東方二次創作劇場「月と太陽」 - 太陽の章 - 作:俄かさん。
「妖怪の山」、その頂き。
霧の立ち込める湖畔に佇み、金色の短髪を夜風に揺らしながら一人の少女が唄っていた。
その胸には蛙のぬいぐるみが抱えられ、時折しゃくり上げるように涙交じりの双眸は彼方を見つめる。
その唄に刻まれる独特の韻はまさしく「諏訪訛り」。
兎追いしかの山だに
小鮒釣りしかの川んちゃ
夢は今も巡ってみてぇ
忘れがたき ふるさとよ
その唄は郷里を偲ぶ思いと悔恨の念が深く籠められていた。
郷里を離れこの郷に根付いて以来、収穫の季節を迎えるたびに愛する娘を連れて一緒に唄っていた。
けれど、その娘は「もういない」。
不意にそのとき目の前の空間切り裂き、スキマを介して一人の道士服姿の女が湖上に現れた。
その女の姿を見るなり、碧の双眸見開きて少女は驚く。
「……紫、ここには来れんはずじゃなかったんずら?」
その問いかけに紫は答えない。
ただ一言、告げた。
「続けなさい」と。
その言圧に押され、諏訪子は途切れた唄の続きを唄い出す。
いかに在す 日の本の
美し国 懐かしじゃてぇ
ふるさと何時か見んちゃよ
心魂の旅路だに
「その唄は償いのつもりかしら。唄ったとて『諏訪子』、あなたの罪はごまかせはしないわ」
そこまで聞き終えたところで紫の反応は冷ややかだった。
諏訪子と呼ばれた少女は委縮するようにぎゅっと胸の中のぬいぐるみを抱きしめる。
「……仕方なかったんずら。神奈子には逆らえん」
湖上に立つ紫はその言葉に冷ややかに金の双眸を細めやる。
「十年前。わたしは外の世界で居場所を失くしたあなたたちをこの郷に招いた。わたしは期待していた。あなたたちがこの郷に根付き、新しい風をもたらしてくれることを。けれど、見事にあなたたちはそれを裏切ってくれたわね。……残念だわ」
それは慈悲なき追及の始まり。
紫は「逃がさない」とばかり閉じた扇子の先を守矢の二神のうちの一柱、洩矢諏訪子へと突き付けていく。
「人里に設けた『電化普請』。それは信仰を集めるための布石。だけど本当はそれ以上の意図が込められていた。あれは『結界』。五行そのものを操り、すべての理を覆す大掛かりなしろもの」
「そぉずら。……よぉ分かったんずら」
「そう。その口振りだと最初から分かっていたようね、あなたも」
ぱんと紫の手の中で打ち鳴らされる扇子の音色に、思わず諏訪子は首を竦める。
その音に脅され、それまで傍らで心配そうに集っていた蛙たちが一斉に湖の中に逃げ込む。
「人はあなたたちのもたらした『電気』に魅入られ、あなたたちに信仰を寄せていった。そうやって地盤を固める一方で、あの結界に纏わる真の目的を成し得ようとしている」
「…………」
「冥界に咲く『西行妖』。それを結界を通じて顕界に呼び寄せるつもりね?」
「ああ、その通りずら。神奈子は言った。あれを顕界に呼び寄せ、この郷もろともこの世界を浄化すると」
胸に抱くぬいぐるみは愛する娘の代わり。
けれどいくら娘を思えどその娘は「もう帰ってこない」。
「早苗さ、神奈子にあげちまったんずら。愛してた娘を、ほんとにあげちまったんずら」
「なぜ。本当に愛しているはずならなぜ?」
その告白に思わず声を荒げる紫。
そして紫の脳裏にも自身の愛する娘の顔が思い浮かぶのだ。
「ただあの結界だけではすべてを成し得ない。西行妖を再開花させるための動力が必要よ。……それは二人の巫女のいのち」
「そぉずら。いま二人とも、もう、あの山桜の贄にされちまったんずら」
「っ!!」
諏訪子のその言葉に、あやうく紫の中で必死に堪えていた衝動が弾けそうになる。
それをどうにか鎮めるも、その感情の起伏だけで一瞬、水面が激しく揺れた。
「あたしゃ護りきれんかったんずら。止めれんかったんずら。悔やんでも悔やみきれねぇんずら」
そしてまた諏訪子は唄う。
さっきまで以上の贖罪の思いを込めて。
山は青き ふるさとよ
水は清き ふるさとだに
