深夜の格納庫で整備を続ける俺の前に、エースパイロットのアグネスが現れた。
派手な髪色、豊満な身体、自信満々の態度——男を何人も食ってそうな女。
そう思っていた。
「……初めて、なの」
震える声で告げられた真実。
強気な仮面の下に隠されていたのは、誰にも触れさせたことのない身体と、臆病な心だった。
「怖い。でも、アンタがいい。アンタじゃなきゃ、嫌」
決戦前夜。
俺は彼女の「初めて」を、全て奪う。
格納庫に、俺──レックスの足音だけが響いていた。
深夜二時。
他の整備士はとベッドの中だ。明日は大規模作戦の当日だ。普通なら、少しでも身体を休めるべきなんだろう。
でも、俺はここにいる。
MS——モビルスーツ「ギャン」の前に立ち、工具を手に取った。
昨日の戦闘でついた小さな傷。
装甲の継ぎ目に走る、微かな歪み。
パイロットでさえ気づかないような、些細な損傷。
俺の指が、その傷を撫でた。
彼女は気づいていないだろう。俺がこの傷を見るたびに、胸が締め付けられることを。
ギャンの装甲は、彼女を守る最後の壁だ。この金属板一枚が、宇宙の真空と、敵のビームライフルと、彼女の命を隔てている。
だから俺は、ここにいる。
一年間、ずっとそうしてきた。誰よりも早く格納庫に来て、誰よりも遅くまで残る。彼女の——アグネス・ギーベンラート少尉の専属整備士として。
「帰ってこい」
声に出したのは、初めてだった。
格納庫の静寂に、俺の声が吸い込まれていく。返事はない。当たり前だ。こんな時間に、誰がいるというのか。
俺は溜息を吐いて、作業に戻った。
◆◆◆
足音が聞こえたのは、それから三十分ほど経った頃だった。
軽い足音。でも、迷いがない。
「あら、レックスじゃない」
振り向くと、彼女がいた。
アグネス・ギーベンラート。
サーモンピンクの髪を高い位置でツインテールに結び、バイオレットの瞳を持つ、コンパスのエースパイロット。今夜はパイロットスーツではなく、マルーンのジャケットにミニスカートという私服姿だった。
いつもの強気な歩き方。腰を揺らして、堂々と。まるで格納庫が自分のものであるかのように。
でも、どこか違う。
「アンタ、まだいたの」
断定的な声。挑発するような口調。
いつもの、アグネスだ。
俺は彼女を観察していた。無意識に。整備士の癖だ。機体の異常を見つけるように、人間の異常も見つけてしまう。
彼女の指先が、ジャケットの裾を摘んでいる。
たぶん本人は気づいていない。無意識の仕草。布地を指で弄ぶ、小さな動き。
彼女は緊張している。
「整備だ」
俺は短く答えて、視線を工具に戻した。
「こんな時間に?」
「明日、お前が死なないためだ」
言ってから、しまったと思った。
普段の俺なら、こんな言い方はしない。もっと事務的に、「作戦前の最終確認だ」とでも言うはずだった。
深夜のせいだ。気が緩んでいる。
「ふぅん」
アグネスが、俺の隣に来た。
ギャンを見上げる横顔。長い睫毛。白い首筋。機械油の匂いしかしないはずの格納庫に、甘い香りが混じった。シャンプーか、香水か。
見るな、と自分に言い聞かせた。
「眠れなくて」
彼女がそう言った。
でも、俺から視線を逸らしている。
眠れないなら、自分の部屋にいればいい。なぜ、わざわざ格納庫に来る。しかも、こんな深夜に。俺がいることを、まるで知っていたかのように。
「明日の作戦、緊張してるのか」
「してない」
即答。でも、声が少しだけ上擦っていた。
「アタシはエースよ。緊張なんてするわけないでしょ」
胸を張って言う。その姿勢のせいで、ジャケットの下の膨らみが強調された。Fカップはあるだろう。いや、もっとかもしれない。
俺はすぐに視線を逸らした。
「そうか」
「何よ、その反応」
「別に」
沈黙が落ちた。
格納庫の空気が、妙に重い。俺は整備の手を動かし続けた。でも、意識は彼女に向いている。視界の端で、アグネスがこちらを見ているのが分かった。
何か言いたいことがあるのか。
それとも、ただ傍にいたいだけなのか。
「ねえ」
アグネスの声が、少しだけ柔らかくなっていた。
「アンタ、なんで毎日こんなに遅くまでいるの」
俺の手が、一瞬止まった。
「仕事だからだ」
「嘘」
彼女の声には、確信があった。
「他の整備士は、こんな時間までいない。アンタだけよ」
俺は答えなかった。手を動かし続ける。ボルトを締める。ナットを確認する。
「ずっと気になってたの。誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで残って」
彼女の視線が、俺を射抜いていた。バイオレットの瞳。強気な光。でも、その奥に何か違うものが見える。不安か。期待か。
「アタシのギャンだけ、特別扱いしてるでしょ」
「気のせいだ」
「嘘つき」
アグネスが、一歩近づいた。
甘い香りが濃くなる。普段は機械油の匂いしかしない格納庫に、場違いな香り。彼女がここに来るために、香水をつけてきたのかもしれない。
