ふと時刻表示を見てみると、夜は十時を回っていた。
家事を終わらせて動画編集を始めたとき、時計はまだ八時前後を指していたはずで。ここまで時間を忘れて作業をするのも久しぶりだなと思う。
そろそろ休憩しよう。指を組んで手を上げて、声を出しながら伸びをする。結ヶ丘を卒業してしばらく経った今でも、ストレッチは習慣として自分の身体に残っていた。いや、それは高校を、部活を共にした同居人のおかげかもしれない。あの子がいなければ引退して次の日にはやめていただろう。
その同居人は──今日はいない。大学の友達と飲んでくると言っていたから、もうしばらくで帰ってくるはずだが……そうでなければ次に会うのは明日だ。
高校の部活の記憶を思い出して、ふと懐かしくなった。休憩ついでに過去の記録を掘り起こしてみる。
結ヶ丘女子高等学校スクールアイドル部、Liella!。諦め続けた私が、諦めずに追いかけきった三年間。なにをしてもダメだった私が、初めてなれた一等賞。大切な仲間から、見てくれている人たちから、たくさんの愛を貰った日々。
パソコンを変えても、ハードディスクを変えても、このデータだけはいつでも見られるようにしている。私にとってこの思い出たちはそれほどに大切なものだ。
最初に写っているのは四人。それから九人になって、一時は八人になったこともあったが、最終的には十一人の大所帯となった。
見返してみれば数千枚、たった三年の短い記録。それでも私の人生で、青春で。私たちのすべての感情が詰まっているこの写真たちは、見るたびに感傷的な気分にさせられる。
「……また、みんなと会いたいですの」
フォトアプリのウィンドウを閉じて、モニター横にある一つの写真立てを見遣る。
そこには、最初の四人の写真。ラベンダー畑を背景に撮った、私と同期の三人が一緒に写っている写真だ。さっきの言葉を聞かれていたら、きっとらしくないと笑われるだろうな。
写真立てを手に取りながら、フレームについた埃を払ってしばし眺める。この二人は今どうしているだろうか。私たちと同じように彼女らも大学に入ってから同棲を始めているから、今更その仲を心配することもないだろうが。たまには連絡を取ってみようかな。
そこから視線が流れて、私の隣に写っている緑の目をした茶髪の少女と目が合うと。その瞬間、玄関の方からガチャリと鍵の開く音が聴こえてくる。よかった、ちゃんと帰ってこれたみたいだ。
近隣の部屋を気遣ってか、玄関ドアを閉める音はゆっくりで。かと思えば靴を脱いで部屋へやってくる音は騒々しく、どれくらいのお酒が入っているかがなんとなく察せられた。
勢いよく開けられたドアに苦情を恐れながら、雪崩のようにおしかけてくる声と体を優しく出迎える。
「ただいまっす、夏美ちゃ~〜ん!」
「おかえりなさいですの。お、お酒くさ……」
入るなり思い切り抱き着いてきたこの酒臭い女性こそ、先ほどの写真に写っていた茶髪の少女で、元クラスメイトで、Liella!の同期で、今は同じ屋根の下に暮らす同居人兼──恋人。桜小路きな子だ。
「む、ひどいっすよ夏美ちゃん! きな子そんなに飲んでないっす!」
「そんなこと言われても、お酒臭いのは事実ですの……早くお風呂に入ってきますの」
「む~、なんだか夏美ちゃんが手厳しいっす~……」
そう言いながら、唇をこちらに寄せてくる。あまりお酒の味のキスは好きではないけれど、してあげなければずっとこのままだろうな。
「ん……」
唇を隔てて、なんとなく香りが伝わってくる。かすかな麦芽の香り、ビールだろうか。のほほんとした印象にはどうにも似合わないが、しかしこれでワインやウイスキーの香りがしてもそれはそれで似合わない。似合わないことを覚えるのが大人になるということならば、それはなんだか悲しいことだと思う。
唇を離して改めて目を合わせると、アルコールのせいかあるいは。彼女の顔は薄赤く火照っていた。
「夏美ちゃん……」
「ちょっと、きな子……」
聞くや否や、また唇をつけてくる。今度はそれだけでなく、舌で私の唇を弱くなぞり、その手は服を潜って素肌を滑り、腹部を、あばらを、そして──。
そこに触れる前に、頭に軽く手刀を入れた。
「んにゃっ!?」
「流石に調子に乗りすぎですの!」
さっきまでの上気した顔と打って変わって、しょげた顔で頭頂を抑えるきな子。その隙に抱き着きからも逃れて、改めてパソコンの方へ向かった。
「……そういうことをするなら、ちゃんと身体を綺麗にしてきてからにしてほしいですの」
ああ、余計なことを言った。顔も姿も見てはいないが、彼女の動揺が肌で伝わってくる。
「お、お風呂行ってくるっす!」
せっかくスイッチを切れたのに、どうしてもう一度つけてしまったのだろう。これが惚れた弱みなの?
