先生、こんなの呪いみたいな物でしょ。
 三大欲求の一つ一つが、肉体を持つことを罪とするように課せられた呪い。
 大人になっても、それに悩まされるんだね。
 私にさせて。
 このまま、先生に借りばかり作る訳にはいかないから。
 先生が悪くないのは分かってる。
 だから大人しくして。

 ── ── ──

※2022年8月17日にpixivで投稿した作品と同じ内容となっています。
※先生は男性です。

1 / 1
先生に体で借りを返そうとする戒野ミサキ

 いつかは肉体という檻から解放されることを望んでいた。

 物事に対して興味も持てない私にとって、移り変わる季節の一巡による風景さえも、無意味に終わりを繰り返している物にしか見えなかった。

 草木に花開く春は、夏に追われて花びらを散らしていく。

 緑が生い茂り、街を焼くほど照らし続けた夏も、秋に追われて街からほとぼりを忘れられていく。

 ほとぼりが冷めて哀愁漂う彩りを残した秋も、吹雪く冬に追われて白に染め直される。

 そうして冬は春に追われ、白くなった景色を彩るように、再び草木に色とりどりの花を咲き溢れさせていく。

 

 ただ、それの繰り返し。

 塗りつぶされて前の姿を忘れられるように虚しく終わりを繰り返すだけ。

 

 肉体に持たされた足枷のようにアレルギーを持つ私には、季節が一巡し、再び始まる春の芽吹きほど疎ましいものはなかった。

 人を惹き付けるように咲き揃う花たちは、アレルギーを持つ私を除け者にするように花粉をばら撒いて苦しめてきた。

 世の中が花で咲き溢れているのなら、私は世の中から拒絶されているも同然だった。

 

 季節が一巡しようと物事に興味が持てなかった。

 

 移り変わる風景も街を彩る飾りくらいにしか思えない。

 

 ──昨日今日、すれ違う通行人を先生はいちいち覚えていられる?

 時々通る道にあった建造物が取り壊されていたとして、先生はその形を思い出せる?

 

 先生は一度自信ありげな表情で私の方を見て口を開いた後、急に私の質問の内容に心当たりがあったのか、口を閉じてそのまま進行方向に顔を戻して俯いていた。

 

 ほら、結局はいつも流し見している風景でしかないんだよ。

 無くなってしまえば、無機物だって土に還るだけなんだし、興味をわざわざ示すだけ無意味。

 

 先生は大人の癖にどこか子どもっぽい。

 

 私の言葉に負けじと前向きにそれを否定しようとして、歩いている道にある物、一つ一つに意味を持たせようと必死な様子だった。

 

 眠りに就こうとした時、ぼんやりとその出来事が脳裏に過っていた。

 早く、この肉体という檻から解放されたい。

 解放された先にあるもの。

 そこに意識があるはずもないのに、死を迎えたその先を考えていると、自然と眠りに就けていた。

 まるで、脳が想定外の事を考えようとする理性からの情報伝達を絶っているみたいだった。

 

『ほら……そこのショーウィンドウに並べられたぬいぐるみ、アズサが好きなシリーズの物なんだよ……!』

 

 ──……そうなんだ。

 

『こ……ここの街路樹、秋になると紅葉とイチョウが綺麗なんだ……花粉も大丈夫だろうし、秋になったらまた来ない?』

 

 ──先生、花粉に悩まされたこと無いでしょ? 秋も十分酷いけど?

 

『ご、ごめん……そんなつもりじゃ……ミサキと来れたらいいな、って……』

 

 ──……それ私である必要は無いでしょ。

 

 肉体という檻から解放されて、それからどうしたいか。

 そんな未知の事を考えると、今までには無かった先生に意味を持たされた風景との一つ一つのやり取りが、記憶の整理でもするように思い出してしまうのだった。

 自分から情報を取り入れない私のために、まるで親鳥が咀嚼して雛に口移しでもするみたいに、私が取り入れやすいように景色に情報を付け足して話しかけてくれてた。

 飲みやすくなってしまった情報を、口移しで流し込まれ、夜になると消化するように脳の中へと溶けていく。

 

『……ミサキと一緒に見れる景色があるなら、私は見たいから』

 

 ──はあ……じゃあ、その時に命令して……

 

 肉体から解放されることを思う度に、それを阻止するかのように、思い出がまるで未練みたいに過るようになっていた。

 

 解放された先には何が待っているか。

 遺伝子的な拒否反応に悩まされない自由。

 空腹や病気に悩まされない自由。

 大人の邪な思想に悩まされない自由。

 

 こうして、今も思い出として脳裏に過る先生のことを考えなくていい自由。

 

 そこまで考えて寂しく思えてしまった。

 

 早く解放されたかったのに、今の私は生きてるのに、まるで既にこの世に縛り付けられた地縛霊みたいだった。

 もし肉体から解放されたらと思うだけで、気にかかるような未練が増えてしまっていた。

 これも全て先生のせいだった。

 先生がこんな私と向き合ってくれたから。

 先生が私に寄り添ってくれたから。

 今から死ぬ訳でもないのに、まだここにいたいと思える未練が私の胸を苦しめていた。

 そして消化する思い出も無くなってしまう頃には、私はほんの一時の深い眠りに落ちていた。

 

 ──今日も夢の中で、私は先生の首を締めていた。

 銃を使えばすぐにでも殺せるのに、自らの手を掛けていた。

 夢の中の先生はいつものような茶目っ気すら感じられない。

 先生と会う回数に比例して、夢の中での先生の感触や温もりが少しずつ鮮明になっていく。

 私よりも太い首。

 指を伸ばしてそれを包み込むように両手を添えると、頸動脈が心臓と連動しているかのようにドクドクと脈動していた。

 その状況に慌てふためくこともなく、大人しくそれを受け入れていた。

 私たちの腕力には先生は到底敵わない。

 それが理由で諦観している様子でもなかった。

 私の愚行をただ、先生は優しく微笑んで、むしろ殺す手伝いをするように、私の手の甲の上から手を重ねてくれていた。

 

 抵抗しないの?

 このままじゃ死ぬよ……?

