※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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八、イレギュラーな土曜日

「あ?…えっと…はい」

 

 驚いた僕は後ろを向いたままとっさによくわからない返事をした。さっきまで考えてたことが霧散していった。

 

「もう治まったのか…発作」

 

 気がつけば、身体の狂躁感はなくなっていた。

 

「ああ…はい。もう全く大丈夫です」

「そうか…残念だ」

 

 迷惑な感想を述べて彼は僕の背中に身体を寄せ、後ろから腕を回してきた。

 

「まだ犯せるかって思ってたのに」

「いえ、それはないです」

「ほんとか?」

 

 そう言うと彼は後ろからいきなり僕の股間のモノを掴んだ。

 

「なっなにするんですかっ」

「ほんとだ。勃ってない」

「断りもなく触んないでくださいよ!」

「断んなきゃダメなのか…面倒だな。まあいいや」

 

 彼は勃ってない僕の性器から手を離すと僕のうなじに唇を押し当てた。吐息が熱くて微かにブーンという虫の羽音のような波長が耳の中に聞こえた。

 

「あの…もう治まりましたから」

「うん。わかってる」

「やめてもらえませんか?」

「なんで?」

「僕、生きてる人に欲情したことないです」

「これからするかもよ」

「エビデンスは完璧なんですから、非科学的なこと言わないで下さい」

「おいおい、それまさか1000人単位のサンプルに犯された結論とかいうの? あるわけねーだろ、んなエビデンス」

「3人ですが、それで充分です」

「ちょ…おま…それで非科学的とか言うなよ。可能性の宝庫じゃん。良かったぁ。がんばろ」

「いやあのだって犯されてなくても1000人単位の人間には直で会ってるでしょ、少なくとも学校とかで。興味ないんですよ…生きてる人にそもそも」

 

 言いながら、僕は言い知れぬデジャブ感に襲われていた。これと同じような応酬を誰かと言い合った気がする…

 

「いや違うぞ、よく聞け、これは俺という新たなサンプルを試すべき時期なんだって。経年変化という条件を看過するのはどうかと思うぞ。それこそ非科学的ってもんだ。それでまたその結果でエビデンスを強化するも良し、間違ってましたって俺に謝るのも良し…だってさ、俺、まだ一回しか出してないんだけど」

「…治まってないのは貴方の方なんですね」

 

 と、僕は呆れて呟いた。自業自得でしょう…と密かに僕は毒づいた。あまり熱い身体でいじられたくない。早く抜いてここから立ち去ってくれと僕は願った。

 

「僕でオナニーしたらいいじゃないですか。慣れてますよそういうの」

「あのな…そんな言い方するな」

 

 場違いな説教じみた物言いに僕は切れそうになった。

 

「勝手に僕を疑って追い詰めてあんなにして、犯して、今度は自分の性欲を僕に処理させるんですよね? 他にどんな言い方があるんです?」

「それとこれとは別だ…君って雰囲気に似合わずひでぇ性生活してんのな。なんでそんなことに慣れてるんだ」

「あなたには言いたくありません。ほじくらないでくれます? 僕…も…もう容疑者じゃないんで…う…」

 

 言い合っている合間にもしつこく唇と舌で首筋を愛撫されているうちに、なんだか変な気分になっていた。

 

「君は…首が弱いんだな。ここ嬲ると確実に感じてよがるもんな」

 

 首が弱い…あ、そうだ…注意事項がもうひとつ有ったことを僕は久しぶりに思い出した。

 

「首、気を付けて下さいね。僕、いろんな人に頸動脈絞められて落とされて犯されてるうちに、中3の時から頸動脈洞過敏症っていう病気になってて」

「え…なにそれ?」

「頸動脈洞のあたり触ると、軽い刺激で落ちることがあるんで…失神しますから…ヘタすると死ぬそうなんで。僕はいつ死んでもいいですが、幸村さん今僕から注意を受けた以上過失致死になりますよ。職場の人は知ってますからね」

「…わかった…君…ほんとにひどい目に遭ってるな」

「貴方にもね。でも死ねなかったことのほうが…残酷だ…」

 

 ひとのことをよく知りもしないで簡単にそんなことを言われるのはとても心外だった。

 

