柔く、何よりも勁く 1
「....う....」
その女は、蒼白の顔に苦しみを浮かべ、魘された子供のように呻いていた。
堕天特区の人間と言えど、そのような様子を見れば遠目で様子を見るか、声を掛ける程度の事はするだろう。しかし、その場には彼女を除いて他に誰も居ない。ビルの最上階。彼女の苦しみには誰にも届かない。
「....うう....ううう....」
女は、そうしなければならないとでも言うように、ただ一点を見つめていた。ビルの先に満ちる何もない空を。女は苦しみ、呻きながらも機械的に歩みを進める。何かに導かれるように、彼女は柵に囲まれていないビルの端を踏む。
「ううう....!」
その様子は行動に反してまるで自殺志願者には見えない。彼女は明らかに目前に迫る死に怯えていた。だというのに、存在しない足場に向かって一歩を踏み出す。それで最後だった。
「あ──」
後日、彼女の死は話題になる事もなく、痕跡さえ清掃業者によって消え失せた。原型を留めない死体からは単なる落下死以上の情報を得られない。よくある自殺。それが、彼女の最期に向けられた評価だった。
住宅区の上層。高級住宅街の一画に建つ豪邸。薄暗くも豪華な寝室のソファーの上で、ギミーシェルターとアスカロンは裸体を晒し、まぐわっていた。
「うぅ....大嘘つきめ....家に連れ込んでも、何もしないって....ぁうっ....♡」
「おや、それは"あの時"の話でしょう?元気なあなたを家に連れ込んでおいて何もしないなんて、そんなまさか....ふふっ....」
繊細な白磁器のような手が、アスカロンの蜜壺を優しく刺激する。それだけで蜜が溢れ、周囲に淫らな香りを撒き散らす。しかし"犯されている"彼女はまるで抵抗しようともしない。それどころか、その手はギミーシェルターの秘部に伸ばされ、自分がされているように、その蜜壺を犯している。
「この....卑怯者っ....♡」
言動とは裏腹に、彼女の心と身体は完全にこの状況を受け容れていた。媚薬の分泌は抑えられている。互いに理性を保ったまま、二人は既に緩慢な絶頂を味わい....ぬるま湯のような快楽に耽溺していた。
「ああ、駄目ですよ....アスカロン様。そんな可愛らしい反応ばかりしていたら、私とて理性が....んっ♡」
蜜壺を激しく掻き乱され、ギミーシェルターは身体を震わせる。下手人は当然アスカロンだ。
「理性なんて知るか....この....このっ....♡」
「っう....♡」
彼女は遠慮もなしに相手を責め立てる。しかし、その顔には、報復を期待するマゾヒスティックな笑みが浮かんでいた。
「ああ、もう──」
その、可愛らしい"アピール"に心を蕩かされたギミーシェルターが、彼女に顔を近付ける。
「な、何をするつもりだ....変態っ....♡」
押し退ける事も、藻掻く事もしない形だけの反抗。事実上されるがままになっているアスカロンの前で唾液を高濃度の媚薬に変化させ....その耳をねっとりと舐める。
「んひっ"!?♡」
変化は劇的だった。即効性の媚薬は、いとも容易く全身を性感帯に塗り替える。快楽のあまりに痙攣し、その僅かな身震いが快楽に転換する円環を眺め、ギミーシェルターが淫らに微笑む。
