※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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五、オリオンとサソリ        【画】

 二日後にインフルエンザ明けの堺教授が、やつれた顔で少しヨロヨロしながら出勤してきた。幸村さんから鑑定の確認依頼が入ったと、僕に笑いながら教えてくれた。

 

「岡本君の自殺の痕跡見つけるのが早すぎて驚いた…って言ってたよ、警部補。そりゃ、僕も驚いたからねぇ、最初は。君が固まりながら指さしたあのかっこ忘れらんないなぁ」

 

 教授が気にしていないようなので、僕は少しホッとした。

 

「ええ…事件に関係してるって少し疑われてました。それに僕は驚いたんですが…」

「幸村警部補はやり手だ。その幸村君に疑われたとあっちゃあ、よっぽど岡本君のアレが驚異的だったんだろうよ。だって、焼損死体なのに気管切開する前に頸部の索痕見つけたんだって? 警察から見たらやること逆なんだよ。君の前の上司の江藤教授もこぼしてたよ。優秀なのかビョーキなのかわからんって。あははは」

「それはここでもあまり変わりありません」

「君が仕事の手を抜かないあたり、むしろ僕がサボれて良いって思うがね。もう歳だからねぇ、江藤君みたいにバリバリ出来んしな」

「すみません…任せるって言われたのに確認させてしまって。ご面倒かけます」

「ああ、いいっていいって。どうせ確認だけだしねぇ。まぁ、幸村君にも、うちのスタッフあんまりいじめないでよって言っておいたから。でもね、岡本君、嘘でもいいからルーティンに物事進めるのは案外大事よ。それは言っておくよ」

「すみません。ありがとうございます。いろいろ助かります」

 

 堺教授は僕の変人ぶりをあまり気にしないらしい。年の功なのか、性格なのかはわからない。でも、前職場の江藤教授の方が多分、普通の反応だ。よく僕をここに採用してくれたと思う。江藤教授の愚痴を聞いてるのに。

 

 嘘でもいいからルーティンをする。よく言われた気がする。母親にも隆にも。自殺の遺体の時は、意識して冷静にならねば。

 

 午後3時頃、先日の射創の彼の移送の話を、警察署の担当者が堺教授に説明に来た。教授室で二人きりでしばらく話していた。込み入った話なのだろう。出てきた教授も担当官も煮え切らない様子だった。その日は堺教授は例の遺体の確認は出来ず、明日に持ち越しとなった。

 

 翌日の午前中は、堺教授は医学部の授業だった。それが終わるとまだ病み上がりなので、休み時間は教授室のソファで仮眠していた。午後2時から例の23番遺体の解剖確認が始まる予定になっていた。もちろん幸村さんが来る。他にもあの時立ち会った部下が1人来るはずだった。僕の立ち会いは拒否されたので、スタッフルームで検査技師の鈴木さんが行った薬毒物検査と、科捜研に依頼した検査のまとめをしていた。ここのインフラでは実施できない検査は科捜研に依頼しなければならない。もちろん堺教授が執刀してくれる時は僕も薬毒物の検査に掛かりっきりになることもある。

 

 例の焼損死体は、縊死が死因として特定されたが、縊死の前に薬物でも飲んでいたとか、飲まされて縊死のように吊るされたのかも知れない…という可能性を半ば排除するためのデモンストレイションみたいなものだと、僕は思っていた。つまり消去法。すでに自供が出ていると幸村さんも言っていたし、その自供に信憑性があるかどうか、現場検証や司法解剖と擦り合わせて、矛盾の有無を確かめる段階に入ってるものと推測する。

 

 予定の時間になっても幸村さんはスタッフルームには現れなかった。直接解剖室に入ったのだろう。まだ色々と僕の関与を考えているんだろうか? ミスリードとしか言えないが。少しすると、事務の田中さんが歯科に依頼していた身元確認が到着したと僕に報告してくれた。僕はやんわりとそれを押し戻し、田中さんに封を開けてもらい、田中さんに確認結果を読んでもらった。23番さんの掛かりつけ歯科は、「本人と一致」との所見を出していた。間違いなくそれは、本人だったということだ。

 

 田中さんに、その結果をすぐに解剖室に知らせるよう依頼した。田中さんは地下の解剖室に階段を降りていった。僕の手元の薬毒物検査は、やはりCO濃度が著しく低く、死後の焼損を物語っていた。そして、疑わしい薬物や毒物は検出されてはいなかった。

 

 

「特に、君の鑑定とは矛盾しなかったがね…私の見る限りじゃ」

 