 

 何度この夢を見ても先生が何を言っているのか、思い出そうとしても口の動きがボヤけていれば、声すら思い出せない。

 

 物事に興味も持たないまま育った私にとって、あなたの存在は私の中であまりにも大きくなりすぎていた。

 見返りを求められない善意。

 未知の恐怖から感じていた精神的な負担。

 私の中で起きていた防衛本能は、あなたを殺すことを選んで、早く現実でもそうするようにと警鐘するように繰り返して見せていた。

 あなたからの無償にも思える優しさの数々。

 私にとっては疎ましく思えるほどのお節介に感じたけど、嫌じゃなかった。

 でも、あなたがどこの誰かに対して行っている意識していないほどの気遣い一つだって、私にとっては重く思えるほど、十分すぎる気遣いだった。

 私の手の内でドクドクと音を立てていた先生の太い首に力を込めてみると、いつも先生はそこで息絶えてしまった。

 

 中身が潰れる感触。

 

 首から鈍い音がしたその直後、先生の口からカヒュッと音を立てて空気が抜けた。

 まるで炭酸の入った缶ジュースが開封されるような呆気ない感覚。

 喉にあった空気が押し出されると、私が跨がっている先生の身体がガタガタと数回痙攣した後、ピクリとも動かなくなってしまった。

 動かなくなるまでのその間、脳からの指令から解放されて痙攣を繰り返していた身体は、まるで自由を得て悦んでいるみたいだった。

 天井を見つめたままの先生は、覗き込む私を捉えてくれない。

 ただ虚空を眺めたまま、あなたは私より先に檻の外へと出て行ってしまうのだった。

 包み込むように握っていた手の内から脈動する音はもう聞こえない。

 あなたがいなくなっても聞こえるのは、外でアスファルトや窓の下框に雨が叩き付けられる音。

 嫌に耳に聞こえる高鳴った私の心臓の音。

 たった、それだけ。

 二人きりだった部屋に、人殺しの私だけが取り残されていた。

 

 脱け殻になった先生の肉体が温もりを忘れ始めた頃に、私はいつも目を覚まして、現実の自分の手のひらを確認していた。

 最後に先生と会ってから大分経っていた。

 会わない時間が長くなるに連れて、私は先生を殺して逃げ回っているような気分になってきていた。

 

『先生、生きてる?』

 

 自分の意思で送っておきながら、わざわざメッセージで馬鹿みたいなものを聞いてしまったと、呆れてしまう。

 既読が付く前に取り消そうかな。

 そう思っているとすぐに返事が返ってきた。

 

『徹夜が続いてるから、過労で死にそうかも』

 

 不安になって聞いてみたのに、返ってきた言葉の相変わらずな文面に肩透かしを受けたような気持ちになった。

 どうせそうだろうと分かりきっていたのに。

 

『寝ないの?』

『明日までに出さなきゃいけない書類があるからできないかな……』

 

 先生はお節介に思えるほど私たちに気遣ってくれているのに、自分の体調管理なんて二の次だった。

 この人は私のことを「危なっかしい」なんて言ってたけど、人のことを言えないくらい先生も十分危なっかしいことにため息が出てしまった。

 

『ミサキは大丈夫? 生きてる?』

『生きてなかったら、こんなやり取り出来ないでしょ』

『安心した……』

『なにそれ』

 

 文面だけの下らないやり取りが行われていく内に、先生が私のことを会っていない間、心配してた事を教えてくれた。

 先生と会う前から、こうして生き延びているのに、今さら心配なんてしなくても大丈夫なのに。

 

『えっと、何かあった?』

『何もないけど』

 

 私にとって、十分……いや、十二分なぐらいやり取りは行えたものだと思っていた。

 だから、それ以上の返事もいらなかった。

 

『今度会って話がしたいな』

『……』

 

 ……いらないってば。

 

 ──先生から送られてきた位置情報を頼りに目的地へと向かっていた。

 私たちを探してる連中に見つかる訳にはいかないけど、狭い裏路地とか通りたくなかったからやむを得ず表通りを歩いていた。

 いつものように黒いマスクをして歩いているせいか、特に周りから何を言われる訳でもなかった。

 人通りも多く、私からすれば、すれ違う誰もが有象無象だったけど、すれ違う人たちからすれば私だって有象無象の一人でしかなかった。

 みんな自分のしたい事をしてる。

 友達と街を背に自撮りを撮ったり、次の目的の建物へ指差して談笑する集団。

 だから、自分たちの事しか見えていない。

 

 ……先生のせいか、普段敵からの視線に気付く程度にしか周りから取り入れていなかった情報に、ノイズばかりが入っていた。

 私たちを追ってる連中か、そうじゃないか。

 今まで取り入れてきた情報だって、その程度だった。

 マスクの中で、私はため息を溢した。

 

 見上げた先。

 空を食うようにあちこちから伸びる建物の隙間から見える空模様は曇り。

 まるで建物の灰色が空にまで浸食してしまっているかのように濁った色をしていた。

 携帯端末の電波も限られた場所でしか使えないせいで、今日の予報は分からなかったけど、雨が降れば雨宿りをすればいいだけの話だった。

 昔からしてたように、今日もそうすればいいだけの話。

 

 ──ここ……ゲームセンター?

 

 たどり着いた場所は市街地に位置するゲームセンターだった。

 とても騒がしくて、電灯が眩しくて、さっきまで表通りですれ違った明るい学生たちが吸い込まれるように、この建物の中へと入って行ってた。

 とても居心地が良さそうには見えなかった。

 入り口に先生が腕時計を確認し、私を探すようにキョロキョロと辺りを見渡していた。

 そして、今まで有象無象として見向きもされなかった私を先生は見つけて、小さく手を振るのだった。

 

 先生の言う、私と行きたい場所ってここ……?

 

 外じゃないから花粉も気にならず、周りはみんな自分のしたいことに夢中で追われてる私には気にならず、おまけに閉所でもない。積極的に話そうともしない私にとっても、そもそも周りの騒音で声もかき消されるから、ここでは口数も大して必要とされない。

 それに色んなゲームが並んでいるから、私の興味が示せる物があるんじゃないかって、先生なりの考えがあっての場所選びだったらしい。

 

 ……私とこんな所にいて楽しい? ずっと歩き回ってばかりだけど。前に他の生徒とも来たことがあるなら、その子たちと来れば良いでしょ。私と来ても、時間の無駄になるだけだよ。

 

 別に遊びたい物が無いから何もしていないんじゃない。

 何も思わないから何もしていないだけだった。

 クレーンゲームが並ぶ一角に足を運ぶと、ガラス張りの透明な檻の中に、ぬいぐるみたちが沢山並べられていた。

 まるで姿形を持ってしまったばかりに見世物としてこんな扱いでも受けてるみたい。

 動物園でもないのに、閉じ込められて、すれ違う人たちに興味を持たれなければ横目で見られて素通りされている。

 

 この子たちも、取られるという役目を果たさなければ、捨てられて土に還るのだろう。

 取られたところで、最後は……

 

 ……何? 別にいらないけど……

 

 私が立ち止まってガラス張りの向こうを見ているばかりに、先生は私がその中の物が欲しいのだと勘違いして、財布を取り出していた。

 

 いらないって……はあ……これで聞こえる? いらないんだけど……っ!

