前半に関しては、ポイピクに投稿していたものを加筆修正したものです。
同性同士の性交がメインなのでご注意ください。この話を読んでいてもいなくても、本編は読み進められるようにはなっています。
居住区から中央エリアに行くまでは、一番遠い家でも四半刻もかからない距離だ。しかし視界は息の詰まるような白に覆い尽くされ、数歩先の灯りすらも見えない。
この吹雪では死人が出るだろうと気象読みが警戒し、前線拠点内外を含めて一晩の外出禁止令が出されたのだった。幸い地熱のおかげで水道が凍ってしまうことはない為、皆が臨時の休暇を思い思いに過ごしていた。
風が吹きつける度に、窓枠が音を立てている。それを怖がって自分たちの間に挟まっていたミランは、いつの間にかうつらうつらと船を漕いでいた。
「ミー、なあミラン。首を痛めるぞ。ベッドに入ろう」
陽脚が呼び掛けるも、ミランはむにゃむにゃと寝言を言うばかり。まるで起きそうにない。
朔は陽脚に自分が連れて行く、と目配せをし、力の抜けたふわふわな身体をそっと抱き上げた。
ミランは普段はしっかりしているが、たまに甘えたになる。それだけ彼女がこちらを信頼してくれているのだと思うと、悪い気はしなかった。
ミランをベッドに横たえて毛布をかけると、朔は静かにドアを閉める。ミランは独りになるのを嫌がるが、あの分ならば不安で起きてしまうことは無いだろう。
階段を降りてリビングに戻ると、ソファにゆったりと腰掛けた陽脚が、自分の隣をぽんぽんと叩いた。朔がそこに座ると、陽脚が肩を組んでくる。
連れ合いの腕の重みを感じながら、朔は少し温くなった白湯を飲んだ。時折温かい手の甲を撫ぜると、外側から水気が乾いてきた髪にキスをされる。ふたりきりの時だけの、甘く穏やかな時間。
やがて最後の一口を飲み終えると、朔は顔を陽脚の方に向け、その唇を軽く吸った。ふたりで笑い合うとすぐに陽脚も応じ、ちゅ、と音を立てて離れては再び合わさる。
瞳孔の開いた群青に、まるでこちらの顔を焼き付けるように見つめられる。所々雪焼けしても透き通るように白い肌、長いまつ毛、高く通った鼻筋、やや骨ばった頬、薄い唇。相手のパーツの一つ一つが見えると言うことは、無意識のうちに自分も同じようにしていたのだろう。
瞼を閉じると、感覚が研ぎ澄まされる。陽脚の息遣いや近くにいる気配を感じ、唇を探っては形を合わせていく。
徐に目を開けて唇を離すと、陽脚も瞼を開けて瞬きをした。朔は額を擦り付けて微笑み、陽脚の首元に手を滑り込ませる。
筋肉質な太い首には、爛輝の皇金で出来た細い鎖が掛かっている。重力で下がった場所には、二つの指輪が照明を受けて柔らかに輝いていた。
朔はそれらを指で掬い上げ、自分の薬指に重ねて嵌められた指輪と並べて陽脚を見つめた。すると心底愛おしげに頬を擦り寄せられ、右腕と左の残った腕で優しく抱き寄せられる。
風呂上がりの温かくて大きな身体に包み込まれると、この上なく安心する。不気味な吹雪の音さえも、耳に入って来なくなるほどだった。
背を撫でられながら、連れ合いの拍動を聞いていると、次第にもっと深くまで触れたいという気持ちが湧き上がってくる。
朔は白金に輝く鎖が掛かった首筋に下から唇を這わせ、陽脚の顎に手を添えると顔を斜めに近づけた。どちらともなく舌が重なり合い、その感触を求めて絡み合う。服の上から手を這わせ合い、相手がここに居るのを確かめるかのように触れる。
ちらりと暖炉の火を見ると、赤く燃えていた熾は、最後の一つがその熱を手放そうとしていた。朔は最後に陽脚の唇を舐めると、保湿されてしっとりとした頰を撫でた。
「上、行こう」
陽脚は頷き、ソファから立ち上がった。