いや、考えすぎだ。
「ねえ、レックス」
俺の名前を呼ぶ声が、いつもより低かった。
「なんでアタシのこと、見てんの」
心臓が跳ねた。
「見てない」
「嘘。さっきからずっと」
バレていた。
俺は工具を置いて、彼女と向き合った。
四秒。俺は彼女の目を見つめた。逸らさなかった。
アグネスが先に視線を落とした。
頬が、僅かに赤い。
脈は、ある。
俺は心の中で、そう判断した。整備士としての観察眼が、そう告げている。
でも、だからどうした。
整備士とパイロットは、住む世界が違う。俺は地上で待つだけの人間で、彼女は宇宙を駆ける人間だ。交わることはない。
そう思っていたのに、俺の口は勝手に動いていた。
「手、怪我してる」
アグネスの右手。指先に、小さな切り傷。コックピットのどこかで切ったのだろう。彼女自身も気づいていないくらい、些細な傷。
「大したことない」
「消毒する」
「いいって——」
俺は彼女の手を取った。
小さな手だった。
エースパイロットとは思えないほど、華奢で、柔らかい。この手で操縦桿を握り、何十人もの敵を撃墜してきたとは思えない。
俺の親指が、彼女の手のひらを撫でた。傷の周囲を、確認するように。
アグネスの肩が、びくりと震えた。
声にならない吐息が、彼女の唇から漏れた。
指が、微かに開いた。
緊張なのか、受け入れなのか。
彼女は反応している。俺の触れ方に、反応している。
俺は手を離さなかった。
「明日、絶対に帰ってこい」
俺の声が、自分でも驚くほど低かった。
「なんで」
「ギャンが傷ついたら、俺が困る」
嘘だった。
分かっている。彼女も、俺も。
アグネスの空いている方の手が、俺の胸を押した。
でも、力が入っていない。押し返すためではなく、触れるための手だった。
「嘘つき」
震える声。
「本当の理由、言ってよ」
俺は黙っていた。言葉を探していた。一年間、胸の奥に押し込めてきた言葉を。
「一年も、毎日。誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで残って」
彼女の目が、潤んでいた。
強気なエースパイロットが、今にも泣きそうな顔をしている。
「アタシのこと、見てたんでしょ」
「ああ」
認めた。もう、隠す意味がない。
「なんで。整備士なのに」
「お前が傷つくのが、嫌だから」
言ってしまった。
一年間、胸の奥に押し込めてきた言葉。整備士とパイロットの壁。立場の違い。そんなものを全部無視して、俺は本音を口にした。
アグネスの身体が、俺に向かって倒れ込んできた。
抱擁。
彼女からの、不器用な抱擁。
「バカ」
俺の胸に顔を埋めたまま、彼女が言った。
声が震えている。
「なんで今まで言わなかったのよ」
答えられなかった。
答える代わりに、俺は彼女の背中に手を回した。
「アタシ、ずっと待ってたのに」
待っていた。
その言葉が、俺の中で反響した。
俺は彼女を見下ろした。サーモンピンクのツインテールが、俺の腕に触れている。甘い香りが、もっと近くなった。
抱きしめたい。
その衝動が、腹の底から湧き上がってきた。彼女の細い身体を、両腕で包み込んで、二度と離さないと——
まだだ。
俺は衝動を押し殺した。
彼女は今、感情が高ぶっている。明日の作戦への不安。深夜のテンション。そんなものが混ざり合って、普段は言わないことを言っている。
ここで抱きしめたら、後悔させるかもしれない。
「アグネス」
「何」
「顔を見せろ」
彼女が顔を上げた。
涙の跡。でも、強い目。バイオレットの瞳が、真っ直ぐに俺を見ている。
「抱きしめて、いいか」
許可を求めた。
彼女の意思を、確認するために。
アグネスの頬が、さらに赤くなった。
唇を噛んで、視線を逸らして——それでも、小さく頷いた。
「バカ。聞くとか、ダサい」
「そうか」
「そうよ。普通は聞かないで——」
俺は彼女を抱きしめた。
細い身体だった。
俺の腕で、簡単に一周できてしまいそうなほど。
でも、温かかった。
機械油と金属の匂いしかしない格納庫で、彼女の身体だけが生きている熱を持っていた。
ジャケット越しに、柔らかいものが胸板に押し当たる。形が分かる。弾力が分かる。彼女の心臓の鼓動まで、伝わってくる。
抱きしめるだけで、こんなに情報が入ってくるのか。
整備士の観察眼が、彼女の身体を無意識に分析していた。
抱きしめて、いいか、なんて聞いておいて。
俺の手は、既に彼女の背中に回っている。引き寄せる。もっと近くに。
アグネスの身体が、僅かに硬直した。
「力、抜け」
「抜いてる」
「嘘だ。肩が上がってる」
俺の手が、彼女の背中をゆっくりと撫でた。
上から下へ。肩甲骨の間を。背骨に沿って。何度も。何度も。
やがて、彼女の身体から力が抜けていった。呼吸が、穏やかになる。俺の胸に、全体重を預けてくる。
これでいい。急ぐな。
