希美が自転車で病院に向かっていると、門のところに佇む瑞希が見えて来た。
(パパの恋人だ……お見舞いに来たのかな?)
希美にとっては、大事なパパを盗った存在だが、不思議と憎む気持ちは湧いて来なかった。
自転車の速度を落として、話しかけようかどうか迷っていると、若い男が瑞希に近づいて声をかけた。
「安藤さん、休みの日にも見舞いにくるなんて、よっぽど職長に悪いって思ってるんですね」
皮肉っぽい瑞希の声が聞こえる。希美は電柱の陰に身を隠した。
「あはは。実は職長の娘さんが超美人でさ、また会いたいな、と思って」
希美は、瑞希に声をかけた男が、以前見舞いに来た裕也の部下だったことを思い出した。
安藤と呼ばれた男が病院の敷地に入っていく。
「瑞希ちゃんは、行かないの?」
「私は、通りがかっただけです」
「そっか」
安藤はニヤリとわらうと、踵を返して瑞希に近寄り、小声で話しかけた。
希美には聞こえないが、瑞希の表情が険しいものに変わったのが分かった。
二人は二言三言、小声で話していたが、瑞希があたりを見回し、病院の隣にある木々の茂った公園に二人で入っていった。
希美は電柱の陰に隠れていたが、瑞希に声をかけた安藤という男が気になる。
裕也に、瑞希を愛しているの? と訊いたとき、裕也はわからない、と言った。
瑞希は裕也とは別の男とも付き合いがあるのだろうか?
希美は二人の後を追うことにした。
午後の公園は
二人は大きな木の陰で向かい合っている。
希美は、そっと近づいた。
「だから、約束が違うでしょ?」
瑞希の鋭く非難する声が聞こえてきた。
「動画を隠してたなんて、卑怯じゃない?」
希美の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
(動画? 約束?)
「じゃ、聞くけど、職長と工場内でエッチするのは、いいことなの?」
安藤の低い声が響く。
(職長? パパのこと?)
何か重大な秘密が語られている気がして、希美はスマホのボイスレコーダーを起動した。
「あんただって、私とシたじゃない!」
安藤は無言だ。
「それに職長とは好きでシたけど、あんたには、動画で脅されて無理矢理ヤられただけだから!」
希美は驚いた。瑞希は男に脅迫されて犯されたという。
「あと一回、ヤらせてくれたら、今度は本当に消すから……」
「信用できない。このままズルズル騙されるのはイヤなの」
「じゃ、この動画を工場長に見せてもいいのか?」
「構わないわ」
「いいのか? 職長もお前もクビになるぞ」
「どうぞ」
「開き直ってんのか、瑞希。お前の大事なパパがお前のせいでクビになるんだぞ?」
「そんなことには、ならない」
瑞希がキッパリと言い切った。
自信に満ちた瑞希の態度に、安藤は戸惑いの顔を見せる。
しばらく思案した後、突然男の表情が変わった。
「まさか、お前、工場長も落としたのか?」
瑞希は無言だ。
「頭ん中、エロい事ばっか考えてるせいで、妙な所だけ勘がいいのね……このまま、何もしなければ見逃そうと思ってたけど……安藤さん、あんた、終わってるよ」
「どういうことだ?」
瑞希が、男にスマホの画面を見せている。
希美からは、瑞希の後ろ姿しか見えないが、男の表情はわかる。
安藤の顔がみるみる引き攣っていく。
「あんた、職長の事故のとき、修理中の札が掛かってなかったって言ったよね? ここにはちゃんと掛かってるじゃない! わざわざ札を捲ってボタンを押してるし……事故のすぐあとご丁寧に札を外してるのも写っているわ……」
安藤が眼を丸くして固まっている。
「あんたが、わざと職長をケガさせたのよ!」
裕也のケガがこの男のせい? 事故じゃなかったの? 希美に沸々と怒りが湧いてきた。
男が口の角を歪めてニヤけた表情になる。
「ああ、そうだよ。俺がわざとやった。あんなパッとしないオッサンが若い女とエロいことしてんのが許せなかったんだよ!」
安藤がいきなり瑞希に飛びかかった。
「きゃっ!」
短い悲鳴をあげて、瑞希は藪の中に押し倒された。
「スマホを渡せ! スマホごとぶっ壊してやる!」
瑞希が悲鳴をあげる。
希美が周りを見回すが、声の届くところに人影はない。
藪の中で、ガサゴソと二人が揉みあう音がする。
このままでは、瑞希が安藤に組み敷かれてしまう。
(私が、行くしかない!)