「君は死にたいって思ったことあるのか」

「こんな身体になってからずっと…今でも思ってますよ…死ねないですけどね、いろいろ縛りがありまして」

「死なれちゃ困る」

「貴方もですか…勝手なこと言ってくれるな。大丈夫ですよ。死ねません。でも首は…」

「頸動脈洞か…覚えとく」

「ええ…わかってんなら触らないでくださいね」

「ああ、そこは避ける」

 

 自衛官もだが、警察官も武術を会得しなければならない都合上、そこを絞めて落とすやり方は熟知している。犯人確保の時にやむを得ずそうしなければならないこともある。幸村さんがそのことの飲み込みが早いのはそう言う理由だった。

 

「とにかく僕はいいですから…早く犯して出してすっきりしてさっさと帰ってくれませんか」

「だってこれから君、予定でもあるの? 休日の土曜日にそんなこと有った試しなんか大体ないでしょ?」

 

 と、僕を尾行して日常生活を把握している幸村さんは断固言い切った。そうだけどそう言う問題じゃない…と聞き分けがなくて話を覚えてないいい大人を僕は断固として叱責した。

 

「一緒にいちゃダメだって言ったでしょ! 昨日!」

「だから、俺は死なないって!」

「何の自信ですか!」

「君こそなんの確信だ! 俺は何度も死にかけて、その度に九死に一生を得て来てんだぞ。俺はなんか守られてるんだ。上手く言えんが」

「僕には死神がついてる」

「じゃあ、君の死神と俺の守護霊と勝負だな。一年後に笑ってるのは俺だ」

 

 寺岡さんと言い合っているよりも更にタチの悪い切り返しをしてくる人だ。いつの間にか横向きだった身体にだんだんと幸村さんが背中からのしかかってきていて、僕は半ばうつ伏せに組み敷かれていた。

 

「だけどエロい身体だな…言ってることと身体の反応が全然合ってないんだけど。乳首勃ってるし、息上がってるし…」

「やっやめてくださいって…あっ…ダメだって! 無断で触んないで!」

「ほらやっぱりここもさっきと全然違うじゃないか」

 

 また勝手にそこを掴まれて硬さを確かめられてしまい、僕はビクッと身震いした。なぜか僕の身体はじわじわと愛撫に反応してしまっていた。だが、自殺の画像や遺体を見た時のような下腹部の灼熱感はなかった。その替わり全身がまんべんなく微熱のようなものを感じていた。

 

 変だ。こんなこと今まで無かったのに。昨日の大量の写真のせいだろう、と僕は考えた。後遺症…っていうんだろう。あんなひどいことをされたんだ。変にもなる。

 

「丁度いい…幸村さんの思う壺ですね。良かったじゃないですか。早く…犯せばいい…オナニーじゃないなら幸村さんも本望でしょ」

「可愛くないね…泣かせちゃうよ」

 

 そういうと尻の割れ目に濡らした指がヌルっと滑り込んで来た。

 

「可愛くは…なれません…ああっ!」

 

 後ろからいきなり幸村さんの硬いものを、根本まで一気に挿れられていた。

 

 

 

「だめじゃん、嘘ついたら」

 

 終わった後、うつ伏せのままぐったり虚脱した僕の耳元で幸村さんが囁いた。脱力感に言葉も出ない。

 

「憎まれ口叩くクセに本当にダメな身体してるよね…可愛いな、そういうとこ」

「…う…」

 

 ウザいことを言われて言い返したいのに、物を言う気力もなかった。腹が立つし自分が情けないし、もう頭の中は滅茶苦茶だ。裏切り者…と熱っぽくて不愉快な自分の身体を心の中で罵倒してもそれはいつもだ。今更言っても仕方のない事実だ…はじめからそれで苦しんでるわけだから。

 

「エロくて良い身体だ。よく泣くし…」

 

 幸村さんが2回イク間に結局また僕もイカされた。普通のセックスでイクなんて考えられない。こんなことではまた変な期待をされて、あとからくる絶望感で墜落されるのが落ちだ。こんなことなら始まる前にベッドから蹴り出して、部屋から追い出せばよかった…そんな腕力があるならばだが。

 

「ハラ減った」

 

 性欲の次は食欲のようだった。一方が満たされたんで思い出したんだろう。

 

