もしもヴァナルガンドが淘汰を進めた先で暴走したら。そこにいるのは姫ではなく、神々を喰らった狼ではないだろうか…?
「ヴァナルガンドがいない!?」
いつもの日常を過ごしていたある日の出来事である。朝食の準備をしているといつも来るはずのヴァナルガンドが来ないと言って、宿舎やその周辺を探し回っても姿が無い。団体行動を遵守する彼女が勝手にいなくなり、ましてやなんの書き置きも無いとは想像出来なかった事態だ。街で聞き込みをしても、ギルドや協会に問い合わせても行方が分からない。こんなときにヴァナルガンドのよく効く鼻があればと思うばかりだ。結局、数日間探し回ってもヴァナルガンドは見つからなかった。そんな危機的状況だが、異族という脅威は迫ってくる。戦力も心も欠けたままだが、街の平和のためには戦わなくてはならない。本来は日中に迎撃したかったが、敵方の進行速度的にそこまで待ってはいられず、空が赤くなる黄昏時に出向くことになった。不安はあるが仲間達と超えてきた戦場はかずしれず。それにもしかするとヴァナルガンドが現場に居合わせるかもしれないという淡い期待を抱く。そんな心持ちで現着した際の状況はまさに惨状。倒れているのは異族だが、刃物で切られたのではなく、引きちぎられた様な断面。魔弾で撃ち抜かれたと思われる個体もいたが、衝撃が大き過ぎて爆発したようにバラバラ。戦場に慣れているはずのマスターでさえ顔色がみるみる悪くなったため、少し離れた場所で呼吸を落ち着ける。異族が倒されているのは良い事だが倒し方がキル姫にしては不自然だ。そうなれば別の怪物が暴れまわっていると考えるのが自然だ。今後について作戦会議をしていると、遠くから足音が聞こえる。全員が臨戦態勢に入るがこの暗闇では標的がよく見えない。先手をとって民間人でしたなんてあってはならない。月に早くアレを照らしてくれと願いつつ、汗を垂らして待つ。人影に反射した光が瞳に像を写した時、全員が息を吐く。大きく、大らかさで狼のような寝癖がついたキル姫がそこにいた。
「ヴァナルガンド、どこに行ってたの!?」
ゆらりゆらりと体を揺らしながらゆっくりと歩いているが返事はない。疲れているのか、怪我をしているのかと駆け寄る。足音に気付いたヴァナルガンドはこちらに目を向けると、口元に笑みが見えた。活気が戻ったように駆け出すと、あっという間に距離を詰める。
「え…。」
ヴァナルガンドに飛びつかれたマスターはそのまま押し倒される。側にいた姫達も珍しい出来事だが、時には甘えたいのだろうと見守るばかりで、誰も動き出さなかった。
「ヴァド……?どうした、の…」
───────バキッ。
待っていた返事は音として帰ってきた。戦場を知る彼女達はそれが骨が砕ける音と理解する。しかし何故今その音がするのか?一拍置いてから身体から何かが消え、力が抜けていく。それをマスターが死亡し、バイブスによる繋がりが絶たれたのだと理解するまで、ヴァナルガンドは一人、肉を貪り続ける。そして彼女が暴走したのだとようやく判断した時、姫達は動き始める。
「──ッ!!」
一人が矢をつがえ、引き絞った瞬間、その殺気に気づいてぐるんと振り向く。赤く染まる、つり上がった口元を見て、湧き上がった恐怖で矢を持つ指が揺れる。躊躇った一瞬は文字通り致命傷となった。大柄な体にも関わらず凄まじい速度で接近され、放った矢はヴァナルガンドの残像を射抜く。そしてまばたき一つしない間に弓を構えていた左腕に喰らいつかれる。痛みを食い縛りながら殴り付けても全く見向きもせず、顎の力を強めていく。筋肉が引き裂かれていき、骨にヒビが入る。このまま力を加えられれば間違いなく腕が砕ける。そうはさせまいと後ろから来た仲間が斧を振り下ろすが、ガントレットをつけた右腕に容易く掴まれ、あろうことかミシミシと音を立て始める。斧を押すも引くも全く動かず、踏ん張りきれない足が地面を擦るだけ。しかし不本意ながらも動きは止めることが出来た。千載一遇のチャンスに懐に飛び込んだ二人が槍と剣を突き出す。しかし渾身の突きはヴァナルガンドに当たること無く空を斬る。