※この作品はR-18です。

語り奴婢夜話──千一夜奇談   作:ドン・ドナシアン

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 後宮の奥、冷たい石の床に両膝をついたまま、サラは唇を噛んでいた。
 身体の奥が熱を孕み、淫紋の疼きは、いまや最高潮にまで膨れ上がっている。
 奥底から湧き上がる熱が、骨の隙間を満たし、喉の奥まで痺れさせていた。
 理性の縁がじりじりと焼き切られていく。

 ひたり──ひたりと靴音が近づく。
 香炉の中で、焚き残りの香が小さく爆ぜる音がした。
 重たく湿った香気が漂い、埃の匂いを覆い隠す。

 暗い足元の気配──。
 誰かが低く、何かを告げている。
 けれど、耳鳴りと熱に霞んだ意識では、なにを言っているのか掴めなかった。
 だが、やらなければならないことは、頭に入っている。
 正座の姿勢を崩して、腰を床につけ、大きく脚を開いて股間を晒す。
 止まることのなくなった愛液が股間~垂れ落ちて床を汚すのがわかる。

 エスクラウディオがなにかを言っている。
 口を開いていることから、それはわかるのだが、どうしても聞き取れない。

 ただ──。

「……語れ」

 その一言だけは、はっきりと耳朶を打った。
 喉の奥が、ひゅ、と詰まる。
 はっと息を呑み、サラは顔を伏せたまま声を震わせた。

「……第七夜の物語を語ります」

 声は張り付いたように石床に吸い込まれていった。
 香が揺らめく。
 熱を押し殺し、サラは泉の物語を吐き出すように語り始めた。





  8夜 せむし男の話─騾馬になった女(2)

 老人のように腰の曲がった醜い小男、サルマン──。

 元は大きな商人の妻で、いまだに美しさを十分に残している女、カレン……。

 だが、女はたったいままで、呪術で騾馬にされていた。その女がいきなり、自分を助けた男に悪態をつき始める。

 

「それが馬鹿っていうのよ。あたしが好きだったなら、そう言いなさいよ。馬鹿──」

 

 カレンがサルマンにまた怒鳴る。

 

「い、いや、しかし……、あ、あっしみたいな、醜いせむしが……カレンになんて……」

 

「それが、馬鹿って言うのよ。ほら、来なさい。あたしの名前だけで射精できるなら、あたしを抱けるでしょう……。地母神さま、どうかあたしたちの供物をお受け取りください」

 

 リーナたちの目の前でカレンがその場で横になり、両膝を曲げて、サルマンに向かって脚を開く。

 

「えっ……カレン……?」

 

 しかし、サルマンの影は、最初は石像のように動かなかった。

 

「ほら、来るのよ、サルマン──。勃つんでしょう」

 

 カレンが、泥に濡れた騾馬の背のような髪を振りあげ、痺れた声で呼びかけたときでさえ、その背は引き攣ったままだった。

 

「えっ……だ、だって、あっしみたいな……」

 

「いいから、あたしを抱きなさい。さっさとするのよ、馬鹿──。これはお礼よ」

 

 すると、くぐもったようなサルマンの呻き声が夜気に濡れて落ちた。

 サルマンはまるで呪縛が解けたかのように、その短い脚でよろめきながらカレンへと滲み寄った。

 手が震えているのがわかる。

 湿った指先でズボンの留め金を外す音が、異様に大きく耳に残った。

 リーナは喉を鳴らした。

 なにを見ているのだ、と自分に問いかけたが、目を逸らすことはできなかった。

 

「うおおおお、カレン──」

 

 ひとつ、肉が打ちつけられる音がした。

 サルマンの身体が小さく跳ね、カレンの腰にしがみつく。

 露出している男根は、すでに怒張になっている。

 サルマンがカレンの両腿を掴んで、カレンの腰に自分残しを押しつけようとした。

 

「こらああっ」

 

 だがすぐに、カレンが息を吸い込むのがわかった。

 必死に脚を閉じ、リーナの目の前でサルマンの腹を押す。

 

「落ち着きなさいよ、馬鹿……。あたしは逃げないから──。いきなり突っ込むだけでどうするつもりよ? あたしを殺すつもり──」

 

「あっ、あっ、す、すまない……。でも、どうしたら……」

 

