大切な人だからこそ、見せたくない自分がいる。
自分の嫌いなところ、自分の他人には見せたくない側面がある。
けれど、我慢するだけした後で爆発することは怖い。
だから、偶にはガス抜きが必要だった。見せられないもの、抑圧されているものを解放できる場所が必要だった。彼もまたそういう居場所を求めていた。逃げ込める場所を求めていた。
と同時に、そういうものに自分もなれれば、どんなに価値があるだろうと考えることが少なくなかった。
継ぎ目もなく毎日が続く。過酷な日々の中で、彼は自身の才能を発見した。人を殺めることにおいてのみ、彼は世紀の大天才であった。世が世なら、或いは場所が場所ならば、歴史に名前を遺すことだってできただろう。
だが、彼の直面していた現実は過酷であり、生き残りを懸けて目の前の現実に対処するためには、何よりもまず先立つものが必要だった。
それは時に金であり、時に暴力だった。
彼の場合、全てにおいて暴力を価値と交換した。それを繰り返して大人になり、気がつけば裏社会での伝説となっていた。
何でも屋と名乗ることができれば上等だったが、彼の生業はまごうことなき殺戮者である。
だが、皮肉なことに彼は殺しを愉しむ類の人間ではなかった。むしろ、生き残るための手段として割り切っていた。
それでも、需要以外の存在意義を求めた結果、彼は復讐の代行者となり、次第に裏社会の死刑執行人として認識されるようになっていった。
表の社会に法律が存在するように、裏の社会にも秩序が存在した。それは時として不文律であり、時として組織の口伝となり、彼の場合は存在そのものが秩序を象徴することになった。
彼は裏社会において不動の地位を獲得し、畏敬と崇拝を一身に浴びる身となっていった。
だが、それだけでは満たされないものがあることも確かだった。
どんなに生活自体が豊かになっても、彼自身はどこか虚しさを覚えずにはいられなかった。
彼は生来弱い人間で、そのことを誰よりも深く理解していた。自分は弱いのだ、と。
だが、弱いものに居場所はなかった。故に、強くあらねばならなかった。そして、そのことは却って彼に渇望させた。
弱い自分を曝け出せる居場所が欲しい。逃げ込める場所が欲しい。彼は弱い自分を曝け出すことができ、尚且つそれを受け入れてくれる相手を欲していた。
彼は渇望を胸の奥深くにしまい込み、日々の依頼を捌いていた。ある時、ほんの小さな出来事がきっかけで、彼の孤独は徐々に癒やされていく。
ある時、彼の渇きを癒す出来事が起きた。
それは自分と同じくらい、深く社会の闇に食い込んで生きる女性と出逢い、その女性との間に生まれた深い情の中で育まれた。
彼は決して貞操観念が緩いわけではなかった。しかし、情が深く、押しに弱いところがあった。
刹那的な欲望の解消というよりも、自身に対する強烈な執着心を剥き出しにした女性を相手にした彼は脆かった。弱り切っていたところに、劇薬が沁み込んでしまった。
これが単なるハニートラップであれば、彼は相手にしなかっただろう。
しかし、相手が悪かった。彼を目覚めさせた女は、恥も外聞もなく彼に対して激情を顕にして、互いを曝け出し合う関係を迫った。
彼はうまうまと彼女の手の中で転がされたが、引き換えに、それまで封じ込まれていた退廃的かつ耽美な魅力を開花させた。
以後、彼は業界に名の知れた危ない女達から挙って求愛されるようになった。この時の女性の存在が起爆剤となり、彼はより強力な影響力を有するようになっていく。
言うまでもなく、幾度にも及ぶ逢瀬が繰り返されるたびに、彼の天性の才覚は磨き抜かれていった。天然もののタラシであった彼を前にすれば、如何に高潔な壁であれ脆くも崩れ去った。
男女の関係性の中で、彼は人一倍独占欲も強かったが、変なところで謙虚であった。
自分が複数の女性と関係を持っていることに関して隠すことはしなかったし、相手の女性が自分以外の男と関係を持つことに関しても受け入れていた。
だが、女の立場から見れば、他の男との関係性を受け入れていても、彼がそのことに納得などしていないことは一目瞭然だった。
女達はその姿にギャップを感じるようで、却って彼女達の母性本能を刺激し、その執着心に拍車を掛けた。
彼は無自覚にも周囲を誑かした。
そのタラシの範囲は異性だけにとどまらず、男女問わず多くの人間を惹きつけた。ヤクザ者から始まり、娼婦やドラッグのディーラー、マフィアの幹部なんかも。出自も立場も問わず、彼を慕うものは数知れなかった。関係者の闇が深まれば深まるほど、危険性が高まれば高まるほど、彼により強く惹きつけられていた。そこには歴とした法則性があるようにさえ見えた。
彼は気前が良く、決して仕事を失敗せず、裏社会特有の埃っぽさとは無縁の自然体で柔らかい物腰を備えていた。一言で言えば付き合いやすい人物だった。多弁でもなく、よく人の話を聴き、決して詮索しなかった。
