※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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10.奇怪なコーヒー・ブレイク

「堺先生のポストを他から補充するとなると、色々リスクがありそうで私は嫌なんです。堺先生のお人柄はなかなか大学教授という人種の中では見られない円満なものですので」

「それには異論ありません。しかし…」

「ええ、人柄的に似ているとは決して思いませんが、岡本先生の合理的な考えや仕事の配分や指示は無駄がありませんし、無理な要求もほぼありません。堺先生と仕事をしてやり方や雰囲気を知っていて、尚且つこの法医学教室を堺先生の退官後に安定して運営していくには、今後岡本先生はリーダーとして必要になっていくと私は思うんですが」

「それは買いかぶり過ぎでは…?」

「ええ、おっしゃる通り今すぐ堺先生の代わりになるわけではないと思います…ああ、失礼な言い方ですみません。でもせめて堺先生の退任までに准教授ぐらいになれば、堺先生も取り敢えず安心して退官できると思うのですが」

 

 あまりの話に、僕はただただ唖然としていた。普段無口でクールな菅平さんが、こんな風にこの法医学教室のことを心配していたということも僕にはとても意外だった。そして僕のことをこのような無茶なポストにつけようという無謀さに、僕はこの冷静そうな風をしている人が、実は少し頭がオカシイんじゃないかとすら思った。

 

「私はただのパートの研究補助員ですから、こんなことを岡本先生に言う立場ではありません。でも、期待しているということだけは知っていて欲しいと思いまして。このような私達スタッフの発言が今後の決断に影響があれば良いと思っています」

 

 期待。昨日のヨレヨレで早退の僕、今日のヘロヘロで半休の僕に、この人は何を見てどう期待しているのかと本気でバカバカしく思い、その直後寒気がした。待ってくれ…期待こそが人生の毒なのだ。それも致死毒となる可能性すらある。僕はそれで人を殺しかけた人間なんだから。僕は咄嗟に菅平さんに言っていた。

 

「僕に期待はしないで下さい」

 

 菅平さんには申し訳ないが、少なくとも今は釘を刺しておく必要があると僕は判断した。

 

「菅平さんは昨日と今日のこの体たらくをつぶさに見ているのに、なんで僕に期待できるんですか? 自分から言うのも態度の悪い言い様ですが、社会人として僕は不適応者です。堺教授の温情あってのこの立場ですよ。菅平さんはそれは一番良くご理解してらっしゃるはずですが」

「はい、解っています。それでも私は良いと思っています。このところのここの教室への有利な条件が、岡本先生が着任して以来、ずっと続いてるの、ご存知でしょう?」

「え…? いや、どういうことですか?」

 

 そんなこと寝耳に水である。

 

「前橋准教授の一件、鈴木さんから聞いてるはずですが」

「ええ」

「幸村警部補の今の協力体制を引き出したの、岡本先生ですから」

「あ…まぁ…」

 

 幸村さんの協力体制、と聞いて、なぜか昨日の自分の痴態と幸村さんの腹筋が一瞬生々しく脳裏をよぎった。そのあとは菅平さんの顔をまともに見れなくなったので、コーヒーをすすり、デスクトップに目を逸らした。

 

「前々から幸村警部補は、事件の解決率を上げるために県警に掛け合って検視官の臨場を増やしたり、増員の嘆願をしたり、警察医会との研修や、署の若手警官の検視の講習を企画したりしていると、県警の長谷川課長補佐が前に堺先生におっしゃってました。幸村警部補は正直自己中でしつこくて怖くてやりにくいですが、正義感も行動力も捜査の手腕もありますし、その影響力は悔しいですが認めざるを得ません。その人が法医学教室に有利に働いてくれている…これは前橋先生の時期から見れば、それこそ天国と地獄の差です」

 

 そんなの一言も聞いてない…と、僕はパソコン画面を見つめたままその言葉に唖然とした。

 

「…それは岡本先生が来て、しばらくしてからだそうです。青酸カリ殺人事件があり、その時の解剖で幸村警部補が岡本先生に興味を持ったと。そして例の保険金目当ての焼損死体の事件があって、幸村警部補の死因究明に関する意見はぐっと増えたと聞きました」

 

 なんてことだ。

 

