そこには穂刈さんがつけた幾筋もの赤い線が胸から下に走っていた。幸村さんは絶句した。そして絶句したまま呆然としたように、その傷をなぜか指でなぞった。
「う…く…」
痛みと疼きが混じったえも言われぬ感覚が皮膚を走った。居た堪れなさと恥ずかしさで幸村さんを見れず、僕は思わず目を伏せて横を向いた。残り火が煽られる。自分の性器がピクンと震えるのがわかった。幸村さんは僕の傷をなぞった指の腹を確かめるように見た。血が止まっているかどうか確かめたのかも知れなかった。
「全部…見せろ」
幸村さんは有無を言わせず僕をベッドに引きずり上げると、腰掛けた僕の服を剥いでいった。、徐々に傷が露わになっていき、全裸になった時、幸村さんは僕の前に立ち尽くしていた。
「これは…ひどいな…」
そう呟くと幸村さんは顔をしかめた。僕は幸村さんを取りなした。
「大丈夫です…自分でやった時より…痛くないです」
「お前…ここまでやられてもそんなこと言ってるのか」
「自分でも同じことやる人間です…それに僕は…感覚が…鈍いです…から」
それよりも、自分の性器がすでに硬くなっていることのほうが、見られたくなくて僕には辛かった。
「それに…掲示板にハードなことするって…最初から書いてあって…知ってて僕は…」
「そうだな。自業自得だな…とでも言って欲しいのか」
「いいんです…これで抜いてくれたんだから…僕には必要で…」
「おま…え」
だが、幸村さんは何かに気づいたように唐突に言葉を切ると、僕の傷だらけの身体をいきなり押し倒した。
「あっ…」
「抜いてくれただと? じゃあ、これはなんなんだよ」
僕がこっそり手で隠していたモノは、あっさり手首を掴まれて曝されてしまった。勃っている。隠しようがなく。幸村さんは馬乗りになり、両手首をベッドに押さえつけていた。そしてわざと聞いた。
「何回抜いてくれたんだ? あのお節介な男は」
「……そ…それは」
「1回か? 2回抜いてくれたのか?」
「……は…い」
「ああ、そう。で、終わったのかよ」
幸村さんは静かに憤っていた。無表情なのがそれを際立たせていた。僕は自分からそれを言う勇気などなかった…ここまでやられて、さんざん犯されて切られて抜かれて、まだ終わってない、なんて。目をそらして黙りこくった僕を見て、幸村さんは薄笑いを浮かべて僕の足を膝で割開いた。
「さすがにこれじゃ、嘘つけねぇな」
「あうっ」
股間をいっぱいに開かされて関節が軋んだ。固く勃った僕の性器が無様に曝されていた。幸村さんは僕の太ももを膝で押さえつけたまま、起き上がって上着とネクタイを脱ぎ捨てた。
「発作の後、お前は何もなければ1回出せばそれで治まる。でも狂ったまま長い時間放置されたら、1度じゃ治まらないよな。2回出しても次の日にだってまだイク。イクまでの時間長くて苦しめば苦しむほどちょっとじゃ終われなくなる。分かってなきゃお前の身体を終わらせらんねぇんだよ。俺はお前の身体を知ってる。分かってない事のほうが多いかも知れんが、俺はどうすればお前が終われるかだけは、経験上分かってる…あの男よりな!」
そして、僕の顎を片手で掴み、口が開かないように押さえつけた。怒りが言葉から漏れて伝ってくるのがわかった。
「意味がないだろ。お前が捨て身で掲示板の誰かに発作の度に臨んだところで、お前の良いように扱ってくれる保証なんかあるのかよ。誰でもいいとか言ってるなら、誰にでもわかるようにして欲しいことしてもらえよ。それが出来ないなら…そんな無駄で危険な真似、今後一切するんじゃねぇ!!」
僕は鼻を鳴らして頷いた。犬みたいな声が出た。顎を掴まれているので、口が開かなかった。
「あの時みたいにさんざん焦らされて壊れたんだろ…これだけこじらせたら、俺だってどうすりゃ収められるのかわからない。一回出すぞ…いいか」
僕はもう一度頷いた。いきり立った性器を幸村さんの空いている手が握りこんだ。またビクンと腰が跳ねた。
「んんんっ…」
