有償依頼106件目です。ご感想くださるとうれしいです。
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ボツにしたエピグラフ
隣人を誘導して、ある好ましい意見を語らせる。そのあとでその意見をしっかりと信じ込む。女性ほど、こうした技に卓越した者がいるだろうか?――
(フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』第4章一四八、中山元訳)
「お兄ちゃんはそんな事しない」
そのとき、星野ルビーは言い切った。
「高校生の子相手にそんなに軽はずみに子供ができる様な真似しない」
劇団ララライが使用する稽古場の近くで、級友・寿みなみに向かって言い切った。
それから幾日も経たない昼。
「つまり、軽はずみでなく子供ができない真似をやってるワケやね」
「そうね」
「そうね、じゃないよ」
陽東高校などの“芸能科”が求められる理由はいくつかある。
所属タレントを通わせる芸能事務所からすれば、一般的な学校と比べてマネジメント上のリスクが低いこと。
タレント自身からすれば、芸能活動に理解のある環境で学校生活を送れること。
「えっちな事、ってのは否定しないんやな」
「みなみちゃんこそアタマえっちか!? 厳しい事務所に抑圧されてる反動で……」
「こらこら」
「すばらしい……ヤりたい盛りの性欲となけなしの理性が綱引きしてる緊張感がいい」
「そうやろ、燃えてしまうわぁ」
「あーもーっ! 2人ともヒトの兄に何を考えてっ」
「ルビーちゃん、ちょっと声が大きい」
例えば、校内は女子高生タレントたちにとって事務所やファンに気兼ねなく話ができる貴重な場所である。
「再確認しよか」
「……うん」
「稽古が終わるとあかねさんといっしょに帰ってるんでしょう」
「うん」
「綺麗な彼女と2人で帰っていつも遅くまで帰って来ないんやろ?」
「う……うん」
「でも、軽はずみに子供ができる様な真似しないのよね」
「そうだよ……あ、あかねちゃんもしないよ! きっと!」
「つまり――」
陽東高校芸能科のある談話スペースでは、一緒に入室した者以外の話に聞き耳を立てない、話が漏れ聞こえても外で他言しない、という開設以来の不文律がある。それを破る者は“口が軽い”という芸能界でかなり致命的な悪評が立つ。
そこでルビーがみなみに――「最近お兄ちゃんの様子がおかしい……ここ最近は毎日、帰りが日付の変わるころだし……」――とグチめいた不安をこぼそうとし、それを一人で相手するとなると気が重くてしょうがなかったみなみが、タイミングよく見かけた不知火フリルに手振りし――「ごめんな忙しいのに」「私の耳に入れてもいい話なら聞くわ」――3人は談話スペースの一角で額を並べて、ひそひそ話をしている。
「――軽はずみでなく子供ができないえっちな事をやってる」
「……本気で言ってる?」
「私が考えつく限りでは、いちばんありそう」
「ひゃあ……」
兄とその彼女が“えっち”なことをしている、と友人から言われて、ルビーは心穏やかでない。
(みなみちゃん……もしかして、私が初対面で胸をジロジロ見ちゃったり「Gカップでえちえちじゃん」とか言っちゃったの、いまも根に持って……まさかフリルちゃんにもいつのまにか根に持たれるようなことを私は……!?)
