東方二次創作劇場「月と太陽」 - 太陽の章 - 作:俄かさん。
深淵の闇はまるで無限の海のように魔理沙を呑み込もうとしていた。
西行妖の内部、その深部へと続く回廊はともすれば時間の概念すら溶け去った異空間だった。
闇はただ暗いだけではなく、まるで生きているかのように脈動し飛び込んだ魔理沙を捕らえんと蠢く。
その耐え難い重圧が魔理沙の小さな身体に容赦なく圧し掛かり、跨った愛用の箒すらミシミシと軋ませる。
そして荒れ狂う突風が魔理沙の金色の長髪や身に纏う黒白のエプロンドレスを弄ぶように不規則に揺らしていく。
ふと耳を澄ませば、おどろおどろしいまでの数多の怨嗟の呻き声が吹き荒ぶ嵐に交じって聞こえてきた。
それはかつて西行妖に魅入られ、喰われた亡者どもの魂の叫びだ。
(……悔しい、喰われた)
(まだ死にたくなかったのに)
(生きたかったのに)
そのひとつひとつの叫びはとてつもなく重く、この上ないまでの恐怖と混乱をもたらし魔理沙の心まで激しく揺さぶりをかける。
(くそっ、冗談じゃねえ。そんなのいちいち聞いてられっかよ!)
かちかちと震える歯を食いしばりながら、魔理沙は必死にそれに抗い、尚も突き進む。
だが。
「あ?」
不意に目の前に「巨大な何か」が現れ、行く手を遮った。
それは亡者どもの集合体。
「オマエモ道連レニ」
怨霊の塊は大きな「顎」を生み出し、ぽっかりと大口を開けて魔理沙を喰らわんと迫る。
「星符・マスター・スパーク!!」
咄嗟に魔理沙は「切り札」のミニ八卦炉を取り出す。
高出力のビームによりその化け物は吹き飛んだかに見えたが。
「っ、おい、冗談だろ?」
散り散りになったそれらはまた集まり、何事もなかったかのように元の態を取り戻していた。
同時に耳障りな風切り音が鳴り響き、丸太のような「腕」が伸びて魔理沙の小さな身体をまるで木の葉のように撥ね飛ばす。
「がはっ?!」
その背が「ありもしないはずの壁」に勢いよく叩きつけられる。
その衝撃で崩れ落ちるよりも早く、続く「平手」の一撃が魔理沙を襲う。
「ざけんなっ」
突きつけるその切り札。
一点突破できないなら一網打尽にするまでだ。
「魔符・スターダストレヴァリエ!!」
彼女の周囲にまるで星空を切り取ったような無数の光点が瞬き始めた。
それは小さな星屑のようでありながら、触れるもの全てを焼き尽くす魔力の奔流だった。
その奔流はその手をその腕をそして迫る顎さえも、そのことごとくを吞み込んで怨嗟の呻きもろとも闇さえも打ち払っていくのだった。
「あきらめねぇ。あたしはあきらめねぇぞ!ぜってぇあきらめねぇからな!!」
その身に宿る魔力が枯渇するのを感じながらも、魔理沙は己を鼓舞するように声高らかに叫ぶのだった。
骨まで響くような鈍い衝撃とともにその手から一振り(楼観剣)が弾き飛ばされた。
「っ!」
「どうしたの妖夢?それでもうおしまいかしら?」
西行妖の外部、血染めの花びらが舞い散る中、悠然とアリスは十二体のしもべを従えながら妖夢を追い詰める。
白玉楼の屋敷の屋根の上、散乱する瓦の破片の只中でそれでも妖夢は残る一振りを両手で握り直しながら遥かなる高みにいるアリスを睨み上げる。
「まだですっ、まだ終わらせませんっ!」
「……そう?ならこれで終わりにしてあげるわ。踊りなさいあなたたち。『咒詛・魔彩光の上海人形』!!」
「なんのっ!『六道剣・一念無量劫』!!」
アリスを取り巻く十二体のしもべは円陣を組むや複雑な螺旋を描きながら「魔彩光」の織り成す無数の極彩色のレーザーを放つ。
それに呼応するように妖夢の大上段から振り下ろす一閃。
