侯爵令嬢物語【完結】〜羞恥と快楽の果てに令嬢と女騎士の姉妹が選んだ甘美な隷従 作:ドン・ドナシアン
王都の中央区から北に数街区。
喧騒の並びから、わずかに逸れた一角に、その建物はあった。
看板も、紋章もない。
壁面には何の装飾もなく、窓はすべて艶消しの硝子で覆われている。
出入りする客もいなければ、呼び込みの声もない。
ただ、その建物の前を通る人々の視線が、無意識に逸れていくことで、ここが“それ”であることを証していた。
高級娼館──。
しかし、それを示す明確な標は、どこにもなかった。
ソニアは、ルシアンと並んで扉の前に立っていた。
なにも訊ねてない。
ルシアンから、なにも訊ねるなと"命令"があったからだ。
けれど、これからなにが起こるのか、まったくわからないという不安が、喉の奥でじわじわと広がっていた。
──でも、訊かない。
彼が質問を拒否し、なにも言わないということは、いまはソニアに教えるときではないのだろう。
そう判断して、口を閉じた。
扉をくぐった瞬間、温度が変わった。
肌をなでる空気は、妙に湿っていて、香りが濃い。香油とスパイスと、それからなにか……鼻先の奥でかすかに発酵したような、果実の香り。甘く、熱く、どこか酔わせる匂いだった。
建物の外観は、削ぎ落とされた静謐そのもので、看板ひとつ出ていなかったが、いま、足を踏み入れたこの空間には、飾りすぎない豪奢と、確信的な淫靡さがあった。
天井は高く、梁のあいだに透ける布がたゆたい、真鍮の燭台が控えめに灯っている。床は赤絨毯で沈み、壁には香を焚く小さな彫金の燭壺が埋めこまれていた。
静かに弦楽が流れている。調度品はどれも古く、だが使い込まれて手入れがされていた。飾られた器や布地に、どこか異国の趣がある。
そして、階段の踊り場に、何人かの女が立っていた。
ほとんど、何も身につけていないに等しい衣装──透ける布一枚、金細工のアクセサリー、くるぶしや腕に巻かれた鈴や鎖……。
だが、それが淫らに見えないのが、この館の品なのだろう。
その視線に、ソニアは無意識に背筋を伸ばした。見られている。値踏みされている。高級娼婦たちは、わずかな笑みすらも武器のように携え、こちらを“品定め”していた。
──ああ、ここは、そういう場所なのだ。
ルシアンのそばに立つ自分が、どんなふうに見られているのか。羞恥とも違う、身体の輪郭が強調されるような感覚が、肌にまとわりついた。
そのとき──。
「──お迎えにあがりましたわ、ご主人様」
ひときわ透き通った声が、ソニアの右手から聞こえた。
見ると、白磁のような肌をもつ少女が、廊下の奥から歩いてきていた。
銀の髪が腰まで垂れ、艶はなく、どこか作られたような無機質な光を帯びている。
背は低く、まだ十二、三にも見える。胸はなく、腰も細く、下着のような白い布を胸と腰に巻きつけているだけだった。
だが──目が違った。
年齢を感じさせない、どこか“深さ”のある眼差しだった。少女の顔に浮かんだ微笑みは、やけに老成していて、乾いていた。
「こちらへどうぞ。ご案内いたしますわ」
そのまま、少女はソニアに近づいてきた。
そして、唐突に言った。
「──まあ、驚いた。ご主人様、きょうのお連れは……とっても、艶っぽいのねえ」
言いながら、ソニアの首筋を覗き込むように顔を寄せた。
「こんな美女を連れてくるなんて……あたくし、ちょっと妬けちゃいそう。うふふ」
ソニアは目をすがめた。
「あなた、案内人なの?」
「ええ。あたくし、イリュリア。……って、あら」
イリュリアはソニアの肩口に軽く触れた。
「肩の筋肉……綺麗。剣の稽古でもしてらっしゃるのかしら。あたくし、こういうタイプ、大好物ですのよ。年齢は──十八くらい?」
「──そんなわけないでしょう。三十二よ」
ソニアは、ややぶっきらぼうに言った。
イリュリアは、目を見開いて、大げさに口を手で押さえた。
「まあ、三十二──。信じられない……だって、お肌つるつるですもの。てっきり、初めて連れてこられた素人の子かと……ああ、これは目の保養ね。うふふ」