男を誑かし、女を誑かし、とにかくここで会ったが何かの縁だとでも言うように、彼は過剰な配慮をあちこちでばら撒いた。
その過程で同性からの嫉妬を躱しつつ、数多くの異性に手をつけ、その上で優秀なメスを独占することにかけて神懸かりの才覚を発揮したのである。
タチの悪いことに、彼自身にハーレムの自覚はなかった。実際、一度に会うのは一人だけと決めており、彼自身はその通りに行動していた。子供を作る気もなかったが、例え子供ができたとしても彼が拒むことはないという安心感があった。
彼に染みついた非日常と日常の渾然一体となった匂いは、非日常が日常である者たちにとって劇薬だった。
穏やかで朗らかな日常の気配で郷愁を煽り、アウトローとしての卓越した実力が、彼に憧れを抱かせ、決して仕事に失敗しないという信頼感が彼への親善を加速させた。
特に、彼はマチズモ的な…つまりはあからさまにマッチョな男ではなかった。背中で語る男でもなかった。しかし、静かに寄り添い、行動で示す人間だった。彼は誰彼に頼まれなくとも、知り合った相手の危難に駆けつけることを喜びとした。当たり前に守られることを知らない女たちにとって、彼は晴天の霹靂であった。また、彼の抱擁を受け、庇護を受け、子供の頃に安心感を植え付けられた者たちにとって、彼の存在は冷酷な現実に対する強固なよすがとして機能した。
しかし、理想が現実において歪みを生じて具体化されるように、彼の意識の外では熾烈な女同士、組織同士による暗闘が繰り広げられていた。それは多くの場合死にこそ至らないものの、他の女と彼が、または他の組織と彼が会う機会を限りなく削ぐことを目的とし、また同時に彼を独占するためなら過激な手段も用いられるなど、闘争は正に闇鍋の状態を呈した。
これに対して、彼もまた天然の危機管理能力を発揮した。彼に対する依頼を独占しようとするものが出れば、タイミングよく依頼の申し込み方法を変更し、金額で釣ろうとする者が出れば安価な依頼を優先した。
のらりくらりと困難を回避しつつも、彼の存在が影の社会の絶妙な均衡感覚に一役買っていたことは間違いなかった。
このまま安定感を維持できれば…そう考えていた時だった。
その時、ダークホースが現れる。
そう。レヴィの登場である。
ほぼカタギのレヴィによる強烈な右フックが彼の顎を揺らし、彼は喜んで彼女の左アッパーを喰らった。
K.O.である。
これにて正妻戦争は試合終了…かと思いきや、ここで一つ問題が生まれた。
レヴィの存在は限りなく大きなものになっていたが、同時に彼の情をより深化させていたのだ。
もっともっと押しに弱くなり、もっともっと情が深くなったせいで、彼はレヴィを拒むことなどもってのほかだが、一方で、他の女のことも尚もって拒むことなどできなくなってしまったのだ。
むしろ、彼の中での、誰かの居場所なりたいという想いが、居場所が欲しいという想いに取って代わる形で首位に躍り出た。
全てはレヴィのお陰だった。レヴィが彼の揺るぎない楔となったことで、彼は新たな視点を獲得してしまったのだ。レヴィは図らずも不覚を取った。
とはいえ、レヴィだけが損をしたとは言えなかった。むしろ、今のレヴィがあるのは先人達のお陰だと言い換えてもよかった。
詳らかにすれば、荒んで頑なだった彼を、何度となく撫で、あやし、抱擁し、互いに情を交わすことで柔らかく解してくれた女性の存在があったからこそ、彼の中には余裕が生まれた。
そして、この余裕こそが、彼の気紛れを生んだ。生まれた気紛れに従って彼が行動した結果が、今を織りなす彼とレヴィ、二人の日常へと昇華されたのだ。
彼とレヴィが二人で築き上げた今の日常の基盤には、そこまでの道のりを均し固めてきてくれた誰かの存在があった。その存在は無視することなど出来ず、かと言って黙って全てを受け入れることができるものでもなかった。
レヴィと彼との関係性は、互いの一線を越えて、身体の交合を経ることでより一層の深みを増した。
しかれども、関係性の進展はレヴィを神聖な高所から引き摺り下ろし、或いはより高みへと押し上げることで、新しい景色を彼女に見せるに至った。
それまで見えてこなかった景色が見えた反面、レヴィの前には現在まで続く、彼が自分以外の女と築き上げてきた関係性をも曝け出したのだ。
レヴィは負ける気などなかったが、同時にこうも思う。
やべ、タイミングをミスったかもしれねえ…と。
さてはて、愛する彼との幸福な生活は今後とも続いていくであろうが、それは決して平坦なものなどではなく、むしろ山あり谷ありの、起伏の激しいモノになることがありありと想像された。
だからこそ、レヴィは敢えて凶暴な笑みを見せた。
かかってこい。全員まとめて、レヴィ様が蹴散らしちゃるぜ…という覚悟を込めて。