1.自由か、死か
ひっそりと、ひっそりと、僕は願いながら日々を暮らす。僕が誰も傷つけないように。そしてできうる限りの適切さで他者との適切な距離を見つける。出来るならば。
案外空虚なものだと、再びその距離感に戻った僕は、自分の感じたものを意外に思った。でも元の鞘に収まった感覚も同時にあり、それでも二回目のそれは、一回目よりも淡く切ない感じがした。これが、別の職場に移ったのならもう少しドライになれたのだろう。
生きている人に慣れた。いつの間にか。その騒がしい世界の悲しい気持ちと淋しさを知った。切なさという言葉で表されるその気持ちを知った。困った。どう言ったらいいかわからないが、困ったんだ、僕は…
これ以上悲しくさせないようにしなきゃならない。困り果てて壊れそうになるなどと、誰が想像しよう? 関わりというものがこの生きている人間の世界にはあって、それは様々な欲求や執着や期待で彩られている。僕はそれに気づいてきた。そういうものを皆求めると知った。なぜ求めるのかがわからなかった。だが僕はそれの答えのようなものに気がついた。
足りないものを埋めたい。
足りないんだ…足りない…君が足りない…誰かが足りない…心が求めている…失ったもの…最初から無いもの?
そしてわかった。僕にはそれがわからない。いやわかる。僕も求めている。面倒の起こらない、元の静かな世界に戻りたい。
関わりという淋しさ、それのない世界に。
足りないものは何もない。誰もいないのはすべてがあるってことだ。だけどそれをわかっている人はいない…死者以外、誰も。淋しい世界で足りないと思って生きている人を見せられ続けた。僕を欲しいという人、僕でない誰かを欲しいという人…そして今度は不思議に思う。僕がなぜその悲しみを感じることが出来るのだろうかってことに。わからなくてもおかしくないのに、僕はそれをどこかで知っているから悲しみとか淋しさとか名前をつけることが出来たのだ。よく考えたらおかしいよね…足りないものがないのに、なぜこれを知っているのだろうって。でも多分、きっとそれが本当の父親と母親の残してくれた置土産なんじゃないかって、僕はこの頃思ってみたりするのだ。
空いた席を埋めるように、願うという行為が僕に与えられ、僕はそのはっきりしない姿形のヤツをその席に座らせた。そしてはっきりしないというのは、焦点が定まらないということを知った。結論は「神仏の像とか絵姿の存在理由を認識した」ということだった。僕は少し考えて、例の河鍋暁斎のドクロとトカゲの絵をWEBサイトからダウンロードしてそれを写真立てに入れ、本棚の中段に置いた。穂刈さんの言ったことを忘れないようにするためもあった。そしてその画像に“死神さん”と名前をつけた。
その画像を部屋に置くようになってから、死神に関する信仰というものを僕はインターネットで調べてみるようになった。いままでは死そのものにしか興味がなかったが、“願う”という行為が僕の行動様式に追加されてからというもの、今まで一切僕と接点のなかった信仰というものが、死に対して行われているのかどうかということに興味が湧いた。死を信仰するために神格化したものが死神というものだと僕は推測した。
死神に対する信仰は世界各地にあって、キリスト教にも道教にもギリシャ神話にも信仰対象になっている死神が存在した。その中でもメキシコにはサンタ・ムエルテ信仰というものがあって、これは『死の聖女』という意味らしい。この聖女は中南米の土着の死神信仰とカトリックが混交されて生まれたものとされる。そして面白いのが、この聖女は信者に道徳や倫理を求めない。それで犯罪者もこの聖女を信仰する。祈願も叶えるし、呪いも叶える。その姿は、骸骨が色鮮やかなヴェールをまとい、長衣を着ていて、ドクロ顔のマリア様のような雰囲気らしい。その姿で死神の大鎌を持っている。死の国のマリア…そういえば、佐伯陸に“マリア様”などと変な言われたことを思い出す。僕はその時答えた…死人のマリア様なんていないよ…と。でもいるんだな。死神のマリア。
死は誰にも期待しない。善悪を顧みない。良い人も悪い人も等しく命を奪われていく。死者に善悪はもうすでに無く、それ故にか純粋な美しさを僕はそこに見る。髑髏の聖女という存在、そしてそれが今、南米でもその他の地域でも信仰者が急速に拡大しているというのは、僕はなにかわかる気がした。そんな話をWEBで読んだ後、僕は自分の部屋のプリントアウトの暁斎の髑髏が、なんだか女の人の骨のように感じた。それは僕にとってあの日から死の象徴が“実の母”になったことにもよるのかも知れない。生まれる前から母の死に抱かれていた僕は、死がネガティブなものであるという意識を生まれつき持たなかったように思えるのだ。
もっとも死がネガティブなものだと知ったのは、死にまつわる本を読み漁っているうちに、一般的に語られる死が、大抵においておぞましく、恐れられ、避けられ、禁忌で、穢れているものとして描かれていたからだったが、実は僕はそのことについて、ある時期まで興味もなく、意味すらわかっていなかったような気がする。装丁や文章にあるネガティブなイメージが量を増やし蓄積されていくうちに、僕は世間の目が、死をどのように見ているのかが、いつの間にかなんとなく分かってきたようだった。それでもその恐怖を理解するまでには至っていない。死への恐怖ではなく、生への恐怖なら知っているが。自殺者を通じて。
サンタ・ムエルテのことを調べているうちに、祈願の方法を詳しく書いてあるサイトを開いたことがあった。
