※この作品はR-18です。

僕を止めて下さい   作:架空線

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19.虚像と実像

 噂をすればなんとやら…という言い回しがあるが、幸村さんが彼の名前を出した時点で噂話も飽和状態ということだったのだろう。飽和溶液から、溶解した成分の結晶がほんの少しの条件変化で析出するみたいに、それは現れるべくして現れたと言っても良い。

 

 彼、ドクター清水が今なぜか、僕の真正面に座っている。彼は前から僕を知っているかのような親しげな愛想の良い口調で穏やかに話していた。初対面でこんなふうに話せる技術も気持ちも僕にはないものだ。

 

「いやぁ、遅くなってすみませんでした。今日もいきなりのアポイントをお受け頂いてありがとうございます。こちらの法医学教室も早く見学したかったんですが、なにしろ病院の勤務と検案と海外研修でまぁ、隙間がなくて…」

「はぁ」

「岡本先生のお噂もかねがね」

 

 どうせロクでもない変人話が警察官と前職場の同僚とかから伝わってるのだろうが。

 

「堺教授には何度かお会いできていたんですが、肝心の岡本先生に挨拶の電話のひとつも連絡してなくて…」

 

 さっきから不思議に思っている。菅平さんは、この滑らかに話し続ける人物のどこをどう見て『話しかけにくい』と思ったのだろうか? 話しかける隙がないほどのおしゃべりだから?

 

「…失礼してまして本当にすみませんでした」

「いえ」

 

 ドクター清水のアポイントの電話は昼過ぎに堺教授が取り、夕方6時という時間が向こうから指定されたらしい。今日は解剖の予定はなく、定時の5時でスタッフも堺教授も帰ってしまう日だった。ドクター清水は堺教授と菅平さん鈴木さんには面識があるが、田中さんにはまだ会っていないし、それなら帰宅前の一瞬でも皆が居るところで挨拶なり何なりすればいいのにと思ったが、向こうも多忙を極めているようなので、行けるときに行こうということなんだろう。

 さて僕はなぜこの時間に居るのかというと、先日の例の凍死の自殺屍体の件で、正気を失いかけていた当日の僕が処理しきれなかった所見や写真の整理や科捜研に送る鑑定や検査の依頼なんかが山積みになっていて、もういろいろな意味で独りで解剖なんか絶対やらないと心に誓うほどの忙しい週明け2日間を送っていた。

 なにしろ臓器の切片とかはともかくとして、写真は見たくない。見てはいけない。いつものように代わりに菅平さんにカメラから画像をパソコンに移し替えてもらうのに彼女の質問に答えていると、抵抗していても不意に記憶の上澄みから鮮やかな死斑の色だけがフラッシュバックしたりして、心臓がドキドキし始めてくるのだった。

 

 昨日は結局そんな有様で、予定していた量より作業が進まなかった。そして今日も遅々として進まない。皆が席を外して僕だけになるとか皆の手がふさがっている時に、なぜか問い合わせの電話が掛かってくる。裁判所から堺教授の証人の件、病院から承諾解剖の件、科捜研から、警察署から、大学の事務室から…いちいち手を止めて受話器を取る。通話音で耳が疲れてきた。

 そして昨日も3週間ほど前に行った不審死の解剖の屍体(死因は本人の過失による交通事故でほぼ確定)をもう一度見せて欲しいと忙しい中電話があり、県警の警部が今日の夕方の5時半に来るので、担当の僕が残って説明と後片付けをすることになっていた。予定が押しているのに、1日に、しかも定時過ぎにアポイントが2件。面倒だ。しかも凍死自殺屍体のせいで心理的にあまり良い状態では、ない。

 スタッフは帰宅し、その後県警が来訪。事前に準備していたせいか確認はそれほど手間の掛かることはなく、説明しながら安堵していた。

 事故死した中小企業の社長だった故人にはかなりの生命保険が掛けてあって、妻子がいない上に、次期社長の実弟がその受取人ということで、捜査関係者は一応保険金殺人の可能性も考慮していたが、兄弟間のトラブルは聴き込みでも確認できず、派閥争いの声も聞かれず、会社の乗っ取りの線も考えられないということで、偶発的な事故の線が濃厚だという判断が下された。その最終確認を取りに遺体をもう一度見に来たとの事だった。向こうも忙しいようで、きっかり30分で帰っていった。