永久に留まりてぇ
ああ ふるさとに帰らんよ
けれどその唄は紫の心にはもう響かなかった。
深く暗く淀んだ眼差しでただ淡々と諏訪子を見据える。
「そもそもここまであなたたちを駆り立てたのは、おそらくあの十年前の外の世界の記憶によるもの」
そう切り出すや、紫は懐中から取り出した「新聞記事」を諏訪子へと突き付ける。
それはかつて早苗によって「破り捨てられたはずの一枚」だった。
それを見るなり、諏訪子は驚いたように双眸を見開く。
「十年前。信仰を失くし消失寸前のあなたたちは、やむなく早苗を依代にして生き長らえていた。そこであの日、あなたたちは見てしまった。早苗の視点を通じて早苗の両親が強盗に殺されるさまを」
「どーして、それを?」
「もっともわたしもそれを知ったのは直近のことよ。この新聞の記事の示す時期と場所がわたしが早苗もろともあなたたちを郷に招き入れたときと繋がっていた。……その様子じゃ、正解のようね?」
推測から叩きこむような指摘を前に、諏訪子はただ俯くばかりで何も答えない。
それでもやがて観念したように、長い長い嘆息の後で再び顔を上げる。
「そぉだんずら、その通りずら。そぉ、うちら、ただ見ることしかできんかったんずら」
紫へと向ける眼差しは、まるでその当時の情景を思い起こしているかのようだった。
それは早苗の六歳の誕生日の夜に突然起きた悲劇。
バースデーケーキを前に満面の笑みを浮かべる幼き早苗の傍らで、優しく見守る早苗の両親。
その温かく幸せに包まれた時間は、一瞬にして崩れ去った。
突然金品目当てに土足で家の中に上がり込んだ一人の男。
その男は手にしたナイフを振りかざし早苗の両親を襲った。
「あの日の以来、神奈子は変わっちまったんずら。もうニンゲンなんぞ信じられんずら。文明に溺れて信仰を忘れ、欲の赴くままに殺めることすらやめねえニンゲンなんぞ愚かしいってずら。なら、いっそこの世界そのもの作り替えて、今一度守矢の名のもとにニンゲンみんなくそくらえな正しい道に導くんだってずら」
その凄惨なる記憶を思い起こしつつ、紫に向ける目線は非難めいたモノに変わる。
「なぁ、ここに来れんなら、どーして、もーちっと早く来んかったんずら。そしたら、神奈子、止められたかもしれんのにずら」
「……そう、そうだったかもしれないわね。でも、この郷の管理者として最後まで見届けるつもりでいた。それにあなたたちを信じていたから」
「そんで、いまこうなっちまってんのずら。おまえも同罪だんずら」
それは反論であり、正論。
しかし紫はそれを真に受けても揺るがない。
「そうね。だからこそ、わたしはここに居るわ。自分の犯した罪を清算するために」
そう、それこそが紫がここに居る理由。
突きつけていた新聞記事を元の紙吹雪に変えながら、彼我の距離を詰めやる。
「わたしのこれまでしてきたこと、そのすべてが罪であるならば、わたしはそのすべてを受け入れて乗り越えていくわ」
「……そうか。ならば、おまえのそのすべてを否定してやろう」
ど ん っ 。
突然と割り込む新手の声と同時に、紫の胸を背後から貫く石柱の破片。
その破片握り締めるは紛れもなく。
「……『神奈子』」
かふっと血を吐きながら紫は守矢のもう一柱の名を呼びかける。
その呼びかけに応じる代わりに、深紅に染まる破片を八坂神奈子は傷口を抉るように捻りを加えていく。
「紫よ。おまえの役目はもう終わり。穢れに穢れきったこの郷など、この世界など、護る価値などあるものか」
「神奈子、神奈子っ!もうやめれ、やめてけれずら、そんなことしたって誰も救われんずらよ」
片割れの必死の訴えにも神奈子は貸す耳も持たない。
向ける眼差しはまるで裏切り者を見下すような、それ。
睥睨するかのように一瞥投げかけた後に、くたりと垂れる紫の頭を金色の後ろ髪掴んで無理矢理引き上げさせる。
「せめてもの『神としての』情けだ。最期に言い残すことはあるか?」
「そう、ね」