 

 私は先生が周りの音で声が聞こえていないんじゃないかと思いマスクを顎まで下ろして、口の動きを見せるように伝えた。

 伝わっているのか、伝わっていないのか、先生は頷いてからコイン投入口にお金を入れ始めた。

 

 取ってどうするの? どうせ捨てられて終わるだけの物なのに。

 

 ガラス張りの中にいたのは、赤いリボンが結ばれた二頭身の熊のぬいぐるみ。

 愛らしく見えるように綿が多めに詰められて頬に丸みを帯びさせられていた。

 そして、クレーンが届かない奥に量産された同じぬいぐるみが並べられていた。

 人為的に並べられているその光景は、目の前に横たわって積まれた山の中から誰が連れ出されるのか、見世物を見物する観客みたいだった。

 

 横たわっている一匹に目を付けて、先生はクレーンを動かし始めた。

 他の生徒と来たときに何度か取っているからその腕前を見ていてほしいと、とても張り切っていた。

 

 ──……先生、本当に取れたことあるの?

 

 既に100回を超えていた。

 狙いを定められたぬいぐるみは、アームをすり抜けては、同じ見た目のぬいぐるみの山の上に落下して、ゴロゴロと寝返りでも打つかのように転がり続けていた。

 いくら投資しても先生の手をすり抜け続けるぬいぐるみ。

 愛らしい見た目だって、作り出されただけのただの玩具にすぎないのに、先生はめげずに投入口に硬貨を入れ続けてた。

 先生の日頃の行いのせいか、私にはアームじゃなくてぬいぐるみが先生の手を拒んでいるような光景に見え始めていた。

 それでも先生は必死に手を差し伸ばし続けてる。

 先生はいつだってそうだった。

 他の生徒たちならまだしも、私みたいな誰もが呆れてしまいそうなほど無気力で無関心な生徒にだって、気にかけるような人だった。

 

 そう、自分の健康状態を蔑ろにするほど、いつだって……

 

 ゲーム機の設定が取らせるつもりが無いと思わせるくらい、ぬいぐるみからアームがすり抜けていく。

 ただ陽気な装飾で飾られただけの邪悪にも思える機械に、お金が飲まれていくだけの虚しい光景。

 いつまでも取れる確証が無いのに、この人は手を差し伸ばし続けていた。

 

 投資されるお金が時間なら、クレーンは先生が差し伸ばす手。

 それなら、このすり抜けて転がり続けているぬいぐるみは……?

 

 ……そこまで考えて、私は先生が次の硬貨を入れる前に、私の持っていた硬貨を投入口に入れた。

 前にシャーレの当番で呼ばれた時に貰った給料の残り物だった。

 

 これで最後にして……ここに長居する気もないし、あまりにも無意味だから。

 

「ここまで来たんだから引き下がる訳にはいかないでしょ!」

 

 この状況だとただ沼にはまりこんでるだけのカモみたいだからカッコつかないよ。

 先生は食い入るようにガラスに向かって目を凝らし、狙ったぬいぐるみにもう一度手を差し伸ばしていた。

 さっきまで拒み続けていた素振りが嘘のように、ぬいぐるみがクレーンに抱き抱えられて、大きな穴へと運ばれていく。

 スッとガラスの向こうで、ぬいぐるみが穴の中へと落ちて行き、先生の足元の排出口の中からぬいぐるみが顔を出していた。

 

 ……おめでとう。折角だし、シャーレにでも飾ったら? それか、さっき言ってた生徒にでも……え、私?

 

 こんな大人の事情の塊みたいな機械から取れたぬいぐるみに対して、先生は大喜びをしていた。

 私のおかげだからって、ぬいぐるみの両脇を抱えて、顔をこっちに向けて渡してきた。まるで物ではなく生き物を扱うような手付きだった。

 私がいらないって断っているその時、向けられたぬいぐるみの目に当たる部分と目が合って、一度言葉を失った。

 近くのゲーム機と店内の照明のせいかもしれない。

 それでも、この熊のぬいぐるみの瞳は、早く身体から解放されたいと思う死んだような目をした私に対して、元から脱け殻のぬいぐるみの目の輝きの方が生命の輝きを感じられるほど、私には眩しく思えて、まともに直視出来なかった。

 これじゃどっちが脱け殻のような存在か分からなくなってしまいそうだった。

 そのまま、私はぬいぐるみを受け取ってしまい、入れ物もないから抱き抱えたまま先生と店を後にした。

 空模様がゲームセンターに入る前よりも怪しくなっていた。

 

 先生、傘持ってる? ……うん。この様子、降ると思う。

 

 曇天の下。

 私たちは昼間にも関わらず薄暗い表通りを歩いていると、灰色のアスファルトをポツポツとどす黒く彩っていくように降り始めた雨に打たれていた。

 雨宿り出来そうな場所まで駆け込む最中、私は抱き抱えていたぬいぐるみが濡れないようにと、無意識の内にお腹辺りに抱えて庇って走っていた。

 D.U.辺りだったこともあって、シャーレ居住区に駆け込んだ頃にはいよいよ雨も本降りになってしまっていた。

 

 シャワー? 別にいい。余計な借りまで作る気はないし……

 

 濡れたと言っても、少し雨が髪や制服に滴った程度だった。

 前みたいに私が風邪を拗らせて路上で倒れていたことを先生が心配して、折角だからシャワーや休憩室を使うようにとしつこく言ってくるものだから、仕方なく借りることになってしまった。

 

