕の見たいものなんてなにもない! あの画像にはなにもないんだよ!!」

 

 その時寺岡さんの顔が一瞬凍った。そして小さな声で呟いた。

 

「…まさ…か」

「えっ…」

「君…お父さんは…お父さんは……どうなったの?」

 

 脈絡のない質問を寺岡さんが表情のない凍りついた顔で僕に問いただした。なぜそこで父の話を出す? 父は、同じ日に僕の出生届と妻の死亡届を市役所に出した。そして…

 

 そして?

 

 それから? それから? 一年後になにか…が。僕は除籍謄本の記載を頭の中で辿った。そして、僕の父は…一年後の…僕の誕生日に…死んだ…

 

「あっ」

 

 それを頭の中で言いながら、ある考えがよぎった瞬間、僕も凍りついた。妻の一周忌の次の日、息子の1歳の誕生日、幼い僕を抱いた父親…

 

「僕の…誕生日が…父の死亡年月日…前の日が…母の…命日…」

 

 人は、ちょうど自分の息子の誕生日に、無作為に偶然に死ねるだろうか?

 

「1歳の誕生日が…ほんとの父の死亡年月日です…」

「それって、裕君、それって」

「そんな…嘘…だ」

 

(なに、してるの?)

 

 その時頭の中で、再び小さい裕が僕にねだる声がした。だがその声は地の底から響いてくるようなゾッとする音をしていた。

 

(早く見せてよ…早く見せてよ…なんで僕に見せてくれないの? 早く…早く…見たいよ…見たいよ、見たい見たい見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて!見せて!見せて!見せて!!見せて!!見せて!!見せて!!!)

 

「やめろおおおおおおおお!!!!」

「裕君!!」

 

 僕は耳をふさいだ。それは気が狂っているとしか言いようのない叫びだった。狂気が頭の中で大音量でこだましていた。耳をふさいでもそれは頭の中で響いているのだから遮断しようがなかった。

 

「わかった!!わかった!!わかった!! 裕! 裕! 裕! 見るから!! 見るから!! だから叫ばないで!! 叫ばないで!! 黙って!! もう黙って!! もう黙ってえええ!!」

 

 そのとき寺岡さんが僕の両肩を両手で掴んだ。

 

「裕君! 今、君どうなってるの? 小さい裕はなにを叫んでるの?」

 

 頭の中の叫び声で寺岡さんの声もなにを言っているのか半分わからずに、僕は後の半分で気がおかしくなっていた。正確にはおかしいのは小さい裕だったが、それを聞いている僕にもその狂気に侵されていた。叫び続けている裕の声を聞きながら、その狂気に耐えられそうにない自分がいた。見ればこれが終わるのか? アレを見ればいいのか、あれを、あれ…あれあのあのときみたあのあれをあの時みたいに見ればいいのかそれで裕はいいのか

 

「寺岡さんごめんなさいやっぱりあれ出して下さい。あれを見れば終わります。あの画像見せてあげて…裕が見たいって裕が見ないと僕を許してくれない。帰れないって最後まで帰れないって迷子のままだって!」

 

 僕は寺岡さんのシャツを下から掴み、うわ言のように懇願した。

 

「裕君…見たいって小さい裕が言うのか?」

「早く…早く見せて下さい…待ってくれないんですよ裕が。早く早くってずっと叫んでるんです頭の中で叫んでて気が狂いそうなんです早く見せろ見せろ見せろ見せろ見せろ見せろ見せろ見せろ見せろおおおおおおって!!!」

「裕!」

「寺岡さん!! ごめんなさい早く画像出してぇぇぇ!!」

 

 僕が叫ぶと寺岡さんはすぐさまテーブルの端にあったタブレットを掴み取り、僕の前のテーブルに置き、電源を入れた。僕はソファを蹴って身体をよじり、飛びつくようにテーブルの上を覗きこんだ。ソファから互いの身体が滑り落ち、僕と寺岡さんはもつれ合いながらカーペットに座り込んだ。この前と変わらない青空の壁紙の上に、あのとき開いたファイルのアイコンがすぐに画面に浮かんだ。寺岡さんは急いでそれをタップした。画面が開いたその瞬間、小さい裕が懐かしそうに呼んだ。

 

(あ! お父さんだ!)