燐寸で灯った小さな火をテーブルランプに移すと、その周囲だけが仄かに明るくなった。ベッドサイドを照らす灯りの分だけ、二つの影は色濃く伸びてゆく。
ベッドがぎしりと鳴り、二人分の体重を受け止めた。何度も口付けを重ね、汗ばんだ額に張り付いた髪をかき分けてはその手で腰を弄る。
陽脚の胸を手で包み込み、円を描くように触れると息を詰める音が聞こえる。胸元のボタンを外し、下着越しに手を這わせていくと、既に屹立している小さな膨らみに指が引っかかった。人差し指で小刻みに弾くたびに、陽脚の身体がぴく、と震える。その反応が愛しくて、朔は手を止めずに唇にキスをした。
右手で陽脚の胸に触れながら、左手は体幹に沿って撫でていく。やがて辿り着いた陽脚の中心に触れ、朔は目を瞬かせた。
朔の手が不自然に止まったことに気づき、陽脚は「どうかしたか」と声を掛けた。
「いや、珍しいなと思って」
「何が?」
「まだ勃ってないこと。いつもなら君のが早いのに」
直接的な物言いに、陽脚は顔を赤くする。だが確かに朔の言う通り、陽脚の秘部はまだあまり熱を宿していなかった。普段はキスをしていればすぐに兆してくる筈だというのに。
「先にこっちでする?」
朔は陽脚の胸を触る。だが陽脚は首を横に振った。
「君のはもう準備できてるだろう。なら、一緒がいい」
「そう? わかった」
朔の中心に陽脚が手を伸ばすと、朔はその手を取って触れさせる。陽脚の言うようにそこには血が集まり、相手を求めていた。
ふたりはズボンを脱ぐと、口付けながら互いの中心を擦り合わせる。朔は快感に息を漏らしながらも、柔らかなままの感触に違和感を覚えていた。それは陽脚も同様で、首を傾げる。
「おかしいな……悪いが、口でしてもらってもいいか」
「それは良いんだけど……」
自分が誘ったばかりに、陽脚に無理をさせているのではないか。束の間朔は躊躇ったが、陽脚がそうしてほしいと言うならばと、ベッドの上で四つん這いになる。
下着越しに、陽脚の中心に上から下へとキスを落としていく。まだ柔らかく穏やかな温度のそこを手で撫でると、陽脚が息を漏らすのが聞こえた。
「きもちい?」
「ああ、気持ちいい」
連れ合いが性感を拾えているのを確認すると、朔はそのまま刺激を続ける。そのうち、少しずつ中の硬度が上がっていっているような気がした。
そろそろ良いだろうと下着に指をかけると、陽脚が腰を上げる。下着も脱ぎ掛けのズボンも取り払ってしまうと、朔は珊瑚色の中心に直接舌を這わせた。鈴口をちろちろと舐め、先端を咥え込む。全ては入らないため、根本や睾丸は手でやわやわと刺激した。
口を窄めながら上下に扱いていると、荒くなった呼吸と微かな喘ぎが聞こえてくる。だが、いつまで経っても塩気のある先走りが十分に出てこない。途中で口を離して手だけで扱いてみたものの、手を離すとすぐに力なく垂れ下がってしまう。元々そこまで固くなる体質ではないが、陰茎の体積もはじめとあまり変わっていなかった。
朔はちらりと陽脚の顔を見る。最初は陽脚のモノと一緒に自分のモノも片手で刺激していたが、やがて陽脚だけに集中するようになり、朔の中心からも熱が引いていってしまった。
朔の困惑を察したのか、陽脚は不安そうに眉を下げる。
「すまない……ちゃんと、気持ちいいんだ。でも、君に触れたいのに……何故か、体が言うことを聞かない……」
「そういう時もあるよ、気にしないで。疲れてたのかもしれないし、今日は一緒にのんびりしようよ」
朔はベッドに横になると、ちょいちょいと手招きをする。心細げに隣に入ってきた陽脚に毛布をかけ、素肌のまま優しく抱き締めた。胸元にかかった指輪と薬指に嵌った指輪が擦れ合い、心地よい音を立てる。朔は細い鎖を指で辿って陽脚のそれにキスをし、そのまま眠たくなるまで他愛もない話をした。