それは無量の劫を凝縮した刃の嵐となりて放たれたレーザーを弾き飛ばさんと荒れ狂う。
煌めく幾筋の剣光は、迫り来る死への運命さえも断ち切らんとする妖夢の確固たる意志の現われだった。
双方の華麗で鮮やかな弾幕が交錯し、その応酬は拮抗しているかに思われた。
だが。
本来なら「二振り」でこそその本来の威力を発揮するこの妖夢のスペルは、「一振りだけ」では不完全だった。
それまで保たれていたはずの均衡が一気に崩れた。
ばちばちとあちこちで爆ぜる音が死神の忍び寄る足音のように徐々に妖夢に近づくや、一際甲高い轟音が妖夢の鼓膜を揺らした。
「ああっ」
弾かれるその身体は何度も屋根の上を跳ねながら転がっていく。
それでも手に持つ「最後の一振り」だけは是が非でも離さない。
傷つき血反吐を吐きながらも尚も立ち上がろうとする妖夢のそのさまを、アリスは辟易したように冷ややかに見下ろす。
「しぶとすぎるにもほどがあるわね。一体何があなたをそうさせるわけ?」
「……から」
「なに?」
「護りたいものがあるから。だからこんなところで倒れるわけにはいきませんっ!」
「護りたいものってなに?どのみちこの世界は終わるのよ?それなのに意味なんてあるの?」
「いいえ、終わらせません。終わらせなどしません、わたしは、わたしはっ!」
最後の一振り、白桜剣を支えによろめきながらも立ち上がる。
その不屈の闘志にアリスはたじろぐ。
「わたしはこの世界をっ、幽々子さまをっ、西行妖から護るんだっ!!」
その叫びに応えるように失ったはずの「最初の一振り」が飛んできた。
その突然の展開に驚くも、妖夢は即座にそれを右手で受け止める。
よくよく見れば、遠くの方で「半霊」が人間の少女の態を成して投げ寄こしたその両手を誇らしげに振っていた。
いつもは自分の周囲でただふよふよ漂ってるだけのお飾りが、ここぞとばかりにその存在感を際立たせる。
「ナイスです、半霊さんっ!」
「ちっ、余計な真似を」
その予想外の介入でアリスの中での計算が狂い始めた。
その動揺を反映してか、それまで規律を保って維持されていたしもべたちの円陣が崩れかける。
そこから生まれる一瞬の隙を妖夢は見逃さない。
「いくよ半霊さんっ、一緒に闘うよっ!」
その呼びかけに応えるように半霊は元の魂魄に戻って妖夢の元に飛んでいく。
それを見届けてから、妖夢は双剣を交差するように大上段に構え直す。
「これが、これこそがわたしの全力だっ!『六道剣・一念無量劫』!!」
双剣の共鳴する鋭い音が屋根の上から響き渡り、白玉楼中の桜を一斉に咲かせるような気配が広がった。
楼観剣と白桜剣の繰り出す剣戟は眩いばかりの燐光を幾筋も解き放ち、アリスの放つ極彩色のレーザーを弾き飛ばしていく。
桜の花びらが剣風に舞い、レーザーを弾き飛ばされても尚も乱れた陣形を立て直そうとあがく人形たちの糸さえも断ち切っていく。
「分からないっ、分からないわっ、なんであなたはそこまで本気になれるのよ!??」
操る糸を断ち切られ、ぼとぼとと落ちていくしもべたちを背景に、眼前に迫る妖夢を目の当たりにしながらアリスは初めて驚愕と狼狽の叫びを迸らせるのだった。
「三分咲き」の西行妖を臨む屋敷の縁側に座して、幽々子は幽々子で孤独な闘いを繰り広げていた。
かつては私怨のために自ら「これ」を用い、世界を滅ぼそうとしていたのを今度は逆に「抑える側」に回っている。
それこそが幽々子に与えられた「冥界の桜守」としての果たすべき役目。
しかしそれでも、冥界の主である幽々子をもってしても、明らかな外部干渉による桜の開花を止めることは至難の業だった。
(こんなの無理よ。一体誰が仕掛けてるの?)