「あんたが慣れてないのは予想済みよ。ほら、あたしの言うとおりにしなさい。まずは、深呼吸しなさい」

 

「す、すまない、カレン」

 

 サルマンがカレンに言われるまま、大きく息を張って吸う。リーナは、ちょっとだけ笑いそうになった。

 

「ちょっとは落ち着いた? まずは、あたしの身体を解して。どこをどう触ってもいいけど、丁寧にするのよ。あんたが見た目と違って怪力なのはわかってんだから……」

 

 すると、カレンの太腿が改めてゆっくりと開かれる。

 

「わ、わかった……。でも、よかったら、教えてくれ……。なにを……どうしたらいいか……。まったく、わかんねえんだ」

 

 サルマンの眼が血走り、紛っている背中がこわばっているのが、暗がりでもはっきりと見えた。

 カレンの指が、ぐっとその頭を自分の股間に引き寄せる。

 

「なら、まずは舐めなさい……。そう、もっと下……そうよ、そこ……」

 

 息を絡めるような声が泉に響く。

 サルマンは戸惑いながらも、カレンの腿の奥に顔を沈めた。

 舌の音が湿った闇を満たしていく。

 リーナの耳にも、その水気が纏わりついて離れなかった。

 

「強すぎよ……。舌を立てないの……もっと平らにしなさい……。んっ……そう……いい子ね……、あ、ああ……、ああっ、いいわ……そうよ。そこをもっと……、おおおっ」

 

 カレンの身体がのけぞり、彼女の指がサルマンの髪を優しくも容赦なく引く。

 太腿がわずかに震え、足先が泉の縁をかくように動いた。

 

「はあ、はあ……ああ、カレン……綺麗だ……。綺麗だよ。ああ、カレン──」

 

 サルマンが呻くような声をあげながら、懸命に舌でカレンの股間に奉仕を続けている。

 すすり泣きのような声だと思ったが、よく見ると本当にサルマンは泣いていた。泣きながらカレンの股間を舐めているのだ。余程に感極まっているのだろう。

 

「馬鹿ね──。あたしは、もう四十……五よ……。綺麗なんて……。あっ、ああっ、いいわ──。上手──上手よ、サルマン──。舌はいいわ──。指を入れてみて……」

 

「こ、こうか?」

 

「あっ、そう……。そんな感じ……、ああっ、あっ、ああっ、一本だけじゃ足りないわね……もう一本……。そう……ゆっくり入れて……焦らないで……。胸も吸いなさい……。あああっ、いいわ。もっと強くしていい……あっ、ああっ」

 

 サルマンが犬のようにカレンの胸を舐め、指をカレンの股間に抽送することによって響く、くちゅくちゅと粘つく水音が泉の上に拡がっていく。

 リーナは無意識に口元を押さえた。

 泉の涼しさと、女の熱気が入り混じり、空気が湿り切っていた。

 

「いいわ……ちゃんと広げて……抜かないの……ん……そこ……もっと……ああ……」

 

 カレンの腰が浅く持ち上がる。

 サルマンの指が動くたびに水音が重なり、カレンの吐息がかすかに震えた。

 

「顔をあげなさい……もう……いいわ……。きてっ、わかるでしょう? さっき指を入れたところに、あんたのものを入れるのよ──。まずは先だけ当てて──。ふふ、でも、当てるだけで出しちゃわないのよ。まあ、出しても、さっきの感じだと、何回でもできそうだけど……」

 

 サルマンが顔を上げたとき、口元が淡い月の光に濡れて光った。

 カレンは熱い吐息を漏らし、睨むようにサルマンを見つめていた。そして、片手を伸ばしてサルマンの頭を撫でている。その手つきは優しい。

 

「こ、こうか……?」

 

 サルマンがカレンの身体に覆い被さるようになり、腰をぐっとカレンの股間に当てるのがわかった。

 

「突っ込むのよ……ちゃんと奥まで……どこを擦ればいいか、わかってるわよね?」

 

 サルマンの背中が強張った。

 短い足で腰を動かす姿は滑稽なはずなのに、その必死さがどこか獣じみていた。

 カレンの太腿が再び開かれ、湿った空気の奥でぬるりと肉が吸い込まれていく。

 

