※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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Ⅷ.井戸の中の二人

 1年ぶりの博物館の階段を僕は上っていた。小島さんは初めて来たという。

 

「こっちです」

 

 特別展示室は館の2階にある。どこに行けばなにがあるか、僕にはだいたいわかった。

 

「詳しいな。よく来るの?」

「ええ、まぁまぁ」

「へぇ…お前ぽいな」

「母が僕は化石とか恐竜とかが好きだって誤解してたんです。化石は好きですけど」

「それ、死んでるから好きなんだろ?」

「はい、化石が好きなので、恐竜の模型とか、全く興味なくて。でも母親は恐竜好きなんだって思って、ソフビのティラノザウルス買ってきたりするんです」

「お母さんに同情するなぁ…俺」

「で、小3の夏休みの理科の宿題で、母がここに連れてきてくれて。恐竜展やってたんです。僕はその時の展示の目玉の翼竜の全身標本に参っちゃって。ケツァルコアトルスの復元模型ではなくて、門外不出と言われた本物が来たんです。ゾクゾクしちゃった」

「それ以来?」

「ええ、それ以来。常設展の昆虫の標本とか、哺乳類の剥製とか、展示の数が多くて、回りきるのに何回も来ましたよ。向かいの国立博物館にはミイラがあるんで、そちらも行きますけどね」

「お母さんには自然科学好きの我が息子なんだろうな」

「そうですね。この前まで確実にそう思ってたと思います」

 

 この前、ついに堂々と“生きてるものに興味ない”って言っちゃったしな…と僕はちょっと後悔した。

 

「昆虫標本は好きだけど、虫取りには行かねぇっていうやつ?」

「まったくその通りです。でも虫拾いは良くしました」

「虫拾い?」

「死んで道路とか校庭に落ちてるのを拾うんです。玉虫とかカミキリムシとかはレア、セミは集めやすいです」

「生きたのを殺すとかしねぇの?」

「ですから生きてるのには興味ないんです。何回言えばわかります?」

「ああ…そうか。わかりづれぇなぁ」

「道路で轢き殺されたカエルとか拾ってきて、よく母に怒られました」

 

 こういうところは小島さんはちょっと物分かりが悪いと思った。すごくツボにはまったこと言うくせに、あの時みたいに本人はあんまりわかってないのかも知れない。松田さんはそこはよくわかっていた。だからあの写真集を…と、そう考えたところで、その考えを強引に振り払った。呪いはこうやって忍び込んでくる。

 

「ここから、特別展ですね。日本の古い時代から順に並んでるみたいです…あれ? 全身のが案外少ないなぁ…」

「やっぱ、松田のほうがお前の趣味に似てるわ。ここ来てよくわかった」

 

 振り払ったはずの呪いが、小島さんに反射してこちらへ跳ね返ってきてしまった。誘導式の追尾ミサイルみたいだ。逃げても隠れても執拗に追いかけてきて撃墜されてしまう。

 

「でもあいつは生きてるものから命を奪うのが好きなんだよな。そこが決定的にお前とは違うわ」

「もう、松田さんの話、やめませんか」

「あ…ああ」

 

 僕は小島さんも振り切るように、展示の奥に進んでいった。でもそこに待っていたのは、リアル世界に現れた『Suicidium cadavere』だった。

 

 その骨は、近世のカテゴリーにあった。東海地方の古い古民家の井戸の中から発見されたと標本カードの説明には記載されていた。2体の骨格が抱き合うように、すでに枯れた井戸の乾いた泥の中で発見されたと。若い男女の骨格で、時代は江戸中期か後期だろうという。浮き上がらないように石を抱いていたようで、その石に押さえつけられて何百年が経ち、綺麗な水の中で白骨化し泥がつもり、そして使われなくなってから井戸ごと干乾びていったようだった。静かに朽ちた骨は保存がよく、ほとんどの欠片が失われずに組み上げられていた。井戸を模した透明のアクリルの太い円筒の中で。

 

 そんなものを見ていたような気がした。だが僕には説明カードなど目に入っていたのだろうか。その時、僕の目の前には、石を抱いて寄り添い合う二人の想い人が居ただけだった。

 

 心中。

 

 発掘の時にどのような解釈があっただろうか? 間男と妻を殺して井戸に放り込んだ夫? 夫婦をこっそり殺してその家に入り込んだ強盗? 間者をこっそり始末して他人の家の井戸に葬った忍び?