いっぽうで2人の話を止めあぐねている。
「年ごろの男の子の性欲を甘くみたらあかんよ、うちの弟なんてなぁ」
「その弟ってちゃんと戸籍上の弟だよね、エセじゃないよねその関西弁みたいに」
「うふふ」
「エア弟ってのも興味あるけど、それはそれとして」
2人の口にした“えっち”だが“軽はずみでなく子供ができない”行為という仮定を、もしかしたら、と感じている。
(お兄ちゃん、秘密主義はいつものことだけど……ゴムは着けた方が絶対にベターだが確実ではないぞ……とか……オカモトが無難だ、院でもよく……とか……たまに、妙に、詳しそうで)
リスク回避のためそのような知識を身につけているのでは、と妄想が広がる。
ルビーの兄・アクアが“そのような知識”を“妙に”どころか専門家レベルで身につけていることとその理由を、この時点のルビーは知らない。
「でっでもさ、毎晩だよ、ここ数日毎晩なんだよ……?」
「見かけによらずあっちは元気なんやなぁ……」
「後始末に時間がかかってるのかも」
「後始末って」
「体力やら気分やらを元に戻すんに時間かかるほど、激しく燃えてるってことやなぁ……」
「……まぁ、すべて推測だけれど」
ひそひそ話がふっつり途切れる。
一瞬だけ、フリルからみなみへ、みなみからフリルへアイコンタクトが飛び交う。
(私がここにいるから、これ以上は止めておこうってこと……? こんなの途中まで聞かされておいて、それじゃかえって……)
静かになって、ルビーのイライラが根源に戻ってくる。
(……そもそも、これおかしいのは2人じゃない、お兄ちゃんでしょ)
すべて怪しい振る舞いをしている兄が原因である。そう信じこむ。
「言いかけて、途中で止めるぐらいなら……別に、お兄ちゃんに言ったりしないし、もし聞いてもお兄ちゃんならあまり気にしないだろうし」
八つ当たりのように、ルビーは“推測”の続きを促した。
※
『初めてキスしたときのこと、思い出しちゃった』
『……どんな思い出だったのやら』
『あのとき……アクアくんと初めてキスしたときのことだよ』
そう返された星野アクアが、少し困惑しているように見える。
いま黒川あかねは、ピンクに白のマーブル模様が入ったロリポップのキャンディを指先で弄んでいる。彼女が言及した“あのとき”にそんな小道具を持っていなかった。
『あかねが小さいころの思い出話かと思った』
そのピンクと白が、彼女の軽い口づけを受けたばかりのそれが、彼の視界をじりじり奪っていく。
『子供っぽい、って笑われちゃうかな』
人と人とのコミュニケーションで、その当事者が(物理的に)手に持っている物が与える影響は、素人が考える以上に大きい。極端な例で言えば……目前で話している人間が白バラの花束を持っていたとして、それを不意にナイフに持ち替えられ……その時点で、コミュニケーションどころではなくなる。
もう少し穏やかな例ならば、カウンセリングなどの最中に聞き手がメモをあえて避けることが挙げられる。話し手と聞き手の信頼関係にも左右されるが、もし目の前の聞き手に自分の言葉が言質のように書き取られかねない状況では、話し手の口が重くなってしまう。
物がコミュニケーションへ与える影響は、もちろん役者の仕事にも大いに関わる。何も手に持たないときでも、照明、カメラ、マイクなどを向けられながら素知らぬ顔で他人とコミュニケーションをしてみせるのが基本であり、あらゆる場面でついてまわる。
『えいっ、間接キスっ』
子供っぽく見える小道具の力を借りて、子供っぽいわがままを切り出す。
『……あかねの味がわからないな、甘すぎて』
『だよね』
彼のくちびるにロリポップをくわえさせたまま、強引に体を寄せる。子供でなければ咎められてしまう距離までじりじり迫る。
『それ、落とさないでね』
『食べ物で遊ぶもんじゃないぞ』
『すごいねアクアくん、腹話術みたい』
彼女が細い指をしゅるしゅると絡ませる。彼の手の甲を、指の先から根本までを、くすぐったり撫でたりする。ロリポップに埋めこまれた細くて安っぽい棒の先端が揺らぐ。
『ちゃんとくわえててね』
『むっ……』
子供にはできない濡れた瞳と、子供のように赤らんだ頬を見せて、子供じみたわがままを重ねる。
くわえさせ直す。
くわえたままうかつに首を振ったら、と彼は思ったらしく、息を潜めて動きを抑えている。手足が妙な緊張を帯びている。
『そうしたら、アクアくんのしたいこと、しちゃおう』
彼の手首をくいくいと引っぱる。クレーンのように彼の腕とヒジがぎくしゃく動かされる。彼の手のひらに彼女の頬を触れさせる。ふんわり温かくしっとり湿った雰囲気を伝える……そう伝わってくれればいいな、と照れ笑いする。
また、細くて安っぽい棒の先端が揺らぐ。
『お話も、あとでいっぱいしたいけど、いまは』