 と、堺教授は教授室に呼んだ僕にそう言うと、頭の後ろで両手を組んで、椅子の背もたれに寄り掛かった。僕は途中まで作った鑑定書をクリアホルダーに入れながら堺教授の机の上に置いた。もう夕方に近かった。西日が閉めたブラインドを辛くも通りぬけ、壁に細いオレンジの縞模様を作っていた。

 

「気管粘膜蒼白を先に見せてあげれば済んだってことさ…岡本君」

「はい。これから気を付けます」

「焼死体だと警察はそこを気にするって君もわかってるだろ? そんな初めて焼損扱ったわけじゃなかろうし。でも、幸村くんはそこまで怒ること無いのになぁ」

「そんな怒ってるんですか?」

 

 僕はこの前謝罪されたことで、すでにその件は片付いているものとばかり思っていた。

 

「多分ね。そりゃ『岡本君のこと大変憤慨してます!』とは言わないけどさ。まぁさ、僕はなんせ定年も近いしさ、僕の替わりの教授がその時には赴任してくるにせよ、これからの世代としたら、君や幸村くんの番なわけさ。君にもこれから責任重くなってくる自覚が欲しかったんじゃないのかな? 彼、職務熱心だから…いや、岡本君だって職務熱心だよ。でも、司法の番犬である警察と、その一部だけを担う僕達じゃ、また立場も違ってくる。彼の君に対する考えがあるんだろうさ、この件。まぁ、ちゃんと話して誤解は解いたほうが良いよ。君らの今後は長いんだからさ」

「あ…はい」

「君のことを彼は買ってるんだよ。だからちょっとがっかりしちゃったのかなぁ。期待が大きいと、受けて立つ方も大変だよねぇ。でも期待されるうちが花だよ。僕はある意味諦められてるからさ。ははは」

 

 ヘコむような内容も構わずに堺教授は屈託なく笑った。 

 

「すみません。今回の僕のせいで警察との関係が悪くなる可能性あるってことですね」

「警察じゃなくて幸村君とね。僕も最初の頃彼とは色々あったんだわなぁ…」

 

 はぁ、と教授はため息のようなものをついた。そんなに大変だったのだろうか。あれを年上の堺教授にかましたということだろうか。いきなり間合い1mにまで詰め寄って。

 

「すると幸村さんがいつも先手で攻撃なんですかね」

「まぁ、攻撃っていうのは少々言い過ぎだけどね。彼の捜査勘が故ってところかな。いい意味でしつこいから、彼。それでノンキャリでも検挙率高いんで無試験で警部補だからさ。自分のイメージ通りに捜査進めたいわけよ。それが検挙率に繋がってるって自信があるっていうことなんだろうよ。まぁ、認めざるを得ないよねぇ、事実そうなんだから」

 

 幸村さんと付き合いの長い堺教授の分析はかなり正確だったと思われた。

 

「君も自分のイメージ通りに解剖進めたいタイプだろ?」

「はい、まぁ、そうですね。すみません」

「似てるんだよ。時として大いに反発するんだそういうのってさ。だってお互い自分のやり方でやりたいんだから」

 

 言われてみれば、そうなる。僕と幸村さんが似てる…性格が違いすぎてわからなかったが。

 

「その発想は無かったです」

「自分じゃわからんもんさ」

「ええ、まぁ…」

「じゃあ、これで話はおしまーい。お疲れ様、岡本君。休んでた間はありがとうね」

「いえ…ご迷惑おかけしました」

「まあ、いいさ。色々経験して失敗もしてくれないと、教育にならないだろ、君」

 

 では失礼します、と言って部屋を出て行こうとすると、教授があっそうだ、と僕を呼び止めた。

 

「なんですか?」

「幸村君がまた聞きたいことがあるから近々来るってさ。伝えておいてくれって言われてたわ」

「…はい。一応聞きました」

 

 三度目だ。三度目というのは仏の顔とか正直とかが関わってくる局面であろうと、僕はどんよりした気分で推測した。つまり、どちらに転んでも誤魔化しは効かないという先人の教えるところの意味だった。そしてその三度目は意外なほど早く到来した。

 

 教授室から出てスタッフルームに戻り、書類の整理をしてから日誌を書き、資料棚やらなんやらの施錠の確認をし、帰る支度をして自転車置き場に着いたのは午後7時をずいぶん回っていた。晴れてはいたがオリオン座が煌々と光っていて、それが今日の寒さを表していた。眺めているうちにベテルギウスがそろそろ超新星爆発するという噂を思い出した。恒星の死を肉眼で見れるなど、そうそう経験できるものではない。是非それを見てみたいものだ…などと思いながら自転車の鍵を外し、荷物をカゴに入れた。

