堕天特区は直径4キロメートル、全長20キロメートルにも渡る地に堕ちた超弩級宇宙コロニー"アズラエル"と、その周囲に築かれた膨大な建造物によって構成されている。だが、傾斜したコロニーは1日の大半が暗闇に支配された
宵闇区、レッドツェッペリンを撒いた三人はコロニーの壁面にぶら下がるように建てられたバラックに集まっていた。
「宵闇区ってこんな感じなのねぇ....なんか、全体的に陰鬱っていうか....フツーに暗くない?」
「元々は物理的な問題だったが、今では宵闇区という名そのものがこの闇を規定している。仮に宵闇区に朝日が当たったとしても、暗闇が祓われる事はないだろう」
「よく分かんないけど、なんか凄いって事ね。うん」
「ああ。治安は壊滅的に悪いが、身を隠すには丁度良い」
「....」
成立しているのかも怪しい会話を平然と繰り広げる二人を、アスカロンはジトリとした目で眺める。
「どうした、アスカロン。何か不満か?」
「どうしたもこうしたもない。不法侵入の挙句に貴重品を盗んで逃げたんだぞ?きっと今頃、ハンターショップでは私達の写真が並んでる」
「クワイトの連中としてもこの状況を逃す手は無い。我々の首に掛けられるクレジットも100は下らないだろうな」
「うひゃあ、一気に高額賞金首の仲間入りじゃない」
「....」
気にするどころか、やはり目を輝かせているキリセを放って、アスカロンの記憶が浮かび上がる。クワイト、それは麻薬の販売人が語った入荷先の名だ。
「....確か、前もクワイトの名を出していたな。お前もギミーに言われて麻薬の取引現場を押さえていたのか?」
ギミーシェルターからアスカロンに課せられた依頼。それは麻薬の取引現場を押さえ、販売人を抹殺した上で麻薬を回収するというもの。背景について、彼女は大半のハンターと同じようにまるで知らない。だからこそ、ギノルタを追っている対象と、自分が潰した麻薬ルートの一致について、同じ依頼を受けていたものとして解釈していた。
「なるほど、ギミーシェルターはお前に末端からの揺さぶりを求めたのか」
「....自分は違う、とでも言いたげだな」
「俺の、そしてギミーシェルターの目的は裏社会で勢力を拡大している犯罪組織....クワイトを潰す事だ」
「潰す....」
組織に対抗するにおいて最も単純でありながら、致命的なまでに困難な結末。平然と語られるそれにアスカロンは驚愕し、キリセは更に瞳を輝かせる。
「....大層な青写真だが、一体どうするつもりだ?」
「組織の潰し方など、俺は長を洗脳する以外に知らん。そもそも、ギミーシェルターの依頼だ。具体的な策を持ち合わせているのは彼女以外に居ない」
「....つまりギミーの奴、また誰にも計画を話してないのか?お前はまぁ....どうでもいいが。私にくらいは話してくれたって....」
「──そもそも、巻き込むつもりも無かったのだろうな」
「....?」
アスカロンは妙に確信的なギノルタの発言に疑問を持つが、流れを断ち切るように、キリセが口を挟む。
「あー、あー。よく知らないけどさぁ...."ギミー"の話って、今必要?」
彼女はいつの間にか、アスカロンに抱き着いている。
「お、おい。キリセ....?」
「別に、そいつが何考えてるかなんて分かんないんでしょ?そんな事より、これからどーするのかの方が重要じゃない?」
「それは、まぁ....」
アスカロンは、彼女の不穏な視線に押され、狼狽える。身内に対する甘さ。利点にもなり得るその特性が、キリセを押し退ける事を不可能にしていた。
「....これからの展望を語るのは良いが、その前に、そろそろ保留にしていた質問を投げ掛けさせて貰おう」
しかし当然ながら、ギノルタはそのような特性を持ち合わせていない。
「そも、お前は誰だ?同行者として一先ず助けたが、立ち振る舞いからして、一般人にしか見えない」
