意識が、暗闇から引き戻される。
(....ここは)
知らない天井が、視界に映し出される。瞳の主は事件の犠牲者となったハンター....アスカロン。彼女の意識は、ゆっくりと覚醒していた。
(....うん?いや、待て、何かおかしい)
何事にも先行して思考の表層に浮かんだのは疑問だった。不思議な感覚だったが、つまる所彼女の思考というのは、こうだ。
(なんというか、私。
そんな疑問が生まれた辻褄を合わせるように、過去の経験が思い返される。恐怖に打ちのめされ、されるがままオキシジェンによって犯され続けたその瞬間が。しかし....
「....う....」
少し呻いただけで、その記憶を受け止める。無理をしている訳ではない。ただ、過去の恐怖というものを、彼女は物語の中で展開されているテレビの番組を見るような、ひどく遠いものに感じていた。
(こんなものより、ギミーの方が....)
自分の中に入り込んでいる、毒に狂わされている。そう考えると、まるで恐ろしくなくなってしまった。
(ギミーの神出鬼没っぷりと言ったら、姿を隠してこそこそするよりよっぽど恐ろしいからな)
自分の思考が気恥ずかしかったのか、そうしてギミーシェルターの評価に蓋を閉め....なんとなく、首を右に倒す。居た。しかも笑顔で。
「おはようございます。アスカロン様。ご気分は如何ですか?」
「....お前は本当にどこにでもいるな、ギミー」
アスカロンは溜息を吐き、呆れるように首を振った。ギミーシェルターは、普段とまるで変わらない彼女の様子を見て笑みを深くする。
「あなたの為とあらばこの私、たとえ火の中水の中、空の上でも見事駆け付けてみせますとも!....とはいえ、此処に私が居るのは至極当然ですよ?私の家ですからね」
「何っ?」
ふと周囲を見渡す。高そうな絨毯に高そうなソファー。備え付けられたテレビは、まるで映画館のスクリーンだ。ふと、自分が身を任せているダブルベッドを意識してみる。天にも登るようなふわふわっぷりだった。
「お、お前....私を自分の家に連れ込んでどうするつもりだ....!」
「看病ですよ??」
そんな勘違いをされるのは流石に心外だ、という風にギミーシェルターは慌てて言い繕う。その様子を見て、アスカロンはくすりと笑う。
「冗談だ。例の
改まって"それ"を言うのが恥ずかしいのか、彼女は毛布で顔を隠し、チラリと自らの恩人を見る。
「....ありがとう」
「....」
ギミーシェルターは、暫くの間、黙りこくる。それが、どのような感情によるものなのか分からないアスカロンは、少し不安げに言葉を連ねようとするが....それよりも早く、閉まっていた口を開いた。
「あなたは、本当に変わりませんね」
そう語る彼女は喜んでいるようでも、呆れているようでも、安堵しているようでもあった。アスカロンは、意味を理解出来ず反論する。
「変わってない訳がないだろう。お前には何もかもめちゃくちゃにされたんだからな!」
しかし、ギミーシェルターはそれには答えない。
「ずっと不思議でした。あなたが居なくなれば、きっとそれは一生の傷になるでしょう。なのに、どうして私はあなたの危険を感じられなかったのか....」
「なっ....へっ....!?」
半ば告白のような言葉を受け、アスカロンは顔を真っ赤にする。しかし彼女は、あくまでも真剣に語り続けていた。
「ようやく、理解しました。カリブ様の時も、今回も....あなたにとって、
「....何....?」
それはアスカロンにとって、奇妙な話だった。カリブの誘惑にはひどく心を揺れ動かされたし、今回も廃人1歩手前まで追い詰められたのだから。
「いやはや、本当に....ようやくです。あなたは、私の庇護が必要な存在ではなかったのですね」
しかし、ギミーシェルターの晴れ晴れとした様子を見て、彼女はその反論を引っ込めた。ただ、少し...
「なぁ、ギミー」
「はい!なんでしょうか?」
元気よく返答する彼女を、アスカロンはチクリと刺す。
「実はお前って、結構バカなんじゃないか?」
ギミーシェルターは目を丸くする。しかし、すぐ納得したように頷く。その質問に対する彼女の答えは、とっくに決まっていた。
「──だとしたら、それはあなたのお陰です」
やはり、アスカロンはまるで意味が分からないというように首を傾げる。ギミーシェルターは、彼女を優しく抱き締める。窓から入る朝日は、そんな二人を祝福するように照らしていた。
意識が、暗闇から引き戻される。
(....ここは)
彼の瞳に映るのは、見知った天井。吸血鬼オキシジェン。複数の臓器を破損し、心臓を刳り取られても尚、彼は生きていた。
(....声が出ない....)
信じられないほどに鈍重な、傷だらけの身体を動かし、彼は立ち上がる。ふと、自分が透明である事に気付いたが、そんな事はどうでもよかった。
(....吸血鬼とて、ここまで頑丈なものだろうか....?)
片足を前に出す、という動作を長い間隔を開けて行っているような、あまりにも遅い移動の中。彼は自分が生きていた理由について考える。けれど、結論は出ない。
「....」
そのうち、彼は路地へと繋がる扉の目の前にまで到着してしまった。彼は扉のノブを掴み、体重を乗せ、ゆっくりと扉を開けていく。
「....」
その瞳は、ひどく虚ろだ。世界の支配。それがどうしようもない絵空事であるの叩き付けられた今、彼には目標が欠如していた。
(あそこで死んでいれば、きっと綺麗だったろうな....)
というような感覚が拭えない。なぜ生きようとしているのか、なぜ逃げようとしているのか。自分が生きていた理由の探索は、事ここに及んで自分という存在への考察に至っていた。だが....開かれた扉の先で、身体は動きを止める。
(....こんなにも....時間が経っていたのか....)
朝日が、オキシジェンを刺す。致死の光に照らされ、彼は地に倒れ伏す。万全の状態であれば、容易に対策出来ただろう。しかし、今の彼にとっては....絶望的としか言えなかった。
「っ....」
薄れゆく意識の中で、彼は道を行き交う人々に、助けを求めようとする。しかし、身体は動かない。声も出ない。何より、誰もその姿を見る事が出来ない。人々は、独りでに開いた扉を怪訝そうに眺めるだけだ。
(....私は、ここで死ぬのか?一度は生き残ったというのに、何の意味もなく....)
無意味。脳裏に過ぎったその言葉は、なぜだが自らの夢を思い返させる。
(世界の支配者....その理想の果てが、これか)
そこにいる存在は、吸血鬼を代表してなどいない。分子の一つが消え失せたとて、それに誰が気付くというのだろうか?
(だったら....友人の一つでも作っていた方が....ずっと........)
一度は浮かび上がった意識が、再び闇の中へ埋没していく。助けは来ない。救いもない。なぜならば──
酸素は鏡に映らない