 

 

 

 縊死。

 真っ白いロープ。

 二本の足は宙に浮いていた。

 下から僕は見上げていた。

 ようやく一緒に遊んでくれる。

 

 お父さん。

 

 なんでお話してくれないの?

 なんでだまってるの?

 

 

 

(お父さんだ。ようやくあえた)

 

 小さい裕は叫ぶのをやめていた。いつもの小さな声で、僕に話しかけていた。僕は茫然と画面を見ながら呟いた。

 

「…お父さん…って…」

 

 僕は目を閉じた。

 

「お父さん…って…裕が」

「裕くん」

「おとう…さん…って…」

「そうか…そうだったんだね…」

 

 寺岡さんが僕の頭を抱いた。

 

「行っちゃった…僕を置いてった……僕を置いて…なんで…連れて行ってくれなかっ……」

 

 父は行ってしまった。僕が一番行きたかったそこへ、先に逝ってしまった。

 

「置いて…行かないでよ…僕も屍体…なんだよ…お父さん…」

 

 父に置き去りにされてこっちに取り残された僕は、どうしたらいいのかわからなかった。わからないから、屍体の母の中に戻った。僕のシェルターだった…たったひとつの僕のシェルター…だったのに…

 

 この画像は置き去りにされたあの日に僕を連れ戻していった。僕だけこの世界に取り残されて、僕は死者ではなく、生きている人達の中に…熱の中に…生きる欲望の世界に置き去りにされたあの日に。お母さんもお父さんもいなくなったあの日に。

 

「いや…だ…生きてるの…やだよ……やだぁ……いや…だ…うっ…」

 

 そのとき、僕の身体の中であの熱が弾けた。僕は腰から砕けそうになり、咄嗟に寺岡さんの身体にしがみついていた。いつの間にか小さい裕の声は止んでいた。その声は僕の声だった。独りでに涙が落ちた。寺岡さんの指がそれをぬぐった。寺岡さんの身体に触れているところが痺れるように感じていた。

 

 泣きながら身体が敏感になっていく。生きていることを身体がなぞる。突き放されてこっちにきてしまった。それを僕の身体は意志とは裏腹に貪り始める。生きている熱を。静寂が壊れていく。夢が覚めてしまったみたいに…ノイズが耳の奥に響く。

 

「あぁ…あぁ…あぁ…」

「来たんだね、裕君…」

「嫌です…でも…と…止まらない…」

「でも、あの日より…辛そうじゃないように見える」

 

 あの日…そんなこと…もう…どうでもいい…息が上がる。

 

「どうでも…いい…はぁ…はぁ…」

「抱くよ」

「好きに…すれば…い…」

 

 言葉の途中で唇が奪われた。再びゆっくりと僕はカーペットの上に押し倒された。小さい裕はどこかへ消えていた。最後まで遡れたからかな。良かった…ね…裕…あ…

 

 首筋に寺岡さんの唇が押し当てられた。僕はどこかで抗うことを諦めた気がした。また失った世界をどうやって取り戻すのか、も。

 

 僕は捨て子だ。それが僕の本当の名前だった。

 

 

 唇と舌が首筋に触れただけで電気が走った。そのたびに声が漏れた。寺岡さんの指がシャツのボタンを上から順に探していった。なにかがどうでも良くなった途端に、熱への嫌悪感が少しづつ薄れていく自分がとても浅ましく思えた。そう思いながらも、どこかでこれが隆の言っていた“受け入れる”ということなのかとも思った。バーの個室で初めて寺岡さんに抱かれた日を不意に思い出した。あの時も隆に捨てられそうになった。僕は不思議になった。いつも捨て子を拾いに来るこの人は一体どんな気持ちで僕を抱いているんだろうと。

 

「あのときは…ごめんなさ…んっ…」

 

 その言葉を唇に吸い取られた。舌が入ってくる。

 