しょうがない。動画の編集もそこそこに切り上げて、私も心の準備をしよう……。
*
「ただいまっす、夏美ちゃん!」
「おかえりなさいですの。って、髪びしょびしょ……」
風呂場から上がってきたきな子の髪は、急いで出てきたことがすぐにわかるくらい濡れていた。
「あ、あはは……夏美ちゃんのこと待たせたくなくって……」
「せめてタオルドライくらいはしっかりやりますの。せっかく綺麗な髪なのに……」
外から帰ってきたばかりの人間に小言を浴びせる趣味もないし、洗面所からドライヤーと櫛を持ってきてベッドに座り込んだ。
「ほら、乾かしてあげるからこっちに来ますの」
「いいんすか? 夏美ちゃんに乾かしてもらうの好きっす!」
そう言いながら、とてとてと寄ってきて私の前に収まる。
タオルで水気を拭き取りながら、濡れて束っぽくなった髪へ少しずつ温風をかけていく。すると乾き始めた表面から束が解けていって、さらさらとした本来の毛質が表れてきた。
根本から毛先へ、あまり同じ場所へ熱をかけ過ぎないように、風の当て方を変えながら。
「気持ちいっすね~……」
顔は見えないけれど、なんとなく恍惚とした表情をしているのだろうなとわかる声で。
彼女はいつもこう言ってくれるが、実際のところどれほど自分のブローが上手いかなんてよくわからない。一応昔は妹にやることもあったから、それで多少は慣れているのかもしれないが。ただやっぱり、褒められて悪い気はしない。
彼女の髪質は私とも私の妹とも違う、素直で綺麗なストレート。こうやってまじまじと見るたびに、櫛を通してもほとんど引っかからないなと思うたびに、この髪を羨ましく思うことがある。普段は慣れて認識しづらいシャンプーの香りが、温風に乗って鼻をくすぐる。
「……本当に、触っていて気持ちのいい髪ですの」
「そうっすか? きな子は夏美ちゃんの髪も気持ちいいと思うっすし、羨ましいって思うっすけど」
「そんなにいいものじゃありませんの。変な風に広がるし、櫛は引っかかって痛いし……」
「そんなこと言ったら、ストレートだっていいことばかりじゃないっすよ? セットに時間はかかるし、セットしても長持ちしないっすし」
実際はどちらであっても悩みはあるし、しかしそれをわかっていながらも互いを羨むことはやめられない。結局のところ、人は自分の生まれ持ったものにどこかで納得して生きていくしかないのだろう。
「やっぱり神様は残酷ですの。こんな髪質一つでも羨ましがらせるために多様性を作るなんて」
「ふふっ。でも、きな子はむしろ感謝したいっす」
片目だけを覗かせるように、ただ少しだけ彼女が振り向く。
「神様がそんな風に違いを作ってくれなかったら、こうして夏美ちゃんとお話しすることが減っちゃうじゃないっすか」
違うから、バラバラだから。その言葉の意味する片鱗が、さっきまで見ていたLiella!の記憶と重なった。
彼女はもっと単純な気持ちで言ったのだろうけど、その偶然は私の感傷に沁み入って広がっていく。彼女に触れてなお片隅にいた寂しさが溶けていくのを知覚しながら、ドライヤーの電源をかちりと切った。
「はい、おしまいですの」
「ありがとうっす! じゃあ夏美ちゃん……」
期待に満ちた笑みを浮かべ振り返るきな子。ムードもなにもなくすぐに始まるのかとドキリとして、今にも近づいてきそうな唇を人差し指で塞ぎ止めた。
「んむっ?」
「その前に──」
きな子を引き連れながら洗面台へドライヤーを片付けに行き、そのまま二人分の歯ブラシを取る。
「歯磨きをしますの」
二人並んで歯を磨くのもいつものことだが、こういうときのきな子は歯を磨きながらも遠慮なく手を出してくる。流石に危ないからと体を這う手をはたきたくなるが、今日に限っては焦らしてしまっているのも事実で。なんとも文句の付け難い気持ちだった。