「昨日から食ってねーよな、そう言えば。今何時だ?」

 

 僕の部屋には時計は掛けていないので、幸村さんは寝たままベッドから床に身を乗り出して、自分の脱ぎ捨てたスーツのズボンの中から携帯を取り出して時間を見た。

 

「もう11時か。起きろ。なんか食うものある?」

「……」

「おーい、岡本君生きてるかー」

 

 うるさいので、僕は倒れたままやっとのことで手だけ動かしてキッチンの方を指さした。昨日の残りの味噌汁と冷ご飯が鍋と炊飯器にある。勝手に見つけて勝手に食えるもの食ってくれ。

 

「ダイイングメッセージかよ…あ、風呂場借りるぞ。君も一緒に連れてってやる。どうせ腰抜けてるんだろ?」

「……」

「おい、なんか言え」

「…動け…ない」

「まぁ見ればわかるが」

 

 有無を言わせず僕は無理やり引っ張り起こされ立たされて挙句肩抱きにされて、風呂場に連れて行かれた。シャワーを掛けられているうちになんとか身体が動くようになり、這うように風呂場を出た。

 

 やっとの思いで部屋着のパーカーとスエットに着替えたあと、幸村さんが風呂から出て来る間に、コンロで一人分しかない味噌汁を温めて、一人分しかないご飯を茶碗によそい、一膳しかない箸を持ってそれらを部屋の真ん中に置いてある低いテーブルの上に置いた。どうせ僕はいつものとおり食欲はない。あとで牛乳でも飲んで終わりでいい。でも取り敢えず水分だけは補給しないと、と思い、コップ代わりの300mlのビーカーにメモリいっぱいに水を汲んで1杯飲んだ。寝るまでにあと1200ml…4杯か。

 

 ともすると水も飲まなくなる。大学時代、一人暮らしを始めてしばらくして、一度脱水症状でひどい目にあったことがある。吐き気と頭痛で一晩苦しみ、それでも登校して挙句の果てに倒れそうになって医務室に連れて行かれ、そのあと久しぶりに病院に運ばれた。点滴を受けて、医者に脱水症状だと言われた。具合が悪くて死ぬならいいが、苦しいと自分に生きた身体があることが良くわかって、苦痛に苦痛が上乗せされる。それ以来懲りた僕は、水分と塩は欠かさず取ることにしている。実家では母親がなんやかんやと飲ませたり食べさせてくれていたのだとその時つくづく思った。

 

 それと同じような経緯で、大学2年のとき、脚気になったことがあった。正式な疾患名はチアミン欠乏症という。ビタミンB1不足による多発神経炎、浮腫、心不全が起きる栄養障害疾患のことだ。いつの間にかつま先にトゲも刺さってないのにチクチクとする痛みが生じ、次第に足の裏が焼けるような痛みに変わっていった。夜も眠れなくなるほどになり、仕方なく教授に相談したところ、それは君、脚気じゃないか? と言われ、再び脱水症状で担ぎ込まれた病院を受診した。最初に内科医に打鍵機で膝の下を叩かれた。膝蓋腱反射は案の定消失していて、典型的なビタミンB1不足だね…今、若い子でも増えてるんだよ、と、注射を打たれ総合ビタミン剤を処方され、血液検査では軽度の貧血とタンパク質不足も数値に出て、食事をちゃんとしなさいと栄養士の指導まで受けさせられた。

 

 もともと食欲は不振だし、感覚は鈍感なので、脚気の初期症状が見逃されていたと言える。しかし問診を受けて、全身の倦怠感や、集中力の低下など、そう言えばそうだったというものが再認識された。身体を維持するというのは面倒なことだとげんなりした。

 

 この時の栄養士が大変優秀な人で、ビタミンだけではなく、各種栄養の効率的な摂取方法を教示してくれた。母親に習った白飯と味噌汁だけではこうなると、僕の日々の食事を調べて対策を練ってくれた。米は胚芽米にして、タンパク質もちゃんと取ること、生野菜でも果物でもいいから生の植物も身体に入れること、ミネラルをきちんととること…などなど。で、面倒なので、生食以外、ほとんど全部を味噌汁の中に投下して食事にしていた。味は興味ないので無視した。お陰様で以来脚気にはなっていない。

 

 その味噌汁がこれだ。

 

