「こちら、報酬のモルフォス金貨十七枚です。お確かめを」
「ありがとうございます」
高級そうな盆の上に、並べられた十七枚の金の硬貨。
かつての名君、女王モルフォスの横顔をかたどった刻印がなされているその金貨は、一枚一枚に魔法と工学両方による緻密な刻印がされており、それを偽造することは決してかなわぬようになっている。
王国の権威の象徴となるその金貨は、帝国と王国の国境付近の地域において、その質の高さのためにかなりの価値を持つという。
「うん、全部本物だね」
僕の横で金貨を見るランジュ。
それを確かめて、僕は盆の上に乗せられた金貨を回収し、すべてを袋の中に入れた。
十七枚もの金貨が入った袋は、ずっしり重い。これから先旅の中では、かなり楽な生活ができるだろう。その未来の重さと考えれば、かなり軽いようにも思える。
「それから、追加の依頼受注の手続きですね。」
「あ、はい」
「ラブリア・ネライザの、帝国までの護送。報酬は、モルフォス金貨、さらに十七枚。よろしいですか?」
「はい、問題ありません」
「それでは、受注いたしました」
どんッ、と「受注済み」の大きな判が、依頼容姿の紙の上に、どんっと押された。
「それでは、北の極みがあなた方を導かんことを」
「はい、ありがとうございました」
クエストの報酬受け取りが終わった。
それから、新たなクエストの受注も。
僕らのすぐ後ろにいる人間を振り返れば、それが今回のクエスト対象だ。
「みなさま、どうぞ、よろしくおねがいします」
褐色の肌、漆黒の瞳孔、艶のある豊かな黒上、それによく似合ったエメラルドグリーン色の簡素なドレス。
ラブリア・ネライザ。今回のクエスト対象が、そこに立っていた。
「うん、よろしくおねがいします。ネライザさん」
――彼女が行方不明になったのは、ランジュの考えた通り、国の要所へ護送中のところ、脱走したからだったらしい。それが実は、二週間以上も前のことだという。
その間に、彼女を送り届けていた馬車はすでに街を去ってしまっており、残った彼女を僕たちが護送する必要出てきたのだという。
それにしても、一人で森で二週間、その身一つで生きていたとは、全く信じられないことだった。
一体どうやって生きていたのだろう……そう、彼女に聞こうとしても、意思疎通がうまくいかないのだった。
遠く離れた南の地から来た彼女は、簡単な会話はできるけれども、少しでも複雑は議論になると、もう駄目らしかった。
「――――、――――――」
ランジュが、なにやら僕にはわからない言語で、ネライザさんに話しかける。
それがどうやら、ネライザさんの知る言語のようだった。
南の地に行ったことのあるランジュは、それを知っているらしい。
何を言っているのかはよくわからないが、これからのことをおそらくはネライザさんには伝えているのだろう。
すると、ひとしきりランジュが言い終わってから、ネライザさんは、こくりとうなずいた。
「よし、じゃあ、皆行くよ。目的地は、北の帝国だ」
ネライザさんを送り届けるのは、南の彼女の来たところではなく、彼女を招いた北の帝国だった。
そもそもそこへと向かう途中なのだから、当然と言えば当然だ。
普通なら、帝国が迎えの馬車を出してしかるべきだと思うんだけれど。
ギルドにも馬車の依頼は出しておらず……。そのまま、その捜索をした冒険者パーティに護送を依頼するという形式をとっていたらしい。
「一国の要人を扱うにしては、少し適当すぎなんじゃ……」
「べつに一国の要人、とかではないと思うよ」
「えっ? それってどういう……」
「結構昔までさかのぼっちゃうから説明は後。とりあえず出発するよ」
「あ、ちょっとランジュ……」
ずかずかと、彼女は歩いて行ってしまった。
アンナもそれに首をかしげる。
「何を急いでいるんでしょうか、ランジュさんは」
「あ、ランジュ、待って、俺おいてかないで」
ライゼンだけはいつも通りだった。
まあ、ランジュの言いたいことはわかる。厄介な事情があるのだろう。
それに、さっきからギルドの中の視線がこちらに集中している。
主に、ネライザさんに向けてだった。
原因はわからないが、なにかあるのだろう。
とりあえず僕らは、僕らの予約した馬車への道を、歩くことにした。
×
「……南の砂漠の地から、やってきた、ラブリア・ネライザ、で、す」
ガタガタと揺れる馬車の中で、ネライザさんは自己紹介をした。