その笑い方が、どこか芝居がかっているように見えて、ソニアは思わず目をそらした。
──なに、この子……。
無礼。だが、それだけじゃない。妙な余裕と、なにか、正体の知れない重さがある。
「では、お二人とも。特室へ──こちらの地下になりますわ」
そう言って、イリュリアは軽やかに身を翻した。
細い背中のうしろから、ついていくしかない。
イリュリアに導かれ、地下への階段を下りていく。
ひと足ごとに、温度が少しずつ下がっていく。石造りの階段は滑らかに磨かれていて、足音が吸い込まれるように沈んでいった。
娼館の地下か……。
だが、そこに酒の匂いも、生活臭もない。
整いすぎた無音の廊下。
壁に沿って灯された魔道灯は、冷たい白の光で一定の明るさを保っている。
窓はない。曲がりくねった通路は、意図的に出口の方向感覚を奪うようだった。
「静かでしょう?」
イリュリアが振り返らずに言った。
「ここには音も光も制限されてますの。人の声や靴音は、どこまでも届いてしまいますから……ああ、だから、いまのうちに服、脱いでいただけます?」
ソニアは足を止めた。
脱ぐと言っても、ここはただの廊下だ。
「……ここで?」
「ええ、もちろん。目的地まで行くには、そのほうが早いですから」
「なにが目的地なのよ……」
思わず呟くと、イリュリアがくるりと向き直った。
「うふふ、そこはまだ内緒です。でも、そういうの……嫌いじゃないでしょう? 先に教えられない命令に従うっていうの、きっと得意よね?」
その笑みは、妙に底が読めなかった。
ルシアンは、黙って外套のボタンを外し始めた。
「……えっ、ルシアン?」
彼は、返事をしなかった。ただ、平然とした仕草で、シャツの袖を外し、腰帯を緩めていく。肌が、あたりの光を受けて浮かび上がる。筋肉は無駄なく引き締まり、古傷に溢れる彼の裸身が現れる。
脱いだものは、そのまま床に置いている。
「……わかったわよ」
ソニアは、唇をかみながら、自分の外套に手をかけた。
仕方ない。彼がこういう態度をとるときは、なにか“意味”がある。怒ったところで無駄なのだ。
シャツを脱ぎ、スラックスも脱ぐ。肌に触れる空気が急に冷たくなった。
さすがに、下着を脱ぐときには抵抗があったが、ルシアンはすでに全裸。
男根さえ露出して、隠してもしてない。
仕方なく、ソニアも全裸になる。
最後には、首に巻いていた細い飾り布まで外すと、背筋がひときわ伸びた。
イリュリアが手を叩いた。
「まあ……どちらも、素晴らしいわ。さすが、噂のご主人様……」
そう言ってから、今度はソニアのほうへ身体を寄せてきた。
少女の顔──に見えるそれが、すっとソニアの下腹に視線を落とす
「あらあら……つるつるねぇ……。まるで童女みたい」
「……は?」
「ええ、下の毛が、一本もないじゃない。剃ってらっしゃるの? それとも、そういうご趣味かしら? もしかして、主さまの命令?」
ソニアは、喉の奥で息を呑んだ。
「……あんたに関係ないでしょ……」
「もしかして……性奴隷?」
ぴたりと問いが突きつけられた。
ソニアは、一瞬、言葉を失った。
「……それは……」
「迷ってる。じゃあ、図星なのね。ああ、なんて淫靡。じゃああなた、ヴェールスってこと? 恥ずかしくない? 鞭で打たれると濡れちゃうとか? まさか……人前でおしっこして興奮する変態? ふふふ、もしかして、うんちも? ここでする? でも、だめよ。掃除が大変だし、匂いだって」
耳の奥が熱くなった。
「黙りなさい、あんた……っ」
思わず手が動きかける。
だが──
「動くな。ソニア。無抵抗でいろ──」
背後から、ルシアンの声が落ちた。
その一言だけで、身体が硬直する。反射だった。
イリュリアが唇の端を上げた。
「うふふ……じゃあ、命令には逆らえないのね?」
そう言って、少女の手がソニアの腰に回された。
冷たい指先が、太腿のつけ根をなぞった。
「ちょ、ちょっと──」
ソニアは無遠慮な少女の手を軽く払う。
「……あらあら、ご主人様の命令に逆らうの? 忠実じゃないわねえ」
イリュリスがけらけらと笑う。
「ソニア……、一切、抵抗するな」