「ホントなら…殴ってやりたい。お前のこと」
そう言うと、幸村さんはしごきながら首筋に顔を埋めた。どこをなぶれば感じるか知ってる。残り火が一気に下腹部で煽られて熾きた。余計なことを言わないようにか、口を押さえられていた。首も逃げられない。耐えられなくて思わず僕の口を塞いでいる幸村さんの手首を掴んだ。でもそれはびくともしなかった。
「でも殴ったところでお前には意味がない…きっと」
耳に口をつけて幸村さんは声と息を同時に送り込んだ。背中が勝手に仰け反った。
「それでも…今日のお前は前よりマシだ…苦しいかも知れんが…マシだよ。バカなこと仕出かした割にはな」
「くふ…ん…んん…んんんんっ…!」
耳の中に熱い舌が入ってくる。その間も緩く早く、緩急をつけてしごかれ続けていた。穂刈さんに嬲られ続けて腰の抜けた身体が無理矢理快感を注ぎ込まれて、灼き切れそうになる。熱さに身体がひりついて、砂漠で灼熱の太陽にジリジリ炙られた石みたいな感覚が皮膚を灼いていった。苦しくて首を左右に振ると、幸村さんが口に当てた手を外した。そしてあえぐ僕の唇を唇で塞いだ。
「んふっ! んんんくっ! …う…」
喘ぎ声を吸われながら、一瞬で僕は絶頂を迎えた。僕の腹に精液がかろうじて垂れた。穂刈さんに絞りつくされたと思っていたのに、まだ残ってたのかと僕は感心した。幸村さんは唇を離して、もう一度僕の首筋に顔を埋めた。また身体がピクっと震えた。まだ終わっていない…。だが、幸村さんは愛撫ではなく、僕の匂いを嗅いでいるようだった。スンと鼻を鳴らす音がした。
「…松脂か? 匂いがする…お前の身体から」
不意に幸村さんの口調が変わった。
「マツ…ヤニ?」
「ああ。何の匂いだ? これ」
「匂い…しますか。僕、嗅覚ほとんど働いてないので…まったくわからないんですが…」
温泉の匂いだろうか? だが温泉が松脂の匂いなどするわけがない。幸村さんは胸の傷と、傷のない二の腕に鼻を近づけて、また匂いを嗅いだ。幸村さんの鼻の頭や髪が肌に触れるたびにゾクッとして、身体が勝手に震えた。まだ終わらない。
「傷口だけか…? なにか塗ったのか」
それを言われ、僕は穂刈さんから傷用の軟膏を塗られたことを思い出した。
「そう言えば…塗られました…傷薬」
「あの…あの電話の野郎にか?」
「…ええ」
「自分で切って…かよ」
「血がすぐ止まるとか…言われました」
「なんだそりゃ。意味わからん…なんだそれは…」
幸村さんは腹立たしげに首を横に振った。
「また…会うのか?」
そして眉間にシワを寄せてため息をついた。
「いいえ。お互い1回きりの約束でしたから」
「そんなの、どうにでも変わる」
「いえ、もうここには戻らないそうです。遠くに行くそうです。だから…最後の日だと」
「そりゃ残念だったな」
幸村さんは嫌味にそう言った。
「いえ…それだから良かったんです。僕もその人もその条件が一致したから」
「クソ野郎め…」
「…そう…思います」
「お前もだ! この大バカ」
「そう…思います」
それを聞くと幸村さんはチッ…と舌打ちして。苦い顔をし、ベッドから起き上がった。
「思ったよりキツいな…」
「ごめん…なさい…」
「いまさらだろ…俺の自覚が足りなかったわけだ…畜生」
ベッドに腰掛けて僕に背を向けると、幸村さんは独り言みたいに呟いた。そして自分の額に右手を当てた。
「これから松脂の匂いを嗅ぐと、俺は今日のこの日というやつを思い出すのか…」
それは寺岡さんの言っていた記憶と匂いの関係そのものを表していた。記憶と情動を司る大脳辺縁系。そこに達する嗅覚の状況は、強烈にその匂いにまつわる記憶と感情を惹起する。ミントは僕に有益な効果をくれるが、幸村さんにとっての松脂の匂いは、この嫌な感じを思い出させる不利益な情報となってしまった。それは幸村さんの心理の中で、とても非道い条件付けと言えた。幸村さんの背中を見ながら、僕の中にこの記憶をどうにかして書き換えなければいけないという切迫感が急速に広がっていった。