『サンタ・ムエルテはメキシコの死神信仰と言えるもので、いかなる宗教の信仰者でも掛け持ちで信じることが出来る、大変懐の広い聖人です。カトリックなどと違い、堕胎や同性愛も受け入れます。そのようなわけで、昔から泥棒、強盗、殺人者、麻薬犯罪人、政治家、囚人などに信仰が厚く、現在は一般人への信仰の浸透が広がっています。サンタ・ムエルテへの祈願はどんな願望でも叶えてくれるという信頼が厚く、呪術家や黒魔術家の間でもその効力は脅威となっております。
《死の聖母への祈願》
1・サンタ・ムエルテのお守りを手に入れる。
2・エスニック系の雑貨屋、またはインターネットでサンタ・ムエルテを検索したほうが確実に手に入る。色とりどりの袋、ロウソクやパワーストーン、各種のハーブや植物などから抽出されたオイルがセットになったものなどがある。祈願の目的(魔除け、癒やし、願望成就、お金、恋愛…など)によって色の違う袋になっている。自分の願いに沿って色を選ぶ。
3・サンタ・ムエルテに供物を捧げる。生き物の屍体や生き血などではなく、お花や食べ物などを用意する。
4・お守りの袋の中に指定されたようにオイルや石などを入れて、願いを唱え、大切に持ち歩く。
注意:祈願が成就したら、お守りのサンタ・ムエルテに感謝を捧げ、お礼のお供え物を沢山供える。感謝やお礼がないと、非常に過酷な制裁が下るとされる。お願いをして叶えてもらったら感謝を捧げて、それを供物として形にすることが大変重要である。
《死の聖母の祈り》
“何も誓わずとも、我々をお導きください”』
最後の祈りの言葉に不覚にも感心した。何も誓わずとも、導きを。十戒や五戒を守れなくとも、盗人でも、不倫していても、嘘つきでも、人を殺してしまっても、どうぞご加護を…お導きを。生きている人に興味がなくても、僕を好きで近づく人を死なせても、誰にでも抱かれて身も心も狂っても…ねぇ、穂刈さん…人殺しでも救われるかも知れないね。あなたもしかして、そんなことを知っていたのかな? あなたのナイフの神も同じように。
僕は写真立ての髑髏に心の中でそんなことを話しかけた。髑髏の目を抜けて遊んでいる蜥蜴のことを、僕はあのとき穂刈さん自身のことのように思ったが、死の聖母のことを読んで、今こうして自分の部屋で眺めていると、この蜥蜴はこの世に生きる人類すべてを暗示しているようにすら感じた。そして僕は顔も知らない自分の実の母親になんとなくサンタ・ムエルテのイメージを重ねてみるようになった。
母の骸骨に抱かれている自分を思い浮かべることは容易い。夜、ベッドの上でひとり仰向けで寝転がり目を閉じる。
本当の母…死の胎…僕のシェルター…死の聖母…そして願い…
願い…どうせ願うなら…誰も悲しまずに僕が今すぐ死ねますように…そう願ってもいいのだろう…死の聖母がどんな願いでも奇跡のように叶えてくれるのであれば…僕は…貴女のもとに還りたいな…
死神の手先から足を洗うのと、自分が死ぬのでは、どちらが容易く叶うだろう? それに死神から足を洗ったところで、僕が他人を悲しませない保証などない。僕が生きてこの世界にいることの方が迷惑だ。もし死神から足を洗うなら、同時にこう願わねばならないだろう。“生きている人を愛する心を下さい”と。この世からいなくなるのと、生きている人達の世界で生きていくのを望むのと、どっちが僕の望みに叶うのだろう。
僕は死を選びたかった。
それでもまだ死神が僕を刈り取る気がないなら、それはそれで受け入れなければならない。そのためには同時に2つの願いをしてみるという手はあると思った。僕が本気で願っているのがどちらか、それでわかるというものだ。僕は逃げで選んだ道を行ってもどのみち同じように行き詰まるとどこかで思っている。真に望むなら、それがどこかへ、自分の好ましい場所に通じると…それがこの世界の法に触れようが触れまいが。
佳彦が殺してくれなかったことをまだ根に持っているのかも知れない。本当に望んだことを法を犯したくないばっかりに実行してくれなかった。でも、それも本当にしたかったらしてるんだろう、とも思う。佳彦が僕を殺さなかったのは、僕にも佳彦にもその欲望を実行に移すほどには情熱が足りなかった。それだけかも知れない。
そう考えるとなおさら試したくなる。自分が本当に死を望んでいるのか否か。いつでも死ねるキッカケはあったのにまだ死んでない僕は本当に死にたいのか? という根本的な疑問の答えを知りたくなる。僕の関係者が悲しむことがなければ僕はすぐ元の世界へ帰還出来るのか、それとも、まだ許可が下りないのか…
(君みたいな後輩に居場所を作って上げて欲しい)
死ぬ許可、ということを考えた途端、堺教授のあの時の言葉が甦ってきた。業界へのお礼の奉仕と貢献ということ。僕がどれだけこの業界に恩義に感じているか…かな? とちょっと考えた。恩義だけではなく、法医学業界への僕の貢献度合いが人生的に足りなければ、トントンになるまでは許してくれないかも…という気もした。それは僕には量りかねる。それにしても僕が将来、堺教授のような、誰かを守れるくらいのポストに着けているとも思えないけど。それでも居場所は創設出来るのだろうか? それも、他人と関わりを持てないような身の上ではどれもこれもお話にすらならないのだが。
考え始めたらきりがない。現実の結果を以って答えにするしか結論は出ないと予想した。そうなると、願うとすればこんな言葉だろうか。
(我に自由を、しからずんば死を)
アメリカの独立戦争かなにかのプロパガンダだったような気がする。意味がだいぶ違ってしまったが、そういうことだ。僕はそもそも死の方にウェイトが高いから、逆にして言わなければならないかも。
(我に死を、しからずんば自由を!)