「南の、さばく、の、くにの、おつかい、として、やってきました。よろし、く、おねがします」
すこし、言葉遣いが拙い。だが、何を言っているのかは十分にわかる。
「うん、こちらこそよろしく。僕は勇者のメルア」
「わたしは僧侶のアンナです」
「魔法使いランジュ」
「戦士ライゼン、ですっ!」
「は、はい、よろし、く、おねがします」
どうやら緊張しているらしい。
初対面だし、無理もないだろう。
それにしては、結構大胆な出会いだったけれども……。
それは、今は聞かないほうが吉かな……。
「――――、――――――……」
ネライザさんが、僕にはわからない言葉でランジュに話しかける。
「うん、うん。あー……。―――――、―――……」
全く耳になじみがない、不思議な言語だ。しゃべっているランジュはしたがつっかえないのだろうか。
それに聞いていると、ランジュが話しているものと、ネライザさんが話しているものが同じようには全然聞こえない。これで意思疎通ができているのか、と不思議に思ってしまう。
「ねえ、アンナ、わかる?」
僕は隣に座る彼女に聞いた。
「いえ……ぜんぜんわかりません」
ふるふると、首を横に振る。
「ただ……」
「ただ?」
「宮廷につかえていた時に、東の地方から来た人が、似たような響きの言葉を話しているのは聞いたことが……」
「東? ネライザさんは南の方から来たって……」
「うーん、違う言葉かもしれませんし、その人が南の出身だったのかもしれませんし、そもそも共通語のような言葉だったりするのかも……」
「世界って広いな……」
「ええ、本当に」
そのまましばらく話を聞いていると、ランジュがこちらに顔を向けてくる。
「ランジュ、何かわかった?」
「いや、ただこの勇者パーティの説明をしていただけだよ」
「そっか。ていうか、それってなんていう言葉なんだい?」
「エアラビウン語……っていうのが正しいのかな。主に南の大陸と東の大陸の狭間らへんで話されている有名な言語だよ」
「共通語、みたいなものってこと?」
「そうだね。この大陸で言うエリニカ語みたいなところかな」
魔王討伐のための僕らの目的地は北の方だ。南の方じゃないし、これから立ち寄ることもないだろう。
正確に言うと、魔王がいるのはここから北西の彼方にあるヴレタニカという島だ。
「ねえ、ランジュ」
「ん、なに?」
「あの、聞きにくいんだけどさ、この子、なんでライゼンとあんなことになったのか、聞いてくれないかな」
「あー……」
僕はネライザさんの方を見た。
馬車の中に、ちょこんと小さく座っている。目はくりくりと大きくて、口はほのかに桃色がかり、小さかった。
一応十六歳だから僕と同い年で、成人だ。でも、どうしても年下に見える。
何も知らない人が街で歩く彼女を見れば、小さな女の子のように見えるだろう。
あまり成人にも見えなかった。人のこと言えないけど。
こんな彼女が、ライゼンに魔法をかけて、無理やりセッ……性行為をさせたなんて、あまり腑に落ちなかった。
「理由はだいたいわかるけど……。まあ、聞いておくか」
ランジュがまたネライザへ向けて話しかける。
「えっとね、――――」
「……アユ、アユ……」
ネライザさんがうなずきながら「アユ、アユ」と言っているのは相槌のようなものだろうか。
なんだか彼女のしていることが全部奇妙に見える……。
逆に彼女からしたら僕らの方がよっぽどおかしいんだろうけど。
話していると、ネライザさんの声が、どんどんとトーンダウンしていくのが分かった。
……顔が赤くなっていっている。
それからおどおどと目を泳がせたりして、ちらちらとこちらを見たりもして来た。
まあ、話題が話題だから、そりゃそうなるだろうけど……。
やっぱり尋ねるのをやめた方がよかっただろうか。
「なるほど、そういうことか」
ランジュがそう言う。
一方、すぐ近くのネライザさんは、そっぽを向いていた。
頭から湯気が上がっている……。自分の頬を抑えて高い声で何かを呟いていた。
悪いことをしたかな……。
「なんか分かった?」
「うん。気晴らしだって」
「えっ……?」
「ずっと馬車に乗ってたのがめんどくさくて、しかも旅の途中誰も性処理の相手してくれなかったから、とうとう辛抱たまらなくなって抜け出した、だってさ」
「ええ……」
そんな理由だったのか……。
「まあ、お年頃だからしょうがないところもあるけどね……」
「それですましていいものなの……?」