「あ、味噌汁と飯? 岡本君自炊か。偉いな」

 

 風呂から出てきた幸村さんは、服を着て座卓の前にあぐらをかいて座った。

 

「なんで君の分無いの?」

「残りが一人分しかないし。どうせ僕はいつも食欲ないんで。一日一食でも生きていけるし。あとで牛乳でも飲みます」

「悪いな…でもありがたく頂くわ。ほんとに腹減っちゃって。あとで埋め合わせするから」

「結構です」

「ま、いいって。じゃ、いただきます」

 

 味噌汁のお椀を持つと、幸村さんは箸で中身をすくった。ちくわ。

 

「ちくわって味噌汁に入れたっけ」

「さあ」

 

 幸村さんはちくわを食べた。これは安くてタンパク質の高い食材のひとつである。次に箸に挟んだのは、高野豆腐だった。

 

「高野豆腐って…」

「さあ」

 

 これもタンパク質強化食品だ。コスパがいいし、買い物に行かなくてもいい保存食。ああ、その黒いのは…

 

「これ…ひじき入ってる」

「ええ。ミネラルの強化です」

「人参」

「ええ」

「ひじきの煮物を味噌汁に入れたのか?」

「いえ。違います」

「キャベツ」

「キャベツは普通です。なんでいちいち言うんですか?」

「味噌汁の常識がくつがえってるからだろうな…玉ねぎ?」

「玉ねぎは普通ですが、なにか問題でも?」

「これは玉ねぎだよな、って聞いただけ」

「丸屋で卵のセールがあればちくわと高野豆腐でなく卵になるんですけどね」

「卵…」

「薄給なんで。自炊で栄養摂ろうとするとこうなります」

「こんなマンション住んでて薄給?」

「ああ、この部屋だけ事故物件なんでものすごく安いんです。ここの借り主さん堺先生が解剖したみたいですよ。2年前くらいって言ってたかなぁ。大学に近いし、臭いはもう抜けたろうけど、噂になっちゃったからどうせ誰も入ってないだろうって堺先生が推薦してくれて」

「あ…なんか来たことあると思ったら…」

「担当だったんですか?」

「…まぁな」

「そこのベッドのあたりで亡くなってたみたいです」

「え…そうだったっけ」

「お陰様で死んだみたいに良く眠れます」

「それは良かったな」

 

 幸村さんはご飯茶碗に移った。

 

「塩くれる?」

「薄いですか」

「全体的にな」

 

 僕は食卓塩をキッチンから持ってきて幸村さんに渡した。

 

「ああ、これでいいわ」

 

 ご飯と味噌汁に塩を振ると、それ以上はなにも言わずに完食した。よっぽど腹が空いていたんだろう。

 

「ごちそうさま」

 

 両手を合わせてそういったのを見て、ここだけ行儀のいい人だと思った。

 

「満腹ですか? さあ、どうぞお帰りを」

「いや、これから君に埋め合わせしないと。腹減ってるんだろ?」

「いいえ。牛乳あるんで。それでいいです」

「それは申し訳ないな。なんか好きなものある?」

 

 そう言うと幸村さんは立ち上がって上着を着た。どうやら買い物でも行くようだった。また帰ってくるつもりだろう。

 

「ないです」

「じゃあ嫌いなもんは?」

「ないです」

「なんかこれだけはってのあるでしょ?」

「食事に興味ないんで…嗅覚もあまりないし、味覚もあまりないし」

「マジか」

 

 幸村さんは目を丸くして驚いた顔をしていた。

 

「ええ、そのまんまですよ。嘘も誇張も遠慮もないです。早く帰って下さい」

「味覚と嗅覚って…」

「脳がそうなっているみたいですから、努力とか無理ですから」

「よく味噌汁作れたな」

「母親が教えてくれたまんまですよ。味とか風味とか知りませんけど」

「薄いだけで、それほど不味くなかったけどな」

「母親のお陰ですね、それは」

「ちくわとひじきもか」

「いえ、それは病院の栄養士さんの指導です」

「なんで栄養士に習ったの」

「体調崩して通院してた時ですね」

「味噌汁に入れろって?」

「いえ、アレンジは僕です。面倒くさいですから、おかず」

「具を増やしたら、味噌も増やせよな」

「ああ、そういうことですか。でも僕味なんてよくわからないんでいいです」

「今度来た時までに味噌の量変えとけ」

 