引き戻さなければ…ダメージは少しづつ積まれていく。それがある吃水線を超えた時に、重みに耐えかねた船は沈み始める。それが来るのが僕と関わって1年前後なんだと、僕は前から推測していた。人の持つ普通の好悪の感覚と違う僕は、どうやっても誰かの欲しがるものを差し出すことが出来ない。欲しがるという感覚がまずよくわからない。
欲しい物が手に入ることを人は期待する。自分のせいだとわかっていても、自分がした期待に押しつぶされる。僕は砂漠の塩湖のような人間だ。渇ききった旅人が砂漠で透明な湖を見つけ、飲めそうだと近づいてくる。透明な水に目を奪われ、掬って一口飲んだ瞬間、それは濃い塩水だと知る。そして口にした瞬間、今までより更に渇いていく。透明なのは、塩分濃度でプランクトンも魚も死滅して棲めないからだ。僕は静かなオアシスに見えるのかも知れない。でも僕を飲み続けると、1年後には死が待ってる。
わかっているのに、今この場をどうにもできない苛立たしさ…傷ついていく人を目の当たりにしながら、なんの約束も保証も出来るわけじゃない。その僕がこの一晩限りの猶予の中で、この匂いの記憶を書き換えられるのか、到底無理に思えた。
ダメなのか…
ダメなんだ。ダメだ…僕は、無力だ。だって、その残酷な匂いすら、僕自身が感知することさえ出来ないのだから。そしたら…
もう出来ることはひとつしかない。しかもそれをしたところで、なんにもならない。
僕は幸村さんの背後で起き上がった。僕が動いた気配を感じてかすかに僕の方に首を傾けたが、僕はなにも言わないまま壁を伝ってヨロヨロとバスルームに向かった。
「…どうした?」
廊下で幸村さんの声を聞いたが、僕は浴室に入り、内側から鍵を掛けた。シャワーをいつもより熱くした。
松脂は一旦肌に着くとベタベタして石鹸でもお湯でも落ちない。以前の職場で、製材所で変死した遺体を解剖した時、伐採したばかりの松が積んであり、遺体が下敷きになって、松脂が服や顔にベッタリと付いていた。松脂がついた顔写真と、落とした顔写真を撮るので、先輩が四苦八苦していたが、油は油で落とすという情報がインターネットにあり、オイルクレンジングをドラッグストアで買ってきて使った。
浴室の鏡のついた棚を観音開きに開けた。中にあの、焼損遺体の事件の時の、スティックをなくした際に買ったミントオイルが置いてあった。熱めのシャワーをまず浴びた。身体が熱さで鳥肌が立ち、耳の奥がジーンと言うノイズでいっぱいになった。ミントオイルを手に取り、傷口に沿って塗っていった。これで松脂が溶ける。匂いも、ミントで流れてくれたらいい。鈍感な僕でも、傷口に直接希釈しないミントオイルを塗りこむと、ジンジン沁みてきた。だが身体の全面に塗りこんでいくと、肌の上で固い樹脂が手のひらに突っかかる感触が溶けていくのがわかった。ドンドンと浴室のドアを叩く音が聞こえた。幸村さんがなにか言っているが、耳の中のノイズで内容はわからなかった。
(一日は風呂に入るなよ)
穂刈さんは傷口に軟膏を塗りこみながらそう言った。血は止まっているが、傷口が開いて痛みが出ると。1日は無理でした穂刈さん。もうあなたの痕跡は拭い去らなければなりません。折角手当してくれたのにごめんなさい。
石鹸で溶けた油を洗っていく。石鹸もアルカリなのでかなり沁みてきた。心拍と同じ脈動が、皮膚の表面で脈打つ。その間にも扉をドンドン叩く音がしている。背中の傷をどうやってオイルで洗うか、それが今、いちばんの問題だった。そのうち。ドンドンが静かになったと思うと、ガチャッという音がして、内側から掛けたロックの頭が回った。幸村さんが外から硬貨か何かでロックを解除したようだった。バンッ!という音がして、浴室のドアが開いた。
「なにやってるんだ!?」
血相変えて飛び込んできた幸村さんがいきなり顔をしかめ、腕で自分の鼻と口を塞いだ。
「うわ! ミント臭せぇ!」
