稚気と献身が一体化している様を見て、やれる事を何も思いつかずただ見つめる。
深く関わる事になってしまう云々と思っているけれども、そもそも既に無関係なんかじゃない。
六連をこんな目に遭わせた相手は───金色に輝くその獰猛な牝龍は、かつて子供の頃の六連を襲った獣の姉だったのだと聞いた。
ヒツキがあの子と友情を育み、共に過ごしていた日々の中であの子を喰おうとする獣───『睥睨獣』と遭遇し、身を挺して彼を逃がした。そういう因縁があるのだと。
ここまで聞いて、今までの色々な言動に何か納得した。
あの子は時たまヒツキのことを、「俺の恩人なんだ」「ずっと俺は助けられているんだ」と言う事があった。一見真剣ではない、おどけた口調で大袈裟な様子ではある。けれども、六連は恩を売ったり負い目に感じさせる冗談なんて言いはしないし、事実を誤認させたりもしない。ことさら言い回しには気を遣う性質だから。
だから、冗談めかしくはあるけれども何か大きなことがこの二人の間にはあったのだろう、そして、それの重さを六連はまったく気にしてはいないのだろうと、ずっとそう思っていた。
そう考えると、この話をわたしが聞いてしまっていいのかしらとも、思った。
ヒツキにもそれは伝えた。妙なほのめかしこそすれど大っぴらにはしていない話を聞いてしまっていいのかしら、それはあの子とあなたとの間の大切な思い出───この言い方が適切かは分からないけれども、とにかく重要な過去だ───じゃないのかしら、そもそもこれは今回の討伐にも関係する、いわゆる機密じゃないのかしら、と。
わたしが踏み入ってもいい過去なのかと、そう聞きたかった。
ヒツキはまるで動じなかった。
彼女の、睥睨獣の『ニシカ』の動機ではあるけれども、機密そのものじゃないよ、だから大丈夫だ、などと言いながら、こちらをじっと見つめ続けている。
「それでも、きみは知っておくべきだと思うんだ」
「彼が朗々と詠わないことだからこそ、ぼくが語ろう。あの子の源流を、ことわりを」
「知った後にどう動こうと、きみに咎はない。すべてはぼくの恣意が成したのだから」
責はぼくが背負う。きみは『本意ではなく聞いてしまった』とすればいいよ。
そう言い終えると、ヒツキはふっと、表情を緩めた。いつもは表情が変わりにくい、硬質な顔にはめずらしい、明確に表情を動かしたと分かる動きだった。
───でも『知ってしまった』なら、無関係ではいられなくなるのでしょう?
境界を亡くし彷徨い歩く塞ノ神。あえかな存在と堕ちた今でも『守るもの』であり続ける。そんな存在が得た親友───かつての小さな少年を思う心に、わたしが気付かない訳がない。
かつて六連が遭遇した弟に、今回、彼や仲間を喰おうと企み、襲撃してきた姉───本当のところ、龍なのか獣なのかもよく分からない、相手そのものには興味が無かった。
わたしが知りたいのは。心の内に留め、放したくないと思うのは。
ずっと彼の手に顔をくっ付けていたからだろう。おいおい、どうした、と彼が笑った。
妬いてくれているのか、なんて、こちらをからかう声も張りが無い。
それなのに、何かを滲ませ包むような声色具合はまったく衰えもしない。
本当に、腹が立つ。
「なあ、そんな顔しないでくれよ。俺は元気なんだから」
「みんなが頑張ってくれたから、俺は帰って来られた。みんなを忘れなかったから、俺は足を踏み外さなかった」
───だから、俺が無事に帰る事が出来たのは、お前のお陰でもあるんだぜ。
自らの髪と首筋を撫でながら、六連が笑う。
六連の声はひたすら明るい。明るくこちらを気遣ってすらくれている。
腹が立ち、煮え、煮えた腹の中が抉れて痛い。
痛く苦しい思いなど、こちらは何一つ味わっちゃいないのに。
わたしはあなたに、何一つ与えられてはいないのに。
なにいっているの、今はゆっくり休んで、と傍らから更に近付き、包帯越しに顔を撫でた。なんだあ、みんなしてひっつき虫になっちゃって、とおどけ嬉しそうな声が上がった後、ほんの一瞬静かになった。
───なあ、榮美里。
俺がこうして帰れたのは、熱く滾り過ぎないように冷静の内に留めてくれたのは、お前のお陰だよ。
お前が引き留めてくれたからこそ、俺は止まれたんだ。
真剣な声だった。
今回だけじゃない、いつもありがとうな、と続く言葉。
戸惑いの中で何も言えずに居ると、さあそろそろ寝るかあと明るい声を出しながら、起こしていた半身を横たえて。
