十一 ミツコさん
幹線道路へとつながる生活道路という、必然的に村の外縁にあたるバス停から、村の最奥にある我が家までは割かし結構な距離がある。
水遊びと移動、そのあとのなんやらかんやらで疲れ果ててる俺とましろ母さん。
足取りも重くなった頃、ようやく我が家のお隣さんである
お隣さんといってもそこは田舎、両家の距離はざっと五百メートルはあったり。
それでも、ここまで来ればあと少し。何事も無く通り過ぎようとしてたら、
「ましろさん、ゆー
生活道に面してる竹垣の向こうから快活な声がかかり、した方へと視線を向ければ、松木家長男嫁・ミツコさん。その人が立っていた。
「あ、ミツコさん、こんにちは」
声をかけられたならば返さねばなるまいと、母さんが挨拶を交わす。俺は言葉は出さず軽く会釈で済ませる。
「なぁに、ふたりでお出かけの帰り? 相変わらず仲良いわよねー。先生妬かない?」
ニシシと企み笑いでそんなことを言ってくるミツコさん。
ミツコさんのこの手のからかいは毎度のことで、いちいち反応すると楽しませるだけ。
「その先生に勧められて遊んできました。楽しかったですよー」
ましろ母さんも心得た返しをする。
「ふーん。で、どこで遊んで来たの?」
かわされたことを察しつつも素知らぬ振りで会話を続けようとするミツコさん、こちらも慣れたものである。
「ウォーターパークです、駅ふたつ向こうの」
お隣さんとの世間話だ、今後の両家の関係なんかも考えると付き合わないという選択肢は存在しない。当たり前のように応じる母さん、大人の世界って世知辛い。
「え、あそこ行ったの? いいなぁ~。で、どうだった、どうだった?」
ウォーターパークという言葉が惹いてしまったのか、竹垣にある扉を開けて往来へと出て来たミツコさんはそのまま母さんと立ち話を始めだした。
五年前、ましろ母さんが後妻として我が家にやってきたことは、村でちょっとした騒ぎになった。
還暦過ぎの父さんが二十代の若い娘と結婚したこと実は、村の未婚の若い男衆をいたく刺激したのである。
明るく働くましろ母さんの存在は彼らの潜在的な欲求に火をつけた。
『俺らも嫁が欲しい、結婚したい!』
てな訳で始まる若衆たちの婚活。
少子化後継者問題に悩んでいた村としてもこの活動は渡りに船だったらしく、役所も大いに後押ししてくれて、集団お見合いやら大手の結婚相談所との連携やら、まあいろいろ。
で、その成果のひとつにして起爆剤となったのが、ミツコさんである。
とある婚活パーティーで松木家総領・
四年前にミツコさんが嫁いで来てから、他の家でも次々と婚姻が成立し、村の未来がいくらか明るくなったそうな。めでたしめでたし。
片親であまり恵まれない家庭で育ったミツコさんは、十代の頃良くない連中とつるんでかなり乱れた生き方をしていたらしい。
二十歳前に親が倒れたのをきっかけに悪い連中とは手を切り、更生するも社会になかなか馴染めず職を転々。
当時働いていたところの同僚に誘われて婚活パーティーに参加したのも、ただ気まぐれだったらしい。
パーティーでひとめ惚れした寿久さんから、結婚を前提にした交際を申し込まれた際も受ける気はなくて、断る口実にそれまでやって来た悪さの数々や、過去の男性遍歴やらを洗いざらい話したそうだ。
にも退かず「昔じゃない、今のあなたが欲しいんだ」って、めげずに何度もアタックした寿久さん。ミツコさんはその愚直な熱意にほだされてしまったとか。
馴れ初めを聞かされた時ゃ「寿久さん、かっけーっ」って崇めちゃったものだ。