彼女自身の着衣を緩める。布1枚だけ隔てた素肌に、彼の手を、腕をぎゅっと触れさせる。彼から触れてくれるときより肌にぐいぐい押し当ててしまう。熱い弾力と体温と薄っすらした汗とが、ぺったりくっついてせめぎあう。
『胸とか、首筋とか、手首とか、触られると……さすがに演技できないなぁ、って思うよね』
彼の手以外も体に触れさせる。腕にも、脚にも、お腹にも。
『呼吸と心拍は、無理』
彼女が上になってのしかかるような体勢になる。セミロングがさらさら垂れて彼の頬や肩をくすぐる。彼の好みに合わせて伸ばした、と思い出す。毛先が触れているのに頭までそわそわする。
『慣れてきたと思ってたけど……こういうとき、まだ気になっちゃうかな』
釘を刺すように、ロリポップの先端をつつく。細い棒プラスチックがたわめられ、彼女の指先が離れるとまっすぐに戻る。
半開きにさせられ乾いてきてしまった彼のくちびるをなぞる。さっきよりロリポップのピンクと白が濡れている。こっそり匂いを味わう。人工香料丸出しの甘ったるさを意識から追い出して、彼の匂いが高ぶっていないか吟味する。
『……こっちも演技はできないかな?』
彼の首筋、胸板から下腹部に、順番に触れてる。ボトムスが妙に突っぱっている。てっぺん近くを、親指、中指、薬指3本でキツネをかたどってつまむようになぞる。ソフトタッチに不似合いなほどびくりと反応してもらえる。
『そんなに長くじらさないよ……じらせない、よ』
手のひらで棒状のそれの周りをボトムスごとゆったり撫でてから、いよいよ彼のベルトを――
※
「――アクアさんが受け身なんだ」
「学校で話した感じだと、こう……控えめな感じの物腰やったから」
「はいはい、うちの兄は陰のオーラ発してる闇系ですよ」
「ガチ恋ではけっこうキャラ作ってたね」
みなみは性器の扱い方について具体的な言及を避ける、という配慮を示していた。その配慮がじっとり生暖かく、ルビーは素直に感謝しづらかった。
「あかねさん、こういう趣向お好きかしら」
「そこまではしらんけど……制約の中で満足度を追求してあれこれ工夫するうちマニアックになっていきそう」
「凝り性はともかく……これって工夫って言っていいのかな」
「途中で刺激に耐えきれなくなって、彼がぽとんって落としちゃう展開になりそう」
「うん、お約束やっ」
「どんなお約束よ」
「そうなったら……うれしそうに、いけないんだぁ……って、あかねさん盛り上がって……軽はずみが生理的にもできなくなるぐらい、じっくり、ぎょうさん搾り取って」
「それ、みなみちゃんの趣味では」
「ご想像にお任せするわぁ」
反応に困る推測を聞かされた腹いせに、みなみが誰かを“ぎょうさん搾り取って”るさまを妄想しようとした。連想で、搾り取られ役が兄になりかけた。自分の頬をつねって痛みで強制終了させた。
「どうかしたん?」
「……アクアさんが主導権とってる方が、しっくり来るって感じかしら」
「ほぅほぅ」
「例えば」
「ぜひうかがいたいわぁ、ねぇ?」
ルビーは2人のあいだで絶句していた。
浴びせられたフリルの眼差しが、セックスについてとは思えないほど熱くひたむきだった――(現代日本人が美少女と聞いてまず思い浮かべるタレント・不知火フリル、その目ぢから、間近で受けるとこんなに……)――それにルビーは気圧され、フリルの推測も聞かされる。
※
『最近、雰囲気に愛嬌が出てきたとか、色気が出てきたとか、いろいろと聞くようになったな』
『そういう評判より……私は、アクアくんの見解が気になるけど……んっ……』
あかねは声を途中でノドにこもらせる。話している途中なのに、とアクアを目つきだけで咎める。
そのくせ彼が手を止めると、くちびるをとがらせてしまう。
『……俺の見解は、参考にならん気がする』
『仕事について、じゃなくってさ』
『あかねの……仕事で見せられないところまで見せてもらってるから、バイアスみたいなものが』
『そういうアクアくんは、歯に衣着せぬキャラが板についてきたね』
『“バイアス”はあんまりか……ひいき目とか、欲目とかに訂正しておく』
恋をすれば女は綺麗になる、と古くからまことしやかに語られている。
自分はどれだけ変わったのだろうか、と気にする。女優という――自分の見られ方をコントロールするプロである――立場からすると、制御の外で自分が変わってしまうことに少し焦りや緊張を感じる。
もし自分がふつうの女の子だったら気にしなかったのかも、と空想がよぎる。
『……んっ……ふふ、くすぐったいって』
仕事で見せられないところに、彼の指先の気配を感じる。体が勝手に思い出す。くちびるが勝手に挑発して笑ってしまう。
何を思い出したかは言えない。
『アクアくんこそ、どうなの、最近』
『おかげさまで仕事は……んぐっ』
『わざと言ってる?』
『誰からとは言わんが、イジられてうんざりしていることがある』