吹雪はまだ止まず、セリエナを雪で覆っていく。そんな寒さの中、家の中では穏やかな灯りがしばらく灯っていた。
***
翌週。
再び二人はベッドで向かい合っていたが、流れる空気は重い。
「直前に自分でした訳でも無いのに……」
「うーん、どうしたんだろうね」
陽脚の陰茎は今日も熱を持つことはなく、力なく下を向いたままだった。食事にも気をつけてしっかりと準備をしていたというのに、先週に引き続き、今週もできないなんて。
これまで自分の身体のそういう面には割と自信があった分、衝撃も大きい。この年でこの状態になってしまうなど、夢にも思わなかった。
テーブルランプの柔らかな光に照らされて、陽脚の目に水の膜が張っているのに気づき、朔は慌てて抱き締めた。
「ねえ、泣かないで。セックスが全てじゃないでしょ?」
「でも、結婚したばかりなのに。君とできないなんて……最低だ」
「ううん、そんなことない。ヒアがいつも僕を大切にしてくれてるの、伝わってるよ」
親指で目尻を拭うも、後から後から群青は透明な雫を生み出していく。それが哀しく思えて、濡れて仄かな塩味のある頬にキスをすると、陽脚は朔の肩口に顔を埋めた。
大怪我をした時でさえ気丈に振る舞っていた連れ合いが、こんなに弱ってしまうだなんて。朔は広い傷だらけの背に腕を回し、あやすように軽く左右に揺れた。
「もしかしたら、疲れ以外にも何か原因があるのかも。最近ちゃんと食べて眠れてる?」
「食べている。……なかなか寝付けない、時もある」
「そうなんだね。言いづらいなら黙ってても大丈夫だけど、何か心配だったり不安だったりするのかな」
朔が落ち着いた声で問いかけると、束の間陽脚は黙り込む。それから、微かに首が縦に動いた。
「そっか。ミランとか、他の誰かにはそれを話せてる?」
陽脚は首を横に振った。消え入るような声で「言えない」とだけ返ってくる。
「誰にも言えない悩みだったんだ、つらかったね」
肩に、新たな温かい水滴が溢れ落ちるのを感じる。どうしたものかと思いつつ、朔は陽脚の背をずっと撫でていた。
「何か飲む? 持ってこようか」
陽脚はこくりと頷く。朔は優しく背を叩くと塵紙を陽脚に渡し、上着を羽織って部屋を出た。
湯を沸かしながら、朔は腕を組んで唸っていた。
これは所謂、マリッジブルーというやつだろうか。だとしたら、自分の何かが不満なのかもしれないと頭を抱えた。プロポーズをされた際も、喜びのあまり号泣してしまった朔を前にしても陽脚は目を潤ませる程度だったというのに。
余程深刻な悩みなのだろうが、本人が口を開こうとしない以上どうにもならない。もっと頼ってほしいという思いもあるが、肩口に顔を埋められたことを思い出し、あれが陽脚の精一杯の甘えなのだと気づいた。突っぱねられるよりは遥かに良い。今も、早いところ戻ってあげたほうがいいだろう。
湯をポットに注ぐと、煎られた茶葉と花が開いてゆく。優しい香りの花茶を盆に乗せ、階段を上っていった。
朔が自室のドアを開けると、陽脚は寝巻きを肩にかけて項垂れていた。朔は隣に腰掛け、花茶を渡す。
陽脚は礼を言って受け取るが、手に持ったカップをじっと見つめるばかりだった。朔が促してようやく一口飲んでくれたが、何か言いたげにしては俯いてしまう。
朔は何も言わず、陽脚に肩が触れるか触れないかという距離で花茶に息を吹きかけていた。落陽草の優しい香りが漂う中で、時計の針の音が聞こえる。
長い沈黙の後に、突然陽脚がぽつりと呟いた。
「君は、後悔してないのか」
「うん? 何を?」