「まあライゼンも気にしてないみたいだし、ご本人も反省してるみたいだから……」
ネライザさんの縮こまっている背中……。
とても、そんな欲望があるようには見えない。それどころか、かなり奥ゆかしさも感じる。
性欲がたまると人間って変わるものなんだろうか。
「でもランジュ、ネライザさんって砂漠の出身なんだよね。なんで森の中で二週間も無事で……」
「まあ沿岸部とか、もうちょっと南の方は森があったりするし、そこらへんの地域なんじゃないかな。南の大陸も広いからね」
「そっか……」
なんかもうよく分からなかった。聞いても全然ピンとこない。
「ねえランジュ」
ふとライゼンがランジュに話しかけた。
「なに?」
「これってどこ向かってるの?」
さっき説明したはずなんだけども、話を聞いてなかったらしい。ライゼンらしい。
というか、さっきまで行為に及んでいたネライザさんに対して気にするふうもないようだ。一応被害者のはずなんだけど、これも彼らしいと言えば彼らしい。
ランジュはため息をつき、それに応えた。
「北の帝国だよ。そこのラブリアって人をそこに届けるの」
呆れながらも、ちゃんと説明してあげるつもりらしい。
「北の帝国ってなに?」
「え? そこから?」
さすがにランジュも目を丸くした。
その目が僕の方へ向く。
「ねえメルア」
ちょっと目が怖いな……。
「な、なに?」
「ライゼンをパーティに入れたのやっぱり間違いじゃなかった?」
「えっ!?!?」
その声を上げたのはライゼンだった。
ライゼンがでっかい声を出していた。
びっくりした。
思わず耳をふさいでしまう。
見ると、僕以外の他の人もみんな耳をふさいでいた。
ガタン、と馬車が揺れた。
先頭の方を見ると、操舵手が驚いた顔でこちらを見ていた。
どうやら馬が驚いて暴れたらしい。
「らっランジュ、やっぱり俺のこときらい……!?」
ライゼンは周りのことはお構いなしだったらしい。
床に手をついて四つん這いになり、ランジュにすり寄っている。
「しまった……」
呟いて、目を泳がせるランジュ。
ランジュはうっかり口にしてしまったのかもしれない。しかしライゼンにとっては重大事件だったらしい。
なにせライゼンはランジュが大好きなのだ。
というかライゼンをパーティに誘ったとき、彼がついてきた理由もランジュだった。
ずいっとライゼンはランジュにすり寄り、泣き出しそうな声で話し出した。
「ごめん俺謝るからさ、やっぱりあの時ランジュのこと聞けなかったのが嫌だった? それともいつも俺がずっとパンパンしたがってたから、怖かった……? ごめん、俺いつもずっと」
ランジュがぎゅっと目を細める。
「あー、いいから、ごめんライゼン、冗談だよ。本気でライゼンをパーティから追い出そうとかは考えてないから」
「ほ、ほんと……?」
「うん、本当だから」
「よ、よかった…………」
ライゼンは自分の胸を押さえて、心底から安堵したようだった。
それを見つめるランジュの目は、結構めんどくさそうにしていた。
はあ、とまたため息をつく。
「……まあ、じゃあ帝国のこと説明するか。ライゼン、聞いててね」
ああ、説明はやっぱりちゃんとするんだ。なんだかんだで面倒見は言い。
「う、うん」
うなずくライゼン。
おそらく野生児だったライゼン以外は全員知っているはずだけど、ランジュはともかく口を開いた。
「帝国っていうのは、もともとこの大陸を支配してて、西方大陸においての人類の生存圏を大きく広げた国のことだよ。今はそんなに広くないけど、それでも大陸で一番強い。それに、帝国の他の国はどれも、昔の帝国が元になって成立したんだよ」
「えっと……とりあえず、でっかくて強かった国ってこと?」
ライゼンがこてんと首をかしげる。
「うん。今も昔ほどじゃないけど、この大陸では一番なくらいにでっかくて強いんだよ」
「そうなんだ。じゃあ人もいっぱいいるってこと?」
「そうだね。太古の技術をそのまま引き継いでるから、文化水準もかなり高いかな……。古代からの国なだけに、魔法技術もかなりのものだよ。まあ術式構造は古めかしいところもあるけど」
エルフをして「古めかしい」とはどれだけなんだろう……と思ったけど口には出さないでおくことにした。あとが怖い。エルフは千年も万年も生きるとは聞くけど、まだランジュは百歳もいってないらしいし。
「よくわかんないけど……すごい国、ってことだね」
