※この作品はR-18です。

侯爵令嬢物語【完結】〜羞恥と快楽の果てに令嬢と女騎士の姉妹が選んだ甘美な隷従   作:ドン・ドナシアン

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6章  隷嬢姉妹の調律
57  再び、学園にて


 教室には、午前中の陽射しが差し込んでいた。

 古びた重厚な書架と、貴族趣味のままに金箔を押された黒板が相変わらずの権威を主張している。

 だが──。

 

 その空気を裂いているのは、アデライト=モンテクリュ侯爵令嬢だ。

 彼女の実家のモンテクリュ侯爵家は、「中立派」と呼ばれるレヴァニエ財閥の傘下に積極的に与し、現実的な利害の中で領地経営をする貴族群のひとつである。貴族中心の社会こそがあるべき姿だと考える門閥貴族派とは、裏切り者のように敵視される派閥だ。

 

 だから、これまで、アデライトが目立ったことをすることに接したことなどなかったが、今日はいつになく堂々としている。

 もしかしたら、ドミアンヌの館でセリーヌが同じヴェールスだと紹介し合ったこと、そして、ルシアンにより、セリーヌの父のアルマンが外国に強制移住させられ、代替わりした新当主であるセリーヌの兄のアントールのもと、ヴァランティーヌ侯爵家が寄子貴族ごと。一斉に中立派に鞍替えしたことも関係あるのかもしれない。

 

「……ですから、先生。現在の流通の基幹はレヴァニア財閥による都市間物流網であって、貴族制の通行特権など、いまや形骸化していますわ。違います?」

 

 それはともかく、アデライトのスカートの短さが、講師を論破しようという彼女の力強い姿よりも、彼女の存在を余程に主張していた。

 平民用のものと寸分違わぬそれを、アデライトは堂々と穿いていた。腰のあたりから真っすぐに伸びた脚には、一切の躊躇いがなかった。細く、白く、そしてなにより無防備だった。

 講師──ラドモンド侯爵は、咳払いをひとつした。顔の皺をきゅっと寄せて、苦虫を噛んだような表情をつくる。

 

「それは、歴史的に──つまり──いや、しかし、若干の誤解が──」

 

「では、これは歴史の授業ですの? それとも、現在の流通を扱う“実務”の授業でしょうか」

 

 教室に、くすりと笑い声が漏れた。だが、セリーヌは笑わなかった。

 アデライトが席に腰を下ろす。

 そのとき、セリーヌの位置からは、アデライトの動きがよく見えた。彼女は、座り直すときに、スカートを手で払わなかった。お尻の下にスカートを敷き込むような座り方を避け、スカートの中のお尻が直接に座席に接するようにするという意志のある動作をした。

 その一瞬、アデライトの脚の付け根から、なにかが“無い”のが見えた。

 

 下着を──はいていないのね……。

 

 そして、目が合った。

 ほんの一瞬、アデライトはセリーヌにだけ目配せを送る。

 その眼差しは、まるで舞台の袖から、次の出番を教える先輩役者のようだった。

 

 今日は久しぶりの登校になる。

 最後に登校したのは、学園内の喫茶店で突然のルネ=ベルモントの来訪を受けたときなので、多分、半月ぶりくらいになる。

 驚いたのは、実に多くの女生徒が、あの財閥寄贈のスカート丈の短い制服を身につけていたことだ。平民だけでなく、貴族令嬢にもかなり浸透していた。

 そして、貴族生徒だけではない。平民の生徒たち、使用人の子息、教師たち、そして──下級騎士の制服を着た見習い生たちがセリーヌに向かって挨拶をしてきた。

 皆が、なぜか、侯爵令嬢セリーヌ=ヴァランティーヌに対し、敬意を表してきたのだ。

 どうやら、セリーヌは、上級貴族令嬢でありながら、平民に意思を持って歩み寄った「小さな革命」の先駆者のように評価されているらしい。

 だが、その視線がすぐに、挨拶のたびに、驚きと奇異、そして、男性については好色の色に染まった。

 

 ──脚だ。

 

 セリーヌは、平民の短いスカートよりもさらに短く整えられたスカート丈の制服を身につけていたのである。

 制服のスカートの裾は、脚の付け根から拳一個分くらいしかない。

 今日は、クロエもまた、短いスカート丈の寄贈制服に身を包んでいるが、クロエが以前のセリーヌが身についていた太腿の半分ほどの丈なのに比べれば、今日のセリーヌのスカート丈は、さらにその半分だ。

 平民生徒でもはかないような短いスカートに、誰もが目を丸くし、唖然としていた。

 