再び押し黙ったのち、陽脚は恐る恐るといった様子で残りの言葉を口にする。
「……おれと、添う選択をしたことを」
「まさか!」
朔は思わず即答してしまう。それから、陽脚の肩にそっと触れた。
「どうして、そう思ったの?」
陽脚は視線を朔に向け、再び目を閉じる。鼻で震える息を吸い、口から細く吐き出した。
「この前、コポポが生まれただろう。その時に……君が話しているのが、聞こえてしまった」
「僕が? 何を言ってたんだっけ」
どきりとして、朔は冷や汗をかいた。全く覚えが無いが、やはり原因は自分だったのか。
「ルーナにあれこれ聞かれて、子どものことを言っているのを聞いて……ああ、やっぱりそうかと、思ってしまった。そんな自分が、嫌だった」
「ルーナ? ……ああ!」
そういえばそんな話をした気がする。ルーナは人との距離感に難があることで有名な同期だった。陽脚と結婚してからのことを不躾にしつこく聞いてくるものだから、朔も半ば投げやりに答えていたのだ。まさかあの会話を陽脚に聞かれていたとは思わなかった。
「あれは、ずっと色々聞かれ続けてうんざりしてたから適当に流してただけで……! 本心じゃない」
陽脚は朔とは目を合わせず、首に掛かった指輪を手で弄ぶ。
「君は、同性と関係を持つのはおれが初めてだと言っていただろう。それなら、結婚して子どもが生まれる未来もきっと、考えていたんじゃないかと」
「ヒア……」
「おれは……これからも、君の傍で生きていきたい。でも、おれの人生に……サアの人生を、巻き込んでしまっただけなんじゃないかって。一瞬思ったら、そのうちにいくら考えないようにしても頭を離れなくなって……」
掠れた語尾を聞き終わる前に、朔は自分の唇の震えを抑えられなくなる。
指輪を弄る陽脚の手は、固く握り締められていた。
「君を守れたことは、少しも後悔していない。でも、君はこの怪我に責任を感じていたから……婚姻の約束を受け入れてくれたのは、その為でもあるんじゃないかって」
その言葉を聞いた途端、朔の目からもぼろぼろと涙が流れ出した。これは、怒りや絶望とは少し違う感情だ。相手のことが大切だからこそ、そんなふうに自分を責めるようなことを感じさせてしまった事実が申し訳なくて、悲しくてたまらない。
「ううん、違う……それは違うよ」
朔は自分と陽脚のカップをテーブルに置き、正面に座り直して陽脚の手を握った。視界がぼやけている中でも、陽脚の目をじっと見つめて一つ一つ語りかける。
「僕が君と結婚しようと思ったのは、これからも君の傍に居たいから。もしも何かあった時にも、離れ離れになりたくないって、そう思ったから。
責任感だけで結婚しようだなんて、思わない。君のことが大切で仕方ないから、僕も君と、本当の家族になりたかったんだよ」
涙声になるのは抑えられなかった。それでも嗚咽と共に、ありったけの思いを懸命に伝える。
「確かに、昔は子どもとかその後のこともあったよ。でも、お父さんが亡くなってから付き合っていたひとも大事にできなくなって、仕事もまともな生活さえもできなくなって……。
新大陸に渡る選択をしたことは、僕にとってやり直す機会だったんだ。そうしたらね、思いがけない、かけがえのない”しあわせ”を君がくれた」
朔の話に、陽脚は相槌を打つことはせずじっと耳を傾けていた。時折握った手に力が入る為、真摯に聴いてくれているのが伝わる。
「ヒア、前に小さい頃の話をしてくれたよね。いつか自分も君のお父さんと同じになっちゃうんじゃないかって、だから子どもを作るのが怖いって」
陽脚は小さく頷く。片親への暴力を見せられていたり虐待を受けたりしていた子どもが、将来自分の子に同じように虐待をしてしまうことが多いという発表。過去に何気なく同僚が言った言葉は、陽脚を深く深く傷つけていた。