歯磨きを終わらせて、改めてベッドの方へ向かう……が、しかしこのまま寝れるのならそれ以上のことはない。最後の抵抗でもしてみようか。
「じゃあ夏美ちゃん、今度こそ──!」
そう言うきな子を尻目に電気を消して、最速でベッドへ滑り込み毛布をかけた。
「おやすみなさいですの~」
「……?」
よし、このまま寝てしまえば。そこまで言葉を浮かべた瞬間、感じたことのないほどの力強さでグイと仰向けにされてしまった。
「騙されないっすよ?」
声が低くなっているわりに顔は可愛らしいふくれ面で。ちょっとだけ罪悪感を覚えながら、彼女に身をゆだねる覚悟を決めた。
「じょ、冗談ですから……怒らないでほしいですの……」
*
両腕をベッドに押さえつけられながら、きな子のキスをたくさん受け入れる。そのうちに抵抗する気もないことが伝わったのか、腰や背中へと腕を回してさらに距離を近づけてきた。
「……さっさと寝ちゃうくらいなら、どうしてさっきはあんなこと言ったんすか?」
おっしゃる通り。
「なんといいますか……口が滑ったといいますか……」
「ふーん……」
言葉を濁らす私を冷たい返事で伏せ、また小さなキスが始まる。
何度かついばむように口を合わせたあと、次のキスは長く直接的に。唇をなぞられたさっきと違って、今度は一直線で舌を潜り込ませてきた。
絡み合った舌の感覚はくすぐったいような、しかしそれとも違うような。そのたび脚はシーツを擦り、呼吸のために漏れ出る吐息は熱を帯びて、感覚の証が触覚を、聴覚を通し伝わってしまう。そのうち私の脚も、覆い被さる彼女の脚に包まれてロクに動かせなくなった。
もどかしさが頭を埋め尽くしそうになったとき、ようやくきな子の唇が離れる。しかしそれで終わりではなくて、絡ませ合った舌もしまわずに、今度は私の首筋を上から下へと舐め始めた。
「ひぁっ……!」
彼女がゆっくりと頭を下げていくのに合わせて、急所を刺激されている実感が背筋を昇って脳まで響いてくる。舌は鎖骨まで到達して、止まった地点でチュウと強く吸い付かれた。
そのまま身体を起こされて、パジャマが一枚ずつ剥がされていく。ボタンが一つ外されるたび、服が一枚脱がされるたび、そんなことはもう何度だって経験しているはずなのに、今でも新鮮に緊張する自分がいる。
「じゃあ、夏美ちゃんがその気になるまでじっくりしてあげるっす」
そう言って、首や肩から少しずつ、全身にかけて細かくキスをされていく。二の腕と前腕は二回ずつ、手の甲と指先は一回ずつ。その間にブラジャーも外されて、上半身は自分だけになってしまった。
鎖骨を経由してもう片方の腕にもキスが来て、そうしながらも彼女の指先は常に私の素肌を滑っている。わき腹を何本かで流したかと思いきや、次には背筋を触れるか触れないかの力でなぞられて、神経に鋭いくすぐったさが与えられ続ける。
触ってほしい。いつしかそう思うようになった。ずっと触られているのに、だけどほしいのはそうじゃない。常に流れるくすぐったさ、その行き着く先。このもどかしさはそこでなければいけない。
けれど、きな子は明らかにそこを避けて刺激してくる。口づけも、指先も、来てほしいところには来てくれない。露わになった胸もまるで関心がないように、指と爪は掌を薄く掻き、唇は既に下腹へと移動している。
やがてズボンも脱がされて、着けているものはショーツ一枚だけになった。彼女が太ももの間に頭をうずめるけれど、やはり肝心なところは刺激してくれない。私の全身が彼女の唇で埋まっていく。
そのままどんどんと下に行って、最終的に足先まで唇は及んだ。足首ほどで止まるかと思っていたのに。半ば頬擦りしながら足を舐めるきな子の姿、生まれた感情は征服感よりも羞恥だった。
「きな子、そんなとこ汚いからっ……!」
「夏美ちゃんに汚いとこなんてないっすよ」
言いながらも舌は甲を舐め、指先は平を滑っていく。恥ずかしい。くすぐったい。くすぐったいって、こんな感覚だったっけ。