ルシアンの声が、命令として、空気の振動ごと身体に突き刺さってきた。
……命令。
それを聞いた瞬間、ソニアの手が止まった。まるで意志ではなく、身体の芯がそう決めていたように。
イリュリアの手が、もう一度、ソニアの腰骨を撫でた。
「まあ……本当にいいの? あたくし、そんなに優しくはないわよ」
吐息が肌をくすぐった。痺れにも似た感覚が、背筋を這い上がってくる。だが、それは快感ではなかった。羞恥、そして苛立ち──。
「つんとしてるわねえ。無反応? あら、不感症かしら?」
冷たい指先が、太腿のつけ根を這っても──ソニアの身体は、動かなかった。
感じない──というより、意識が固まっていた。
イリュリアの指は軽く、くすぐるように撫でてくる。少女の姿をしたその女が、あからさまに下腹を弄ぶたびに、羞恥は肌の上を滑ったけれど、奥には届かなかった。そこには、熱も震えも、なにもなかった。
ただ、こみあげるのは、怒りだった。屈辱だった。
ルシアンが「動くな」と言ったから──それだけが、ソニアを縛っていた。
「──ふぅん……思ったより鈍いのね」
イリュリアが肩をすくめながら、わざとらしく指をぬぐう仕草を見せた。
「どこを触っても反応しないなんて。ねえ、ご主人様、この子……ほんとにヴェールスなの?」
からかいの色を残したまま、イリュリアが笑う。
ソニアは唇をきゅっと結んだ。肩が震えそうになるのを、必死でこらえた。
──わたしは、そんな……感度で選ばれたわけじゃ……。
そのとき、不意に。
すぐ隣から、低くて楽しげな声が落ちてきた。
「そんなことはありません」
ルシアンの声。
それは、まるで誰かの飼い犬の芸を自慢するかのような、わずかに笑みを含んだ響きだった。
「ソニアは……僕の手にしか、反応しません」
その言葉を聞いた瞬間、ソニアの背筋がざわりと粟立った。
──やめてよ……。そういう言い方は……。
心のどこかで否定しようとした。けれど、その一歩前に──ルシアンの指が、そっと、背中のくびれに触れた。
「くっ」
熱い。
両膝ががくんと折れる。
たったそれだけの接触で、皮膚の下がぱちぱちと弾けるような感覚が走っていた。
腰の奥、膣の奥、そして乳首が、時間差でじわじわと疼いてくる。
誰か他人の手では、なにも起きなかったのに──彼の手は、言葉よりも早く、命令よりも深く、身体を支配してくる。
ルシアンの両手がソニアの身体を愛撫する。
ただ、なぞられるだけの動きだった。爪も立てず、力も込めず、ただ、なぞるだけ。
なのに、肩から首すじへ、電流のような熱が這い上がってくる。
背骨がきゅうと反り、喉が自然と開いて、言葉にならない吐息が漏れた。
ルシアンの指は、そのまま背中を滑り、くびれに沿って、腰のあたりへと降りていった。
それだけで、脚の奥がじんわりと痺れてくる。両腿の内側が熱くなっていく。
また、もう一方の手は乳房の外縁を、かすめるように撫でていく──。
ソニアは思わず、唇を噛んだ。
震える。息が合わない。足元がふらつく。
指先は、乳房の頂点を避けながら、でも、意図的にそこを意識させるような軌跡を描いた。
触れないのに、そこが疼く。あたたかくなっていく。乳首が硬くなる。
やがて、片手が腰を支えるように回され、もう片方の指が──
ほんのわずか、膣口の上をなぞった。
「あ……っ……」
声が出た。拒絶ではない。反応だった。
軽く、なでるだけ。それだけで、奥がきゅんと収縮する。
──この人は、どうして、こんなに……。
イリュリスにどれだけ触れられても、びくともしなかった身体が、
彼の手にだけ、こうして震える。熱くなる。濡れていく。
そして──耳元に、囁かれた。
「……いっていいよ……ソニア姉ちゃん……」
耳元に、低く落ちる声。
その瞬間だった。
「あ、ああっ……」
なにもかもが吹き飛んだ。
身体が、勝手に果てた。
腹の奥が跳ね、膣が波打つように痙攣した。脚が震え、息が止まりそうになる。
声も、理性も、羞恥すらも、すべてが白く塗りつぶされていく。
気がついたら、ソニアはルシアンの裸身に抱きしめられて支えられていた。