 幸村さんは不穏なことを言った。

 

「今日で最後ですよ」

「いいや。今日が最初だって」

「しつこい人ですね…不法侵入で警察呼びますよ」

「照れてないで、また来てくださいって言えばいいでしょ」

「なっ…なにそれ」

「だってあんなに…良かったんでしょ? 結局さ」

「僕は…ああなったら誰でも同じだ…」

 

 これを言いたくないが言わざるを得ない。胸が苦しくなってきた。

 

「今朝は屍体じゃなくて俺に抱かれたんだぞ」

「あれは昨日のあなたの鬼畜な行為の後遺症です! いい加減にして下さい」

「そうかなぁ…じゃあ確認のために後遺症抜けたらまた試してみような」

「もういい! やめて!」

 

 僕はテーブルを両方の拳で叩いた。テーブルの上の茶碗が音を立てた。いきなり限界が来たみたいだった。

 

「僕は自分の発作が嫌いなんだ…早く収めたいって思ってるんだ…発作だけじゃない…セックスも嫌いだ…自分が生きてることを確認するような行為は全部嫌いだ! 食べることも飲むこともしたくない…死ねないから生きてるんだ…僕は自殺の屍体が嫌いだ…僕が一番望んでいることをやって僕の目の前で見せびらかして先に逝って僕を置き去りにして…僕がそうなりたいのに! あそこに、解剖台に寝ているのは本当は僕なんだ!! それなのに…それなのに…それより何度も言ったでしょ! 僕のそばにいたら危ないんだって! なんでわかんないの!」

 

 僕は泣いていた。それを見られたくなくて、テーブルの上に突っ伏した。

 

「…ちゃんと仕事はします…だから今日は帰って下さい。僕もあんなことがあって混乱してるんです。これ以上はもう無理です…貴方を恨んでしまいそうです…もう今日は勘弁してください…」

 

 切れ切れに呟いた言葉がどれだけ届いているかは不明だったが、それを聞いて幸村さんは僕の前にしゃがみこんだ。

 

「わかった…ごめんな。なんだかわからないが…」

 

 少しの沈黙の後、テーブルの上の食器を片付ける音がした。そのあと流しでそれを洗っているような音に変わった。そのうち水の音が止んだ。

 

「じゃあ帰るわ。ちゃんとなんか食えよ。またな」

 

 まだテーブルに突っ伏して泣いている僕の側に立って幸村さんはそう言うと、僕の頭を2、3回撫でて玄関に向かっていたようだった。ドアの開く音がした。それから静かに閉まった。

 

 僕はそのあともずっとテーブル伏せたまま泣いていた。泣きながら隆のことを切れ切れに思い出していた。僕を抱いて、苦しんで、死にきれなくてユニットバスで吐き続けている姿が焼き付いて離れない。もういい。もういいから…僕はなにもあなたに望まない。だから僕に関わらないで。

 

 関わるな。誰も。

 

 夕方になるまで僕はそうやっていた。それからのろのろと立ち上がって冷蔵庫から出した牛乳を飲んだ。泣いたのなんて何年ぶりだろう。最後に泣いたのは寺岡さんのベッドで隆に逢った時だったっけ。

 

 ふと見ると流しの脇の食器の水切りカゴに、洗ったお椀や茶碗が並んでいて、塩のビンがその前にポツンと置いてあった。なんでこんなことになっちゃったのかと、僕はしばらくそこに佇んでいた。

 

 

 

 




《その味噌汁を作ってみた》

 どこに嫁に出しても大丈夫なように、裕に炊飯器の使い方と味噌汁の作り方は母を通じて教えたんですが、先日初めて他人にそれを食わせるという暴挙に出やがりまして、幸村さんが塩振って完食した例の味噌汁を

 作ってみた。

 ええ、どんな味か確認は必要でしょう責任はないけど。作ってから書けよ、と言われる向きもあると思われますが、それは裕が作っちゃったんで、あとから追試は不可抗力です。俺、あいつらの観察者だし、ただのキーパンチャーだし。