命中直前に噛みついた腕を食い千切り、手にした斧の刃を握り潰し、自由になった身体は地面を蹴り飛ばして距離を取った。その着地を狙って射撃するが魔弾は腕を払うだけで弾かれてしまった。緊張が姫達を包む中、ヴァナルガンドはすぐには詰め寄って来ず、まるで手品師が剣を呑み込む様に千切った腕を口に収めていく。こちらから仕掛けなければ食べ終わるまでは動かないだろう。捕らえられていた二人の状態は芳しく無い。砕けた斧は刃が半分程しか残っておらず、弓兵の生命線とも言える腕も片腕のみ。戦闘不能とも言える状態だが、残った右手に矢を握っている。直接刺しに行く覚悟なのだろう。距離を離したまま集合し、ヴァナルガンドへの警戒と対応策を練ろうとするが、彼女を倒すには大きな問題が3つある。1つ目はマスターが居ないことと負傷、武器破損よる弱体化。次にこの隊で杖を使えるのはヴァナルガンドだけなので、回復は手持ちの薬だけしかない。そして一番の大問題は、ヴァナルガンドがこの隊のエースだったこと。その彼女が一切の躊躇いなくこちらを喰らいに来る。正直なところ対策なんて立てようがない。そうしている内にゴクリと飲み干して、余韻に浸りつつお腹を撫でながらこちらを見る。次は誰を食べようかと品定めしているようだ。そして狙いを定めたのか、ヴァナルガンドはこちらに右手を伸ばして握る。それと同時にすぐ側から悲鳴が上がる。そこには矢を構えて警戒していた仲間の代わりに魔力で作られた巨大な手があった。既に死に体だった姿は格好の獲物だった。仲間を助けるべく攻撃を加えるも鋼鉄のような硬度に弾かれ、姫を握り締めた拳はそのまま殴りかかってくる。辛うじて防御するが、巨腕は見た目通りの破壊力。直撃すれば次は無い。どうするかと様子見る暇なんてない。攻めなければ握力を強めたり、地面を叩く等して獲物を弱らせていく。破壊による救出は諦め、ヴァナルガンドに同時に攻勢に出る。それを受けて、巨腕を近くに呼び戻し、これを振り回して反撃する。しかし巨腕に眼を引かれてはいけない。リミッターがなくなったヴァナルガンドの体術は武器無しでも脅威だ。瞬き一つした瞬間に懐に入る剛脚、大地を割る怪力、頑強な肉体、野生の獣の様な身の熟し。余裕のある行動は生物としての壁を見せつけられているようだ。ヴァナルガンドにとって恐らくこれは勝負ではなく遊び。全員を胃袋につめこむ前の運動。その証拠にこちらがダメージで悲鳴をあげる度にヴァナルガンドの顔は恍惚に染まり、感情が高まると共に力を増大させていく。殴りつけ、吹き飛ばして、地面に叩きつけ、魔力の奔流で押し流して、食べ頃になるまで痛めつけて、絶望という調味料で味付けをする。そうして始めに調理し終えたのはずっと握られていた弓兵。巨腕から開放された彼女は人形の様に力無く地面に落ちる。そのまま馬乗りになって血濡れの体をペロペロと舐める。食材の出来を見て、下処理を終えた肉に牙を立てる。それと同時に鈍い痛みが脳に届く。視線を落すと手にした矢がヴァナルガンドの胴体に突き刺さっている。力尽きた獲物を装い、機会を伺っていたのだ。虫の息の彼女だが、最後の一手を打つ力は残していた。動きを止め、ドクドクと血を流して蹲るヴァナルガンドだが、その身に巨大な魔力が集まって行く。姫達はこれを妨害するため、一斉に突撃する。もし力を蓄えた反撃が繰り出されれば、こちらに耐える術はないし、回復されれば、仲間の決死の攻撃が水の泡になる。痛む身体に鞭を打ち必死に距離を詰めたが早かったのはヴァナルガンド。身体から閃光を放ち、衝撃波で全員吹き飛ばされてしまう。幸いそれ自体のダメージは軽微なためまだ戦うことが出来る。しかし光の残像が収まった時、瞳が映したのは何倍、何十倍にも巨大化した人影。伝承におけるヴァナルガンド、もといフェンリルは巨大な狼で口を開けば上顎は空まで届くほどと言われる。今の彼女の巨体はまさにそれを体現しつつあり、先程の魔力の巨腕よりも大きな掌だ。これはもはや暴走とかいう次元ではない。膨らみすぎた力がキル姫という形を喰い破って怪物へと変貌してしまった。