「みんなが俺を助けてくれた。だから俺は帰って来られた。みんなが俺を好いてくれて、無事を祈ってくれた」
「みんな無事だ。みんなここに居る、こうして無事でいる」
───ああ俺、こんなに幸せでいいんだろうか。
横たえた身体から響く、安らかな声。まどろみがうっすら交じる様子に、こちらの意識をぼやけさせながら思う。
確かにわたしは遊びのプロよ。けれどもあなたにはかなわない。
わたしは刀で切り結ぶ時の高揚を知らない。肉を斬り潰す感触を知らない。
切り裂かれ骨を砕かれた時の傷で、身体を飾り続ける栄華を知らない。
夜ごと魘される疼痛と悪夢という、生涯残る記録を知らない。
再来者の顔と名を聞いた時の腕と指のわななきを誇りとし、「こんな栄誉は自分で終わりに」と一人味わいたがる独占欲を知らない。
───知りたいとも思わない。
痛いのも怖いのも、わたしは嫌いだ。
もし、誰かを守れなんて命ぜられても。きっとわたしは怖くて動けないでいるか、逃げ出してしまうだろう。
面倒なんて、ごめんだわ。
だけど。だけど、あなたは。
───それでもお前は、勇気を持って友達を助ける為に動いたじゃないか。
友達の為に尽くせる全てをやって、ずっと諦めずに傍に居るなんて、なかなか出来る事じゃないぞ。
前に、わたしが似たようなことを漏らした時───わたし達が出会ったきっかけ、あなたが『死装束を身に着けている様だ』なんて例えたあの子の事件を指して言ったわね。
あれは、友達だったから、身体が動けたからやれたのだ。あの時はたまたま、きっと毎回やれる訳じゃない。そんな高潔なものだなんて、わたしは自分を見做しはしない。
───そういえば、あなたはあの子の話を聞くのが好きね。
治療を続けているあの子が今どうなっているのか、かつてあの子がわたしとどう過ごしたのか、あなたは楽しそうに聞いていたわね。
こうしているみたい、こう遊んだわ、と言うたびに眼を輝かせ、何度もうなずきながら、よかったなあ、といつも笑う。
くわしく伝えてしまっていいのかしらとあの子に相談したら「私を止めてくれた六連さんが、えいちゃんのいい人がどう思ってくれているのか気になります。どんどん話して教えてください」と返って来たから、それならと話せる限り話してしまった。
最初は自分が捕らえた、それなりの事情のある相手がどうなったかと、気を揉み気を遣いしているのだと思っていたけれども。あなたの過去を知ってしまうと、どうもそれだけではない気がしてくるわ。
───守りたい誰かの為に立ち上がるのは、走るのは、凄い事だよ。
───ちゃんと止められたのは、友達にこれ以上罪を犯さない様に、苦しい思いをさせない様に力を尽くせたのは、誇るべき事だよ。
心底嬉しそうに、苦しいのを堪えるかのように、漏れ続ける忍び笑いの意味など知らない。
あなたの底にある夜の色を、その深さを、わたしは知らない。
表層と深層がひとつづきで、底と表面がひっくり返るのがあたりまえで。
あなたには、かなわない。
何が好きで、自分にとって気持ちいいか、しっかり理解している。
気持ちよさを熟知し、そのために何をどうすればどう動けばいいか、考え続けることが出来る。
そうやってご機嫌そうに笑っているのも、わたしを安心させるためだけじゃないんでしょう?
眠りに入ろうとする顔。
包帯の合間から垣間見える、長い睫毛に縁取られた閉じた瞳は弧を描き、子供じみた様子で満足気に笑っていた。
確かにわたしは遊びのプロよ。けれどもあなたにはかなわない。
もしわたしがあなたの知る遊びを知りたいと言ったなら。その快楽を味わいたいと強く望んだとしても。
きっとあなたはゆっくりとかぶりを振って、そんなものは知らなくていいと、知る必要は無いと、穏やかな顔で笑うから。
まったく、なんにもおもしろくなんかないわ。
そんなことをぼんやり考えながら、わたしは傍らで寝入る六連の顔をずっと見つめ続けていた。
掛ける言葉も、どうすればいいのかも、何も分からない。茫洋と遠い『いつか』はぼやけ、留めてはいられない。
すべては朧気で何も決まっちゃいない、それでも滲む痛みだけは鮮明で。
冬の夜は深々と更け、星一つ見えない闇の色も、つんとした冬の冷たさも、次第に深まり辺りに広がって。
深い夜は、ここにある。
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