「誘ってきたのそちらですから....覚悟して下さいね♡」
「っひ....♡」
大きな期待と信頼、そして僅かな不安が入り混じった彼女をギミーシェルターは愛おしそうに撫でる。そして、もう一方。蜜壺に入り込んでいた指が的確に彼女の弱点に触れ....ぎゅっと押し込んだ。
「──っ!!♡」
それから、何度も何度も発されたアスカロンの激しい嬌声は防音の壁によって消え失せ、ただただ、ギミーシェルターを悦ばせ続けた。
「ド変態。淫乱エルフ」
事後。自分にしなだれかかりながら暴言を吐くアスカロンに苦笑しながらも、ギミーシェルターは彼女の頭を撫でる。心を読むまでもなく、その棘のある言葉からは溢れんばかりの好意が感じられた。
「そう怒らないで下さい、アスカロン様。別に私はあなたと....懇ろになる為だけに家に呼んだ訳ではありません」
「ふぅん....?」
アスカロンはその言葉の裏にある程度の真剣さを読み取ったのか、瞳に鋭い光が灯る。頭を撫でられ、身を預けながら、ではあるが。
「一応言っておくが、これで金を渡すだとか、ウェアを贈呈するだとか、ハーレムを作るだとかいうふざけた話だったら怒るぞ」
「勿論、把握していますとも」
それらは、ギミーシェルターが実際に提案し、キッパリと拒否された申し出だ。とはいえ、今の彼女は殊更に"返報"をするつもりは無い。
「私が提案するのはあくまでも対等な取引....あなたへの依頼です」
「ほう?」
それは、如何なる類の精神力であろうか。ヘルバウンドに萎縮し、魔女に犯し尽くされ、吸血鬼に心を叩き壊された果て。
「....そうかそうか、あの"ギミーシェルター"が私に依頼を....ふふふ、良いぞ。こ....恋人のよしみだ。格安で聞いてやらん事もない」
アスカロンは、ニヤニヤと笑う。事ここに至って、彼女はギミーシェルターの申し出に対し思いっきり調子に乗っていた。
「まさか、報酬は弾みますよ。"恋人のよしみ"で、ね」
少し前であれば危うさとして認識していたであろう彼女の性質。それを見てギミーシェルターは寧ろ安堵を滲ませていた。
住宅区中層。一般的な市民が住むその区域は、しかし場当たり的な建築によって混沌とした様相を呈している。建築物は折り重なるようにして築かれ、急な勾配の道が無数に行き交う。
であるが故に、光の届かない場所も。悪意ある人々を包み隠す闇も、数多に存在する。
「おい、金は持ってきたんだろうな」
迷宮じみた住宅区の奥深く。暗闇に支配されたビルの中に8人の男達が集まっていた。真っ当な人間ではない。彼らに共通する、本質的な面で誰も信用していないような、冷たい雰囲気がそれを物語っていた。
「わ....分かってるわよ。50クレジット、全部ここにあるわ。だから....」
対する少女は、
「なるほど、確かに事前に言った通りの額だ。しかし....これだけで薬を買うのに足りると思うか?」
「っ....」
嗜虐的な嘲りと共に、男達が少女を囲み....押さえ付ける。それは、麻薬の取引現場においてはままある光景だった。軽い気持ちで闇の世界に手を出した人間が、そのまま麻薬に溺れ、徹底的に搾取される、という....
