雑多に建てられた建造物の上。高低差や凹凸もひどい屋上を跳び移り、飛び越し、一つの影....ギミーシェルターは、風よりも速く移動していた。彼女にとって、行為自体に苦はない。けれども、その様相は差し迫ったものだった。
ピカソの館から、アスカロンの事務所へ戻るのに3分。不在の情報の抹消を確認し、少々"無理"をしてアスカロンの行く先を調べるのに50分。そして今....屋上から飛び降り、廃倉庫に着地するまでの過程に4分。1時間を切る常識外れのスピードに対する彼女の考えは、一つ。
「
彼女は廃倉庫の扉を蹴り飛ばし、中に入る。
「アスカロン様!」
声は帰って来ない。一度で彼女はその方法を棄却し、周囲の"気配"に集中し始めた。
「....誰か居る....!」
「ご無事で──」
....けれども、脚が彼女に行動を命じる事は出来ない。ギミーシェルター。彼女は、その場を見て動きを停める。
「....」
アスカロン、確かに彼女はそこに居た。けれども、服は全てはぎ取られ、秘部の周りは、大量の白濁液で溢れていた。何より....その瞳は、虚ろだ。外部からの情報を受け入れていない。何もかもを遮断する、廃人の瞳をしていた。
「....ああ....」
偽装を忘れた機械の脚のまま、ふらふらとアスカロンに近付き、その側で崩れ落ちる。
「....わたしは....また....」
手を握る。反応はない。顔を見つめる。反応はない。瞳を覗き込む。反応は──
「....ぁ....」
アスカロンの瞳が、僅かに、意志を帯びる。
「....ぎみぃ....?」
「──!」
それは、如何なる奇跡だろうか。誰よりも念入りに"破壊"された筈のアスカロンは、明確な指向性を持って、ギミーシェルターと相対していた。
「....あいつ....は....」
「っ....大丈夫、大丈夫です....もう、誰も居ません、私とあなただけ....大丈夫だから....」
「....ちがう....」
アスカロンは首を振り、握られた手を、握り返す。
「...."酸素"....」
そう言って、瞳を閉じる。精神を叩き壊され、衰弱しきっている筈の存在。彼女には、してやったりとでも言うような笑みが僅かに浮かび上がっていた。
「アスカロン様?」
すぐさま脈を測り、身体の状態から体調を推定する。怪我はあるが、少なくとも物理的には致命的な状況ではない。
「....気を失っただけ....ですね。良かったとは、決して言えませんが....」
簡易的な応急措置を行いながら、ギミーシェルターは彼女の最後の言葉について考える。
「....
その双眸は、黒と表現する事すら憚られるほどの虚空に染まっていた。
バースカンパニー。外壁区の下層に本社を構える
「やれやれ、超越者として生きるというのも楽ではないな──」
ニヤリと笑い、自らの手を透明化させる。それは、光学迷彩などとは別格の力。周囲を誤魔化すのではなく、"瞳に映らなくなる"という圧倒的な力の発現。愚痴、というのは建前でしかない。彼は明らかに、自らの力に強く酔っていた。
彼は、"本土"である日本の大きな企業を支配する一家の次男として生まれた筋金入りのエリートである。しかし、だからこそ、跡継ぎである兄と比べられる事、自分が劣っていると思われる事に強い不満を抱えていた。堕天特区に商機を見出し、自ら起業を行ったのは、その為だ。
才覚....特に、極めて高い魔術的素養を持ち合わせていた彼は会社を瞬く間に成長させたが、結局の所、行き詰まる。暴力による既得権益。堕天特区においてはありふれた概念。商品の品質などとは全く別ベクトルの要因によって、快進撃は打ち止めになった。触れてはいけない領域に手を出し、大量の賠償金を毟り取られ。優秀な社員も奪われてしまった。
彼が力を得たのは、そうして行き詰っていた頃だ。最初は、吸血鬼に襲われるという不運な遭遇。しかし、たった一度噛まれただけで彼は吸血鬼と成った。
最初に"親"、自分を吸血鬼にした存在を殺し完全な解放を得た。それからは好きに血を吸い、好みを女を犯し、あらゆる証拠を消し去る事で自由に生きた。金を毟り取った会社の社長を殺した事もあったが、最早彼にとっては、自分の会社でさえ矮小な存在でしかない。
裏社会の大半が、吸血鬼によって支配されているという事実。それを知った時、彼に浮かんだのは同族への畏怖ではなく、支配の可能性についてだ。
(あと少しで、吸血鬼達とのコネクションが得られる。そうすれば、後は連中をこの力で従え....私が裏社会の、ひいては"世界の支配者"となる)
「ククク....」
青天井の果て。机上の空論。しかしそれこそが、彼の野望であった。
(だというのに、訳の分からんハンター風情に負ける訳にはいかない。ギミーシェルターは良いとして、ギノルタ....奴はなんとしても殺さねば....)