「勿論、君はそんなことにはならないって僕は信じてる。でも君の意見は尊重したいし、だからこそ君が不安になるくらいなら、子どもは望まないよ。
つまりね、僕が言いたいのは、僕は結婚そのものじゃなくて、これからも君と生きていけることに価値を感じてるんだ」
「サア……」
朔はぐしゃぐしゃの顔を手の甲で拭い、陽脚に精一杯の笑顔を見せる。
「不安にさせちゃったことは、本当に申し訳なかった。だけど同性同士だからとか、子どもができないからとか、責任や後悔があるからとか。そういうのがどうでも良くなるくらい、僕は満たされてる。
勿論独りでも生きていけるかもしれないけど、それでも。それでも僕は、君の隣に居られる権利を、もう手放したくない」
朔が伝え終えると、陽脚は嗚咽を漏らしながらもしっかりと頷いた。
「ありがとう。……ありがとう、サア」
こういう時、自分の口下手がもどかしいと陽脚は思う。それでも朔には十分伝わったようで、手を広げて抱き締めてくれた。
「こちらこそ話してくれて、ありがとう。君の気持ちが知れて、よかった」
朔が陽脚の涙をそっと手で拭うと、陽脚も同じように頬を拭ってくれる。それから互いに塵紙を渡し合いすっきりすると、ふたりでベッドに寝転んだ。
「君とのセックスも好きだけど、それ以外の時に愛情表現をしてくれるのも大好き。だからさ、あんまり身構えないでゆるくやっていこうよ」
「ああ。……なあ、こっちに来てくれないか」
「うん?」
朔が肘をついてにじり寄ると、陽脚は朔の胸元に耳を付け、細い身体に腕を回した。
「今夜は、こうしていたい。良い……かな」
「フフ、勿論」
朔は陽脚の赤い髪をそっと撫でながら、優しくキスを落とす。このひとを苦しめる傷を、自分が一つ一つ包み込んであげられたら良いのにと思った。それが無理でも、自分の傍が安心できる場所になっていたなら良い。
「サア、ありがとう。これからも、よろしく」
うとうとと意識が眠りに落ちる前に、胸元からくぐもった声が聞こえて朔は目を開けた。ぼんやりとした頭で陽脚の言葉を反芻すると、微笑んで腕の中の身体を撫でた。
「こちらこそよろしく。おやすみ」
「おやすみ」
先週吹雪いていたのが嘘であるかのように、星の散りばめられた空は澄み渡っている。翼竜呼びの指笛が響いたかと思うと、誰かが新大陸の夜風を掴んでいくのだった。
***
渡りの凍て地に棲息するケイコクチョウは、拠点の近くにまで飛来する。彼らは比較的警戒心が強いとされているものの、この辺りにいれば捕食者に狙われにくいことを学習したようだ。
セリエナに運ばれてくるモンスターはいずれも麻酔が掛けられていて、覚醒して暴れ出さないように細心の注意が払われている。けたたましい警戒音でなく、心地よい鳴き声だけがこだましているのは、平和の象徴でもあった。
日差しがカーテンの隙間から差し込んで、シーツの上に白い帯を作っている。その帯の先で、毛布から出たふたつの手が重なっていた。それらは情を交わして繋いでいるようにも、ただ偶然合わさっているようにも見える。
上に置かれた手には、年月を経て細かな傷のある、けれども丁寧に手入れのされた指輪が嵌っていた。
かさついて皮の剥けた二つの唇からは、穏やかな寝息が規則的に漏れている。だが、どちらにも目の下には隈があった。
昨日アステラから伝令が届き、セリエナは響めきに包まれた。まさか、古龍が拠点に来襲し大規模な縄張り争いを繰り広げるなど。奇想天外な思考を美徳とする調査団でさえも、誰ひとり予想していなかった事態であった。