秋の林野庁の査察を控え、林業組合が前乗りで木材の伐採現場を下見している時に、組合員の一人が山林で腐乱死体を発見した。一般登山道に近い伐採現場で、秋口を経て死亡からかなり日数が経っているし、崩壊と白骨化が進んでいるのと野犬や烏に荒らされていて警察の検視では性別、身元、死因はわからなかった。遺留品の捜索と並行して当然司法解剖となった。
死体の出た自治体は県境に接していて山深く、JRの◯×駅周辺は自治体の中心地となっていて、自治体の役場と所轄の警察署がある。この駅から登山家には古くから人気の2つの連峰への登山口にバスでアプローチできる。なので、ここの所轄からは登山中の事故死や過失致死などの解剖案件がここに来ることが多い。
ハイカーは入山前に警察署には登山届を提出する。夏から秋にかけては登山ラッシュとなるが、届け出の名簿には遭難や行方不明者などの異状は特になく、地元住民の事故かもしくは自殺目的の無届入山、でなければ殺人等の死体遺棄の可能性がある。地元住民の行方不明や捜索願など調べても特に該当がなく、いつも通り山深い県にありがちな、他県からの来訪、もしくは持ち込み遺棄の可能性も大きかった。
その日は堺教授は医学部の解剖実習で午後は大学だった。僕と菅平さんで受け入れとなり、アシストに検査技師の鈴木さんが入ることになった。昼過ぎには遺体が到着する予定だった。僕は入念にミントと保冷剤で武装した。
例のダムから上がった入水自殺屍体以降、なぜかぷっつりと自殺の遺体が法医学教室に運ばれてこなくなっていた。偶然に自殺者が出ていないか、もしくは検視の段階で判別されているせいか、真相はわからなかった。
かと言って、異状死体が減ったわけではなく、夏場に多い水場のレジャーでの水死体や熱中症による独居高齢者の孤独死などが、猛暑の今年は相次いだ。大きな台風が8月の終わりにこの地方を直撃し、山間部の土砂崩れで家屋などの下敷きになり一家4人が死亡。暑さでバテていた僕と堺教授は、その4人いっぺんの司法解剖で体力を使い果たし、大学の医務室で並んで点滴を受ける始末だった。
そんな残暑のキツい秋口を過ぎて、10月に入ったばかりの空の高い日だった。少しづつひんやりしてくる空気が心地良く、夏バテもだいぶ回復してきていた。だが午後になり、遺体の受け入れが近づいてくると、妙にそわそわした落ち着かない気分になっていた。そう言う予感は得てして当たるものだった。
《新章開始と長いお休みしてごめんなさいのあとがき》
期せずして1ヶ月くらい休んでしまったでしょうか。更新がハンパなく遅れまして申し訳ございませんでした。私の更新が遅れても世界には傷ひとつつかず、悪は栄え、正義はバカを見る通常運転の日常が続いております。ホッとします。とは言え、実は悪に見えるものが、真相では世界を維持している均衡の働きだったり、正義と呼ばれるシロモノが、ただの私利私欲を覆い隠す見た目だけキレイな書き割りに過ぎなかったりするかも知れません。私ごときのパンピーには世界の成り立ちは容易に姿を見せてはくれないのです…ステキに電波な妄想ですかね。
というわけで、この更新の遅れも何かを調整する偉大なグレート・サムシングの恩寵の御業とも言えましょう。塞翁が馬という言葉もございます(←なんか前にも言った気がする…まぁいいや)。今回の更新から第3章に入ります。これが最終章…のつもりです…なるといいなぁ…なるよね…そろそろ終わろうよ。
取り敢えず、頑張ります。相変わらずの貧血ですがマニアな2次書いてる場合じゃなくてww