 先に休憩室にぬいぐるみを置いてから、シャワー室まで歩いている間、特に他の生徒ともすれ違うことは無かった。

 ゲームセンターよりはマシだとしても、時々当番で来ると色んな学園から生徒が集まっている光景が見れる居住区でも、この時間帯は出入りが少ないみたいだった。

 人とすれ違わないだけで、真新しく見えるこの建物も寂しげな廃墟に見えてしまった。

 人の手が行き届いているだけの空間。

 私と先生だけがいる。

 電子機器が動いているかいないか、違いはそれだけ。

 

 借りて浴びているシャワーも、降りかかった雨も、大して変わらない。

 雨水が汚いのだとか、水道水なら綺麗だとか、そんなこともどうでも良かった。

 それなのに、こうして借りているシャワーの温もりを浴びていると、胸の内だけが冷たいことに気付いてしまう。

 雨風で失った体温をどれだけ取り戻しても、それだけでは満たせないものが胸の内にあった。

 

 私の心の器に、ずっと空いたままの穴。

 

 苦しみも喜びも、何を与えられてもそれをすり抜けるように出来た、欠陥にも思える器。

 ゲームセンターで先生がクレーンゲームと格闘している時、その気になれば先生を置いて帰ることだって出来たはずだった。

『シャーレ』の先生からの命令で一緒にいるだけ。

 

 あの時の私は本当にそれだけだったのか、自分でも疑ってしまう。

 

 投資されるお金が時間なら、クレーンは先生がいつも差し伸ばしている手。

 それなら、その手をすり抜けて何度も転がり続けているぬいぐるみは私だった。

 

 私がどんなに冷たくあしらっても、先生はくしゃっと笑って、私との距離感を掴もうと寄り添ってきていた。

 それを思うと、私は居ても立ってもいられなくて、先生に手を貸した。

 

 私は先生に諦めてほしかったのか、手助けをしたかったのか。

 

 自分で自分が分からなくなる。

 このまま、身体を温めるように降りかかるシャワーの温もりで溶けてしまいたい。

 胸の痛みから亀裂が入って、押し潰されるだけでボロボロに崩れさってしまいたい。

 でも現実は、雨風に打たれても風化しない。

 どれだけ銃撃を受けても、打撲程度の痛みで済むだけ。

 中途半端に丈夫な身体に嫌気が差してしまっていた。

 

『取れたよ! ミサキのおかげだね!』

『なにそれ、頑張ったのは先生でしょ』

 

 ずっと転がり続けて、転がり続けて、いくら差し伸ばされてきた手をすり抜けても、それでも先生は手を伸ばし続けていた。

 そうやって、先生は檻の外へとぬいぐるみも助け出した。

 

 無償の愛に、無償の善意。

 

 やり場のない感情だけが、胸の中を渦巻いて気持ちが悪い。

 一度知ってしまった温もりを、手放すことは難しかった。

 いくら優しさを注がれても、私はそれを受け止められない。

 でも、先生といるその時間だけ、空いていた穴が知らない内に塞がれているような心地になる。

 

 だから、得体の知れない物が胸の中を満たして、別れた頃にはそれが穴から溢れ出して虚しくなってしまう。

 

 見返りを求められない優しさ。

 私が何かしてあげた訳でもないのに、先生は私なんかの為にも時間を割く。

 

 暇じゃない癖に無理に暇を作って私にまで会いにくる。

 多分、先生には気付かれてる。

 私自身の感情さえ受け止められない、穴の空いた心の器の存在を。

 

 きっと明日か明後日にでも、先生は私に寄り添ってくるのだろう。

 

 まだ胸の中が冷たい。

 心臓が冷やされているみたいに苦しくなる。

 このまま止まってしまえばいいのに。

 苦しくて、辛くて、胸の内から喉元にかけて固形物にも思える何かが込み上げてきて、私は嘔吐物でも堪えるつもりで手のひらで口を覆った。

 

 優しさからの温もりなんて、知らないままでよかった。

 

「──み、ミサキ……何してるの……」

 シャワーを上がった後、着ていた衣服をもう一度着てから、ジャケットだけ脇に抱えて休憩室に戻っていた。

 部屋の電気は消されていて、庭の草木やコンクリートに向かって雨粒が降り注ぐ音が、部屋の薄暗さと相まって涼しげな音として聞こえていた。

 日頃、執務や依頼に振り回されていた先生が、休憩室奥のベッドの上で横たわって眠っていた。

 少しシワになったワイシャツ越しに、胸部が規則正しく起伏を繰り返していた。

 

 先生が生きている証拠。

 

 テーブルに座らせるように置いたはずのぬいぐるみが先生の真似でもしているみたいに、仰向けになって倒れていた。

 

 近くにあった椅子にジャケットと着ていたパーカーをかけてから、テーブルに倒れていたぬいぐるみを庭に向けて座らせると、ベッドで寝ている先生のお腹の上に跨った。

 薄暗い部屋、滴る雨音。

 そこで二人きり。

 夢と全く同じ状況だった。

 私よりも太い首に、包み込むように両手を添えると頸動脈から脈動が伝わってくる。

 

 あぁ、本当に殺しちゃうんだ。

 

 当然だけど、首の違和感に先生は目が覚めてしまった。

 今は辛いかもしれないけど、死んだらそんなことも感じなくていいから、安心して。

 先生は慌てていた。

 私がいきなりこんな事をしている状況に理解出来ていない様子だった。

 

 先生を殺そうと思って……うん、本気だから……これ以上、見返りを求められない優しさが気持ちが悪いから……先生は、私にどうしてほしいの……何をしてほしいの……分からない……シャーレの先生ならしたいように命令出来るでしょ……どうして何もしないの……先生のせいで、いらない思い出が、沢山残るようになった……あれほど肉体から解放されたかったのに、その事を考えると耐えられないくらい未練が増えた……胸が苦しい……先生の傍にいても、離れていても……だから……だから……

 

 先生はしばらく私の目を見た後、何かを察したかのように、急に大人しくなってしまった。

 そして、私の両手の甲に手を添えて、握るように促してきていた。

 

「──そっか……私はミサキになら……良いかな……」

 

 私はシャワールームでしばらく嗚咽してた。

 その泣き腫らした後の目が、先生を納得させてしまったんだと思う。

 先生の首を掴む。

 その気になれば本当にすぐ折れてしまいそう。

 私の手のひらと先生の首筋の筋肉が擦れ合って、ギチギチと音を立てていた。

 ……その顔、夢で何度も見た。

 後、数秒後にはあなたの首の骨が折れて、強がって苦しみに耐えようと眉間に皺を寄せている目付きだって、虚ろを向く。

 そして、夢の中でずっと聞こえなかった言葉が、やっと聞こえた。

 