 

「岡本君」

 

 不意に後ろから低い声がした。思わず僕は瞬間的に振り向いた。夜目にも黒い人影が威圧的に立っていた。幸村さんだった。

 

「…はい?」

「今からちょっといいか?」

「なにを…ですか?」

「一緒に来てくれる?」

「え?」

「あれ、堺先生に言っておいたんだけど。聞かなかった?」

「…あの…聞きたいことがあるから会いに来るって言ってたって聞きましたが」

「そうそう。折角だから車の中で話し聞かせてよ。寒いから」

「…ああ…はい」

 

 あとは有無を言わせない勢いで幸村さんは僕の手首を掴み、車が停めてあるだろう方向に歩き出そうとした。いつから待っていたのかとか考えるだけで混乱しそうなので、僕は現実のことだけに集中することにした。

 

「ちょ…ちょっと待って下さい。カバン取らせて」

「ああ、どうぞ」

 

 自転車のカゴからカバンを引っ掴むと、幸村さんは問答無用で僕を引きずって行った。いつもの大学の通用門を出ると、すぐ先にシルバーのトヨタのワゴンが停めてあった。手前でワイヤレスで解錠する音がした。誤解を解かなければ…とと思いつつも、強引過ぎる幸村さんに驚いていた。だが、これが怒ってるってことなのかと堺教授の言っていたことを思い出した。幸村さんは助手席のドアを開け、僕を押し込んだ。そしてバンとドアを閉め、自分は反対側に回って運転席にドスンと座った。

 

「出るよ。シートベルトしてね」

「…どこに行くんですか?」

 

 ただ車の中で話を聞くだけだったと思ったら、車が走りだした。一体どこへ連れて行かれるのか…もしや警察署? と思ったら、15分後にはその警察署に着いていた。幸村さんの職場だ。嬉しくない正解だった。車は正門を通り越して、裏手の通用門に署の建物を回って入っていった。

 

「まだ、容疑者扱いだったんですか…」

「いや。あれはもう遺体の妻で固まりつつあるさ。“お陰様”で」

 

 幸村さんはやけに嫌味な言い方をした。彼は車の後ろのシートから黒いファイルケースを掴んで運転席を出ると、助手席のドアを開け、僕を手招きした。

 

「じゃあ…なんで僕が…」

「まぁいいから、付いて来てよ」

 

 なにがなんだかさっぱりわからないまま外に出ると、署の裏手の駐車場だった。パトカーや護送車が10数台並んでいる。その奥に中型の倉庫のような建物があり、そこはここの遺体安置所だった。なぜか幸村さんはそこに入っていった。安置所を抜けると、控室のような部屋と、用具入れのような部屋が隣り合わせになっていた。ドアは開けっ放しになっていた。控室の奥にもうひとつドアがあった。幸村さんは躊躇なくそのドアを開けてその奥に僕を押し込み、後ろ手でドアを閉めた。カチャ…とドアをロックする音がコンクリの床に響いた。古くなった蛍光灯がブーンと音を立てていた。

 

「なんなんですか…これ」

 

 あまりの強引さに辟易しながら僕は呟いた。幸村さんは平然と言った。

 

「責任取ってもらおうと思ってさ。自分の言ったことに」

「は?」

 

 部屋は細長く、窓がなかった。4畳くらいだろうか。天井近くと床近くに、明かり取りのための横に長細い、アルミの格子のついたはめ殺しの窓。左右を見回すと、部屋の天井近くまでなにか置かれていて、シートが被せられていた。隙間から積まれたタイヤが覗いているのが見えた。署の古タイヤの置き場? いや、見たところそんな古くない。ああ、そうかスタットレス履かせた冬場のパトカーから外した普段用のタイヤかも知れない。ここから直接外に出られるように外に面したドアが端の方に付いていた。その外はちょうど車輛置き場だ。僕の中で一瞬のうちに推論が出た。

 

 つまり、冬の間はここには誰も入ってこないのでは?

