時はまだ昭和、在来線の特急に乗って数時間、たどり着いた田舎は、路面電車が走っていた。
年に一度、お盆にだけ会う祖父母に迎えられ、お袋の実家に住まった。
お袋の実家も裕福ではなく、出戻りの娘と孫を抱え、重苦しい空気だったのは子供の俺にも感じていた。
田舎の小学校に転向したが、都会と違って木造の校舎で、俺は転校生として肩身の狭い小学校生活をしていた。
しかし、中学生になる前に母親が病気で亡くなり、貧困というハンデだけ背負うようになった。
中学生になった俺は、祖父に連れられ、あるお屋敷に行った。
そこがそこの地方の名士の家だとは後に知ったのだが、俺は中学生の男の子を好む名士夫婦に売られたのだ。
お袋が離婚して、お袋に連れられてお袋の実家がある田舎へ帰ったのが小5の時だった。
時はまだ昭和、在来線の特急に乗って数時間、たどり着いた田舎は、路面電車が走っていた。
年に一度、お盆にだけ会う祖父母に迎えられ、お袋の実家に住まった。
お袋の実家も裕福ではなく、出戻りの娘と孫を抱え、重苦しい空気だったのは子供の俺にも感じていた。
田舎の小学校に転向したが、都会と違って木造の校舎で、俺は転校生として肩身の狭い小学校生活をしていた。
しかし、中学生になる前に母親が病気で亡くなり、貧困というハンデだけ背負うようになった。
中学生になった俺は、祖父に連れられ、あるお屋敷に行った。
そこがそこの地方の名士の家だとは後に知ったのだが、俺は、中学生の男の子を好む名士夫婦に売られたのだ。
裸にされ、羽交い絞めにされて仮性包茎のチンポの皮を剥かれ、恥垢を拭かれ、扱かれた。
中1の俺はまだ精通してなくて、扱かれる快感の意味も知らず、されるがままだった。
そして、名士の奥さんに騎乗位で童貞を奪われた。
未精通の射精しないチンポは、それでも空砲のようなビクンビクンする刺激を味わい、それでも続けられる腰振りに悶絶させられた。
そして奥さんが満足した後は、名士にアナルを淫具で解されたあと名士の生チンポでアナルヴァージンを失った。
大便が出たり入ったりしてるような不思議な感覚に、それが快感なのかどうかも判断できないまま、その異常な行為に身を任せるしかなかった。
名士の精液が腸内に放たれ、大便混じりの精液をアナルから垂れ流していた。
ボーっと宙を見つめた俺の目には、位階も昭和な日本家屋の和室の天井の木目が映っていた。
あの部屋では何人の男子中学生が童貞を奪われ、アナルヴァージンを失ったのだろう……
奥さんに生理が来ると、俺はチンポ苛めされた。
上だけ学ラン着て制帽を被り、下半身を虐げられた。
細い麻ひもでキンタマとチンポを縛られ、血管が浮き出たチンポを弄られ続けた。
尿道に塗り箸を挿されて、ゆっくり抜き差しされて涙目になった。
そんな仕打ちを受けて半年の頃、俺のチンポはついに精液を拭き上げた。
精通……その時の快感は、内股がくすぐられているようなザワザワ感を伴い、痛いほどの快感とともにドクドクと精液が溢れた。
俺は正常位で奥さんを満足させながら、後ろから名士にアナルを犯され、名士を主を満足させる生活を続けた。
一人で二人の性欲処理をこなした。
中学2年の夏休み。俺の腰使いも板についてきた頃にその日は、屋敷ではなく郊外のラブホ……当時はモーテルと言っていた所に連れていかれた。
するとそこにはどこかで見たことのある公立中学のセーラー服を着て三つ編みのカツラを被った男の子がいた。顔は幼く可愛いけれど、薄幸な雰囲気を出していた。
そしてその中学生には撮影隊がいた。
その少年はヤクザが借金をさせた相手の息子で、ラブホでホモ中学生カップルがセックスする裏ビデオの撮影が行われると言う。
そのモデルが俺とその少年だった。
一通り流れを説明された後にシャワーを浴びて、もう一度学ランとセーラー服を着た。
部屋の入口で抱き合いキスした。
ベッドに倒れ込み、少年の身体をセーラー服の上から愛撫した。
スカートを剥ぎ取りパンツを脱がせると、カメラが寄って少年のチンコが撮影された。
少年のチンコはいつもしている大人とは違い、小さくて肌色で小さく可愛かった。
その後俺がフェラをする様子が撮影された。俺の拙いフェラであどけない顔とは裏腹に、喘ぎ声をあげて身悶えした。
アナルに指を入れると痛がらずすんなりと入っていく。少年のアナルはヤクザのチンポですでに開発済みだったのだ。
俺はズボンとパンツを脱ぎ、少年のケツマンコに挿入した。
中学のセーラー服男子中学生と学ラン男子中学生が、中学生とは思えぬ腰使いで交わった。