幸いにも、アステラ防衛戦で死者は出なかったらしい。だが今回も同じように事が運ぶとは限らない。むしろ炎王龍が移動を始めたということは、こちらに目的とする何かがある可能性が高いと言える。
伝達を担っていたキャスリーンも、淡々と必用事項を伝えていたが、その面持ちは険しかった。
拠点にモンスター、それも古龍が襲来するなど、天災が直撃するようなものだ。温厚な個体であるというのは、たまたま襲われなかった人間の主観に過ぎない。現にセリエナでは、厳戒態勢を敷いていた。
自分達は、天災から逃げるだけではなく時には立ち向かわねばならない。それが新大陸古龍調査団に課せられた使命だと、誰に言われずとも各々が自覚していた。勿論、無駄に生命を散らすことは御法度だけれども。
夜通し警戒は続き、調査員らは武器の用意やら情報の伝達やらで駆け回っていた。普段の警備では欠伸を漏らす者も少なくないが、今は皆が気を張り詰めている。伝令によると、アステラからこちらへ向かう船から信号弾が打ち上がれば、炎王龍が接近していることを示す、とのことだった。どの配置にいても、皆が一様にそわそわと空を気にしている。
基本的に同じ場所に住む者は休憩時間がずらされており、情報の伝達が遅れることのないように調整されていた。しかし普段から行動を共にする、ハンターと編纂者のバディやオトモアイルーは例外であり、同じ時間に活動・休息がとれるようになっている。
陽脚と朔、そしてミランは午後から明け方までの担当で、会議やら資材の補充やらに駆り出されていた。ようやく交代を告げられると、三人は疲れ切った身体で帰路を辿った。
家に帰っても油断はできない。朔は階段下の収納から、中身の詰まった大きめの鞄を引っ張り出した。必要最低限の水と食料・薬のほか、火打石とランプやら用足しのポンチョやらが入っていることを再度確認する。家族三人分となると結構な量だが、致し方ない。極寒の中、着の身着のままで投げ出されることは命取りだ。
いくら危険な僻地とはいえ、こんな日が来るとは思っていなかったけれど、普段の備えが功を奏した。ミランに手伝ってもらいながらそれらを玄関に置くと、朔は溜め息を吐いた。
その間、陽脚は武器の手入れを念入りに行っていた。僅かでも金具が緩んでいてはいけない。片手が不自由だとしても、この中で主戦力となるのは自分だという自負があった。
ある程度の準備を終えると、陽脚は手についた汚れや研磨材を落としに洗面所へ行った。疲労困憊なミランに、今日は朔の部屋で寝ることを告げる。ミランは少し不安そうだったが、頷いて「おやすみなさいニャ」と告げた。
自室の留め金のかかる音が聞こえると、陽脚は朔の部屋のドアをノックした。ドアの向こうで動く気配がしてすぐに中から開き、連れ合いの姿を認める。
揺らぐ黄金色の瞳に、陽脚は堪らない気持ちになった。後ろ手でドアと鍵を閉め、その手を相手へと伸ばす。ふたりはどちらともなく互いの存在を確かめ合った。
休養をとる為に与えられた時間であったが、喪失は突然訪れるものだ。それはどちらも痛いくらいに理解していた。もしかすると、朝を迎えることすらできないまま、拠点が炎に包まれるかもしれない。この体温に触れることも、二度と叶わないかもしれない。
そんな焦燥感に突き動かされながら、短い時間の中で相手の身体のすべてに触れようと求め合った。切なげに漏れる嬌声と共に自分を呼ぶ掠れた声も、唇と対照的にざらついた舌の柔らかさや唾液の甘い味も、あかく染まった腹の上で混じり合う体液の匂いも、汗が奪っていく熱も。すべてを、刻みつけるように。
