「....ひどいな」
顔を顰めるアスカロンの前に広がるのは、大量の血痕。二人は、最新の事件現場へと赴いていた。
「血痕もそうだが、匂いが酷い。死体は片付けられている筈だろう。なんだ、これは」
「硫黄の匂いに近いですね。それに、見て下さい」
白磁器にも似た手が、壁を指し示す。そこには焼け付いたような跡が残されていた。
「通常の兵器とは
「炎の魔術....それは、人狼が使えるものではないな」
「ええ、人狼はナノマシンの産物。科学の領域の存在であって、魔法の領域には関係しない。妖精が人々のイメージによって形作られる以上、妖精としての人狼があり得ない訳ではありませんが」
「情報を総合すれば、硫黄の匂いを漂わせ、火を操り、犬のような姿をした妖精、か....いや、待て、その特徴は聞いた事がある!」
少し考えて、ハンターとしての知識が結論を出す。
「"ヘルバウンド"、あの邪妖精じゃないか?」
「流石はアスカロン様、私も同意見です」
ヘルバウンド、かつて伝承として語り継がれて来たその存在は、堕天特区において現実的な脅威として扱われている。人は本能的に暗闇を恐れ、存在しない何かを思い浮かべる。魔力に溢れた世界は、その空想を元に妖精を生み出す。即ち、夜闇に紛れ、人を襲う魔犬を。
「となると、私も気合を入れなければな。ふふ....」
アスカロンは待望するような笑みを浮かべる。ヘルバウンドを相手に常人が束になろうと餌か孕み袋にしかなり得ない。だが、戦闘に特化した一流のハンターにとって、ヘルバウンドは主な討伐対象なのだ。
(....これだけの力を得たんだ。私だってやれるはず....)
つまる所、彼女はギミーシェルターに絆されてこそいるが、それだけだ。力を得て、調子に乗っている事に変わりはない。
「あ....そういえば、ギミー。ヘルバウンドと特徴が一致するとは言ったが....その、"大きいの"とか、"長いの"とかも一致する、のか....?」
「....」
「....ギミー?」
他愛もないアスカロンの疑問に対して、ギミーシェルターは返答しない。ただ、警戒するように、辺りを見渡していた。
「....硫黄の匂いが強まっている」
「硫黄?いや、別に──」
──刹那、暗がりから"影"が飛び出す。
(....え?)
燃えるような赤い瞳。漆黒の巨躯。それは確かに、アスカロンが求めていた"討伐対象"で....
「■■■■■■■ッ!!」
「ひっ──」
ヘルバウンドとは、生半可な覚悟では相対出来ぬ死の先触れ。人理の外側に位置する恐るべき怪物。咆哮と威圧感が"半人前"の全身を灼くように苛む。
(....動けない....)