「....?いや、だって一般人だもん」
「....」
何の衒いもない宣言に、ギノルタは一瞬言葉に詰まる。
「なぜ一般人が任務中のアスカロンの隣に居た?」
「そりゃ勿論、アスカロンに私の全部を捧げる為だけど?」
「....」
「....」
奇妙な沈黙が場に満ちる。ギノルタの視線は、既にアスカロンに向いていた。犯罪者を見るような、不出来な同族を見るような、如何とも表現し難い目だ。
「....お前、まさか洗脳アプリを....」
「おいちょっと待て!こいつは取引現場を潰した時から私に付いて来ているだけだ!」
「あはは、アスカロンに助けて貰ったヤク中でーす」
「....なに?」
ギノルタはぬるりと立ち上がり、キリセを凝視する。
「....いきなりなに?もしかして今になって私の魅力に気付いちゃった?けど私、アスカロンがやれって言わない限り他の人に身体を許すつもりはないからね」
「....健康的すぎる」
「え?不健康な方がタイプなの?そりゃ人のセーヘキを否定するつもりは無いけど──」
「アスカロン、彼女は本当に中毒者だったのか?」
「....うん?そうでなければ取引現場に居る筈が無いだろう」
「....治癒薬や魔術の類には頼ったか?」
「いや、助けてからはずっとこの調子だが....」
「そうか」
「そうかって何よ、そうかって。変に納得されるのが一番怖いんだけど」
ギノルタはキリセを見つめ続ける。居心地が悪くなって来たのか、キリセは抱き着いたまま、アスカロンの後ろに隠れる。
「今この瞬間に関係する話では無い」
「今....あーっ、そういえばすっかり話がズレてたじゃん!結局、これからどうするのさ」
「休む」
あまりにも簡潔な一言と共に、ギノルタは横になる。
「えっ、休むの?」
「当然だ。レッドツェッペリンの撃退は必須だが、俺とて不死身ではない。それに、アスカロン。上手く隠しているつもりかもしれないがお前も満身創痍だろう?」
「む....」
「....!」
アスカロンはばつが悪そうに顔を背ける。だが、その額をキリセが触れる。
「ぐっ....」
「わっ....ご、ごめんなさい!頭に弾丸が3発当たったら普通こうなるわよね....うう....なのに私ってばすっかり忘れて....」
「それは普通、即死だ」
ギノルタの突っ込みも意に介さずキリセはアスカロンの手当を始める。時刻は21時。三人は闇の中、明けない夜を越していく。
「....そんな馬鹿な」
深夜の邸宅にて。ギミーシェルターは画面に映し出されたリストを見て、憮然とした表情を浮かべる。ギノルタ、アスカロン、見知らぬ少女。その三人組には300クレジットもの賞金が掛けられていた。
(ギノルタが賞金首になる事は想定内。けれど、彼女を派遣したのは住宅区の中層。どうしてギノルタと合流している....?)
ギミーシェルターは、ふと誰なのか本当に何も分からず保留とした少女を見る。強盗に入ったという店の監視カメラの映像。解像度はあまり高くないが、何処からどう見ても印象や反応は一般人のものでしかない。
「....保護?」
「連絡を取れないのが歯痒いですが....そちらに予感はない」
電子上での連絡は、敵が巨大であればある程に信頼性を失う。どれだけ秘匿しようと相手に神が協力していれば、盗聴を防ぐのは難しい。ギミーシェルターは確認を切り上げ、外出の準備を始める。
予感....彼女を動かしているのは、それだ。クワイトという組織が纏う嫌な空気。狂気の沙汰とも言える判断基準を、しかし彼女は信用し、最大級に警戒していた。
(私に向けられているなら、逃げれば良い。アスカロンに向けられているなら、護れば良い。けれど)
何に向けられているのかさえ分からない、漠然とした危機。形を捉えられない、知らない概念に対して明確な対抗策を用意する事は不可能だ。
(....それに比べれば、レッドツェッペリンへの対策は楽でいい....)