いくら思考を巡らせど、その答えには辿り着けない。
けれど。
(……それとも?ああ、でも、まさか、ねぇ?)
この幽々子ですらも決して及びもつかない人智を越えた「至高の存在」。
それを敢えて言葉にするならば。
その推測に行きついた時、不謹慎にもその口元に失笑にも似た笑みが浮かんだ。
けれどすぐに緩んだその唇は頑なに結ばれる。
(だからといっておいそれとこれ以上咲かせはしないわよ。わたしをなんだと思っているの?)
それは過去に犯した罪への償いとそしてそれ以上に西行寺幽々子そのものの存在をかけた闘い。
こうしている間にも二人の少女が必死に闘っている手前、自分だけがそう簡単に屈する訳にもいかない。
(でも、これ以上は)
相対する西行妖に向け、翳した両手が消耗の果てに透けていくのが見て取れた。
それは幽々子の限界を意味していた。
(……ああ、これがいわゆる「因果応報」ってやつかしら、ねえ?)
それまで保っていたその心までもが揺らぎ、自嘲じみた笑みさえも浮かびかけたその時。
温かな温もりがその背を優しく包み込むのを感じた。
(おとう、さま?)
不意に脳裏によぎるのは、とうの昔に忘れていたはずの生前の記憶。
自分の出生祝いにと豪奢な屋敷の中庭に植えた「桜の苗木」を示しながら、優し気な笑みを浮かべる父の顔が。
その温もりにも似た感覚がはっと幽々子を我に返させる。
「っ、ご隠居さま!?」
振り返れば居間の奥で鎮座していた「大仏さま」が眩いばかりの後光を放っていた。
それは「先代の閻魔」が成り代わった姿でもあった。
幽々子にとって先代の閻魔は、ご隠居さまは、まさしく親同然の存在でもあった。
「だめです、ご隠居さまっ、力を使ってはいけません!!」
ご隠居さまは幽々子が西行妖もろとも冥界に突き落とされた時から、ずっと幽々子の傍に寄り添い見守り続けていた。
「春雪異変」の只中にいてもなお、その慈愛の眼差しは曇りもせずに変わることはなかった。
『幽々子さん。いままでありがとう』
それは明らかな「別れの言葉」。
その「真言」が幽々子の頭の中に響き渡ると同時、ご隠居さまは「爆ぜる」。
「ご隠居さまっ!!!!」
煌めくは金色の閃光。
飛び交い舞い乱れるは胡蝶の群れ。
それは白玉楼を、西行妖を、そして冥界一帯を瞬く間に包み込んでいくのだった。
今にもとどめを刺さんと突きつけるその刃がびくりと震えた。
「……これは、一体?」
追撃の一撃を思わず止め、妖夢はただ呆然と屋根の上から縦横無尽に飛び交う胡蝶の群れを眺める。
(幽々子さま?……いえ、これは。まさか?)