「あの事件は、あと一歩で見逃し案件になったと、肝を冷やした県警もあれで検視官の臨場を増やすキッカケになったとか。その時の岡本先生の解剖がその後のここの県警の死因究明推進計画を後押しする暗黙の要件の一端だったらしいですから。県警はおおっぴらに認めはしませんけれど」

 

 僕の口の中が乾いていくのがわかった。コーヒーをすすった。そして思わず僕は自分から質問していた。

 

「では…ダムの水死体以来、自殺の解剖件数が減っているのは…幸村警部補の根回しの成果だと?」

「時流が死因究明推進に向けられているという時期も重なってラッキーだったとは言えますが、少なくともその流れを最大限に有効利用したのは彼でしょうね。検案や検視でなるべく自殺の遺体を鑑別できていれば、こちらに回ってくることも少なくなるじゃないですか? それは岡本先生の負担が減って、少なくとも仕事がしやすくなることにはなりますし、従って私達も負担にならないということです」

 

 今度は菅平さんがコーヒーをすすった。今までの話に呆然としながらも、こんなに話したら、無口な菅平さんの一生分の会話が今日で終わってしまうのではないかと僕は変な危惧をした。しかし、いままで寡聞な僕の耳に入らなかったこの話を聞かずにはいられなかった。

 

「県警が前向きなおかげで、アメリカの大学で法医学の研修を受けた若手のドクターが地元に帰って来られました…駅南の市民病院に勤務されてるというさっきの話の方ですが。警察医会からも期待されていて、やはり見るからに優秀そうな方でした」

 

 見るからにということは、菅平さんは会ったことがあるのだろうか。警察医会といえば、とふと思い出したことがあった。

 

「そう言えば夏休みに警察医会とうちの教室の親睦会かなにかありましたよね? その時にでもそのドクターは参加されていたのですか?」

 

 その日には、確か急に海で溺死した中学生が運び込まれて、堺教授は親睦会が外せないからと、僕と田中さんで教室に残って解剖になった。コミュニケーション能力の高い鈴木さんと紅一点の菅平さんは堺教授ご指名で親睦会に参加。その後で親睦会の話を聞いた気がしたが、忙しいのに紛れて詳しくは聞かないまま忘れてしまっていた。

 

「ええ。その先生も来ていらっしゃいました。若手と言っても岡本先生より歳は上でしたが。東京の◯◯大学出のエリートで、あんまり話しかけやすい人ではなかったですが…岡本先生も話しかけづらいですが」

 

 菅平さんが“話しかけづらい”とコメントしたのが意外で、僕は少々驚いた。僕が話しかけづらいのは当然だ。話そうとしていないし、近づかれては困るからだ。しかし、寡黙な菅平さんは他のスタッフともそんなに会話することはないだろうにと、僕は面食らったついでに再び質問してしまった。こんなに他人に質問するなど、僕の状態からは反則なのだが。興味があると思われてしまうのはまずい。しかしそれをうっかり忘れるくらいの、菅平さんの二重人格のような豹変っぷりだった。

 

「…菅平さんは寡黙な方だと思ってましたが…それは僕のせいでしたか」

「いえ、別に岡本先生のせいではないです。話すのが好きではありませんから話さないだけで。しかし話さないからと言って誰が話しかけやすいかどうかは、それとは関係なく印象として抱いています。とはいえ話しかけやすいからといって話すわけでもありません」

 

 菅平さんは淡々と理屈っぽいことを語った。フォローしてくれているのだろうか。それならこの会話は?

 

「今は…なんで話しているんですか?」

「目的があれば、話そうという努力をします。無駄口とか世間話は嫌いなのでしません。ここ、忙しいし。岡本先生も一切無駄口を叩かないので有難いです。リアクションしなくていいですから。鈴木さんは返事をしなくてもめげずに勝手に話してくるので、それも問題はありませんけど」

 

 再び菅平さんは地味に偏ったことを平然と言った。話を聞いていて、菅平さんの頭の中はロマンチスト数学者の佐伯陸よりも合理性に満ちている気すらした。そして理由は違うが、僕に少し似ているのではないかとも思った。僕に期待しているところを除いて。

 