「あ、ああ、カレン……」

 

「そう……ゆっくり……そうよ……ん……角度を……もう少し上……そう……そう……いいわ……」

 

 リーナは冷たい石の上で指先を組み、熱を逃そうとするかのように肩を震わせた。

 濡れる音が、泉の水音と絡まって耳を刺す。

 

「とめないで……。いいわ……。そのまま……ちゃんと奥まで……擦って……ああ……ん……そこ……」

 

 カレンの声が甘く濁る。

 指示と吐息を混ぜながら、下腹を押し出すようにサルマンを迎え入れている。

 

「そう……いい子……よ。そこ……ん……もうちょっと……そう……いいわ……」

 

 リーナは息を詰めたまま、その交わりを見つめていた。

 泉の湿気はどんどん熱を孕み、背筋の奥を舐めるように這いあがってくる。

 いつの間にか、喉の奥まで焼けるような息を吸っていた。

 

「おおっ、き、気持ちいい……。おおおっ」

 

「ああ、上手よ……サルマン──。あああっ、ああっ」

 

 カレンの腰が僅かに揺れるたび、ぬるりと濡れた音が響く。

 肉の奥で擦れ合い、溶けるように繋がっていく音が、リーナの耳を離さなかった。

 

「もう……いい……動きなさい……あんたの好きなときに……んんっ……あああっ……」

 

 カレンの吐息が短く切れ、甘く湿った呻きが闇に溶けた。

 リーナの胸元が熱く疼き、誰よりも自分がその熱に縛られていることを、いまさら知った。

 始まった、と思った瞬間には、もう二人は獣のように絡み合っていた。

 サルマンの小さな背中が何度も跳ね上がり、強く押し当てられるたびに、カレンの喉から漏れる声が湿り気を増していく。

 

「そこじゃない……もっと、奥よお……っ……」

 

 カレンが荒く息を吐き、両脚でサルマンの腰を締めつける。

 指示を受けるのはサルマンだが、突き動かされるように深く腰を打ち込むたび、声を出すのはカレンの方だ。

 

 熱い匂いが鼻を刺した。

 リーナは、泉から立ち上る水の匂いと混ざり合う肉の熱気に、思わず指先を胸元に寄せた。

 まるで自分の皮膚がそこに触れたかのように、ぞわりと背筋が泡立つ。

 

「で、出る──。が、我慢できない、おおおっ、おおおおっ」

 

 サルマンが腰を振りながら感極まったような声をあげる。

 腰の動きはぎこちない。

 

「いいのよ、いつでも──。ああっ、でも気持ちいいわ──、サルマン──」

 

 だが、腰が一度二度と沈むごとに、どこかで蓋が外れたように、鈍く絶え間なかった動きが荒々しさを増していった。

 小男の背筋が張り詰める。

 

「くはあっ、おおっ」

 

 カレンが僅かに息を呑んで、なにかを言いかける前に、サルマンが浅い声を吐き出した。

 達したのだとわかった。

 けれど、腰はとまらなかった。

 サルマンは一度目の吐息を飲み下し、さらに腰を深く沈めた。

 

「馬鹿……まだ……、いけるの? ああっ、あああっ──。あ、あたしも、いくうっ」

 

 カレンの太腿が震えた。

 身体がのけ反り、全身を突っ張らせる。

 カレンもまた、達したのだ。

 

「はあ、はあ、はあ……、ね、ねえ、ちょっと……きゅ、休憩……。あああっ、も、もう許して……。あっ、あああ」

 

 サルマンの律動は続いている。

 カレンは焦ったような感じになっている。

 声はどこか戸惑いを孕んでいるようにも思えた。

 いまや必死に男の腰を留めようとしているが、サルマンは聞き入れない。

 荒い呼吸が泉の水面に反響し、膣奥を抉る音が繰り返される。

 

 リーナは、なにかが喉の奥に溜まっていくのを感じた。

 熱かった。

 視界がじわりと滲み、頬を伝う汗と冷気の狭間で、自分の身体が妙に重くなる。

 

 それからしばらく同じような光景が続く。

 サルマンがカレンを犯し続け、カレンが喘ぎ声をあげる。

 しばらくすると、サルマンはカレンの中に精を放つ仕草をするのだが、それでも律動はやめない。

 サルマンを受け入れ続けているカレンもまた、絶頂の仕草をして身体を突っ張らせるが、次第に、その感覚が短くなっていく気がした。

 