 裕はお母さんから普通の味噌汁の作り方を学びました。でも合理的な裕は、お母さんが目分量で決めてた味噌の量とか水の量とかダシの量をその度に計量して平均値を出し、同じものを作り続けるほうが買い物もコスパ計算も合理的にいくということを考えました。しかしそのあとで脚気で受診した時の栄養士の指導とやらで、アレンジ加味して後、今に至るとなってます。

 というわけで、死ぬまでに自分が身体不調により、自己の肉体の存在を感じて苦しまないために健康でいるという逆説的な健康志向の裕ですが、味とか風味に関係なく、色々と入れてますので、書き終わった後、これどんな味か是非知りたい、そしてレポート書きたい。なら作ろうという作者が作中人物ストーカー化してる現在状況です。

 では以下、裕に聞いた作り方です。ええ、今日の晩飯に作ったんです。

・材料(2日分=2回分=2人分)

 ちくわ(2本)7
 高野豆腐(大1個)8
 乾燥ひじき(大さじ1)
 人参(大4分の1)
 キャベツ(葉2枚)
 玉ねぎ(4分の1)
 味噌(50g)6
 水(500ml)
 粉末ダシ(小さじ1杯=5ml)
 
1.下ごしらえ。ひじき(ビーカーに200mlの水と一緒にいれる)と高野豆腐(直径90mm×20mm高さのステンレスシャーレが丁度いい大きさ)をそれぞれ水に浸して戻しておく。
裕「具材を切っているうちに戻るので、“必ず”切る前にこれをすること。時間のロスは出さないで下さい」

2.材料を切る。ちくわは5mm厚に輪切り(厚さはこれ以上でもこれ以下でも食べにくい=時間がかかる)、人参は1本の4分の1を皮を剥き縦半分に切り、2mmくらいの短冊切りにする(火が早く通る)。キャベツは長さ5cm幅1cmくらいの適当なザク切りで良い。玉ねぎは4分の1を2mm程度の薄切りにする。切ったものは同一のボールに入れておく。
裕「人参は短冊のほうがいちょう切りより切る回数が少ないのでいい」

3.材料を切り終わったくらいで、高野豆腐が戻っているので、これを絞って水を切り15mmくらいのさいの目に切る。戻ったひじきをざるに上げ水を切る。

4.水を分量500ml鍋に入れ、全材料を投入。沸騰するまで強火。沸騰したらダシを入れ、弱火で蓋をして10分煮る。
裕「この間に調理用具の洗い物をし、茶碗類と箸を準備」

5.煮えたら味噌をといて出来上がり。
裕「熱いので、冷めるまで食べられません。ご飯は先に炊いていつもお冷にしておいてます」


 さて、人参やキャベツや高野豆腐やちくわのパステルトーンの中にひじきが黒々と散りばめられたカンディンスキーの抽象画様の見た目のものが出来上がります。うちは別に熱くていいので、よそってすぐに頂きますした。

 味…甘い。すごく甘い。人参と玉ねぎとキャベツから出た甘さ。関西人好きそう。東北人でなければ、塩加減はこれで全然足りる。てか、不味くない。フツーに食える。ちくわが魚臭いかといえば、味噌で臭さが抜けてるし、ひじきも邪魔にならない。味噌汁の常識に囚われなければなんの問題もない。確かに甘みがあるんで、これだけでご飯食べるんなら東北人なら多少塩振ってもオカズの濃さだな…と、実際塩振って幸村さんの味でも食った(検証細かいな)。甘さがかなり塩味を吸収するんで、食卓塩なら2〜3振りでいい感じに濃くなる。でも振らないで十分いけます。ちくわと高野豆腐からダシ出てるんで、けっこうしっかりした味になる。

 この味噌汁1杯分でタンパク質が10g。胚芽米食ってるようなんで、1合炊いて半分を1食で食べる裕は1膳10gの米のタンパク質を加算。1食20gとなる。

 1日の成人のタンパク質摂取量は、身長から割り出した適正体重(自分の体重ではないよ)1kgあたり0.66gのタンパク質を摂るのが目安。裕はこの時期172cm×56kgという体型(ちなみにムーディ勝山と同じ…らしい)なのですが、適正体重は65kg。1日に40gぐらいは摂ったほうがいいようです。あとの2食で20gだ。がんばれ裕。牛乳600ccで20gイケるぞ。


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