「は……うくぅ…」

「こんな敏感になるの…?」

 

 唇を離して、耳に口をつけて意地悪く囁く。頭の中が痺れる。

 

「こ…こうなったとき…だけで…す…」

「あのとき…って?」

「バーで…会った日…」

「あの時の君が懐かしいな…私を拒んだのに…」

「ごめん…なさい…」

「いいよ…それで良かった…いまはこんなに感じてるんだから」

 

 シャツの上から胸に指が這う。

 

「いや…だっ…」

「なにも考えなくて、いい」

 

 いやだと言いながら、僕の身体は悶えていた。下を脱がされ、シャツの前を開いて素肌がさらされる。その寺岡さんの愛撫の手を退けることもなく、僕は操られるまま嬲られていた。いつもの熱が今日はゆっくりと広がる。熱は時間を掛けて僕を犯す。気が狂ったみたいに切迫していないのはなぜなんだろう…と僕は不思議に思った。あなたが僕を愛していないから? 僕に罪悪感がないから? 僕に期待していないから…? それとも…?

 

「あの時とは全然…違うんだね…硬くて…すぐ出そう」

 

 少し冷えた細い指がそこを捉える。誰の指とも違うその感触に、僕の背中が反り返った。寺岡さんは自分のズボンを片手で脱いだ。素足同士が肌に触れると、互いに声と同時にため息が出た。

 

「私の口の中に出して…お願い」

 

 寺岡さんは興奮してうわずった声でそう言うと、僕のものを握りしめた。僕は自分の硬さを呪った。

 

「噛み切って…下さい…僕…それ…要らない」

「それも…いいね…ああ、良いね…噛み切ろうか…」

 

 唐突に遠慮のない力で、硬くて鋭い前歯が根本に食い込んできた。

 

「ああっ!」

 

 寺岡さんはそこから口を離し、指で根本を締め上げ、また僕の耳に口をつけて囁いた。

 

「食い千切ってあげる…そしたら君の耳元で咀嚼してあげる…いい音だと思うよ…君の肉は」

「はぁぁぁ…うぁ…」

 

 わざと息を吹き込むように囁くその言葉に頭の中が溶け、僕は身をよじって悶えた。真っ赤に染まった噛み切られた僕のだったすでに動かない肉塊が、ボロ布のようになるまでクチャクチャと音を立てて噛み切られ、切り刻まれて血まみれになっていくのが脳裏に浮かんだ。再びくわえられて、その舌が絡みつく感触と、歯が茎に食い込む感触に僕は急激に登りつめた。カッターで自慰した時みたいに。

 

「あっ! あっ! あっ! あああっ…い…イクぅぅぅ!!」

 

 なすすべなく、寺岡さんの口の中に自分の白い体液が注がれていく。寺岡さんのくぐもった鼻声が聞こえた。腰を掴まれて貪るように激しく吸われているうちに、急に飲まれていることに皮膚を灼かれるような羞恥を感じた。

 

「飲んじゃ…だめ…そんなの…汚いよ…」

「じゃあ…分けたげる」

「え…んんっ…」

 

 意味がわからないうちに口移しで寺岡さんの唇から生暖かい液体が喉に流れ込んできた。唇を離すと、唾液が糸を引いた。それを寺岡さんは惜しげになめた。

 

「もったいないけど、半分だけ…あげる…自分の飲んだこと…無い?」

「ない…です…」

「そう…初めてなんだ…いいね…その恥ずかしそうな顔…でも小島君のは飲んだこと…あるでしょ?」

「…あり…ます…」

 

 それを聞いた寺岡さんは目を細めて僕を眺めると、うっとりと微笑んだ。だがその目はさっき寺岡さんが言ったように、僕の目を見てはいなかった。

 

「この口で咥えたの…?」

 

 唇を指でなぞられながら、僕は問われていた。

 

「は…い…」

「硬いのを奥まで押し込まれて…?」

「え…ええ…」

 

 二本の指を歯の隙間から差し込まれた。

 

「ここを…奥まで…?」

 