「──夏美ちゃん、触ってほしい?」
ゾクゾクとした感覚に声も出そうになったとき、意地悪な声で彼女がそれを口にする。寝転がる私に顔を近づけ嫌でも目の合う距離に来る。素肌をなぞって胸まで上ったきな子の手、その指の先には。刺激に飢え、どこよりも触れてほしいと張り詰める乳頭。
触ってほしい。きっと言うまでもない。しかし彼女はなおも触れずに、その指は乳輪のふちをくるくるとなぞっている。
「きなこっ……」
「夏美ちゃんはきな子にどうしてほしい?」
いつもの語尾もなくなって、ラフな口調で攻めてくる。手持ち無沙汰で耳たぶにまでキスをして。ああ、こんなの。
「さわっ、て……」
「どこを?」
わかっているくせに。
「いじわる、しないでっ……!」
まるで自分じゃないみたいだ。きな子の不敵な微笑みが滲んで写る。
「ふふっ、かわいい。じゃあ、意地悪しちゃった分いっぱいしてあげないとっすね……」
彼女の顔が私の胸まで降りてくる。吐息が先端に触れてぴくりと揺れた次の瞬間、求めていたあの感覚に身体中が支配された。
「んっ、はあぁっ……!」
ずっと求めていた、直接的な快感。私の乳頭を唇で挟んで転がして、舌を使って舐めまわして、もう片方も指を使ってころころと弄んで。
どれだけ触れられても繋がらなかった感覚が、快楽を与えられて初めて通じる。私が今まで感じていたのはくすぐったさなんて可愛い名前じゃない、快感なのだということが脳に叩きつけられる。そしてそれを理解した今、蓄積されたこのむず痒さはすべて快感の雛だったと理解した瞬間。圧倒的な快楽は身体に刻まれた彼女の跡を伝って全身に到達した。
「あっ、やっ……! も、むり、ぃっ……!」
身体が跳ねる。脚が伸びる。全身が打ち震える。声も出すのがつらくなる。押し殺した音は苦しみのよう、だけどそれは。
「んぅ~~~っ……!!」
絶頂。思考が一瞬にして白く染まる瞬間。脳がとろけるような快楽と至福。同時に、たったこれだけで達してしまったという羞恥。混濁する頭に、見下ろしてくるきな子の姿が映る。
「乳首だけでイっちゃうなんて、ちょっと焦らしすぎたっすかね?」
愛しいものを見るような笑顔は、こちらとしては意地悪にも見えて。でもそんな反発心すら、舌が入れば溶けて消えていく。
彼女が私の手を引いて、なすがままに起き上がる。すると彼女は座りながら後ろへ回っていき、脚を開いてその中に私を収めた。
包み込まれる。彼女の着るパジャマはさらさらしていて、素肌に触れると心地いい。お酒の臭いも抜けて、いつもの優しい香りと温かさが私を抱く。
服越しに彼女の音が伝わる。とくんとくんと、確かに生きている証が波打っている。きっと彼女にも伝わっている、私の生きている証が。
私たちは今、繋がっている。心の音も、呼気のリズムも、想いだって。
彼女の手が、最後の衣類を剥ぐ。糸を引く愛液は今までのどのそれよりも官能的に見えて、身体の昂りに心が追いついていく。
触れる。触れられる。身体のどこよりも触ってほしかったあの場所に。
「あ、ぁっ……!」
きな子の右手、その指先は割れ目を下からなぞって行って、陰核にまで到達した。
軽く触れられるだけでもじんじんと快楽が昇ってくる。いやらしい水音が響いた後、快感はさらに強くなる。
「ふあっ……! なかとそとっ、だめっ……!」
性器を刺激する指のうち、中指と薬指が膣内へ挿入ってくる。その間にも親指と人差し指はクリトリスを刺激していて、それだけでも快感を受け入れるのは限界に近いのに。
「じゃあもっと好きなことしてあげるっす……♡」
挿入っている指が、リズミカルに膣内を刺激し始める。しかもその場所は、私の弱いところで。
知られてる、弱いところも、気持ちよくさせる方法も、それが好きだということも。
高まる。心も身体も限界まで昂ってくる。それはきっと彼女も同じだ。攻める動きは激しさを増して。