『うんざりって、ひどいなぁ』
『あかねじゃなくて昔の俺が原因なんだが』
『昔の?』
アクアの“昔”と聞いて、どこまで時間をさかのぼって考えたものか迷う。
『めっちゃ緊張するわ~、皆よろしく――』
『――ぷふっ!?』
『ギャップありすぎてキャラ崩壊だとか言われて……お前まで笑うんじゃないよ』
『だ、だって、いま笑わせに……んっ、ぁっ……』
笑いは快楽に似ている、と気づく。自分の中に起こるのに、自分でない人から呼び起こされる。心地いいけど、程度がすぎるとお腹や息が苦しくなってしまう。ノドも乾いてしまう。
『ん、ぁ、はぁ……私……ああいうアクアくんも、けっこう好きだよ……?』
『俺は好きじゃないな』
『そういうこと言っちゃ……じゃあ、いまから交互にやってみようか、陽のアクアくんと陰のアクアくんと』
『いつもの俺は陰って言いたいわけか』
『気にしてるの?』
にっこり笑いながら、彼の腕をぽん、ぽんと軽く手で叩いてみせる。
『……黒川センセイの前じゃあ、僕、カメラの前よりずっと緊張するって』
『アクアくん相手だから厳しく見ちゃうぞ~』
『うわ、かわいい顔して怖い台詞を』
ぽん、ぽん。
『アクアくんが2人になったみたいでうれしいな』
『俺は鳥肌が立ってしまって、悪い意味で……しかもアタマがこんがらがりそう』
『演技力に磨きがかかる……かもしれない、よっ』
『冗談だよな?』
彼女は体を脱力させられるにつれて、体以外では饒舌に奔放になっていく。
『ふ、ぁ……は、ぁはっ……! ちょっと、恥ずかしい、かな……』
『ちょっと、か……俺に妙な提案してくる余裕、なくしてもらおうか』
望んでいるより少しだけ控えめに触れられる。望みに応じてもらっているのに、ますます欲しくなってしまう。
『だ、だめっ、だめって、ば……んぅっ……!』
『だめは承知だ』
『んきゅっ、ふ……!? あんまりいじわる、しちゃ……ひゃんっ、あ、あっ……はぁっ!』
軽く手を叩いてみせるつもりが、ぎゅっと爪を立てるように強く握ってしまう。
『ぁ……ご、ごめっ……んっ、ふぁぁっ……そ、そこっ……んっ……』
爪は、いまだに気にしてしまう。焦るあまり、他人を傷つけてしまった感覚と後悔とが、じわりにじんでくる。
『もっと立ててみたらどうだ』
『それ、だめ、ホントに……!』
『ここなら誰も気にしやしない』
『……私、がっ、気に……っあっ!?』
『爪を立てなきゃままならないようにしてやろうか』
また、体が勝手に思い出す。
そこに触れられるのはこれからなのに、もうお腹や息が苦しくなってしまう。
『ひどいこと、するんだね……知ってるでしょ、私は……!』
『知らないなら教えておくが……俺なら、例えば腕や肩や背中に爪を立てられても問題ない』
『ひょっとして……むしろ、アクアくんが立ててもらいたかったり……はふぁあっ!?』
『もうちょっと余裕をなくしてもらおうか』
『……あんまり、かわいくなくさせないでね』
『前フリか?』
『もうっ……んっ、うっ、あ、あっ……!』
※
「ほんのり主導権を握らせてみた」
「……あかねさんのあの件、触れるんかなぁ」
「ふつうは触れないけど、あの件でアクアさんご活躍だったと聞いてるし……アクアさんならぎりぎりセーフかも、って雰囲気になったら、むしろ触れる……あかねさんから触れさせるまであるかも」
「活躍ってか……まぁ……うん……」
黒川あかねの炎上騒動に関連するアクアの“ご活躍”はともかく、その身内として気をもんだルビーからすると、なんともコメントに困るありさまだった。
「それはそれとして、ふだんは毒舌っぽく責めて、マンネリしそうになったら演技入れてるかもってのは、大いにありやね」
「でしょう、味変みたいに」
「んっふっ……!? 味変って言い方はちょいオモロすぎない?」
「そう……難しいね」
「あの2人ちょっと前まではマンネリになるほど会えてなかったけど」
「そうなん? 言うて同じ舞台で稽古してるんでしょ」
「……もし妙な気配出してたら、ぜったい黙ってない人もいるし」
談話スペースを出なければならない時間になっていた。
ルビーはイライラを吹き払われて、代わりに胸焼けを詰めこまれた気分だった。
数時間後、苺プロの片隅。
「ねぇ先輩」
「……どしたの」
「お兄ちゃん、なんかヘンなようすとかない?」
「いやアンタの方が……」
先輩こと有馬かなは、とっさに――(それルビーが心配してどうにかなること? ……って言うとカドが立ちすぎか)――記憶をたどっているだけの振りをした。
「……いまのところ、心配する状態ではないわ」
「何いまの含み」
「私だってアクアのすべて知ってるわけじゃなし」
その日も兄の帰宅が遅くなる、と連絡が来ていた。
ルビーが心穏やかになるまで、もう少しかかる夜だった。
(おしまい)