映像内に存在を確認した現実的な脅威であるレッドツェッペリンへの対抗措置。本来ならば困難どころの話ではない難問をギミーシェルターはそう評し、自らの邸宅を発った。
朝の6時。心地良い目覚めを享受するにはあまりにも昏い小屋の中で、アスカロンは瞳を開く。
「ん....」
彼女は意識を闇へ誘うような暖かく柔らかい束縛を感じ、そちらに視線を向けた。そこには、抱き着くようにして寝息を立てるキリセの姿がある。
「....」
少女は、細身ながらも柔らかく、妙な危なっかしい色気を漂わせている。近くで見れば見るほど、その姿は可愛らしい。
「....」
ゴクリと、唾を飲む。可愛い妹分だからと言って、アスカロンが邪念をまるで抱かない訳ではない。短くも濃密な旅路で育った好意が、寝惚けた薄弱な意識と混じり合い、その手をキリセの下半身へと伸ばさせ....
「起きたか、アスカロン」
「っ!?!?」
ビクリとアスカロンの身体が跳ねる。サッと視線を移せば、そちらには不機嫌そうな様子を崩さないギノルタが座り込んでいた。
「ちっ....違う!これは私の意思じゃない!血の迷いだ!」
誰に言われるでもなく言い訳を始めたアスカロンを、ギノルタは呆れたように眺める。
「なるほど、確かにそうした力を持つ妖精は存在するかもしれない。しかし、今の行為は完全にお前の意思で行われていたように見えるが」
「うううっ....!」
「んー....?」
二人の声に反応したのか、キリセが微睡みから覚醒し....必然的に、気付く。目の前にはアスカロンの姿。その手は自分の下半身に伸びて──
「....キ、キリセ。これは、その....」
「....いいよ?」
キリセに、淫猥な笑みが浮かぶ。
「えへへ....アスカロンって見られながらスるのが好きなんだ。良いこと知っちゃったぁ♡」
「そんな趣味はない!ただ、そこの男の存在を忘れていただけで──」
「....へぇ....」
「....じゃあ、続きは二人の時に....ね?」
「うぅっ.....」
混乱した理性が、誘惑に眩む。沈黙。それは最早、キリセの誘いを受け容れているのと同義だった。
「キリセ....」
「──双方起きたならば、今後について話したいのだが」
「えッあっ....」
目の前で起きている色事にまるで興味がないのか、にわかに漂い出した淫らな空気を切り捨て、ギノルタが提案する。いつの間にやら、その肩には鳩が止まっている。
「そ、そうだな....!」
正気に戻ったのか、アスカロンは焦りながらキリセの腕の中から逃れる。キリセも少し残念そうな様子ではあるが、大人しく起き上がる。
「でも、暫く休むって話じゃないの?二人とも大怪我してたんでしょ?」
「む....怪我?ああ....」
アスカロンは額に巻かれた包帯を取り外す。そこには、怪我の跡すら残っていない。
「そのくらいなら、もう治っている」
「同じく」
ギノルタも服には弾痕が空いているものの、その下に覗く肌は傷一つ付いていない。キリセは、些か憮然とした表情を浮かべる。
「....ハンターってみんなこうなの?」
「我々のように活動を続けるハンターは必然的に上手く休む方法を熟知している」
「....夢を叶えるまでの道程は思ったより長そうねぇ....ああ、それと....ちなみになんだけどさ。ちょっとギノルタに聞いてもいい?」
「何だ」
「どうして肩に鳩が乗ってるの?」
木に止まっているような平然とした顔で肩に乗る鳩に、キリセは流石に疑問を持つ。対するギノルタは"ようやく話を戻せる"と言わんばかりに嘆息する。
「これは特別製の伝書鳩だ。ギミーシェルターの指令を送る役割を担っている」
呼応するように鳩が誇らしげに鳴く。よく見てみると、ギノルタの服の襟に二本の枝が刺さっている。
「「....」」
「....アンタそれ、人間じゃなくて、巣....」
「と、兎に角。ギミーの奴が何か言っていたという事だな?」
アスカロンが分かりやすく空気を読み、キリセの言葉に被せるようにして疑問を投げ掛ける。ギノルタはそうした機微を解そうともせず、至極真面目に頷く。
「ああ。計画は組み上げられた。後は実行に移すのみ。レッドツェッペリン、奴には苦杯を喫して貰う」
勇ましく鳴く鳩に思わず噴き出したキリセを、アスカロンが軽く叩く。悦びながら