 それにしても、いつまでやるのだろう──。

 リーナはだんだんと唖然としてきた。

 

「くああっ、カレン──、すごい──すごい──、ああ、カレン──。おんたは俺のお姫様だ──。好きだ──。カレンのためなら、なんでもする──。本当になんでもする──。おおおおっ」

 

 何度目だろうか──。

 

「おおおっ」

 

 サルマンがまた大きく声をあげる。

 しかし、射精するたびに、束の間、腰の動きが止まるかと思えば、すぐにまた執拗に揺り戻される。

 

「ひいいっ、もういいでしょう──。い、いい加減に──やめええっ」

 

 カレンの脚が震え、硬い地面を爪先で削っていた。

 

「カレン、カレン──」

 

 だが、サルマンは狂ったように、カレンの名を呼びながら、腰を動かすだけだ。

 

「ひいあああっ」

 

 カレンの言葉が、弱く湿った吐息に変わった。

 それが合図だったかのように、サルマンは腰の角度を変えた。

 深く、荒く、まるで自分が上だと刻み込むように、何度も何度も。

 

「だめえええっ、ひああああっ」

 

 カレンの背が少しずつ反り、肩口が小さく震える。

 いまは呻き声と震えた吐息を重ねるだけだ。

 リーナは、その変化に気づいたとき、足元から背筋までを貫くような熱に息を呑んだ。

 

 獣のように荒い吐息。

 打ちつけられる肉の音。

 湿った空気の中で、リーナの指先が知らず膝の上を撫でていた。

 

 サルマンの動きはとまらない。

 痩せた尻が引き締まり、背筋が張るたびに、泉の縁の乾いた石が擦れる音がする。

 その音の向こうで、カレンの息が上ずっていく。

 

「……っ……く、くるし……」

 

 カレンの声がかすれる。

 主導権を握っていたはずの女が、いまや押し倒されるままに、サルマンの腰を受け続けている。

 汗に濡れた太腿が、藻に濡れた石に擦れるたび、リーナの喉奥まで熱がせり上がった。

 

 いったい何度、達したのか。

 カレンの睫毛が濡れているのがわかった。

 サルマンの背に爪を立てるが、弱々しく滑っていくだけだった。

 

 リーナは息を詰めたまま、その光景を見つめていた。

 まるで獣だ。

 だが、獣という言葉で括るにはあまりに熱い。

 あまりに生々しい。

 あまりに、身体を刺す。

 

 気がつけば、リーナの唇はわずかに開いていた。

 熱を孕んだ吐息が喉の奥で粘りつく。

 瞼の裏で、泉の淡い光が揺れた。

 下腹が、焦げ付くように疼いているのを、自分で気づくことすら怖かった。

 

 サルマンの荒い息──。

 カレンの濡れた呻き。

 泉の水音さえ、その獣の交わりにかき消されていく。

 

 リーナは小さく息を吐いた。

 そこに、冷たくも熱い自分の身体が確かにあった。

 サルマンの腰は止まらなかった。

 何度目かの達した気配があったはずなのに、腰の奥から獣のような吐息が漏れては、また奥を抉り込む。

 カレンの脚は何度も小さく跳ね、ひくついて、声を搾り出すだけになっていた。

 

「だめ……っ……ひあ……ああ……や、やめ……っ……」

 

 掠れきった声は、もう命令にはならなかった。

 カレンの睫毛は汗と涙で張り付いている。

 硬い石の上に打ち付けられるたびに、息が途切れ、痙攣のように指先が石を引っかく。

 

 リーナは喉の奥で息を詰めた。

 獣が一匹、女を喰らい尽くすような光景。

 声にならない叫びを洩らしながら、カレンの背ががくりと反り返った。

 

「あ、ああ……あああ……っ……」

 

 最後の声が、短くちぎれた。

 それきり、カレンの吐息が止まったように見えた。

 ぐったりと背中が沈み、太腿の力が抜ける。

 

 サルマンはそれでもとまらなかった。

 腰を押し込むたび、肉の奥からぐじゅりと音が漏れる。

 リーナの喉の奥で、なにかが弾けた。

 

