外は雨。シトシトと降りしきる中、一人の男が立っていた。その男は肩を雨で濡らしながらただ茫然と空を見上げている。その男の心の中にあるのは「悲しさ」か「虚しさ」か。そのいずれかでもなかった。彼の中にあったのはただの「怒り」と言うべきであろう。これまでの人生を否定されたかのようなこの世界に対する漠然とした「怒り」...
その男がなぜそこまでの「怒り」を抱くまでになったのか。その原因は単純さと複雑さを兼ね合わせていた。
20××年6月。東京は梅雨入りが宣言され、皆の心にはどんよりと雲がかかっていた。そんな中、ひとり肩を躍らせている者があった。その男、「しゅんちゃん」は顔には満面の笑みを浮かべ、行きつけのバーに向かっていた。
南麻布「ダッテ・フルーノ」...「しゅんちゃん」が3年前から通っているイタリアン・バーだ。決して人気店ではない。むしろ「隠れ家」という表現が正しいだろう。ただ「しゅんちゃん」はそこのマスターの心意気にほれ込んで、健気に3年間も通い続けていた。しかし、「しゅんちゃん」がほれ込んでいたのはマスターの心意気だけではなかった。それはマスターの「外見」「内面」...一般的には「恋に落ちている」という状態に「しゅんちゃん」は陥っていた。そして、今日は「しゅんちゃん」が「ダッテ・フルーノ」に通いはじめてちょうど3年...「しゅんちゃん」にとては一つの大事な「記念日」であった。さらに、「しゅんちゃん」の手には沢山の薔薇の花束が握られている。その花びらは、凛々しく、強く輝いていた。
「しゅんちゃん」が決意固をめていた頃、マスターは「しゅんちゃん」がキープしたウイスキーのボトルの埃を落としていた。なぜ今日「しゅんちゃん」が来るとマスターは分かっているのか。それはマスター自身も今日の日を一つの「記念日」と捉えているからに違いなかった。ただ、その捉え方は「しゅんちゃん」のそれとは幾ばくかの齟齬があった。マスターはウイスキーの埃を落とした後、残していた書類を書き上げた。ちょうどその時、ドアベルが鳴った。チリンという音とともに現れたのは108本の薔薇をもった「しゅんちゃん」だった。「しゅんちゃん」は少しの緊張がありながらも、決意を固めた顔をしながら、マスターに薔薇を渡そうとした。しかし、マスターにも渡すべきものがあった。そこには残酷とも、滑稽とも思える事実があった。「出禁勧告書」...突き出された紙に書かれていたその5文字は、「しゅんちゃん」の心をえぐるには十分すぎるものだった。
6月の東京では、雨が降り出していた。