深夜のビル屋上は砂漠の夜風が容赦なく吹き抜けていた。鉄柵に寄りかかるホシノの髪が激しく舞い上がっている。月明かりが彼女の頬を照らし、昼間よりはっきりと見える痣が痛々しい。
「……寒くない?」
問いかけると彼女は黙って首を振った。
「なんで来てくれたんですか」
ようやく発せられた声は掠れていた。怒りでも謝罪でもない純粋な疑問。それが却って心を抉る。
「……すまなかった」
正直に頭を下げた。ビル風が鉄柵を叩く音だけが響く数秒間。
「貴方が謝ることじゃないですよ」
ホシノが突然手を伸ばし、柵越しに砂漠を指さした。
「みんな必死なんでよ」
彼女が拳を握るのが見えた。
「私も含めて壊れかけてて、でも誰も責められない」
言いながら自分の唇に触れようとして慌てて引っ込める仕草。乾いた空気に血の味が蘇るのを拒否しているようだ。
「けど」
声が揺らいだ。
「それでも……あのときは怖かった」
風で乱れた前髪から覗く目に涙が浮かんでいる。反射的に抱き寄せたくなる衝動を押さえつけた。
「ありがとう」
彼女は自ら僕から一歩離れると深々と頭を下げた。
「あんな最期迎えると思ったら……助かってよかった」
本心か演技か判断つかない笑み。だが少なくともその言葉だけは本物だと信じたかった。
「これからどうする?」
「わからない」
率直な返答。
「だけど、今のままじゃうやむやになって、嫌だから」
それと共にホシノは、そのまま俺の方へと向かってきて。
そして。
「・・・・・・・・・」
そんな彼女の要求に対し、俺は戸惑うばかりだった。そもそも、あのキスは強制されたものであり、自らの意思など微塵も介在していない。にも拘わらず、その後始末まですべてこちらの責任にされても困る。
「何がしたいんだよ」
苛立ちを抑えきれずに尋ねると彼女は小さく首を振った。長い前髪の陰から覗く瞳は潤んでいて妙に艶めかしい。
「忘れさせて欲しいだけ」
消え入りそうな声で呟く。そして不意に顔を近づけてきた。息遣いがわかるほどの距離で目が合う。砂漠特有の乾いた空気の中に彼女の体温だけが湿っているようだ。
「キスしてくれたこと」
吐息に乗せて囁かれる言葉に戸惑っているうちに彼女の手が背中に回る。華奢な指先が衣服の皺を辿るように這っていく感覚が背筋を粟立たせる。
「忘れさせて」
今度ははっきりとした口調で訴えられた。同時に爪先が立って踵が浮くのが見える。求められている行為の意味を理解しながらもなお拒絶できない自分が憎らしい。
彼女の唇が首筋に触れるか触れないかの位置で静止する。肌を焦がすような熱気と相反する冷たさが同居した感触に眩暈がする。
「ほら」
煽るように囁かれる一言が耳元で反響する。理性の糸が一本また一本と切れていきそうになる中で俺は――。
砂漠の冷気が肌を刺す中、ホシノの吐息だけが熱い。彼女の指先が背中のボタンを一つずつ外していく衣摺れの音が妙に大きく響く。布越しに感じる乳房の膨らみが押し当てられると嫌でも身体が反応してしまう。
制止しようとした瞬間、ホシノが僅かに身体を引いた。前髪の隙間から覗く瞳には涙の膜が張っている。
「お願い……」
か細い懇願と共に再び唇が近づいてくる。避けるべきだとわかっているのに足は縫い付けられたように動かない。