「ねえ」
アグネスの声が、小さくなっていた。
「キス、していい?」
「いいのか」
「アタシが聞いてんの」
強がり。でも、声は震えている。
顔は俺の胸に埋めたまま、見せようとしない。
俺は答えなかった。
代わりに、彼女の顎に手を添えて、顔を上げさせた。
潤んだ目。赤い頬。少しだけ開いた唇。
待っている。俺を、待っている。
唇が、軽く触れた。
まだ舌は入れない。
唇と唇で、互いの熱を確かめ合う。
柔らかい。
彼女の唇は、想像以上に柔らかかった。薄い桜色。少しだけ、リップクリームの味がする。
「んっ」
アグネスの指が、俺のつなぎ服を掴んだ。
離さない、とでも言うように。布地に皺が寄るほど、強く。
もう一度。今度は、少しだけ深く。
彼女の唇を、吸うように。下唇を軽く噛んで、舌先で舐める。
「っ」
彼女の身体が、びくりと跳ねた。
離れない。
また唇を重ねる。角度を変えて。今度は彼女の上唇を。
三度目。四度目。五度目——。
やがて、彼女の方から、舌先が伸びてきた。
待っていた。
俺はその舌を受け止めて、ゆっくりと絡めた。
◆◆◆
キスが深くなるにつれて、彼女の身体が変わっていく。
最初は固かった肩から、力が抜けていく。俺の胸に預ける体重が、少しずつ増えていく。呼吸が浅くなる。頬が紅潮していく。
俺の胸に押し付けられた彼女の心臓が、早鐘を打っているのが分かる。
でも、何かが違った。
舌の動きが、ぎこちない。
俺が絡めようとすると、逃げる。追いかけると、また逃げる。でも離れようとはしない。どうしていいか分からない、という動き。
経験のある女の舌じゃない。
俺は唇を離した。
銀色の糸が、俺たちの唇の間で光って、切れた。
「アグネス」
「何」
荒い息。潤んだ目。頬は真っ赤だ。
強気なエースパイロットの面影は、どこにもなかった。
俺は彼女の目を見つめた。三秒。四秒。観察するように。
「慣れてないだろ」
彼女の目が、大きく見開かれた。
図星だ。
「うるさい」
顔を背ける。でも、俺のつなぎ服を掴んだ指は離さない。
耳まで真っ赤だ。首筋まで、赤みが広がっている。
「笑うなよ」
「笑ってない」
「絶対笑うなよ」
彼女の声が、震えていた。
強気な声ではなく、消え入りそうな声。何かを告白しようとしている声。
俺は待った。
急かさない。彼女が言葉を見つけるまで、待つ。
アグネスの指が、俺のつなぎ服を握りしめた。布地に皺が寄る。
「アタシ、こういうの」
言葉が途切れた。
唇を噛んでいる。恥ずかしいのか、怖いのか。
俺は彼女の髪を撫でた。サーモンピンクの柔らかい髪。
「言えるまで待つ」
「急かせよ、バカ」
「急かさない」
沈黙。
彼女の呼吸だけが聞こえる。浅く、速い呼吸。
やがて、彼女が口を開いた。
「初めて、なの」
その言葉が、俺の脳を直撃した。
初めて。
アグネス・ギーベンラート。
派手な髪色。豊満な身体。自信満々の態度。男を何人も手玉に取っていそうな雰囲気。
全部、虚勢だったのか。
「嘘だろ」
「嘘じゃない」
彼女が俯いた。肩が小さく震えている。
ツインテールが揺れて、うなじが見えた。白い肌に、汗が滲んでいる。
「みんな、アタシのこと誤解してる。派手だから、遊んでるって」
声が小さくなっていく。
「でも、違うの。アタシ、キスしたことすら、なかった」
俺は黙って聞いていた。彼女の言葉を、一つも逃さないように。
「怖かった、の。誰かに触られるのが」
彼女の手が、自分の腕を掴んでいた。守るように。隠すように。
「だから、強がって、近づかせないようにして。派手にして、軽い女だって思わせて。そうすれば、本気で近づいてくる男はいないから」
アグネスが顔を上げた。
涙を堪えた目で、俺を真っ直ぐに見る。
「でも、アンタは違った」
俺は何も言えなかった。
「毎日、アタシのギャンを整備してくれて。何も言わないで。何も求めないで」
彼女の声が、震えていた。
「近づいてこなかった。でも、離れなかった。ずっと、そこにいてくれた」
彼女の手が、俺の頬に触れた。
冷たい指先。でも、震えている。
「一年間、ずっと見てた。アンタのこと」
俺も見ていた。
言葉にはしなかったが、ずっと見ていた。
「怖い、けど」
アグネスが、唇を噛んだ。覚悟を決めるように。
「アンタがいい。アンタじゃなきゃ、嫌」
その言葉が、俺の胸を貫いた。
俺の中で、何かが決まった。
彼女の頬に手を当てる。涙の跡を、親指で拭う。
「痛かったら言え。止まる」
アグネスの目が、見開かれた。
「急がない。お前のペースでいい」
彼女の目が、また潤んだ。
でも今度は、違う涙だ。安堵の涙。信頼の涙。
「バカ」
「よく言われる」
「優しすぎ」
彼女が、俺の胸に顔を埋めた。
「お願い」
消え入りそうな声。
「壊さないで。でも、壊して」
その言葉の意味を、俺は理解した。
彼女は怖いのだ。初めてのことが。誰かに身体を委ねることが。傷つくかもしれないことが。