「まだ…終わってません…勝手に開けないで待ってて下さい」
「お前なにやっ…え? まさかおい、身体洗ってんのか?」
「背中…洗ったら終わりますから…だから待っていてくれませんか」
「馬鹿野郎…お前、傷が開くぞ!」
「構いません…匂い…落とさないと…幸村さんに…申し訳ないから」
「やめろ…折角薬塗ってあるんじゃねぇか! 悪かったよ…俺があんなこと言うからだろ? もうやめろ。やめてくれ頼むから」
「ダメなんです…これ…ちゃんと落とさないと…こういうことがどんどん積み重なって…耐え切れなくて心が折れるから…僕といると傷つくから…でも…もう…遅い…こんなことして…なんになるんだって思います…でもこれしか…僕出来ないし」
「いいからやめろ!」
「背中を…落とさないと…背中は手が届かないとこ多くて…どうやればできるのかわからなくて」
幸村さんは水に濡れないようにか、Yシャツを脱ぎ、上半身裸になった。
「早く出ろ!」
そう言うと、僕の泡だらけの手を引っ張り、浴室の外に引きずり出そうとした。
「だめです! まだ、まだ残ってる…!」
「いいから!」
「良くないよ…全然良くないですから!」
「俺がいいって言ってるんだぞ?」
「我慢しないでよ!」
「俺が悪かったって!! この頑固野郎!」
幸村さんはそう叫びながら脱衣所にズボンとトランクスと靴下を脱いで放り投げた。裸になった幸村さんは浴室に入り、僕の身体で泡立っている石鹸をシャワーで落とし始めた。
「まだです!」
僕は幸村さんの持っているシャワーヘッドを掴んで引き下げた。シャワーの飛沫があらぬ方向の壁に当たった。
「やめてくれ…」
「背中がまだ落ちてない」
「もういい」
「ダメだってば! 落ち込んだ幸村さんなんて…今まで見たことなかった…そんな風にさせたのは僕だから…ごめんなさい…できること何にもないんだ…だからせめてこれだけでも落とさなきゃ! バカなことしたからしょうがないんですから!!」
力ずくでシャワーヘッドに両手を掛け、僕は幸村さんから必死にそれを取り上げようとした。だが、幸村さんの腕力には全く歯が立たなかった。僕は動物園の猿みたいにシャワーヘッドにぶら下がっているも同然だった。
「…背中の…落とせば…風呂から出るのか?」
歯の立たない僕の、勢いと気持ちだけが幸村さんに届いたようだった。
「はい…出ます…」
「わかった…俺が落とす。やり方教えろ」
これを幸村さん自身に落とさせるのかと思うと身震いした。
「ごめんなさい…こんなことさせたくない」
「でも背中は出来ねーだろ」
「出来ません…」
「じゃあ諦めろ。俺も洗わないで引っ張りだすの諦めるから」
呆れたように言う幸村さんはシャワーの栓を閉めた。お湯が止まったので僕がおずおずと両手を離すと、幸村さんはようやくシャワーヘッドを壁に掛けた。
「どうやんの?」
「……」
「いいから教えろ」
いつまでも黙ってるわけにいかず、僕は小さな声で幸村さんに言った。
「あの…手の平を出して下さい」
「こうか?」
差し出された右の手のひらに、タイルに転がっていたオイルのビンからタラタラっとミントオイルを垂らした。
「うわ…すげぇ匂いだな」
「これ…背中の傷に沿って塗って」
「これをか? これしみるぞ!?」
「塗って下さい!」
「…わかったよ」
僕がしゃがんで背中を向けると、躊躇いながら幸村さんは手のひらを背中に置いた。
「んっ…」
「大丈夫か?」
「へ…平気です」
手を置かれた皮膚が、変な性感とヒリっとした痛みの混合された感覚に疼いた。幸村さんが一気に手を傷に沿って滑らせていく。しみる…背中の傷は胸より深いようだった。ところどころで今までにないズキッとした深い痛みが走る。その度に背中がビクッと震えた。
編集中に寝落ちしてました。起きたらすでに投稿予約完了してて、題名もないまま、中身の手直しもハンパにUPされてました…大変申し訳ありません。今直して上げ直しました。題名つけた…午前2:12…寝ます…バタッ…