 だが、勇気をだして──そして、誇りを抱いて、そのスカートをはく。素足を晒す。

 セリーヌは、もう隠さないと誓ったのだ。羞恥を快感に変え、恥辱を悦びにするヴェールスであることを。

 視線は無数にあった。だが、さすがに誰もそれを非礼とは言えなかった。

 貴族講師たちのなかには、不快そうな顔をする者もいた。だが、セリーヌの家格の前に、なにも言えない。なにより──彼女自身が、あまりに平然としているので、圧倒されてしまった感じになったようだった。

 

 ──でも、訊かれれば、答えるつもりだった。

 羞恥に悦びを感じていると……。

 だが、訊かれることはなかった。

 だから、ただ歩いた。堂々と──背筋を伸ばして。

 そしていま、こうして座っている。

 

 講師の授業が続いている。

 ラドモンド侯爵の声は、教室の隅々まで届くように張られていたが、語られているのは──いささか古めかしい流通経済学だった。

 

「──例えば、第五階級以上の貴族家に与えられている“街道通行印”は、代々の王命に基づくものでありまして……本来、レヴァニア財閥のような企業体が複数の都市を跨いで自由に運輸を行うなどというのは、制度上きわめて──きわめて、異例であるわけであります……」

 

 彼の指が震えながら、黒板に並ぶ図をなぞる。そこには王都と各地方都市を結ぶ“旧来の街道”と、それに沿って設置された“関税所”の名前が並んでいた。ラドモンドは、指し棒でそのひとつひとつを追いながら、忠実に“教科書どおり”の説明を続けていた。

 

「……そのため、通行に際しては各関所ごとの印と許可証、つまり“納印状”が必要となります。これは第一に、各領主の治外法権を守る意味でも……」

 

 古く、枯れていた。

 明らかに時代遅れの授業──。

 生徒の何人かは、すでに視線を教科書の上ではなく、窓の外へ向けていた。

 だが、講師はそれに気づいていないように見えた。あるいは──気づかないふりをしていたのかもしれない。

 そして、セリーヌの耳に、クロエの声が届く。

 

『乳首が疼き、むず痒くなります』

 

 淡々とした、しかし、なによりも明瞭な口調で……。

 

「くっ……」

 

 その声のとおりの疼きが乳首に発生して、セリーヌは思わず小さな声を漏らしてしまった。

 横に座るクロエの前のノートには、確かにその文字が記されていた。クロエが小さなペンを走らせ、行儀よく整えられた文字列。そのすべてが、セリーヌの“耳”を通じて、脳に命令のように流れ込んでくる──そんな仕掛けが、彼女の身に装着されているのだ。

 

 《スピナ=レクタ》──。

 

 かつて、ジャンヌが王国騎士団で拷問にかけられた際に使われた、神経を制御して苦痛や快楽を引き起こす“神経支配具”を、ドミエンヌの研究班が淫具として、早くも技術開発したものだそうだ。

 ルシアンに言わせれば、「あの下劣な拷問具よりも、遙かに平和的な品物」らしいが、財閥の淫具販売用の商会であるセレノス商会でいずれ販売予定の試作品と教えられた。

 ルシアンからの指示は、その実験台になってこいというものである。

 

 とにかく、セリーヌが耳に着けている“銀の小飾り”は、ジャンヌが拷問を受けた支配具の魔道具の進化型とのことだ。

 この装具は、単に文字を音声に変換して届けるだけの通信機能にとどまらない。

 特定の記号を先頭に加えた命令文を聞き取ると、感覚中枢に作用し、その内容を──たとえば“疼き”や“痒み”といった感覚を──該当部位に直接、錯覚として発生させるという特性を持っている。

 

 今日のセリーヌは、ルシアンの命により、あえて“通常の下着”を着用して登校している。

 ペニティ。平民の女学生が用いる、横で紐を結ぶ簡素な白い下着。魔道的な仕掛けはない。だが、それでも──“スピナ”が作用して、外装があろうと、なかろうと、命令の届いた部位には、確かに反応が現れるのだ。

 

 乳首の奥に、じんわりとした疼きが生まれていた。皮膚の裏側をくすぐるような、じんじんとした“むず痒さ”。誰の手にも触れられていないのに、まるでクロエの指先で撫でられているかのような──そんな錯覚が、セリーヌの身体をじわじわと支配していく。

 痒みが、ゆっくりと乳首に拡がっていく。

 

『膣口の奥を、じんわりと疼かせます……』

 

 再び、クロエの文字がノートに走る。

 そしてまた、セリーヌの耳に、声となって届く。

 彼女は、かすかに息を止めた。反応を悟られないように──。

 