「…堺先生から岡本先生について事情を聞いて以来、それから考えるところもありまして、少し話すべきだと思っていました。ちなみに、話しかけにくいことが仕事に差し障ることはないですから。念の為」

「そうですね。知ってます」

「それはどうも。私はこの仕事が気に入っていますので、なるべく職場環境をより良く維持していきたいのです。ですからそのためにはこの機会に普段話さないことを話したほうがいいと判断しました。失礼致しました」

 

 そう言って軽く頭を下げた途端、全録音が終了したみたいに菅平さんの話がパタッと終わった。そしてマグカップを持ったままクルッと踵を返すと、何事もなかったのように自分の席に戻っていった。鈴木さんがその後検査室からパタパタ出てきて、今日の結果を呆然としている僕に手渡した。

 

「毒物は無しですね。他の薬物も今のところ検出せずです」

「あ…ああ、ありがとうございます」

「でもね、血圧の薬とか痛み止めとかデパスとか、高齢者特有の薬も検出してないんですよねぇ」

 

 そう言われて、僕は菅平さんショックから少し我に返った。

 

「…それは特徴的かも知れません。高齢者…特に80代の服薬率は90%ですから。2剤以上の服薬率が80%前後あることを考えると、この方はよっぽど健康だったか、それとも…」

「疾患があっても通院してなかった?」

「まぁ、ありえます。あとは死亡前に何日か服薬してなくて、代謝されてしまったという線もありですかね。でも目立った内科病変は確認できなかったです。なにしろ内臓と脳がだいたい溶解してたので。だから正確にはわからないです。整形外科領域では手指と頬骨の骨折痕、あとは膝関節の変形、骨粗鬆症、そして多分死因となった縊死によるであろう頚椎の骨折…」

「それなら痛み止めくらい飲んでてもいいですよねぇ」

「ええまぁ…でもすべての変形性関節症が痛みが出るというわけではないですから」

 

 偏りのない可能性を考慮するために、僕は鈴木さんの意見に医学的な見地を付け加えた。この情報を使って捜査の手がかりにするのは警察の仕事だ。身元を判明させることにどのように役立てるのかはそちらの力量に期待せざるを得ない。そのためには、医学的な見地から、遺体の生前の生活を示唆する手がかりをなるべく拾いあげることが大事だ。鈴木さんとの議論で菅平さんの話を無理やり忘れて、僕は薬物検査の所見のまとめを画面に打ち込みながら、生前の死者の生活を考えることにした。そして冷めたコーヒーを一気に飲み干した。

 

 

 

 




《近況》

 公に私に色々あって、かなり落ち込んでいた架空線でしたが、マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの浮世はありやということで(いきなりどういうことですかネタはバレてますか誰かわかってください)、今は100g・537円の無銘のニルギリが50g・900円の茶園ものより美味いという驚愕の事実に心中快哉を叫んでいるのどかでヒマな日々が再来しております。もちろん仕事は忙しいし、体調は波がありますが、それが何だって言うのでしょうか…先日妖怪の世界に身罷られた水木しげる先生が仰った、『この世は通り過ぎるだけのものだから気張らなくていい』というお言葉が本当にその通りだとつくづく感じるのです。

 悔い無く生きることこそ我が本懐です。もう悔いはないけどね。人生の目的は果たしちゃったし。余生は駄文書いて茶飲んでのんびり過ごすが最上。

 ご閲覧ありがとうございます。

*追伸

 皆様こんにちは。架空線が初めて世に晒した処女短編小説『イナフ ー失われた物語ー 』(2010年作品)の長大なスピンオフ『失われた物語』(2013作品)を、『イナフ…』の予告通りに元サイトからこちらハーメルンに避難開始となりました。
 体調問題や職場問題で現在創造力(creation power略してCP)を大幅に削られているので、とりあえず身辺整理にこの時間を少々使わせて頂きます。エロいわグロいわダークだわ鬼畜だわ(ええ、どうせそういうのしか書けませんから)のこの初長編作品ですが、連載中の『僕を止めて下さい』の読者の皆様も、お暇な時にでもお付き合い下さいますれば、作者大変幸せに存じます。
  
 第一章『時の鍵』 1.こうして僕らは 2015年12月31日UP。
大晦日になにやってんの…ですがもう投稿しちゃったんです。ではまた〜♪

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