「うう....」
服が無理矢理に剥ぎ取られる。少女は、抵抗しようともしない。そんな事をすれば殴り付けられるだけだと、よく知っていた。男達からしてみても、彼女の容姿はかなりの上物。身体を傷付けようとはしない....抵抗さえ、しなければ。
「今日は俺が最初だ。へへへ....」
露わになった秘部に凶悪な一物を宛てがわれ、そして──
「8人掛かりで少女一人を嬲るつもりか?」
「え──」
「──!?」
男達は咄嗟に銃を構え、少女もまた、そちらを見る。声の先には、剣を構えた一人の女が立っていた。
「どうやら、オキシジェンとかいう奴は、かなりまともな方のクズだったらしい──」
男達の行動は早かった。口上を終えるよりも早く銃声が響く。しかし、その女....アスカロンは既にその場にいない。弾丸を掻い潜るように走り抜け、男達の下へ到達する。
「先ずは二人」
「なぁっ!?」
アスカロンは近場の二人を切り捨て、好戦的な笑みを浮かべる。だが──
「クソッ!死にやがれ!」
「っ!」
次なる獲物を刈り取らんとしていたアスカロンの頭に3発の弾丸が叩き込まれる。それは、男達にとっての奇跡。アスカロンにとっての致命的な悪運。相手の腕前を加味すれば、1発当たるか、当たらないか。その程度の精度である筈の弾丸が、3発同時に急所に当たったのだ。
「....ハ....ハハハッ!馬鹿め!一人でのこのことやって来るからそうなるんだ!」
確実に死んでいる....そう確信していた。しかし、アスカロンが倒れる様子はない。
「....な、なに....?」
「....やってくれたな....貴様ら....」
彼女は、生きていた。頭から血を流しながらも、巨大な感情を纏い、そこに居る。凄まじい憤怒は....本能的に男達を畏怖させた。
「うっ....撃て!」
一瞬で加速し、自分に目掛けて放たれた弾丸の全てを切り捨てる。それは感情を爆発させ、ほんの一瞬だけ強大な魔力を纏う"スマイト"と呼ばれる戦士の資質。怪物的なまでの暴力が男達に牙を向く。
「....ふぅっ」
「....あ....ああ....」
数秒後。アスカロンが息を吐いた時、そこに残っていたのはたった一人。一物を出したまま怯える男を、彼女は冷たく見下ろす。
「最初がなんだとか言っていた割には、最後まで残ったな。ええ?」
「たっ....助けてくれ!目的は金か!?それなら俺には──」
アスカロンは不機嫌そうに剣を男の首元に剣を当てる。
「お前達が売っている薬の出処を教えろ」
「く....薬?そ....それは....得意先の...."クワイト"ってとこから、品質の割にかなりの格安だって話で.....」
「そうか、ご苦労」
「まっ、待て!」
剣を振りかざすその姿を見て、男はガタガタと震える。
「お、俺はもうこんな事はしない!心を入れ替える!だから....!」
「....今回の依頼はお前達の"抹殺"だ。それに....」
男の下に、紙切れが落ちてくる。そこに書いてあったのは、男達が今までに犯した悪行....そして、賞金首を示すマークだった。
「窃盗、殺人、強姦。麻薬の売買からは特に"甘い汁"を吸っているらしいな?ここまで罪を重ねておいて....今更、心を入れ替えるだと?」
「待っ──」
更に言い訳を重ねようとした男の首が刎ねられる。虹色の麻薬が入ったケースを拾い上げ、アスカロンは溜息を吐く。
(40クレジットの賞金首....こんな小粒に80クレジットも払う必要があったのか?)
「あの──」
「....ん?ああ....」
声の方へ振り向く。男達を斬り伏せられるまでの全てを見た唯一の存在....彼らによって犯されかけていた少女が、アスカロンを見ていた。
「....助けてくれたんだよね?」
「私はただ、依頼された事を熟しただけだ」
「だとしても、恩人には変わらないよ」
「それは....そうかもしれないが....」
アスカロンは、目の前の少女の妙な気迫に思わず後退る。奇妙な事に、少女からは中毒者に特有の病的な感じが綺麗さっぱり失われていた。
「あなた、ハンターさんでしょ?その....私、お礼がしたいんだ。助けてくれたお礼....そのために、一緒に行かせて欲しい。私、なんでもするから」
少女が、懇願するようにアスカロンを見る。その瞳には、まるで母親を求める子供のような切実な願望が満ちていた。
(たぶん、私に拒絶されたら
理由も、背景もまるで分からないが、直感的にそう感じる。無論、根拠などないが、彼女は今までの碌でもない経験から自分の直感というものをある程度信用していた。口から、2度目の溜息が漏れる。
「....アスカロン」
とだけ呟き、彼女は歩き出す。少女は一瞬、どういう事か分からずぼうっとしていたが....
「キリセ、私はキリセよ」
そう言って、すぐにアスカロンを追い掛け始めた。