砂煙が視界を遮るなか、俺は迷わず駆け出した。
「こうなったら、やるしかないか!」
現状、それ以外の解決方法を思いつかない。
こんな事、無駄に終わるかもしれないが、それでも誰も傷つかないのならば。
何よりも目の前の少女だけは助けてあげたい。
その気持ちが先行してしまった。
メガログラウモンの咆哮が再び響く。獣型ケモノガミの太刀が閃光のように走り、金属同士が擦れる甲高い音が耳を劈いた。青白い火花が飛び散り、煙の匂いが鼻腔を突く。
「頼む」
僕は腹を括って駆け出した。砂の上を滑るように走る。乾いた地面が靴底を削る音が耳障りだ。だがそれ以上に心臓の鼓動が煩い。
視界の端で太田がなにか叫んでいる気がするが聞き取れない。アヤノの悲鳴のような声も遠のいていく。
目標は三十メートル先――彼女は壁際で蹲っていた。ピンクのベアトップドレスは砂埃で灰色がかっている。肩まで伸びた髪は汗で額に貼り付き、荒い呼吸が虚空を彷徨う。
そしてその傍らには漆黒の獣型ケモノガミが佇んでいた。全身から立ち昇る瘴気のような黒煙が実体を持ち始めている。赤く染まった眼は怒りと恐怖が混在し、口腔からは牙を剥き出しにして低い唸り声を上げ続けている。
「お願いします!」
近づくにつれ異様な臭気が鼻をつく。消毒液のような刺激臭と甘い香りが混ざり合った不協和音だ。本能が警告を発するが足は止まらない。
距離十メートル――獣型ケモノガミが首を擡げた。その瞳が僕を捉える。全身の毛が逆立つ感覚。思わず後退りそうになる身体を精神力で押さえ込む。
七メートル――彼女の腕が僅かに動いた。爪先が地面を掻く仕草。虚ろな眼差しが焦点を結ぼうとしている。その様子を見て鼓動が早鐘を打つ。
五メートル――獣型ケモノガミが唸り声を強めた。口腔から泡立つ唾液が垂れ落ちる。同時に黒煙が渦を巻き始めた。嫌な予感しかしない。
三メートル――彼女の口元が微かに動いた。聞き取れない言葉を呟いているようだ。近づくにつれ汗の量が増えていることに気づく。手首に絡んだ点滴ラインの痕跡が痛々しい。
一メートル――獣型ケモノガミが完全にこちらを睨み据えた。だが奇妙なことに攻撃行動には移らない。主人の意向を伺っているかのように固まっている。
その瞬間、すべての音が消えた。
僕は跪き、彼女の顔を正面から見る。睫毛に絡んだ砂粒が涙のように見えた。唇は乾ききり薄皮が捲れている。しかし不思議と美しかった。
手を伸ばす――その指先が震えている。
躊躇いは一瞬。
柔らかな感触と共に。
彼女の唇は想像以上に冷たかった。乾いた皮膚が擦れる感触に胸が締め付けられる。時間にして三秒ほどだっただろうか。最初のうちはピクリとも動かなかった。
――が。
彼女の目蓋が微かに痙攣した。睫毛に付着した砂塵が微かに震え始める。やがて薄く開いた瞼から覗く瞳孔が、ゆっくりと焦点を取り戻していく過程を至近距離で見た。
「……う」
か細い吐息が漏れる。それは生き物らしい温もりを孕んでいた。僕は思わず顔を離す。そして目を見開いた。
目の前の女性の瞳に正気が戻っている。虚ろだった硝子玉のような眼差しが今や生気を取り戻し、僕を捉えている。同時に耳をつんざく咆哮が砂漠を揺るがした。振り向くと獣型ケモノガミがゆっくりと崩れ落ちていく。巨躯が砂地を揺るがす鈍い音が響く。
「成功した……?」
安堵と驚愕が入り混じった声が漏れる。メガログラウモンが変形解除しギルモンに戻る際の電子音が聞こえる。砂煙の向こうから駆けてくる太田とアヤノの足音が聞こえた。
その時だった。眼前の女性が突然腕を振り上げた。反射的に身を引く間もなく。
パチンッ!!
乾いた破裂音が砂漠に響き渡る。頬に焼けるような痛みが広がり視界が一瞬歪む。熱いものが耳の奥を駆け抜ける。
「きゃあっ」
振り向くとそこには真っ赤になった女性が立っていた。ブラウンの髪は砂埃で台無しだが、その表情は明らかに別人だ。眉根を寄せ頬を紅潮させた怒りの形相。先程までの虚脱感は微塵もない。
「な、なんてことすんのよッ!」
震える声で叫ぶ彼女の瞳に涙が滲んでいる。羞恥と混乱が入り混じった感情の奔流が見て取れた。思わず背後を確認する――太田が呆然と立ち尽くしアヤノは口を押さえて赤面している。唯一平静なのはムジナで「言った通りでしょう?」とでも言いたげな顔をしている。
「いや待ってくれ誤解だっ」
「誤解って何よ! わざわざ……こんなところで……」
言葉尻が途切れるたびに顔の朱色が濃くなる。ついには両手で顔を覆ってしゃがみこんでしまった。しゃくり上げるような嗚咽が漏れる。
「というよりも、これってどういう状況」
「・・・それを含めて、その説明させてくれますか?」