「そう。今はそこに向かってるんだよ」
「ふうん」
「あれ、珍しく乗り気じゃなさそうだね」
僕は思わずライゼンに尋ねていた。
「いつもは強そうな何かとかの話をしたら楽しそうにするじゃないか」
「あ、うん……」
一瞬ライゼンが逡巡する。
「なんだろうな……人が多そうだから、あんまり……」
「そういえば、ライゼンさんは人混みが苦手でしたね」
アンナが言った。
「うん、なんか好きじゃなくて……うるさいし、ざわざわするし。昨日みたいに森の中でいれればいいんだけど」
ライゼンの出自のせいか、それともその鋭い感覚のせいか、ライゼンは人が多いところを好まない。それはパーティの誰もが知っている。人が多そうなところに行くと、いつも落ち着かなさそうにするし、近くの森の中へと入って行こうとする。
うーん、とアンナが首を傾げた。
「ライゼンさん、もしかしたら、帝国で森の中にいるのは難しいかもしれません」
「え、どういうこと?」
「帝国では、たくさんの人がいすぎて……なんというか、人や建物が多すぎるんですよ。だから、今回みたいに森の中で待つというのは難しいかもしれません。なんというか……帝国の中には、自然が全然ないんです」
僕は帝国に行ったことがないけど、アンナはある。というかもともとそこで仕えていたという。
自然よりも、建物が多い国。
そういう噂を聞いたことがある。
建物が密集して、森のように広がっている光景とも言われるという。
あまり僕も想像できなかった。そのような光景を僕は見たことがない。
自然よりも、人工物が多いという景色は、想像がむずかしい。
「ねえアンナ」
僕は尋ねた。
「僕も気になったんだけどさ、街が広がっている、ってどのくらいなの?」
「うーん、そうですね……。それはもう、森と同じくらいに……際限なく、です。わたしも最初に行ったときはびっくりしました。なにせ街にだとりついても、町の中心にあるはずの城がみえないくらいで」
「街の中心部にある城が、街の端から見えなかったってこと?」
「はい、そうです。不思議な感じで……すごく……なんというか、ただすごかったです」
「西の人類のなかでも最大級の生存圏だからね。それくらいはあるよ」
ランジュが補足をしてくれた。
それから、ふう、とため息をつく。
「昔はもっと町が際限なく広がっていたそうだよ。今は森ばかりのこの大陸だけれども、かつては山間部以外の主要な平原は、ほぼすべてに際限のない町が広がっていたんだってさ」
「にわかには信じがたいな……」
「まあ、これも千年以上前の話だからね。それだけ立てば人類の痕跡なんてないに等しくなるよ」
千年前……。
想像もできないくらいの昔だ。
そんな昔に、現代の文明をはるかに超えるほどの、人類の領域が広がっていたなんて信じられない。
いくらかの痕跡が残っているのは僕も見たことがある。
大陸各地には、かつての帝国の時代の神殿や構造物が残っていたりするのだ。
その構造物のどれもが、現代では再現できない石材やコンクリートで出来ていて、かつて失伝した技術は千年以上たった今でも際限ができていない。
しかし帝国には、そんな技術で作られた建物がありふれるほどまだ残っているという。
「そんなに強かったなら、なんでちっちゃくなっちゃんたんだろ?」
ふと、ライゼンが言った。彼は頭の後ろで手を組みながら、体を揺らしている。
馬車の中が静まり返った。
ガラガラという車輪の振動の音と、馬の蹄鉄の音だけがその場にはあった。
あれ……誰も答えない。
僕はもちろん、そんなことは知らないし、疑問には思ったことがあるけれども……。
そして、ようやくランジュが口にした。
「不明なんだよね。分裂した理由も、それから今に至るまで縮小しちゃった理由もさ」
「不明、ですか?」
アンナがかすかに眉を寄せる。彼女にしては珍しい感情表現だった。
「うん。おかしいんだよね。私はエルフ仲間に帝国について聞いたことがある。その時代を生きていたエルフに」
「エルフ仲間……」
アンナがつぶやく。
彼女も職業柄、興味があるのだろう。
「誇張なんかじゃない。本当に、際限なく広がっていたんだ。そしてその街をつなぐ街道は、まさに帝国のあらゆるところを結んでいた。全盛期には、大陸の手は南方大陸の一部にまで届いていたんだ」
南の大陸……。
一つの大陸のみならず、南の大陸まで。東、ならともなく、陸続きではないそんな場所まで……?