 そして県警と入れ違いにドクター清水が到着し、今、スタッフルームの応接ソファでさっきから二人だけで話をしている。ここ数日の疲れと夕方の疲労感で、集中が切れそうだった。

 

「…それで堺教授から、岡本先生が法医学教室の代表で来てくれると聞きまして、嬉しいですよ」

「あぁ、そうですか。正直、堺教授の代わりなんて、責任重すぎて参りましたけど」

 

 僕がそう言うと、彼は不意にメガネの奥の目を細めた。僕の顔を微笑みながら眺めているドクター清水は、僕が訝しげな顔をしているのを悟ったのか、さりげなく指先で黒縁のメガネを直すと、また何でも無かったように話し始めた。だがそれは僕でもわかるような変な間合いだった。

 

「責任とか、あんまり重く考えないで下さいね。僕は参加していただくことに意義があるって思ってるんで」

「そんなスタンスで良いんですか?」

「はい、むしろ、そのスタンスで興味があるならグッと入ってきて頂きたいんですよ。作ったAiセンターでなにが出来るかどうか、そういうアイデアが欲しいんで。発想は柔軟な方がいいですから。発展途上の分野なので、可能性や応用範囲は未知数なんですよ。責任でガチガチだと思いつくものも思いつかないでしょ? そういう守りの姿勢は好きじゃないんで、僕」

「まぁ、それならわかります」

「独自性のあるプランを売ったり出来たらなぁって思ってます。ここのセンターならでは、といったようなね、まぁそういうのをブランド的に確立したいって思いますね」

「…売るんですか?」

「ええ、新しい切り口の画像解析ソフトとか開発して売りたいなぁって。Ai鑑定の収入だけを当て込んでいくような収益は考えてないです。資金があれば研究も進みますからね。あと、セミナーですね。ソフトとブッキングとかで。進んだ分ノウハウを開放してそれがまた法医学のレベルを底上げするし、資金源にもなる…そういうポジティブなループですね。研修をレベル切って段階的に設定して、その先に講師の資格かなんか作って、講師派遣も考えてます。ゆくゆくは日本の中だけじゃなく、海外も視野に入れてグローバルに市場を考えたいんです。主にアジア圏かなぁ」

 

 やはりアメリカ帰りというのは視野の広さが違う、と僕は素直に感心した。ドクター清水は商売人的な素質もあるんだなと、僕は自分にないソフト開発とかセミナーとか、センターのブランド化の話を人ごとのように聞いていた。

 

「…やだなぁ、岡本先生聞き上手で。僕だけ気持ちよく話してるじゃないですかぁ」

「いえ、そういうわけでは…」

「僕は岡本先生の話し、もっと聞きたいなぁ」

 

 その言葉にうっかり忘れていたいつもの縛りを思い出し、急激に口と気持ちが重くなった。もし僕が彼に自由に話すとしたらまずお礼だろう。自殺の屍体を僕から遠ざけてくれてありがとうございます、と。だがそんなことを言えるはずもないし、なにか僕に興味を持たせるようなキッカケを作ることは絶対的に避けねばならない。僕はつまらない偏屈な人間のままで居るべきなのだ。僕は余計なことを話さないように、疲れた頭で集中を余儀なくされた。

 

「いや…僕のことはいいです」

「またまたご謙遜を…警察関係の皆さんから良い評判しか聞かないですけどね」

「…変人…とかでしょうね」

「あははは! それもたまに聞くかも。自分で言う?」

「それで全部です。付け加えることはないですから」

「ええぇ…そんなぁ。趣味とか教えてくれないんですか?」

 

 お見合いの席でもあるまいし、そんなことを聞くなど僕の脳内アラートは赤字で点滅してブザーが鳴り響いている。死にますよ、清水先生。やりたいことがそんなにあるなら、僕に興味なんて持つもんじゃない! いつのまにか僕は奥歯を噛み締めていた。

 

「…想像にお任せします」

「えぇ〜想像ですかぁ? そうだなぁ、屍体が好きでたまらないとか?」

 

 それはいきなりカウンターで鳩尾にボディブローを食らった感じだった。

 

「…は?」

「違うんですか? それなら、幸村警部補と仲良しってほんとですか?」

 

 連続で不意打ちみたいな攻撃が入った。なにこれ…この人なに? なにがどうなっているのか全くわからない。もしや僕たちの関係を知られているとか?