 膣口の奥が、じんわりと疼いた。

 熱ではない。

 ただ──掻きむしりたくなるような、奥底からこみ上げてくる“痒み”だった。

 

 耳飾り型の魔道具《スピナ=レクタ》が、セリーヌの脳へと言葉を伝え、神経に作用しているのだ。

 クロエの文字が命令になり、その声が感覚となって、セリーヌの身体に浸透する。

 

『脚を少し開いてください……』

 

 耳に届くクロエの声は、優しかった。けれど、容赦はなかった。

 しかし、感覚に関することとは異なり、行動については、セリーヌの自由意志で拒絶は可能……。

 “脚を開け”というのは行動だ。実行するか、否かはセリーヌの意思による。

 でも、クロエの命令を拒絶などできない。──いや、拒否なんでしたくもない……。

 

 セリーヌは机の下で、そっと両脚をずらす。

 拳ひとつ分。

 それでも、羞恥の濃さはひどくなった。

 短いスカートから露出した太腿が、わずかに外へと開くたび、空気がそこへ触れる気がした。

 

『もっとですよ』

 

 言葉が届くたびに、命令のように身体が反応する。

 誰も気づいていない。そう思っていても、心臓が音を立てていた。

 

 もう一度、脚を開く。

 それでも足りなかった。

 

『もっとです』

 

 その声と同時に、膣の奥がまた疼いた。

 反射するように、セリーヌの脚がさらに開く。

 肩幅よりも──広く。

 羞恥の熱が、頬にまで滲んでいた。

 

『乳首と膣が疼きますよね。ふたつの感覚を繋げます。服の上から乳首を愛撫して、達してください。脚を閉じてはいけません』

 

 ──達してください。

 その言葉に、全身の感覚が震えた。

 

 セリーヌは、小さく息を吐いてから、机に肘をつく。

 誰にも気づかれないよう、前傾姿勢をつくる。

 両手を身体の前に添えたまま、左腕で胸元を隠し、右手の指先を──そっと、制服の上から胸へ。

 

 服越しに、乳首に触れようとした。

 

 そのとき。

 ──視線を感じた。

 

 横顔を向ける。

 数人の生徒を越えた先。

 アデライトがいた。

 彼女は、じっと、こちらを見ていた。

 

 まるで──最初から、すべてを見届けるつもりだったかのように。

 

 セリーヌの手が、止まった。

 羞恥が理性を押し返してくる。

 手を離そうとした、その瞬間──。

 

『決心がつかないようですね。痒みを三倍にします。絶頂すれば、痒みは消滅します』

 

 耳元で囁くクロエの声が、思考の芯に突き刺さった。

 

 ──次の刹那、全身を灼くような疼きが襲った。

 

 乳首の奥が、焼けるようにむず痒く、じんじんと高まっていく。

 膣の奥にも、同じ感覚が走る。

 まるで火の粉が神経を這うように、身体の内側を這い回った。

 

「くっ……」

 

 セリーヌは、声を殺した。

 喉の奥で震える叫びを、食いしばった歯で封じた。

 唇の内側を噛みながら、ただ、じっと耐えた。

 

 ……それでも、身体は、抗えなかった。

 声が出そうになる。

 セリーヌは、ぎゅっと奥歯を噛みしめて、顔を伏せる。

 

 もう一度、周りを見る、セリーヌに視線を向けているのは、アデライトの視線だけ……。それが唯一の救いだった。

 誰にも気づかれていない。でも彼女だけは知っている。

 だけど、セリーヌは広告塔……。

 知られたとしても、堂々としなければならないのだ……。

 セリーヌは、決心した。

 拒絶は、ルシアンとの約束を破ることになるんだ……。

 

 左肘を机に突き、上半身をわずかに前に傾けながら、右手をそっと胸元へと──。

 制服の布越しに、乳首の位置を探り、指先で静かに挟み込む。

 その瞬間、内側で、感覚の“連鎖”が起きた。

 

 スピナ=レクタ。

 ──耳に装着された、魔道神経伝達具。

 その影響は、乳首からの刺激を、まるで“命令”のように、他の性感神経へと繋げる働きを持っていた。

 

 乳首を摘まんだだけで、脊椎の奥から股間にまで感覚が直通する。

 膣の深部が、熱く痺れるように疼き、クリトリスには、乳首の感覚が転移したかのような反応が生じた。

 ──もはや、区別がつかない。

 乳首を刺激しているはずなのに、身体は、膣を突かれ、クリトリスを舐められているような錯覚に陥っていた。

 

「っ……」

 