「本当に、すごい規模だな」
「うん。だからこそ、なんで滅んだのか分からないのはおかしいんだよ」
「滅んだ? 残っているんじゃないのか?」
ランジュが言うには、帝国は縮小しただけのはずだ。
少しの間、ランジュは黙った。
そして、僕の目を見てくる。それから、口を開いた。
「……いや、滅んだんだよ。今ある帝国は、帝国の後継を名乗った後釜に過ぎない。多くは受け継いでいるけどもね。政体も文化も、何もかもが異なっている。連続体じゃないんだよ」
「じゃあ、それが滅んだ理由、って……?」
「だから、不明なんだ」
ランジュは天を仰いだ。しかし、そこにあるのは馬車の天井だ。青い空は、そこにはない。
「それだけの帝国に対抗する何かが、この世に存在していたはずなんだ。巨大な力が……。でも、そんな大層なものの痕跡が見つかっていない。巨大な国家、もしくはそれに準ずるものが」
「内乱とかで滅んだ、とか?」
「ありうる。一番ありうる、けども。そしたら、現代の王家とかに伝承が残っていないのはおかしいんだ。探しても、見つからない」
「伝承まで残っていないのか……」
「私もここ数十年でずっと調べてるんだけどね……」
再び、ランジュは息をつく。
ここのところ、ランジュにはため息が多いような気がした。
「強大な魔族、もしくは一夜にして姿を消した巨大国家、東方大陸の帝国による進行……。どれも思索の域を出ない。決定的な証拠が、どこにもないんだ……。五十年くらいずっとしらべてるんだけどなぁ……」
はあ、なんでなんにも見つからないんだろうなぁ……
と、悲惨なため息を出して。
ランジュの背が、ずるずるとずり落ちていく。それから、床に寝そべってしまった。
目を閉じて、体の力を抜いた無気力な状態だった。
「きつい……」
「そこまでなんだ……」
というか今までずっとそう言うのを調べていたのか。ぜんぜん知らなかった。
「五十年……長いよ五十年は……。あと何年生きられるかなぁ……。死ぬまでに見つからなかったら怖いなぁ……」
「え、エルフって寿命があるの?」
再び僕は彼女に聞いていた。
「エルフにはないけど、わたしにはあるよ……だって私純粋なエルフじゃないし……はあ、やだなぁ……寿命無限だったらいいのに……死にたくない……。人間っていいよね、大体寿命がどのくらいかわかるからさ……。私はほかの仲間がいないから、いつ死ぬかもわかんない……」
「ランジュさんって、ハーフエルフなんですか……?」
今度はアンナがまた問いかける。
「ん……?」
ぴくり、とランジュの耳がうごく。
そして、すっと体を起こして、アンナの方を向いた。
「そっか、西方教会は気になるよね、そりゃ」
「あっ……」
アンナが自らの口を抑えた。
どういうことだ?
「ランジュ、それって……」
僕は彼女に尋ねていた。
「うん、西方教会はエルフのことが大好きだからね。そこのエリート僧侶なら気になりもするか」
よいしょっ、とランジュは起き上がった。
だらけモードが終わったらしい。さっきまで座っていた座席に座りなおした。
そして、また息をつく。
しかし、一方のアンナは、目を泳がせていた。
彼女らしくない。
どうしたんだろう。
「アンナ? どうしたんだ?」
「あっ」
びくっ、と彼女の肩が揺れる。
「これは、その、勇者さま……」
目を、合わせてくれない。
アンナ……?