 

 そんなものはない。そこには一切そんなものの入り込める余地などなかった。この世への絶望と来世に賭けた一瞬の幸福の中に彼らは静かに座っていた。その湧水は冷たく清らかで、まるで自分たちの犯した罪科や、自らの命を絶つこととなってしまったその原因の情念を、そこで清めているような気すらした。生きる“熱”を。その熱さえなければ、この人たちもこの世で平和に平凡に暮らしていたんだと思えた。

 

 意識が遠くなる。戻ってきたいのに戻れないような浮遊感の直後、僕の中の抑制がバネをぶち切ったかのような勢いで飛んだ。

 

「は…ぁっ…」

 

 ガラスの仕切りに手をついて僕は揺れる世界を必死で押さえていた。熱の塊が下腹部に打ち込まれて身動きできない。かすかに喘ぐことと、倒れないでいることが、僕にできる精一杯だった。

 

「おい、裕」

「…小島…さん…ここから…連れ出し…て」

 

 すぐ後ろに小島さんの声と体温が感じられた時、僕はまた、彼に助けを求めていた。

 

「裕、どうした?」

 

 後ろから肩を掴まれた瞬間、僕はそのまま後ろに倒れた。大きな胸にすっぽりと包まれているのがわかった。抱きとめられている。

 

「はぁ…はぁ…」

 

 息が上がる。もうダメだ。

 

「お前、まさか…」

「ごめん…なさい…」

 

 小島さんに脇を抱えられたまま、僕はその部屋を出た。ロビーの椅子も小島さんはスルーしてエレベーターで1階に降りると、そのままパーキングに直行した。助手席ではなく後部ドアが開く。後ろの座席を手際よくフラットにし、そこに僕を押し込んだ。ドアのバンという閉まる音が聞こえた。後部座席の窓はスモークになっていて、外からは中が見えなかった。隔絶された空間が僕の最後の抑制を解いた。

 

「んあああっ!」

 

 股間を両手で押さえてのた打ち回る僕を、小島さんは馬乗りになって押さえつけた。

 

「裕、裕、お前、これか…これのことか」

「そう…こっ…これ…これが…あ…」

「狂ってる…お前、いつからこんななんだよ」

「佳彦が…佳彦があぁ!…こんなの…ひどいよ…」

「あぁ…こんなにしちゃったんだ…松田」

「あの本が…僕に…わかってて…あの人…僕に」

 

 小島さんは僕の肩を押さえつけたまま、悶える僕を呆然と見ていた。そしてゆっくり口を開いた。

 

「これはダメだ…裕…俺、理性飛ぶわ」

「とっ…止めてください…僕を止めて…!」

 

 それを聞いた小島さんは僕の首を両手で掴んだ。

 

「これしか…ないんだろうな」

「ああっ!」

「俺は、落としたくない…ホントは」

 

 でも、これで終われるんだよ…今は。

 至福と絶頂が襲う。毎回毎回、裏切ることのないその効果に、僕は一瞬驚嘆した。

 

「お前が死にたいって…少し…わかった」

 

 その言葉を遠くなる意識の中でうっすら聞いた気がした。

 

 

 ここはどこなんだろうという疑問符で目が覚めた。平らなところで寝ていないことに気づく。誰かの腕の中に居る。後ろ抱きにされて、誰かに寄りかかっている。僕のみぞおちの辺りにある大きな手に触ってみた。

 

「起きたな」

「ここ…どこ…」

「俺の車の中だよ。大丈夫かおい」

 

 あ。そうだった。

 

「…忘れてた」

「ああ、おい裕、もう絞め落ちるのやめろよ」

「なんでですか?」

「落ちグセがつくんだぞ、こういうの。落ちるまでの時間がどんどん短くなるんだってよ」

「そうなんですか…簡単になっていいんじゃないですか?」

「お前なぁ…万が一後遺症とか出たらどうすんだよ」

「なってから考えます」

 