ギノルタに付けていた追跡の魔術。釣り餌として運用し、話を聞きに来たハンター諸共暗殺する為の印が消え失せたのを彼は確認していた。
(理由は分からないが....魔術に勘付かれ、何らかの方法で解除されたのだろう。面倒な....)
彼にとって、目下最大の脅威はギノルタの存在だ。要人の暗殺に特化した狙撃手を襲撃を回避し、魔術的な追尾を撒き、自分から完全に雲隠れした存在。 その上、電子上で収集した情報は、ギノルタが超一流のハンターである事を克明に示していた。
(当然、真正面から戦ったとて負けるつもりは更々無いが....念には念を入れなければ)
情報屋に裏社会の貿易商、"清掃"業者から存在しない企業の長まで。複数の顔を使い分け、あくまでも迂遠に、しかし確実にギノルタの暗殺計画を組み上げていく。その陰謀の手練手管は情報を積み上げ、一つの未来図を組み立てるギミーシェルターにも似て....しかし明確に一つの要素で相違していた。
彼には、致命的に危機感が欠如している。
「....うん?」
追跡者を探知する電子の網に、奇妙な情報が引っかかる。それは皇帝の名を関する、あまりにも原始的な暗号によって構成されていた。
(こいつ....隠す気があるのか?)
アプリを使用し、1秒足らずで暗号を解読する。どうやらそれは、メールのようだった。
"吸血鬼オキシジェンへ"
「──!?」
全身が総毛立つような感覚が彼を襲う。何の予兆も、先触れもなく、送られたメールの宛名は彼の正体を看破していた。咄嗟に差出人を確認する。
「"ギミーシェルター"....!」
隠す必要などないという風に、その名は堂々とメールに書き込まれていた。
混沌の中で忘れ去られた土地。過密都市に残る空白地帯。夜闇の中、記憶にも新しい廃倉庫をオキシジェンは再び訪れていた。違いがあるとすれば、待たされているのは彼である、という事だろう。
「クソッ....」
ギミーシェルターからのメールは、廃倉庫に一人で来るようにと要求するものだった。本来の彼ならば絶対に受けない要求だろう。しかし、断った場合"吸血鬼として行ったすべての行為を明らかにする"という一文が、彼を此処に縛り付けていた。
「....だが....まだ終わってはいない....」
しかしそれが、完全な絶望ではないとも、信じていた。
(付近に罠が仕掛けられていない事は確認した。総力を挙げて調べ上げたが、ギミーシェルターに何らかの警備会社、ハンターと協調しているような記録はない。単に私を破滅させるのではなく、強大な力を利用しようと考えているのなら....或いは──)
ガチャリと、扉の開く音がする。開いた扉の先を見れば、誰も居ない....という事もなく、笑顔のギミーシェルターが立っていた。
「こんばんは、オキシジェン様。今宵はどうぞ宜しくお願い致します」
オキシジェンは、目を丸くする。しかし、慇懃そのものの態度に、ではない。彼女の周囲には、護衛が誰も居ない。
「....一人なのか?」
「ええ、この場には私以外の人間はおりません。その方が話しもしやすいでしょう?」
その返答は、ギミーシェルターへの脅威視を大きく薄れさせるものだった。
(こいつ....大した仲ではなかったのかもしれないが、知り合いが襲われているんだぞ?もしも私が襲い掛かって来たらどうしようだとか考えなかったのか?)