先程の傷口も完全に消えており、はじめから無かった事にされた。怪物の一瞥を受けるだけで、小さな姫達は竦み上がる。月をも喰らってやると咆哮すればたちまち身体が震えだす。そこからはもはや戦闘と呼べる物では無かった。先程までは馬乗りにしていた姫を片手で掴んで口に放り込み、バリバリと噛み砕く。喉を張り裂く悲鳴は怪物の口の中でくぐもり、じきに喉奥に消えていく。少し離れた所に食べ残していたマスターも綺麗に平らげる。今この時から全ての生命はヴァナルガンドの食料に成り下がった。二人の仲間が喰われ、狂乱状態のまま剣を抱えて斬りかかるが虫の様に叩き落とされて、数百mも遠くの森まで飛ばされる。続けて突撃した槍兵は片手で受け止め、握り潰してから口にする。前脚をついて豊満な胸で大地を抉りながら前進すると、身構える獲物を地面ごと喰らう。向ってくる怪物にありったけの弾幕で対抗するがまるで勢いは緩まない。視界いっぱいに迫りくる冥府の門に誘われて、暗闇に落ちていった。時間にすれば10秒にも満たない。各々手にした武器で抵抗していたが、とてもこの大質量は止まらない。今のヴァナルガンドにとって数人の姫はお菓子程も腹を膨らませないが、彼女は満足気に腹を撫でている。そして彼女の優れた嗅覚は大量の食料がある場所を捉えていた。なおも巨大化を続けながら、彼女は戦場を去っていった。
温かな陽の光に照らされて目を開く。太陽が空高く登っているのを見て、寝ぼけた脳で思い出すのは、巨大な怪物に完敗した事実。身体はあちこち悲鳴を上げているが何とか動くことは出来る。しかし、手にした剣は折れており、刀身はナイフ程しか残っていない。だがそれでも…もはや敵わないのは明白だがヴァナルガンドを追わなければならない。行き先はたまたま近くを通っていた彼女の巨大な足跡が教えてくれている。記憶が確かならこの先にはそれなりに大きな街があったはずだ。さんざん頼りにしていた彼女の鼻の良さは健在らしい。道中にも小さな村がいくつかあったが、尽く押し潰されていた。そしてその足跡は徐々に大きくなっており、このまま巨大化が続けば、例の都市も見下ろす程になるだろう。一歩の差が大き過ぎるのでもう追い付けないかと思ったが、村外れに車が置かれていたので拝借していくことにする。鍵は直ぐ側に落ちていた。恐らく逃げようとした所を襲われたのだろう。
辿り着いた街はまるで天災にあったかのような惨状だ。巨躯に潰された建物。巨大な爪や魔弾によって抉られた戦闘の痕跡。食欲のまま地面ごと人間を貪り、涎塗れになった土地。一番印象に残ったのは深さ数十メートルの巨大なクレーター。まるで掘り起こしたかのような穴に僅かに残る残骸を見るにここは地下シェルターだったのかもしれない。怪物から逃げるための最後の砦も彼女の鼻は逃さなかった。たまたま踏み抜いた可能性もあるが、過程はどうあれ皿いっぱいの獲物を全て平らげたのは間違いない。そしてこの大災害を引き起こした張本人は、月明かりに照らされる街の中心で丸くなって眠っていた。数多の命を飲み込んだ巨体は更に巨大化し、3,4倍程になっている。しかしその寝顔はいつも見ていた穏やかなヴァナルガンドそのもの。側に近づいて手にしたボロボロの剣を胸に突き刺すが、弾力によって刃は食い込まない。仮に切り裂いたとしても今の彼女にとっては紙で指を切った程度にもならず、膨大な生命力によってあっという間に治癒するだろう。こんな柔らかで巨大な胸の奥からは、莫大なエネルギーを生み出す心臓の鼓動が響いている。彼女に添い寝された時もこんな鼓動に包まれていた気がする。そうしてずっと眺めてどれだけ経ったかヴァナルガンドが大地を揺らすように身動ぎした。押し潰されては敵わないと距離を取る。そう、せめて最期を迎えるなら──。