 小島さんの両足の間に座らされていた。僕は上半身を小島さんに預けてずっとこのまま抱かれていたみたいだ。

 

「なんで、小島さん座椅子になってくれてるんですか?」

「犯そうかどうしようか悩んでるうちにこの姿勢で落ち着いちまった」

「すみません。お守りしてもらって」

「俺はお父さんかよ」

「そんな歳なんですか?」

「中学生のガキのいる歳じゃねーよ。まだ俺28だぜ」

「30代かと思ってました」

「ホント失礼なやつだなお前」

「見たまんまです」

「ああ、そうだよ。言われるよ。だいたいそう言うよ皆んな」

 

 それから小島さんはちょっと真面目な声で僕に聞いた。顔は見えない。

 

「さっきのさ…なにがあった?」

「さっき?」

「いや…ほら、科学博物館の」

 

 科学博物館…そうだった。僕は骨標本の特別展を…

 

「あ…」

 

 井戸の底。

 

「やめて下さい」

「何がだよ」

「思い出したら…また…」

「また、ああなるのか?」

「なりそうで」

「なったらまた絞め殺してやるから」

「小島さんもうやっちゃダメって言ったですよね?」

「おま…それはそれ、これはこれだバカ。止まらんだろ―がお前」

「ああ、良かった。おねがいします」

「で? なんなの、どうなったの」

「ああ…骨が。井戸の底の骨が」

「あの透明な筒のか」

「心中だった…」

 

 僕はまたあの冷えていく二人の身体を感じた。

 

「心中って、書いてあったのか? 説明かなんかに」

「佳彦の貸してくれた本のこと、電話で話しましたよね」

「ああ、自殺のな。お前それで自殺の写真で欲情するようになっちゃったんだろ?」

「はい。そうです。でも写真の中で、2枚だけ全く性欲に関係ない写真があって」

「それは電話で聞いてねぇなぁ」

「話してないかも知れません。2枚だけ、他殺だったんです」

「え…?」

「それがどこかの国の警察署の資料室の自殺のカテゴリーにあったんです。犯人が殺人を自殺として偽装して、バレなかったから」

「おい、ちょっと待てよ。なんかそういう自殺じゃねぇ証拠とかが写ってたのかよ」

「いえ、実際のことはわかりません。僕が勝手に感じるだけなんです」

「なんだそれ」

「でも、その2枚、佳彦が好きなんです。他のどの写真よりも」

 

 小島さんの身体が一瞬固まったのがわかった。

 

「…なんだよ…それ」

「小島さんもさっき言ってましたよね。松田さんは生きてるものの命を奪うのが好きだって」

「あ…ああ」

「佳彦、ピンポイントにその2枚がそそるって言ったんです。それまで僕、その2枚のこと記憶にないくらい他の写真に刺激されて、忘れてた。でも、最後にあった時に一緒に写真集を見て、それを言われて初めてわかった。なんで僕の性欲に反応しなかったかって」

「…わかるのか…お前ら」

 

 小島さんは呆然とした声でそう言った。

 

「僕も松田さんもその時まで言葉にはなってなかったんです、多分。でも、二人で同じ写真集見て、二人で違うもの指さして、初めて知ったんです。僕達、生理的にそういう匂いを嗅ぎ分けちゃうんだって…」

「嘘だろ…おい…」

「松田さんもそう言ってた…でも、自分が好きなものがほんとにそれなんだって気づいて、すごくショックを受けてるように見えた…でも僕は知ってたんです。佳彦が本気で僕を殺したかったのを」

「…そこにつながるのか…その話は…」

「だから…あの井戸の底の二人は……心中です…自殺なんです…わかってもらえましたか?」

 

 最後は少し声が震えた。また感じ始めていたから。あの二人の沈黙を。

 

「う…っ…」

 

 僕は身を固くした。小島さんの脚の間で両手で膝を抱えてその上に顔を伏せた。メガネが外れそうになったが、掛け直す余裕はなかった。

 

「信じねぇ」

 