「み゛っ……ィ゛……ミサ、キ……ごめん……ね……」

 

 私に謝っていたんだ。

 それなのに私は、何度も先生を殺してきた。

 何も返せないのに、恩を仇で返す私のこの愚行を、まるで恩返しとして受け取るように、この人は自分が直面する死よりも、最期まで私の事を気にかけてくれていた。

 

「げっ──……! げほっ、げほっ……げほっ……!」

「……ごめん、先生」

 

 両手に力を込めるのを止めて、先生の首から手を離した。

 私は手のひらを見て、これが現実だと思い知る。

 何度も目を覚ます度に確認していた手のひらは、握り締めていた錯覚だけが手に残っていて真っ白だったけど、今の私の手は血の巡りを感じられるほど真っ赤に染まっていた。

「はぁー、はぁー……み……ミサキ……?」

「……ごめん、どうすればいいか分からなくて……胸の中に、知らない感情ばかりが込み上げて……私がおかしいのは分かってる……許されない行為だってことも……んっ──」

 先生が身体を起こしたと思えば、先生の胸の中に収まるように抱き締められていた。

 頭一つ分、私よりも大きな体が、私の体を包み込んでいた。

 一瞬の出来事に先生が何をしているのか理解が出来なかった。

「……先生?」

「ミサキはおかしくないよ……そんな風に抱え込むまでミサキを追い詰めてしまってたのは私の責任だから……気付けなくて、ごめんね……」

「いや……だから……そういうとこ……」

 謝っているくせに、本当に分かっていない。

 自分が死にかけていた癖に、先生はまるで私の自殺を止めて安堵しているかのような様子だった。

 これじゃどちらが死にかけていたか分からなかった。

 先生の首筋に耳を当てるように抱き締められているせいか、ドクドクと早く高鳴った脈拍が聞こえる。

 

 生きてる。

 

 私の生か、先生の生なのか。

 私も私で、どちらの生を実感しているのか分からなくなっていた。

 冷たかった胸の内が少しずつ温まっていた。

 器に空いた穴が塞がれている。

 先生の温もりが、存在感が、私の中に溶け込んでいる。

 それを受け止められるようになっていた。

「熊のぬいぐるみ、外に向けたんだ?」

「……分からない、ぬいぐるみが見てるはずもないのに」

「後ろめたいことをしようとしたって自覚はあったんじゃないかな……ミサキの考え方は間違っていないと思うよ」

「……っ、ねえ、さっきから子ども扱いしてるなら離して。なんか腹立つ……」

「ごめん、そんなつもりじゃ無かったんだけど……うわっ──!」

 先生が私の身体から両手を広げて離れようとしたから、私から先生の胸の内に入り込むように抱き寄せていた。

「……そんなつもりじゃないなら、このままいさせて……落ち着くまで、しばらくこのまま……」

「……うん」

 どうしようも無いくらい、胸の中が満たされていく。

 きっと離れてしまえば、すぐにでも抜け落ちてしまうかもしれない。

 このまま、胸の中を先生で満たして……溢れ出すほど受け止めた頃には、私の答えが出てるかもしれない。

 ……先生の腕の中に収まっている間、ダメージジーンズ越しの脚に、何か硬い物がずっと押し付けられている感触があった。

「……ねぇ?」

「うん……?」

「さっきから、私の脚に何か押し付けられてるんだけど……」

「……ごめん」

「そういうことがシたくて、さっき私を抱き締めに来たの?」

「違っ……! そ、そういうつもりじゃ……!」

「……ごめん、それじゃあ私のせいか」

 先生も肉体っていう檻に閉じ込められているなら、生命の危機を感じればそうなるよね。

 私が首を締めて殺そうとしたりしたから、生殖本能が敏感になっているんだと思う。

 種の保存。

 生命の危機を感じて、すぐにでも目の前の都合のいい雌に子孫を残そうと生殖器を硬くしているみたいだった。

 私の格好も普段と違って、パーカーも脱いでしまっているから上半身を覆っているのはキャミソール一枚だけ。

 普段は『先生』として私たちを見てくれていても、生殖本能が高まれば、こんな私の薄着姿も『動物』としては目に毒なのかな。

 先生も私も肉体に閉じ込められた存在。

 その中で理性を保っていても、正常な判断を狂わせるように生殖本能が備わっている。

 

 ……先生、こんなの呪いみたいなものでしょ。

 三大欲求の一つ一つが、肉体を持つことを罪とするように課せられた呪い。

 生きていれば空腹に悩まされ、意識を奪うように睡魔に悩まされ、生命活動の危機を感じれば生殖本能に悩まされる。

 大人になっても、それに変わりはないんだね。

 私にさせて。

 このまま、先生に借りばかり作る訳にはいかないから。

 先生が悪くないのは分かってる……だから、大人しくして……

 

 私は返事も聞かないまま、先生の下半身に纏っている衣服を脱がせて、膨張した生殖器をあらわにさせた。

 醜い形。

 普段の先生からは想像も付かないほど、雌の生殖器の奥まで押し込んで、しっかりと食い込ませるような形状をしていた。

 長い肉棒の部分には、表面に機械の配線が這うように何本も青筋が浮き出ていた。

 真っ赤に膨れた亀頭。

 普段、排泄行為が行われていると思う鈴口からツンと鼻の奥を刺激するようなしょっぱい臭いがする。

 さっきまで先生の首を締めていた右手を添えて、肉棒を握ってみると、私の手にその温もりを移すほど熱かった。

 どれだけの血液が流し込まれて硬くなっているのか。

 今、先生の身体にとっては、宿主が死ぬことより、子孫を残すことしか考えていないんだと思った。

 首よりも熱くて、このまま火傷してしまいそう。

 握ったまま手を滑らせて前後に動かすと一本一本の浮き出た血管の感触が、存在感を主張するようにはっきりと伝わってくる。

 

 これで合ってる……? 違ったら教えて……そう、これぐらいがいいんだ……? じゃあ、このまま……

 