でも同時に、俺に壊してほしいと思っている。強がりで固めた自分の殻を。誰も近づけなかった自分の心を。
この女を、幸せにする。
俺は彼女を抱き上げた。
「きゃっ」
短い悲鳴。でも、嫌がってはいない。
「格納庫の隅に、毛布がある」
「ここで、するの?」
「嫌か」
彼女は答えなかった。
代わりに、俺の首に腕を回した。しがみつくように。でも、信頼を込めて。
「レックスと一緒なら、どこでもいい」
その言葉を聞いて、俺は歩き出した。
格納庫の隅へ。
彼女を腕に抱いたまま。
ギャンの影が、俺たちを見守っていた。
◆◆◆
格納庫の隅に、整備用の毛布を敷いた。
硬い床だが、今はこれしかない。本当なら、もっとちゃんとした場所で抱きたかった。ベッドの上で、シーツの匂いに包まれながら。
でも、待てなかった。彼女も、俺も。
「ここで?」
アグネスが、毛布の上に座った。
膝を揃えて、腕で身体を抱きしめている。
さっきまでの強気な姿は、どこにもなかった。
ジャケットの下で、彼女の身体が小さく震えている。
怖がっている。
でも、逃げようとはしていない。
俺は彼女の隣に座った。
まだ触らない。
「手、出して」
「え?」
「いいから」
彼女が、おずおずと手を差し出した。
さっき傷を見た、右手。細い指。白い肌。爪は短く切り揃えられている。コックピットで操縦桿を握るために。
俺はその手を取って、掌を上に向けさせた。
「何、するの」
「黙ってろ」
指先から、ゆっくりと撫でていく。
小指から。爪の先に、そっと触れる。それから、指の腹を親指でなぞる。第一関節。第二関節。指の付け根。
「っ」
アグネスの呼吸が、僅かに乱れた。
薬指。同じように。爪の先から、ゆっくりと。
中指。人差し指。親指。
一本ずつ。丁寧に。急がない。
「感じるか?」
「わかんない」
嘘だ。
彼女の呼吸が変わっている。浅く、速くなっている。
手首へ。
内側の、薄い皮膚を親指で撫でる。血管が透けて見える場所。脈が触れる場所。
「やっ」
ビクッと震えた。
彼女の膝が、反射的に閉じる。
「ここ、敏感だな」
「知らなかった」
「俺は今、知った」
彼女の身体を、覚えていく。どこが敏感か。どこに触れると震えるか。
腕へ。肘の内側へ。
ゆっくりと、遠くから中心へ。
「横になれ」
「うん」
アグネスが毛布の上に横たわった。
まだ膝を閉じて、腕で胸を隠している。
閉じた身体。これが、彼女の防御だ。
一年間、誰も近づけなかった身体。俺が、最初に開く。
俺は彼女の横に寝そべった。
まだ服は脱がせない。
肩に、唇を落とした。ジャケット越しに。
「ひっ」
「痛いか?」
「痛くない」
首筋へ。
鎖骨の上を、唇でなぞる。ジャケットの襟から覗く、白い肌。
「あっ」
彼女の背中が、僅かに反った。
耳元に唇を寄せる。
耳たぶを、軽く噛んだ。歯を立てずに、唇で挟むように。
「んっ、やっ」
声が漏れ始めている。
まだ、どこも直接は触っていない。服の上から、首から上だけ。それだけで、彼女は反応している。
俺の手が、彼女のジャケットのボタンに触れた。
「脱がせるぞ」
アグネスが、小さく頷いた。
でも、目を閉じている。恥ずかしいのだろう。
ボタンを一つ外す。
ゆっくりと。焦らすように。
白いシャツが見えた。その下に、レースのブラジャーの輪郭。
もう一つ。
鎖骨が露わになる。華奢な骨格。鎖骨の窪みに、汗が溜まっている。
最後のボタンを外した。
「見ないで」
「無理だ」
ジャケットを脱がせる。
シャツ一枚になった彼女の身体。
大きい。
分かってはいた。パイロットスーツの上からでも、彼女の胸が大きいことは。
でも、こうして近くで見ると、シャツの布地が張り詰めているのが分かる。ボタンとボタンの間が、僅かに開いている。中の白いレースが、覗いている。
シャツの上から、胸の膨らみを撫でた。
まだ直接は触らない。布越しに、輪郭をなぞるだけ。
「ひゃっ」
アグネスの身体が跳ねた。
腕で胸を隠そうとするが、俺の手がそれを阻む。
「恥ずかしい」
「恥ずかしがるな」
「無理」
彼女の顔が、耳まで赤く染まっていた。
シャツのボタンに手をかける。
一つ。また一つ。ゆっくりと。
白い肌が、徐々に露わになっていく。
鎖骨の下。胸の膨らみの始まり。谷間。
レースのブラジャーが見えた。
白い生地に、薄いピンクのリボン。意外と可愛らしいデザインだ。派手な外見とは、正反対の。
「そんなに見られたら、恥ずかしい」
「見る。全部見る」
シャツを脱がせた。
アグネスの上半身が、ブラジャー一枚になる。
細いウエスト。俺の両手で掴めそうなほど。
それなのに、胸は溢れそうに膨らんでいる。ブラジャーの縁から、柔らかそうな肉がはみ出している。
俺の指が、ブラジャーの縁をなぞった。
レースの感触。その下に、柔らかい肉の弾力。
まだ触らない。
胸の輪郭を、外側から内側へ。円を描くように。少しずつ、中心に近づけていく。