彼女は機械化しているようにも、武器を隠し持っているようにも見えない。戦闘を行おうともしない丸腰の素人相手なら、一瞬で制圧できると、そう確信する。
(....いや、恐らく、今まではこうしてコネを増やしていったのだろうな....だが、私には通用しない。彼女の交流関係は魅力的だが、面倒な事になったら、さっさと殺してしまおう....或いは、これだけ美しい女なら肉人形として飼ってやるのも悪くない)
「ああ、有り難い配慮だ。恩に着るよ、ギミーシェルター」
表面上はあくまでもフレンドリーに。交渉がどう転んだとしても、最終的に相手をどうにかしてしまえば良いという結論は、彼に大きな余裕を与えていた。
「....さて、先ずは私のスタンスを明確にすべきですね。私はあなたという存在を金に変えられると考えています。あなたの力、魔術、そして立場は社会に対して大きな影響を与えられるでしょう」
「....ふむ」
(概ね予想通りの算段だ。こいつは私に利用価値を見出している....)
「君のその考え方は正しい。まさにそれこそが私の夢なのだ」
「夢、ですか?」
オキシジェンは両手を広げ、大物ぶった笑みを浮かべる。
「吸血鬼という存在は、酸素に似ている。堕天特区を見てみろ。上の連中は、市民に何の関心も持っていない。裏社会を牛耳り、支配する我々こそが市民の需要を満たしている。我々がどれほど苛烈な猛毒だったとしても、存在しなければ、社会は成り立たない」
「....」
「──故に私は、この強大な力によって、吸血鬼を支配する。私という単独の存在が裏社会を牛耳り....
理想を語り終えた彼は、ハッと正気に戻り一つ咳払いをする。どれだけねじれ、歪んでいたとしても、そこには未来への希望が詰まっていた。
「....大きな理想を、お持ちなのですね」
「....あ、ああ」
だからこそ、オキシジェンはその言葉に揺らぐ。
(....そういえば、自分の野望を誰かに語った事など、あっただろうか。いや、あり得ない。ある筈がない。誰からも自分の正体を偽り続けていたというのに。しかし....)
じっと、目の前に立つ女を見つける。彼女はただ、にこやかな笑みを浮かべていた。
(彼女が私に付くなら、自分を偽る必要はない)
「....そうとも。そして私の理想は何れ実現する事になるだろう。ギミーシェルター....君ならば、この理想の終着点を共に見つめる仲間として足る筈だ」
オキシジェンは、ギミーシェルターを仲間として迎え入れる選択肢も悪くないと考え始めていた。何もかもを支配したその時、隣に彼女が居るのなら....それはきっと、素晴らしい事であると。
「理想の終着点....ええ、確かに。"そこ"には興味があります。とても」
「ならば....」
「──その上で一つご質問したいのですが、昨今の強姦事件、並びに殺人事件にはどのような意図があるのでしょうか?」
「....ん?ああ....そんなものは単なる趣味の範疇だ。強姦は勿論、血を吸うにしても適当な血袋を用意すれば、それで済む。君がどのような計画を建てているのかは知らないが、別に今すぐ止めたっていい」
彼にとって、それは本当に大した事ではなかった。上位者たる自分が、人類を使って行う遊戯。その程度の認識でしかない。
「....そうですか。なるほど、なるほど」
彼は、知り合いを廃人にしたその行為の重大さを、気にしながらも軽視していた。彼女にとって、どれだけ致命的な出来事だったのか、まるで理解していなかった。
(....うん?)