高い位置で結った赤みの強い茶髪にハッキリとした顔立ち、すらりとした長身でスタイルは良く、胸はこれでもかってな爆乳。
かなりの早熟だったそうで、ローティーンの頃から胸は大きかったとか。「それでからかわれたりハブられたり、反抗期も重なって、あとはドロップアウト一直線」とはミツコさんの弁。
ミツコさんはそんな我がままなボディを、だぶついたタンクトップにぴっちりとした短パンという、男を殺しに来てる凶悪な組み合わせで包んでいた。
取り留めない会話を交し合うふたりを、少し離れて所在無く眺めている俺。
自然と視線がたわわに実ったミツコさんのふたつの果実へと向かってしまうのは……まぁ仕方ないよな。
村のオバちゃんたちの暴力的にただ大きいだけの胸とは違い、明らかに
こんな蠱惑的な奥さんを娶った寿久さんは、村の男衆から、それはそれは妬まれたそうな。まぁ、同時に発奮材料にもなった訳だけれど。
でも、わかる。妬みたくなる気持ち。
実を言えばましろ母さんを性的対象としていなかった頃、オナペットの一番手はミツコさんだったりする。
秘密だけどね。
「ん~、ゆー坊はどぉこ見てんのかなぁ?」
ウォーターパークの話題から、当たり障りのない世間話をしていたはずのミツコさんから突然声をかけられる。
ボーっと彼女のたゆんたゆんした胸を眺めていた俺が、虚を突かれてとっさに答えることが出来ないでいると、
「母親がいるすぐ傍で人妻を堂々と視姦するなんてっ……若い性が弾けそうなのね、いや~犯される~」
自慢の胸を隠すかのように抱きかかえ、からかう言葉を投げかけてくる。後半はほとんど棒読みなのがふざけている証拠だ。
「……ミツコさん、あのねぇ」
「ん~、あたしのおっぱい見てたのはこと実だよね~? それとも何かな、言い訳しなきゃいけない理由でもあるのかなぁ?」
俺が飽きれたように口を開くが、前を隠すようにしていた腕を胸の下に回して組み直し、その質量を誇るようにしながらミツコさんがニヤニヤしつつ俺弄りを続ける。
言い訳云々は、俺だけでなく母さんも意識してでの言葉だ。
そういう言い方すれば俺がもっと困ることを周知している辺り、恐るべし隣りの若奥さま。
組まれた腕で押し上げられ、タンクトップの大きく開いた胸元から煽情的な色をした下着がハッキリと見てとれた。
明らかに見せ付けに来ているミツコさんである。
……本当に、男のあしらい方を心得ていらっしゃる。
寿久さんにベタ惚れだが、まだ若くそして開けっ広げなミツコさんにとって、思春期真っ盛りな俺はからかって遊ぶにはもってこいの存在で、松木家に嫁いで来た当初からこんな風に散々弄られていた。
彼女に言わせれば弟みたいで可愛いからと、いずれ出来るであろう愛息との予行演習も兼ねているらしい。……いったい何年先の予習なんだか。
付き合わされる方は堪ったものではないが、スキンシップと称して抱きついてきて、そのたわわな果実の感触を味わせてくれることもあるので無碍には出来ないんだよね。
男心は下心。
「ミツコさん、それくらいにしてあげてくれませんか?」
ホレホレと胸を揺らしながらからかってくるミツコさんと俺との間に、ましろ母さんが割って入る。
「夕飯の仕度とかもありますから、私たち、そろそろお
ニッコリと笑いながら、この場を去ろうと促してくる母さん。
俺とミツコさんの戯れ合いを、こんな風に母さんが止めるのはいつものことだけど、あれ、変だな、今日は何か態度が硬い?