 

 ハッとして幸村さんをちらっと見ると、僕が辺りを見回してそれに気づいたことを、幸村さんがわかったらしかった。その証拠に彼の口元がフッと笑った。

 

「君と二人っきりでと検証できるのここしかなくてさぁ…取調室使いたいとこだけど」

「検証…なにを検証するんですか」

「ほら、岡本君俺に言い切ったろ。あれだけ自信有りげに言い切られたらさ、こっちも確かめないわけにはいかなくなるよね」

「でも、もう自供したんでしょ? それでいいじゃないですか」

「あ? それでいい?」

「…なにか問題でも?」

「よくねーだろ。君がシロでもあんな非科学的な言い訳されちゃ、こっちが納得行かないんだよ」

「言い訳…?」

「咄嗟に出たのか、あれ。おまけに自殺は苦手だとか抜かしやがって…」

 

 そこで僕はようやく彼が怒っている理由を理解した。こんな責められ方前にもされたことがあるな…と僕は軽い絶望感の中で不意に、隆に髪の毛を掴まれてオカルトだと怒鳴られたことを思い出した。そうだった。これが普通の人の反応だ。僕は自分の迂闊さを今更ながらに思い知った。だがもう遅い。

 

「…自殺の遺体の件ですか」

「説明いいから、証明しろ」

「え?」

「ゴタクはいいから。俺が納得したいの。わかる?」

「いえ」

「いや、分かんなくていいや。後ろめたくないなら俺の言う通りににしてくれるかな。協力しないってことはお前、結局出来ないんだろうな。わかるわ、うん」

「…ずるい言い方ですね、それ。堺教授に聞いたんでしょ。僕がそういう人間だって」

「堺さんは部下はかばうだろフツー。いいじゃねーか。そんなに掛からんよ。逆に時間がないんだわ。9時までには保管室に返却しなくちゃなんねーし」

 

 そう言うと手に持っていたファイルケースを開けて、中身を取り出した。

 

「や…やめてください…」

 

 幸村さんの手の中のそれを見た途端、僕は震えた。

 

「へぇ、苦手だから? それとも君の切ったタンカが嘘だから?」

「嘘じゃない!」

「じゃあ、やってくれるよね。俺、これ選ぶの結構手間ひま掛かったんだぜ」

 

 ニヤッと笑って僕に見せたそれは、数十枚はあろうかという写真の束だった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「この中に混じってんの、キレイに分けてくれる? 9時までに」

 

 頭から血の気が引くのが自分でもわかった。この数。間違いない。気が狂う。アイテムもない。

 

 逃げよう。と、一瞬僕は思った。アレを見られたら僕は終わる。こんなことを隠して業務を行っていたかと更に激怒されるに決まっている。だが、逃げてどうするのかと言われても僕には答えがなかった。それに“三度目”という局面には誤魔化しが効かないと自分で理解したばかりだった。いっそ殺してくれたほうが後腐れないのに、と、心の底から思った。逃げは出来ない。誤魔化すのもだめ。ではどうすれば?

 

 対峙したまま沈黙が流れるまま、僕は最後の希望をつなぐべくその行動を取った。

 

「幸村さん。僕が捜査を妨害するようなミスをしたんならともかく、ここまでされるいわれはない。貴方の言いたいことはわかる。堺教授からも注意を受けました。そのことは反省しています。今後の信頼の回復は業務の上で果たします。わかって頂けますか。帰ります」

 

 それは僕がその時言えた最大限の正当な反論だった。逃げてはいない。誤魔化してもいない…はずだった。いくら僕に怒っていたとしても、ここまでされるいわれはないと僕は本気で思っていた。しかも話すだけの約束を破り、こんなところに閉じ込めるなんて、いくら感情的に許せないとはいえ、行き過ぎだとは思わないのか、と。僕はゆっくりと幸村さんの側をすり抜け、さっき閉めたドアに向かった。ドアの鍵を開けようとしたその時、幸村さんが僕の左手を掴んだ。

 

「なっ…え?」

 

 カシャン。

 

 幸村さんの手の中で、ヒヤッとした硬い感触が左の手首に走った。

 

「逃げんなよ」

 

 続いて、ガチャン、チキチキチキという金属音と共にドアノブにそれが乱暴に嵌められた。僕は驚愕のあまり叫んだ。

 

「なにするんですかっ!!」

「正論なんか訊いてるんじゃねーの。俺を納得させろって言ってんだよ!」

 

 寒気で冷えきった手錠が、僕の左手首とドアノブをつないでいた。それを茫然と眺めながら、血の気が引いた頭で僕は思った。ここから逃げるには、手首を切り落とす他ない。そんな推理小説を昔読んだ気がするな…と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




《題名について》

 オリオンは海神ポセイドンの息子で、優れた猟師だったが、「この世に自分が倒せない獲物はいない」と自慢したため、見かねた女神ヘラは、オリオンをこらしめるために、彼の足元に大きなサソリを放った。さしものオリオンもその毒には勝てずに死んだ。

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