だからこそ、自分に向けて投げられた物について、理解が及ばない。地面に落ちた頃になって、ようやくそれが"手榴弾"だと理解する。
「な──」
爆発が彼を襲う。全身を苦痛が掛け巡る。しかし、手榴弾の直撃を受けた程度で斃れはしない。吹き飛ばされて崩れた体勢を整え、身体を透明化させる。
(何故あのタイミングで攻撃された!?クソッ....こうなったらやるしかない....!)
混乱を抑え、ギミーシェルターをギロリと睨む。しかし....彼女もまた、真っ直ぐオキシジェンを見ていた。
(....なに?なぜ私を....)
そこでようやく、彼は自分に向けて水が降り注いでいる事に気付く。爆発によって、消化用のスプリンクラーが起動していた。
(しまった、これでは私は"水が降り注がない場所"に居る事が確定する....!)
「貴様、計ったなッ!」
「計った?ええ、その通りです。手榴弾は、私自身の"お返し"。そしてこの状況は....あなたを殺す為の策」
「っ....舐めるなッ!私は、姿を見られている程度で小娘の一人も殺せなくなるような存在ではない!」
彼はギミーシェルターに向けて疾風の如き速度で飛び掛る。だが....
「ガアァッ!?」
悲鳴を上げたのは、襲い掛かった筈のオキシジェンだった。彼は後方に吹き飛ばされ、倒れる。凄まじい衝撃が、透明化を消去する。その腹には、大きな穴が開いていた。
(な....何が....?一体何が起こった....?)
激痛、どころの話ではない。腹部の感覚が完全に麻痺していた。気持ちの悪い喪失感が彼を包む。
(意味が分からない....だが....これは....)
(催眠術だとか、超スピードだとか、そんな
「ギミーシェルター....貴様....何をした....?」
オキシジェンが顔を上げる。そこにはギミーシェルターの他、もう一人──
この世界において、フィクション的な文化というのは排除される傾向にある。なぜならば、そうした漫画、小説、映画は既存の概念に異なる性質を付与し、同名の"新たな妖精"を発生させかねないからだ。で、あるのならば。
21世紀と20世紀の狭間に、とある漫画が生み出された。二人の少年に端を発し、長く、長く人々に愛される事になる数奇な冒険譚。そこには、とびきり有名な吸血鬼が存在している。恐ろしく強大な力を持つ、始まりのひとり。その名は──
「ボクが、
"
「な....」
「あはは、どうして驚いてるのさ。君だって、特別な力を得た吸血鬼だろう。まさかそれが、自分だけだなんて思ってたの?」
地に伏せるオキシジェンに、金属製の床がカツン、カツンと等間隔の衝撃を伝える。それは、ゆっくりと、近付いてくる。
「裏社会の掌握、世界の支配。随分とゴキゲンに語ってたけど、それは、随分と無茶な話だ」
「う....ううう....」
「仮に世界を支配する存在が居るとしたら、そいつはたった一人で世界が孕む絶望的なまでの無意味さって奴を抱え込まないといけない。君は化物ですらない、
最早、オキシジェンには目の前の女が語る言葉も聞こえていない。ただ、絶対的な恐怖が、彼を包んでいた。
(....か....格が....違う....)
同じ吸血鬼であるが故に....理解してしまった。"それ"と相対してしまった瞬間から、自分の行う全てが
突進も無駄、撤退も無駄、努力も無駄、抵抗も無駄、奮起も無駄、憤怒も無駄、悲哀も無駄、後悔も無駄──
「や、やめ──」
「その命乞いは、もう
「──」
何かを語ろうとした。けれど、声は出ない。ふと、オキシジェンは自分の身体に目を向ける。彼の胸には、心臓を貫くように大きな穴が出来ていた。
(あ──)
視界が絶たれ、意識が底無しの穴に落ちていく。暗闇の中に、誰かの声が響く。
「....あなたを、許す訳にはいかない」