突然の事態に動揺する妖夢をアリスは見逃さない。
崩れかけたその姿勢を即座に立て直し、軽やかに飛び退っては宙へと舞い上がる。
「アリスさん!?」
「今日のところはこれで勘弁してあげるわ。だけどこれだけは教えてあげる」
ぷっと血に交じった唾を吐き捨て、緋色の眼差しでアリスは妖夢を侮蔑交じりに見下ろす。
「あなたたちがどんなに抗っても無駄よ。神さまに適うもんか!」
「神さま?それはどういう……」
「いずれ分かるわよ。でも分かったときがあなたたちの『最期』ね。覚えてなさいっ」
月並みな捨て台詞とともにアリスは空間を切り裂き、現れた時と同じ唐突さでその狭間へと消えていくのだった。
(神さま?そんなのがほんとにいるんですか?いるならなぜこんなことを?……あ)
再び閉じられる次元の裂け目を見上げながら、呆けたように妖夢は思考を巡らせるが。
「幽々子さまっ、ご隠居さまっ!魔理沙さんっ!」
その妖夢の叫びは胡蝶舞う極楽絵図の只中に響き渡るのだった。
(くそ、いいかげん勘弁しろよ、こっちはもうガス欠だ。逆さにしたって出るもんも出ねえっての)
西行妖の深部では今もなお、魔理沙の孤独な闘いが続けられていた。
倒せど倒せど波のように押し寄せる怨霊ども。
負けじと突きつける切り札からも、もはや種火程度の魔力しか出ない。
「ああ、もういい加減にしろっ!!」
迫り来る圧倒的物量の猛攻を前にたまらず叫ぶ魔理沙の視界を、舞い乱れる胡蝶の群れが掠めた。
(っ?んだよ、これ??)
まるでそれは夢を見ているかのようだった。
飛び交う胡蝶の群れは押し寄せる怨霊どもを取り込んでは雲散霧消させて「浄化」していく。
同時にそれまで場を支配していたどす黒く淀んでいた瘴気までもがそれとともに消え失せていった。
(おいおい、こりゃ、一体どうなってんだ?っと、いけねぇっ)
払えど払えど払い切れなかった闇さえも掻き消える中、思い出したように魔理沙は更に深部を目指していく。
やがて辿り着くその「終着点」。
それは魔理沙にとって「ゴール」を意味していた。
「……お?」
降り立った先に見える、浮かびながら我が身を抱くように膝を抱えて眠る一人の少女。
その少女の横顔を目の当たりにした途端、魔理沙は思わずぎょっとなった。
「幽々子?……幽々子なのか?」
魔理沙の問いかけに呼応するように、薄桃色の髪をなびかせながらうっすらとその少女は淡い紫の双眸を開かせていく。
そしてどこか悲しげな眼差しを魔理沙の背後へと投げかけるのだ。
「なんだ、どこ見てんだ?」
その目線に促されるように振り向いた矢先、魔理沙は背筋が竦み上がるほどの戦慄と驚愕を覚えた。
「……おい」
見開かれた金色の双眸から、どっと溢れんばかりの涙がこぼれ出す。
「なんでだよ。なんでだよっ」
興奮のあまり、知れず握り締めた両拳が小刻みに震えだす。
「なんで『おまえら』が『こんなところにいる』んだよっ!!!!!!」
その「変わり果てた二人の姿」を前に、魔理沙はただただ慟哭交じりに絶叫するのだった。
「……西行妖が『止まった』、んですか?」
「ええ、そのようですが。その代償はあまりにも大きい」
是非曲直庁、「審判の間」にてそれまで「浄玻璃の鏡」越しに事態の推移を見守っていた映姫と小町は、突然と起こったその奇跡を目の当たりにしていた。
驚き交じりの部下の問いかけに頷くも、映姫は沈痛な面持ちを浮かべやる。
「これは恐らく『ご先代』の起こしたもの。ご先代はこの迫り来る世界の終焉を救わんと『弥勒菩薩』本来の役割を果たされた」
「っ、それじゃ、ご先代は?」
この期に及んでようやく事態の重さを把握した部下へとただ悲嘆に暮れた眼差しを投げかける。
その眼差しを受けた部下は小刻みに身体を震わせ、弾かれたように改めて鏡越しにその光景を眺め、そして凍り付いた。
「……え、映姫さま」
「どうしました小町?」
先代を失った悲しみに沈む暇なく、切羽詰まったような声を上げる部下を今度は逆に問い返す。
「西行妖が、また咲いている。咲き続けている!!!!」
その報告を受け、映姫は絶句するのだった。