側から見る者がいたならば、生命の危機が迫る中でのまぐわいは、さぞかし滑稽に見えたことだろう。死を回避したいと思う本能にも、今はその一言で説明しきれないほどの色々な感情が纏わりついている。これは生への希望なのか、はたまた深い絶望がそう思わせているだけなのかも、よく分からなくなっていた。
ただ一つ確かなのは、独りであったなら、こんなことは考えもしなかっただろうということ。新たな生命へと成る力は存分にあるのに、卵子でなく自らと同じ形をしたものと混ざり合い、屑籠へと捨てられる自分達の精。後に残るもののない営みでも、意味はあるのだと信じていたかった。
眠りについて、僅か数刻。
耳を劈くような鳴き声に、陽脚はハッと飛び起きた。次の瞬間、拠点中に警鐘が鳴り響く。
「ああ、まさか。本当に来るなんて」
隣で身体を起こした朔は、青褪めた顔で呟いた。彼は元々血圧が低いらしく、起きた後もいつも暫くは怠そうにしているのに、今はそれを感じさせない早さで身支度を整え始めた。
陽脚もそれに倣うように、ベッドの下に用意しておいた防具に手を伸ばす。念の為と、二人とも寝間着ではなくインナーを着て寝た為、防具もそのまま上に着てしまえば良い。
まるで胸骨を直接心臓が叩きつけるような、激しい鼓動が響いている。自分たちが一つ一つ積み重ねてきた生活が、唐突に終わってしまうかもしれない。後悔の無いように過ごしてきたつもりだけれど、訪れ掛けている終焉が恐ろしかった。
陽脚が片手でできる範囲で防具を着たのを認めると、朔はその金具を留めていく。指先はかすかに震えていたけれど、それでも手早く留め終えたのは、共に繰り返してきた日々の軌跡だった。
朔は陽脚の義手が外れないことを確かめると、そのまま連れ合いの身体をかき抱いた。防具はどれだけ洗っても、芳香の奥に染みついた血臭や獣臭は消えない。それはいつ何時であっても、自分たちが置かれた環境の過酷さを思い出させた。陽脚も朔の背を両腕で抱き込み、束ねられた黒髪をそっと撫でる。
抱擁していたのは、僅か三秒にも満たない。離れがたさを押し込むように、愛情を言葉で伝え合い、封を閉じるように唇を重ねる。
杞憂で済むならば、何よりだ。だがいつ来るか分からない離別を憂いて、自分達は契約を結んだ。
ドアの外では、既に防具に身を包んだミランが待機していた。おはよう、といつものように声を掛けると、彼女はほっと表情を緩めて返事をする。
家を出てまず飛び込んできたのは、奇妙な色に燃えた空だった。雲の流れが早い。粉雪の中には、火の粉が紛れていた。
外は騒然としていた。双眼鏡で空を見つめる者が指差す先に、小さな点が見える。あれが、自分達の平穏を乱すものの実体かと思う。
陽脚は横目で連れ合いと相棒を見た。どちらも顔を強張らせてはいるけれど、覚悟が決まった眼差しを空へと向けていた。
番を残して旅をしているという龍は、一体何を目的としているのか。この先、どのような結末が待っているかは分からない。だが与えられた僅かな猶予の中で、我が身が炎に巻かれようとも後悔しないような選択はできたと陽脚は思う。
自分達は新大陸古龍調査団なのだから。今できることを一つ一つ積み重ねていけば、最後に残ったものが継承となる。
陽脚は家族を自身の左側に庇うようにして、兵器置き場へと続く階段を降りていった。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
調査団の生殖に関しては語ることがありすぎる。
滅日は最後のほうのアップデートで追加されたクエストなので、もしかするとIB公式設定資料集で公開された年表よりも後の話かもしれないなと。青ナナでは大分気の抜けた描写だったので、モブの視点として追記しました。
引き続き、青の炎妃はご機嫌ナナめをお楽しみいただけると幸いです。