 声が喉に詰まった。

 脚の奥が、びくんと震える。

 すべての神経が、ある一点に収束し──そのまま、熱に溶けてゆく。

 

 魔道の“誤作動”ではない。

 クロエの文字を媒介にした、完璧な操作。

 乳首、膣奥、クリトリス──三点の性感が、まるで一本の弦で結ばれたように共鳴し、セリーヌの身体を深く、甘く貫いた。

 

 痒みが、突然、かたちを変えた。

 ──それは、ひとつの痺れだった。

 皮膚の下に、鈍く、柔らかく、火が灯るように。

 乳首を指で挟んだ瞬間、そこから流れ出したものがあった。まるで、胸の奥で眠っていた細い泉が、ひと筋、身体の中心へと流れ落ちたような感覚。

 

 脚のつけ根が、かすかに震えた。

 そこにある“なにか”が、引き寄せられ、乳房の刺激と共鳴する。

 スピナ=レクタの魔道効果。それは感覚を繋ぎ合わせ、もともと別々だった疼きを、ひとつの感覚に再構成していく──。

 まるで、乳首を撫でることが、膣の奥を指先で撫でることに変わるような錯覚。

 

 そして、それは錯覚ではない。

 

 肌の奥に、圧がある。じんじんとした疼きが痒みに転じ、痒みが熱へと変わり、それが波となって押し寄せた。

 波は小さくなかった。

 一度、腰の奥で膨らんだそれは、背筋を駆け上がり、喉の奥を擦って抜けていく──。

 

 肩がわずかに震えた。

 声が出ないようにと、歯を噛み締める。

 鼻から抜けた吐息が、熱を帯びる。

 

 身体が、痙攣していた。

 ほんの一秒。だが、永遠にも感じられる長さだった。

 全身の皮膚が突っ張る。感覚が、脳の奥に直接叩きつけられる。

 熱い。脈が、乱れている。指先が冷たく、背中だけが汗ばむ。

 

「くっ、んんんっ……んんんっ」

 

 世界が、白く染まった。

 音も、匂いも、色さえも。

 ──いまだけ、自分の五感のすべてが、内側に閉じている。

 閉じて、跳ね上がる。深く、誰にも届かない場所へ。

 

 その瞬間、セリーヌの唇は、ほとんど見えないほど小さく震えていた。

 セリーヌは、静かな絶頂を極めた。

 

 ──カーン……。

 

 高らかな鐘の音が、教室の天井に反響した。

 

 二時限目が終わったことを告げる合図だ。

 生徒たちは一斉に立ち上がり、教科書やノートを鞄に詰め込みながら、昼食へと向かう。

 笑い声。椅子を引く音。廊下の足音。

 ざわめきの中で、セリーヌだけが、まだ微動だにできずにいた。

 

 膝に置いた手は、わずかに震えていた。

 喉の奥に残る乾いた息と、胸の奥にこびりついた熱。

 脚は閉じられないまま。羞恥と快感の名残が、身体の芯に絡みついていた。

 

 教室の喧騒が遠のいていく。

 生徒たちの靴音、笑い声、椅子を引く音。すべてが、少しずつ教室の外へと流れていくなかで、セリーヌだけが、まだ席を立てずにいた。

 

 鼓動は、いまだ胸の奥で余韻を刻んでいる。膝に置いた手の指先は、微かに震えていた。

 

「ランチに行きましょうか、お嬢様」

 

 クロエが、整然とした手つきで教科書を鞄に納めながら、平然とした声で言った。

 セリーヌは答えず、唇を噛むようにして、少しだけ身を縮めた。

 

「……意地悪……」

 

 小さく拗ねたような声だった。クロエは、その呟きを否定も肯定もせず、ただ微笑んだ。

 

 そこへ、アデライトが歩み寄ってきた。

 わざとらしくセリーヌの机の前で立ち止まり、左右をちらと見て、ひそひそと声を落とす。

 

「さっきのこと……達してたわよね。びっくりしたけど、可愛かったわ、セリーヌ様」

 

 セリーヌは咄嗟に顔を伏せた。耳朶まで熱くなっていくのを感じる。

 だが、クロエがさらりと言葉を継いだ。

 

「調教の成果です。お嬢様は、とても素直で、感受性が高いんです」

 

「ふふ、確かに。こんなに短いスカートを穿いて、堂々としてるのに、ああいうときだけ、恥ずかしそうに身体をすくめるの、すごく可愛い」

 

 セリーヌは反論できなかった。

 視線を上げられない。机の木目だけをじっと見つめている。

 

「しかも、その脚。いまや、学園中の話題じゃなくて?」

 

「羞恥と快感を結びつけているのは、お嬢様の美点です」

 