希美は藪に向かってダッシュすると、見えて来た安藤の後頭部に思い切り蹴りを入れた。
「えっと……希美、さん? 助けてくれてありがとう……」
「いえ……それより、瑞希さん、大丈夫?」
希美が瑞希にのしかかっている安藤の後頭部に蹴りを入れた。思った以上に安藤にダメージがあったようで、頭を抱えて臥せってしまったので、その隙に希美が瑞希の手を取り、病院の敷地まで逃げてきたのだ。
二人とも息が荒い。
「瑞希さん、パパのお見舞いに来たんですよね?」
「う~ん……来たことは来たんだけど……」
「パパ、喜ぶと思いますよ、瑞希さんが来ると……」
「希美……ちゃん、私たち同い年なんだから、さん付けや丁寧言葉はやめない?」
「そうですね……じゃなくて、そうね!」
瑞希が病院にあるカフェに希美を誘った。
「えっと……希美ちゃん、話、聞いちゃったよね?」
「うん。途中からだけど、録音もしたよ」
「本当? それ、使わせてもらったら、助かるわ……でも、結構ヤバいこと話してるかも……」
瑞希が声を潜めた。
「希美ちゃんが聞いたら、いい気がしないかもしれないけど、私、工場で職長とエッチしたの……」
希美には話の流れから大体察しがついていた。
「それをさっきの男、安藤っていうんだけど、奴が隠し撮りしていて、脅してきたの」
瑞希が
「私のことは、いいの……なんとでもなるから。でも、職長だけには迷惑かけたくなくて……」
瑞希がここで押し黙る。
動画を消してもらうために、瑞希は安藤に肉体を開いた、ということだ。
「その時、動画は消してもらったんだけど、あの男、コピーを持ってて、また脅してきたの……」
なんて卑劣な奴だ、と希美は思う。
怒りに任せて生まれて初めて、人に暴力を振るった。
だが、事情を知れば自分のした事に後悔はない、と感じる。
「あいつがパパに怪我をさせたって、本当?」
希美が尋ねる。
「私、脅された後、嫌な予感しかしなくて……安藤はまた絶対に脅してくる、と思ってあいつの弱みを握れないか、いつも監視していたの……」
瑞希の危機管理の能力は大したものだ、と希美は感心する。自分だったら、動画を消してもらっただけで安心しきってしまうだろう。
「事故のあった日、工場の窓から覗くと、安藤がキョロキョロして変な動きをしていたの……私、怪しいと思って動画を回した……それがさっきあいつに見せた動画……」
先ほどの、瑞希と安藤の一連のやり取りが希美にも見えてきた。
「ところで瑞希ちゃん、私のパパのこと、なぜ瑞希ちゃんも『パパ』って呼んでるの?」
「ごめんね、希美ちゃん……気分悪いよね……」
「ううん、そんなことはないよ……ただ、どうしてかなって思って……」
瑞希は母を亡くし、すぐに父を亡くしたことを語った。また、実は裕也が亡き父に雰囲気が似ていて、それに惹かれていることも話した。
「うん、わかった。瑞希ちゃんも私と一緒に『パパ』って呼んでいいよ」
瑞希の悲しい境遇に涙した希美が許可した。
「瑞希ちゃん、パパのこと愛してる?」
希美は直球の質問を投げ込んだ。
「うん。あんなに一緒にいて、幸せな気分になれるのは、パパだけだから……」
瑞希が即答する。
「だとすると、パパは瑞希ちゃんのこと何か誤解しているみたい……瑞希ちゃんが別の男が好きなのかもって泣いていたから……」
瑞希が首を傾げる。
確かに、工場長といる所は見られたが、だからといって工場長のことが好きとまで思われるはずもない。
瑞希が表情を変え、はっとして口を押さえた。
「もしかして、安藤とシてる所を見られたのかも……」
あり得ない話ではない。
「瑞希ちゃん、パパに話して誤解を解いたら? まだお見舞いにも来てないでしょ?」
瑞希が希美を見つめている。
「希美ちゃん。そんな、敵に塩を送るようなこと、言っていいの?」
裕也が瑞希に別の男がいる、と誤解している方が、裕也の気持ちが希美に傾く。
「そんな……瑞希ちゃんのこと、敵だなんて思ってないよ……」
希美が心外だ、という表情をする。
「だって瑞希ちゃん、パパと瑞希ちゃんがエッチしてるのを私が見た次の日、パパに私の気持ちと真剣に向き合って、って言ってくれたんでしょ?」
「うん、そうだったね……私、希美ちゃんの気持ち、痛いほどわかるから……」
希美は頭の中に、疑問符が浮かぶ。
「私、亡くなった実のパパと、セックスしていたの……」
瑞希の言葉に、希美は息を呑んだ。