「■■■■■....」
赤い瞳の怪物が、二人を視認する。
「あ....ぐっ!?」
その時、完全に萎縮したアスカロンを衝撃が襲う。
(ヘルバウンドによる攻撃....いや──)
硫黄すら打ち消し、心地よい香りが鼻腔をくすぐる。柔らかな肢体が強く感じられる。
「ギミー!?」
ギミーシェルターはアスカロンを抱き抱え、
「──ご安心を、逃げ足には自信がありますので」
駆け出した彼女のスピードに、ヒトの脚では一瞬たりとも追い付く事は叶わないだろう。ヘルバウンドですら、敵わない。そうして、ギミーシェルターとアスカロンは襲撃から逃れる事に成功した。
事件現場から遠く離れた裏路地にて、ギミーシェルターはふうと息を吐き、身体の緊張を解す。
「ここまで来れば安全です」
「....そ、そうか、それなら、良かった....」
「いやはや、あそこで遭遇してしまったのは、不運な事故でしたね。あれと一人で戦うのは少々危険かもしれません。ここは一つ、援軍を呼ぶべきかと」
「....そう....だな....」
「....ところで」
漆黒の瞳が、体を震わせ自分から離れようとしないアスカロンを困ったように見つめる。
「私、既にアスカロン様の事は離していますので、もう抱き返す必要はありませんよ?」
「っ....うるさい....」
そう言って、軽く足を蹴る。反抗的な態度だが、その身体は完全にギミーシェルターへ預けられていた。完膚なきまでに、自信が叩き壊されたのだ。
「....仕方ありませんね」
ギミーシェルターは壁を背にし、片手を腰に回し、もう一方で優しく頭を撫でる。
「あう....」
それだけで、アスカロンは劇的に大人しくなる。震えも、反抗も止んだ彼女は、首元に顔をうずめ、その香りを堪能する。
「すぅぅ....んっ....ふぅ....それで、援軍、だったか....?」
「はい、私に一人心当たりがあります。とても心強い方です」
「....分かった。ギミーに、任せる」
「そうですか!では私は話を通しに参りますので──」
「それはいやだ」
アスカロンの抱擁が、浮かび上がって来た僅かな震えと共に強まる。
「....?」
「もう少し、このまま、居てくれ」
「....」
それは、ギミーシェルターの想定したタイムスケジュールを破壊する懇願だった、が....
「....本当に、仕方ありませんね」
止まっていた手を動かし、ゆっくりと頭を撫でる。腰に当てた手が、子供を寝かしつけるようにトン、トンと心地よい刺激を与える。
静寂に満ちた優しい時間は、長く、長く続いた。
夜の9時、依頼の受注から21時間が経った頃。ギミーシェルターは元の調子を取り戻したアスカロンと別れ、繁華街を足早に歩いていた。
「そろそろ、24時間....」
ハンターに対する依頼というのは、基本的に早いもの勝ちだ。どのタイミングで受けたのかによるが、概ね24時間を越えた辺りからは他のハンターが依頼を達成しないか、という点で"運"が必要になってくる。
「あまり、"それ"に頼りたくはないですね」
ギミーシェルターは獲物が横取りされる心配をしている訳ではない。彼女は自身がそう望む限り、不自然な程の幸運を掴む事が出来る。しかし、幸運は常に有限であり、尽きれば致命的な崩壊の原因になり得るとも、理解していた。
「魔力の流れからして、恐らくこの辺りに....良し」
忙しなく動いていた足が止まる。そこは、何の変哲もない壁の前。しかし彼女は迷いなく手を伸ばし、鍵を開くような動作をする。
「"ガチャリ"」
その瞬間、世界からギミーシェルターの姿が消失した。
「おっと....」
天井から、逆さの状態で"出現"したギミーシェルターは、その体を捻り、上手く着地する。辺りを見渡せば、光るキノコが光源となり、無数の小屋が映し出される複雑怪奇な洞窟が広がっていた。
「少しばかり位置は悪いですが、成功ですね」
目的地に着いた事を確認し、ギミーシェルターは頷く。そこはゴブリンマーケット。インプやゴブリンといった悪戯妖精が盗品を売り捌く、人の世と断絶された"異界"だ。
「失礼、少し宜しいでしょうか?」