 先生は両手でベッドのシーツを握って、気持ち良さそうに目を閉じて、生殖器を愛撫される快感に浸っていた。

 こういう行為に抵抗があるフリはしてもすぐに受け入れている様子を見ると、いくら大人で私たちを指揮する先生も、性的欲求の前では無力だった。

 常日頃、私には不可解にも思える言動や行動が耐えない先生が見せる理性が欠けている一面。

 私が手を前後に動かしている間、生殖器の付け根にだらしなく垂れ下がっている房を左手で包み込んでみると、歯を食い縛るように手淫での快感に浸っていた先生が情けない声を漏らした。

 左手に包み込むように握ったのは睾丸。

 先生の生殖本能を高めて、煮詰められて作られた精子がたっぷりと溜まっている場所。

 ほんの少し握ってみると、ぐにっと中で何かが転がるような感触。

 首を締めた時とは違ったうめき声を上げていた。

「か、はぁっ……ぁ……! ミサキ……そこ、握るの……だ、ダメ……うぐっ゛……」

「……あ、ごめん」

 別に痛め付けるつもりで握った訳じゃなかった。

 ダメと言う割りには生殖器が、今よりも伸びようとしているみたいに、小刻みに脈動を繰り返して、亀頭が私の方へと気持ち悪く動いているように見えた。

 

 うわ、何これ……気持ち悪っ……

 

 亀頭と肉棒を隙間無く密着して覆っている皮が、メリメリと捲れて、肉棒の中身の一部が見えてしまっていた。

 それ以上は大きくなれないのか、ドクドクとまるで暴発寸前の腫れ物みたいに脈動が早くなっていた。

 鈴口からねっとりとした先走り汁が溢れ出して手にかかったことで、ローションの代わりとして滑りが良くなっていた。

 生殖器だけじゃなかった。

 生殖器のその付け根に続いてる太ももや腰が、まるで凍えているみたいに、ガクガクと震えていた。

 左手でぐにゅっと、睾丸の中の薄い筋肉の感触がはっきりと手触りが分かるくらい握ると、電流を流し込まれたみたいに、ガクッとベッドから身体が一瞬飛び上がった。

「はぁ゛っ……あがっ……ぐっ……ぁ゛……あぁ゛……!」

 先生が堪えているからか、鈴口からびゅぅっと先走り汁が吹き出し、それに続いてダクダクと壊れた蛇口のようにまだ溢れ続けていた。

 獣みたいな声を上げている様子を見て、射精寸前だと分かった。

 

 先生、出そう……? 我慢しなくていいけど……こういうのって、飲めばいいんでしょ……別にいい、膣にさえ出さなかったら、どこに出しても一緒でしょ……部屋のどこかにかけて汚した方が面倒だと思うし。

 

 先、咥えるから出して……

 

 私はいつも喋る時よりも口を大きく開けると、先生の亀頭を半分ほど咥え込んだ。

 手にまで纏わりついていた先走り汁で潤った亀頭の表面。

 それが私の唇にチュッと水気のある音を立てて吸い付き、先生の腰がもう一度ガクッと震え上がると、私の口内に先生の体温で温まった白濁液が吐き出された。

 

 ──ん゛っ……ぅ……! ごほっ゛……! んぐっ……ん゛……んぅ……っ……!

 

 亀頭が膨れる度にドクドクと注ぎ込まれる白濁液。

 口内だけじゃなく、喉奥に目掛けて勢いよくかけられるせいで、嘔吐反射に近い喉の拒否反応さえ起きていた。

 苦しい。

 出す場所を間違えていると、私を咎めるような苦い味。

 舌に絡み付く度に、口内の物を吐かせようとお腹が凹んで空気を送り出し、嘔吐を促そうとしていた。

 口内に注がれ続けていた圧迫感が無くなると、私は生殖器を咥えたまま吐き気を抑えるように鼻息を荒立てて呼吸していた。

 すぐに口から離して空気を取り入れたりすれば、吐いてしまう確信があった。

 鼻息をしてる間、精液の生臭さを感じる異臭が脳を刺激した。

 今まで廃墟の腐った水道水を口にしたりすることはあったけど、それとは別の不味さだった。

 この舌に絡み付く粘り気も、雄としての生殖本能が、雌の中に粘り気のある種を注ぎ込む為に出された物だから、気持ち悪くても当たり前だった。

 それでも……

 

「はぁ……はぁ……ミサキ……大丈夫……?」

 

 薄く目を開いて先生の顔を見上げると、私を気にかける言葉とは裏腹に、惚けているような心地好さそうな顔をしていた。

 身体と心が支離滅裂な状態。

 大人である先生が本能に負けているような様子にも関わらず、大人であろうと意地を張っているようにも見える態度が、私をイライラさせていた。

 

 どうせ私しか見ていないんだから、今さら大人ぶっても無駄なのに。

 

 まだ私に対して「大人」でいようとしてるみたい。

 今だけは諦めたらいいのに。

 先生だって、肉体の本能に悩まされてる被害者でしょ。

 こうして借りを返す為にシてる私が馬鹿みたいじゃん。

 

 ──ちゅぅっ……ぷはぁ……

 

 先生の態度にムカついている間に、込み上げていた吐き気もいつの間にか引いていたから、私はわざとらしく亀頭の先端を吸いながら口を引き離した。

 敏感になった亀頭を吸い上げられながら引っ張られたせいで、大人ぶった余裕そうな一面は取り繕うことなくすぐに崩れていた。「お゛っ……ぅ゛……は、ぁ゛……っ……!」と情けない声を上げて、首を反らして、悶絶していた。

 

 ──ん゛……っ……

 

 口に精液を含んで喋れないから、強引に先生の胸ぐらを掴んで、私の方を向かせた。

 いつもの私たち生徒に向き合う誠実さの欠片も感じない、情けなく惚けただらしない雄の瞳と目が合った。

 それを合図に、私は先生の精液と、口内に溜め続けたせいで滲み出た唾液が混ざり合った塊を一気に飲み込んだ。

 首を反らして飲み込んだからか、首に巻かれた包帯越しでも分かるくらい喉仏を起伏させた。

 一匹たりとも卵子にたどり着くことが叶わない精子たちが、私の喉を通り抜けていく。

 喉に引っ掛かる。

 液体が喉を通り抜けた途端、急に窒息しそうな感覚に陥った。

 粘り気のある精液が薄く喉に張り付いて苦しくなり、小刻みに口内に滲み出た唾液をすぐに飲み込んで洗い流そうとした。

 

 ──はぁ……はぁ……げぇ、っ……げほ、げほっ……不味っ……

 

 先生は口では謝ってた。

 謝っている癖に、生殖器は硬くさせたまま亀頭を真っ赤にさせて、反り返っていた。

 私にコレが付いていないから実際は分からないけど、見ているだけでも痛々しさが視覚的に伝わってくる。

 

 これ……まだシ足りないの……?