そして、肩越しに視線を感じた。
振り返らずとも、わかった。イリュリアだった。
「……へえ」
その声には、さっきまでの小馬鹿にしたような軽さがなかった。
戸惑いと、なにか妙な敬意が、静かに混ざっていた。
「……冗談じゃなかったのね、ご主人様。彼女はあなたには、絶対に忠誠。逆らわない……。いえ、逆らえない……」
「そう言ったはずですが?」
ルシアンがソニアを離しながら応じる。
ソニアは、息を整えつつ、しっかりと自分の足で立つ。
内腿には、ぬるりと愛液がこぼれて、ゆっくりと膝に向かって流れている。
「試しはいいわ。信用した。合格よ」
”試し”──? ”合格──”?
なんのこと?
いまのは、なにかの確認だったの?
ルシアンは、なにも言わなかった。
ただ、口の端を、かすかに上げていた。
「まあ、いずれにしても、
その言葉は、誰にともなく放たれたものだったが、確かに“許可”の響きを帯びていた。
イリュリアは一拍だけ間を置いて、あたくしと名乗ったときの笑みを、再び唇に浮かべた。
でも、さっきまでの底意地の悪さはもうなかった。
むしろ、淡々と手順を進める者の顔──本来の役割に戻ったような口調だった。
「じゃあ、行きましょうか。ご主人様も、その子も……いえ、ソニアも」
ソニアは、まだ息が整っていなかった。
全裸のまま、太腿を小刻みに震わせながら、なんとか姿勢を保っていた。
羞恥。快感。命令。達したあとの空白。
全部が、ごちゃごちゃになったまま、皮膚の内側にこびりついていた。
イリュリアがゆっくりと足を踏み出した。
音のしない廊下に、彼女の裸足の足音だけが、ほのかに響いた。
ルシアンは、なにも言わず、ただ一歩を踏み出す。
その背中が、歩き出す理由になる。
ソニアも、裸のまま、その後をついていった。
廊下の空気は、まだ少し冷たかった。
地下通路の奥、最後の扉の前で、イリュリアが足を止めた。
「これより先で目にすることに、動揺してはいけませんわ。すべて“日常”の範疇にございますもの」
少女の声は、艶やかに響いた。どこか芝居がかった口調が、かえって警告めいていた。
「わかっています。あいつの悪趣味は」
ルシアンが感情のこもってない口調で返す。
イリュリアが静かに扉を押し開けた。
──薄明かりの空間が広がる。
静謐。そして、淫靡。
その部屋の中心には、三十歳前後の全裸の男がいた。股を拡げて椅子に座っている。陰部を隠すことなく、こっちに正面を向けていた。
いや、一脚の椅子──ではなかった。“椅子のように使われた女”だ。
ソニアは、初め、ただ男が座っているのだと思った。
だが、その男の下──お尻の下に、人間の背があったのだ。
裸の女である。
目隠し、耳栓、口枷。全身を拘束され、膝を折り曲げて、四つん這いで床に這い、まるで家具のように──男の肉体を支えていた。
男の身体は逞しかった。汗が鈍く光り、太腿のあいだから垂れ下がる男根は、いましがた果てたばかりのような艶があった。わずかに湯気が立っていた。
そして──女の肛門から突き出た尻尾のようなもの。
ソニアは、それらに覚えがあった。あれはただの尻尾じゃなくて、《アルフェ》だ。
また、耳栓も、目隠しも、感覚刺激と絶頂制御を担う、レヴィニア財団の高級器具だ。目隠し、耳栓、口枷、尻尾型アルフェ──すべてが、セレノア商会の品。
つまり、この女は、いま──感覚の大半を遮断されている。
ここにソニアとルシアンとイリュリアがいることすら、気づいていない。
「よお、ルシアン。遅かったな」
全裸の男が、こちらを見て微笑む。短く刈られた金の髪と、浅く刻まれた笑み。堂々とした肉体から発される威圧と、無頓着な色気。
「レオ……」
ルシアンの声も妙にくだけていた。親しげな、そして警戒を解いた時だけに見せる、旧友に向けた響き。
「これが例の女か」
「そうだ。今後、僕が来れないときは、彼女がここに来る」
「そうか。お互いに忙しくなるしな。連絡役は必要だ。……私が不在のときは、このイリュリアが代わりを務めよう」
ソニアは、反射的に一歩引いた。
──誰?