「んー?」
ギミーシェルターは、早速近くの平凡なゴブリンに声を掛ける。
「なぁに?おねーさん、わたしになにか用事があるの?」
可愛らしい褐色の少女。その風貌だけを抜き取れば、人間でないようには見えない。しかし頭には角が生え、指も長く、何より服を着ていない。その淫靡で、しかし人間らしい様相は、彼女らが駆除から逃れるのに、或いは気に入った人間を誘惑するのに役立っていた。
「ええ、最近、他の妖精....ヘルバウンドによって縄張りを追いやられて商品を供給出来なくなったゴブリンが居れば教えて頂きたいのですが....」
「あ〜、いるよ。こっち、こっち!」
そう言って返答も聞かず妖精らしい素早い身のこなしで道なき道を突き進むゴブリンを、ギミーシェルターは追跡する。少しして、ゴブリンは1つの小屋の前で止まる。
「はい、ここ!じゃあね〜」
そうして、お礼を聞く事もなくゴブリンは去っていった。
「....嵐のような行動力は変わりませんね。あれは特に忙しい方でしょうが....」
通常では知り得ない事を知る妖精は貴重な情報源だ。故に、彼女には懐かしむ程度にゴブリンとも交流が存在していた。ともあれ。ギミーシェルターは気を取り直して小屋の扉を開く。
「つらい....」
「うあー....」
「ぐだぐだ」
そこに転がっていたのは、嵐とは似ても似つかない3匹のゴブリン。彼女らは、完全に脱力して、床に寝そべっている。元気の塊のような妖精としてはかなりの異常事態だ。
「少々宜しいでしょうか?」
3匹は、そこでようやく自分たち以外の存在に気付く。
「おきゃくさん?」
「いまはなにもないよー」
「つらつら」
「いえいえ、商品は必要ありません。私、あなた方とお話をする為に伺ったので」
「わたしたちと?」
堕天特区内の大半の盗難事件の原因である彼女達は、時に虐げられ、時に愛される。故に、ようやく"ちょっと妖精っぽい人間"の存在が警戒と興味を引いたのか、ゴブリンたちが起き上がる。
「それってきもちいい?」
「それともおとしまえー?」
「がくがく」
「落とし前?まさか!あなた方に害意はありません。話というのは他でもない、あなた方を追いやったあのヘルバウンドの事です」
「へるばうんど!」
「あの、こわいこわい?」
「とられたー」
「ええ、怖い怖いヘルバウンド。縄張りを追われてあなた方も大変ですよね?」
「なにもできない!」
「すごくひまー!」
「こわいこわい....ふふ」
彼女らは小さな身体を精一杯動かし、過剰なくらいの身振りで大変さを表現する。実際、悪戯妖精にとって、何もできない状況は存在意義に関わる致命的な状況なのだ。
「そうでしょう、そうでしょう。心中、お察しします。そこで....なのですが。50クレジット。50クレジットを支払って下されば、この私、速やかにヘルバウンドを討伐することを約束します!」
「ほんとに!?」
「おおー!」
「....いや」
「おかしくない?」
1匹が、冷えた口調でそう指摘する。
「....ほう?」
「ヘルバウンド、どうせすぐ死ぬ」
「怖いやつは、人間がいつもクレジットを出してるから」
「なのに、わたしたちが払う必要、ある?」
....そして、その疑問は、必然的に他の二匹にも同様を気付きを与えた。
「....たしかに、そうかも」
「ならどうしてここにいるのー?」
「....クレジットのため」
「はらわなくていいのに?」
「じゃあ、つまり」
「
身振りが止まり、ゴブリンたちは真顔で目の前の人間を見つめる。
....妖精は、決してカモではない。確かに純粋だろう。だが、恐ろしく勘が利く。そして、残酷だ。ゴブリンは暴力を好まない、しかし、
「ふくはいらないよね?」
「それより、あそびかたをきめよー?」
「めちゃくちゃ、ぐちゃぐちゃ」
ゆっくりと、彼女らはギミーシェルターに迫る。妖精にブレーキなどというものは存在しない。その残酷さの対象となった者に与えられるのは、人間性さえも犯し尽くす陵辱だ。しかし──
「いいえ、寧ろあなた方はクレジットを出すべきです」