「ええ、わかる。顔を赤らめて、ぎりぎりまで我慢して……それでいて、指示には逆らえないでしょ。見ていて、本当にいじらしい」

 

 クロエとアデライトは、まるでサロンで紅茶でも飲んでいるかのような口調で、当たり前のようにセリーヌについて語っていた。

 

 ──お願い、やめて……。

 

 心の中で叫ぶように思ったが、声にはできなかった。

 羞恥の炎が、喉の奥にまでこみ上げてくる。なのに、ふたりの会話は止まらない。

 

「可愛いのよね。素直で、どこまでも純粋で」

 

「そして──誰より、悦びに従順です」

 

 セリーヌは机の縁に額を寄せるようにして、そっと目を閉じた。

 耳の奥で、まだクロエの声が残響しているようだった。

 

 快感の名残ではない。これは、羞恥だった。

 たったひとつの台詞よりも、無言で見られるよりも──こうして褒めるように笑われるのが、いちばん堪えた。

 

 だから、何も言わずに、そっと肩を震わせた。

 まるで、褒められれば褒められるほど、羞恥の奥にあるなにかが、暴かれていくようだった。

 

 教室の空気が、わずかに揺らいだ。

 ゆっくりと、ひとつの影が、セリーヌたちの上に落ちた。

 顔を上げる。そこにいたのは、ルネ=ベルモント。

 かつて婚約の名のもとに結ばれ、いまは破棄されたはずの男だった。

 

「ご用でしょうか?」

 

 クロエがすっとセリーヌの前に立つ。

 声は冷ややかで、まるで目の前にいる相手を空気のように扱っていた。

 

「話がある。少し時間をくれないか、セリーヌ」

 

 ルネの声音は、どこか迷いを含んでいた。

 あの、命令口調しか知らなかった男にしては、随分と弱々しい声音だった。

 顔も、どこか思い詰めたような色をしている。悲痛、と呼んでもよかった。

 

 セリーヌは、素直に疑問を感じた。

 ──でも、どうして、いまさら。

 

「お引き取りを。お嬢様とあなたとの婚約は破棄されています。いまや、なんの関係もありません」

 

 クロエの声は鋼のようだった。

 まだ、教室には幾らかの生徒が残っていたが、その場にいた誰もが、彼女の言葉の正しさを疑わなかった。

 

「俺は納得がいかない。当人同士の話し合いもなしに、一方的に破棄だなんて、そんなの納得できるわけがない」

 

「そもそも、婚約そのものが正規なものではなかったと伺っております。お嬢様と貴方とは、正確には婚約破棄どころか、婚約という事実さえなかったのです」

 

 クロエの言葉は事務的で冷徹だった。

 

「……俺は知らなかった。だが、それでも……一度でいい。話がしたい」

 

「あなた、いい加減にしては? 家同士の話が終わっているなら、当人同士の話など、いったいなんの意味があるというの」

 

 アデライトの声は、少しだけ嘲るようだった。

 

「口を挟むな──」

 

 ルネが声を荒らげた。その瞬間、教室の空気が、またわずかに緊張を孕む。

 だが、セリーヌは立ちあがり、毅然とルネに身体を向けた。

 

「話し合うことなどありません。わたしはすでに──ルシアン=モントレフォール子爵との再婚約の手続きが完了しています」

 

 その言葉に、ルネは明らかに動揺した。

 眉をしかめ、唇を引き結ぶ。けれど、なおも食い下がる。

 

「……それでも俺は……話をしたい。納得できない。君がちゃんと、自分の言葉で言ってくれれば、俺は……」

 

「しつこいですね」

 

 クロエが、セリーヌの肩の前に半歩、進み出た。

 

「なんだと──」

 

「どうしたのです。また、殴りますか? お引き取りください。お嬢様の時間は、貴方のためにあるのではありません」

 

 はっきりとした口調だった。柔らかさのかけらもない。

 

「……とにかく、一度だけでいい。話を──話し合いを……」

 

 ルネは、執拗に食い下がる。

 視線がセリーヌに向けられていた。だが、その視線は、かつて見せたような尊大な光ではない。

 未練と焦燥──。そんな感じだ。

 このルネに、セリーヌに対して、そんな感情があったのは意外だが……。

 

「呆れました」

 

 クロエが小さく息をついた。

 

「そもそも、目的はなんです? まさか、よりを戻そうとでも仰るんじゃないでしょうね」

 

 その言葉に、ルネは明らかにたじろいだ。

 わずかに視線を逸らし、唇を噛んだあと、かすれた声で言った。

 