 だったら、使う?

 私の身体。

 

 ダメージジーンズと下着を脱いでしまえば、身に付けてる衣服がキャミソールだけになってしまった。

 犬が行動で服従を示す時、お腹を上に向けて仰向けになるらしい。

 リードを握られた猟犬のような存在だった私も、今は情けなく仰向けになって開脚させられていた。

 お腹どころか、無防備な女性器を見せる体勢。

 普段から自分の女性器がどんな状態だとか、あまり意識して過ごしていなかった。

 害が無い程度に衛生面が保てていればいい。それぐらいのつもりだったから。

 それでも、開脚させられているだけで、膣口の表面がしっとりと濡れ、生の男性器を向けられているだけで、透明の蜜が一滴溢れ出すような状態は、異常だとすぐに気付いた。

 感情が揺さぶられるほど来ていないだけで、私の身体はこの状況に興奮している。

 

 避妊……した方がいいよ。昔から過酷な生活をしてたから、何を持ってるか分からないし……最後に生理が来たのもいつだったか。

 

 ……別に、先生が全部責任を取れるなら、私はいいけど。

 

 言ったでしょ、私は借りを返しているだけ。

 先生は飼い犬のリードを握るみたいに私に命令すればいいだけだから。

 

 オナホでも扱うつもりで好きにすればいいし……

 

 生の生殖器が近付けられる。

 ……そっか、本当に生でするんだ?

 先生も興奮のあまりに、まともな判断が出来なくなっていたんだと思う。

 

 自分でもよく分からなかった。

 もし責任を取られないなら、私からシャーレに背くことができる都合の良い理由が出来るとか、逆にこちらが握れる弱みになるとか、肉体的な繋がりから生じる利点ばかりが思い付くはずだった。

 

 でも、先生の顔を見ていたり、差し出された手を握り返したりしていると、胸の内のどこかで「先生なら大丈夫かも」と、くだらない根拠に希望を持って馬鹿みたいに信じてみたくなっていた。

 

 人と人の間を繋ぐ糸なんて妄想。

 縁なんて出来ても、いずれ人は最後は一人で死んで土に還るだけ。

 そのはず……そのはずなのに、こうして身体が粘膜同士で直接繋がり合える瞬間、淡い希望を抱いてしまう。

 私の中で、鬱陶しく、目障りに思えるくらい大きくなりすぎたあなたに、しがみつこうとしてしまう。

 

 ……わざわざ言わなくても、好きな時に挿れていいから……んっ──……くぅ……ぁ……ッ!

 

 見た目だけなら、すんなり入ってしまいそうな丸みを帯びた亀頭が膣口に押し当てられた。

 少し白濁とした先走り汁が表面張力で保つみたいに、鈴口の先端で水滴を作っていた。

 精子が、先生の遺伝子が含まれた粘液。

 私の半開きになった膣口に生殖器が押し付けられると、そこから溢れていた愛液と先走り汁がくちゅっと触れ合って混ざり合った。

 浅い粘膜同士の触れ合い。

 それでも、少量の精子が私の膣に染み込んだことで、私は先生の遺伝子からは、もう逃れられない人生になるんだろうと思うと、自分でも意味が分からない笑みが零れた。

 お互いに、見えないリードを握り合う人生。

 

 膣の中が引き裂かれていく。

 

 生まれた時点で理不尽な肉体に縛り付けられる束縛よりも、合理的な理由で繋がり合ったリード。

 

 押し込まれていくに連れて、膣に痛みがあったかもしれない。

 

 それでも膣の中が、生殖器で満たされていくに連れて、脳から理性の居場所を追い出すように、快楽物質が押し寄せてくるのだった。

 肉体なんて単純な物だった。

 こうして繁殖行為に励んでいるだけで、それだけで宿主を無理やり悦ばせようと脳内麻薬が溢れて、よがり狂わせようとしていた。

 

 私も先生も、肉体に組み込まれた呪いにも思える生殖本能に従わされているだけ。

 

 どんなに腰を打ち付けられても、どんなに指と指を絡め合うように握り合っても、そこにそれ以上の感情はきっと無かった。

 

 ──あっ……はぁ……っ……くっ……ぅ……ぁ……

 

 子宮口に、先走り汁で潤った亀頭が押し付けられる度に、私の意思に反して、喉奥から無理やり捻り出される甘ったるい声。

 雄を興奮させるために、雌の身体に備わった鼓膜を擽るような喘ぎ声。

 そこに知性もいらなければ、言葉すらもいらない。

 ただ雄を興奮させるために、動物のように喘ぎ続ければいいだけ。

 

「ミサキ……っ……ミサキ……ぃ……!」

「うっ……ぁ゛……は、ぁっ……せ、せんせ、ぇ……」

 

 荒い息遣い。

 擽ったく思えるほど近い距離から吐息を唇に掛け合っていた。

 今、唇に掛かる吐息がどちらの物かも分からない。

 火照った身体を重ね合って、蒸れて、汗ばんだ肌と肌が、腰を打ち付ける度に、ばちゅっ、ばちゅっ……っと下品にも思えるくらい水気のある音を立てていた。

 先生とずっと目が合い続けていた。

 

 あ……あまり、こっち見ないで……はぁ……顔、近い……ん゛っ──ぅ……!

