我が家へと辿り着き玄関の扉を開ける前、繋がれていた手が自然に離れたのは、きっと特別だった『今日のお出かけ』からいつもの日常に戻る合図。
父さんと一緒にいる場所では、俺とましろ母さんはちょっとばかり仲の良過ぎるだけの母と息子。
それが世間的には許されない関係に片足を踏み込んでいる、俺たちの暗黙のルール。
「ただいまーっ」
と、俺が勢いよく扉を開け声を上げる。すると、
「おかえり。その様子だと楽しんでこれたみたいだな、結構結構」
ひょいって感じで台所の方から父さんが出て来て、俺たちを出迎えてくれた。
てっきり奥にある自室に居ると思っていた意外性から、ポカンとしてしまう俺。
そんな俺を押しのけるようにして母さんがあたふたと靴を脱ぎ、上がりかまちへ足を掛けながら、
「遅くなってすみません、すぐに夕飯の仕度しますから」
主婦としての役目を果たすべく動こうとしたんだけど、
「あぁ、それは大丈夫。私がやっといたから」
父さんの発した一言に見事に出鼻をくじかれ、
「えっ?」
意外そうな声を上げて動きが止まってしまう。
「と言っても、ざるうどんを作っただけだがね。ふたりとも遊び疲れているだろうし、軽いものの方が腹にもよかろう?」
勢いをそがれ、上がりかまちでペタンと座る母さんと、未だ玄関でボーっと突っ立ってる俺に、厳つい印象を与える細面を緩めながら父さんが言う。
「なに、ましろくんが来るまでは
穏やかな笑みを浮かべた父さんは現れたときと同じように、飄々とした感じで台所へと引き返しながら俺たちに言った。
「さ、ふたりとも荷物置いて部屋着に着替えてきなさい。それからご飯にしようか?」
久方ぶりの父さんの作った料理――ざるうどんの他に夏野菜の和え物や冷奴なんかがありました。あぁ、なんてアバウトな男の手料理――に箸を進める。
ましろ母さんが来る前の二年間、ふたりだけだったころの夏は、ざるそば→冷麦→ざるうどん→素麺の乾麺ローテーションだったよなぁ。
ローテの合間の米の飯がやたらとおいしく感じてたものだったっけ。毎週末はカレーか肉料理だったのも懐かしい。
そんなことを思い出しながらの夕餉は、なんとも楽しい時間だった。
父さんに食事の仕度をさせてしまったことを恐縮しまくる母さんに、気にする必要はないよと笑って言い切る父さんの構図は、ふたりの関係の一端がうかがえてきて、それはそれで興味深かったりして。
ふたりの関係。
ずっと謎だったんだが、帰りの道すがら教えてもらえた。
戸籍上夫婦だけれと、それは形式だけだと。
子供を産めないましろ母さんに、『母親』をやらせてあげるための夫婦関係。
ましろ母さんは、淑恵母さんの弟――俺の叔父さん――の恋人だったそうだ。
叔父さんは中学校の教師をしていて、家庭環境にいろいろ問題のあったましろ母さんに親身に寄り添ってくれていたらしい。
卒業したあとも気にかけてくれていて、ましろ母さんが悪い男に引っかかりボロボロにされたことを、自分の責任のように思うような人だったそうだ。
それから叔父さんとましろ母さんは親密になって、結婚を前提とした交際を始め、そこら辺りで父さんや淑恵母さんと接点ができたわけ。
父さんも淑恵母さんも、ましろ母さんのことを過去を含めて受け入れ、家族同然になってたそうな。
でもよいことは続かないもので、結婚前に叔父さんは事故で亡くなってしまった。
当時妊娠中だった淑恵母さんはショックで早産、未熟児の俺へかかりきりになった父さんと淑恵母さんを煩わせまいと、ましろ母さんは
それから、自分が長くないことを悟った淑恵母さんはましろ母さんを探し、自分が逝ったあとを託したってことらしい。勿論父さんも了承済み。
逝ってから二年てタイムラグがあったのは、俺が新しい母親を受け入れるための猶予期間だっんだって、今はわかる。
在り得た未来なら、ましろ母さんは俺の叔母になっていたのもかも知れない。
そうなってたら、俺はましろ母さんと、どんな風に接していたんだろう?
今のように焦がれたりしたのだろうか?