ミツコさんもそれを察したようで、
「あ、うん、ゴメンね引き止めて……」
ちょっとバツ悪そうにお開きにすることを受け入れる。
「いえいえ、それじゃあ。……帰りますよ、優介くん」
なんか怖い笑みで会釈してそう言うと、踵を返すと速い足運びで我が家への道を進みだす母さん。
慌ててその後を追おうとする俺だったが、ミツコさんが引きとめ、
「……なんかさ、ましろさんの機嫌損ねちゃったみたいだから、ゆー坊あとでなためといてくれる?」
悪いことしちゃったって顔して小声で言ってきたミツコさんだが、すっと表情を締めてから、
「でも、あたしに妬くなんて、ましろさんもゆー坊離れが出来ないよねー。どう、息子的には嬉しいのかな、そういうの?」
なにか探るような感じで言ってくる。俺がどう答えらればよいものかと躊躇していると、
「……ゆー坊、どうしても我慢出来なくなったら言いなさい。……あたしがなんとかしてあげるから」
急に真面目な顔して潜めた声で言う。
「継母だからって、ましろさんと……なんて思っちゃ絶対にダメよ?」
その言葉に驚いたけれど、俺と母さんの今の関係を知った上で言ってるようではなかったので、
「いくらなんでもそんなバカなこと思っちゃないって。それより、いーのぉ? 人妻が浮気するみたいなこと言って、寿久さんが聞いたら泣くよぉ?」
心の動揺をひたすらに押し殺し、笑い話にするつもりでからかい気味に返した。のだが、
「大丈夫。ゆー坊なら
案外マジに答えられた。いや、これも探り、もしくは弄りの一端かもしれない。なので、
「いやいやいやミツコさん、さすがに拙いでしょ、それは?」
驚いた顔をし手をぶんぶん振って『冗談だって思っていたので慌てて拒否ってる』って態度を見せる。お芝居お芝居。
するとミツコさん、なんか思い詰めるような顔になって、
「……あたし、前に変な本読ませちゃって。ましろさんそれにすごく感化されてるみたいだったから、その、なんかおかしなことゆー坊に言ってたりしてないかなって、ちょっと心配でさ……」
あー、あれね。ハイハイ確かに言ってきました。で、喜んで受け入れましたよ。
けど勿論顔には出さない。ポーカーフェイスポーカーフェイス。
ふむ、なるほど。息子にべったり過ぎる母親が例の記事を鵜呑みにして、何かしらの過ちを犯したかけたりしていないかって気にしていた訳か。
……人の道を外れようとしているのかもしれないと、心配してくれる優しいお隣さんを欺くのは心苦しいけれど、
「別に何にもないよ? 心配されるようなことは。相変わらず構い過ぎるだけ」
おかしなこと言ってるのはミツコさんでしょ? って感じで笑いながら、
「でも、気になるなぁその本とやらが。今度俺にも読ませてよ?」
今までと変わりないんだって言ってやる。
ホントはとっくに普通の母子とは言えなくなってるけど……ごめんね、ミツコさん。
俺の態度に安堵したらしいミツコさんは俺から離れ、
「ダメ絶対っ。な、何もないならいいよ。ご、ゴメンねー、変なこと言っちゃってさ」
バカなこと言ったなーって感じで申し訳なさそうに、両手を合わせて拝むみたいに謝ってくれた。
……むしろ、謝るのは嘘ついてるこっちの方。だけどやっぱりそれは顔には出さないで、
「いいっていいって。あ、そうするとしてあげるってのは……?」
いつもと立場を逆に、からかうようにして意地悪く言うと、
「あー、無し無しっ。寿さん裏切れる訳ないって!」
手を前に突き出して振りながら真っ赤な顔して先の言葉を否定する。
「ちぇーっ、残念」
本気半分冗談半分な振りをしながら笑う俺。……将来役者になれるかもね。
「今度おっぱい好きなように触らせたげるから、それで勘弁してっ。……ほら、お母さんが怖い顔して待ってるから、早く行ったげな」
ミツコさん的に最大限の譲歩と最高のもてなしを約束してくれた後、俺の後ろを怖々と示しながらそう言った。
振り向けば、十数メートル先の母さんが硬い笑みを浮かべたままこちらを見詰めていた。
その視線に冷たいものを感じながら、ミツコさんに別れを告げ足早に近づいていく。
「お待たせ母さん」
そう言って俺が横に並ぶと、ましろ母さんは何も答えずに歩みを再開する。しばらくの間、何の会話もなく、ただ歩いてた。
我が家まであと半分の距離をきった辺りで、じれったくなった俺から動く。
「ミツコさん、悪かったってさ。機嫌直しなよ母さん」
「直すも何も、なんとも思っていませんよ。何言ってるんですか優介くんは?」
打てば響くとでも言うように、俺の言葉に母さんは即返してきた。
うーん、その硬い物言いが機嫌損ねてる証拠じゃないですか。でも、それ言ってもきっと認めないだろうし、どうしよ?