 指を喉の奥まで差し込んで、寺岡さんは誰にも聞かせること無く独りで呟いた。

 

「気持ちよかったの? ねぇ…裕君? 苦しかったんでしょ? それともこれだけでイッちゃったの?」

 

 舌の上を指が撫で回す。指が入っているので答えることができない。ねぇ…大きかった? 舌を使ったりしたの? 息ができないほど喉の奥までつめ込まれたの? 吐き気がするくらい押し込まれた? どんな味だった? 君はしゃぶってあげたの? いつも咥えてたの? 彼はどこが感じるの? 何度もイクの? 君の口の中に何度も出すの…?

 

 独り言のように呟きながら、僕の体液で汚れた口の中を二本の指で寺岡さんはかき回し続けた。しばらくしてその指をゆっくり抜いた。僕の唾液と精液にまみれ粘液が糸を引く指を、寺岡さんは自分の舌で丁寧に舐め、そして僕に尋ねた。

 

「逢いたいでしょ…小島隆に」

「…いいえ」

「私は…逢いたいよ…それに…」

 

 寺岡さんは不意に笑った。

 

「あはは…私じゃ、ダメだねやっぱり。君は小島君に抱かれなきゃ」

「同じですよ…皆んな…同じです」

「そうかなぁ」

 

 そう言うと寺岡さんは僕の首に両手を掛けた。冗談かと思った。寺岡さんは僕の首を指で撫で回していた。それだけで僕はまた硬くなり始めた。

 

「あのお父さんは君を置いていかないよ」

「置いていかなきゃ…ダメです」

「でも…ね…裕君」

 

 寺岡さんは僕の頸動脈に指を当てた。 

 

「ごめん…約束破るね…このまんまじゃ…誰も、この先にいけない」

「そこ…ダメですよ! すぐ落ちますよ…僕が死んだら寺岡さん犯罪者になっちゃう」

 

 冗談ではなく本気に見える寺岡さんの両手首を僕は掴んだ。

 

「いいよ。ブタ箱には一度入ってみたいって思ってたんだ。受刑者の共同便所…憧れるよね」

「ダメです…!」

「いいから…今の君のこの状態なら…私でもできる。小島君や松田君みたいに」

「ダメです…僕は死んでもいい…でも…」

「イッて、裕君…君はコレでは死ねないよ…死ねたら…いいのにね」

 

 抵抗する気があったかどうかわからない。軽い力だったが、寺岡さんは正確に頸動脈洞を両手の親指で押さえた。刺激があれば、すぐに僕は落ちる。その軽さでイケるのかと思ったが、巻き付いた指と一瞬で気が遠くなる感覚が、あっけないほど完全な再現性を再び証明した。そのあとはもうなにも考えられなかった。

 

「はうっ! うあぁ…イクぅぅ!」

 

 さっき出したにも関わらず、とても久しぶりに僕は落ちながらイッた。でも、それと隆とどうつながるのかは、唐突過ぎて僕には寺岡さんの意図が一切わからなかった。股間でしぶく体液を感じてすぐに、僕はいつものように意識を失った。

 

 




《挿絵追加のお知らせ》

新しい挿絵の追加のお知らせです。

『XXVI.平行線』の後ろの方
『XXVII.相討ち』のラスト
『XXXIV.ノワール』の最初の方
計3枚挿絵を貼ってあります。よろしければご閲覧下さいませ。

絵師:あめふらし様
プロフィール:リリカルで夢のような線と色彩で美しい人物と情景を紡ぎだす絵師様。文字で書かれた人物を、まるでデルフォイの巫女のようにドンピシャなイメージでチャネルし魂を込める、錬金術系異能者。

*今後も随時、UPしていく予定です。本文更新のあとがきと活動報告にてにお知らせします。
*挿絵機能は初期設定でOFFになっています。画面右上の【小説閲覧設定】をクリック後、【表示機能管理】2行目の【挿絵表示】の【有】を押して頂くと本文中に挿絵が実装されます。
*挿絵のあるページには目次の章タイトルの後ろに【画】と書き込んであります。
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