翌朝工場に着き、事務室に向かう。
一番奥の工場長のデスクの前に、見知らぬ女性が背を向けて立っている。
そういえば、新しく事務員が配属される、とは聞いていた。彼女がその事務員に違いない。
工場長が裕也に気付くと、事務員の女性も振り返った。
(え?)
そこに立っているのは、昨日痴漢の容疑から救ってくれた肉感的な女性だった。
彼女も驚いたのか、目を丸くして手で口を押さえる。
「え? 二人共、知り合いなの?」
そんな裕也と彼女の様子見て、工場長が尋ねる。
「え……っと、知り合いというか……」
裕也は昨日のことを話していいものか迷い、彼女の表情を窺う。
彼女は、ニコッと微笑んだ。
「実は、昨日電車で乗り合わせて、こちらの方が私が痴漢されそうになっているところを助けてくれたんです」
裕也は彼女の言葉に驚いたが、表情に出さないように冷静を装った。
上司である工場長には、昨日痴漢に間違えられたことを報告するつもりがなかった裕也は、彼女の機転の利いた嘘に、ありがたく乗っかることにした。
「へーえ、そうだったんだ」
工場長は、痴漢という言葉に反応して彼女の下半身に視線を遣った。
「あらためまして、今日からこちらでお世話になります長坂
「木崎裕也です……」
「じゃ、職長。長坂君に工場の案内を頼むよ」
工場長が言った。
「昨日は本当にありがとうございました」
事務室を出て、瑞希と歩きながら、裕也はあらためて礼を言った。
「そんな……私は部下の新入社員なんですから、敬語なんてやめて下さい、木崎職長」
瑞希が首を傾げて言う。なんとも可愛らしい仕草だ。
「でも、本当に助かった……危うく痴漢にされるところだった」
瑞希が急に顔を近づけてきて、耳元で囁いた。
「本当の痴漢は、私だったんですけどね……」
瑞希の言葉に裕也は足を止めた。
あの時、満員電車の中で彼女に股間を弄られた。
あれは、わざとだったと言うのだろうか?
「なんてね! 冗談ですよ、木崎職長」
先を歩く瑞希が、振り返って微笑んだ。
長年勤めていた事務の女性が定年退職することで、瑞希が採用された。
彼女は飲み込みも早く、頭が良かったので、引継ぎは短期間で済んだ。
男性ばかりの工場に、若い女性が採用されたことで、工場の雰囲気が明るくなった。
「木崎職長、日報のチェックお願いします」
瑞希が書類を持って裕也のデスクに来た。
「どう? 仕事、慣れた?」
「はい、皆さん優しくて、やりやすいです」
「それは、良かった。じゃ、この製造指示書、現場に配って」
裕也が書類を渡すと、瑞希は背を向けて事務室を出て行く。歩むたびに制服のタイトなスカートを押し上げる豊かな尻が左右にぷりっと揺れる。パンティのラインが薄っすらと浮いているのを裕也は眼でなぞった。
亡き妻の冴子も、この工場の事務員だった。
明るく、誰とでも分け隔てなく接する冴子は、工場のアイドルだった。
高校時代、手ひどい失恋を経験してから、裕也は女性に対して臆病になっていた。裕也も誰もが認める美人の冴子に心が惹かれていたが、声をかける勇気はなかった。
先輩や同期の工員たちは、冴子と親し気に話しているが、裕也は冴子の前では緊張して言葉がでなかった。
ある日、職場の飲み会があり、偶然帰り道が一緒だった冴子と並んで歩いた。
「木崎さん、私のこと避けてます?」
裕也は突然の問いかけに驚き、否定する言葉さえ出すことができなかった。
「嫌じゃなかったら、もっと木崎さんとお話ししたいな……」
それ以来、裕也は少しずつ冴子に心を開いていった。
今から思えば、何故冴子が裕也に惹かれたのか分からない。男女の関係になってから、童貞だった裕也は冴子の柔らかい肉体に溺れた。
そして娘の希美を授かり、冴子は退職することになった。
「なんで木崎なんて陰キャが冴ちゃんとデキてんだよ!」
同僚の酷い言葉に裕也は傷付くことはなかった。自分自身もそう思っていたからだ。
昼休みの食堂では、三つある製造ラインごとに、食事を摂る場所が暗黙の了解で決まっていた。
職長である裕也は、たまに工員たちに交わって食事をするのだが、今日は別のテーブルで一人で食べていた。
瑞希が食堂に入って来る。
弁当を食べている工員たちの視線が瑞希を追っている。
「ここ、いいですか?」
返事を待たず、瑞希が裕也の横の席に座った。
「わあ、愛妻弁当ですか? 素敵ですね!」
裕也の弁当を見て、瑞希が眼を輝かせる。
無言の裕也に、瑞希が首を傾げた。
「妻は、十五年前に亡くなっている……」
瑞希の表情が変わった。
「ごめんなさい、職長……私、無神経なことを……」
「いいんだよ、知らなかったんだから。これは、娘が作ってくれたんだ」
「へえ、そうなんですか! 娘さん、おいくつなんですか?」
「長坂と同じ歳だよ」
「わあ、そうだったんですか!」
翌日からも、瑞希は裕也の横で食事をする。
「長坂、他の現場の奴らとも食事したらどうだ?」
裕也の言葉に、瑞希はちらりと眼をやるが、無言だ。
「早くみんなと仲良くなって欲しいんだ」
「ヤです」
「こんなおじさんじゃなくて、若い者同士の方がいいだろ」
「ヤです。私は職長の横がいいんです。おじさんだから、いいんじゃないですか!」
思わぬ言葉に、裕也は驚く。
瑞希が頬をぷくっ、と膨らませている。