――たられば、だ。わかりゃしない。
実際のところ、今の父さんとましろ母さんの関係って、あんまりいい言い方じゃないけれど『家長と住み込みのお手伝いさん』これが一番近いかなって思う。
もしくは、父と娘、かな? 年齢的には一番ぴったり来るけど。
やっぱり『夫婦』って感じじゃない。
父さんの歳を考えたら
不自然を承知で籍を入れた理由。
母親という存在にさせてあげるのはもちろんで、たぶん叔父さんが亡くなったことで叶わなくなった、姓を変えて新しい家族を築くことをやらせてあげたかったんだろうって思う。
淑恵母さんの旧姓、叔父さんの名字、
食事が終わり『片付けは私が』と、これは譲れないと強く主張した母さんがささっとひと仕事済まし、居間に戻り腰を下ろすのを見届けると、待っていたかのように父さんが口を開く。
「実は今日の昼間、
三浦さんは父さんの教え子のひとりで『どうか是非』と大学に招いてくれた人でもある。そういう人からの頼みを断れる父さんではない。
しかし、わかってはいるつもりだったけど、夏休みと言っても教職者って働いているんだよなぁ。
特に大学とかで研究室とか持ってたりすると日々これ学問で、休みなんかは関係なかったりするんだねぇ。
何度かうちに来たこともある三浦さんの、いかにも研究者然とした姿を思い浮かべ、その日夜の頑張りにご苦労様ですと心の中で頭を下げる。
「そういう訳で車を使うけれど、よいかな?」
父さんは母さんに確認するように尋ねる。
日常的なものは村の商店で賄えたりするけど、それ以外に必要になったものを買う時に、村からけっこう離れたところにある商業施設や市内の方に出向くことがある。
母さんはそういう時に車を使うのでその相談だろう。
……ましろ母さん、免許持ってんだよね。買い出しの時によく荷物運びに連れ出されるけど、お世辞にもスムーズな運転とは言えなかったり。
本人曰く、「ペーパー歴が長かったので」だそうだ。成人した頃に取得してからほとんど運転する機会が無かったとか。
「はい、大丈夫です。今のところ必要なものは揃ってますし、買い出しは週末で間に合いますから」
母さんの返事に父さんは頷き、それから俺に顔を向け、
「と言うことだ。特に出かける用もないのならましろくんを手伝うように」
穏やかだが有無を言わせない圧力で言い含めてくる。
「りょーかい。任せて~」
とは言え、当たり前のことに気負う必要なんかない、だから力の抜けた声で返す。
俺の返事に満ち足りたものがあったのと、伝えるべきことを伝え終えたからか、父さんは軽く頷いてから腰を上げ、
「今日は疲れも残っているだろうし、あとは風呂に入ってゆっくり休みなさい」
俺たちが帰ってくる前に既に風呂を済ませていた父さんは、そう言い残して自室へと戻っていった。
ちなみに、風呂の用意まで父さんにさせていたことに、ましろ母さんが改めて恐縮したのは言うまでもない。
さて、居間に残るは俺と母さんのふたり。
父さんと気の抜けたやり取りをしながらも、俺の桃色の脳細胞はフル回転をしていた。
理由は単純明快。
明日から父さんが不在の時間帯が出来るという事実。それはすなわち、俺が母さんにいろいろと出来る時間が生まれるということ。
そおっとうかがう俺の視線に気がついたのか、母さんは知らん振りでもするように顔を背けてた。
そのどこかワザとらしい態度で俺も気付く。母さんも俺と同じことを考えているのだろうって。
対面に座る母さんへと座卓下から足を延ばし、爪先を母さんのヒザにそっと触れ俺へと意識を向けさせる。
ツンツンとヒザ小僧をつつく俺に、しょうがないなぁって感じで視線を合わせてくる母さんに、
「明日から楽しみだね、母さん♪」
と、少しだけ潜めた声で、隠しきれない下心に満ちた笑みを浮かべて言う俺。
ましろ母さんはちょっと困ったような笑いを浮かべてた。
前夜に朝、それから日中と、これでもかってほどに出しまくったはずなのに、昼間のおさわりの感触と明日への期待で、寝る前に抜いたのは自分でもどうかと思う。
うん、若いって凄い。
で、翌朝にも男の生理現象でギンギンとなってたから、我慢し切れなくてまた抜いた。
つくづく、若さってすげぇ。
「では、行って来る。留守は頼むよ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
「いった~しゃ~い」
翌日、少し早めのお昼を済ませてから父さんが大学へと出かけていくのを、揃って見送るましろ母さんと俺。
玄関の扉が閉じられてから、少しの間を置いて車の始動音がし、それからエンジンの音が段々と遠くなっていった。
父さんは出かけた、今この家に居るのは見送りで玄関で並んで立っている俺と母さんのみ。
さぁ、これから夕方までは爛れた淫欲の時間っ。
……とか頭の中ではそんなことを思ったりしていますけれど、母さんの横に突っ立ったまま、俺はなにも行動を取れなかったりして。
母さんも俺と同じように見送ったときの状態のまま、この場から動こうとしていなかった。
待ち焦がれていた状況が訪れたというのに、いざとなったら具体的な行動に移れない。
昨日のような一時的なスリルを味わうのではなく、ある程度の時間を使って母さんの身体にあれこれ出来る事実に、気持ちが追いついていなかったのだ。
ああ、全くもって、チキンだよな俺。
母さんがこの場から動かないのも、そんな俺の緊張が伝わっていたからだろう。
母さんはされる側の立場であり、どんなことをするのかの決定権はこっちにあるのに、その俺がただ間抜けに突っ立ているだけなのだ。
本当情けないったらないわー。
……それがわかってんなら行動起こせよと思われるだろうが、なんともはや、ままならぬものなのです。とほほ。
「……あの、優介くん」
「ひゃっ、ひゃい?」
どれくらい玄関で突っ立っていたのか? おそらくホンの数分程度なんだろうけど、ずいぶんと間が空いてから母さんが口を開いた。それに驚いた俺はなんとも情けない返事をする。
ちょっとばかり強張った顔で、横に立つ俺を少し見上げるように――今更だけど、成長期の俺はとっくに母さんの身長を追い抜いている。といっても頭ひとつに足りないくらいだが――して、
「ここにこうしているのもあれですし……とりあえず居間に戻りませんか?」
母さんがそう告げてくる。
「その……色々と話しあっておかないといけないこともありますから、ね?」
頬を淡く染めながらの母さんの言葉とそれの意味するところに、壊れたオモチャみたいに俺はぶんぶんと首を立てに振って答える。
そんな俺を見て母さんがくすりと笑ってた。