もはや声を発するのさえ億劫になりながらも、紫はそれでも必死に言葉を紡ぐ。
「いまのあなたたちに足りないのものを教えてあげるわ。……それは愛よ」
「くだらん」
語るに落ちたとばかり、目の前の女に完全に興味を失くすや、神奈子はそれを湖へと突き落とす。
その飛沫が上がると同時、あまりの非道ぶりに諏訪子は我を忘れ、飛び上がっては神奈子に掴みかかる。
「神奈子、もうおまえ、赦さねえずら!おまえのやろうとしてること、間違いだんずら!」
「……諏訪子。おまえ、このわたしをなんだと思ってる?我は神ぞ。この世界の理そのものぞ」
「やっぱおまえ、我欲の神だんずら。そんな神さま、存在しちゃならんずら!」
「触れるな。汚らわしい」
「うあっ!?」
その「言霊」だけでまるで手毬のように弾き飛ばされる諏訪子。
ぽんぽんと地面を跳ね、べちゃっと勢いよく顔面から叩きつけられる。
「同胞としての情けだ。仕留めるのだけはやめてやる。おまえはそこで見ていろ。世界の終わりを、な」
「う、うぅ、神奈子」
顔中涙と血と泥まみれになりながらも、諏訪子は抵抗諦めずに半身を起こしやる。
その矢先だった。
「……無理ね、もう、あなたたちの計画は失敗に終わったわ」
「っ、なんだと!?」
唐突に遥か高みから投げかけられるその声。
その声のした方向、見上げれば一人の黒装束を纏った娘がいた。
「……アリス」
「言っておくけど、わたしは何もしてないわ。それよりも、見て?」
名を呼ばれた娘は、ふんっと鼻を鳴らし人里の方角を指し示す。
ふわりと空高く舞い上がり、その示された方角を見るなり、神奈子は驚愕の表情をありありと浮かべる。
(結界が。……消えた?)
それまで宵闇を打ち払わんばかりに輝いていた人里の煌めきは完全にその輝きを失っていた。
それは結界そのものの消失を意味していた。
同時にそれはこの神ですら予想だにし得なかった事象だった。
そして何かを察したかのように湖の方へと目線を投げかける。
(紫。まさかおまえ、この我を引き付けるために自ら囮に?)
その推測と同時に今更ながらに思い出すのは、十年前に紫が発したあの「狂言」。
ただわたし、あそこには『行ったことないし、行けない』のよね。
そう当時発していたのにも関わらず、今になってスキマを介してここに現れたという事実。
(あれは『虚言』だったのか。だとしたら、あの女。その時点で既に布石を打っていたのか。……なんて女だ)
気色ばむ神奈子をアリスは嘆息交じりに眺める。
「神さまも足元を掬われることがあるのね。……でも安心して?邪魔者はすべてわたしが始末してきてあげるわ」
「アリス、おまえ」
「どのみちわたしはこの世界に大して興味や愛着があるわけじゃない。感謝するわ。あのとき、わたしが何者かを思い出させてくれて」
「……おまえはどっちだ?」
その問いかけにアリスは鼻で笑う。
「あなたたちの側でいてあげるわよ、今は、ね?」
そう告げるや、アリスは空間を裂いていずこへと消え去るのだった。
暗い暗い湖の底へとただ沈みゆくその身体。
薄れゆく意識の中で、紫は不思議とこの上ない充足感に包まれていた。
それでも唯一の心残りは。
(みんなに必ず戻ってこいなんて言ったのに、ね。言ったわたしがこんなんじゃ、ほんとだめね)
ただ力なく掲げるその手は何も掴めない。
護りたかったその郷も。
護りたかったそのいのちも。
すべての始まりは夢に出てきた泣きじゃくる幼子だった。
その早苗という名の幼子に纏わる境遇は、かつて妖怪の山で拾った自分の愛娘、霊夢とまるで同じだった。
(早苗、霊夢ちゃん。……ごめんね。二人とも護れなくて。救えなくて)
生と死の境界の狭間を彷徨いながら、紫は懺悔の告白を漏らす。
そのうち瞼を開けているのさえ、億劫になっていく。
(……眠い、な)
やがて紫は瞼を閉じ、その意識を完全な闇の中へと沈ませていく。
けれど、紫は気付かなかった。
その身体が温かな温もりに包まれていくことを。