本小説はグロい表現や、悪辣な内容が含まれます。
それでもいい方だけご覧ください。
それでも読んでいただける方がいたなら、幸いです。
爆風がここまで彼女のことを吹き飛ばし、身ぐるみを剥ぎ、全身ごと傷つけては熱傷させ、崩れなかったブロック塀へとたたきつけ、この壊れかけた塀から飛び出していた鉄筋へと、彼女の足を絡ませてそのまま逆さまにぶら下げてみせたにちがいなかった。
この女子(高校の制服を着ていた)はその時、全裸の股間を天に向けて、そうして絶命していた。
赤い夕日が照らし出す逆さまの股間は、丸く小さな丘のようでもあり、おかげで陰裂だけが縦に細長い楕円のかげとなって彼女の股間に浮き出ていた。そして、その陰裂はぱっくりと、死んだ貝のように口を開けて、割れて、奥のピンクの肉壁をさらけ出し、クリトリスをちょこんと立たせていた。割れ目の中にはひだが二枚あり、それがパックリと左右に真開いていた。そしてこの内部にある、左右から中央に向かって折りたたまれていたはずの、まるで小指の先ほどの大きさな別のひだが、びらびらとしていて、打ち上げられた魚の口から膨れ上がる浮袋を連想させた。さらにその下には肛門があり、爆風の圧力によるのか、塀にたたきつけられた衝撃によるものか、ピンクの肉壁、周りから包まれているはずの内臓の生きている色を、内側から沸き出るように飛び出させていて、この粘膜がしだいに黒ずんでゆくだろうことを、予感させた。
俺は、その死体の股間をまじまじと見たのだ。そして俺は、生まれて初めて女性の股間というものを視姦したのだった。
俺が見ているあいだ、ゆっくりと逆さまにされたままの彼女の躰が、割れて開いていた陰裂の内奥から、かき分けるようにして一握りの肉塊が流れ出てくるように排出されてきたのを見た。妊娠していたのだ。まだ原型もないほどの赤子が、そのとおり流産したのである。
俺はゆっくりとその場を離れた。そして、このブロック塀にへばりつくように逆さまになって、逆十字にかけられたかのように地面へと両手を広げる女子の死体、これ後にした。この死体は、その次の日にもまだそのままに放置されてあり、いつしか消えていったが、俺は中学校を卒業するまで、毎日といっていいほどここを通りつづけた。
のちに九葬図という仏教関連の絵を見たことがあったが、あれでもまだ美化されており、また連続性があるように描かれているな、と、思わされた。本物の放置死体は時に事件を起こす。あくまでもその朽ちてゆく体に関する、画された一人の世界の内側で。突発性があるものなのだ、それは。
俺が小学校の低学年だった時、世間では大きな災害があった。それは俺が住んでいたあたりもぶっ壊し、ブロック塀で囲まれた住宅地が、俺が住んでいたアパートが、ひどいことになった。
災害、あのドでかい、山じみた大きさの、だが生きていて火炎を吐く恐竜じみた、とにかくでかい化物、こいつが住宅地には熱線をはきちらして吹き飛ばしまくり、俺のアパートへとダイビングして、圧し掛けてそのまんま横倒れして、並んで立っていたアパートたち、この一棟一棟をドミノよろしく連鎖して倒していったのだ。
その時俺は学校で授業を受けていて、気づいたら世界が揺れはじめていた。そしてすぐに強い横揺れが来て、俺は教室の床に吹っ飛ばされて、気を失った。
──というのはいいのだが、隣の席の女子が泣き出しそうなのを横目に、それから一回は目覚めていたにもかかわらず、(その時、周りが暗かったので)二度寝した。当時は小学生の六年であったと思うが、俺は分かってもらえるだろうか、かなり幼稚だった。だが俺は助かったのだ。
俺はそれから家へと帰った。だがこの帰路でいろいろあって全身に打撲を負い、脳震盪を起こして失神し、ついには疲れ果てて、それでもたどり着いた挙句には、ここら一帯が巨大な瓦礫の山と化した風景をぼんやり、倒壊した自分の家だったがれきの山の頂上で、眺めるほかなかった。
それから俺は、家に戻ることを諦めて、そのまま学校へと戻った。ここで生活していてしばらくすると、世の中もだんだん元通りになっていった。大人ってのはこういう時、自分の人間としての価値をさまざまに明らかにするものらしい。その災害で両親を亡くした俺は、俺の友人の祖母に、友人ごと引き取ってもらった。何のことはない。俺が自分を売り込んだのだ、かつてのギリシャの大哲学者、ディオゲネスよろしく、である。この祖母は高齢だったのであまり働けず、生活費を得るためにもまず俺、そうして友人が、年齢的には中学生あたりであるけれども、働かなくてはならなかった。
俺が高校生の時に、友人は祖母をなくすと、家を出て行った。だが俺もそろそろ家を出る頃だと思っていたし、別に気にしてはいなかった。仲たがいしたわけでもなかったからだ。中学を卒業してから、俺は独り立ちした。それからもちょくちょくと友人の家を訪れては飯を食ったりしていたものだ。
そうして齢二十歳あたりになって、義務教育を受けるように、と、ようやっと回復した国からお達しを受け、高校へと入学して、今に至るわけだ。
が、このたびの美術館の見学で、九葬図の絵を見て、またあの女子の死体を思い出して、俺は思ったのである。
「そういや、あのあたりは、どうなったんだろうか」
それで俺はあれからもう何年も経っているのに、またあのブロック塀の辺りに足を向けることにした。
夏休みの長期休暇に何をしようとも思ってなかった(せいぜい友人を訪ねるぐらいだろう)だから、個人的な観光のつもりで、そうすることにしたのである。