「なつみちゃん、好きっす……ふわふわの髪も、大きいおっぱいも、さらさらでもちもちの肌も、ぜんぶ、ぜんぶ……♡」
耳元でとろけた言葉が積み重なるたび、お腹の奥から脈動が響く。“よろこび”が全身に響き渡る。
乳頭はきな子の左手に遊ばれて、膣内とクリトリスは右手で同時に刺激されて、嬌声を漏らす口も彼女の舌に塞がれて。
幸せ。こんなにいいようにされて、でも仕方ない、私だってこの子が好きだから。
好きな子にたくさん尽くされて、気持ちよくて、それがとてもしあわせで。きもちい、すき、きなこ、だいすき──。
「ひぁ、こぉっ……! ぁ~~っ……!!」
深い絶頂の波から私を守るように、きな子は私を抱きしめる。けいれんが過ぎ去っても同じようにしながら、二人して一緒にベッドへ身を預けた。
「なつみちゃん、かわいい……すき……」
私の髪をなでながらうわごとのように繰り返す。その言葉は余韻と疲労に侵された脳へと沁み入って、心地いいまどろみを呼んできた。
なでる手も止まりそうだ。きな子も眠いのだろう。私も取りたい動きを思い浮かべる前に、ほとんど本能だけで彼女と抱き合った。
「わたしも、だいすき──」
幸福な夜の記憶は、この言葉が最後だった。
*
朝、目が覚める。
なんだかよく眠れた気がする。まだ視界は晴れなくて、どれくらい眠っていたかはわからないけれど。
柔らかいベッドのシーツ、抱かれている恋人のパジャマ。その全部が滑らかで、素肌が擦れるたび気持ちがいい──素肌?
その意味に気がついて、隣で眠るきな子のことも構わず勢いよく飛び起きた。上も下もなにも身に着けていない……全裸。
身体に付けられた跡も相まって、一気に昨晩の記憶が蘇ってくる。ああ、意識がどんどん覚醒して、記憶に感覚までついてきた。されたことも思ったことも言ったことも全部全部……。
飛び起きた衝撃できな子も目が覚めたようだ。まだ眠そうに目元を擦りながら、こちらに向かって笑いかける。
「おはようっす夏美ちゃん、よく眠れたっすか?」
「……おかげさまで」
「それはよかったっす! きな子、やりすぎてたらどうしようかと……」
しっかり覚えているようで。その記憶力を恨めしく思いながらも、忘れられていたらそれはそれで気に食わないし、まだ覚えている方がマシだろうかと思い直す。
「じゃあきな子、頭痛いからもうひと眠りするっす……」
そう言ってぽすんと枕に頭を落とす。なんて自由な……せめて水の一杯くらいは飲んでから寝てほしい。
ため息をついて時計を見る。まだもう少し寝ていてもいい時間だが、流石にそんな気にもなれない。結局あの後はそのまま寝てしまったし、シャワーを浴びて昨日完成させられなかった動画を仕上げよう。
散らかった自分の服を回収しながら浴室へ向かう。仕方がないから、ついでにきな子への水も汲んできてあげよう。
*
『オ~ニナッツ~! 日々のあれこれエトセトラ、あなたの心のオニサプリ! オニナッツこと鬼塚夏美ですの~!』
編集画面の小窓に映る自分が、身振り手振りを付けて元気よく挨拶している。
──やっぱり、どうにも昨日の寂しさが顔を出してしまう。少し前まではこの画面にもっと多くの人がいたのに。ふとそんなことを思ってしまう。
今でもたまにきな子が出てくれたりするけれど、それだって二人だ。Liella!の動画を作っていたときとは比べ物にならない。
あの騒々しさが懐かしい。どこを切り取ってどこへ意識を向けさせて。それを考える時間が本当に楽しくて、面白くて。グループだからこそのやりがいもあった。
もう、戻れないんだ。それがやけに悲しく思えて、不意に視界が滲む。すると突然椅子の裏から腕が伸びてきて、それに優しく抱きしめられた。
「きな子……!? 頭痛はもう大丈夫なんですの?」
「平気っす。びっくりさせちゃったっすかね?」
言いながら、私の横へ移動してモニターを覗き込んでくる。涙を悟られないよう自然に目元を拭って彼女を見上げた。