「っ」
アグネスの呼吸が変わった。
浅く、速くなっている。胸が上下するたびに、ブラジャーの中で揺れる。
「ねえ」
「ん?」
「真ん中」
焦れたような声だった。
でも、俺は従わない。
「真ん中って?」
「っ」
彼女の顔が、さらに赤くなった。
言わせる。彼女の口から、言わせる。
「乳首っ、触って」
待っていた。
俺の指が、ブラジャーの上から乳首に触れた。
軽く。触れるか触れないかの力で。
「あっ」
彼女の背中が、大きく反った。
腕が、俺の首にしがみつく。
閉じていた身体が、開き始めている。
「硬くなってる」
「言わないでっ」
ブラジャー越しでも分かる。小さな突起が、布地を押し上げている。
俺の指が、その突起を軽く転がした。
円を描くように。押さえつけずに、撫でるように。
「あっ、あっ、んっ」
彼女の声が、甘く変わり始めていた。
腰が、無意識に浮いている。
「可愛い」
「っ」
ブラジャーのホックに手をかけた。
「外すぞ」
「うん」
カチリ、と音がした。
白い布が外れて、彼女の胸が露わになった。
支えを失って、自然な形に戻る。
重力に逆らうような張り。でも、先端は僅かに外を向いている。
乳輪は小さく、色は薄い桜色。
その中央で、乳首が硬く尖っている。俺に触れられるのを、待っていたかのように。
彼女が両手で顔を覆った。
指の隙間から、俺を窺っている。見ないでと言いながら、こっちを見ている。
「綺麗だ」
「嘘」
「嘘じゃない」
俺の唇が、彼女の乳首に触れた。
「ひゃあっ」
舌先で転がす。硬い突起を、舌の腹で押さえて、円を描くように。
「あっ、あっ」
吸う。軽く。唇で挟んで、引っ張るように。
「んっ、やっ、やあっ」
軽く噛む。歯を立てずに、唇で挟んだまま、圧をかける。
「あっ、あっ、んっ」
アグネスの声が、甘く変わっていた。
指が俺の髪を掴む。押し付けるように。もっと、と言うように。
片方の乳首を口で愛撫しながら、もう片方を指で転がす。
「レックス」
「ん」
「下も、触って」
俺の手が、彼女の腹部を滑り降りていく。
スカートのウエストに指をかけた。
「脱がせるぞ」
「っ、うん」
スカートを下ろした。
白いショーツが見えた。レースの縁取り。ブラジャーとお揃いだ。
そのショーツの中央が、濡れて透けている。
「もう、恥ずかしいってば」
「四回目だぞ、その台詞」
「数えないでよ」
でも、彼女は脚を閉じなかった。
さっきまでは、膝を閉じて身体を守っていたのに。今は、俺の視線を受け入れている。
俺の指が、ショーツの上から彼女の秘所を撫でた。
「ひっ、あっ」
熱い。そして、濡れている。
布越しでも分かるほどに。指が触れただけで、じわりと湿り気が広がる。
「すごい濡れてる」
「言わないで」
でも、その声には力がなかった。
彼女の腰が、俺の指を追いかけるように動いている。
ショーツの上から、秘所の輪郭をなぞる。
外側から、内側へ。ゆっくりと。焦らすように。
「んっ、あっ」
割れ目に沿って、指を滑らせる。
まだ布越し。でも、熱が伝わってくる。彼女の身体の、一番熱い場所。
「ねえ」
「ん?」
「直接、触って」
俺はショーツに指をかけた。
「脱がせるぞ」
彼女が頷いた。
でも、目を固く閉じている。
ゆっくりと、ショーツを下ろした。
彼女の秘所が、露わになった。
薄いピンク色の、花びらのような襞。
産毛が僅かに生えているが、ほとんど無毛に近い。
蜜が溢れて、太ももを濡らしている。内腿に、光る筋が伝っている。
「恥ずかしい、って言うなよ」
「バカ」
彼女が、腕で顔を覆った。
でも、脚は閉じない。俺に見せている。俺だけに。
俺の指が、彼女の秘所に触れた。
直接。初めて。
「んっ」
熱い。
濡れている。
指を少し動かすだけで、ぬるりと滑る。
「アグネス」
「何」
「お前、すごく感じてる」
「うるさい」
でも、その声は震えていた。
彼女の腰が、俺の指を追いかけるように動いている。もっと触れてほしいと、身体が訴えている。
俺の指が、彼女の襞をなぞった。
外側から、内側へ。ゆっくりと。
「あっ、んっ」
クリトリスを探す。
小さな突起。襞の上部に隠れている。
見つけた。
指先で、軽く触れた。
「ひゃあっ」
彼女の身体が、大きく跳ねた。
「ここか」
「やっ、そこ、だめっ」
だめ、と言いながら、腰が逃げない。
むしろ、押し付けるように動いている。
俺の指が、その突起を撫でた。
円を描くように。軽く。焦らすように。
「あっ、あっ、あっ」
彼女の声が、途切れ途切れになっていく。
目が潤んで、焦点が合わなくなっている。
「レックス」
「ん」
「入れて」
「いいのか」
「お願い」
俺の指が、彼女の入り口を探った。
蜜でぬるぬるになっている。十分に濡れている。
指を一本、ゆっくりと沈めた。
「んんっ」
熱い。きつい。
彼女の中が、俺の指を締め付けてくる。