「名乗れ」
レオが言った。
「……ソニアでございます」
声が硬かった。
「ほんとはな、跪いて“殿下”とでもつけるべきなんだが……まあ、ルシアンの愛妾ということで、無礼は目をつむってやろう」
からかいの混じった声音。
ルシアンが肩をすくめた。
「お互い、男根をぶらさげたまま、礼儀もあるまい」
その一言に、レオが喉の奥で笑った。
「まったく、おまえってやつは……退廃の美学を再現したドミエンヌをつくり、高級淫具を上級貴族に売りさばいて、王国を堕落させておきながら、肝心なところで妙に慎み深い。まるで修道士かなんかみたいだな」
「僕は仕事でやってる。君の遊びとは違う」
「違いない」
ふたりは、まるで旧知の友のように、軽口を交わしていた。
ソニアは、その瞬間、全てを悟った。
このふたりは、利害でも義務でもない──私的な信頼関係にあるのだ。
互いを知り、互いを試し、そして──いま、この空間で、同じ“秘め事”を共有している。
それはともかく……。ソニアの胸に、冷たい汗がにじんだ。
──皇太子……。
レオナルド=アフォート皇太子。
王国の未来を担う、あの冷厳な第一王子が──目の前で、裸の女を椅子にして、涼しい顔をしている……。
「じゃあ、こいつにも挨拶させようか」
レオが言った。
そして、椅子の女の“尻尾”──《アルフェ》の柄を、指でぎゅっと握った。
「んぐうううっ」
女の身体が跳ねて獣のような声が迸る。そして、がくがくと痙攣した。
震えながら腰が引け、皇太子が尻尾から手を離したときに、がくりと脱力する。
そしてまた沈む。
「──こいつ、いま私以外の人間がいること、わかってないからな。……だからこそ、面白い」
「おまえなあ……」
ルシアンの口調は、呆れたように低かった。
「そう。だからいいんだよ。高慢な女ほど、こうして貶めると興奮する。……なあ、ソニア。こいつが、もし自分の姿を他人に見られてるって知ったら、どう思うと思う?」
ソニアは、なにも言えなかった。
「激怒するだろうな。そうなったら、二人がかりで責め立ててみるのも──。ルシアン、皇太子妃を犯したとなったら、いい土産話になるぞ。いや、やめとくか。さすがにそれは趣味じゃない」
レオがまた、声を立てて笑った。
……皇太子妃。
そう、レオナルド殿下が言ったのを、ソニアは聞き逃さなかった。
あの椅子──いま彼の尻の上にいる、全裸の女。
アナルに差し込まれた尾のような器具。
耳栓、目隠し、口枷。
高級淫具《フォルニア》シリーズを身につけて、皇太子の椅子のようにされている女……。
──あれが……皇太子妃。
貞節で気高い才女として有名な……。
彼女は、いまこの瞬間も、外からの気配を完全に遮断され、皇太子の愛撫だけに意識を支配されている。
この場に誰がいようと、気づけない。
まるで“意志”すら、奪われているように見えた。
「……こいつは、もともと純血派を含む門閥派の一族だからな。政治嗜好も違うし、ずいぶんと冷えきっていたんだが……」
レオナルドが、片手で尾の器具を握り、軽くひねった。
皇太子妃がまたもや激しく痙攣する。
くぐもった呻き声が、またもや、口枷の奥から漏れた。
「おかげで、すっかり仲良しさ。お前の道具のおかげでね」
レオナルドは皇太子妃の尻尾を離して、視線をルシアンに向ける。また、皇太子妃は、随分長くああされているのか、四肢はぷるぷると震え、すでに体力の限界なのが見て取れる。
だが……欲情している……。
それは、四つん這いの股間の下側の床に溜まりができるほどの愛液が滴っていることだけじゃなく、身体全体で示していた。
見てはいけない王宮の秘密を垣間見ている気がする。