「……家のことなら、俺がなんとか説得する。この前のことは……悪かった。本心じゃなかった。どういう状況であれ、俺は──別れるつもりはないんだ」

 

 セリーヌは、その言葉を正面から受け止め、はっきりと口を開いた。

 

「なら、話し合いは不要です。いかなることがあろうとも、あなたとよりを戻すつもりはありません。わたしはすでに、ルシアン様の所有物ですの」

 

 ルネの表情が、はっきりと歪んだ。

 傷ついたような色が、一瞬だけその顔に宿る。だが──すぐに、怒りがそれを塗り潰していった。

 

「……応じてくれなければ納得がいかない。承知してくれるまで、俺はつきまとう。とにかく、一度だけだ」

 

「仕方ありませんね」

 

 クロエが、今度は肩を落とし、深く溜息をついた。

 

「一度だけです。ですが、前回のように不埒なことをすれば、今度こそ、警備詰所に身柄を引き渡します。よろしいですね?」

 

 ルネは、一瞬だけ言葉に詰まり──そして、頷いた。

 

「……それでいい」

 

「なら、応接室を使いましょう」

 

 クロエが淡々と切り返す。

 

「お嬢様、参りましょう」

 

「……えっ……はい」

 

 セリーヌは頷いたが、その声にはいくらか困惑が滲んでいた。

 横に並びながら、クロエに小さく囁く。

 

「どうして……認めたの?」

 

「この際ですから、引導を渡してあげましょう」

 

 クロエの声音は落ち着いていた。

 そして、さらにそっと付け加える。

 

「……わたしの指示には、従ってくださいね」

 

 その一言に、セリーヌは、気圧されるように小さく頷いた。

 三人の背後で、アデライトが軽く手を振った。

 

「また今度ね、セリーヌ様」

 

 その言葉を背中に受けながら、三人は静かに応接室へと歩き出した。

 学園の応接室は、空いていれば誰でも自由に使用可能であり、そのための部屋が十室ほど並んでいる。

 並んでいる応接室のひとつに入るなり、ルネが語気を強めた。

 扉は完全には閉じてない。人ひとり分程度の隙間を作っている。ただし、魔道具があり、会話の中身は廊下には漏れるとこはない。

 

「ルシアン=モントレフォールなんて、爵位も浅い新興貴族だ。もとは平民だろう? 貴族の矜持も知らない男に、君が従うなんて理解できない」

 

「爵位の“古さ”が誇るに値する時代は、もう終わっています。血筋だけで運営できる国なら、とっくに破綻しています」

 

 セリーヌはまっすぐにルネを見据えて言った。

 以前は、言えなかったこと、わからなかったことをいまは堂々と主張できる。

 これもまた、あの館で様々なものを知り、教わり、資料や文献も読ませてもらって、現実を知った結果だと思う。

 

「いや、レヴァニア財閥はもうじき瓦解する。王家も財閥解体に動いている。門閥貴族がようやく一枚岩になったんだ」

 

「門閥貴族の結束など幻想です。利害と立場が複雑に交錯する以上、連携は一時的な方便にすぎません。それに、門閥貴族が主体の貴族院でも、最近は投票が割れる傾向にあります。ルネ様こそ、現実を見るべきです」

 

 ルネは口をつぐみかけたが、食い下がった。

 

「そんなことはない。お前……いや、セリーヌが知らないだけた。第二王子殿下こそ、次の王国を率いてくださる方になる。そうなれば、王国は一変する。かつての秩序ある姿に戻るのだ」

 

「それこそ、幻想ではありませんか。第二王子殿下は、政治よりも風流を尊ぶお方。皇太子殿下とのお仲もよく、あなた方の旗頭にさえなって頂けないでしょう。第二王子派などという派閥そのものが存在しません。わたしもものを少しは覚えました」

 

 これも、以前にクロエが言っていたことだ。

 第二王子派などあり得ません。貴族だけによる国政と流通支配などいまさら、戻るわけはないと。

 調べてみたらそのとおりだった。

 

「違う──。あのお方はそのように振る舞っているだけだ。いつか必ずや我ら門閥貴族の想いに応じてくださる」

 

「そのいつかが、いまでないなら、この議論そのものが無意味でしょう」

 

「女のくせにうるさい──。とにかく、財閥のやり方は暴力的だろうが。通商も、学問も、全部自分たちで握って……まるで平民が貴族を支配しているようなものじゃないか」

 

「支配ではありません。機能の代行です。貴族が果たせていなかった平民への役割を、財閥が担っているだけのこと。わたしたちが貴族らしさに固執しすぎた結果が、いまです」

 

「君がそんなふうに冷たくなるとはな……昔は、もっと──」

 