「狭い」
「っ、処女、だもん」
その言葉が、俺の理性を揺さぶった。
処女。
この女が、俺のものになる。
誰にも触れさせなかった身体を、俺だけに許している。
「痛いか」
「ちょっと」
「止めるか」
「やめないで」
アグネスの目が、俺を見上げていた。
涙が滲んでいる。でも、強い目。
「続けて。お願い」
俺は指を動かしながら、彼女の身体を慣らしていった。
ゆっくりと。出し入れするたびに、彼女の中が濡れていく。
最初はきつかった締め付けが、少しずつ緩んでいく。
拒絶から、受け入れへ。彼女の身体が、変わっていく。
二本目の指を入れた。
「あっ」
「痛いか」
「大丈夫。続けて」
二本の指で、彼女の中を広げていく。
奥の方を探る。敏感な場所を探す。
「あっ、そこっ」
見つけた。
指を曲げて、その場所を擦る。
「やっ、やっ、そこ、だめっ」
だめ、と言いながら、彼女の腰が浮いている。
もっとそこを触れと、身体が訴えている。
「いける」
「本当にいいか」
「しつこい」
「大事なことだから聞いてる」
アグネスが、俺の頬に手を当てた。
「大丈夫。アンタとなら」
◆◆◆
俺は自分の服を脱いだ。
整備士のつなぎ服のジッパーを下ろす。肩から腕を抜いて、腰まで落とす。下に着ていたシャツも脱いだ。
アグネスの視線が、俺の身体を這う。
胸板。腹筋。整備士の仕事で鍛えられた、無駄のない筋肉。
「思ったより、筋肉ある」
「重いもの持つからな」
つなぎ服を完全に脱いだ。
下着だけになる。
彼女の視線が、俺の下半身に釘付けになった。
下着越しでも分かるほど、硬く張り詰めている。布地が持ち上がって、形が浮き出ている。
「おっきい」
その言葉に、彼女自身が驚いたようだった。
顔が真っ赤になる。
「怖いか」
「ちょっと」
正直な答えだった。
彼女の目には、期待と不安が入り混じっている。
俺は下着を脱いだ。
彼女の前で、完全に裸になる。
アグネスが息を呑んだ。
視線が、俺のものに固定されている。逸らせないでいる。
「入る、の? それ」
「入る。ゆっくりやれば」
「本当に?」
彼女の声が、僅かに震えていた。
無理もない。処女の彼女には、大きく見えるだろう。
俺は彼女の上に覆いかぶさった。
膝で彼女の脚を割り開く。抵抗はなかった。彼女自身が、脚を開いてくれた。
「アグネス」
「何」
「目、開けろ」
彼女がゆっくりと目を開けた。
バイオレットの瞳。涙で潤んでいる。でも、逃げていない。俺を真っ直ぐに見ている。
「怖かったら言え。止まる」
「止まらないで」
彼女の手が、俺の背中に回った。
引き寄せるように。
「お願い。全部、入れて」
俺は先端を、彼女の入り口に宛がった。
熱い。
さっき指で確かめた時よりも、もっと熱い。彼女の蜜が、俺の先端を濡らしていく。たっぷりと溢れた蜜が、入り口を滑らかにしている。
ゆっくりと、押し込んでいく。
最初の抵抗。
彼女の中が、俺を拒むように締め付けてくる。狭い。きつい。でも、濡れているから、少しずつ沈んでいく。
「っ」
アグネスの眉が寄った。
唇を噛んでいる。痛いのだろう。
俺は動きを止めた。
「大丈夫か」
「続けて」
「でも」
「止まらないで」
彼女の脚が、俺の腰に絡みついた。
引き込むように。逃がさないように。
もう少し、押し込む。
抵抗があった。薄い膜の感触。
ここだ。
「アグネス」
「分かってる。いいから」
彼女の目が、俺を見ていた。
涙が滲んでいる。でも、頷いている。
俺は息を吐いて、一気に押し込んだ。
「っ——ッ!」
彼女の身体が、大きく震えた。
爪が、俺の背中に食い込む。声にならない悲鳴が、彼女の喉から漏れた。
「入った」
「うん」
涙が、彼女の目尻から流れていた。
痛みの涙。でも、後悔の色はない。
俺は動かずに、彼女を抱きしめた。
汗ばんだ身体が密着する。心臓の音が聞こえる。彼女のも、俺のも。早鐘を打っている。
「痛いか」
「痛い。でも」
アグネスが、俺の顔を見上げた。
涙で濡れた顔。でも、笑っている。
「嬉しい」
その言葉が、俺の胸を締め付けた。
「レックス」
「ん」
「動いていいよ」
「まだ早い」
「大丈夫」
「俺が決める」
アグネスが、小さく笑った。
涙を流しながら、笑っている。
「やっぱり、優しすぎ」
俺は動かなかった。
彼女の身体が、俺を受け入れるまで。
彼女の中に埋まったまま、待つ。
熱い。きつい。締め付けが強くて、動かなくても気持ちいい。でも、まだ動かない。
彼女の呼吸が、少しずつ落ち着いてきた。
最初は浅く速かった呼吸が、深くゆっくりになっていく。
締め付けが、少しずつ緩んでいく。
拒絶から、受け入れへ。彼女の身体が、俺の形を覚えようとしている。
「今から動く」
「うん」
ゆっくりと、腰を引いた。
彼女の中が、俺を離したくないと言うように締め付けてくる。
引き抜くたびに、吸い付いてくる。
そして、押し込む。