キスを交わしながら、幼いカップルが腰を揺さぶり、そして体位は対面座位になり、腰をこすり合わせる結合部にカメラが寄り、三つ編みを揺らして感じるあどけない少年を撮影した。
目の前で恍惚の表情を見せた少年が、普段は然とした様子で教室にいるんだろうなと思ったら、自分も同じじゃないかと気づいた。
対面座位から騎乗位になると、少年は三つ編みを振り乱してえげつなくヨガり狂った。
俺は少年のセーラー服をまくり上げ、可愛いチンコを揉みしだいた。
中学のセーラー服とどけない三つ編みのカツラを被った少年の見せる淫らな姿は、圧巻だった。
少年の激しい腰使いに、俺はそのまま少年のケツマンコに射精した。
「ああ~~出てる……中に出てる……赤ちゃん出来ちゃうよ……」
少年がバッタリ俺の上に倒れ込み、キスを交わす。
少年が再び状態を起こすと、結合部にカメラが寄り、ゆっくりと腰を浮かす少年のアナルからチンポが抜け、中出し精液がダラダラ流れ落ちる様子をアップで撮影し、そこから引いていって少年の全身を映した。
それからあとは、俺がそのヤクザに抱かられてアナルを犯されるのを撮影された。
イボのついたチンコで激しく犯されるのを、セーラー服を着た少年に見られながら、二回もいかされて撮影が終わった。
俺たちは身支度を整え、モーテルを後にした。
あの少年が何者なのかは、最後まで知らされなかった。
俺は中学を卒業すると共に、名士の家を出た。
理由は身体がデカくなり相手にされなくなった。そして新たな中学生が俺が住んでいた部屋に変わりに入ってきた。
お袋の実家に戻った俺は、街なかの公立高校に進学した。
そしてその高校で、あの三つ編みの少年との再会を果たした。
何となく目で挨拶して、放課後、何となく一緒に駅まで歩いた。
少年は陽一と言い、中学を卒業した後は成長したせいか、借金代わりのヤクザの愛人と言う役目を終えていた。
高校生とはいえ、以前生中出しで交わった男と男、まるっきりの他人ではない何かがあった。
陽一も母子家庭で、貧しい暮らしをしていた。
俺たちは、水商売の陽一の母が夕方から出かけた後、陽一の家でセックスに興じた。
下だけ脱いで上は学ランのまま、そそくさと交わった。
高校3年間、俺たちの関係が続いた。
お互い、好きだった。
好きだったけれど、男同士だしお互いの汚れた過去を知っているから、それを口にすることはなかった。
そして俺たちは高校を卒業し陽一は街の工場へ、俺は上京して建設会社に入社した。
初めは寮生活でまだ未成年だったが酒を飲まされ、寮で働く先輩たちに性奴隷にされた。
お袋より年上の50代の小太りおっちゃんチンコをしゃぶられた。
「若いチンポは硬いね。ああ、あああ、硬いチンポ最高だよ……」
毎晩のように、荒くれた色んなおっちゃん達に精液を搾り取られた。でもアナルは犯されなかった。
4年間の寮生活を終えた俺は、高速道路建設の現場に移った。
現場は山間で、俺の担当区間はトンネルから抜けたところから、市街地へ抜ける橋梁までの盛土区間だった。
ここでは、市街地の外れにある古い旅館を借り切って、一時的に会社の寮となっていた。
そこでは、30代から40代の仲居さん達が時間交替で十数名働いていた。
仲居さんたちはみんな訳アリのようで、自分からマンコ広げて誘ってきた。
まあ、そういう行為含めた仕事の契約だったのだろう。
好みかどうかは別として、おばちゃん達はよかったから、性欲の処理にはなった。
もちろん、社員の契約マンコだから、生は厳禁だった。
俺はその現場に5年いて、その後にはその現場を管轄する支社へ移り、そこで知り合った6歳年下の娘と結婚したのが29歳の時だった。
折しも昭和が終わった頃で、世の中はバブルに沸いていたが、昭和天皇崩御につき結婚披露宴は自粛した。
息子を2人を設けてその子たちも独立し、俺が定年を迎えてすぐの事だ。
平成が終わり令和になった同じ頃、30年連れ添った妻は突然亡くなった。
老人がブレーキとアクセルを踏み違え、妻は車に轢かれて殺された。
俺は定年後に妻と過ごす計画が潰れて、亡くなったお袋の墓がある田舎へ引っ込んだ。
現在俺は65歳。実は同い年の男と暮らしてる。
田舎へ引っ込んだら、あの陽一と再会した。
陽一も結婚していた妻をガンで亡くしていた。
だから、男同士のルームシェア……どちらかと言えば仮初めの夫婦のような生活を始めた。
俺も陽一もまだ現役だったから、還暦過ぎた身体を交えた。
俺たちは、お互いに亡くなったら元の連れ合いとともに眠るつもりだ。
どちらかを見送った時、それが仮初めの夫婦の終焉になる。
だからそれまでは幼い頃からの性欲を燃やし、最後の残り火を焚いて、陽一と過ごそうと思う。