「馬鹿──カレンが死んでしまうよ……いい加減しなよ、あんた」

 

 声が泉の縁に響いた。

 獣のような音を立てていたサルマンの背中がびくりと震えた。

 

「ああっ、カレン──。どうしたんだ──?」

 

 荒い息のまま、サルマンが慌てて腰を引く。

 ずるりと抜けた瞬間、カレンの股間から、どろりとした白いものが溢れ出した。

 リーナは思わず息を呑んだ。

 あれだけ注ぎ込まれたのに、サルマンの男根はまだ怒張したのだ。。

 

「……ったく……」

 

 それはともかく、カレンだ。

 リーナは舌打ちをして、足元に転がった水筒を掴んだ。

 石の上にぐったりと横たわったカレンに膝をつく。

 

「カレン……おい、飲みなよ。……ほら……大丈夫かい?」

 

 水筒の口を唇にあてると、カレンの喉がかすかに動いた。

 白く濁った吐息の奥で、目がゆっくりと開かれる。

 

「……ん……は……はは……まさか……」

 

 カレンは息を吐きながら、乾いた声で笑った。

 

「気がついたかい? しっかりしな」

 

「ふふふ……。まさか……抱き潰されて死にそうになるなんて……思わなかったわね……」

 

 声の端に、僅かな誇らしさのようなものが滲んでいた。

 リーナは眉を寄せて、もう一口水を飲ませた。

 

「……無茶するんじゃないよ……。まったく……」

 

 その背後で、サルマンが膝をついたまま、小さく震えていた。

 さっきまでの狂気はどこにもない。

 怯えた子供のように、繰り返しカレンに頭を下げていた。

 

「……すまねえ……カレン……すまねえ……あっしは……すまねえ……」

 

 リーナは冷たい水の余熱が残る手で、カレンの額を撫でた。

 荒い息の奥で、女の瞳がまた少しだけ笑っていた。

 

 カレンの吐息が、ようやく浅く落ち着いた。

 泉の水面がひたりと揺れたとき、不意に乾いた笑い声がどこからともなく響いた。

 

「はは……ははは……」

 

 その声は、どこか湿った空気を震わせるように低く響いた。

 リーナは思わず息を止めた。

 水面の向こうに、月の光を散らしたような影が立っているように見えた。

 

「いいものを見せてもらった。愉しかったよ」

 

 地母神の声だとすぐにわかった。

 背筋の奥に冷たいものが這いあがるのを感じた。

 

「さて、三人目の話も終わったところだけど、最初の老人は供物をしたが、わたしの解呪を受けなかった。次の姉妹は解呪の前に逃げおおせた。この女は解呪をしたが、その後でまた供物を披露した」

 

 泉の波が細かく砕け、光を拾ってきらめいた。

 声だけが、どこまでも鮮明だった。

 水面を渡る声が、どこか愉快そうに笑っている。

 

「……三回分の供物が溜まっているわけだ。面白い連中を連れてきた礼だ。それに免じて、お前の獣化の呪術は解呪してやろう」

 

 リーナは足元から、なにかが這いあがってくるのを感じた。

 泉の水面がわずかに光を含んだように見えた。

 足首から絡みついたものが、熱を孕んで脚を伝い、腹の奥を溶かしていく。

 

 光が背中を抜けたとき、息がふっと抜けた。

 泉のほとりに、もう地母神の影はなかった。

 水音だけが残り、波は静かに月を映している。

 

「……消えた」

 

 カレンはまだ地面に伏し、サルマンは背を丸めて小さく震えていた。

 誰も声を出さなかった。

 息を飲むような夜気が泉を撫でる。

 

 まるで、いままでのことが、なにもなかったかのように泉の水面は、波ひとつ立てずに月を抱いていた。

 水の匂いに混じっていた熱も、荒い吐息も、すべてがもうどこにも残っていない。

 さっきまでの声も、濡れた音も、ここにはなかったように思えた。

 カレンは、まだ荒い息を繋ぎながらも、ゆっくりと上体を起こした。

 サルマンは俯いた背を伸ばし、視線を泉の向こうへと向けている。

 

 リーナは膝を抱えたまま、二人の気配を感じていた。

 言葉はなかった。

 けれど、誰も立ち去ろうとはしなかった。

 