同じ深さ。同じ速度。焦らずに。
「あっ」
アグネスの声が、変わり始めた。
痛みから、別の何かへ。
もう一度、引いて、押し込む。
同じリズム。同じ角度。彼女の反応を見ながら。
「んっ」
三度目。四度目。五度目。
彼女の声が、少しずつ甘くなっていく。
眉間の皺が消えていく。代わりに、唇が開いていく。
「レックス」
「ん」
「気持ち、いい」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ速度を上げた。
「あっ、あっ」
彼女の脚が、俺の腰をきつく挟んだ。
腕が、首にしがみつく。離さないように。もっと近くに来てほしいと言うように。
角度を変えた。
少しだけ上向きに。彼女の中の、敏感な場所を探しながら。
「あっ、そこっ」
見つけた。
彼女の中の、一番敏感な場所。さっき指で見つけた場所。
同じ場所を、同じ角度で突く。
「やっ、そこ、だめっ」
だめ、と言いながら、彼女の腰が浮いている。
もっとそこを突いてほしいと、身体が訴えている。
俺は速度を上げた。
同じ場所を。同じ角度で。何度も。何度も。
「あっ、あっ、あっ」
アグネスの声が、途切れ途切れになっていく。
目が潤んで、焦点が合わなくなっている。
強気なエースパイロットの面影は、もうどこにもなかった。
俺の下で、俺の名前を呼びながら、快楽に溺れている。
「レックス、レックス」
俺の名前を呼び続ける。
他の誰でもない、俺の名前だけを。
「好き」
言葉が、快楽と一緒に漏れた。
「好き、レックス、好きっ」
俺も限界が近かった。
彼女の中が熱くて、締め付けが強くて。
奥まで突くたびに、彼女の中が痙攣する。
搾り取るように締め付けてくる。
「アグネス」
「んっ、何っ」
「中に出す」
「っ、うん」
彼女の脚が、俺の腰をさらにきつく挟んだ。
逃がさないように。全部受け止めると言うように。
「出して、中にっ」
その言葉が、俺の最後の理性を吹き飛ばした。
深く突き入れる。一番奥まで。
彼女の最も深い場所に、先端を押し付ける。
そして──。
熱いものが、彼女の中に放たれた。
「あっ──!」
アグネスの身体が、弓なりに反った。
つま先がピンと伸びる。指が俺の背中に食い込む。
彼女の中が、痙攣するように締め付けてきた。
搾り取るように。一滴残らず、と言うように。俺が出すたびに、彼女の中が収縮する。
「イっ、イくっ」
彼女の全身が震えた。
俺と一緒に。俺の名前を呼びながら。
「レックスっ、レックスぅっ」
何度も。何度も。
俺が出し終わるまで、彼女は震え続けた。
やがて、震えが収まっていく。
彼女の身体から、力が抜けていった。
「レックス」
とろんとした目が、俺を見上げていた。
焦点の合わない、蕩けた目。満足しきった目。
「出てる、中に」
「ああ」
「あったかい」
彼女が、幸せそうに笑った。
俺は彼女の額に、唇を落とした。
汗ばんだ額。熱い肌。
「痛くなかったか」
「最初だけ。あとは、気持ちよかった」
「そうか」
「うん」
彼女の手が、俺の頬に触れた。
「ありがとう」
「礼を言うな」
「言う。だって」
アグネスの目が、また潤んだ。
「アンタが、初めてで、よかった」
◆◆◆
俺は彼女から離れなかった。
繋がったまま、横に転がる。
「抜かないで」
アグネスが、俺にしがみついてきた。
全身で。腕で。脚で。まるで離れたくないと、身体全部で訴えるように。
「もうちょっと、このまま」
「ああ」
俺は彼女の髪を撫でた。
汗で額に張り付いたサーモンピンクの髪を、そっとかき上げる。
格納庫の冷たい空気が、汗ばんだ肌に触れる。
でも、彼女の身体は温かかった。俺の腕の中で、小さく震えている。余韻の震え。満足の震え。
「レックス」
「ん」
「好き」
小さな声だった。
行為中の、快楽に押し流された告白とは違う。静かな、でも確かな告白。
「俺もだ」
「本当?」
「嘘ついてどうする」
アグネスが、俺の胸に顔を埋めた。
すりすりと、頬を擦りつけてくる。猫みたいに。甘えるように。
強気なエースパイロットが、こんな顔をするとは。
俺だけが知っている顔。俺だけに見せる顔。
「アグネス」
「ん」
「顔を上げろ」
彼女が顔を上げた。
とろんとした目。赤い頬。少しだけ腫れた唇。
俺は、その額に唇を落とした。
「ん」
次に、瞼。
閉じた目の上に、そっと。
「っ」
頬。
涙の跡が残る、白い肌に。
「もう」
鼻の先。
軽く触れるだけ。
「焦らさないで」
最後に、唇。
軽く。優しく。さっきまでの激しさとは違う、穏やかなキス。
「んっ」
彼女の舌が、ねだるように伸びてきた。
でも、俺は深くしなかった。
「もっと」
「後でな」
「けち」
「眠いだろ」
「うん」
彼女の目が、とろんと蕩けていた。
満足したような、幸せそうな顔。眠気と余韻が混ざった、無防備な顔。
「ねえ」
「ん」
「痛かった?」
俺は彼女を見た。