「僕がしたのは紹介だけさ。気に入ったのは、そちらの感性というだけだ」
ルシアンだ。
「謙遜するなよ。おかげで、この妻とは、いまじゃ日に三度も交わってる。王宮の下の地下通路で繋げているこの娼館など、いまや、王宮で過ごすよりも長いかもしれん」
「絶倫だな。それに、よくもそんな余裕があるものだ」
「余裕は作るものだ。そうだろう?」
皇太子が笑った。上機嫌のように見えた。
「おふたりが満足なら、僕も紹介の甲斐がある」
「お前が、王都の流通を握っているかぎり、私たちは友だ。だが、門閥貴族は動いている。油断するな」
「心配はいらないよ」
「相変わらず、自信過剰だな」
ルシアンが肩をひとつ揺らした。
「この国を動かしているのは、僕だよ。物資も、情報も、魔道具も……止めてしまえば、すべてが静かになる。貴族の領地も、王都の屋敷も、農村も、全部ね」
「それは脅しか? 友人にしては口が悪いな」
レオナルドは笑って言った。だがその目から、笑みは消えていた。
「ただの事実だよ。……僕が止めようと思えば、今夜の晩餐も、朝の風呂も、王宮の灯りすら消える。そういう仕組みにしてある」
皇太子の顔が、ふっと引き締まる。軽口は影をひそめ、凛とした声音が落ちた。
「──なるほど、忠実な犬ほど、牙の研ぎ方が鋭いというわけだ」
「飼い犬にしては、吠えるだろ?」
「吠えるだけじゃない。噛みつくし、肉を裂くことも知っている」
ふたりの視線が、かすかに交わる。冗談と真意が、きわどく入り混じる瞬間だった。
そして、ふっと沈黙が落ちた。ふたりの間には、互いにしか理解できないなにかがあった。
「まあいい。お前がこの国の流通を握っている限り、俺は味方だ。門閥どもがうごめこうが、俺は動かない。ただ……失敗したときは別だ。お前を守る理由がなくなる」
「それで充分さ。守って欲しいとは言っていない。ただ──邪魔をしないで欲しいだけ」
「それも友情のうち、ということにしておこうか」
ふたりは微かに笑った。
「それにしても、まさか、この椅子が皇太子妃だとは思わなかっただろう?」
レオナルドが小声で、悪戯っぽく言う。
「想像していたより、随分、いい家具だったよ」
「ルシアン……お前はやっぱり、悪趣味だ」
「僕の趣味は、実用性を伴うだけさ」
ふたりの笑い声が重なった。その余韻がまだ残るなか、皇太子がふと付け足すように言った。
「ところで──ヴァランティーヌ侯爵家の扱いだが、好きにして構わん。潰すなり、存続させるなり、家長を替えるなり……私は手を出さん。ただ、邪魔はしない。それだけだ」
ルシアンは一瞬だけ視線を逸らした。
「それで十分だ。僕も、根絶やしにするつもりはない」
「寛大だな」
「存続する価値があるならね。あとは“結果”が証明するだろう」
ふたりの視線が交わった。
ソニアは、ただ黙ってその空気を感じ取った。
──ああ、ここで、侯爵家の運命が決まった。
淫靡で、退廃の象徴のようなこの“場”で。
けれど、力とは、そういうものなのだ。
「じゃあ、またな」
レオナルドが片手を上げた。
「ああ、また、なにか儲け話でもあれば持ってくいるよ、皇太子殿下」
ルシアンも笑って応じた。
「期待してる。それと、このマリーを苛める道具もな」
「最優先で卸す」
退廃と謀略、その奥にほんの少しだけ覗く、男たちの友情の余韻だけが、静かに、そこに残った。
《ご感想・高い評価をいただけますと、次の執筆の力になります。どうか応援よろしくお願いいたします。》
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