「感情の話なら、あなたのほうが得意でしょう。わたしはいま、論理で話しています。なにもかも、時代の要請に応じて変わっている。変われない者が淘汰されるだけです」

 

「……変わったな。前はもっと素直だった」

 

 セリーヌは、ふっと細く息をついた。そして、言葉を選ぶように、静かに口を開いた。

 

「──いまでも素直です。それと、大事なことなので、もう一度言っておきます。わたしは、ルシアン様の所有物です」

 

 その一言に、ルネの顔色が変わった。

 

「……は? なにを言ってるんだ。人が人を所有するなんて──。ああ、あの館の洗脳か──」

 

「洗脳などされてません」

 

「じゃあ、なんなんだ──?」

 

「自分の意志で生きているつもりだった。でも違った。わたしは、選びたいと思いながら、選ばれたいと思っていた。導かれたかった。命令され、否定され、支配されることが、こんなにも安心を与えてくれるものだと──ルシアンは、それを教えてくれました」

 

 ルネは拳を握り締めた。傷ついたように眉を寄せ、吐き捨てるように言った。

 

「……それを洗脳というんだ──」

 

「いいえ。違います」

 

 セリーヌの声は揺れなかった。

 

「なにが違う──?」

 

「これは解放です。自分の弱さを認めて、それでも生きていく力を与えてくれたのが、あの方です」

 

「馬鹿馬鹿しい──」

 

 ルネが真っ赤になった。

 そのときだった。

 その瞬間、セリーヌの耳に、あの声が届いた。

 

『脚を組んで』

 

 淡々と、しかし拒絶を許さぬ抑揚だった。クロエの声。

 思わず振り返ると、彼女はノートではなく、手元の銀軸のペンを使い、宙に何かを描いていた。空中に記すだけで命令を伝達するように設計された、新型の《スピナ=レクス》の送信具──。

 

 脚を組む──ただ、それだけの命令だった。

 だが、いまこの場にはルネがいる。真正面に座り、執拗に何かを訴えようとしている、かつての“許嫁”だ。

 

 いま脚を組むということが、どう見えるか──セリーヌにはわかっていた。

 それでも、クロエの命令は、セリーヌにとって“絶対”だった。

 従うことを、恥だとは思わない。それどころか、セリーヌのなかには、命令され、従順に従うことの悦びが、確かに根を張っている。

 

 だから──脚を組んだ。

 ゆっくりと、意識的に。スカートの布がわずかに揺れ、足先が交差する。

 

 真正面にいたルネが、言葉を失った。

 怒りでもなければ、軽蔑でもない。戸惑いのなかに、思いがけない動揺が混じる。

 見慣れたはずのその姿が、まるで別人に見えたのかもしれない。自らの“いま”を受け入れ、堂々と命令に従うセリーヌの姿を──。

 

 セリーヌは、静かに視線を返した。

 口元には笑みもなければ、挑発もなかった。ただ、真っすぐな眼差しだけがあった。

 

 ルネが我に返ったように、口を開き、再びルネの言葉が続く。

 貴族の誇り、王家の意向、門閥の結束……。表現を変えながら話が繰り返す。

 けれど、その言葉は、セリーヌの耳にはもう届いていなかった。

 

 ……響いたのは、別の声だった。

 

『脚を組みかえましょう。そのとき、脚を大きく開いてペニティも、少しだけ見せましょう』

 

 クロエの声だった。脳の深部に落ちる。耳元に柔らかく──だが、抗えない確かさで伝わってきた。

 セリーヌは思わず、クロエの方を見た。

 彼女は応接室の壁際で、ペンの先を宙に滑らせていた。ノートは使わず、空中に流れる魔道文字だけで“命令”を記述しているのだ。スピナ=レクタは、それを読み取っている。まるで、視線だけで意思を伝えるように。

 そして、また伝わってくる。

 

『命令です』

 

 ──この場で、また、そんなことを?