 

「…所轄の強行班ですからね。解剖によく立ち会いますし、検視に力を入れてるらしいので」

「それ以上にでは?」

「…どういう?」

「険悪だった幸村警部補と法医学教室の仲を和解させるくらいにはってことですが。強行班の中では話題になってましたよ。幸村警部補以外」

「ああ…そのことですか」

「へぇ、それ以外にも?」

「それ以外?」

「あぁ、まぁ気にしないで下さい。でも随分信頼されたんですね、幸村警部補に」

「仕事上、たまたまです。僕は普通に解剖しているだけなんで」

「その普通がレベルが高いと、県警にもそれなりに一目置かれてる」

「それは、清水先生のことでしょう」

 

 笑顔でこちらの核心を突いて来る質問、こちらが揺さぶりに応じないと見るや、さりげなく会話をずらして一般論に持ち込んでいく。この少しの会話の中で、僕はこの人をこうラベリングした。『噂と違って危険な人物』と。

 だって、わざとだ。この打ち込みは無意識ではない。そして僕を挑発している? しかしなぜ? 挑発という単語で、不意になにかデジャブのようなものを感じ、僕はハッと、以前佐伯陸が初めてここを単身で襲撃した日を思い出した。あのとき佐伯陸は嫉妬に駆られ、幸村さんの新しい彼氏を一目見て嫌味のひとつも言ってやろうという気で僕に会いに来たのだ。つまりこれは…またそれですか…?

 譲るよ。いや、持って行って欲しい。早く持ってけ。こんな双方有益な取引などそうそうこの世には無いよ、ドクター清水! と僕は心の中で呼びかけた。片思いですかそうですか、早くあのデカくてウザい人を連れ去って下さい。あなたくらい仕事が出来れば彼もぞっこんでしょう。ああよかった。

 

「幸村警部補のことそんなに気になりますか?」

「え?」

 

 今度は清水先生が変な顔をして僕に聞き返す番だった。

 

 




《近況&お詫び》

 待ちに待った(自分がいちばん待ってた)僕止めの更新です。長いブランク、本当にすみません。
 最終が6月だったでしょうか。あれからすぐにいきなりの職場の移転やら、自分の血液検査で増悪フラグが出るやら8月にはフラグが更新するやら、9月は初旬からいきなり本業の師匠からものすごいタスクが降ってきて、週の休みがほとんど無くなり、10月にはさらに個人的なクライアントが増え、とうとう、
「すみません…本業に戻りますので貴店のパートを来年の1月末で退職します」
 と店長にカミングアウトして受理された11月前半でした。11月はストレスと二足のワラジ疲労と引き継ぎ業務で死んでいましたが、退職カミングアウトの後遺症がようやく去り12月そうすでに巷は師走、一段落して信長はガトリング銃を手に入れクソで火薬を作り始めたら豊久はドワーフ救助に行っちゃうし、勇利もモスクワで佳境に入り、白鳥沢と烏野も5試目、佐藤さんと永井くんらも決戦の火蓋が切って落とされ、魔法少女は鬼畜に殺し合ってるし、もう俺も年貢の納めどきだよなぁ…とPCに向かったら、なぜか猛然と書き始めていました。一体なにが原動力となったのでせうか。私にもよくわかりません。でも再開出来て本当に安心しました。ドワーフは飯食って鉄砲作り始め、バルセロナでGPファイナル始まるし、魔法少女はエンドレスで殺戮続行中…以下略、そして私は無事こうしてこちらにUP出来たのでした。
 再開後もご閲覧頂き、ありがとうございます! 更新は不定期ですが、まだやれそうです。
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