「……ねえ、あんた、どうするの? ええっと……リーナさんだっけ……」

 

 ぽつりとカレンが笑った。

 濡れた髪が月明かりに光る。

 

「どうするかねえ。まあ、せめて、帰り道くらいは……一緒でいいかい? ここに来る前に全部の財を処分してしまって、今更、あてもないんだ。ここで、さっきの地母神の呪術で獣にされてしまうんだと諦めてたからね」

 

 リーナは、ゆるく目を伏せた。

 すっかりと覚悟をしてここに来たのだ。まさか、赦されてるは思ってなかったので、赦された場合のことは全く考えてなかった。財産もあちこちにばら撒いてしまって、もう残ってない。

 

「あてがないんだったら、しばらく一緒にいてくれたらありがたいね。役には立たないかもしれないけど、この人は腕っ節だけはあるよ」

 

 カレンだ。

 サルマンはなにも言わない。

 まあ、この男はカレンの言葉に従うだけだろう。意見を持ち合わせているとも思えない。

 

「なら、夜が明けたら……そうしようか」

 

 リーナは言った。

 その声が夜気に溶ける。

 もう誰も異を唱えなかった。

 風がひとすじ、泉の水面を撫でて過ぎていく。

 なにもなかったように、夜は深く静かだった。







 長い語りを終えたあと、サラは喉の奥からひゅうっと熱い息を吐き出した。
 肺が焼けつくように熱く、胸の奥で苦鳴が絡んだまま離れない。
 膝の奥に刻まれた紋様が、息を吐くたびに熱を噛み、肉の奥を抉るように疼いた。

 意識は、かろうじて繋ぎ止めている。
 頭の奥で何度も暗い影が滲みかけては、語り奴婢としての義務だけがそれを引き戻す。
 語り続けなければ、いまにも息が止まりそうだった。

「なるほど、興味深い話であったな」

 玉座の上から、エスクラウディオが喉を鳴らす声が、遠く霞んで聞こえる。
 その声に冷たさはなく、むしろ愉悦が滲んでいた。
 どこまでも自分を“使い尽くす”ことに、ためらいなどない声音だった。

「ところで……それは、架空の物語なのか?」

 返事をしようと唇を開くと、刻印の疼きが腹の奥から背骨を伝って駆け上がる。
 喉の奥がひくつき、声を漏らしかけて奥歯を噛んだ。
 サラはかすかに目を伏せ、指先をきつく膝に押し当てる。
 爪が食い込む痛みすら、淫紋の熱には敵わなかった。

「……神殿の巫女であったころに……。サルマン殿とカレン殿──名前は変えておりますが……その小さな結婚を取り持った神官の話として耳にしたものです……。その神官によれば、リーナに当たる女性も立会人として参加したとか……」

 息の切れ間に、無意識に腰が揺れそうになる。
 脚の奥を閉じたいのに、肉が疼きを誤魔化すようにわずかに開いた。
 エスクラウディオの唇がわずかに歪む。

「ほう……なるほど。では、事実に基づいたものか。不思議な話ではあるのだな」

 苦しい。
 話すたびに刻印が脈を打ち、熱が内側を蹂躙していく。
 息を止めたくても、止めれば意識が遠ざかる。

 サラは震える喉を押さえるように、首を横に振った。
 喉の奥が裂けるように熱い。

「いいえ……しかし、わたしが……次に語る予定の……女漁師と魔神の物語ほどには……不思議ではありません……」

 吐息に混じって、呻くような音がこぼれそうになる。
 耐えきれずに噛んだ下唇に、微かな鉄の味が滲む。

「ふむ……魔神に女漁師がどうしたというのだ?」

 冷たく低い声が、遠いところから落ちてくる。
 熱に揺らぐ視界の奥で、玉座が歪んで見えた。

 サラは唇を濡らし、呻きを呑み込むように息を吐く。
 膝の奥が震え、下腹が何度もひくついた。

「……漁師は……魔神に一度は命を奪われかけます……。しかし……己の持つ、たったひとつの才覚で……魔神を縛りあげて、封じたと……」

 声を絞り出すたびに、膝の奥がじりじりと熱を滴らせる。
 疼きは鎖のように全身を締めつけ、言葉だけが息の糸を繋いだ。

 エスクラウディオは、愉快げに低く笑った。

「なるほど……続きが楽しみだな」

 その笑みを前にしても、サラの胸は荒く上下し、痛むほどに速い鼓動を刻んでいた。
 語りが終われば、また疼きが口を開ける。
 話さなければ命が繋がらず、語れば肉が裂けるように熱を漏らす。
 語り奴婢の声は止まり、かすれた息と、止めようもない疼きだけが残った。
 胸の奥で脈打つ熱が、刻まれた紋様を焙るように疼かせている。