 その時、僕はいきなり後頭部の髪の毛を鷲掴みにされた。伏せた頭がグイッと引っ張りあげられて、無理やり小島さんは僕の顔を自分の方に向かせた。メガネが外れて僕の足元に落ちた。

 

「俺はそんなオカルト信じねぇぞ。そんなのはよくある偶然だわ。お前と松田の趣味は違うよ。だけどな、それが科学的な証拠になんかなんねぇんだよ。お前らは手っ取り早い結論が欲しかっただけだろ。松田はよ、好きだけどお前と噛みあわねぇその隙間を埋める理由が欲しかったんだよ。お前はウザくて恨みつらみのある松田を振りほどくキッカケが欲しかっただけだろ! 違うかよ! え?」

「それは…確かに科学的じゃないって思います…けど…」

 

 身体を無理やりねじられて、声がかすれた。

 

「妄想っていうんだよ! そういうのを! お前は松田を思い出してよがり狂いたいだけなんだろ? 結局お前は振ったはずの松田が忘れらんねーんだろ?」

「違いま…す……痛…い」

「うるせぇ。松田思い出してよがるお前の尻拭いか、俺は? いい面の皮だな。俺は優しいだと? ふざけんな! クソっ!!」

 

 小島さんはその勢いで、僕の身体を髪を掴んだまま横向けに引き倒した。

 

「あの時死なせりゃ良かったわ。いや、死ぬなよ。その身体で一生苦しめ。人生はな、辛くて苦しいのがデフォルトなんだよ。お前だけが安らかなんてこと、あるわけねーだろ!」

 

 小島さんが僕の喉元を片手で押さえる。苦しい。頸動脈じゃない。気道を押されて咳き込む。

 

「じゃ…じゃあ…小島さんも…苦しいんで…すか」

「そうだよ! 俺は自分を試して結局苦しくてキレてんじゃねーかよ! 俺はバカか?」

 

 そう言うと小島さんは僕の両手を顔の横で押さえつけた。手首の包帯の上から容赦なく体重がかかる。傷口が痛かった。

 

 なぜこんなに怒っているのか、はっきりとはわからなかった。でも松田さんもこんな風に怒っていた。母親も途中で切れたし、僕は人を怒らせる性格なのかも知れない。

 

「お前にのめり込んだら…不幸だよ…俺、こんな年端もいかねぇ子にこんな暴言吐いて…大人げねぇだろ? そう思わん?」

「さあ…わかりません…」

「お前はなんなんだよ…俺はお前のなんなんだよ」

 

 だんだん言葉の勢いがなくなってきたようだった。そして小島さんは小さく呟いた。

 

「お前のオヤジじゃねぇんだぞ…裕…」

 

 そう言うと小島さんは僕の身体を抱きしめた。

 

「裕…俺こんな、どうしていいかわかんねーの…久しぶりだ」

「…僕は…ずっとです…小島さん」

「小島さんってもう言うな」

「じゃあ…なんて」

「隆って呼べよ」

「小島さん、たかしって言うんですか」

「またしばらく覚えねぇんだろうな、お前は」

「すみません…期待しないで下さい」

「あとで携帯に登録しとけよ」

 

 小島さん…隆はタメ息をついた。

 

「毎回、会ってキレんのかな俺…そういえばお前、苗字なんていうの?」

「岡本ですけど」

「いや、知らんかったわ…松田教えてくれなかったんだっけ。いや、俺が聞かなかったんだっけ。あん時はどうでもいいって思ってたもんな…くだらない遊びに付き合わされて…ってよ」

 

 そう言いながら、僕の顔に落としたメガネを片手で器用に掛けた。

 

「似合うな…大人っぽくなるな。期待もなんにもしてなかったのに、お前の見た目が俺のツボでさ。参ったわ。俺でも落としてイカせられた時の松田の顔見て…正直“もらった”って思ったしな。でも…今となっちゃ松田の気持ちがほんとにわかる。ひどいやつだな、お前」

 

 そう言って僕の額を指でつついたあと、隆はじっと僕の顔を見ていた。でも僕はこの人に助けられてるんじゃないか? 僕はそんなことを初めて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 




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