朝霧が湖面を漂う中一人佇んでいた。昨夜の記憶が鮮明に蘇るたび胃が締め付けられる思いがする。無責任な行為への後悔が鉛のように重い。
「おやおや、私のパートナーさんと行為を行ったのに、なかなか重そうですねぇ」
そう、見つめると、硬い殻に覆われているピンクの二枚貝のデジモンがいた。
「お前は確か」
「シャコモンで、八奈見のパートナーだよぉ」
そう、軽い口調と憎たらしげな顔つきをしたデジモンが姿を現した。その名はシャコモン。
「なんだよ」
睨みつけるつもりだったがうまくいかない。視線の先では悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「いやいや、僕はただ君の罪悪感をからかって遊んでいただけですよぉ」
挑発的な口調に反論する気力もなくうなだれるしかなかった。
「昨日の夜は楽しんだみたいですが、あれで本当に解決しましたかぁ? プレイボーイも大変だねぇ」
「うるさいな」
「あらら、図星でしたかぁ? でも人間って面白いですよねぇ。肉体関係だけで満たされる訳じゃないんでしょ?」
「知ったような口を利くな」
「いやいや、人間観察は得意なんですよぉ。特に恋愛に関する愚痴や苦悩のパターンなんかは飽きませんしねぇ」
シャコモンの赤い大きな目が爛々と輝いている。その視線には侮蔑ではなく探求者の好奇心が見て取れた。
「で? 八奈見との関係はどうするんです?」
「それは」
「彼女も可哀想だよねぇ。失恋直後に貴方とこんな関係になっちゃってさぁ。精神衛生上最悪のコンボじゃないですかぁ?」
的確過ぎる指摘に反論できない。沈黙するしかなかった。
「でも彼女自身も望んでいたんじゃないですか? 身体で埋め合わせができるならそれでいいって思ってる節ありますしねぇ」
その言葉が胸に刺さる。確かに八奈見は積極的だった。傷ついた心を癒すための逃避行動なのか純粋な性的欲求だったのか判別できない。
「まぁ僕としてはどっちでもいいんですよぉ。ただそっちの愛関係って面倒臭いですねぇ」
皮肉めいた口調で語るシャコモンの背後で霧が晴れ始めた。湖面が朝日を反射し金色に輝く。その美しさとは裏腹に胸中の淀みは消えない。
「でも本当はわかってるんでしょう? 彼女が求めてるのは安心感なんだって」
「何を言って」
「肉体だけじゃなく心の繋がりがないと満たされないんですってさぁ。だから僕としては早く決断してほしいんですけどねぇ」
悪知恵に長けた悪戯者が真面目な助言をするなんて意外だ。あるいはこれも計算なのかも知れない。どちらにせよ核心を突かれていることは否定できない。
シャコモンの言葉に呆然と立ち尽くすしかなかった。核心を突かれすぎている。確かに八奈見の求めているものは身体だけではないと気づいていたのに目を逸らし続けていたのだ。
「ほらほらぁ〜! その顔! 図星すぎて何も言い返せないんだねぇ!」
甲高い声で嘲笑われるたび胸の奥が鈍く痛む。しかしこの痛みこそ現実を見据えなければならない証拠でもあった。
「でもさぁ、難しいこと考えなくてもいいんじゃないですかぁ?」
唐突に調子を変えるとシャコモンは続ける。
「人生なんて結局流れに任せるしかないじゃないですかぁ。いくら悩み苦しんだって答えなんて出てこないでしょ?」
赤い複眼を細めながら軽妙な口調で語る姿はあくまで飄々としていた。
「だからぁ、また似たようなことが起きたとしても適当に楽しんでみればいいんじゃないですかぁ?」
「楽しむって」
「そうそう。人間って意外と単純ですからぁ。一度楽しめてしまえば罪悪感も薄れますしねぇ」
湖畔を吹き抜ける風が頬を撫でる。その涼やかな感触が苛立ちを和らげる代わりに深い虚無感が襲いかかる。
「それにぃ〜貴方だって悪いわけじゃないんですよね? 求められたから応じただけ。それだけじゃないですかぁ」
狡猾な笑みとともに投げかけられた言葉が妙に納得感を伴って染み渡る。理屈では正当化できない部分もあるはずだが論理的には反論できない。
「でもぉ……これだけは忘れないでくださいよぉ」
突如真剣なトーンになりシャコモンは続ける。
「あなたが彼女にとって大切な存在であり続けたいならぁ……もっときちんと向き合わないとダメですよぉ」
意外な言葉に目を見開く。ここまで辛辣な批評をしてきたはずなのに最後には慈愛にも似た響きを持たせてくる。
「きっと、これから先も様々な問題が起きますからねぇ。その時に逃げずに正面から取り組めばぁ〜……自然と解決策も見えてくるかもしれませんしぃ」
その言葉には確かな重みがあった。このケモノガミは他人事のように振る舞いつつも本質を見抜く洞察力を持っているのだと思い知らされる。
「まあとりあえず今は休憩してくださいな」
最後に軽くウィンクしてシャコモンは去っていった。残された湖面に反射する朝日が眩しく輝いている。その光景は清々しいはずなのに心中は依然として重く澱んだままだった。
誰もいないはずの湖畔で背後から忍び寄る気配を感じた。咄嗟に振り返ろうとしたが遅かった。
「やっぱりここにいたんですね」
冷たく低い声色と共に細い指が首筋に絡みつく。湿った吐息が耳朶を撫でる感覚に鳥肌が立った。
「……六花」
名前を呼ぶ声がかすれる。その呼びかけに応じるように彼女はゆっくりと顔を近づけた。
「みんなと一緒にいるんじゃなくて良かったです」
笑みを含んだ口調とは裏腹に目は笑っていない。むしろ暗い炎が燃えているように見えた。
「昨日は随分楽しかったみたいですね。八奈見さんと……」
その言葉に動揺を隠せない。どうやら昨晩の出来事は彼女の耳に入っていたらしい。
「いや……その」
弁解しようとしても舌がうまく回らない。恐怖ではないものの何とも言えない圧迫感があった。
「別に責めてるわけじゃないんです」
首にかかる圧迫感が強まる。
「この状況で、皆の不安を解消させる為にも必要だと思うよ」
その言葉には真実味があった。確かに異世界に放り出された俺達の不安は計り知れない。それを解消させるためには六花や他の人達との交流が不可欠だった。
しかし六花の態度は明らかに他意を含んでいる。嫉妬なのか独占欲なのか定かではないが感情の矛先は明確だ。
「でも……」
言い訳を試みようと口を開いた瞬間彼女の顔がさらに接近した。鋭い眼光に射貫かれて声が出なくなる。
「ただ気になることがあるんです」
囁くような声とともに指先が鎖骨のあたりを這う。その動きは明らかに官能的で背筋に電流が走ったような感覚をおぼえた。
「私以外の人とも同じように親密になっていくつもりですか?」
問いかけとともに爪先が服の上から皮膚を軽く引っ掻く。痛みはないもののゾクリとした感触が伝わってくる。
「それは」
「ふふっ、気にしなくて良いよ」
それと共に。
「君の元に力が集まればね♡」