 ──それでも、夜はまだ終わらない。

 すると、玉座の上で、エスクラウディオが、くくく、と喉の奥で笑った。
 その笑みは冷たく、どこか自嘲めいていた。

「愉快だ……いや、なるほど……私にも、こんな性癖があったとはな」

 低く呟く声が、玉座の上から降りてくる。
 サラの震える肩を、エスクラウディオの視線が撫でていく。

「お前のような、貞節を誇っていた女が……淫紋に疼かされ、声も堪えきれぬほどに苦しむ。くく……面白い……なんと面白いのだ」

 玉座の奥の影が微かに動いた。

「……その紋様は……貞節な女を淫乱な雌に変えるものだ。男の精を啜れば、いっときは楽になる。だが……すぐに水の乾きにも似た飢餓感に呑まれる。お前が女である限り、淫紋が刻まれている限り……その乾きは尽きぬ」

 サラはなにも答えられなかった。
 唇が小さく震え、吐息が熱にまじって零れ落ちる。
 ただ荒くなる呼吸を必死に噛み殺し、視線を伏せることしかできなかった。

「面白い……。ふふ、ああ、面白いとも」

 エスクラウディオの喉の奥で、くぐもった笑いが滲む。
 台座の上の瞳は、サラの痛ましいほどの息遣いを愉悦に変えていた。

「面白い話を教えてくれた褒美だ。……私の精をやろう」

 玉座の上から、低く落ちる声がサラの鼓膜を震わせる。
 喉の奥の笑いは、熱を孕んで歪んでいた。

「口で吸え。……手は一切使うな。期限は──四半取刻だ」

 言葉の余韻とともに、エスクラウディオは衣をわずかに押し上げて、股間を露出した。
 目の前に晒された熱を、サラは一瞬見つめるしかなかった。

 その刹那、頭に血がかっと昇った。
 理性が溶けていく。

「あああっ」

 気づけば、夢中になって男の股間にしゃぶりついていた。
 唇が肉を咥えこみ、舌が震える。
 喉の奥にまで届く熱に、嫌悪など微塵もなかった。
 匂いも、味も、生まれて初めての男への口吻であることすら、何の障壁にもならなかった。

 ただ、一匹の雌のように──。
 口で吸い、舐め、啜り続けた。
 刻まれた疼きが、その行為を促すように背骨を駆けた。

「そんなに美味か。まるで、獣だな」

 男の言葉が身体の上を通り過ぎる。
 しかし、なにも聞こえない。
 なにも認識できない。

 やがて、熱い白濁が舌の上に放たれた。
 サラは喉を鳴らし、一心不乱にそれを舐め取り、すべて飲み干した。
 嚥下のたびに、淫紋の疼きがわずかに和らいでいく。

 最後の一滴を吸い切るころ、ふっと我に返った。
 喉の奥に微かな残滓を感じながら、荒い息を噛み殺す。
 疼きは半分ほどに収まったように思えたが──遅れて、さっきまでの自分の姿が脳裏を刺した。

 恥が滲む。
 歯の根が鳴り、頬が熱くなる。

「……まるで、お前こそ獣にでもなったかのような取り乱しようだったぞ、サラ」

 エスクラウディオが小さく喉を鳴らして笑った。
 視線は冷たいのに、そこに自嘲めいた愉悦が混じっている。

「さて……次は、どんな趣向で苦しめてやるかな」

 彼が台座の影が立ち上がる。

「……明日の語りも、愉しみにしておくぞ」

 サラの荒い息を背に、皇帝は静かに歩み去っていった。
 夜の奥に残されたのは、まだ疼きを抱えたままの、雌のような吐息だけだった。
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