自信に満ちた声に、ゴブリン達が動きを止める。ギミーシェルターの一言は、まるで魔術のように妖精の"指向性"を押し留めていた。
「....どういうこと?」
「んー....いみわかんない!」
「もう壊れた?」
"少しお時間を頂きます"と前置きし。ギミーシェルターの語りが始める。普通であれば気まぐれな彼女らは拒絶しさっさと目の前の人間を玩具にしてしまうだろう。しかし彼女らはただコクリと頷き、次の言葉を待つ。
「ヘルバウンドは、人に害を成す妖精。だからこそ人々は
「「?」」
まるでなんの事か分からず首を傾げるゴブリン達に、ギミーシェルターは続ける。
「人は害を成した....物を盗んだあなた方を殴り、犯し、そして、時には殺してしまう」
「それってふつーじゃない?」
「そのくらいわかってるよー」
「こそこそ、大事」
「ええ、普通の事です。ですが、そうした暴力を抑える方法があるとしたら?」
「たすかる」
「うおー」
「すごすご」
剣呑な雰囲気は何処へやら、素直に賞賛し始めた妖精達を眺め、ギミーシェルターは本題へ切り込む。
「そこで必要になるのがヘルバウンド撃破の依頼金です」
「それはわからない」
「なんでさー」
「ぴょんぴょん」
「考えてもみてください。あなた方が大枚を叩いて地域の問題を解決しようとしたとなれば、人々はあなた方を賞賛する。その献身に感謝し....暴力に訴える人間は大きく減るでしょう」
「それはいい、かも....」
「なるほどー」
「ううん....」
「おや、どうかしましたか?」
ギミーシェルターは概ね好意的な反応を返した2匹のゴブリンではなく、微妙な反応を返したゴブリンに焦点を当て、理由を問い掛ける。まるで、それを待っていたかのように。
「人間、もうクレジットを集めてる。ちゃりちゃり。今からで、間に合う?」
「勿論、そこで私の出番です!クレジットを払って下さればヘルバウンドが打ち倒された後、更にこの私があなた方の偉大な献身を伝え広めましょう!つまりここでの報酬とは、宣伝費とも言い変えられます!」
「ふむふむ。おねーさんが、間に合うために、頑張る?」
「その通り、面倒な事は全てこのギミーシェルターにお任せ下さい!」
「「「おおー」」」
ゴブリン達の意見が、クレジットを渡す側に寄ってくる。彼女が提唱したこの方法には、利とも害ともつかない大きな"穴"が存在したが、ゴブリン達は、それに気付かない。最早、必要なのは最後の一押しだけだった。
「それに....そもそもあなた方にとって
「....」
それは、クレジットによる取引という概念を根底から覆しかねない指摘で。にも関わらず、ゴブリンという存在の本質を突いていた。金を集める事を生き甲斐とする妖精は確かに存在する。しかしゴブリン達はあくまでも悪戯妖精。悪戯にこそ存在意義が宿り、マーケットの経営すらも"戦利品"が生み出す価値を、悪戯そのものの価値に重ね合わせているに過ぎない。クレジットはその副産物。確かにとても便利だが、主目的ではない。だからこそ──
「「「たしかに!!!」」」
ゴブリン達は、ギミーシェルターのこの言説に大いに賛同した。
「それならもっといかない?」
「ばいにしちゃおー」
「四倍、四倍」
「ならはちばい!」
「もういっそぜんぶ──」
「100クレジットで結構です」
天井知らずに数値が跳ね上がっていく謎の妖精オークションを静止し、ギミーシェルターは想定していた100クレジットで増額を打ち止める。何故か、ゴブリン達の側から不満の声が上がるが、彼女は意に介さない。
「じゃあ、はい。100くれじっとー!」
ゴブリンの1匹が売店の中を漁り、目の前の人間に100クレジットを放り投げる。前払いというのは堕天特区において信頼性もなにもあったものではない最悪の支払い方法だったが、そもそもここは異界。人の常識が通用する場所ではない。
「感謝します。それでは私はこれにて」
頭を下げ、その場から去る。難なく追加報酬を手に入れた彼女は、懐から携帯電話を取り出す。
「夜分遅くに失礼、カリブ様。ええ、依頼が一つ。報酬は50クレジットに、ヘルバウンドの素体。出現地点は特定済です。それと──」