目覚めたヴァナルガンドは起き上がって大きく息を吸い込み、遠吠えを放つ。怪獣の大咆哮は空気、いや空間を揺るがし、僅かに形を残していた建物も崩れ落ちた。小さな姫も耳を塞いでいたが、全身が鼓膜になったように揺さぶられるのでまるで意味がない。気持ちよく吠えた彼女が視線を落とすと、幸か不幸か視線が交わる。四つん這いで姿勢を下げてこちらをしっかり見つめ、建物の様に太く大きな指先で器用に摘み上げられる。運ばれたのは口ではなく鼻先。深く息を吸えば周囲の大気が暴風のように流れて行く。胸いっぱいに吸い込んだ空気はサウナのように熱く湿度を帯びて吐き出され、雲のように白く漂う。視界いっぱいに広がるヴァナルガンドは微笑んでいた。美味しそうな匂いだったのか、はたまたかつての仲間の愛しい香りだったのか。怪物になっても月明かりが似合う彼女の笑顔はきっと懐かしさなのだと信じたい。だがこの次の行き先は間違いなく彼女の体内。気に入ったからペットにしようなんて考えはないだろう。案の定、大きく開かれた口に落とされ、大蛇の様に厚く太い舌に絡め取られる。彼女にとっては米粒一つを転がすようなものだろうか。だが…不謹慎なのは承知だが、この状況を嬉しく思っている自分がいる。有象無象ではなく、ただ一つの命として指先で優しく摘み上げてくれた。匂いを嗅いで喜んでくれた。そして口に含んで私だけで遊んでくれ、私だけのためにゴクリと喉を鳴らして呑み込んだ。ヴァナルガンドはちゃんとこちらを認識して食べてくれたのだ。迎え入れられた胃袋は角が取れた瓦礫が僅かに残るだけ。腹いっぱい食べた物は更に奥に送られ、血肉として吸収されたのだろう。不思議なことに胃液に浸けられても痛みはなかった。寧ろ温かなお風呂に入っているように心地良い。薄れていく意識が最後に認識したのはヴァナルガンドの力強い鼓動と、どこまでも響く咆哮。それで良い。ご機嫌ならそれで良い。怪物になってしまったヴァナルガンドがお腹いっぱい食べて、好きなだけ暴れまわって、心地よく楽しんでくれればそれでいい。
積み重ねた鍛錬と淘汰によりヴァナルガンドという存在が私の中で強くなるに連れて、それは牙を見せ始めた。穏やかさに隠されていた凶暴性。いや、これこそ本性だろう。歴戦の武器や神の名を与えられた姫とは違う。強く、大きく、凶暴で破壊と蹂躙に飢えた狼。それが私の名前───
【ヴァナルガンド!】
あぁ、どうして来てしまったのか。怪物に支配されつつあるこの体。自決しようにも、怪物が許してくれない。だから必死に人里から離れ、生命から離れて衰弱して息絶えようとしていたのに。
『美味しそうな肉だ。』
飢えた怪物はこの器から飛び出してしまいそうな程に活気を取り戻した。このままでは間違いなくマスターは、仲間達は殺される。狂気のまま無残な最期を迎える。
「なら、いっその事───。」
怪物より先に出た彼女は主に牙を立てた。その後も次々に仲間を食べる。最後の一人はうっかり吹き飛ばしてしまったけれど、無事に見つけられた。大切な家族は怪物ではなく、ヴァナルガンドが喰らったのだ。お腹を撫でれば感じる。仲間達の名残が。それももうすぐ終わる。肉体が溶け、魂が溶け、そして…。
「皆さんは私が食べました。あなたには食べさせて上げません。」
残されたヴァナルガンドの意識も怪物に咥えられている。先程までは食べていた命と同じ末路をこれから辿る。しかし最後の最後で一矢報いることが出来た。この先どれ程の命を貪ったとしても、仲間達という極上の一品には出会えない。僅かに残された善性は笑みを浮かべたまま、肉の洞窟を下っていった。
ゴクン…。
こうして、この巨大な怪物を形成しているものは絶対的な破壊欲と貪欲な食欲だけとなった。世界の生命、文明は彼女の巨躯を止めることは叶わず。悪魔も、天使も、神や世界樹でさえ喰らいつくすだろう。
この世界を食べ尽くしたらどうする?心配はない。世界という弁当箱は無数、無限に存在する。空っぽになったらちゃんと壊して片付けて、次の料理を食べれば良い。新鮮な肉はいくらでも転がっているのだ。ほら、そこに善性が必死に食べた仲間達が楽しそうに過ごしている。
いただきます。
Q.なんで巨大化したの?
A.え、あかんの?
癖には正直になるべきですね。こうして暴れまわるヴァナルガンドは、私の心をときめかせてくれます。