 

 半開きの唇。

 何かを欲するように、唇の隙間から見え隠れするように伸ばされた舌先。

 言葉すらも必要のない交尾に、キスをする為の許可も取られることはなかった。

 吸い込む空気が先生の吐き出す温もりだけになっていた。

 膣だけじゃなく、口内から舌の付け根までもが貪られていく。

 口内にあった私の唾液に、先生の唾液が混ざっていく。

 脳が蕩ける感覚。

 酸素濃度も薄まって、視界が霞んでいた。

 その先に先生がいる。

 私の舌を通じて先生の唾液が溶け込むように、体内へと流れていく。

 身体が余すことなく先生に染められていく。

 上半身だけ衣服を纏っている姿だって、人を装ってるだけで、シていることは動物の交尾と何も変わらないはずだった。

 

 ──ぷはっ……ぁ……

 

 塞いでいた口が離されると、私の口の中から先生の舌が引き抜かれ、ドロッと唾液の糸が引かれていた。

「はぁ……はぁ……ミサキ……もう……っ……」

「んっ……! ふぅ……ぁ……っ……! はぁ……だ、出した……ら……? ん゛、ぁ……くぅっ……ん……好きな、とこに……っ……」

 先生の腰の動きが乱暴になっていく。

 両膝を掴まれて、深々と腰を押し付けやすいように開脚させられた。

 腰を打ち付けられる度に、自分の声なのに、耳を塞ぎたくなるほど甘ったるい声を絞り出させられた。

 先生の身体が揺れる度に、一緒に揺さぶられている。

 私は先生の両肩を、ワイシャツ越しに握りしめていた。わざとらしく皺が出来るくらい。

 

 ──んぅぅっ……! は、ぁ……っ……う゛っ、お゛っ……ぁ……はぁー……はぁー……

 

 生殖器が奥深くまで押し込まれて、密着させたまま先生の腰の動きが止まった。

 さっき、私の口に出した時みたいに、ガクガクと腰が震え上がって、膣の中で生殖器が上下にドクドクと跳ねていた。

 

 私、種付けされてるんだ。

 

 子宮の中に先生の精液が注ぎ込まれていく。

 本能のままに、べったりとした粘液が私の中に先生の物だって証拠が残されていく。

 粘液に乗せられて注ぎ込まれた精子が、あるかも分からない卵子を求めて私の中を無意味に泳ぎ回り、最後には疲れ果てて死んでいく。

 そんな全てが虚しく空打ちにも等しい行為なのに、私の中に種を注ぎ込んだ余韻で顔をだらしなく惚けてさせている先生を見ると、どうでもよくなってしまった。

 返しきれない物を返せたかのように、胸の中のわだかまりが解れるような感覚。

 先生がいいなら、それで良かった。

 

 先生……顔、見ないでって言ってるでしょ……

 

 私は自分の腕で口元を覆って、先生から顔を背けた。

 少し柔らかくなった生殖器が、私の中から引き抜かれていく。

 ぬぽっと空気を含んだ音を立てて、生殖器が引き抜かれた。先生の形に作り替えられた膣内が、薄情にも思えるほどすぐに元の何も入っていなかった閉じた形へと戻っていた。

 

 こうして形を忘れてしまった膣が男性器が恋しくなって、また欲しくなるように出来てるのかな。はぁ……

 

 肉欲の連鎖を断ち切れないように出来ている自分の肉体に呆れてしまった。あまりにも今さらだけど。

 そう思っている間に、私が横向きになるように身体を捩らせて寝ていると、先生が背後に回り込んで、後ろから包み込むように抱き締めてきていた。

 後頭部に当てられた先生の胸部からドクドクと心音が聞こえてくる。

 動物のように身体を求めてきたくせに、安らぎを感じさせるほど心地好く思えるほど、低い音ではっきりとした心音。

 

 ……目蓋が重い。

 

 私が顔を背ける態度に対して、先生は何か言う訳でもなかった。ただ、何も口にせず私を抱き締める行為が、言葉がいらなくなった私たちの時間がまだ続いているのだと感じさせられた。

 先生のことを子どもっぽいところもあるなんて思っていたけど、私のこんな態度だって、先生からすれば子どもっぽく見えているのかもしれない。

 それを受け入れると語るかのような抱擁。

 

 ──やっぱり、子ども扱いしてるでしょ……

 

 でも、今それを言おうとするものなら、顔を見せることになるかもしれないから、今は仕方ないか。

 

 眠りに就く前、最後に視界に写ったのは、テーブルに置かれたぬいぐるみの背中だった。

 

 ぬいぐるみは私たちに背中を向けたままだった。

 淫らに惚けて赤面してしまうほどの光景から、目を背けるように。

 

 ────

 

 街中が秋景色になっているから会おうと先生から命令があって、仕方なくひと気の多いところに顔を出していた。

 郊外の寂れた道を歩いていると、居場所だった夏を失った蜻蛉が、居場所を求めるようにふらふらと私の目の前を通りすぎて行った。

 都市部に入ると秋にもなったせいか、すれ違う一部の学生がブレザーやカーディガンを着て体温調節を行っていた。

 そして、この季節も花粉が酷いから私は黒色のマスクを着けていた。

 待ち合わせ場所に着くと、普段小脇にジャケットを抱えていることが多い先生も、ジャケットに袖を通していた。

「見て、街路樹がイチョウと紅葉で染まって綺麗でしょ?」

「……うん」

「えっと……更にここの街路樹は、冬になるとイルミネーションが飾られて綺麗なんだって……」

「そう……」

「アリウスのみんなも連れて見に来ない?」

「……追われてる身なんだから、流石に全員で来たらバレると思う。他の子に声をかけたら?」

「えぇ……」

 言われた通り、秋になると先生から一通のメッセージがモモトークに入っていた。

 命令だから仕方なく来たけど、前に来た時と思うことは変わらなかった。

 青く生い茂っていた街路樹が、季節に追われて別の色へと染め上げられただけ。

「一回セックスしたくらいで考え方が変わる訳ないでしょ。もしそう思ってるなら、思い上がりすぎ」

「いや、そんなことは……」

 これからも私の見えている世界は変わらない。

 相変わらず肉体なんて足枷に過ぎなくて、いつも私を困らせているだけだった。

 

 目の前の先生だって、そう。

 私をずっと困らせ続けていた。

 

「その時はミサキに声をかけようかな……一緒に景色の変化を楽しめる人がいた方が、ミサキもきっと楽しいと思うし?」

「飾り付けが密集して光ってるだけでしょ」

 その時が来れば、このお節介な人に呼ばれる。

 懲りずに私を気にかけるどうしようもない人。

「大丈夫、きっとミサキにとっても何か良い物になるはずだから」

 私が危なっかしいからと、頼んでもいないのに気にかけてくるお節介な人。

 

「……じゃあ、その時に呼んで」

 

 私はあなたから次の命令があるまで待機してる。

 ただ、それだけ。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。