 

 身体がこわばった。けれど、それでも──セリーヌは拒めなかった。

 羞恥の奥で疼く、自分の“欲望”を知っていた。クロエの意志に従うことは、自分が決めた“在り方”だった。

 

 唇を噛み、指先を膝に置く。できるだけ、ごく自然な仕草を装って、ゆっくりと、足を組み直す。

 片脚が滑り上がり、スカートの隙間がわずかに開く。

 脚を組み直す前に、途中で動作を止める。脚が開かれ、完全に下着の白いペニティが見えるように……。

 

 ──いま、どう見えているのか。ルネからどんな風に……。

 

 怖かった。でも、もっと怖いのは──この快感だった。

 

 ほんの一瞬、ルネの言葉が止まった。

 怒鳴りかけていたはずのその唇が、言葉を見失ったように震えた。

 視線が、明らかにセリーヌの脚の付け根付近に落ちていた。

 

 セリーヌは、身じろぎもせず、そのまま視線を逸らした。脚は再び組み直されている。

 心音が早くなる。熱が、脚の内側を這い上がってくる。

 クロエはなにも言わない。ただ、静かにセリーヌを後ろから見ている。視線を感じるのだ。

 それだけで、十分だった。

 セリーヌは、軽く目を閉じた。羞恥に焦がれながら──それでも凛と、姿勢を崩さずに、息を整えていた。

 

 ルネの「演説」がまた始まる。

 しかし、明らかに迫力を失っている。

 動揺を隠せないのがわかる。

 その視線は、はっきりとセリーヌの短いスカートから剥き出しになっている“脚”に注がれていた。

 

 セリーヌの耳朶に、またもや、微かなささやきが届いた。

 クロエの声だった。

 

『今度は脚を戻して、脚を開いて。……ペニティが見えるように』

 

 一瞬、心が跳ねる。命令の意味を理解するには、時間は要らなかった。だが、それを実行する勇気は、容易には湧かない。セリーヌは躊躇い、ふと視線を落とした。

 

 けれど──クロエの命令は、従うべきものだった。

 ゆっくりと脚を動かす。組んでいた脚をおろし、少し開き気味にする。さらに、椅子の上で腰をずらした。

 スカートの裾がわずかにずり上がった。

 ペニティ──これで、白い薄布の下着が、ほんの一瞬、相手の視界に晒されたはずだ。羞恥の熱が、頬を焼く。

 そのときだった。

 

「……っ」

 

 ルネの表情が変わった。目に怒りとも欲望ともつかぬ火が灯り、椅子を押しのけるようにして立ち上がった。

 セリーヌの目前に、影が覆いかける。彼の足音は、床に緊張を響かせる。

 

「お嬢様──っ」

 

 クロエが低く叫ぶより早く、セリーヌの左手首の護身具が反応した。

 青白い光が閃き、ルネの身体を襲う。電撃のような魔力の奔流。ルネは一瞬、虚空を掴むようにして膝を崩し、床に倒れ込んだ。

 

「……つっ、ちがう、違うんだ……っ」

 

 呻くようにして叫び、這い寄ろうとする彼のもとへ、わずかに開いている扉が大きく開かれ、警備兵が数人、応接室になだれ込む。

 

「拘束を──」

 

 クロエの指示が鋭く飛ぶ。

 魔道具を手にした警備兵たちが、ルネの両腕を取り、引きずるようにして立たせる。

 

「この幻写晶の映像記録に、あなたが不躾に迫った様子はすべて収められております」

 

 冷淡に言い放ち、クロエは衛兵のひとりに幻写晶を手渡す。

 気がつかなかったが、記録用の魔道具で映像を撮っていたらしい。

 ルネはなおも何かを叫ぼうとしたが、幻写晶の証拠を示され、言葉を失った。

 ルネが警備兵に拘束されたまま、外に連れ出された。扉が閉まる。

 ふたりきりになり、応接室は束の間、静寂になる。

 しばらく、沈黙。

 セリーヌは、すでにスカートの裾を引き下ろし、もう脚を閉じている。心臓が、さっきまでの緊張を引きずって早鐘を打っていた。

 

「……あれ、ほんとうに記録してたの?」

 

 クロエに目を向けながら、困惑を滲ませて問う。

 

「お嬢様の姿は映っておりません。幻写晶の記録は、こちらの調整してましたから」

 

 クロエは平然と応じた。その声には、どこか満足げな響きがあった。

 

「もしかして、最初からこうするつもりで……?」

 

「どうでしょう。ほかのやり方も考えておりましたが、たまたま一番簡単な方法で引っ掛かったということですね。あの男は、理性よりも本能が行動を律する性質ですので」

 

「一番……簡単な方法?」

 

 そう評価されることは、セリーヌとしてはかなり不本意だ。

 自分から下着を見せたり、脚を開いたりするのは死ぬほどに恥ずかしかった。

 

「ですが……お嬢様の色香で、ルネの理性を吹き飛ばすことに成功したという点では──」

 

 クロエが続ける。そして、ことさら丁寧な口調のまま、言葉を切る。

 

「……館での修行も、なかなかの成果ですよね」

 

 セリーヌは思わず頬を染めた。

 

「……クロエの意地悪……」

 

 ぼそりと呟いたその声に、クロエがくすりと微笑んだ。

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