なんて俺が思案していたら、
「……優介くんは、胸が大きい方が好みですものね、ミツコさんに魅入っちゃうのは仕方ないです」
少しだけ硬い態度を崩し、一瞬だけ自身の胸を見下ろしてから、すねた口調で母さんがこぼす。
「む、胸が大きい方がって、どっからそんな?」
母さんのトゲのある言葉に俺が反論すると、
「隠し持ってた本に載ってたグラビアタレントさん、みーんなミツコさんみたいにおっきな胸してましたよねー」
例のジト目で睨んでからそう言って、不貞腐れた顔を前に向ける。
あー、確かにそうでした。でも、グラビアアイドルなんて大半が胸が大きいのを売りにしてるものですし、特にそこだけ求めて手に入れてた訳じゃないんだけど、今のすねてる母さんにはどう言い繕っても無駄だろうなー。
ちょっと考え、慎重に辺りを見回し、松木家から離れ人気も無いことを確かめてから行動に出る俺。
「俺が大好きな、おっきな胸してる、ミツコさんと仲良くしてて妬けちゃった?」
わざとニヤニヤ笑いを浮かべ、その顔を母さんに見せるようにして言う。
「なっ……! そんなことないですよ。あ、ある訳ないじゃないですか」
ハッキリと動揺しながらも、意地を張る母さん。
「ゆ、優介くんが誰と仲良くしたって、いいんじゃないんですか? ええ、私には関係ありません」
ふくれっ面になりながらそんなことを言われてもねぇ? 胸のうちで苦笑しつつ、
「……実はさ、ミツコさんから、我慢できなくなったらしてあげるって言われたんだよね。どーしよーかなー」
これまたわざと声を潜めて、満更でもないって色を含ませて言ってやる。
意固地になってた母さんも、さすがにこの言葉は無視出来なかったようで、
「いっ、いけませんっ。いっくら誘われたからって、ミツコさんは人妻さんでっ、許されないことでっ、不倫になってっ、あー、とにかく、ダメですっ、ダメダメダメェー!」
俺の前に立ちふさがるようにして脚を止め、ブルゾンの襟をつかみ、前後にがくがくと揺らしながら、顔を真っ赤して目をぐるぐると回しながら、必死に俺を押し留めようとする。
一応大丈夫だと確認はしたけれど、往来の真ん中で、そんなことを言うのは拙いですよー。
素の感情をさらしてる母さんがなんか楽しくて、自然と笑顔と笑い声が沸きあがる。
がくがくと頭を揺らされながら、ヘラヘラ笑っている俺を怪訝に思ったらしい母さんは手を止め、
「……からかいましたか?」
上目使いでそう言った。
「うん♪」
楽しそうに勿論だと返す俺。
悔しそうにする母さんの手を取って「帰ろ?」って促す。
ゆっくりと歩き出す。
手を曳かれるまま、母さんも少し遅れて俺の後に続く。
「……私、自分があんなに独占欲が強いだなんて、思っていませんでした」
ポツリと母さんが呟く。それを聞いて俺は、
「昔っからそうだったよ? 気付いてなかったのかー」
苦笑しながら返す。
「俺のこと大切にしすぎて、何でもかんでも世話やいてたでしょ。ずっと小さい子扱いされてたし」
人、それを過保護という。
「束縛されて……優介くん、嫌でしたか?」
今までの自分というものを知らされて、落ち込んだのか、声のトーンを落として母さんが訊く。
「んー、鬱陶しいなぁって思うこともあったけどー」
俺の言葉に繋いでた母さんの手が強張る。それを優しく握り返しながら、
「嫌じゃなかったよ。ほら俺って、母さん大好きだから」
何でもないって気持ちで、一番大事な思いを口にする。
強張ってた手が一瞬緩み、それから俺がさっきしたように強く優しく握り返されて、
「ありがとうございます、優介くん……」
小さな声が聞こえてくる。
にやける顔を何とか引き締め、進める足を速めながら言う。
「早いとこ帰ろ。父さん腹すかして待ってるはずだし」
「――はいっ、ですね」
我が家まであと少し。
夏の遅い陽が傾く中、手を繋いだまま、俺と母さんは家路を急ぐ。