「何が」
「アタシの爪。背中に、跡ついてない?」
「たぶんついてる」
「ごめん」
「謝るな。勲章だ」
アグネスの顔が、また赤くなった。
「変態」
「お前もだろ」
「うるさい」
でも、彼女は離れなかった。
俺の腕の中で、小さく身じろぎするだけ。居心地のいい場所を探すように。
やがて、彼女の呼吸が穏やかになっていった。
目が、とろんと閉じかけている。
「ねえ、レックス」
「ん」
「また、してくれる?」
消え入りそうな声。
強気なアグネスからは、想像もできない声。
「明日の夜も、その」
「帰ってきたらな」
「帰ってくる」
「ああ。帰ってこい」
俺は彼女を強く抱きしめた。
繋がったまま。離れないまま。
「俺の整備したギャンで、帰ってこい」
「うん」
アグネスの目が、また潤んでいた。
でも今度は、幸せそうな涙だった。
「ねえ」
「まだ寝ないのか」
「最後に一個だけ」
「なんだ」
アグネスが、俺の耳元に唇を寄せた。
吐息が、耳をくすぐる。温かい息。甘い匂い。
「明日の夜、もっといっぱいして」
囁いて、彼女は俺の胸に顔を埋めた。
「おやすみ」
数分後、彼女の寝息が聞こえてきた。
穏やかな、安心しきった寝息。俺の腕の中で、全身の力を抜いて眠っている。
俺は彼女の髪を撫でながら、呟いた。
「ああ。おやすみ」
そして、絶対に帰ってこい。
格納庫の照明が、静かに俺たちを照らしていた。
ギャンの影が、眠る彼女を守るように伸びている。
明日、彼女はあの機体に乗って、宇宙に出る。
俺が整備した機体に。俺が守ると誓った機体に。
必ず帰ってこい。
俺は目を閉じた。
彼女の温もりを感じながら、束の間の眠りに落ちていく。
◆◆◆
格納庫に、朝日が差し込んでいた。
俺は先に目を覚ましていた。
彼女より早く起きて、身支度を整えて。そして今、ギャンの最終点検をしている。
いつもと同じ作業。いつもと同じ手順。
でも、今日は違う。
昨夜のことが、まだ身体に残っている。
彼女の温もり。彼女の声。彼女の中の、熱さ。
背中が、少しだけ痛んだ。
彼女の爪の跡。勲章だと言った。本当にそう思っている。
足音が聞こえた。
軽い足音。でも、迷いがない。
「整備、完璧だろうな?」
振り向くと、アグネスがいた。
パイロットスーツに身を包んで、いつもの強気な顔。腰に手を当てて、胸を張って。
昨夜の、甘えた表情はどこにもない。
俺の腕の中で震えていた女は、もうそこにいない。
代わりに、エースパイロットがいる。
コンパスの撃墜王。敵に恐れられる、サーモンピンクの死神。
でも、俺には分かる。
彼女の頬が、僅かに赤いことを。目が、少しだけ潤んでいることを。パイロットスーツの下に、昨夜俺がつけた痕が残っていることを。
「当たり前だ」
「ふん」
彼女がコックピットに向かって歩き出す。
腰を揺らして、堂々と。いつもの強気な歩き方。
でも俺は知っている。
あの強気の下に隠された、本当の彼女を。
怖がりで、甘えたがりで、俺の名前を呼んでいた彼女を。
「アグネス」
「何」
彼女が振り返った。
強気な目。でも、その奥に柔らかいものが見える。昨夜、俺だけに見せたもの。
「俺の整備したギャンで」
「分かってる」
彼女が笑った。
昨夜、俺だけに見せた、あの笑顔とは違う。エースパイロットの、自信に満ちた笑顔。
でも、その奥には同じ温かさがあった。
「待ってて」
それだけ言って、ラダーを登っていく。
パイロットスーツに包まれた身体。昨夜、俺が触れた身体。俺だけが知っている身体。
コックピットが閉じる直前、彼女が俺を見た。
唇が動いた。
声は聞こえない。でも、読めた。
好き。
俺は頷いた。
声には出さない。でも、伝わったはずだ。
コックピットが閉じる。
ギャンが起動する。
カタパルトに向かって、歩き出していく。
俺は、その背中を見送りながら呟いた。
「ああ。待ってる」
だから、絶対に帰ってこい。
ギャンが、カタパルトにセットされた。
射出体勢。エンジンの唸りが、格納庫に響く。
「アグネス・ギーベンラート、ギャン。出るわよ!」
彼女の声が、通信機から聞こえた。
強気な、いつもの声。エースパイロットの声。
でも俺には聞こえる。
その声の奥に、昨夜の甘い声が重なっている。
行ってこい。
ギャンが射出された。
宇宙の闇に向かって、飛び出していく。
俺は、その光跡を見送った。
消えるまで。見えなくなるまで。
そして、俺は整備道具を手に取った。
次の出撃に備えて。
彼女が帰ってくる機体を、整備するために。
待ってる。
何度でも、整備してやる。
何度でも、送り出してやる。
そして何度でも、迎えてやる。
それが、俺の仕事だ。
整備士として。
そして、彼女の男として。
「帰ってこい、アグネス」
格納庫に、俺の声だけが響いた。
必ず帰ってこい。
そして、また俺の腕の中で眠れ。
俺は工具を握りしめて、次の機体に向かった。
**【完】**