「ねぇ夏美ちゃん。昨日きな子が帰ってきてすぐに夏美ちゃんにちゅーしようとした理由、わかるっすか?」
「え……急にしたくなったからじゃないんですの?」
「それもあるっすけど! それだけじゃなくて──」
言葉を止めて、少しだけ真剣な表情でこちらを見る。
「夏美ちゃんが、ちょっぴり寂しそうな顔をしてたからっす」
その緑色の瞳は、私のことをなんでも見通す眼のようで。
「きな子は、夏美ちゃんの心のオニサプリになれてるっすかね……?」
彼女もまた寂しそうな顔を見せる。そっか、私たちはもう、お互いの感情がわかるくらい一緒にいるんだ。
恋人にここまで言わせて、自分はなんて愚かなんだろう。これ以上不安にさせてしまったら、きっとみんなに怒られる。そう思って、椅子から立って彼女を抱きしめた。
「夏美ちゃん……?」
「昨日の夜、伝えたはずですの。大好きだと。それはお世辞でも方便でもない、心からの本当の気持ち」
私と彼女の身長差では、彼女を包み込むことはできないけれど。それはなんだか私たちの関係性を表している気がして。
「……きな子が隣にいてくれて、本当によかった。あなたがいてくれなければ、私はきっと懐かしさに押し潰されていたから」
彼女の肩に顔をうずめる。らしくない弱さを吐露して、それを彼女で隠して。きな子がいてくれるから、私は気丈に振る舞える。
でも、それでいいの?
「夏美ちゃんっ! 会いに行くっすよ、みんなに!」
両肩を掴んで勢いよく私を離し、またしっかりと目を見て言う。その表情は、みんなで夢を追っていたあのときと同じ。
「会いに行くって、みんな……?」
「みんなはみんな、Liella!のみんなっす! そりゃ今日や明日は無理かもしれないっすけど、でも会おうとしなきゃ、寂しいのを寂しいままにしてちゃダメっすよ!」
全部の意味が繋がって、私は小さく息を呑む。
どうしてこうも通じてしまうんだろう。私は一度だって寂しいだなんて言ってない、みんなと会いたいだなんて言ってない。
でも、願っていた。夢見ていた。またあの仲間たちと話せるのを、笑い合えるのを。そして彼女は、それを全部理解して。
「懐かしさで自分を傷つけるなんてもったいないっす。それは自分を元気づけて、今を頑張ろうって思うためのものだと思うから!」
呪いを祝福に変えてくれる。
きっとこの子は優しすぎる。相手の心の支えになりたいと言いながら、二言目には一人で立ち向かうための言葉をくれる。ただ相手のためを想って。
「──ええ、まったくもってその通りですの」
そんな子に、私はなにを返せるだろう。
ただ甘えるだけじゃなくて、私は私自身の脚で立つ。その上で。
「きな子、本当にありがとう。あなたが私のオニサプリでいてくれるように、私も……あなたの心のオニサプリとして、ずっとずっとそばにいますの!」
その脚で立つ場所は、あなたの隣。
陰りも晴れて、二人揃って笑顔で向かい合う。しかししばらくして、きな子の顔が少しずつ赤くなっていった。
「な、ななな夏美ちゃん、もしかしてそれって、ぷぷ、プロポーズだったりするっすか……?」
……確かに、言われてみれば完全に。
そんな意識なんて全然なかったのに、きな子の焦りでこっちまで顔が熱くなってきた。しかしここで私まで恥ずかしがるのも違う気がする。どうせなら翻弄したい。
「もしそうだと言ったら?」
なんて煽りを入れてみれば、また顔の赤さが一段と上がって。
「ひえぇ! きな子まだ全然心の準備が……!」
「次にみんなと会うときは結婚報告も兼ねますの?」
「あわわ……! やっぱりもうちょっとだけ待ってほしいっす〜!」
煽るたびに及び腰になっていく。変なところで思い切りはいいのに、それはどこにいったのだろう。まぁこれも彼女らしいけれど。
でもきっと、すぐに答えを出してくれるだろう。私はこの子の、そんなところに惹かれたんだ。