一体、どうしたと……。
「メルア、そこまでにしといてあげて」
「ランジュ? どういうことなんだ?」
「西方教会にはいろいろ秘密もあるらしいから。派閥も多くて互いにドンパチやりあってるから、そこのところだろうね。聞かぬ方が吉だよ。乙女には言えない秘密の百や二百はある」
アンナの動揺がさらに強まった。
彼女の目を見ようとして、一瞬だけ合わせても、それからすぐにそらしてしまう。
僕もアンナが彼女の持つ秘密を全部言ってくれると思っているわけじゃない。そこまで傲慢じゃないつもりだ。
しかし今のアンナの態度はとても奇妙だった。なにかとても重大なことを隠し持っているような気がする。
「まあ、それに、さっきはいろいろ不明とか言ったけど、西方教会はいろいろ知ってるはずなんだ」
「っ……」
アンナが息を詰まらせた。
「え……アンナ?」
それを傍目に、ランジュはつづけた。
「西方教会の歴史は長い。その始まりは帝国の全盛期に食い込んでいるんだ。たぶん、西方教会は多くのことを知っている。そのうえで秘密にしているんだろうね」
「っ、あのっ、ランジュ、さん……!」
僕は自分の眉にしわが寄っていることに気が付いた。
アンナが、見たことのない顔をしている。
まるで、何か恐ろしいものでも見ているかのような顔だった。
それを、仲間であるランジュに向けている。
そして今度は、何かを懇願するように話始めた。
「……なに?」
ランジュは軽く眉を上げて応えた。
「……どこまで、知ってるんですか?」
「ああ……」
はあ、とランジュはため息をついた。
何か、様子がおかしい。
さっきから、雰囲気が変なことになっている。
いつの間にこんなことになったんだ?
アンナが、こんなふうにして、ランジュに言い寄るだなんて。
ランジュは口を開いた。
「別に私はどこかの派閥に、帝国の滅んだ理由を言いふらそうとしているわけじゃないよ。ただ知的好奇心から調べているだけだ。ていうか、心外だね。二ヶ月も旅した仲だ、私がそんな人間に見えると……」
「違います、そういうことじゃありません……」
「ん?」
くいっ、とランジュの眉があがる。
アンナは視線を落として、自らの修道衣の胸をぎゅっとつかんだ。
「……耳を貸してくれませんか」
「……どういうこと?」
「ランジュさんだけ、耳を……」
アンナが僕に目を向けた。それから、ライゼンにも。
「え……アンナ、それはいったい」
「二人とも、ごめんなさい」
それから、ぺこりと頭を下げて。
アンナはランジュの大きくて長い耳元に、口を近づけた。
それから、何かをそこでささやく。僕の耳には、なにも聞こえなかった。
何かを言い終わり、アンナが自らの身を引く。
ランジュは、アンナの目を見ていた。
その目は、幾分か放心しているようでもあって、しかし達観しているようでもあった。
一体、何を聞いたのだろう。
まるで空中でも見るかのような、アンナの体の向こう側を見ているかのような。
まるで、なにか空前のものでも見ているかのような、そんな目つきだった。
「アンナ、一体何を――――」
その時、ガタッと音がした。
視線が一斉にそちら側に集中する。
ライゼンだった。ライゼンが、急に立ち上がったのだ。
「ライゼン?」
今の話を、もしかしたら耳のいいライゼンは聞くことができたのか。それで、何かを知ったのか。
一瞬そう思ったが、すぐにそうではないことが分かった。
その目は、ぐるぐると、馬車の中を見回していた。
いや、違う。
馬車の外に、気配を感じているのだ。
僕もその場から立ち上がる。
「魔物か!?」
「たぶん」
ライゼンが短いた。
ライゼンは、勘がいいのだ。何かの気配を感じ取るのがひどくうまい。
だからつまり、今は、何かが近づいてきている。そういうことなのだろう。
アンナの話も気になる……が、それどころじゃ、ないかもしれない。
「何匹いる、ライゼン?」
「今数えてる……いっぱいいる」
いっぱい……つまり、ライゼンには数えきれないほど、と言うことだ。
おそらく十、もしくは二十以上。
「なんだ? おかしい……」
ライゼンの眉に、皺が寄せられる。
「一体どうしたんだ?」
「なんでこんなに数が……ちょっと、多――――」
直後、轟音が走った。